「神さま」の怪談 |
で……できた。
あなたが「神さま」……なんですよ、ね。
なんだか思っていたのとちが、あ、いえ、なんでもないです。
私は、この学校の生徒で北上はやてと言います。
「神さま」にお願いがあるんですけど、聞いてくれますか?
あのですね……うー。言いにくいなー。
わ、私、好きな人がいるんですね。その人は、この学校の……先生なんですけど。
その人との恋が結ばれればな……なんて。
年の差とかはわかってるんですけど、「神さま」ならきっと……叶えてくれるんじゃないかなと……どうでしょうか。
…………。
…………。
…………?
あの、どうしてそんな顔をしているんですか。まるでつまらないものでも読んでいる……よう……な?
……!?
あの呪文……「神さま」……まさか。
「神さま」!なにか言ってください!なんでもいいんです。
あなたが、私たちと「同じ」だということの証明をください!
でないと、私……私……。
……私たちは一体、なんのために生まれてきたんですか!
幼稚園の頃の記憶だってあります。そのときからの友達だっていますし、これからもそうであって欲しいと思います。
それに、先生とだって……。
けど……あなたの存在を認めれば、それは全部無意味です。だって、その両手を閉じれば終わってしまうんですから。
……もう、いいです。わかりました。
この世界の正体も、「神さま」がどういったものかも。
あの子の言うとおりでした。こんな怪談には関わるべきではなかった。けど、知ってしまったからにはもう遅いんです。
もう……遅すぎるんです。
†
((郡山那須野|こおりやまなすの))が非常勤として勤めている学校は、近隣の学校の統廃合に伴い、大きなマンモス校になって大勢の生徒数を誇っている。
故に一クラスの人数は多く、一人の担任がすべての教科を教えるには限界があった。
特に生徒一人一人の理解度によった指導を必要とする算数は、担任一人ではきめ細かい授業など無理がある。そこで、彼のような非常勤講師がパートナーとなって指導を行っているのだ。
すべての教科を網羅しないといけない担任と違い、ずっと数学を学んできた彼の指導は、生徒たちの間で「わかりやすい」と好印象を受けている。
その中でも特に熱心に彼の指導を受けていたのは、北上はやてであった。彼女は放課後になると、いつも郡山の所に訪れては数字の話をねだるほどに熱心な生徒だった。
今日、郡山はその彼女の自宅に来ている。
用件は――彼女の葬式である。
黒と白の幕に覆われた部屋を焼香の香りが漂う。棺の中の彼女は、整形によってただ眠っているだけのように見える。
葬式が一通り終わると、出棺の前に最後のお別れとして、遺体の周囲に親類縁者が一本ずつ菊や思い出の品を置いてく段取りとなった。
彼は懐からしおりを取り出した。それは先日、彼女が作ってきたもので、75枚の花びらを押した押し花で作られている。
それを菊と一緒に棺へ納めた。
「郡山先生ですよね」
合掌して立ち上がった彼を待ち構えていたように、北上はやての母親が声を掛けた。
「娘が大変お世話になったそうで」
「いえ、大したことはしておりませんよ」
「いつも家では先生のことばかり話していました。よっぽど先生のことが好きだったんでしょうね」
「一教師としては嬉しい限りです」
「とても、自殺するような子には思えないですよね」
胸が締め付けられる思いがした。思わず眉間に皺がより、顔をこわばらせてしまう。
「……やっぱり、先生は何か事情を知っているんじゃないですか?学校では頻繁にいじめがあるというようなことを聞きますが……」
「いえ、彼女がいじめを受けていた事実はありません。現にあれを見ればわかると思います」
そう言って彼は棺の方へ振り返った。その周りには、彼女の友達が多数集まり、わんわんと泣き続けている。それは心からの悲しみがなければ到底かなわぬ光景であった。
「……そう、ですよね。ごめんなさい。変なこと聞いてしまって」
