双子の月と影の少女 |
これは遠い昔、まだ夜空に月が二つ昇っていた頃のお話です。
世界を照らすひかりのとりが彼方へ去り、夜の暗い帳が降りると、真っ暗な地上を照らすために、金色と銀色をした双子の月が、空に昇って来るのでした。
金色の月はラサという名前で、銀色の月の名前はフィルと言いました。ひかりのとりの軌跡から生まれた双子の月は、いつもどんな時も一緒でした。
そんな訳ですから、地上は夜も明るく、ほぼすべての命は昼も夜も、道に迷うことはあまりなかったし、仕事をすることができました。
金色の目を持ったラサはとても優しく、地上が大好きな明るい月でした。いつも沢山の命を眺めようとして地上に近づきすぎるので、銀色の目を持ったフィルに怒られているのでした。
銀色の目をしたフィルは落ち着いていて頭がよく、ラサよりも遠い所から地上を眺めては、夜更けに迷子になってしまった人々を導いてあげたりしていました。
さて、そんな夜を何万年も過ごしてきた双子の月ですが、ある夜は、様子が違いました。
「フィル、泣き声が聞こえるよ」
「ラサにも聞こえるかい? 女の子の泣き声だ。迷子かな?」
双子の月が耳を済ませると、彼らの優しい光すら届かない暗闇から、少女がすすり泣く声が聞こえてくるのでした。
優しいラサはかわいそうな少女のために光をかけてあげようとしますが、少女はそんな月から隠れるように、暗い影のたもとで泣いています。
「どうしたのかな」
「迷子じゃないみたい。寂しいのかな」
双子の月は一晩中、涙を流す少女を眺めていました。ひかりのとりの泣き声が聞こえてくるまでずうっと見ていたものですから、双子の月は慌てて空を飛んでいかなければなりませんでした。
次の日も、双子の月は影の傍から離れない少女を眺め続けました。少女はやっぱり泣いていました。
どうにかしてあげたいと、双子の月は少し強く地上を照らしたり、友達の風に頼んで夜の花の香りを届けてあげたりしましたが、やっぱり少女は悲しそうにするばかりでした。
「どんなにがんばっても、あの子は泣いてるよ」
「僕たちが直接慰めに行こう」
「そうしよう、そうしよう」
ですが双子の月が地上を見ることができるのは、夜の短い間だけ。そのうえ、その短い夜の間中は、世界を照らすという大事な仕事があるので、双子の月は困ってしまいました。
ウンウン唸って考えて、フィルが言いました。
「僕たちのどっちかが、あの子に会いに行こう。そうすれば、少し暗いけど地上が真っ暗になることはないよ」
少女を慰めに行くと決めた次の晩、金の目のラサが地上に降りました。
悲しそうに泣く少女は、その日も同じ影の傍で、目元をゴシゴシこすったり、明るい夜空を眩しそうに眺めていました。
「こんばんは、お嬢さん」
少女は突然話しかけられたのにもびっくりしましたが、それ以上に、優しい言葉をかけてくれたラサがとっても美しいのに驚きました。
「こんばんは。月の目をした人」
「いつも一人で泣いているね。どうしたんだい? お友達はいないの?」
双子の月が空にいた夜の間に、少女は家族や友達と一緒にいることはありませんでした。ラサは不思議そうに尋ねます。
「友達はいないの。お母さんもお父さんもいないわ」
「寂しくて泣いていたの?」
ラサは少女の隣に座って、そう尋ねました。少女が小さな声で喋るたびに、ラサの胸はすこしドキドキするのでした。空から見ているときは影が濃すぎてよく分かりませんでしたが、少女は、いつも流している涙のように美しい青い目をしていました。
「ううん、寂しくないよ。こうやって夜空を眺めてると、見えない友達がいるみたいで安心するの」
きっと月のことを言っているのだろうと、ラサは嬉しそうに微笑みました。
「でも、お月さまが二つもあると、外に出られないの。昼はお日様が眩しくて、夜は月が目に痛い。こんなにきれいな夜空に、優しい風が吹くのに、つめたい水があるのに、眩しいと何も見えなくて、何も聞こえないの」
悲しそうに少女は言いました。毎晩、シクシクと泣いていた少女は、影の民だったのでした。
それまで感謝されることはあっても、悲しまれたりしたことのなかったラサは、悲しくなりました。地上に生きるほかの皆は、夜だって明るい方が良いってよく言っていたのですから。
「でも今日は不思議なの。月が一つ昇ってないの。だからちょっと寂しいけど、今日は月の下にいてもきっと平気よ」
