魔法少女リリカルなのはRe:Birth
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 序章 Maria_who_sleeps_in_warehouse.

 

     1.

 

「いやー、悪いね。さくらちゃん。わざわざ手伝ってもらっちゃって」

「いえ。私も好きで付き合ってるだけですから」

 初老と呼べる年齢になってきた義父の言葉に、さくらは笑みを浮かべて気にしないでほしいと告げた。

 神奈川にある夫の実家。その庭にある大きめの物置の整理を、義父と義母がしようとしたそうなのだが、いかんせん中にある重い物の上げ下ろしが老体に厳しいとかで、さくらの夫――真一郎を助っ人として呼んだのだ。

 最初、さくらは((綺堂|きどう))の実家にあるような倉庫をイメージしていたのだが、夫である真一郎に、

「いや、日本の庭付き一戸建てにあんな馬鹿でかいモノはない」

 と断言され、小さな蔵にイメージを変えていた。

 だが、実物を見てみればイメージよりもさらに小さなもので、荷物のせいもあるのだろうが、夫が一人入るだけで他の人が入れないようなものだった。

 実家の綺堂家は資産家である。そこの娘である自分は、この歳になっても多少世間の常識とのズレがあるのは理解していたが、こんな場面で出くわしてしまったのは若干ショックである。

「つーか、さくらも親父も、そういう会話をするなら手伝いながらにしてくれ」

 物置の中から聞こえてくる不満そうな声に、さくらと義父は顔を見合わせて苦笑した。

 聞こえてきた声は、男性の声というには些か高い。女性のテノールやアルトといった方がしっくり来るような声だ。

 百六十一センチで成長が止まってしまった身長や、声変わりしてもソプラノからテノールになっただけとからかわれる声は、今もまだコンプレックスらしい。

 また男性からも女性からも美人と称されるその顔も相俟って、三十路を過ぎた今も時折女子高生と間違われるという。

 自分の夫ながら、友人達に冗談とはいえ【永遠の女子高生】などと言われているのを見ると、何というか女として非常に悔しく思ってしまったりする。もちろん、そんなこと夫にはナイショであるが。

「しかたないだろう真一郎。その物置、物が多すぎて一人くらいしか動けるスペースがないんだから」

「それだよ。なんでこの物置こんなにモノが多いんだよ? 俺が高校の頃にここに暮らし始めたんなら、そんなに物も集まらないだろ普通」

 この手の物置に納められるのは大抵は義務教育期間中に作成される子供の作品などが大半だ。真一郎は一人っ子だし、そもそもこの神奈川に両親が移り住んだのが高校時代だと考えると、確かにあまりモノが溜まるとは思えないが……。

「じーさんが……俺の父親が死んだときにな、実家の蔵の中にあった、持ってこれそうなモノを持ってきたんだ。あそこの土地、兄さん達が言うには売るらしくてな」

「確かに、あの蔵には捨てるのがもったいなさそうな骨董品っぽいのが多かったけどさー……」

 その蔵とやらを思い出しながら、真一郎がうめく。

「そうなんですか?」

「うんまぁ……綺堂の屋敷の倉庫ほどじゃないけどさ……。今思い出すと、結構価値のありそうなのが多かった」

「少し、見てみたかったかも」

「そうだな、確かにさくらが結構好きそうなものもあったかもね」

 言いながら、真一郎は何かを手に持って物置から外へと出てくる。

「これとか、たぶん絵画かなんかだよな」

 大きさとしては縦三十センチ、横二十五センチくらい。布が巻いてあって中身は分からないが、確かにそう見える。

「あの蔵にはご先祖様が、好き勝手にが集めたモンも多かったらしいからな。案外値打ちモノかもしれないぞ、ソレ」

「相川家の始まりは商人か何かだったんですか?」

 さくらの質問に、義父は少し困ったように笑った。

「いや、俺も詳しくは知らないんだが、先祖の一人が流れの侍と仲が良かったらしくてな。その侍が先祖の家の近くへ寄る度に色々と置いていったそうだ」

「それが、じーちゃんの家の蔵にあったものだってコト?」

「まぁ話が本当ならそうなるよな」

 その言葉に、さくらと真一郎は顔を見合わせ、

「あの……真一郎さん、この布を取って中を見てみたいんですけど」

「親父、いい?」

「構わんぞ。俺も見てみたいしな」

 真一郎はその言葉にうなずいて、さくらにモノを手渡した。

「こういうの開けるのさくらの方がうまいだろ? 俺だと中身を傷つけそうで怖いから、頼む」

「はい」

 真一郎から受け取ったソレをさくらは丁寧ながらも慣れた手つきでゆっくりと布を外していく。

 額縁に納まったキャンバスは丁度B5版ほどの大きさだ。

 そこに描かれていたのは、青いローブを纏い、俯き涙を流している女性の絵。重なったローブの袖からは、親指が一本、顔を覗かせている。

「モナリザになんとなく似てるような……」

「いや、親父。これがモナリザに似てるって……目、大丈夫か?」

「お義父さんの感想はあながち間違ってないですよ、真一郎さん」

 少しだけさくらが真剣な顔する。

 絵を裏返し、裏の木板を少しだけズラすと、そこにサインがあるのを見つけた。

 そこに印された名前を口にして、ようやくこの絵が何であるのかを理解したように、さくらは驚愕した。

「これ……もしかしてオリジナル?」

「さくら?」

 木板を元に戻し、ジッと絵を見つめる。

「カルロ・ドルチという画家が、モナリザの構図を真似て描いた聖母マリアの絵――((悲しみの聖母|マーテル・ドロローサ))という絵があります。この絵は、その悲しみの聖母をベースに描かれたと言われる親指の((聖母像|マリア))と呼ばれる絵だと思います」

「なるほど。それなら俺がモナリザを思い浮かべても問題ないわけだ」

 ほれ見たことかと得意げになる父親を、真一郎は鬱陶しそうに払いのける。

「この親指の聖母像は、まるで量産されていたかのように複数発見されていまして……その上、作者は良く分かっていないんです。ですが、いくつか諸説がありまして――」

 そこでさくらは一端、視線を親指の聖母像に落す。

 それから、顔をあげ自分でも信じていないのか、どこかハッキリとはしない口調で続けた。

「親指の聖母像のオリジナルは、悲しみの聖母の作者カルロ・ドルチの妹あるいは娘が描いたという説があるんです」

 義父と真一郎は顔を見合わせる。

「そして、この絵に描いてあったサインは……」

 ごくりと、無意識のうちにさくらは唾を飲み込んでから続けた。

「アネス・ドルチ――そう、書いてありました」

 

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 第一章 外に出よう Girl_meets_Girl.

 

 

     1.

 

 学園都市――そう呼ばれる街がある。

 西東京を再開発し、東京の三分の一といくつかの県にまたがって円形に存在するこの街は、百八十万人もの学生を有している。

 その街に住む学生の一人、土御門元春は少しだけ困っていた。

 金に染めた短髪を逆立て、青いサングラスをかけた長身のその学生は、困った――というよりは、面倒くさそうな面持ちで自分の手元にある三つの封筒の宛名を一つ一つ順に見ていく。

(一つは俺の……もう一つも問題ないとして、これだけは困ったにゃー)

 とある手段によって土御門個人に届けられたA4の茶封筒。それとは別に、たまたま顔を出した病院の医師から渡された、二つの茶封筒。

 前者は自分のものだから問題ないとして、問題は後者にあった。

 この二つの封筒をそれぞれ二人の人物に渡して欲しいと頼まれたのだ。片方はクラスメイトで、寮の部屋が隣の悪友宛なので問題ないのだが、もう一方が些か難しい。

(そもそも俺と接点がほとんどないたい)

 ゼロでは無いのだが、間接的であったり、あるいは表だっては口に出せない繋がりであったりして、それは利用できそうにない。

(あー……クソー……俺にもカミやんみたいなフラグ体質があれば……)

 と、そこで土御門は足を止めた。

「そうだったい。カミやんが居るんだにゃー」

 友人の一人は問題の相手を救うついでに、ちゃっかりとフラグを立てていたむかつく野郎だ。

 封筒の一つはそいつ宛だし、丁度良い。

 そうと決まれば善は急げ。

 土御門は足早に自宅へと向かいだそうとした――その時、

「待ちやがれッ!」

 会おうと思っていた男の声が突然聞こえた。

 声と共に通りへと出てきたその見慣れたツンツンヘアーは間違いなく今から会おうとしていた友人、上条当麻のものだった。

 何やら彼よりも先に路地から出てきた男を追いかけているようだ。

 そんな彼に続いてもう一人、常盤台中学の制服を着た少女が同じように路地から飛び出してくる。

 その少女は自分の周囲にバチバチと青白い光を纏っている。

 だが、追い駆けっこはともかく、その少女の異変に対して疑問に思う人間はこの街には存在しない。

 この学園都市はそういう街なのだ。『脳開発』の名の下に、この学園都市の中にある学校では『超能力』を習得するためのカリキュラムが存在している。

 故に、彼女のように電気を繰る((発電能力者|エレクトロマスター))は珍しくとも何ともない。だが、彼女が常盤台中学の制服を着ていて、しかも能力が発電能力となると話は別になってくる。

「待ちなさいって言ってる……でしょーがッ!」

 バチバチと音を立てる青白い光を逃げてる男に向かって投げつけた。

 それが電気の塊であると、逃げてる男に理解が出来ただろうか。

 常盤台中学の電撃使いといえば、この学園都市ではとある一人の少女のことのみを示す言葉となっている。

 学園都市第三位の能力者。最強の電撃使い。通称『((超電磁砲|レールガン))』。

 その最強の電撃使いが生み出した、電撃の槍はそのまま真っ直ぐに空を走り――彼女の前を走る上条当麻の背中めがけて飛んでいく。

 少女の方の顔に「あ、やば」と一瞬、描かれる。

「うあああああああぁっ!!」

 それに気が付いた上条は、その電撃を慌てて右手で撫でつけて消滅させた。

 そう――消滅させたのだ。手加減をしていたとはいえ、当たれば人一人を気絶させるだけの電気の塊をその右手で触れただけで。

 能力測定だけでいえば((無能力|レベル0))とされる男が、学園都市に七人しかいない((超能力者|レベル5))の攻撃を打ち消したのである。

 『超能力』のように、薬や暗示、脳に電極を刺したりして目覚めさせたものではなく。『魔術』のように、偶像に力を見いだし、然るべき儀式によってその偶像の力を現実に発現させたものでもない。

 それが『異能の力』であれば、『((超能力|かがくのちから))』だろうが『((魔術|オカルト))』だろうが打ち消してしまう、本物の異能。彼の右手に宿る『((幻想殺し|イマジンブレイカー))』を知っている少女は、誤射した電撃をうまく消してくれたことに安堵のの表情を見せる。