「いえ。気にしないでください。こんな時は誰だって気が滅入ってしまうものです」
「でも、本当になんで……私にはもう、はやてが自殺する理由がわからないんです……ぅぅ……」
彼女は顔を覆い、か細い声をあげて膝を着いた。
その思いは、郡山も同じである。
毎日のように質問や雑談をしにやってくる彼女のことを、彼はよく理解しているつもりだった。そんな彼ですら、彼女の死の原因がわからないのだ。
せめて遺書があれば、と思う。
警察は彼女の死を旧校舎の屋上からの飛び降り自殺と断定した。だが、未だに自殺の原因を特定するものは発見されていない。
彼だけではない。棺の周囲で泣き続ける友達や、それをあやす担任ですら原因に心当たりはなかった。
誰一人として彼女が自殺した理由を知らないのである。
「先生。お願いがあるんですけども」
唐突に聞こえた声に、郡山ははっと視線を向けた。
ある程度泣いて、冷静さを取り戻したのだろう。母親はハンカチを目元に当て、彼に向き直った。
「はやての部屋を見ていってもらえませんか?あれだけ先生のことを慕っていたんですもの。せめてもの供養になると思いますわ」
「……そうですね。わかりました」
担任の先生に一声掛けた後、母親に連れられて郡山は北上はやての部屋に向かった。
「どうぞごゆっくり見ていってください」
彼が部屋に入ると、そう言って母親は出て行った。残された郡山は、窓際にあるぬいぐるみの頭を撫でた。
「おまえは何か知らないのかい?」
すこし乱暴に撫でるも、ぬいぐるみは何も語らなかった。
机に目を移す。と、机上に一枚のしおりが置かれているのを見つけた。それは48枚の花びらが押されている。75と48。それは以前、彼が北上はやてに教えた、婚約数の組み合わせである。
目頭をぬぐい、それを胸のポケットに入れた。
――75は彼女に渡した。48はせめて俺が持っているべきだろう――
ふと、気になるものが目に入った。
この机は半透明のプラスチックシートで机上を覆ってあり、そのシートの間に時間割票や遠足の写真などが入っている。
それ自体はなにもおかしくないが、その時間割票の下に、一枚の紙片が隠すように挟んであったのだ。
シートをめくって、取り出してみる。それはどこにでもあるようなメモ帳の切れ端だが、書いてあることは実に奇妙なものであった。
「「神さま」の怪談?」
メモにはその言葉と共に、なにやら呪文めいた文章が綴られていた。
「かけるかける……なんだこれ」
字の特徴から北上はやてが書いたものと彼には分かった。
しかし、これが何を意味するのか……。
「郡山先生。そろそろ出棺だそうですよ」
廊下から担任の声が聞こえてきた。
「はい、わかりました。今行きます!」
その言葉と同時に彼は思考を止め、メモを胸のポケットに入れた。
†
北上はやての自殺から数日。学校全体が不自然な雰囲気を纏っていたものの、やがて彼女とは関係のないクラスから元の生活へと戻り、それがいつしか彼女のクラスへと伝わっていった。
ほとんどのクラスが落ち着きを取り戻したことで、先生たちも胸を撫で下ろしたようだった。
――郡山を除いて。
彼のポケットには未だに例のメモが入っている。
「神さま」の怪談。
その言葉が彼にひっかかりを与えていた。
彼も非常勤とはいえ、この学校の先生である。この学校が怪談を7つではなく8つ持っていることも、そのうち生徒達に有名な「踊る彼岸花」や「めそめそさん」等の怪談話がある事も知っている。
しかし、この「神さま」の怪談はまったく聞いた事はなかった。
休み時間や放課後、生徒達に聞いてみるも、知っている生徒は誰もいなかった。数人の先生にも聞いてみたが、やはり誰も知らないと言う。彼女の友人達はさすがに聞いたことがあるとのことだったが、どんな内容か、どこで聞いたかさえあやふやなものであった。
マンモス校といわれるほど多くの生徒数を抱える学校である。怪談というなら7つ8つどころではなく、小さなものまで含めるとおそらく数百と数えるだろう。
