うそつきはどろぼうのはじまり 29 |
飛竜を休ませ、小屋の中の整理を終えた男は、入り口の扉から外に出る。十七歳の同行者は、まだ海の近くにいた。アルヴィンが作業をしている間、少女は渓谷の端、切り立った崖の側に立ち、飽きもせず大海を眺めていたらしい。
部屋の支度ができたと呼びかけようとして、男は一度口を開いた。だが茜に染まる夕暮れの渓谷で、大声で名を呼ぶのも無粋な気がする。アルヴィンは何も言わず、彼女の側に歩み寄った。
「エリー」
無言のまま、ゆっくりと少女が振り返る。夕日をもろに受けた顔は、表情が読み取れないほど影が濃い。そして、男が傍らに立つと同時に、再び身体を前に向けてしまった。
そんなに熱心に見つめるものがあっただろうかと、アルヴィンは少女と視線を同じくする。三方を切り立った絶壁に覆われた大海の向こうに、かすかに瞬く光の群れが見えた。
「あれは・・・」
光の正体を知る男は説明に窮した。だが誤魔化す前に、正解を言われてしまう。
「トリグラフにある塔ですよね。あの形、見覚えがあります」
「・・・ああ」
彼らは既に、到着地点を視認できる距離に来ていた。即ちそれは、彼らの旅がもうすぐ終わることを意味している。
男の仕事は、エリーゼをトリグラフに送り届けることだ。バランの意向を受けたスヴェント家の屋敷に引き渡せば、それで残りの報酬が受け取れる。契約では、そういう段取りになっていた。
けれどもアルヴィンは、トリグラフへの到着を恐れていた。迅速丁寧を看板とする運び屋にあるまじきことであるが、少しでもトリグラフに近づかないように、わざと遠回りをして、行楽地で長期間滞在した。
理由は色々ある。追っ手を撒くためだとか、乗り慣れていないエリーゼのためとか、二人分の荷物を搭載し続けるワイバーンを休ませるためとか、遅れを追求された時の弁明は沢山用意してあった。言い訳である可能性は、敢えて考えないようにしていた。
突き詰めれば結局、自分のためだった。自分がエリーゼと一緒にいたいがためにした行動だった。
男は最初、少しでも共にいる時間を長くすれば、この欲望も満たされるのではないか考えた。だが旅を続ければ続けるほど、彼女への独占欲は強くなった。落ち着いた色味の金の髪も、緑の瞳も、はにかむような笑顔も、からかうと頬を膨らませる頑固なところも、自分だけのものにしたかった。
手放したくない思いが一層増す中でも、彼は責務を忘れることは一度もできなかった。彼女に溺れそうになる度、バランと交わした契約が彼の脳裏を過ぎった。
アルヴィンは運び屋である。名指しの指名と大金は、信頼と期待の大きさを示す。スヴェント家に連なるこの仕事を成功させれば、エレンピオスにおける今後の展開がぐんと楽になるだろう。だから彼は、これまで培ってきた信用と、規模拡大の未来をむざむざ打ち捨てる真似など、絶対にできなかった。
空に藍色が迫る。水平線の向こう、まるで蛍火のように瞬く光。男が決して辿り着きたくなかった場所。
このままずっと、一緒に旅を続けられたら。ここに至るまでの全ての行程は、彼自身の願望の現われだった。
「トリグラフの街、もうこんなに近かったんですね。あそこにスヴェント家のお屋敷があって、バランさんがわたしを待っている・・・」
遠くを見つめながらエリーゼは言う。答えようのない男は短く頷いた。
「アルは以前、こう説明してくれましたね。バランさんがわたしの婚約者になったのは、スヴェント家の人々に無理やり押し付けられたからなんだって」
少女の穏やかな口調に、アルヴィンは本能的に嫌なものを嗅ぎ取っていた。政略結婚の概要については旅の始め、確かに伝えたと思うが、今更確認するような事柄ではないはずだ。それをこの期に及んで蒸し返す理由は唯一つ。彼女がある可能性に気づいたからだ。
「その話を聞いた時、わたし、思ったんです。もしあなたが前の旅の後、出自と身分を明かし、生まれた家に戻っていたら」
もし。もしも。アルヴィンが前スヴェント家当主の子息であることを明かしていたら。アルフレドを名乗り、エレンピオスに戻っていたら。
エリーゼは静かに決定打を放つ。
「この旅の結末は、違っていたんじゃないかって」