「何しやがるテメェッ!」

 だがすぐさま振り返って上条が文句を言ってくるなり、

「ア、アンタが正面に居るのが悪いんでしょーがっ! 避けなさいよ!」

 彼女は顔を赤くしながら喚き返した。

「避けたってあれだけの電撃なら余波もやべぇだろうが!」

 ついでに言えば彼の能力は右手――厳密には右の手首より先にしか宿っていないのだ。それ以外のところに電撃が当たっていれば、間違えなく逃げる男の代わりに上条が気を失っていたことだろう。

「うるさい! あんたが消しちゃったせいで足止めが出来なかったじゃない!」

(なぁにやってるんだかにゃー)

 逃げる男を無視して言い争いを始める二人に、土御門は呆れたように嘆息する。

 件の男は二人から離れるように、こちらへ向かって走ってきていた。

 土御門は二人の性格をよく知っている。即ち、困ってる人を見過ごせない。

 だとすれば、なぜ男を追っていたのか。それはあの男が、二人が動くだけの理由を作るような何かをやらかしたのだろう。ついでに言えば、上条の言葉ではないが、わりかし威力の高い電撃の槍を投げつけていたことを考えると多少痛めつけても問題ない相手となる。

「ま、カモが余計なネギしょってやってきた、ってとこか。もっとも、困ったことに今現在、土御門さんってばカモ鍋に対する食欲がゼロなんだぜい」

 にやりと口の端を歪ませると、彼は自分の横を通り過ぎようとする男に足を掛けた。

「うわぁ」

 みっともない声を上げて男が転ぶ。

「悪い。引っかけるつもりは無かったんだが」

「え、あ……いや……」

 逃げるのに必死でこういう事態を予想していなかったのだろう。すかさず、土御門が立てるかと手を差し伸べる。

「あ。ああ……」

 うなずきながら、男はその手を取って立ち上がった。

 その直後、

「転ばした直後に悪い。だがもう一回寝転んどけ」

「へ?」

 土御門はそう告げると、男の足を払った。

「!」

 男が前につんのめるように浮かび上がる。土御門はその勢いを殺さないように、相手を握っていた手を返すと、男を背中から地面へ叩き付けた。

「おまけだぜい」

 ついでに、その男の腹部へと踵をめり込ませてから、上条達の方へと顔を向けた。

「おーいカミやーん! 追跡やるなら、道中でケンカなんて御法度なんだぜい」

 それから、まるで人を踏んでいることなど気にしていないかのように、土御門元春は気安い調子で手を振った。

 

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    2.

 

 美琴と一緒に追いかけていたひったくり犯を通りがかりの((警備員|アンチスキル))に突き出した上条は、近くの公園のベンチでぐったりとしていた。

 横には同じように美琴もベンチに座っている。

 それからもう一人。結果としてひったくり犯を捕まえた一番の功労者でもある土御門元春。一応詰めれば三人は座れるベンチではあるが、密着して座る意味があまりないで、彼は二人の背後からベンチの背もたれに座っていた。

「助かったぜ土御門」

「いやいやお礼なんかいらないぜい。こっちもカミやんを探してたワケだしにゃー」

 男二人の横で、美琴が「土御門?」などと何やら怪訝そうに首を傾げているが敢えて気にせず会話が続く。

「また何か俺にさせるつもりなのか? ここ最近は関わる事件の規模が大きくなりまくってるからなぁ……上条さん的には今度の相手は魔王とかでも驚かないですよー」

「にゃー。今回の件はそのご期待にはちょっと応えられそうにないぜい」

「いや、応えられたら応えられたでやっぱすげー嫌なんだけど」

「つーか、アンタ普段こいつにどんなことさせられてるのよ?」

「想像にまかせる」

 ぐったりとうめきながらも、上条は土御門から肩越しに渡される茶封筒を受け取った。

「んで、実はレールガンの分もあったりするぜよ」

「え? 私も?」

 予想外の言葉に驚きながらも彼女も素直に封筒を受け取った。

「今回の件はイギリスも学園都市もあんまし関係ないですたい――あーいや、学園都市は多少関係してるかもにゃー」

 土御門の言葉に「イギリス?」と美琴は再び怪訝な顔をするが、興味は封筒の中身の方に興味があるのか、先ほどのようにツッコミは入れてこなかった。

「依頼人はお二人ともご存じの『((冥土帰し|ヘヴンキヤンセラー))』だにゃー」

「「だれ?」」

「ヲイ」

 あまりと言えばあまりの言葉に、土御門は思わずベンチの背もたれから落ちかける。

「にゃー……確かに自分ではあまり名乗らない人だけども……」

 軽く息を吐き気を取り直すと、土御門は少しだけ考えてから人差し指を立てた。

「カエル顔のお医者さん、と言えばどうかにゃー?」

 すると、二人同時に納得できたようである。

 そんな二人が封筒を開き始めたのを確認してから、土御門は改めて説明を始めた。

「冥土帰しの名前は学園都市の外でも有名だ。だから二人への依頼の名目は冥土帰しの護衛」

「名目……ってことは、別の目的があるのか?」

「まぁな。そっちの目的だからこそ、お前さん方二人なんだぜい?」

「……どういう意味よ?」

 封筒の中に入っているのは簡単な依頼内容と依頼理由の書かれた書類数点と、こちらが記入するまでもなく必要項目記入済みの外出届け提出用紙セット。

 だが、この紙からはこれといってその別の目的とやらは想像出来ない。

「外にいるやつら全員ってのはさすがに無理だけどにゃー。そのうちの一人くらいなら何とかなるんだぜ?」

 

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     3.

 

 学園都市にある、とあるアパートの一室に住む((秋待|あきまち))((次節|じせつ))は、

「あークソ」

 適当に撫で付けたオールバックが乱れるのも構わず、ガリガリと頭を掻きながら、机に乗った書類と睨めっこしていた。

 彼は知る由などまったくはないのだが、その書類は同時刻ごろ、とある公園にて、((幻想殺し|イマジンブレイカー))と((超電磁砲|レールガン))が苦もなく完成型を受け取っていたものと同じ書類だ。

「外に技術流出させねーようにってのは分かるんだけどよ……」

 三枚目の書類――というか誓約書にサインをしながら、その胸の裡を独りごちる。そうでもしなければやっていられない。

「げ。ナノマシンとか大丈夫なのかそれオイ」

 常に現在地がわかるように、人体に影響のないナノサイズのGPS発信機のようなものを体内に入れておくらしいが、それを安心して体内に入れられるかというと、正直ノーである。

「まったく……ちょっと、歴史の勉強をしたいだけだってーのにな、オイ」

 学生のための街だと言う割には、街の外で勉強をすることに対して色々と消極的過ぎる。まるで学生達に街の外へ出られては困るのだとでも言うようだ。

 嘆息をしながら、書き終えた三枚目を脇へと投げて、次の書類に取り掛かる。

 わざと回りくどく説明しているとしか思えない四枚目の書類の書き方に頭を抱えながら――それでも、この面倒な書類の山を乗り越えるだけの価値があるだろう目的の絵画に思いを馳せる。

「こんだけ面倒なコトまでして見に行くんだから、本物であって欲しいもんだよなぁオイ。

 そうすれば、あの人を助けてやれるかもしれねぇんだから」

 まだ見ぬ絵画に思いを、まだ見ぬ女性に希望を抱き、

「……まぁ何はともあれ、こいつらを片付けないとなぁ……オイ……」

 そんな思いや希望と裏腹に、次節はテンション低めに、残りの書類と睨めっこするのであった。

 

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     4. 

 

 その衣装は、白ではなかったのか――

 目の前でぐらりと傾いてく友人の姿に、彼女の思考はついていかず、ただ思いついた言葉はそんなところだった。

 白と青。空を飛ぶのが好きだというその友人の言葉を示す通り、蒼穹と白雲を体現しているような二色が、夕焼けよりも赤く染まっていく。

 どさりと、音が聞えて、ようやく彼女は我に帰った。

「――っ! ――ぁ!」

 自分でもよく分からない声を上げながら、友人へと駆け寄る。

 友人を中心に夕焼けは広がっていき、やがては大地に降り積もる雪までもを同じ色に染めていく。

 気が付くと、周囲は赤だけになっている。

 降りしきる雪も、大地に積もる雪も、散乱したスクラップも、丘の向こうに見える枯れ木も、抱きかかえている友人も。

 赤以外の色を持つのは自分だけだ。

 自分の赤い甲冑が、周囲の赤とは違うのだと主張する。

 だけど、世界は――

 全てが赤く……赤黒く、ただ赤く……。

 抱きかかえている友人の口がゆっくりと動く

 

 ナゼ、助ケテ、クレナカッタノ……?

 

「……ッ!」

 違う。この手の中にいるのは本物の友人じゃない。本物はそんなこと言うはずがない!

 

 本当ニ? タダ、口ニシナイダケダッタリシテ。

 

「うううぅ……」

 

 ヴィータチャンガ、ワタシヲ……

 

 その言葉を最後に、友人が弾けた。

 水風船が破裂するように。簡単に。ぱしゃっという音と共に。

「…………」

 忘我する中で、弾けた赤い雫が数点、彼女の頬へとぶつかった。

 生暖かく、滑りをもった、その液体だけがこの世界で唯一のリアルで。だけどそれも赤。

 ゆっくりと頬を撫でる。この夕焼けの雫を浴びたのは、別に初めてのことではない。記憶はないが、過去に遡れば、こんなもの雨のように浴びている。

 だけど――

 声が、聞える。友人の声。

 

 アーア、助ケテクレナイカラ、私ノ身体、ハジケチャッタ。

 

「あ……あぁあぁ……」

 身体に浴びた雫、ひとつひとつから声が聞える。

 

 痛い。助けて。苦しい。痛い。熱い。苦しい。助けて。

 

 その中で、曖昧な苦痛の怨嗟の中で、明確なまでにはっきりとした音が混ざる。

「大丈夫だから――ちょっと、失敗しちゃっただけだから。

 ヴィータちゃんのせいじゃないよ。私は……大丈夫……だから……」

「違う! あたしのせいなんだ! あたしが、お前が疲れてるって気付かなかったからッ! あの見えない機動兵器に気付かなかったからッ! だからッ!!」

 手の中から弾けてしまった友人の声が聞えてくる。

 大丈夫だから、と。貴女のせいじゃないから気にしちゃだめだ、と。

「でも……でもぉ……」

 怨嗟の中から聞える優しい声が遠くなる。

 こちらを気遣う声が、怨嗟の中へ埋もれていく。

「やだ……消えちゃだめだ……。

 消えるな――消えるなよッ!」

 彼女の制止は届くことなく。消えゆくことを止めることは出来ず。

 最後にひとつ。消える直前にハッキリと、声が聞えた。

 

 ごめんね。バイバイ。

 

 瞬間、彼女の中で何かが弾けた。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 消えてしまった。自分のせいで。