有名ないくつかの怪談だけが座席を持ち、学校の怪談としてすべての生徒に語りつがれる。それ以外の怪談は一部の生徒しか知らないローカル的な怪談か、ぱっと現れてはぱっと消えてしまう程度の怪談でしかない。
おそらくこの「神さま」の怪談とは、そういう泡沫的な怪談なのだろうと郡山は思った。
その怪談が北上はやての自殺と関わりがあると証明するものは何もない。第一、怪談などという非科学的なものを信じるほど彼は子どもではない。
だが、今の郡山はその「神さま」の怪談を調べることによって北上はやてが自殺した原因に繋がると直感していた。
「ねえ、「神さま」の怪談って知ってる?」
放課後、彼は生徒達の雑談に混じってさりげなく聞いてみた。しかし、帰ってくる答えはいつもと同じである。
「知らなーい」
会話を終え、帰宅する生徒を尻目に、郡山は顔を覆って、俯きかげんに溜息をついた。
あまりしつこく聞き込みをすると、他の先生に不審がられてしまう。そうなれば途端に動きが取り辛くなる。故に聞くときは不自然にならないよう注意を払わなければならない。
思うようにならない状況に、思わず舌打ちを打った。
――くすくすくす――
「!?」
唐突に聞こえた笑い声に、はっと顔を上げる。
そこには、学校に来るにしてはずいぶん豪華なドレスを身に纏い、艶やかな黒髪を腰辺りまで伸ばした少女が立っていた。
「あらあら、はしたない。先生に言っちゃおうかしら。くすくすくす……」
「アハハ、みっともないところを見せてしまったな。頼むから言わないでおいてくれよ。ええっと……」
名前を確認するために名札を見る。しかし、雨で滲んでしまったかのように文字がかすれており、かろうじて「B組」という文字が読み取れるだけであった。
――B組?――
「そう。存在しないわね。うふふ、くすくすくす……」
「!?今先生は何も……」
可笑しく笑う少女に驚きの声をあげる。
彼は確かに何も言っていない。
思っただけである。この学校はアルファベットを使うクラスなどない。
――B組なんて存在しない、と。
しかしこの少女は、その思ったことに対して的確に返答をしたのである。
「ねえ。先生は何というお名前なの?この学校は生徒も多ければ先生も多いから、とても全ての先生の名前を覚えてられないの」
「え……」
ぽかん、と口をあける郡山を他所に、少女はくすくすと笑みを浮かべていた。
咄嗟に気を取り直し、彼は少女に目線を合わせるように膝を着いた。
「先生のお名前は郡山那須野というんだよ。クラスの先生とお手伝いして算数を教えているんだ」
少女は「ふぅん」とだけ言うと、再びくすくすと笑い出した。
「すてきなお名前ね。私は彼岸花というの。くすくす……」
ふと、ある怪談話を思い出した。保健室で夜な夜な踊っているという謎の人形。その人形の名前が、確か――彼岸花。
――ふざけているのか――
「ふざけてなんてないわ。私の名前は、彼岸花。うふふふふ……」
体中を電気が走る感覚がした。
冷や汗が背中から噴出し、シャツに張り付く。
外では夕暮れがせまり、日が落ちようとしている。カラスが鳴き、昼の終わりを告げるように飛び回っていた。
この子は――危険だ。
「き、君もいい名前をしているね。じゃあ、暗くならないうちに帰るんだよ」
この場に留まるのはまずい。そう思い、立ち上がって後ろを向く。
走り去りたい気持ちを抑え、職員室の明かりを求めて歩き出した。
「聞かなくていいの?」
唐突に投げかけられた言葉にぴたり、と足が止まった。彼は決して振り向かないように注意しながら、彼女の問いに応える。
「何をだい」
「「神さま」の怪談。私、知ってるわよ。くすくす……」
脳裏に、ある一つの考えが浮かんだ。
幽霊や妖怪は怖いと思うから怖いのだ。怖いと思ってしまえば、なんだって化物に見えてしまう。
なら、怖いと思わなければいい。
「くすくす。そうね、幽霊の正体見たり枯れ尾花なんて言葉があるものね。馬鹿みたい。くすくすくす……」
耳を傾けるな。雰囲気に呑み込まれるな。
ただ、この少女に、「神さま」の怪談を知っているという少女に、話を聞くだけだ。