「一緒に遊ぼう、お嬢さん。僕も夜の間しか外に出られないんだ。友達になってくれるかい?」
ラサのお誘いに、少女はびっくりした顔をして、それから、今まで見てきた地上の誰よりもキレイな笑顔を浮かべました。泣きはらした目元は自分たちのせいだと思うと少し胸が痛みました。
ラサは謝ろうと思っていたのですが、少女の笑顔があまりにも愛らしくて、ラサはうっかり忘れてしまったのでした。
その次の晩は、銀の目を持ったフィルが少女の元へ向かいました。
ラサと一晩遊んだ少女は、ラサと会う前よりは少し元気になっていたようですが、やっぱりその日も、影の傍に座っていました。
「こんばんは、お嬢さん」
少女はラサかと思って振り返りましたが、そこにいたのはフィルでした。双子の月は双子なので、その輝く銀の目を除いたほとんどは、ラサと同じ美しい姿をしていたのです。
「昨日の人?」
「昨日君と会ったのは、僕の弟……もしくは兄だよ。僕たちは双子なんだ、お嬢さん。隣に座るね」
少女は目を丸くしました。フィルは先日のラサと同じように、少女の隣に座ります。
「君はお月さまが嫌い?」
どうしてそんなことを聞くのかと少し不思議に思いましたが、少女は首を振りました。
「お月さまの事は大好きなの。だって、お月さまがいなかったら、皆夜が怖くて、嫌いになっちゃうでしょ?」
「そうだね。真っ暗だと何も見えない」
フィルは言いました。少女は何度も頷いて、それから悲しそうに笑いました。涙のような孤独な青色の瞳を覗き込むと、フィルは胸がぎゅっと締めつけられるのでした。
「でも、私は光の中じゃ生きられないの。だからちょっと、悲しいんだ」
「昨日の夜、君は月光のそそぐ場所で遊んだそうだね。月が一つしか浮かんでなければ、君は外に出られるのかい?」
フィルは尋ねました。双子の月は今までずっと一緒にいましたし、これからもずっとそのはずでした。ですが、この宝石より、月よりも美しい目をした影の少女を悲しませたくないと、フィルはそう思ったのでした。
少女は何度もパチパチ瞬きをして、フィルの銀色の目を覗き込みます。
「多分、きっと、そう。だけど、月が無くなっちゃうなんて、皆悲しむわ。きっと怒らないと思うけど」
「そうだね。月が昇らないと、夜は暗くて怖い、辛い時間になってしまう」
寂しそうな表情が少女に気づかれないように、フィルは夜空を見上げました。金色の月が、フィルと少女を覗き込んでいるようでした。
「ねえ、月の目をした人。私と友達になってくれる? 今日も月は一つしか昇ってないから、お外で遊べるの」
「そうだね。でも僕は、月の下でお話がしたいな、お嬢さん」
フィルは言って、微笑みました。少女は少し考えた後に、フィルに微笑み返しました。愛らしい無垢な笑顔に、フィルは胸をすごくドキドキさせたのでした。
それから毎晩、双子の月は代わりばんこに少女の元へ通いました。
ラサは少女と一緒に夜空の下で花を摘んだり、風と一緒に歌ったりして遊びました。フィルは天空から見た美しい景色や、謎めいた遺跡のことを話したりしました。
双子の月と少女はとても仲良くなって、早く自分の番が来ないかと待ちわびるまでになっていました。
夜に双子の月が同時に昇らなくなってしばらくしたある日のことでした。ひかりのとりが世界の上を飛び去り、地上に少しずつ夜の闇が湧き出し始める中、双子の月のどちらも、中々空に上がってこないので、暗がりだけが満ちていきます。
双子の月は、空の根元で言い争いをしていました。
「ラサ、約束したじゃないか。順番に、あの子の所に行くんだ。今日は僕の番だよ」
「だって、会いたいよ。あの子はかわいくて優しいんだ」
ラサが金の目をしばたかせ、寂しそうに言います。
「僕だって会いたい。でも約束なんだよ。それに、ただでさえ二つの月が昇らなくなってしまって、皆を困らせてるんだ。これ以上勝手なことをするわけにはいかないよ」
賢いフィルにそう言われてしまっては、ラサは何も言うことができなくなってしまいます。
何も言い返せないラサは、大人しく空へと昇っていきました。それを見て、フィルは地上へと降りていきます。
――双子の月だからでしょうか? ラサとフィルは、同じ少女を――泣き虫な影の少女を好きになってしまっていたのでした。
更に日は過ぎ、双子の月が毎晩遊びに来るようになって、少女が泣くことはほとんどなくなりました。