 夜天の魔導書の防衛プログラムとして生まれた自分にとってある意味で初めて出来たと言える友人が、目の前から、消えた。

「ヴィータ!? ちょう、ヴィータ!」

「ああっ! あああああ! うううぁっぁ!!」

 何が鉄槌の騎士だ。なにが紅の鉄騎だ。

 友達一人守るコトが出来ずに、何が管理局員だ。

 結局自分は壊し屋だ。結局、何かを守ることなど出来は――

「ヴィータ!!」

 パシン、と頬に衝撃が走る。

 

 瞬間、世界は暗転し、すぐに視界が晴れた。

 

「……え?」

 赤でも黒でもないその世界は、見慣れた、いつもの寝室だった。

「はや……て……?」

 自分はベッドの中にいる。

 目の前には、茶色い髪の女の子が心配そうにこちらの顔を覗いていた。寝起きだからか、チャームポイントとも言えるヘアピンを今はしていない。

 だけど、この女の子が、今のヴィータの主人だ。

 夜天の魔導書の主。ヴィータが守るべき主。騎士として仕える人。八神はやて。

「大丈夫か? めっちゃうなされとったから、ほっぺ叩いてもうた。ごめんなー」

「うぅ……はやてぇ……」

 今のは夢。

 安堵と共に、ヴィータの目から涙が溢れてきた。

 飛びつくように、彼女ははやてへとすがりつく。迷子の子供が、ようやく母親を見つけたように。

 そんなヴィータをはやては優しく抱き留めた。胸に顔をうずめる彼女の頭を優しく抱いて、そして優しく撫でる。

「うぅ……くぅ……」

「怖い夢、見たんやなぁ……大丈夫や。怖いことなんて、何もあらへんよー」

 友人と共に仕事をして、夢の中のように大ケガを負わせてしまってから、もうだいぶ経つというのに。

 悪夢のようなあの時の出来事は、友人が自宅療養可能レベルまで回復した今となっても、文字通りの悪夢となって、夜な夜なヴィータを苛んでいた。

 

 

「はやてちゃん、ヴィータちゃんは?」

「今、ようやく寝たところや」

 寝室から出てきたはやてに、シャマルが訊ねると、彼女は口元に人差し指を当ててそう告げた。

「気休め程度かもしれへんけどな、夜天の魔導書読んでてみつけた安眠魔法ちゅうんを眠ってる上から掛けてみたんやけど……」

「そう」

 安眠魔法がどれほどの効果があるかは分からないが、トラウマを一時的とはいえ軽減するくらいにはなるだろう。

「さて、ヴィータちゃんも心配だけど、はやてちゃん。そろそろ経過確認の時間よ」

「わかっとるよー」

 はやてはすこし前まで足を患っており、車椅子で生活していたことがある。

 一応病院でのリハビリを終え、自宅療養という形になったのだが、それでも適時こうやって先生に確認してもらう形になっている。

 程度は違うが、その辺りはなのはとそう変わらないかもしれない。

「どうしたの?」

 何やら、急に考え混み始めたはやてにシャマルが訊ねる。

「いや、なぁ……。なのはちゃんって負けず嫌いやろ? どっちが早く完治するかっちゅー勝負でも吹っ掛けたら、少しはテンション上がってくれへんかなぁ……って」

「そうね……普段の精神状況なら賛成したかもしれないけれど、今のなのはちゃんの場合はダメね」

「なんや……逆効果なん?」

 少しだけ残念そうな顔をする主に、シャマルは首を横に振った。

「違うわ。たぶん、勝負の為のテーブルに付いてくれないと思うの」

「せやな……私もそう思うわ……」

 あの怪我のせいでみんなに迷惑を掛けてしまい、会わせる顔がないと思っているなのは。

 自分のせいでなのはに怪我を負わせ、みんなに迷惑を掛けたと思っているヴィータ。

 どちらも自分に対して厳しく、そして周囲に対してとても優しい子達だから、それらを抱え込んで、鬱(ふさ)ぎ込んでしまっている。

「そんなん……ただ目を逸らして逃げてるだけやっちゅうに……」

「はやてちゃん?」

「何でも、あらへんよー」

 呟いた言葉に反応したシャマルに、はやては軽く手を振って答える。

(だからちゅうって、無理矢理前を向かせようとしても今は逆効果やろうしな……)

 どうすれば良いのか分からなかった。

 二人は、自分達の暗い空気が家族や友人達に伝染してしまっているのも自覚しているのだ。自覚しているから余計に申し訳無い気分になって、さらに鬱ぎ込んでいく。

 悪循環。負のスパイラル。

 二人の目を醒まさせるのに必要なのは、態度や言葉ではなく、タイミングだろう。

 何かの切っ掛けで、前を見始めてくれるのであれば、その時に言いたいことを言うことで目を醒ましてもらえる可能性はある。

(今はまだ、二人のことを信じて見守るしか出来へんちゅうんが、もどかしいけどなー)

 みんなに気付かれぬように嘆息をしてから、リビングへと顔を出す。

「リイン、おるかー?」

「はいです!」

 はやてに飛びつくようにソファから降りたのは、銀色の髪の見た目九才くらいの女の子だ。名前はリインフォース・ツヴァイ。最近、八神家に加わった新しい家族の一人である。

「シャマルと一緒に、病院行ってくるけどリインはどうする?」

「一緒に行ってもいいです?」

「もちろんや。だから呼んだんやよ」

「わーいです! 久々に((小飛|シヤオフェイ))と遊べるですよー!」

 小飛というのは、病院の裏山に住み着いている野良猫だ。時折、病院の噴水広場辺りにやってきて、患者や先生達から餌をもらっている。なんでもリインフォースのお気に入りの野良猫らしいが、彼女が遊んでいる様子を見る限りだと、小飛を遊んでやってる……というよりも、小飛に遊んでもらっているように見えて、微笑ましいことこの上ない。

「そう言えばシグナムはー?」

「美由希さんと恭也さんに誘われて、ちょっと護衛のお仕事よ」

 リビングの隣にある部屋で着替えながらシャマルが答える。

「へー……何の護衛や?」

「えーっと……そこまでは」

「最近見つかった古美術品、だそうです」

 首を傾げるシャマルの代わりに答えたのは、ソファの向こう――はやての死角になる位置――にいた蒼い狼のザフィーラだ。

「確か……すずか嬢のご親戚の家から見つかった絵画だったかと」

「ああ。最近テレビでやっとたアレか。なんか、レプリカがぎょーさんある絵のオリジナルとかいう」

 月守台の美術館に展示されているという絵を思い出し、はやてが手を打った。

 歴史的にも、そして魔術的にも価値があるあの絵は、確かにシグナムクラスの人間のガードが必要となる一品かもしれない。

「ほんならザフィーラ。お出掛け中、ちょうヴィータのこと頼んでええ?」

「はい。もちろん」

 シャマルのおめかしもそろそろ終わる頃だろう。

「ごはんはさっき作ったおにぎりがあるんで、起きてきたら言うてあげてなー」

「はい」

 ヴィータのことは心配でしょうがないが、ヴィータの為にはやてが自分を疎かにすると、彼女はそれを余計に気にしてしまうことだろう。それが分かっているから、はやては可能な限りでいつも通りに振る舞う。

 少しだけシンドイと思うことはあるが、その辺りは大切な家族のためである。

「じゃあ、検査にいってくるから、お留守番よろしゅうな」

「はい。行ってらっしゃいませ主」

 

 

 はやて達が出かけてしばらく経ってから、リビングへとヴィータがやってくる気配を感じ、丸くなっていたザフィーラは首を持ち上げた。

「起きたか。ヴィータ」

「ああ……おはよ、ザフィーラ」

 安眠魔法とやらは多少の効果があったのか、ここ最近と比べると顔色は良くなっている。

 ふらふらとした足取りのヴィータは、冷蔵庫から牛乳パックを出してグラスに注ぐ。

「ザフィーラも飲む?」

「いや。俺はいい」

 彼の返答を聞いてからヴィータは牛乳を冷蔵庫に戻した。

「テーブルにおにぎりが用意してある。主とシャマルが、食欲がなくとも必ず一個は食べるように、と」

「うん」

「リインフォースもお前に元気になって欲しいからと、二人と一緒になって作っていたぞ」

「……そっか。この小さくて、変な形のはリインのか」

 少しだけ口の端に苦笑を滲ませながらも、ヴィータはその変な形のものを手に取った。

 味は――正直よくわからなかった。

 はやてやシャマルと一緒に作っていたというのなら、塩加減を大きく間違えていることはないだろうし、中の具も塩鮭とごく普通のものだ。

 美味しいとも、不味いとも思わない。

 だけど、嬉しくはあった。同時に申し訳無くもあった。

 あの小さな末っ子にまで、心配を掛けている自分が。

 二個目に手を伸ばす。リインフォースが作ったのは一つだけだったらしく、あとはどれも形が整っている。

 それも、わかったのは梅干しの味だけだ。

 いつもなら、同じ梅おにぎりでも、はやてが作ったかシャマルが作ったかくらいは分かるのに、全然分からない。

 この梅も、はやてが買って来た美味しい梅なのだろうが、今はただ、梅であるということが分かるだけだ。

 三個目に手を伸ばす。正直言ってしまえば食欲は全然ないのだが、せめて三人が作ったものを一つは食べないと失礼な気がしたのだ。

 一番、形も出来映えも良さそうなものを選んで手に取る。

 だけど結局、それがはやてが作ったものであるかどうかは、味では判断できなかった。

 三つめを食べ終え、グラスに残った牛乳を飲み干して一息つく。

「なぁザフィーラ」

「なんだ?」

「はやてって、腕落ちた?」

「本当にそう思うのか?」

「まさか」

 ザフィーラの返答に、ヴィータは嘆息した。

 落ちたのははやての料理の腕ではなく、自分の味覚のようだ。

「なぜそう思った?」

「最近、何を食べても美味しくねぇんだ」

 そう言って、残ったおにぎりにサランラップを掛けてから、ヴィータはテーブルに突っ伏した。

 しばらくしたら、彼女は部屋に戻るだろう。

「…………」

 本当に――部屋へ戻していいのだろうか。

(切っ掛け……タイミング……か。あまり俺の柄ではないのだが、だからといってこのままというのもな……)

