C.H.A.R.I.O.T&W.O.R.L.D V
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 あなたにとって守るべきものは何?

 他者から脅かされてはならない物は何?

 それを脅かされたのならばそれを奪い取られる前に相手の全てを奪い取ればいいじゃない

 私は何か間違った事を言ったかしら?

 

 

 

 

 私の右手にある制御棒の熱量は時間を増すごとにどんどん上昇している。

 それこそ、今目の前に居る自らの主である人物を一瞬にして灰に出来るほどの熱量だ。

 私は彼女に裏切られた。

 彼女は全て知っていたんだ!

 私がこの地霊殿でどういう思いで働いていたかも、どうしてそういう生き方しか出来なかったかも、全て利用してこの私をこんな姿のままにしたんだ!

 私はその怒りを激しい光へと還元させた。

 今こそ我が宿敵を葬り去るチャンスだ。

 撃鉄は起こした。

 あとはトリガーを引くだけでいい、

 今の私の姿ならそれは造作も無い事だ。

 

 

 ……

 

 …

 

 

 けれども私の目の前に居る私の主、古明地さとりはその私の姿を見ても動じない。

 ただ、何かを諦めたかのように第三の瞳ではなく、二つの瞳を閉じていた。

 この結果を予見していたかのように、若しくは、自身の命が終わる事を甘受するかのように……

 

「霊烏路空、私が憎いのでしょう? いつか私は言ったわね。この旧地獄で生きる存在は憎悪、悪意、敵意、人間がそう名付けた禍々しい感情を受け入れなければならない。それこそが私達、忌み嫌われた存在が忌み嫌われるが所以、だからその感情を受け入れなければならない。そしてその感情を飼いならさなければならない。もし、あなたがそれを制御できるようになるのなら、遠慮なく仇を討ちなさい」

 

 私は後悔した。この妖怪、古明地さとりという妖怪の下で働いた過去を、

 だって彼女は私にとってただ憎いだけの敵でなければ、私を育ててくれた人の一人でもあるのだから……

 

 けれども私の目の前には揺ぎ無い現実だけが存在していた。

 それは古明地さとりが私に説明した三つの書類……

 

 一つ、この旧地獄のしきたりについて書かれた本、

 一つ、黒谷ヤマメという妖怪のファイル

 そしてもう一つ、これからの旧地獄のあり方が書かれた旧都の長老達に配った資料、「紅蓮地獄からの再生とそれに伴う灼熱地獄における核融合炉の設置についての要項」

 

 彼女は私を育ててくれた。

 優しい人だった。

 けれども彼女は多くの罪を犯した。

 それは、私の親を殺害したという過去と、

 そして私をこの世界を存続させる為の生贄にするという未来を与えた事だった。

 胸の黒い太陽、私の中のヤタガラス様は私の問いかけに答えてくれない。

 私が彼女をどうするべきか? という問いかけに、

 黒い太陽はただ胸の中で輝くばかりだった。

 

 

 

A

 

 

 

 私は家族の中では末っ子だった。

 同じ産卵時期に、最後に殻を破ったのが私だったからだ。

 おまけに私は容量が悪くて、兄妹の中では結構馬鹿にされていた。

 それでも食事はきちんと分け合っていたし、毛づくろいだってし合うくらいの仲のよさは持っていた。

 お父さんと、お母さん、それにお兄ちゃんとお姉ちゃん、皆一緒で大切な家族だった。

 少なくとも私はそう感じていたし、皆もそう感じている事を信じていた。

 

 

 

 そんな私にある時転機が訪れた。

 

 

 

 それは私が妖怪の使う、言葉と言うものを認識した事だった。

 

「勇儀の姐さん、あれですぜ、ほら、烏の巣、あんなにも大きなのつくっちまいやがって」

「ああ、見事だねぇ、実に見事だ、何せこの四天王が一人の星熊勇儀の家の屋根に巣を作るなんて、その度胸が見事だね」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょう、撤去しましょうよ、ほら威嚇してますよ、それに、あの声じゃあ近所迷惑ですし、このあたりのゴミ置き場もあいつらに荒らされますよ」

 

 その言葉に私は素早く反応した。この巣を壊すって? そんな事をしたら私達ここで死んじゃうじゃない。

 私はすぐに、巣の外に視線を向けた、下に居るのは妖怪か何かだろうか? 私のお父さんよりも遥かに大きい存在だ、あんなのが乗り込んできたらいくらお父さんだって敵いはしないだろう。

 そのうちの一人、一際背の高い方がこちらを見る、その瞳は真っ直ぐに私を射抜いていた。

 とてもとても恐い視線、私なんか殺されてしまうくらい恐い、自分自身がこんなにも弱い存在だと思い知らされるようなそんな視線だった。

 

 けれども彼女はその鋭い視線を私から外すと、まるで冗談でも言うようにそのもう一人に答えた。

 

「いや、あれはあのままにしておこう」

「いいんですかい? あんな烏無勢に鬼の住居を荒らされるなんて」

「別にわたしゃ自分を特別偉いなんて考えちゃいないさ、単純に食べるためでもなく、戦いを挑まれたわけでもないのに何かを襲うほどに、わたしゃ若くはないのさ、それによく見てみなよ」

 

 彼女は、今度は私を指差してくる。

 

「あそこに雛が居る、そしたらここを壊しちまったら、あの雛も台無しになるだろう、だったらあいつらが大きくなるくらいまでは居ても私はいいさ、しかし実際見事なもんさ、あんなに大きな巣を誰にも気付かれずに作って」

「いや、気付いていないのは勇儀の姐さんだけで……」

「あン? なんかいったかい?」

「い、いえ、別に」

「何にせよ、あいつらはこの地獄で最も恐れられている妖怪の家に巣を作っちまったわけさ、ついでに魔も払えるさ、多分あの子供達は立派に成長するさ」

「魔が払えるって、その心はなんでしょう?」

 

 彼女は、今度は自分自身を指差し、答える。

 

「鬼瓦!」

「自分で言いますか……」

 

 もう一人の声には強い落胆の思いを感じる。諦めるとかそういった感じかな?