そんなある晩、光るキノコの胞子を集めて遊んでいたラサに、少女が話しかけます。
「ねえ、あなたたちはどうして一緒に遊びに来てくれないの? 皆で遊んだ方がきっと楽しいよ」
「僕たちは双子だから、一緒に来たらきっと見分けがつかなくなっちゃうよ」
ちりちり輝く胞子を息で飛ばしながら、ラサは困ったように言います。
「でもでも、あなたたちは二つの月と同じ目をしてるから、きっと分かると思うの。私、自信があるのよ」
退かない少女に、ラサはいよいよ困ってしまいます。
「そうだなあ……始めてあった頃にお話ししたよね。君は月が二つ出ていると、明るい所にいけないんだって。君はずっと泣いていた」
光るキノコの胞子の眩しさに目を細めながら、少女はラサの言葉に耳を傾けます。
「あんまりずうっと泣いてるから、かわいそうだって思ったんだ。だから僕は、僕たちは会いに来た。すべての生き物たちの悲しさや孤独を夜の中に溶かすために、僕たちはいるんだ。君の涙の((一滴|ひとしずく))も、海より広い夜にこぼしてしまえば、きっと悲しくなくなる……君はもう、寂しくないでしょう? 真っ赤だった目も空より青くなって、ほっぺただって花みたいに赤いんだ」
ラサは少女のほっぺたをつついて言いました。
「僕が君と一緒にいる間、空には銀色の月が浮かんでる。金色の月が浮かぶ日は、僕は会いに来ない。行けないんだ。僕が、僕、僕たちは」
その先はどうしても言うことができず、ラサは口をぱくぱくさせます。誰にも喋ってはいけないことを話していたのに、ラサはやっと気づきましたが、もう遅く、少女はちょっとだけ寂しそうに微笑みました。何度見たって、これ以上美しく、愛しく感じる物は地上のどこにもないだろうと、ラサは思います。
「やっぱりそうだったの。月のような目をしていたから、もしかしたらって思ってた」
少女はラサの顔や服に沢山ついた光るキノコの粉も気にせず、小さな体でラサに抱きつきました。ラサも、その温かな腕で少女を抱きしめます。
「ありがとう。やっぱりお月さまは、大好きよ。こんなに暖かくて、優しいんだもの」
「僕も君のことが大好きだよ。ごめんね、ずうっと黙ってて……謝りたかった。ああ、謝ることが増えちゃったな」
少女に移ってしまったキノコの胞子を掃ってやりながら、ラサはとても悲しそうな声で言いました。
「僕の、僕たちのせいで、君を泣かせてしまって、本当にごめんね。しょうがないのかもしれないけど、君だけは泣かせたくなかったって思うんだ」
優しく、ゆっくりと少女から離れて、ラサは言いました。
「誰にも知られちゃいけないことを、僕は話してしまった。だからきっと、もう会えない。ごめんね、僕あんまり頭がよくないんだ」
急な別れに、少女は驚きました。
「どうして? あなたはお月さまだけど、月が地上に降りちゃいけないなんて、誰が決めたの?」
「王さまかな? 僕たちじゃとてもお話しすることすらできない、えらーい王さま。空の一番高い所に住んでるんだ」
夜空を見上げると、ぼんやり光るキノコ林の隙間から、きらめく胞子を振りまいたような星空と、銀色の月が広がっていました。
ラサは少女に背を向け、歩き出します。
「双子の月は、ずっと君の友達だよ」
それだけ言って、ラサは答えも待たずに空に昇って行ってしまいました。まだ少し服についていたキノコの胞子が、ラサのこぼした月光と混ざって、乾いた涙の跡のようにも見えるのでした。
次の晩は、大変な夜となりました。数ヶ月ぶりに双子の月が昇ったと世界中が安堵する中、当の金と銀の月は、高い所で大喧嘩をしていたのです。
「どうしてあんなことを言ったんだ!」
「あの子は気づいてた。絶対フィルだって、同じようなことになっていたよ!」
「答えないことだってできたじゃないか。僕たちは元々物言わぬ空の住人なんだ。本当は、ただ寄り添うだけでよかったんだよ」
「そんなこと、できるのかい? 僕たちは、あの子のことを、好きになりすぎてしまったんだ!」
双子の月は、自分たちがあまりにも少女の傍に居すぎたことを悔いていました。「空の住人は、地上の住人と関わってはいけない」という、空の王の言いつけがあったのです。
「最初の晩に、王さまには知られてるよ。きっとあの子は、不思議な運命にあるんだよ」