 なるようになれ、だ。

 少なくとも、家に閉じこもっているだけでは立ち直る切っ掛けもなにもあったものではないだろう。

 幸いにも外は晴天だ。歩くのには悪くない。

「ヴィータ」

「あん?」

「散歩にでもいこう」

「何だよ急に? 気分じゃねーって」

「家に閉じこもっていても気分が滅入るだけだ。それに、多少は外に出歩ける元気があるところを見せんと、主達の心配が深まるだけだ」

「…………」

「…………」

「はやてをダシにするなんて、らしくねぇ言葉だなザフィーラ」

「そういうつもりはなかったのだがな」

「だけどまぁ、一理ある」

 確かにこれ以上の心配を掛けるのはヴィータとしても不本意だった。

 ただ、頭で分かっていても、色々と動いてくれないのだ。心や体が。

「少し……だけだぞ」

「ああ」

 外を歩けば、家の中にいるよりは、吹っ切れる切っ掛けなどと遭遇できることだろう。

 今回は何もなくとも、今後ともこうやって外に連れ出すことが出来れば、そのうちに何とかなるはずだ。

 ザフィーラらしからぬ楽観視――と言えばその通りであるが、この件に関してはヴィータ自らなんとかしなければならないのである。

(それはまぁ――高町なのはも同じではあるのだが)

 何はともあれ、ヴィータがその気になっているうちに外に出ることにしよう。

 ヴィータが玄関のドアを開けて、

「うわっ」

 小さく悲鳴を上げた。

「どうした?」

「いや……太陽ってこんな強烈だったけ?」

「今日はとりわけ残暑らしいからな」

「うあ、聞くだけで気が滅入りそうだ」

 よく言う――と、ザフィーラは思った。普段のヴィータであれば外の気温に関係なく、外を走り回っているというのに。

「だけど……」

「ん?」

「いや、何でもねぇ……」

「そうか」

 ザフィーラには、ヴィータが何を言おうとしたのか、何となく分かった。

 この強烈な日差しも、時折吹く風も、結構気持ちいいんだな――と、そういった類のことを思ったのだろう。

(それは、良い傾向だ)

「とりあえずだ、ザフィーラ」

「なんだ?」

「アイスが食べたくなってきた」

「なるほど。ならば、コンビニかスーパーへ向かうことにしよう」

「おう」

 少しだけ、いつもの彼女らしい顔で、ヴィータは小さくうなずいた。

 

-6ページ-

 

     5.

 

 ((月守森林芸術会館|つきもりしんりんげいじゆつかいかん))。そう呼ばれる美術館があるのは、海鳴市の外れにある月守台というほぼ山だけの地区だ。その山中に存在する、どこか静謐(せいひつ)な空気をもった林の一角にその建物はあった。

 建物の中だけでなく、その自然林を利用し、ちょっとした散歩コースが作られており、その道中にはこの美術館に寄贈されたという様々な彫刻が並んでいる。

 アリーチェ・クローチェという名のシスターは、その散歩コースを歩きながら、思わず首をかしげた。それに合わせて肩口で切りそろえられた、クセのある赤味を帯びた髪がふわりと揺れる。

「この四角形のスライム状の何かが無理に身体を捻った結果固まってしまったような形の彫刻は何なのでしょうか?」

 タイトルは栄光と衰退と書いてあるのだが、何がどう栄光で衰退なのか、彼女にはまったく理解できなかった。

 抽象画もそうなのだが、抽象作品というのはどうにも抽象表現をさらに抽象化させすぎた結果、意味不明なものとなっているのが多すぎるのは気のせいだろうか。それともただ単純に自分が芸術とやらを理解できないからか。

 まぁそれはともかくとして、彼女が目指しているのは散歩コースの途中にある別館だ。

 特別展示室という名のその別館には、最近この街の住人の家の倉庫から出てきたという絵画が飾られているのである。

 聖母マリアが描かれているというだけでも、自分達にとっては価値ある品物であり、さらにはその持ち主が敬虔なる使途シドッチであった可能性があるとなれば、本当に一目見ることにも価値がある大変貴重な品である。

 少し考えれば上もわかるだろうに――こともあろうか、彼女の上司はそれの回収を命じてきたのである。本物であっても複製品であっても、シドッチが関わっていた可能性があるのなら持って来いというのだ。

 しかし、倉庫から出てきたということは、歴史的価値、宗教的価値だけでなく、それが保管してあった一族的にも価値ある品だ。そんなものを譲ってくれといったところでどうにか出来るはずがない。

 可能な限り穏便に――その指令は、裏を返せば奪って来いとも言えるのだ。

「まったく面倒なことで。まぁ、一人旅というのは楽ですが」

 周囲は自分のことを真面目で優等生で人格者だと思っているようで、その幻想を砕かぬように、期待に添えられるように振舞っているのだ。それは結構疲れるので、今回の一人旅というのは非情に気が楽である。

 厳重な警備をされている別館に飾られた絵画を手に入れることなど、常識的に考えて不可能なので、アリーチェは見るだけ見たら適当に日本観光をして指令期間を潰し、帰ろうなどと考えていた。

 日本語のリーディングはあまり得意ではないのだが、それでも別館への順路が書かれた看板の意味くらいは見て取れた。それに従って素直に歩いていくと、やがて木造のロッジのような建物が見えてきた。どうやらコレが別館のよ

うだ。

 美術館と、そして別館の規模にしてはそれなりの人が来ているようにも見える。それでもまだまばらと言う言葉が似合う程度であるが。

「それにしても……」

 あらゆる意味で一般人は少なそうだ。

 日本では十字架もファッションの一部として利用されることがあるという情報を持っている。だが、この場において十字架を身につけている人達で、その意味を知らずアクセサリとしているのは何人いるか……と行ったところだろう。アリーチェのように修道服のまま来ている人は少ないが、それでも多少はいる。そして修道服を着てはおらずとも、漠然と、同業者かなぁ? などと思う人達もわりと来ている。それ以外はまぁ歴史趣味や骨董品趣味の人やら、骨董商の類といったところか。つくづく一般人らしい一般人がいないようだ。

 そう思っていると、一人だけ妙な少年が視界に入った。彼は髪を金に染め、青いサングラス掛けている。さらにはアロハシャツの上に黒い学生服を羽織り、黒いスラックスを穿いていた。

 そのあまりにも普通の若者としか思えない少年はサングラス越しにアリーチェをちらりと一瞥すると、どこか猫を思わせるシニカルな笑みを浮かべて入口をくぐっていった。

「はて?」

 日本人の知り合いはそうおらず、ましてや彼程度の歳の少年にはとんと心当たりがないのだが。

 首を傾げながらも、アリーチェもまた入口へと向かう。

 無愛想のように見えて、どこか人を落ち着かせる雰囲気を持ったスーツ姿の警備員――もしかしたら美術館に雇われた本物のガードマンかもしれない――に、愛想良く会釈をしながら、アリーチェは彼の横を抜けていく。

 中は外から見るよりも広かった。あるいは、モノが少ないからそう見えるのかも知れない。

「?」

 踏み込んだ瞬間、僅かな違和感を感じた。室内を見渡してみるが、別になにも変なものはない。ただの気のせいだったようだ。

 軽く息を吐いてから少し進み、改めて室内を見渡す。

 建物そのものが一つの部屋のようになっているシンプルな作りで、入口の正面の壁に件の絵らしきものが飾ってあり、左右の窓側にはその絵に関する関連品や資料、そしてそれらの解説が書かれているという、別館の作りと同じくら

いシンプルなものだった。

 壁に掛けられた絵から半径三メートルほどの空間に、バリケードが貼られている。コレを乗り越えたり切ったりすれば警報の類がなる仕組みだろう。

「……、」

 そこまで考えて、アリーチェは胸中で肩を竦めた。まったくもって、自分は仕事熱心すぎる。

 それに、仮にここから絵を盗むのだとしても、周囲の状況を考えるとさっと奪ってさっと逃げるなど、出来はしない。

 絵の左側には、眼鏡を掛けたお下げの女性ガードマンが。右側には赤い髪をポニーテルに結っている女性ガードマンの二人が待機している。左の女性はどこか柔らかく、ガードマンらしさを感じないが、右のポニーテルの女性はいか

にもといった感じだ。その高い位置で結われた髪はどこかサムライっぽいし、女性であることを示すその豊満な胸を気にしなければ、似合いすぎるほど黒いスーツと革製の黒い手袋が似合っている。さらに言えば――

(不思議な気配を感じますゆえ……。

 何か、霊装の類を持っているような、彼女自身が何か力を持っているような……)

 もしかしたら、世界に二十人しかいない聖人の類なのだろうか――そう思って思わずアリーチェは苦笑した。そんな存在が、こんな小さな美術館のガードマンなどするわけがない。

 どちらにしろ、この女性達と外にいた無愛想ガードマンは、他の警備員と少し毛色が違って感じる。盗むにしても簡単には行きそうにないのは確かである。やるのならしっかりとした準備をしてからだ。

 ならば、今は絵を堪能すればいい。

 この絵の前に立ってから、別のことばかり考えていたが故に意識をまったく向けてなかったのだが、改めその絵を見た。

「――っ!」

 瞬間、アリーチェは言葉を失った。

 青いローブを身に纏った聖女が、俯き涙を流している。ローブの大きな袖ごと両手を組み合わせており、重なり会った手の上側――つまり左手の親指だけがローブから顔を覗かせている。

 モチーフも構図も見慣れたもので、アリーチェにとっては真新しさなど微塵もない。

 そのはずなのに――

 その絵は、彼女を圧倒する何かが存在していた。B5サイズという、その小さなキャンバスに描かれたその絵に、歓喜にも似た何かを感じているのを彼女は自覚した。

(……これは……本物であろうと偽物であろうと……っ!)

 間違い無くなんらかの霊的機能をを持っている――あるいは、持ち始めている。彼女はそれを確信した。

 

-7ページ-

 

     6.