 

「と、言うわけだ、お前ら」

 

 彼女は、今度はこちらに向けて声を掛けてきた。

 

「これは契約だ、お前さんたちが大きくなるまでこの巣を撤去したりはしない、その代わりきちんと育ちなよ」

 

 それきり、その二人は去っていった。一人は他の何処かへ、もう一人はこの巣がある建物の中に、お母さんもお父さんも警戒を解き、そうして私達を覆い隠すように人の目に付かないようにした。

 お母さんは震えていた。

 お父さんですら恐れていた。

 私が認識した、言葉と言うものを発する存在は確かに恐ろしいものだった。

 けれどもそう言った存在全てが私達の敵になるとは到底思えなかった。

 震える家族の中、私は考えてしまった。

 もし、言葉と言うもので彼らと会話出来るようだったら私達は恐れを感じなくても良いんじゃないだろうかと。

 けれども私は自身の喉を鳴らそうとしても出てくるのはお兄ちゃん達みたいな鳴き声ばかり、とてもじゃないけれど妖怪なんかには通じそうにも無い音だった。

 お母さんは私が食事をねだっているのだと受け取ったらしく、それに答え父はまた巣から飛び立った。

 けれども私は違った。

 食事は確かにあれば幸せだけれども、あの“言葉”と言うものを使う存在は私達に言った。

 私達が育ったらこの場所を出て行けと、

 

 

 

 

 

 

 

 暫くして私は育って多くの事を知った。

 それは決してよい事ばかりだけではなかった。

 私達は妖怪という存在に常に生活を脅かされているという事、彼らの縄張りには入りすぎない事、

 そして、この旧地獄という世界には既に私達が住んで、いや生きてはいられない場所が増えているという事、

 ある時地獄烏の群れの一つが無くなった。

 死んだ。皆、私達はそれを遠くから観察してそして見捨てた。

 これは後から教わった話だけれども、この旧地獄という土地には生物そのものが生きて入られない場所、紅蓮地獄という場所があるという。

 紅蓮地獄、この世のありとあらゆる熱を奪い去った絶対零度の世界、それはこの旧地獄に増え続けているらしかった。

 何故増えたのか? それは当時の私には分からなかった。

 ただその世界に追いつかれたら翼で飛び立つ事も出来ずに、地に張り付き、悶え、抵抗しようとした為に体中が千切れ、蓮の花に似た形で真っ赤な花を咲かせるように死ぬ、

 その鮮血を象徴するようにその紅蓮地獄という名を妖怪達に広めた。

 悪名として……

 

 

 

 

 

 私達が成長し、翼をうって空を駆け巡るようになった時、私達は既にこの旧地獄に少なくなっていた植物と呼ばれるもの、多くは低い背で、半分妖怪化しているようなモノだった。そんな中に群れを成して生活をしていた。

 妖怪の街に出て、妖怪同士が争い、そして死んだ存在の肉を喰らったり、旧針山に偶に堕ちてくるニンゲンと呼ばれる存在の死体を貪る事もあった。

 美味しいか? と言われると私には分からなかった。

 そういったものしか食べていなかったのだから、

 妖怪はよく争った。

 私は不思議に思った。私達は言葉と言うものを持たないで、常に妖怪と言う存在に生きる事を脅かされている。

 けれども仲間内で大きな争い、それこそ殺しあう程の争いは滅多に起こらない。

 しかし私は何度も見たことがある。彼らが争う場面を……

 妖怪とは一つの種族ではない。ただお互いの共通認識というか意思疎通をする為に言葉と言うものを発している。

 だからこそ悩む、彼らはお互いを理解しあうからこそそういったものを使っているのではないのか?

 けれども妖怪と言う存在は一度争いあうとそれこそお互いの命を奪い合うほどの争いを始める。

 その中には言葉なんてものは何の役にも経たなくて、

 ただただお互いの命を奪い合うために争い続けていた。

 

 

 

 

 私がそういった存在を多く見る機会があったのはそれを傍観するのが私の群れでの役目だったからだ。

 私は空を飛ぶ事が、お兄ちゃんやお姉ちゃんと比べてもそこまで上手くはなかった。

 それだけではなく、勘も鋭くなくて、正直に言えば妖怪の使う言葉がわかるだけの奇妙な奴だといわれていた。

 私はだから必死になって自身の居場所を探した。

 穀潰しだとは認識されたくなかったから……

 そんな私が見つけたことがこれだった。

 妖怪達の争いを見つけて、どちらかが、或いは両方が死ぬのを待つ。

 そしてそれを仲間に知らせる事、

 妖怪達の警備の巡回などを調べたりもしたが、元々物覚えが良くなかった為にそちらはあまりとくいではなかったけれど、それでも自分としてはやれる仕事を一つでも多く見つけておきたかった。

 少なくとも自分が居られる場所を手に入れることくらいは……

 妖怪達の呪詛を聞くのは辛い事だったけれども、それでも私は群れと自分のためには必要なことだと思っていたし、それは自身の誇りでもあった。

 私は自分をある程度幸せだと思っていた。

 少なくとも自分は仲間には必要とされている。

 その認識こそが、私が妖怪から放たれた呪詛を打ち消してくれた。

 それは大切な認識なのだと、私はそう信じて止まなかった。

 

 

B

 

 

 旧地獄街道を歩く、地上から現れた人間に引っ掻き回された後にしても旧都はそれなりの活気があり、そして何より統制が取れた社会が維持されていた。

 いや、寧ろ異変が起こる前よりも活気付いているようにも見えた。

 その姿を卑しいと思うのはあたい自身の傲慢であると分かっていても、それでも喧騒は今の私にとって、怒りの対象になりそうであった。

 彼らが今楽しく笑い合えるのは一人の妖怪の犠牲の元に約束された恒久的な平和に対する安堵感からなのだから……

 歯がゆいのはその恩恵を受けている対象というものに自分自身が入っていると言う事だ。

 そしてその犠牲となる存在というものが、自分自身の大切な友人なのだから、尚更嫌な気持ちになってくる。

 あたいは殊更生に執着する気は無かった。けれどもそれはあたい個人がそう考えるだけの事であって、あいつらにその価値観を押し付ける理由にはならない。

 だけれどもあいつらの笑い声が、まるで犠牲になっている友人を嘲笑っているようでいて、それが心の底から沸き起こる憎しみを呼び込んだ。

 あたいは後に一枚の計画書をさとり様から渡された。

 

「紅蓮地獄からの再生とそれに伴う灼熱地獄における核融合炉の設置についての要項」

 