ラサは涙を浮かべながら言いました。まだ金の月の所に、王の言葉は届いていませんでした。けれども、もう少女の元へ行くことができないだろうと思っていました。
「僕たちにはどうしようもないんだ。王さまの言葉を待つしかないよ」
フィルは双子の涙をぬぐってやりながら、そう声をかけてやりました。そうすることしかできませんでした。
その晩は、フィルもラサも地上をほとんど見ませんでした。世界に夜が訪れた時も、自分たちが言い争いをしていた時も、ずうっと少女のすすり泣く声が聞こえてきたからでした。
フィルは不機嫌そうに少女の鳴き声が聞こえないほど高くまで昇り、ラサは声こそ出さずとも、ずっと涙を流していました。
それから何度か日が巡った晩のことでした。
双子の月は空に昇って、仰天しました。彼らの元に、<空の王の言葉>が届いていたのです。
――すべての命に幸福と安らぎを与えること――
淡く光る星の表面に刻まれた非常に短い言葉を読み上げて、双子の月は顔を見合わせました。
「これってきっと、いいよってことなんだ!」
ラサは思わずにじんでしまった目をゴシゴシこすり、フィルも信じられないという様子で何度も星に刻まれた言葉を読み直していました。
双子の月は、次に地上に降りる日を待ち望むあまり、ぐるぐると空中を飛び回ったり、大きな声で歌ったりしました。地上にもその声は優しい月の光となって届くのでした。
しばらくぶりに地上に降り立ったフィルが後ろから少女を脅かすまで、少女は声も上げずに泣いていました。フィルは一瞬迷いましたが、寒さで少し冷たくなってしまった手で、少女の両頬を包み込みます。
「きゃあ!」
少女は驚きのあまり、飛び上がりました。それを支えるように、フィルはぎゅっと、影に居すぎたせいで酷く冷えてしまった少女を抱きしめます。
「帰ってきてくれたの!?」
すぐに少女は体を捻り、フィルを見ます。穏やかな銀の瞳が、慈しみの光を宿して少女を見下ろしていました。あんまりにも寂しかったのと、会えた喜びとで、少女はまたぽろぽろ涙をこぼしてしまいました。
「空の王さまが、許してくれたんだ。女の子一人を泣かせているようじゃ、地上の皆を幸せになんかできないだろうって」
「ねえ、二人とも会えるんだよね。前みたいに、代わりばんこに、会いに来てくれるんだよね」
「そうだよ、君に会いに来るよ。前みたいに、毎日ね。約束するよ。だから泣いちゃだめだよ、王さまの言いつけを早速守れなくなっちゃうじゃないか」
困ったように笑って、フィルは少女の目元をぬぐってやりましたが、涙は後から後から溢れてくるようで、少女も困って何度もゴシゴシ目をこすります。
「ほら、一緒に、金の月に教えてあげよう。もう泣いてないよって」
フィルに手を引かれ、少女は久しぶりに月光の元に、外に立ちました。金色の月が、これまでに無いぐらい優しい光を放っているようでした。
「ちゃんと聞いてるよ、僕も、金の月も」
「うん……えっと」
涙のせいで濁った声になってしまった少女は、一度深呼吸をしてから、言葉の代わりに、歌い始めました。吟遊詩人が残していった曲、何時からか歌えるようになっていた曲、双子の月と遊んでいた時に教えてもらった曲。覚えている全ての歌を、夜空全部に届くようにと、少女は歌い始めました。
――やがて影の少女は偉業をなし、影の女王となりましたが、これは別の話。双子の月は、女王となった少女の傍に立ち、少女が地上での命を燃やし尽くすまで彼女の良き友であり続けました。
そうして少女の命が燃え尽き、魂が死の国へと旅立っても、少女が寂しくならないようにと、ひかりのとりが鳴き声をあげる度に、交代で少女の元へと向かうのでした。
そんな訳で、双子の月は、今も一年ごとに交代で夜空へ昇るのです。
説明 | ||
これは遠い昔、まだ夜空に月が二つ昇っていた頃のお話です。夜空の上で人々を照らすのが仕事の双子と、泣いてばかりの少女の、ちょっとしたお話。 | ||
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コメント | ||
ありがとう御座います。いつか空の王さまとかの話も書きたいですね〜なんかやたら人気(?)あるのでw(euraru) 空の王 GJ(某犬犬) |
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