 

「こんっにっちわー」

 学園都市風紀委員一七七支部のドアを元気良く開け放って入ってきたのは、すでにこの支部ではすっかり顔なじみになった女子中学生、佐天涙子だ。

「こんにちわ。でも佐天さん、何度も言ってるけれど、ここは遊び場じゃないのよ?」

 そんな彼女に嘆息するのはこの支部の最年長である高校生の固法美偉。

 とはいえ、口で一応の注意をするだけで、彼女も佐天を無理矢理追い返すような気はさらさらなかった。

 風紀委員(ジヤツジメント)。その名の通り学園都市の生徒が有志でやっている自治団体だ。自分の学校内はもちろん、学区内の風紀取締りをやっている。

 風紀の取り締まりと言えば聞こえは良いが、基本的に出来ることなど、注意程度。犯罪者を捕まえたり――というのは、警備員(アンチスキル)の仕事だ。仕事のはずなのだが……

「佐天さん、何を持っておりますの?」

 常盤台中学の制服を着たこのツインテール――白井黒子など一部の風紀委員は、遭遇した事件に首を突っ込み自力解決してしまうことが多いため、色々と誤解されてしまっていることも多い。

 原則、事件に遭遇した場合は警備員に連絡をし指示を仰ぐのが基本方針である。

 今も彼女がパソコンに向いやっているのは、その越権行為への反省書の作成だ。もちろん反省すれども後悔はせず。形式どおりの文面で飾り、提出し、また事件があれば彼女は自力解決しようとするのであろうが。

「えへへー、これはですねー……」

 黒子の問いに嬉しそうに答えようとしたところで、

「あー!」

 佐天の言葉を遮るように、飴のように甘ったるい声色の叫びが割って入ってきた。

 その声の主は頭の上に花畑が出来ている――頭の中が花畑に非ず――佐天の友人、初春飾利だ。

「それ知ってます! 最近新しく出来て、美味しいって評判のお店のシュークリームですよね!」

「ぴんぽーん! さっすが初春。よくご存知で」

「まったく、そういうのにお二人はすぐ食いつくのですから」

 呆れたように肩を竦める黒子だったが――

「アイスコーヒー入ったわよー。二人とも一息つきましょ。佐天さんも一緒にどうぞ」

「固法先輩……」

 どうやら、佐天が支部に入ってきた時点で、何を手に持ってるか気づき、すぐにお茶の用意をし始めていたらしい。

「わーい。ありがとうございます固法先輩っ!」

「科学的に美味しいとされる比率で、シューとクリームを作られてるっていうそのシュークリーム。私も食べてみたかったのよねぇ」

「先輩も結構ミーハーですよねー」

 などと言いながらも初春もパソコンの前から立って、テーブルへと移動している。

 やれやれ――と、口にしつつ、黒子もそろそろ一息入れようと思っていたので願ったり叶ったりではあった。

 

 

「おお! 確かに美味しいっ!」

「言うだけのコトはあるわねー」

 佐天と先輩が盛り上がってるのを横目に、黒子もそのシュークリームを一口食べる。

 サクサクとしたシューと、甘いがくどくなく、決してしつこくないクリームが、心地よいハーモニーを奏でるそれは、なるほど確かに大げさな謳い文句を掲げるだけのことはある。

「本当に美味しいですわね、これ」

「でも佐天さん。ここのお店、結構行列が出来てるって」

「そーなのよー」

 紅茶を一口飲んで、佐天がうなずく。

「お昼過ぎ頃に行ったんだけど、結局、ここに来る直前まで並んじゃった」

「それはそれはご苦労なことですわ。今日は残暑も厳しいでしょうに」

 確かに美味しいシュークリームではあるが、黒子としては、これの為にそこまでして買いたいかと言われれば、ノーである。

「最初は何となくだけど、並び始めてしばらくすると、ここまで並んだならラストまで――って思っちゃうのよねー」

「そーなんですよ、固法先輩!」

「それで、もう少しで自分――ってところで、終わっちゃったりして」

「ありますありますっ! それが悔しくて仕方ないんですけど、じゃあそれを考えて途中で列を抜けれたか……って言うと」

「出来ないのよねー。そして、また行列に並んじゃう」

「そうそう」

「理解できませんわ」

「あはは……」

 盛り上がる佐天と先輩の会話を聞いていた黒子が小さく呻く。

 その言葉を耳ざとく聞いていた初春は、思わず苦笑した。

「あ、美味しいシュークリームと言えば……」

「あら? 美味しいお店を知ってるの初春さん?」

「はい。《翠屋》ってお店、佐天さんや固法先輩は知ってます?」

 しかし、二人は顔を見合わせて首を傾げた。

「私、学園都市内で美味しいって評判のお店は、一通りチェックしてるつもりなんだけど……」

「でもチェックするだけで行きはしないんですよね」

 先輩の言葉に、佐天もうなずく。

「ふむ。そんな二人が知らないとなると、もしかして初春。そのお店って外のお店ですの?」

 外――この場合、学園都市の外を指す言葉だ。

 学園都市はある種の閉鎖空間であり、入るのにも出るのにも許可がいる。

 とはいえ、学園都市そのものはかなりの規模の街である為、住人達からすれば、用事がなければ外へ出る必要は皆無でもある。

「はい。このお店なんですけど」

 初春は持っていた持っていた端末を操作して、そのお店のホームページを呼び出した。

「あー! わたし、これ雑誌で見た」

「私もあるわ。外だったからあまり気にも留めなかったけど」

 トピックをクリックしてみれば、そこにはここ最近掲載された雑誌の情報が書かれている。

 どうやら、度々テレビなどでも取り上げられたことがあるようだ。

「何でもここのお店のパティシェさんは、フランスの超高級ホテルの厨房に勤めていたこともあるとかで、その腕で作られたお菓子を学生でも気軽に食べれる値段で提供してるのが、人気の理由だって話ですよ」

 初春の解説に、佐天と先輩の両名が、ミーハーっぷりを全開に目を輝かせているのを見ながら、黒子は告げる。

「ですけど、場所が外ですわ。いくらなんでも、お菓子が食べたいからでは外出許可なんておりないでしょう」

「うー……」

「そ、そうね……」

 あからさまに残念そうな二人に、初春は励ますように別のページを開いた。

「みなさんはこちらの美術展はご存知ですか?」

 本物の可能性がある、歴史的絵画。その美術展。

「一応、ね」

「テレビとかでやってるから知ってはいるけど」

「それがどうしたんですの?」

「こちらが美術館の位置で、こちらが翠屋の位置です」

 ご丁寧にそれぞれの最寄のバス停留所まで表示する初春の行動の意味を真っ先に理解した黒子が呆れた眼差しを彼女に向ける。

「初春、あなた……」

「はい。こんな歴史の授業にピッタリな理由があるんです。お勉強の帰りにケーキを食べてもバチは当たりませんっ」

「おおー! つまり、こっちの絵を見に行くって理由で外に出て、翠屋に行くっていう寸歩ねっ」

「でもレポートの提出くらいはさせられるから、その覚悟は必要よ?」

 盛り上がる初春と佐天に、流石は年長者というべきか、先輩は一応そんなことを口にする。

 だが、どこかそわそわした様子を見るに、本心としてはその案に乗って食べに行ってみたいといったところか。

「次の連休あわせで、外出申請出そうか初春?」

「ダメ元ですけど、いいですね。白井さんや固法先輩もどうです?」

「私はパスですわ。申し訳ないですが、レベル3を越えると、外出届用の書類の量が爆発的に増えてしまうので、お菓子の為だけにあの量の書類を書くのはちょっと……」

 ――ふと、そこで黒子の動きが止まる。

 それから初春の端末をひったくり、翠屋の住所を調べ、その顔をだらしなく歪ませた。

「まぁでも書類を書くのはタダですわよね……」

「あー……御坂さんの外出先がその辺りなんですね」

 外で会えるわけでもあるまいし――と、思わず三人が呆れるが、これはもう黒子の病気みたいなものだ。放っておいてよいだろう。

「お姉さま。お姉さま。黒子が、今、会いに行きますわー」

「白井さんはとりあえず置いておくとして、固法先輩もどうですか?」

「お誘いは嬉しいけど、私まで外出しちゃうとこの支部の人間がいなくなっちゃうわ。それに――白井さんじゃないけれど、あの書類を全部記入するのって正直大変だし」

「でも固法先輩。気になりません? 科学的に作られた完璧なお菓子と、職人芸によって作られた人気のお菓子。どっちが美味しいか」

「気になるけど……それはまぁ、佐天から教えてもらえさえすれば……」

「本当にそれで良いんですか? こういうのは自分で食べて味比べするから面白いんだと思うんですけど」

「う……く……」

 色々と言ってはいるのだが、先輩も本当は行きたいはずなのである。

 先輩で、年長者で、風紀委員という建前上、そういう風に振舞っているのだが、根っこは自分と同類のミーハータイプであると、佐天は信じて疑わない。

 ならば、自分が言われて心を動かされかねない言葉を投げかければ、どうにかなるはずである。

「でも、支部の人間が同時に三人も申請を出したって、たぶん分割されちゃう可能性の方が高いわ」

「そこはそれです。白井さんじゃないですが、出すだけならタダです。先輩の本心のままちゃちゃーっと書類を書いちゃいましょう!」

「まぁ、どうせダメでしょうけど、わかったわ。書くだけ書いてみる」

 苦笑しながらも折れた先輩に、佐天は胸中でガッツポーズを取った。

「ああ。外でもお姉さまに会える。ずーっとお姉さまに会えなく降り積もったこの思い。外で存分に伝えさせてもらいますわ。ああお姉さまお姉さま……」

「あのー……白井さん? まだ、外に行けると決まったわけでは……」

「うへへへへへ……」

「聞こえてないわねー」

「しかも、外に出ても御坂さんと会えるかどうかはわからないのに」

「にょへへへへ……」

「まぁ放っておきましょう。暫くすれば帰ってくるわ」

「ですねー」

 

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     7.

 

 土御門元春から書類を受けとって数日後。

 上条当麻と御坂美琴、そして上条の家に居候している白いシスターとその飼い猫は、カエル顔の医師が運転する車でもって、海鳴大学病院なる学園都市の外にある病院を目指していた。

 学園都市内の学校に入学すると、滅多なことでは都市の外に出ることがなくなる――正確に言えば出れなくなる、が正しいか――。超能力者としてのレベルが上がれば上がるほど、外出許可が取りづらく、レベル3以上だと判定されれば、それこそ、それ以後学園都市から出ていないという人までいるくらいなのだ。

 それは科学的に脳力を開発し、超能力に目覚めさせる――その技術を外へと流出するのを防ぐためである。そもそもからして、ケータイ一つとっても、学園都市の外と中では機能的には同じであっても、内部がまったく別物というのが珍しくないのだ。

 それもそのはずで、学園都市の中の技術は外と比べると二・三十年先を行っていると言われるほど進んでいる。

 そしてそれらの技術が、学園都市で使用されているのは、実用実験の側面もあるのだ。

 そういった先進技術の塊である何かを外出した際に紛失され、どこかの企業が回収するのを学園都市は防ぎたいと考えている。だからこその、外部外出許可が必要となるのである。

 そういう意味では、学園都市とは日本国内にある別の国――あるいは治外法権ともいえるかもしれない。出入りに必要なのはパスポートではなく、届出だということ以外はそう呼んでも大差はないだろう。

 そんな理由だから、御坂美琴にとって学園都市の外というのは、学園都市で暮らし始めてから初である。夏休みに学芸都市へと修学遠征という名の旅行へ行った事はあるが、学芸都市も学芸都市で、学園都市ほどではないものの閉鎖都市であったのだから、あまり海外旅行をしているという気はしなかった。

 そんなわけで、最初こそ歳相応の表情で、車の窓の外を流れる景色を眺めていたのだが、それも一時間とすると飽きてきたらしい。

 当たり前といえば当たり前だが、外の風景というのは学園都市と大差がない。

 学園都市にも森林はあるし、高速道路もある。強いて違いを挙げれば、大人と子供の人口比が違うことくらいだ。当然、外の方が大人が多い。そうすると必然、車の利用数が増える。そして、学園都市とて日本であり、同じカレンダーを使い同じように暦を刻む。つまり、今は世間一般的にも連休である。