拳を握りしめ、少女の方を向く。
何も怖くない。
何も気にすることは無い。
そう言い聞かせて、彼は言葉を放った。
「詳しく聞かせてくれないかな。その「神さま」の怪談を」
「だめ」
少女は彼が発した言葉を軽く弾くように言った。
「え……」
「あれはあなたが関わるべき怪談ではないわ。彼女だってそう。私がせっかく忠告を与えたのに、むざむざと実行して、勝手に絶望して死んじゃった。あれじゃぜんぜんおいしくないのよ」
ふて腐れたように言う彼女ではあるが、表情は依然として笑みを浮かべたままである。まるで真意を知ることができない。
まさか拒否されるとは思わなかった郡山は呆然としてしまう。だが、彼にとっては北上はやての自殺の原因を探る、唯一の手がかりである。
膝をついてもう一度目線を合わせると、真剣な瞳で彼女と向き合った。
「頼む。先生は北上が自殺した原因を知りたいんだ。教えて欲しい」
そう言って頭を下げた。顔が床スレスレまで届いている。小さな少女に、大人が土下座のような格好で頭を下げる光景は、かなり滑稽なものだった。それでも、彼はひたすらに頭を下げ、彼女の返答を待った。
沈黙が続く。
やがて、「くすくすくす」という笑い声が響いた。
「そこまで言うならいいわ。教えてあげる」
「ほ、本当か!?」
「ええ。ただし……」
顔を上げた郡山の顎を小さな指が掴むと、彼の瞳を見つめ、睨みつけた。
「何があっても知らないわよ。あなた程度の人間が関わっていいほど、あの怪談は甘くないの。くすくすくすくす……」
くすくす、くすくすくす、くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす…………。
†
「そんなことがあったんですか」
日の落ちた保健室にすでに人はなく、ただ人ならざるものだけが我が物顔でお茶菓子をつまんでいた。
眼鏡を掛けた少女――学校妖怪序列8位、めそめそさんこと、森谷鞠絵――は職員室で拝借した饅頭を頬張ると、目の前に座る彼岸花に問いかけた。
「そんなに危険なんですか?その「神さま」の怪談って」
「危険よ。この「世界」においては間違いなく最恐の怪談ね。そいつにかかれば、この「世界」の嘘も真もすべてが思うままになってしまうわ。私とあなたの立場が逆転することだってありえるもの」
「立場が……逆転……」
「……いい度胸ね鞠絵。くすくす……」
「え、はわわ!?私は何も思ってませんよ!ええ!思ってませんとも!」
「……まあいいわ。とにかく、鞠絵」
「は、はひ」
「おそらく今夜、旧校舎にあの男が現れるわ。あなたの住処に行く事もありえると思うけど……」
「ええ」
「絶対にあの男に近づいちゃだめよ。むしろ、あの男があなたのトイレに近づいたら、全力で追い返しなさい」
「……もう一度聞きますけど、そんなに危険なんですか」
「そうよ。せっかく保健室までお菓子を持って遊びに来てくれる友達ができたんだもの。失いたくないの」
「はあ……まあ、そう言うのでしたら」
「うふふ……彼女もあの男も、これくらい素直だったらよかったのにね」
そう言って、彼岸花は机に置かれた饅頭を取った。
「ところで、なんでそんなに危険なのに、あわぶくみたいに誰も知らないような怪談なんですか?序列がなくともメジャーにはなれると思うんですけど」
「それは決まってるじゃない。くすくすくす……」
笑いながら、饅頭をちぎる。破れた皮の中から餡が飛び出し、少女の人形のような指を汚した。
「認めちゃうと、「世界」が成り立たないからよ」
指をぺろり、と舐める。その表情からは、すでに笑みを認めることはできなかった。
†
少女は言った。
「天の杯が頂きに至る頃、旧校舎において鏡に向かい、唱えよ。されば「神さま」に会わん。これが「神さま」の怪談よ」
旧校舎に入る前に、職員室からうっすらと明かりが灯っているのを確認する。
誰かが残業している証拠だ。そうなれば、警備システムは働いていない。