 そう題された計画書はこれまでの旧地獄の熱エネルギーに代価出来る新たなエネルギーの事に事細かに書かれていた。

 あたいは核融合などと言うエネルギーに当然ながら専門知識は無かった為一番重要な専門用語の書かれた箇所は解読に難航したが、要するにその計画の中核にはお空が在る。

 という事実を理解した。

 彼女の能力一つであたい達は救われる。

 毎日のように頑張って死体を投げ込んでも決して強くならなかった炉には恒久的なエネルギーが出来、これまでどれだけ頑張っても事態の好転には結びつかなかった不毛な仕事から、あたいは解放された。

 皮肉にも最も望まない形で……

 手元のファイルに殺意を向ける。このファイルを創り上げた。さとり様にも、それを承諾したこの旧都の長老と呼ばれる知識人達にも……

 理解はしている。この世界に住む妖怪達がここ以外で住むことの出来る場所が無い事も、そして自分が持つ感情と言うものがあくまで外から来た妖怪だからこそ持てる物だという事も……

 何より彼らは知らない。この旧都に住むすべての妖怪が知るような事ではない事だから……

 先ほど人だかりの出来ていた場所で瓦版を見た。

 そこには紅蓮地獄の脅威から自分達が解放される事が書かれていた。

 

(けれども、失敗すればここいら一体だって紅蓮地獄どころか焦土と化していたかもしれないっていうのにね……)

 

 彼らはその恒久的な解放の代償に何を支払ったのかを知らない。

 神と言う名前の生贄になってしまった一羽の烏の事も、その烏が本来の底抜けの明るさを持っていたのに、その力を得てしまってからその明るさを反転して失ってしまった事も……

 

「こら、何かを読みながら歩くのは禁止だ。喩えあの地霊殿に住む妖怪でもここのしきたりには従ってもらうぞ!」

「うひゃ!」

 

 背後から頭を軽く小突かれる。

 その痛みよりもあたいの心の内側を覗かれたのではないか? などというさとり様に感じる危惧を抱いてしまったが、良く考えれば人の心を読む妖怪なんていうのは一人しか居ない。

 あたいが振り向くと、そこには、ある意味でさとり様よりも遥かに怖い存在だった。

 

「ああ、星熊――勇儀さん、だったかな? その節はどうも」

「そんなに殺気立っていたら誰から襲われても文句は言えないぞ」

「う……!」

 

 やっぱりばれてたか……

 鬼はその豪腕に似合わずに心理的にも強い、何故なら鬼達は他者の嘘を見抜くことが出来る。

 それはさとり様のいう本能から来るものの一つなのだろうか? 心が読めずともあの古明地さとりと対等に渡り合えるだけの交渉能力はその能力所以か?

 それだけではなく、あたいは先の異変でこの人と一戦交えている。

 彼女は鬼を束ねているだけの事はあり、弾幕決闘という方法を取らなければ恐らくあたいは死んでいただろう。

 彼女は能力がどうであれ、相性がどうであれと言う次元の存在では無い、その抜群の戦闘センスと長年積み上げてきた実戦の差は奇策を用いらなければ弾幕決闘ですら敗れていただろう。

 全く、鬼と言う存在が何故人間から恐れられていたかよく理解できる。

 あたいの殺気なんて、彼女の殺気の前では風前の灯だ。

 

「来な、私はお前に用があって呼び止めた。恐らくお前さんも私に言いたい事があるだろう。今日は殴り合いは無しだ。落ち着ける場所で話し合おう」

 

 彼女は拳を引っ込めあたいを先導し、呼んできた。

 正直複雑な気持ちだった。

 あたいはかつてこの星熊勇儀と争った。

 それはお空を助ける為に外へ出たがった妖怪に協力し、この旧地獄のしきたりを破る行為で本来ならば彼女達に殺されても文句が言われない程のタブーを犯した存在だ。

 その彼女があたいに何を聞きたいのだろうか?

 

「ほら、今日はお前さんと拳を交えようなんて考えちゃいないさ、ただ、そうだな、昔話をしようと思ってな……そう、お空の話さ」

「どうしてあなたが彼女の事を言えるんですか?」

「あなた方は! 彼女を犠牲にしたがっているんでしょう?」

「落ち着きな。当然ながらこの旧都には幾人かの長老が居る。私もそのうちの一人さ、けれどもな、その中の全てが、今回の決定に是とした訳ではない。ましてや、彼女の成長に関わった存在が……あんな状況に彼女を立たせたいと思っていると思うかい?」

「え? それってどういうこと?」

 

 あたいの言葉に、ほんの少しだけ彼女の表情に陰りが見えた。

 

「それは私があいつの育て親の一人だってことさ、詳しく聞きたければ付いて来な」

「分かりました。付いて行きます。ただ……」

「ただ?」

「酒場だけは勘弁して下さい。今日のあたいは恐らく悪酔いするでしょう」

 

 あたいのその言葉を聞くと、ほんの少しだけ彼女は口元を緩めて笑う。

 

「全く、あいつもお前も地霊殿に住む輩は食えないな。いいだろう、少々変わってはいるが、邪魔な奴らが入ってこないような場所に案内しよう。そう! お前さんを背後から刺し殺したりしようと考える連中が居ない様な所にな!」

 

 言われて、あたいは周囲の警戒を意識した。

 数は分からないけれども、幾人かの妖怪が動く気配がした。

 あたいとした事が、失念していた。

 やれやれ、一つの事に執着しすぎて周りが見えなくなるなんて、元野良の自分にはあってはならないだろう……

 人に飼われる事に慣れすぎたな……

 

「旧都の連中は当然ながら地霊殿の存在を良く思っていない奴らもいる。勿論古明地さとりの悪名に依る所もあるが、けれども地獄で誰かを害するという意識を持った奴はどんな奴だって邪見にするさ、だが、背後から襲い掛かるなんてのは下の下のやり方だ。この街を統治している者としてそれだけは看過出来ないな」

「あたいはあなたの虚を突きましたよ? 先の戦いで」

「お互いに合意の上での闘いならばそうは問題ではない。ただ闘う気も無い連中が一方的に他者を貶めるのが気に食わないだけさ。ほら、行くのなら行こう、お前さんはどうにも一つの事に集中したら他の事に気が回らないようだからな」

 