 そうすると何が起こるか。

「……先生、まだ――ですか?」

 うんざりした様子で、御坂はハンドルを握っているカエル顔の医師――通称冥土帰し(ヘヴンキヤンセラー)に問いかけた。ちなみに、この質問はもう片手では数えられない回数はしている。

「海鳴インターを降りてすぐのこの辺りはいつも混んでるからね。

 でもここまでくると後もう少しじゃないかな。もうちょっと行けば裏道に入れるから辛抱してくれないかね」

 渋滞――それはあまり学園都市内では縁のない現象であり、そもそも車に乗る機会の少ない御坂からすれば初体験の類であるといえよう。

 お疲れ気味の超電磁砲とは裏腹に、助手席で頬杖をつきながら窓の外を眺めている幻想殺しの少年はいつになく余裕があった。

 例によって例の如く、上条の家の居候である白いシスターが一緒にくっついてきたものの、今のところは大人しい。

 ここ最近、外出理由は届出すら出さない――というか、出す必要のない、あるいは出すわけにはいかない裏の事件解決だったりと、正式な手続きをした外出はない。一度、正式な手続きの末にイタリア旅行などを興じたのだが、その時は魔術艦隊と大バトルをするハメになったりと、正直大変だった記憶しかない。

 だというのに――

(今回は、土御門が手を回してくれたとはいえほぼ正式な手続きを踏まえているし……現地でこの先生の知り合いに会うだけってぇなら、事件らしい事件もそう起こらないだろ。

 怖いのは自分の不幸だけだけど、まぁそれはいつものことだしなー)

 ここまで学園都市から大体三時間。道中で休憩をしたことを含めてもその程度の時間だが、これまでのパターンからして、そろそろ不幸が始まりそうである。

 だが、その気配は不思議なことにいまのところ存在しない。これは大記録である。

「たんぱつー」

 陶器のような光沢を持つ白い布地に金の刺繍が施された修道服を着たシスター――インデックスが、幼げな顔を青ざめさせながら、弱々しく美琴を呼んだ。

「なによ?」

「スフィンクス持ってて」

「は?」

 スフィンクスとはインデックスが抱いている三毛猫のことだ。

「いや、あのさ、私は常に微弱な電磁波を周囲に撒いてて、それは猫にとってはあまり喜ばしくないものだから……」

 こちらから猫に近寄っても逃げられてしまう。

 だから、持っててと言われてもスフィンクスが手の中で暴れるから――などと色々と言おうとしたものの、すでにインデックスはスフィンクスを美琴に押し付けるように手渡した。

 それと同時に、美琴から発せられるものを感じ取ったのか『なんだ!? 何かこの人変だぞーっ!?』とジタバタし始めた。

「あ、ちょ……っ! 大丈夫、大丈夫だから!」

 爪こそ立てないものの、腕の中で暴れるスフィンクスに慌てる美琴をよそに、インデックスは上条の座る助手席に寄りかかるように、呻く。

「とうま、とうまー」

「どうしたー?」

「ちょっと気持ち悪いかも」

「……っ!? お前がさっきから大人しかった理由はそれかー!」

「うう……さっきのご飯が出そうだよー……」

「まてまてまてまて! 出す前にまずお前が車から出るんだインデックス!」

 上条が慌てて自分のベルトを外そうとするのだが、これが中々うまく外れない。

「ちょ……あれ? この……っ!」

「ちょっとシスター! 止めてよ!?」

「うう……」

 冥府返しが落ち着いた様子で車を道路脇へと移動させる。それと同時に、上条はベルトを外し終え、助手席から外へと飛び出すと、すぐさま後部座席のドアを開いてインデックスを引っ張り出す。

「もうちょっと我慢しろインデックスぅぅ!」

 そのまま近くの用水路まで抱きかかえて引っ張って行こうとするが、

「ごめん、とうま。もう無理かも」

「ちょっとインデックスさんんーっ!」

 そもそも銀髪シスターさんはそこまで持ちませんでした。

「ぎゃぁぁっ! やっぱ不幸だぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 少女嘔吐中。

 

 

「まぁあれだね」

 とりあえず、被害を負ったのが上着だけだったので、上条がそれを脱ぐのを見ながらカエル顔の医師は申し訳なさそうに告げた。

「医者である僕が気づけなかったのは悪かったね」

「ううっ……ごめんね、みんなー」

 インデックスは涙目で謝るが、やはり元気がない。それでも先ほどと比べると多少は顔色が戻っているように見える。

「はい。近くの自動販売機で買ってきたわ」

「ありがと短髪」

 張り合いのなさでも感じているのか、ペットボトルを手渡しながらどこか拍子抜けした様子で美琴は、

「気にしないでいいわよ」

 と、肩を竦める。

 ちなみに、スフィンクスはというと、美琴の腕の中で『この不思議な刺激、これはこれで慣れるとクセになるかもー』という顔で、大人しくしている。どうやら、美琴はスフィンクスに気に入られたようだ。

「ねぇ、アンタ替えの上着あるの?」

「あるにはあるけど、トランクの中だからな。ちょっとすぐには出しづらいかも。そもそも今日はホテル付くまで着替える気なんてなかったしよ」

「そりゃまぁそうよね」

 このハプニングは想定の範囲外だ。

「ちょっと悪かったかも。ごめんねとうまー」

「気にすんな。車内はこれでもいいけど、どっかで適当に上着を買うしかないな」

 さすがに上半身裸の状態で服屋に入るわけにはいかないので、美琴に買いに行ってもらうことになるだろうが。

「君が何度も入院するから、毎度見てはいるけどね。改めて健康な時に見ると、意外とガタイ良いね君は」

「そうですか?」

 本人はあまり自覚がないのかもしれないが、確かにカエル顔の医師が言うとおり上条当馬は意外と筋肉質である。とはいえ、それはトレーニングの末に身につけたものではなく、裏路地のケンカやら、ここ最近の科学や魔術のとんでも事件に巻き込まれて出来た不健全なものだ。

 だが、不健全なものとはいえ、女性陣からすると、医師のちょっとした一言に思わず意識してしまう。

(た、確かに……思ってたよりいい身体してるわね……)

(とうま、案外鍛えてたのかも……)

 そうなると、直視できなくなってしまうのが乙女の心情というもので、二人して目線をどうすればいいかが分からなくなってきた。

「ん? なんだ? どうしたんだ二人とも?」

「え? いや、なんでもないわよ! いや、ほんと!」

「う、うん! そうだよ! なんでもないんだよ!」

「?」

「いやー青春だねえ」

 上条が首を傾げる横で、二人の思考に気が付いた冥土帰しは小さく笑う。

 と、そこへクラックションが聞えて、音の方へと上条が視線を向けると、一台の白――というよりはシルバーの方が近いかも知れない――の車が、こちらの乗っていた車の側に停車し、窓を開けていた。

「どうかなされたのですか?」

 窓から、丁寧な言葉遣いでそう声を掛けてきたのは、二十台前半くらいのお姉さんだった。

「いや、別に大したコトじゃないんですけど……」

 言い掛けて、いや待てよと上条は考える。

 一般的な認識において、吐瀉物を浴びてしまったなどと言おうものならどうなるか。

(引かれる……間違い無く引かれる)

「?」

 言い淀み何も言わないこちらを不思議に思ったのか、首を傾げるお姉さんに愛想笑いを浮かべながら、なおも彼は思考する。

 別に自分が引かれるのは構わないがなし崩しにインデックスまで引かれてしまうのではないだろうか。

(それはそれで何だか嫌だなぁ)

 ならば、どう答えるのがベストであるか――上条がそんな思考をしているよそで、

「わたしが車に酔っちゃったんだよ」

「そうでしたか。酔い止めでしたら今、ストックがございますが?」

「ありがとう――でもへーきだよ。出したらちょっと楽になったから。

 ただ、とうまの服に掛けちゃって」

(ぎゃー! あなたは俺が色々考えてる間に全部言っちゃったりなんかしちゃいましてもうー!)

 思わず頭を抱える上条だったが、目の前のお姉さんはかなり人間が出来ているようで。

「それは大変ですね……とうま様、でしたか。ウェットティッシュのようなものしかございませんが、よろしければどうぞお使い下さい」

 わざわざ車から降りてくると、そう言って未開封のウェットティッシュを上条へと差し出した。

「使いづらいかもしれませんが、身体を軽く拭くのにも使えるかと」

 そう言って手渡してくるそれを受け取ると、ついでにタオルも渡してくる。

「ウェットティッシュだけだと濡れたままになってしまいますから、こちらもよろしければ」

「あ、ありがとうございます」

 手持ちのハンカチで軽く拭っただけで、身体はまだべとべとしているのだ。確かにちゃんと身体を拭けるのは有り難い。

「それと、そちらのシスターにはこの薬を。多少に楽になられたと言いましても、ここが目的地ではないのでしょうから、念のためにお飲みになられた方がよろしいかと思います」

 飲むのでしたらお水の方がいいですよ――と、今度は車からミネラルウォーターのペットボトルを出してくると、薬と共にインデックスへと差し出す。

「ありがたく頂くんだよ」

 ぺこりとお辞儀してから、インデックスもそれを受け取った。

「使わせてもらいながら言うのあれだがね。いいのかね? 色々ともらってしまって」

 冥土帰しの言葉にお姉さんは微笑む。

「ええ。困ったときはお互い様と言いますし」

「それはいいんだけどさ」

 そんなお姉さんに、御坂美琴は――相手の方が明らかに年上だろうに――いつも通り……いや、いつも以上にどこか尊大な様子で訊ねた。

「貴女は困らないの? ご主人様に怒られたりとか」

「は? 御坂、お前なに言ってんの?」

「んー……物腰とか言動とか、あとはまぁ一番は雰囲気かな。

 どっかに勤めてる、本物のメイドでしょ、貴女」

 上条の言葉をスルーして、美琴はお姉さんに尋ねると、彼女は「はい」とうなずいた。

「申し遅れました。私は、この海鳴市に居を構える月村家にお仕えさせて頂いております。ノエル・((綺堂|きどう))・エーアリヒカイトと申します」

「月村というのは、あの月村グループのかな?」

「はい」

 外の企業に関してはあまり詳しくない上条と美琴であっても、その名前だけは聞いたことがあった。学園都市あまり関わることがないものの、独自の技術を様々な分野で提供している企業だったはずだ。

 学園都市から提供される技術を使わずに都市の外の最前線で活躍している企業という理由で、現代社会などで紹介されることが多い企業である。

 余談であるが、月村グループとは逆に学園都市からの技術をいち早く受け入れ、提携した一番最初の企業としてバニングス社がある。こちらも現代社会の授業などで、月村と共に紹介されたりする。

「しっかし、お金持ちの家ってホントにメイドさんとか雇ってるんだな」

「メイド見習いならウチの寮にもいるわよ」

「知ってる。繚乱女子の土御門だろ」

「そうなんだけど、もしかして知り合い?」

「うちのお隣さんの義妹」

「ふーん。でもそれなら、驚くコトないじゃない。見習いとはいえあれだって本物のメイドよ?