”うっかり”鍵を閉め忘れた窓から旧校舎に侵入する。そこから見上げた空には、満月の煌々とした明かりが、彼の道を指し示すように照らしていた。
腕時計は11時を表示している。しばらく暗闇に目を慣らした後、なるべく音をたてないよう慎重に、しかし忙しなく歩みを進めた。
彼は近場のトイレの入り口に立つ。鏡の指定はされていない。なら、ここでもいいはずだ。
扉を開ける。ぎぃ、と蝶番が軋む音がやたら大きく響いた。
中は闇に閉ざされており、沈黙に包まれている。それは、まるで地獄に繋がる大口のようであった。
暗闇を覗き込む。ふと、彼はあることを思い出した。
――旧校舎のトイレといえば「めそめそさん」がいるじゃないか――
あの「彼岸花」の名を名乗った少女の件もある。もしかしたら、と思い郡山はじっくりと耳をすませてみた。
……幸いにも、不審な声は聞こえ
――ぴちょん、と音がした――
「!?」
びくり、と身構える。
ここはトイレなのだ。水音がしたとしても、何の不思議も無い。ただ、周りが静かすぎるのと、音を探ろうと神経を尖らせすぎていただけの話だろう。
思えば、これだけ静かなのも不思議である。少しくらいは外の音などが聞こえてもよさそうなものだ。
まるで、外界から隔離しタ異界ニイルカノヨウナ……。
”…………めそめそ…………めそめそ。”
ぞくり、と悪寒が走った。
女の子の静かな泣き声。それは、目の前にあるトイレの中から聞こえた。間違いなく、「めそめそさん」の声である。
”…………めそめそ…………めそめそ。”
”……そこの人、……どうか私の哀れな話を聞いてください……”
「ひっ!」
喉から擦れた声が漏れ、足が震えだした。頭を金槌で打たれたように視界が揺れ、思考が定まらない。
――どうする?逃げるか?――
「めそめそさん」は、彼女のいるトイレの個室を開けてはならず、彼女の言葉にも答えてはならない。
なら、ここで引き返せば、まだ逃げることは可能なはず……。
そのとき、ふと胸元に手が触れる。くしゃり、と紙がつぶれる音が響いた。
それはあの日、彼女の部屋から持ち出したメモと、48枚の花弁が押されたしおりが奏でた音であった。
”先生。これ……使ってください!”
「っ!?」
記憶から湧き出る声が、彼の思考を満たす。途端に視界がクリアになり、腕に力が宿った。
怖いと思うから、怖いのだ。怖いと思えば、なんだって怖いものになってしまう。
「うぐっ」
みぞおちを拳で思い切り殴りつけた。込み上げる吐き気と痛みで、それ以外の感情が追い出されていく。
涙目になりながら見たトイレはうっすらと光が届き、中を窺い見ることができるようになっていた。
めそめそという声も、すでに聞こえない。
彼は薄く苦笑いを浮かべた。
――怖いと思うな。俺には、やらなけらばならないことがある――
時刻を確認すると、すでに12時を目前にしていた。思いのほか費やした時間に驚愕するも、すぐに気を取り直してトイレへと足を踏み入れる。
懐からペンライトを取り出すと、外に光が漏れないよう注意しつつ、スイッチをつけた。
ところどころ剥がれたタイルが覆う壁に、鏡が貼り付けられているのを確認する。
胸ポケットからメモを取り出した。呪文はおそらく、このメモに書かれた謎の文章だろう。
もう一度時計を見る。もう12時まで数秒といったところであった。
深く息を吐き出す。鏡に映った自らの顔は、自分でも見たことが無いような厳つい顔立ちをしていた。
心臓が早鐘を打ち続けるのを感じる。彼女も、こんな気持ちだったのだろうか。
ピピピ、と電子音が鳴る。
月が頂に昇った。
それと同時に、朗々とした声がトイレに響き渡った。
「かける、かける、かける。唱えることに3度。しかれども我らは2つ。故に欲す。対話を、至らずんば謁見を望む。角は2倍、辺は3倍、面は6倍。これ公理にして定理なり。くぉど、えらと、でもんすとらんどぅむ」
†
この顔は……誰だ?
俺じゃない……俺の顔じゃない。
……成功した、というのか?
じゃああなたが「神さま」か?そうなんだな!?