 星熊勇儀は少し街道から離れた奥まった場所にあたいを連れてきた。

 さて、地理的には今誰かに襲われたら、例えば目の前の鬼の部下にでも強襲されたら逃げ場はあるだろうか? などと考えていると、ほらついたぞ、と彼女は一言伝えてきた。

 彼女が指し示した場所はこの国の家屋によくある造りではなく、どちらかと言えば地霊殿に雰囲気が似ていた。

 漢字で喫茶店と書かれていたが、どちらかと言えば私がかつて住んでいた西方の造りに似た赤レンガで出来た建物、アンティークな造りは目の前の鬼にはあまり似合わなかった。

 

「ああ。一応断っておくがこの店を紹介したのはお前の主だ……まぁ間に一人入ってだがな。決して私の趣味じゃないぞ!」

「いや、あんたがどういう趣味をしていてもあたいには関係ないけどさ……」

 

 何故だかほんの少しだけ星熊勇儀は慌てた。

 そして、まるで通いなれた酒場のようにその喫茶店のドアを開け、マスターに声をかけた。

 その店のマスターはやっぱり鬼か何かで、厳つい顔と偉丈な姿が力強さを髣髴とさせられるような見てくれだったが、物静かに彼女に一礼して、静かにまたカップを拭き始めた。

 あたいが所在無さげにしていると、彼女は手招きをしてあたいをカウンター席に呼び込んだ。

 よりにもよって四天王の一人とそれに厳ついおっさんに囲まれるとなるとこれは色々と覚悟をしないといけないなぁ等と考えると、彼女は一言ミルクティーと言った。

 

「ミルクティー?」

「ああ、じゃあ二つな」

 

 厳ついマスター一度頷くと薬缶を取り出し、湯を沸かし始めた。

 

「さて、ではまず何から話し始めようか?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! あたいのオーダー今ので決定ですかい?」

 

 あたいの疑問符はどうやら彼女の中で肯定と取られてしまったらしい。

 

「まぁ、些細な事じゃあないか、ここのミルクティーは絶品なんだ」

「だから、そうじゃなくて! ああ、それより結局通ってるんじゃないですかい?」

「私は本物の味を求めて酒場も探すしなぁ……結果としてはそう言う事になるかな」

「それを常連と言うんですよ!」

「私ははっきり言えばお前のところの古明地さとりは嫌いだ。だがそれは奴の味覚センスを疑う事と同じではないな」

「ああ言えばこう言うんだから! 鬼は嘘が嫌いだって聞いて呆れますね」

「嘘は言っていない。方便だ」

「どう違うんですか?」

「まぁそれも些細な事さ、それより、こうしてる間にも茶は出来たようだし。話を続けようか」

 

 

 

 彼女が言うが早いか? まるでタイミングを見計らったかのように紅茶が二つカウンターから差し出される。

 それと少しだけ温められたミルク、

 星熊勇儀は手馴れたように目の前の砂糖入れから角砂糖を2個ほど入れてミルクを注ぐ、酒飲みの癖に案外甘党らしい。

 あたいもそれに倣って、一つだけ角砂糖を入れてミルクをたっぷり注ぐ、

 混ぜ終え、一口含むと、その厳つい顔のマスターとは対照的なイメージの甘い香りが口に広がった。

 何かの花でも入っているのだろうか? などと考えて、少しそれは想像が飛躍しすぎているな、などと思い、考えを改める。

 その私の表情を見て、星熊勇儀は笑ってくる。

 それが若干恥ずかしかったが、彼女はこう続けた。

 

 

 

「漸くその棘が取れたな。疲れないか? 旧都にきてからこっち、ずっとそんな雰囲気だったろう?」

「見てたんですね。ていうかどこからストーキングしてたんですか? まさか最初からですかい? それにこれはあんたの功績じゃなくてさとり様とそのマスターの功績でしょう?」

「はっはっは、然り、然り……」

 

 彼女も紅茶を一口含むと彼女もいつもの威厳が少しだけ和らぐ、

 

「本当はあそこに乗り込もうとしていた。先にも言ったが私はお空、今は霊烏路空と名乗っているあいつの親代わりをしたことがある。そいつが下敷きになるような社会体制には当然言いたい事だって沢山ある。が、古明地さとりの賢しい所はそこにある」

「さかしい?」

 

 ああ、と一言だけ答え、苦々しい顔をしながら甘い紅茶を飲む星熊勇儀、

 

「あいつは食えない奴だ。私は元々この旧地獄に居た鬼ではないから初期のあいつの作ったしきたりに口出しは出来なかった。妖怪といっても数多の種類がある。そのそれぞれの立場の妖怪をある程度近い性質を持った妖怪達を区分してその中から代表者を選出させた。見事なやり方だったよ。そうやって合議制にする事は一見して公平に見える。何せ数が少ない妖怪達の立場も公平に聞けるというやり方は一見すると平等だ。しかし、それは同じテーブルに付く事が前提だ。彼奴は人心を把握する事を能力として持っている。だから言葉を発して意見を言う前にその発言者の意図を理解する。そうすることによって特定の妖怪の言葉を自身の言葉によってではなく、多数の他者の力を使って一つの異議を封殺する。当然それはただ心を読めるだけでは出来ることではない。私は甘かった。あいつは恐らくはそう言った政治的な立場に立つ事が過去に一度ではなく幾度と無くあったのだろう。ただ嘘を見抜くだけの鬼では敵わなかった」

 

 私はその言葉を聞いて、少しだけさとり様のあの時々見せる容赦の無さというか、威圧感の実態が垣間見えたように思った。

 

「実際彼女に初期は主導権を握られっぱなしだった。けれども旧都の妖怪だって結束し、彼女の発言力を弱めようとした。しかし、当然ながら裏で誰が結束しているかを彼女は自身の能力を以って把握してしまう。そしてその結束のほころびを見つけては遂次分断していく、お互いの利害を利用してだ。あれは相当な場数を踏んできたんだろう。だからこそ、今回の圧倒的大多数の賛成によるこの決定には気に食わなかった」

「その、失礼ですが、あんたは反対されたんですか?」

「協議の時はな、しかし最終的には賛成に回った」

「ならあんたにさとり様を否定する資格はありませんよ」

「反対に回れるはずが無かった。代表者を一人ずつにする、と言うことは要するに多数派の妖怪達の数による暴力を抑制する力がある。しかし一方で私個人の立場で何かを言える立場ではない。私はあくまで鬼の、それも後にこの土地に入ってきた鬼達の代表としてその場に居た。私一人の考えだけで立場を主張するわけにはいかない。地霊殿はどうだ? 古明地さとりに逆らおうとする奴が、お前とあいつ以外にいたかい?」