 性格やノリはともかく、プライドと仕事っぷりは完璧だし」

「いや、だからって、ほら。舞夏はどちかってーと、友達の妹だし?

 実際にこう本物のメイドさんを見るとだな、特にメイドさん属性のない上条さんでも色々と考えてしまうことがあるわけですよ」

「……わ、私だってメイド服くらいなら着たことあるわよ……」

 ちなみに、今のノエルは別にメイド服は着ていなかったりするのだが、そのあたりの事実は美琴の中ではすっ飛ばされてしまっているらしい。

「ん? 何か言ったかビリビリ?」

「な、なんでもないわ! ないに決まってるでしょ!」

「なんでいきなり怒っておりますかあなたはー!」

 何やらよく分からない言い争いを始めた上条と美琴を余所に、インデックスはじーっと彼女の顔をみてから、ふと口にする。

「えっと、間違えたらごめんなさいなんだけどね、ノエル」

 二人に言い争いにどうするべきかと困っていたノエルは、インデックスに話掛けられ、そちらへと向き直った。

「なんでしょうシスター?」

「インデックス、って呼んでもらえると嬉しいかも」

「失礼しました、シスター・インデックス。それで何かご質問なのでしょうか?」

「うん、あのね」

 彼女は一度そこで言葉を切ってから、改めて問うた。

「((憑群|つきむら))……それに、((鬼道|きどう))ってってことは、ノエルって((夜の一族|ナハト・ファミィリェ))?」

 その質問と共に、穏やかな微笑を湛えていたノエルの表情は一瞬、固まった。

 言い争いをしていた、上条と美琴でさえその変化に気が付き、思わずインデックスへと視線を向けた。

「お、おいインデックス」

 上条はインデックスが何を言ったのかは知らなかったが、さすがにまずい空気だと察して、彼女に謝らせようとする。

 だが、それより先にノエルが軽く息を吐いて気を取り直し、再び先ほどまでの表情に戻った。

「修道女で――名前をインデックス様、と……そういうことですか」

「ご、ごめんなさい。本当に夜の一族だったらそれを聞いちゃうのもタブーだったんだよね」

「いいえ。構いません。こちらも、貴女を((必要悪の教会|ネセサリウス))の((禁書目録|インデツクス))なのだと、知ってしまいましたのでおあいこです。

 それに、これが秘密の共有と成りますので、ルールから外れたものにはなりませんので」

 にこりと笑うノエルに、インデックスはほっとした様子で胸を撫で下ろした。

「えーっと……つまり、どういうことなの?」

 美琴は頭の回りに【?】を一杯飛ばしているが、上条には漠然と今のやりとりの意味を理解していた。

 ノエルは魔術関係の人間であり、何らかのルールを持った相手だったのだろう。インデックスがそれをうっかり破り掛けてしまったものの、ルールの範囲内で収められる事柄だった、と――上条の認識としてはそんものであったが、敢えて彼は追求しようとは思わなかった。問題はその辺りの事柄をどうやって美琴に説明するか、だ。

 ちなみに、カエル顔の医師は我関せずといった様子だ。

「簡単にご説明致しますと」

 納得していない美琴をどうするべきかと、上条が悩んでいると、ノエルがそれを察したのか軽く目で『こちらでフォローしますよ』と告げてきた。

 彼はそれに同じように目線で礼を告げる。

「私が仕える月村一族、および私の血筋でもございます綺堂一族は、ドイツ発祥の同じ名家が出自でして……その祖となる家のしきたりが今もなお残っております。

 それは祖となる家の裏の名前を知られてはいけない――ということです。インデックス様は元々知識として祖の名をご存じでしたようですが……」

「知識の確認を取り、事実になってしまったから、それはルールを破ることになるって、ことね」

「はい。その場合は、こちらの秘密を知ったことと引き替えに、知ってしまった人から等価値の秘密を頂くという秘密の共有が必要となります」

 なるほど、だから先ほど改めてインデックスが何者であるかの確認をとったのか――と、上条は納得するのだが……

「その交換内容が、ネセなんとかのインデックスってやつ?」

「はい。知らない方にとっては、暗号のような言葉ですが、知っている者からすると重要な意味を持つ言葉ですから」

 腕を組み、真っ直ぐにノエルを見据える美琴。ともすれば威圧的にも取れるだろその視線を受けながらも、ノエルは動じた様子はない。

 そんな二人の間に割って入るのは多少の度胸がいたが、この程度でビビるほどここ最近の上条当麻の日常は優しくない。悲しい事実ではあるが。

「あのさ、禁書目録って――秘密にしちゃ有名すぎるんじゃないか?」

「かもしれません。ですが、知識の事実確認という意味ではこちらと等価だと判断いたしました」

 それがどうかしたのか、そう問いかけるように告げるノエルに、上条は困ったように一度頭を掻いてから、その右手を開いてノエルへと突き出すように掲げた。

「?」

「俺のこの右手首から先には((幻想殺し|イマジンブレイカー))って能力が宿ってる。超能力だろうが魔術だろうがそれが異能の力であれば、その((幻想|ちから))の強弱・善悪に関係なく消しちまう力だ。

 学園都市からは、超能力とは違う力だって言われ、魔術師達からも魔術でない言われちまった本物の異能の力。それが俺の秘密さ。

 禁書目録と併せてそっちの秘密の交換ってことなら、充分じゃないか?」

「ですが、貴方が秘密を明かされる理由など……」

 目を丸くするノエルに、続けて美琴も笑いながら自分を指した。パリパリと軽く自分の周囲に電気を発しながら。

「私は学園都市第三位の((電撃使い|エレクトロマスター))。ま、((超電磁砲|レールガン))って呼ばれる方が多いわね。能力名や能力は、学園都市の外に出る場合は基本的に明かしちゃいけないことになってるから、これも一応は秘密に入るでしょ?

 シスターやこの馬鹿の秘密と一緒に納めておきなさい」

「ええっと……なぜですか?」

「んー……まぁ、あれだ。しきたりだか何だか知らないけどさ、破ると怒られるんだろ?」

「助けてもらったのに、こっちの落ち度で怒られる原因作っちゃうってのも寝覚めが悪いからね」

 そう言いながら、上条と美琴の視線はインデックスに向かっている。

「うう……ご、ごめんなさいなんだよー」

 小さくなって頭を下げるインデックスを見、ノエルは小さく笑ってから、改めて深々と三人にお辞儀をした。

「会ったばかりの私へのお心遣い、ありがとうございます」

「いや、あの……」

「気にする必要はないから、頭をあげなさい」

 美琴に言われ頭を上げるノエル。

「つーか、お前さ、さっきからノエルに対して不遜すぎねぇか?」

「いいのよ。ノエルはプライドを持ったメイドなんだから」

「はぁ?」

 訝る上条を横目に、『ね?』と美琴が問いかけると、ノエルははいと礼儀正しくうなずいた。

「よく分からないんだよ。とーまはー?」

「俺もだ」

 首を傾げる庶民二人を横目に、美琴お嬢様はそのままの態度で、言った。

「どうしても頭を下げたいっていうならさ、代わりに道案内してくれない?

 もちろん、そっちの事情もあるだろうから時間があるのならで構わないんだけど」

「どちらまででしょうか?」

「海鳴大学病院。出来れば近道とかも教えてもらえると嬉しいわ」

 分かる? と美琴に問われ、ノエルははいとうなずいた。

「よく存じ上げております。ここから向かわれるのでしたら近道もございますのでご案内出来ますよ」

「じゃお願いするわ。それと――」

 ちらりと、美琴は上条を一瞥して顔を赤くすると慌ててノエルへ向き直る。

 そんな美琴の様子に笑いながら、彼女の言葉よりも先に言った。

「当麻様の上着を買えるお店を経由して、ですね」

 

-9ページ-

 

    8.

 

 あまり人には知られていない草原。

 藤見台墓地の林道を、あえて道から外れて昇っていくとあるその草原は、小さいときからのお気に入りの場所であり、そして自分だけの秘密の場所でもあった。

 自分の住んでいる街を一望できるその丘で、今は身体を大の字に広げて横になっている。

 見上げる空はどこまでも青く澄んでいて、綿菓子のようにも見える白い雲とコントラストが綺麗に映えていた。

 風が吹くと、緑色の草たちが少女の栗色の髪と共に一斉に波打ち、優しく頬を撫でていく。

 そろそろ秋だというのに、今日は真夏日だ。ここ最近、手加減を続けていた太陽が、まるでその手加減の鬱憤を晴らすかのように力強く輝いている。

 ここに来るまでは、正直太陽に対して負けを認めようかと思うほどにぐったりとしていた少女――高町なのはであったが、この場所に来てみれば不思議と暑さが和らいで感じられた。

 それに気を良くした彼女は、久しぶりのこの場所を堪能するために横になったわけなのだが――

「うーん、ちょっと失敗したかも」

 少しだけ体勢を変えようと思い身体を動かした時、思わず苦笑した。

 なのはの着ている薄手のブラウスの下には、大小様々な傷跡やカサブタが見え隠れしており、よくよく見れば淡いオレンジ色のシャツの袖やズボンの裾などから包帯などが顔を覗かせている。

 痛々しい姿と言えばその通りなのだが、今回に限り苦笑した理由はそれらのケガのせいではない。

 いつもならば左右で結ってツインテールにしている髪が、今日はそのまま下ろしていたのを忘れていたのだ。

 そのせいで、自分の身体で自分の髪を押さえつけてしまっており、首を動かすのも困難になっていたのだ。まぁ要するに、首を動かそうとすると髪が引っ張られて痛いのである。

 傷の痛みに比べれば大したことはないのだが、このまま一眠りしようかなどと考えていたのだが、どうやら一度起き上がらないとそれは適わないらしい。

「はぁ」

 小さく嘆息を漏らしながら、身体を起こそうとし、

「……ッ」

 突如走った左肩の激痛に顔をしかめた。

 左利きであるが故に、無意識のうちに左手を使って身体を起こそうとしてしまったらしい。

 改めて右手だけで身体を起こして、軽く息を吐く。

 なんだかウトウトとしていた気分が一瞬にして吹き飛んでしまった。

「……今、何時くらい?」

《十四時三十二分です》

 なのはの問いに、胸元の赤い宝石から答えが返ってくる。

「そっか……なら、そろそろみんなが帰ってくるね」

 つぶやくように言って、なのはは近くに置いてある松葉杖に手を伸ばした。

 自宅療養といえば聞こえはいいが、結局のところ病院のベッドか自宅のベッドかの違いくらいしかない。

 それでも――出来る限り控えろとは言われているものの――外出そのものは、禁止されていないのが救いと言えば救いか。その日の体調によって、学校も騙し騙し登校している感じである。