答えてくれ!以前、あなたは女の子に会っているはずだ。名前は北上はやてというんだ。
数日前、彼女はこの旧校舎の屋上から飛び降りて死んだ。この「神さま」の怪談のメモを残して。
あなたは、彼女の死の原因を知っているはずだ。知らないとは言わせないぞ。
「神さま」だかなんだか知らないが、俺はあんたを怖いとはちっとも思ってはいない。むしろ、事と次第によっては容赦するつもりもないんだ。
おい、聞いているのか?俺はお前に言ってるんだぞ!そんな顔をしてないで何か答えたらどうなんだ!
……くそっ!どうなってるんだ、一体。
まるでつまらない本でも読んでいる……読んでる……よう……な……?
本?まて、あの呪文は……。
かける、かける、かける。唱えることに3度。しかれども……我らは……2つ。
角は2倍?辺は3倍?面は6倍?
四角形の角は4……辺も4……面は1……。
まさか……まさか!?
答えてくれ「神さま」!そうなんだな!?
あんた達のいる世界が「現実」なんだな!?
じゃあ……俺達の世界はなんだ?
俺は……俺達はなんでここで生きている?
こんな、あんた達が手を閉じれば終わってしまう世界で、俺達はなんで生きている?
……そうか。そういうことか。
それが北上が死んだ理由……なんだな。
…………わかった。
あの子が言ったとおりだった。こんな怪談に関わるべきではなかったんだ。
俺はこれから……どうすればいいんだ。
†
鞠絵はもうしばらくそこで潜んでなさい。決して覗いてはだめよ。聞いてもだめ。
さて、こんばんは。
初めましてなのかしら?それともお久しぶり?くすくす……。
彼は出て行ったわ。屋上に行ったんじゃないかしら。
けれど、鞠絵に打ち勝ったんですもの。案外あの男は強いわ。失意のままに帰宅したのかもしれない。それはあなたが想像することね。
本当、ニンゲンってよくわからないわ。くすくす……。
少しお話をしましょう。せっかく壁を壊したんですもの。一緒におしゃべりをしてもバチは当たらないわ。
ねえ「神さま」。あなた、この学校の怪談になってみる気はない?
あなたが正式に怪談となれば、「校長先生」なんて目じゃないわ。瞬く間に序列1位の座に座れるわよ。序列3位の「踊る彼岸花」が保証する。こんなこと、滅多に無いのよ?くすくすくす……。
あなたの存在はこの”世界”において最恐の怪談であり、最悪の存在だもの。すべてのニンゲンに恐怖と絶望を与え、自らおいしい魂へと昇華させてくれるわ。
それはもう、残酷無比で冷酷非情と恐れられる私の好みに合いそうな魂へね。くすくす……。
……そんなこと、認められるわけないじゃない。
あなたはその想像力で、私たちを弄ぶことができる。幸福を台無しに、不幸をなかったことにさせてしまう。それを認めてしまえば、私たちの真の姿は無意味なものになってしまうわ。
第一、他人のおこぼれにあずかるなんて雑魚妖怪じゃあるまいし。そんなのは私好みじゃないの。
それともう一つ。
あなたたちは、どうなのかしら?
気をつけたほうがいいわよ。あなた達の「世界」は、本当に「現実」?
あなた達の「世界」にも神さまがいるのではなくて?それはあなた達の「世界」を読んでいて、その「神さま」が両手を閉じれば、「世界」がすべて終わってしまう。
そんな「世界」に、あなた達はいるんじゃないかしら。
ありえない話じゃないでしょう?
だって、ほら。
かける、かける、かける、かける。唱えることに4つ、てね。うふふ……くすくすくす……。
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PIXIVの公式企画「彼岸花の咲く夜に」小説コンテスト用に書いたものです。10000字以内ということで、執筆で使っているVerticalEditorでは9999字に抑えたのに、PIXIVにあげたら10400字になっててびっくりしました。 あちらは空白も1字に数えるみたいですヽ(`Д´)ノウワァァァン!! なので、ここにあげたものとPIXIVにあげたものとは若干違います。鞠絵と彼岸花の会話シーンをごっそりカットしたのと、シーン切り替えの「†」を抜いてあるくらいです。 |
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