「いいえ、さとり様の決定は基本的に絶対です。私もこんな事にならなければ逆らったりなんて、出来ませんでした」

「地霊殿は古明地さとりという一人の一存で全てを決定できる組織だ。しかし私達は違う。鬼達の成人した者はそれぞれに同じだけの発言力があるし、私自身も代表であって、特別偉ぶるつもりはあまり無いさ、まぁ腕力でどうするかって時には幾らでも振るうがね」

「腕力で何かを決めるか、まぁ集団で痛めつけるよりかは健全だろうね」

 

 十分な皮肉を込めて吐いた言葉だったが、この鬼にはその皮肉は通用しなかった。

 ただ、子供のように頭をバンバン叩かれて、そうだそうだ、と馬鹿にされたような態度を取られたのはとても癪だった。

 

「つまりお姉さんは自分一人の立場で公での発言は出来ない立場なのさ。集団の存続を考えるなら個人の意志なんてものはあってないようなものになる。それは集団が大きければ大きいほど、な。その特性を良く理解していて、それを古明地さとりは利用した制度を作った。私達鬼が移住を始める大分以前にそんな制度を作ってしまった。とはいえ、あいつが無法地帯だった旧地獄に秩序を回復させる為に身を削ったっていう努力はこの旧地獄に来た時に理解した。だからあいつにはあいつなりの言い分があるのだろう。それは長く議論を交わしたからわかるさ」

「……お姉さんの苦しみは大体理解できたさ。でもそれより今あたいに何であいつの過去を教えたがるのさ?」

 

 私の問いかけにまた勇儀は顔を緩ませる。

 いや、綻ばせるといった方が正しいか、何かこちらを小馬鹿にした雰囲気もあるけれどそれは無視する事にした。

 

「あいつは時々私と会うことを古明地さとりに許されている。その時に話にまず出てくるのがいつもお前の事だからさ」

 

 

 

 ……

 

 …

 

 あの馬鹿烏、どうせまたあたいの事を主に恥ずかしい方向に誇張しまくったんだろうなぁ

 目の前の鬼のにやけ顔がその全てを物語っている。

 その表情を見る度に、あの阿呆鳥の顔が浮かんでくる。

 主に笑顔で自分の“親友”という奴の事がどれだけいい奴かを目を輝かせて話すあの顔を想像し、ミルクティーなのにちょっとだけ胸焼けがしてしまった。

 

「あいつの姿を見ていたら分かる。あいつがお前さんをどれだけ信頼してるかを、そして今理解した。喩え能力が変わったとしてもお前はあいつの事を大切に思っているんだという事をね。だから話してやりたくなった。あいつの、お空の妖怪としての生まれに、そしてそれがどれだけ古明地さとりという妖怪に深く関わっているのかもね」

 

 

C

 

 

 私がお空と出会ったのは旧地獄街道のはずれの方だった。

 人通りはそこまで多くなく、本来ならあまりタチの良くない妖怪共がたむろするような場所さ。

 けれどもその日は違った。

 私はその場所に異変が起こったと聞いて見に行った。

 まぁ旧都の治安にもある程度責任がある立場だしな。

 私は最初彼女を見た時はぎょっとしたよ。

 妖怪というものは異形が多い。

 今からはあまり想像は付かないが、お空も最初見た時は良く分からない物体だった。

 彼女が歩いた場所には真っ黒い羽根が大量に落ちていて、彼女がこの旧都の外からやって来た事だけは分かった。

 彼女はその黒い羽毛だらけの姿でただひたすら叫んでいた。

 

「お願いです! 助けてください! お母さんが! 私のお母さんとお兄ちゃんが死んでしまうんです! 病気なんです!」

 

 その言葉はいまいち発音が悪く、まるで子供が初めて言葉を喋ったようだった。

 誰もが彼女に近寄らなかったよ。

 黒い羽毛で体中が覆われて、辛うじて人型をしていた物体が大声で叫んでいるんだ。

 何かの病か、そんなものに近寄る酔狂は……まぁあの時は私しか居なかったな。

 私は集まった妖怪共を一喝して下がらせ、そして彼女と話した。

 

「お願いです。私のお母さんとお兄ちゃんは病気なんです! おいしゃさんという人を呼んでください!」

「私は残念ながら医者ではないが……こちらはもう死んでいるよ」

 

 彼女が両方に一羽ずつ抱いていたのは烏だった。

 私はそこで漸く彼女の存在を理解した。

 彼女は病気でもなんでもない。今正に妖怪と成りかけている最中だったってことをね。

 そういう存在って言うのは酷く不安定だ。悪くすれば彼女は妖怪にすらなれず死んでしまう。

 ただの烏ならば、私は彼女を気にしたかどうか、なんていう仮定は無意味だけれども時々考えてしまう。

 とはいえ、妖怪であるのなら保護をするのが私の立場だ。

 

「おい、お前、お前は『何』なんだい?」

「『何』ですか?」

「そうだ! お前は一体何者だ?」

「私は烏です。あなた達妖怪の言う、地獄烏というものです」

「そうじゃあない。お前自身を表す言葉だ! お前はこの世に生まれた時に親から貰った名前はなんだ? それは忘れてはいけない。お前を確かめる為の大切なものだ!」

 

 私は彼女の肩らしい場所を掴んだ。少しの衝撃で、彼女の黒い羽毛は崩れるように剥がれていったよ。その下には、まるで妖怪のような肌色の健康的な肌が見えた。

 けれども彼女は私の問いに答えられなかった。

 彼女には名前が無かった。

 私は動物と言うものの認識が甘かった。

 名前、なんていうものをそもそも付けるという風習が無かったのだからね。

 けれども、彼女がここで「自分」というものを見失うことだけは避けたかった。

 偽善のように思えるだろうけれども彼女の苦しむ姿を見ているだけだと言うのは、私の性分じゃあなかった。

 その時だった。弱弱しくはあったけれども、私は小さな声で、まるで自身の魂から振り絞ったような声を確かに聞いた。

 