 今日は朝の調子が悪かったので、ずっと横になっていたものの昼過ぎにはだいぶ良くなり、結局暇を持てあましたのでこっそりと家を抜け出してここへとやってきたのだ。結果としては正解だったと、自分では思う。良い気分転換になった。

 ゆっくりと立ち上がり、右手に持つ松葉杖で身体を支える。

「……むぅ」

 その時、気がついた。

「この状態だと、お尻や背中をはたけない」

 右手は松葉杖。左肩はほとんど動いてくれない。

 そうなると、髪の毛や背中、ズボンに草や土をつけたまま街を歩かなければならないことになる。

 さてどうしたものかと、なのはが考えていると、

「あの……何か困りですか? と、ミサカは先客が居たことに多少驚きながらもちょっと心配そうに聞いてみます」

 林道の方から、女の子が一人やってきて、そう声を掛けてきた。

 歳はなのはよりも一つか二つ上といったところか。

 肩口までの茶色の髪と、透き通るような白い肌をした女の子だ。今年の夏はかなり暑かったのだが、日焼けをあまりしていないところを見るとそういう体質なのかもしれない。

 どことなく表情が乏しそうな感じはするが、その手のタイプは身近なところに一人いるので気にしない。もっともその一人は彼女が出来たことでだいぶわかりやすくはなったのだが。まぁそれはさておき。

 服装は白いブラウスに、袖無しのサマーセーター、灰色のプリーツスカートといった出で立ちだ。どこかの学校の制服なのだろう。もう衣替えの時期はとっくに過ぎているのに夏服なのは、単に今日の気候に合わせただけか。

(あれ?)

 だが、なのはは彼女が夏服の理由だとか、どうしてここを知っているのかという以上に、ふと思った小さな疑問に首を傾げた。

(どこの学校の制服だろう?)

 見たことのない夏服だ。少なくとも海鳴近辺の制服着用学校のどれとも一致しない。なのはが入院している間にどこかの学校が新デザインを採用していたりするのであれば、その限りではないのだが。

「あの……本当に大丈夫ですか? と、ミサカは話しかけても返答がなかったのでさっき以上に不安になって尋ねます」

「え、ああ……ご、ごめんなさい」

 確かに声を掛けられて黙っていたのは失礼だった。

(ううっ……身体だけじゃなく、こういうコミュニケーション能力のリハビリも必要かも……)

 顔には出さないものの、なのはは胸中で苦笑する。

「ここに人が来るとは思ってなかったから少しびっくりしちゃって――身体の方は見ての通り問題だらけだけど、とりあえずは大丈夫」

「そうですか……と、ミサカは安心します」

 言葉通り安堵した様子を見ながら、何となく変わった喋り方の子だなぁなどと思ってみる。

「それにしても、この場所をミサカ以外に知っている人がいたことにミサカも驚きました、とミサカは内心でちょっと残念がります」

「にゃはは……私はここ最近は全然来なかったから」

「そのケガのせいですか、と内心で触れてはいけない話題だったかもしれないとミサカは思いながらも訊いてしまいます」

「ケガも――まぁ、そうなんだけど……最近は色々忙しかったから」

 そう、ケガをする前からここへ来ることがめっきりなくなっていた。もっともここへ来るときはだいたい一人で考え事をしたい時や、ヘコんだり落ち込んだりしていた時だったことを考えると、良い傾向だったのかもしれないが。

「では、ミサカはあなたの秘密の場所に勝手に入ってしまったわけですね。すみません、とミサカは頭を下げます」

「いやいや、別に謝られても――元々、私の場所ってわけでもないんだから」

 なのはは苦笑する。

 それから、松葉杖を腋で挟んで、申し訳程度に右手を差し出した。

「?」

 首を傾げる少女に、なのはは笑顔を向ける。

「そんなわけで。同じ秘密を持っている者同士ってコトで……私、高町なのはって言います」

 しばらくキョトンとした様子で、なのはの顔と差し出された右手に視線を往復させていた少女は、やがてその意味を理解したのか、なのはの右手を握り替えした。

「にゃはは。よろしくねミサカさん」

「はい。よろしくお願いします高町さん、とミサカはなんだかドキドキしながら名前を呼びます」

「あ、なのはでいいよ。みんなそう呼ぶし。それに私、上にお兄ちゃんとお姉ちゃんもいるから」

「はい。ではなのはと呼ばせて…………って! はっ!? 何故かミサカの名前がバレていると、ミサカはワンテンポ遅れながらも驚きます!」

「いや、あの……さっきから自分で自分のコトをミサカって呼んでるから」

 違うの? と首を傾げるなのはに、ミサカはポンと手を打った。

「そういえばそうですね、とミサカは納得しました」

「これはまたなかなかなの天然さんかも」

 思わずなのはは吹き出した。

 ちょっと笑っただけのつもりが、何故だか一向に収まる気配がなく、彼女はそのまま笑い続けてしまう。

「何故そんなに笑うのですか、とミサカはちょっとムッとします」

「ふふ。ご、ごめんね……。あはは。で、でも何故か止まらなくって。変なツボに入っちゃったのかも」

 笑っていると、身体のあちこちが悲鳴をあげてるのだが、それでも彼女の笑いは止まらない。

 笑い過ぎと痛みのせいで、目尻に涙を浮かべながらもなのはは笑う。

 そんななのはに釣られ始めたのか、ミサカも小さな笑みを浮かべ始める。

 まるで今まで笑ってなかった分が盛大に飛び出してきたようだ――そんな風に考えたとき、なのははふと思った。

 

 そういえば、こんなに笑ったのは何時以来なのだろか……と。

 

-10ページ-

 

 

 幕間 intermedio.

 

 ((茗荷谷|みょうがたに))。((切支丹屋敷|きりしたんやしき))。

「ふむ。良い話を聞けた」

「ソレでした。ナニより」

 その屋敷の居間で、二人の人間が茶の湯を交わしながら、談笑をしていた。

 片方は年の頃はもう五十は過ぎているだろう男だ。

 この男の名前は((新井白石|あらいはくせき))。かなり強面の男であるが、その双眸に宿るのはその顔つきからは真逆の純粋な好機と知識欲。

 怒れば顔に「火」の字が浮かぶなどと言われる男ではあるが、学問に対する思いはこの歳になっても消えてはいない。

 ここ数年のもっぱらの楽しみは、この対面している男から西洋文化について学ぶことだ。

 その西洋人の名はジョバンニ・バティスタ・シドッチ。

 この切支丹屋敷に幽閉されている男である。

 幽閉とはいえ、宣教をしないという条件さえ守れば、屋敷の中に限り、比較的自由な行動が許されている、破格の待遇を受けている男でもある。

 端から見ていれば、二人のやりとりというのは談笑そのものであるが、白石は一応尋問という名目でここへやってきている。

 白石に言わせれば、この尋問の席は『奇会』であるが。

「ところで、前々から気になってたコトがあるんだがよ」

「ハイ。ナンでーしョ?」

 この国と、この国の外では言葉が違う。

 そのせいで、海より向こうからやってくる人間というのは、この国の人間と言葉を交わすことが難しい。

 それでもこのシドッチという男はかなり日本語を扱えるほうである。とはいえ、最初のうちは、独特の発音や言葉遣いに、白石は聞き取りにかなり苦労した。

 だが、それも最初のうちだけだ。馴れてくれば、他方の方言の訛り程度に感じられるようになってきて、今では普通に会話できるようになっていた。

「お前さんがいつも大事に抱えているその絵なんだが……」

「アア。コレですかネ」

 シドッチは白石に見えるようにその絵を持って、何か思い出すように愛しそうに、その絵を撫でる。

「コノ絵でモデルは、ワタシのアニがヨメですね」

「ほう。お前さん、兄弟が居たのか」

 もでるという言葉を一瞬だけ白石は訝ったが、その言葉の意味に気付けたので特に質問はしなかった。

「ハイ。ピリップスいいますネ」

「ぴりぷす……?」

 復唱するように聞き返す白石に、シドッチはうなずく。

 それを確認してから、白石は書のページをめくり、そこへ新たにその名前を記す。

 この話も中々興味深そうだ。

「コレ描いたアネスいうヒト、ワタシがハハ、エレオノーラと仲良しデスタ」

「その繋がりでもらったってコトか……。

 しかし、何でまたお前の兄の嫁を絵にしたんだ?」

「マリア、アネスのムスメですた。

 アネスのチチが、地元でユーメーな絵描き。きっとチチで描いたムスメの絵、マネ」

 少しばかり難解だったが、白石は自分の中で言葉を噛み砕き、理解へと至る。

 アネスの父は、シドッチの故郷では有名な絵描きだった。アネスは娘であるマリアを題材に、父の絵を真似た絵を描いた――と言ったところか。

 シドッチにとってこれは、ここに幽閉されている彼にとっての、家族や自分の一族との繋がりを示す唯一のものということか。

「これ、セーボの絵言いマスタ。それだけでキリスタンとしてダイジ。だけど、ワタシがアネさんがモデル。描いたのそのハハ、アネス。だから、さらにタイセツ」

 その言葉も書にしたためつつ、白石は書き終えてから呆れたように嘆息した。

「何度もいうように、俺は切支丹ってのには興味がない。切支丹として大事な絵ってのも良く分からん。

 だが――家族が書いた大切なモンってのは良く分かるぜ。

 だから、いちいち宗教がどうとか言わないで、家族が描いたから大切なんだ――で良いじゃないか」

「どっちも、ワタシではタイセツだネ」

「そーかい」

 憮然とするシドッチに対し、白石は大いに笑った。

 そして、ひとしきり笑った後で、書に小さく付け加える。

 例え国や言葉、あるいは価値観も違う西洋人だが、それでも我ら日本人と変わらぬものを持っている。

 即ち――彼らもまた、家族が大事なのである、と。

 

                           to be continued

説明
特にどこかに発表することもなく、気が向いた時にのんびりと、落書き程度にチマチマと、自由気ままに好き勝手やりつつ、なんだか気づくとわりとすごいボリュームになってるのに、全然完結する気配がない……なんかそんなカンジの趣味100%のクロスオーバーSSをとりあえず、うpってみたり。一応表題の通り、主軸は『なのは』。でも出番が遅いんだよねー(ぉ なお、このSSの参戦作品としては『魔法少女リリカルなのは』『とらいあんぐるハート』『とある魔術の禁書目録』『とある科学の超電磁砲』『ナムコ×カプコン』『無限のフロンティア』『スーパーロボット大戦OG(INPACT)』『スーパーロボット大戦OG(A)』とかまぁなんか、きっとそんな感じ(曖昧なのかよ  ちなみに誤字脱字等は未チェックです(ぁ  こんな参戦作品群ですが1章にはスパロボ要素が皆無だったりします←
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