その可能性には気づいていた。バランから話を聞いた時からずっとだ。
殻が消え、二つの世界が一続きになった時点でリーゼ・マクシアでの生活を捨てていたとしたら。アルフレドとしてスヴェント家の一員に収まっていたら、自分がこの政略結婚の新郎候補となっていたに違いないと。
草原に佇む二人を、宵闇を含んだ風が包んだ。渓谷には魔物の影も無く、ワイバーンも遠くに係留していた。まるで計ったように、二人きりだった。
何を言っても相手にしか伝わらない。誰にも聞こえることはない。その状況が、ついにアルヴィンの口を開かせた。
「最初、バランの奴から話を聞いた時、俺は心底後悔したよ。どうしてあの時、屋敷に帰らなかったんだろうって」
「ミラに言われたからでしょう? リーゼ・マクシアで暮らせって」
少女の声は少し笑みを含んでいる。いつの遣り取りのことを言われているのか気づいた男は、途端にしかめっ面になった。
「聞いてたのかよ・・・。まあそれもあるけどな。ミラには背中を押してもらっただけだよ。単純な話、リーゼ・マクシアにいれば、エレンピオスにいるより会いやすいと思った」
男の温かい視線を受け、エリーゼはようやく自分のことを言われているのだと気づいた。
けれどエリーゼは既に知っていた。この包み込むような優しさに、決して溺れてはならないのだと。
涙を堪えて仰いだ天には、美しい星が輝き始めていた。潤む視線で、エリーゼは一番星を眺める。
「わたしが大人にならず、幼いままだったら、きっと、言っていたでしょうね」
大好きな人の側に入るのに、こんなにも心が痛い。大人になるとは、なんて哀しいことなんだろうとエリーゼは思った。
「わたしを連れて逃げてくださいって。でもわたしはそれをしなかった。わたしはドロッセルに恩義があり、あなたはに守らねばならない信用があった。だからきっと、これでいいんです」
目頭が急に熱くなって、少女は瞼を閉じた。
夕食の席でアルヴィンは言った。明日の早朝出発すれば、トリグラフには午後にはつくと、説明した。だから、今夜が共に過ごす最後の夜になる。
普段ユルゲンスが寝起きしているという寝台に横たわりながら、エリーゼは何度目か知れない寝返りを打った。
(残された、最後の機会なのに、わたし、まだ尻込みしている)
それはずっと長いこと、エリーゼが願ってきた望みである。翌日に迫った別れを覚悟して、さらにその思いは強くなった。
なんとしても叶えたい。けれど、これまではどうしても勇気が出せなかった。
幾度となく足を踏み出そうとしたけれど、どうしても動けない。怖さと、気恥ずかしさと、嫌われたくないという思いからだ。
でも、もはや彼女に時間はない。
「アル、起きていますか?」
夜の帳を縫うように、低い声が聞こえた。
「ああ」
「そっち、行ってもいいですか」
間があった。
「・・・ああ」
返事を聞き、エリーゼは寝台の上に身を起こした。
彼女はうなじに両手を差し入れ、一気に髪を打ち払う。金の色が、きらめきながら落ちてくる。
彼女が近づいてくる気配を感じながら、男もまた寝台に腰掛けた。
ほのくらい床板が見えるばかりだった視界に、小さな足が映り込む。男は思わず溜息を落とした。お前な、と上目遣いに見上げながら訊ねる。
「言ってる意味、分かってんのか」
「・・・はい」
エリーゼは蚊の鳴くような声で、それでも肯定した。
なけなしの勇気をはたいて承諾を貰ったはいいが、実際本人を目の前にすると、彼女の気合などは微塵にも砕け散ってしまっていた。だからただひたすら下を向いて、訴えるしかなかった。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。でもわたしは・・・わたしは、ただ」
声が震える。
今夜で、最後だから。もう二度と言わないから、これきりだから、どうか願いを聞き入れてください。
エリーゼは男の手を取って、そっと自分の頬に当てた。自分の魂からの願いを叶えてくれるのは、世界でこの人だけだ。
「わたし、今すぐ幸せになりたい」
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