「クウ、お空よ……」

「お母さん!」

「私は長い間あなたの事を理解できなかった。妖怪の言葉をあれだけ理解したあなたはいずれ私達地獄烏のような生き方が出来なくなる事を私はいつしか気付いてしまった。だからこそあなたはお空よ。私の知らないかつての私達の先祖が駆け抜けた未知の世界の名前をあなたに与えます。私があなたに唯一遺せる物です」

「そんな! お母さん、生きようよ! 私はまだお母さんから何一つ教わりきれてない」

「言ったでしょう? 私は妖怪の生き方なんて分からない。こうして妖怪の言葉を話せているのも、私も妖怪になりかけているのでしょう。けれども私は烏として生きてきた過去を捨てたくない。病によって絶たれるのならそれも仕方が無い事でしょう」

「だったら私も!」

「私も、何ですか? あなたは生まれたばかりでしょう? 死ぬには早すぎるわ。あなたの兄と姉と、父と、そして私の分まできちんと生きなさい」

 

 お空と名付けられた妖怪の腕に抱かれた烏は、いやもう私は彼女を烏という認識をやめた。

 そいつは病に侵されているはずなのに鋭い眼光で私を見てきた。

 

「失礼ですが、あなたは妖怪の中でも十分な地位にいらっしゃる方だと思われます。真に勝手ながら、死に行く烏の最後の願いを聞いては頂けませんか?」

「ああ、いいだろう、聞いてやる」

「この子には妖怪として生きる術を私は何一つ教えていません。こちらの都合だけを押し付ける形になりますが、どうかこの子を妖怪としてきちんと育てて上げて下さいませんでしょうか? 何分器量が悪い子なので少々手を焼くかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」

 

 私にも迷いが無かったわけでもなかった。私は妖怪だけれども、鬼として生きてきた過去はあっても他の妖怪としての生き方なんていうのは知らなかった。

 しかも今正に妖怪と成った存在をどう育てればいいのかなんて、

 けれども私はそれを否定できない事を既に自覚していた。

 彼女の母親の眼光は喩え叶わない願いだとしても無理を通して押しつけるほどの覚悟があった。それは私が鬼だからか? そういった真摯な態度には敬意を表したい、などと思っていたのかもしれないね。

 

「分かった。四天王が一人、星熊勇儀の名に於いてお前の願いを聞き入れよう。お前の娘の身柄は私が預からせていただく、私の出来うる限り彼女のために手を貸そう」

「有難うございます。お空、あの方は信頼出来る妖怪のようです。あの方を頼って……頼って…」

 

 その烏はそのままうな垂れて動かなくなってしまった。

 その、お空がもう片方の手で抱いている方と同じように、血のような物を吐いてそのまま動かなくなってしまった。

 彼女のそれは妖怪化ではなかった。死ぬ寸前の最後の自身の全てを賭して起こした奇跡か何かの類だった。

 お空は泣いた。大声で、それは烏が身内を失っても出さないような感情は、正しく妖怪のそれだった。

 そして長らくこの地下に住んでいた妖怪達が忘れ去っていたような強い感情の揺さぶりだった。

 失ったものへの悲しみの情念、そして自らと同じものだった存在達への決別、新たな生命の産声、それに伴う不安、私は覚り妖怪のように人の心は読めないので彼女が本当に感じていたのはどれだかわからなかった。

 ただ、その彼女の感情の奔流には私は珍しく心を揺さぶられるものがあった。

 残念なことに私はその場に医者を呼んだ時、彼女の身内の遺体は暫く彼女から離された。

 感染症の類の可能性が高く、また彼女自身の身体にも影響がある可能性が高かったからだ。

 接触した私も結構調べられた。

 調べた奴の中に古明地さとりが居たのが些か癪に障ったがね、

 お前に診られる位なら同族を信頼する。と面と向かって奴に言ってやった。

 どうせあいつに隠し事なんてできないしな。

 けれども彼女は顔色一つ変えずに私の体を検査していった。

 一言、この病に関しては私の方が現時点で一番把握している。と言ってね。

 これは当時は勘だったんだがあいつはこの病の全貌を把握していたんだと思った。

 しかし不自然だな、と感じたのはならば最も危険である死骸やお空自体を直接診ないのはなぜだったのだろうか?

 そんな疑問も浮かんだが、彼女は一瞬だけ顔をしかめただけだった。

 

「つまり、お姉さんは、さとり様はお空に対して何かしらの後ろめたさを感じていたって事なのかい?」

「後に分かった事なんだが、その日の二日程前に古明地さとりは旧都からかなり離れた一箇所の地区を焼き払っていたんだ。別に横暴な事ではなく、その地区に疫病が発生した。感染者は居なかったが、そこに住んでいた地獄烏の群れが悉く感染し、死亡していた。致死率の高い病原菌らしい。けれども鳥類にのみ感染する病気らしく、既に息絶えた動物しか居ない為、いっそ焼き払うと言ったらしい。元々その地区は不毛な土地で、近く区画整備を行う場所だった。一見乱暴な行為だが、彼女自身にも何かの計算があったのだろう」

「つまりは、その土地に住んでいた烏の一羽がお空だったっていうのかい?」

「ああ、つまりは、だ。古明地さとりはお空の住んでいた土地を奪った者である。最低でもな。そしてその病原菌の存在自体が本来なら不自然なものだった。分かるかい? 鳥には強い毒性を持った病原菌なのに都合よく数多の妖怪には感染しないなんていうのはなんとも不自然だ。まるでそうなるように創られたかのようだ。」

「それは黒谷ヤマメの事かい?」

「そう、なんだ、あいつは話したのか」

「何故だかあの人はあたいを信用してくれている。それは単純な現在の私と彼女の利が一致しているからかもしれないけれども、あの人はお空を制御したがっている。あたいはどんな姿になっていてもお空はお空だ。あんな暗い顔をしたあいつはあいつじゃあない。それをどうにか出来るのなら、あたいは悪魔とだって手を結ぶさ」

「自分で言って恥ずかしいと思わないのかい?」

 

 私の言葉を受けて火焔猫燐は顔を真っ赤にした。

 

「恥ずかしくないわけ、ないじゃん!」

「そうか、そうだな」

 

 私は紅茶のおかわりをマスターに告げる。

 マスターは一言頷き、また湯を沸かし始める。

 私は、ここで彼女の決心が決して偽りのものでは無い事を再認識した。

 だからこそ、危険だと感じる予感が強かった。

 

「火焔猫燐、私だって別段あんたの事は嫌いじゃないさ。打算的で狡賢い、がそれを上回る何かを持っていると、失礼ながら先ほどから話していて理解した。だが、お前の打算を見抜いていて尚且つそれを利用されていると理解しているか?」

「さとり様に小細工は通じないさ、表面上の嘘偽りは勿論の事、本当の感情をぶつけないとあたいのような妖怪じゃあ敵いっこないのさ」

 

 彼女も紅茶を飲み干すをおかわりを頼む、そして改めて、言葉を続けた。

 

「ただ、あたいは一つだけ気がかりになっている事がある。今あんたの話を聞いてから特に、当然お空の事の方が衝撃的だったしあたいにとっては重要な事だったさ、けれどもさとり様の話を聞いて、そしてあんたの話を聞いて、そうしても分からないことが出来てしまった」

「ほう、それは一体何だい?」

「利益さ」

「主語を言わないと分からないさ」

「他ならぬさとり様の利益さ、だってそうだろう? こんな辺鄙な場所に自ら進んでやってきて自らに妖怪達の憎悪と反感を受けながらもこの土地を整備していった。腕力では到底敵わない鬼相手に策謀を巡らせてしのぎを削って統制してきた。しかしお空があの八咫烏の力が無ければ灼熱地獄の熱は遠い未来の話ではなく消えてしまうところだった。それはあの場所を管理していたあたいが一番良く知っているさ。だからさ、考えたんだよ。さとり様は確かにこの土地に秩序を与えた。けれどもそれが何になるのか? ってね、それは翻ればあんたらにも関わる事柄だろう?」

「利益か、なるほど面白い着眼点だな」

「面白がってどうするんですかい? あたいたちは一歩間違えれば悉くあの絶対零度の世界に閉じ込められてしまうところだったんじゃないですかい? 生き死にが関わる問題ですよ?」

 

 その言葉を聞いて、私は今度こそ驚かされた。

 なるほど、あの古明地さとりが彼女を重用するのが良く分かる。

 利益か、そういう考え方は確かに古明地さとり個人に対しては考え付かなかった。

 彼女は是非曲庁から派遣された雇われ領主であり、その職務を全うする立場にある。

 それが行動原理にあると考えが固まっていたとは……

 彼女のポーカーフェイスの背後に隠れた表情は私には未だ見えない。

 

「なぁ、火焔猫燐、お前はあいつの傍に仕えていたのならその事について私よりも詳しいんじゃないのかい?」

 

 私の問いかけに彼女はまた暫く考えを巡らす様に目を瞑る。

 その間に新しい紅茶が出てきた。

 私はまた砂糖を二つ入れ、飲み始めた頃に彼女は一つの言葉を発した。

 

「古明地こいし」

「古明地こいし?」

 

 さとりではなくこいし、知らない名前だ。少なくとも私は見たことが無い。

 

「彼女、さとり様には妹が一人いる。名前を古明地こいしというんだよ」

「ということは覚り妖怪なのか?」

 

 この旧地獄にもう一人の覚り妖怪がいるとは、まさか彼女と同等かそれ以上の策謀を持った人物ではなかろうな……

 それを考えただけで、薄ら寒い気持ちになった。

 火焔猫燐は首を静かに横に振り、そして答えた。

 

「古明地こいしは覚り妖怪ではないよ。少なくとも今現在はね。死体を蒐集するのが趣味で、何を考えているかわかりゃしない奴さ、ただ怖いのは彼女の能力さ、他者の無意識に介入する能力、他者の意識を読み取る能力を自ら潰し変わりに手に入れた能力だそうだ。どこにいるか分からないし、恐らく誰にも感知されないうちにどんな場所にでも侵入できる。あんたが知らない間に彼女に出会っていたかもしれないね」

 

 意識を読まれるだけでも厄介なのに無意識に介入するなんて……

 もし、私達と彼女との間に古明地こいしが介入していたのならそれはまた大変な事になるかもしれない。

 

「さとり様は古明地こいしを大切にしている。それだけは確かだ。でもそれ以上の私情はあまりにも人に明かさない妖怪だよ。喩え古明地こいしが帰ってこない日でもいつでも彼女が帰ってきてもいいように食事を作っている。尤もそれが実際に口にされる事なんて殆ど無かったけれどね」

 

 彼女は自身が仕える人物に対してかなりの皮肉を込めた言い方を良くするものだ。

 そして一つの安堵ともう一つの不安が生まれた。

 安堵とは即ちこれまでの古明地さとりの戦略に我々の無意識を操るという戦略が組み込まれていない事、そしてそれはこれからも組み込まれる事はないという事である。

 そして、それと同じかそれ以上の不安は、その認識できない能力が全くの無秩序によって動いている事、個人とはいえ、それは古明地さとりの能力によってその影響力が証明されている。

 とはいえ……

 

「不思議だな」

「なにがですかい?」

 

 私の漏らした言葉に彼女は聞き返してくるが、私の不思議に思った事柄を口で表すのはいまいち纏まらなかった。

 丁度彼女の紅茶が運ばれてくる。それを受け取るか否かのその刹那を狙って私は手で隠し持っていた角砂糖を彼女の手を狙って指で弾いた。

 角砂糖の弾丸は見事にカップを受け取った彼女の手に当たり砕け散る。

 その反動で彼女は受け取ったカップを取り落とし、熱い紅茶を手にぶちまけた。

 その手を引っ込め思いっきり熱そうに悲鳴を上げた。

 

「あぢぢぢぢ! 何すんのさ! この一角獣ホーン!」

「ははは、熱かったろう?」

「熱いというより痛いさ! 何ぶつけた今! 喧嘩だったら買うよ! 今ならイラついてるからさ!」

「売ってもいいが、それより尋ねたい。お前は今熱さと痛さから手を引っ込めた。これは無意識から行われた動作だろう?」

「当たり前じゃないのかい!」

「だったらそれに対してお前は私に怒った。これは意識的な物だ。さて、では聞くが両者は果たしてそれぞれ別のものとして考えるべきだろうか?」

「え? それは……」

「意識と無意識、これは覚り妖怪と言うものを意識しすぎていたから別のものだという固定観念に縛られていたのかもしれない。今のお前さんのように無意識と意識は連動している。ならば、本来覚り妖怪というものは二つの連動した物をどういった形でか分断しそれぞれにお互いの能力を分割した。なんていう考え方も出来るんじゃないのかな? と思ってな」

「なるほど……さすが――」

「伊達に年は食ってないとか言うなよ」

「……あたいの手を犠牲にしただけの事はありますね。」

 

 半眼になって彼女は嫌みったらしく言ってくる。

 

「だったらもし、仮にだけれども、さとり様と古明地こいしがその能力を分断したという事は、彼女達の心が繋がっているって事も、考えられるんじゃないか?」

「さぁ、それは流石に先読みのしすぎだとは思うが、そうか、そう考えれば彼女は彼女自身だけの精神的な欲求を満たすだけには留まっていないのかもしれないな」

「つくづく妖怪の生態ってのはたくさんありますね」

 

 疲れたように火焔猫燐は答えてくる。

 違いない、と私も同意したかったが、そこで私は今一つの可能性に辿り着いた。

 

「姉妹の心が繋がっていて一方が幸せを甘受している為にもう片方が他者の憎悪の対象になっている。歪だがそれが彼女の心を満たすものなのかもしれない」

 

 私の言葉に彼女も息を呑む、私自身、この可能性にだけは辿り着きたくはなかった。

 

「なぁ、お前は今日何故この場にいるんだ?」

「そりゃお姉さんが連れてきたからでしょうに」

「違う、何故あの館を出たか? だ」

 

 その言葉を受けると彼女は少しだけ顔を強張らせた。

 恐らく、あのファイルをさとりにでも突きつけられたのだろう。

 

「もし、さとりが意図的にお前を外に出したとする。それなら彼女は何かしらのアクションを今現在進行形で起こしているはずだ。その為には普段は重用しているお前さんが邪魔になった為一時的に退けたいという意図があったとしたら?」

「それはあたいとお空を離しておきたい?」

「何故離しておきたいのかがこの場合問題だろう。これは恐らく彼女の役割が関係しているはずだ」

「つまり……さとり様はまた憎悪を受けるために? もしかしてお空に自身を撃たせるために?」

 

 興奮する彼女を机を叩き、抑える。

 

「彼女はもしかしたら自身に憎悪を向けさせその代わりに彼女を働かせたいのかもしれない。この旧地獄の底でもはや生き延びる為にはあの八咫烏の力を使わなければ私達は生き延びる事はできない……ならば、自分の身を犠牲にしてでも彼女にその責任を自覚させる。なんていう策謀くらいは作り上げるんじゃないかな?」

「ふざけるな! 彼女はモノじゃあないんだ!」

「そう、彼女はモノじゃあない。だから理解し、自覚させ、妖怪としての義務感を持たせる。妖怪を飼いならすという事はそういう事なんだろう。少なくとも私にはそう見えるよ」

 

「……失礼させてもらいます。あたいは急用が出来ました」

「帰るのかい?」

「当然だ。そんなの報われるはずが無い。喩えさとり様が犠牲になってお空がそんな存在になっても、失敗したら暴走するだけじゃあないか! そんな危険な賭けを!」

「賭けではなく確信なんだろう彼女の場合、何せお空を育てたのは一羽の烏であり、私であり、そして最も長いのは他ならぬ古明地さとりなのだからね」

 

 彼女はすぐに席を立った。

 しかしそのまま走り去らず、私の目の前に立った。

 どうしたものか? と、一瞬傾げたが、彼女の闘志を理解し、その表情を静かに見据える。

 彼女の火傷をした右手で私の左頬を思いっきり殴打した。

 

「色々教えてくれたのは有難かったがね! 自惚れるなよ四天王が一人、星熊勇儀! あたいらは確かにさとり様に拾われたただ弱いだけの存在だった妖怪だ! だけどね! 友人を見捨てたり、自らを破滅に導くような未来を甘受できるほど大人でもないし、強くもなってるんだよ!」

 

 そのまま彼女は走り去っていった。

 マスターに私は水を一杯頼み、そして冷えた水で頬を冷やした。

 

「やれやれ、本来なら親である私がいくべきかと思ったが、どうして、いい友人を持ったな、お空、なぁ、マスターあんたはどう思うかい? 私は援護射撃に今回は回るべきかな?」

 

 その言葉を聞くなり、マスターは伝票を無言で差し出してきた。

 そこにはきっちり4杯分の紅茶代と、割れたティーカップとソーサーの値段が記されていた。

 

「やれやれ、世知辛い事で、親になるっていうのも、なった後でも気を使うものだねぇ」

 

 その弱音を吐いてしまうと私はもう暫くはここでその感傷に浸っていたくなってしまった。

 しかし、私は今一つ、彼女に言いそびれてしまったことがあった。

 もし、古明地さとりがこの旧地獄を存続させる為に手段を問わないこんな方法を取ったという事は、その能力を呼び込んだことにも加担したのは彼女なのではないのか? という事を……

 

 

D

 

 

 あたいは自らの脳内に叩き込んだ旧都の地図から最も地霊殿に早く辿り着ける道を検索した。

 

 この旧都、整備されたとはいえ、例えば獣のみが通れるような場所もあたいにとっては道の一つだった。

 

 あたいは空を飛ぶ事より地を駆ける方が得意だった。その為、この旧地獄に来たとき、あたいは自身の足で旧都中を歩き回り、その地理を把握した。

 

 まだ弱かった自分なりの知恵だった。

 

 力が強くて巨大な敵が存在した場合の逃げ場の確保、これは野良時代に培った習慣だった。

 

 あたいは地を駆ける。

 

 一歩でも早く、どんな駿馬であっても今のあたいは追い越せない。

 

 そうとでも信じなければやってられない。

 

 地霊殿まであと少し、あと少しだから――お願いだから!

 

 お空! 早まった真似だけはしないでおくれよ!

 

 祈るように、願うように、あたいは神なんて信じないけれど、

 

 でも今だけは信じたい!

 

 あの馬鹿烏の中で眠る神様よ! どうかお前に恩恵があるのなら、あの大切な友人にもその恩恵を与えてやってくれよ!

 

 しかしだった。

 

 地霊殿まであと一歩というところだった。

 

 地霊殿の中から一条の閃光が空に向かって突き抜けていた。

 

 それは天を貫くような勢いで

 

 外の世界で見た雷の様な轟音を響かせた真っ白い光、

 

 

 それこそは

 

 正しく

 

 あたいが恐れていた光景だった……

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