とれはん!2 『優しい結末』 |
彼がその場所に到着した時には、状況はほとんど終了していた。
一本道の峡谷で、魔獣と人間。喰う者と喰われる者が決定した構図。
数メートルもの体長を誇る魔獣の咆哮は、腹の奥底まで実に良く響く。大抵の人間ならば、腹に響くその重低音に怯み、身動きが取れなくなってしまうだろう。
その魔獣の名はエンケラドスと呼ばれている。人間の様に直立二足歩行であり、体毛は長く、牛に似た頭部を持っていた。冗談の様に太い腕や足は人間の胴体を軽く上回り、鉄壁の防御ともなり得るし、外見から予想される筋力に、勝るとも劣らない破壊力をも行使する。また、鈍重な印象とは裏腹に素早く、仮に遭遇したならば、人間の足では逃げ切れない。馬や高速艇を使用しなければ、たちまち肉の塊にされてしまう。
いや、馬や高速艇を利用しても、判断が遅れれば逃げ切れないだろう。エンケラドスに叩き潰されて、大きく陥没した地面と一体化した馬を視れば、教えられずともそうと理解するはずだ。
襲われているのは二両の荷馬車だった。二頭引きで、計三頭の馬が叩き潰されていた。残りの一頭は衝撃で金具が外れた拍子に逃げ出した様だった。衝撃で原型を留めていない馬車が一両、何とか形だけを保っている馬車が一両。破壊された方の馬車の、幌を張っていた木枠は屑と化して、地面に転がったり突き刺さったりしていた。積載していた木箱はあちらこちらに散らばり、中身を露出させていた。衣類や宝石類の様であった。
御者や荷馬車の中に乗っていた人間の数人も犠牲になったようで、こちらは馬よりももっと原型を留めていない。人間だった頃の証明は、内蔵と体液で赤黒く染まった衣類だけであった。その中には荷馬車の護衛役も含まれていたようで、破壊されて鉄屑になった長剣や山刀が転がっていたが、どれが誰の持ち物なのか、最早誰にも分からない。
その中で、生存者は二名。二人とも男で、一人は中年の商人風、もう一人は青年で、若い。剣を手にしている事から考えて、どうやら護衛の様だ。数秒後には死体となっているであろう事を確信してか、二人とも恐怖で動く事も出来ないようだ。
彼らには救いが無い様に思われたが、実際は違った。
それら全ての状況を吹き飛ばすかの様にして、彼は数十メートル先からエンケラドスに跳びかかった。文字通り、彼の通った後には突風が吹き荒れた。右手にはミセリコルデに似た短剣。本来は突き刺す用途に用いる武器だが、しかし彼の持ったそれにはしっかりと両方に刃が付いていた。
彼はエンケラドスが反応出来ない速力で、怪物の頚動脈付近を切り抜ける。
怪物には何が起こったのかすら理解出来なかっただろう。怪物が初めに叩き潰した馬と同じ様に。
それくらいあっさりと、彼はエンケラドスの、丸太の様な首を落としていた。
何が起こったのか理解出来なかったのは、助けられた人間も同じに違いない。彼らとしては、怪物を前にして死を覚悟した矢先、突風と共にその怪物の首が落ちた様にしか認識出来なかっただろうから。
首を落とされたエンケラドスの身体が、腕を二、三度宙に向けて弱々しく回し、地響きを上げて倒れ付した。出血量はその体長に相応しく、あっという間に地面を赤く染め上げた。
「あ、有難うございます! 命を、助けられましたな!」
ようやく事態を把握したらしい商人風の男が一部を赤く染めたマントを翻し、未だ震える声でそう言った。生き残った護衛らしき男は、未だ呆然としていた。
「私はアグスティンと申します。今はケフィ王国とインドゥの間で行商をしておりましてな。いやしかし、この様な事になるとは…………」
アグスティンが求めた握手を興味無さげに一瞥し、怪物を倒したその男は、
「俺はエラルドという」
名乗って、持っていたミセリコルデを宙に溶かした。空気が空気に混ざるが如く、自然に消失したのだ。
アグスティンは驚いて息を呑んで、
「能力者の御仁でございましたか。いや確かに、それならあの強さにも納得がいきますな!」
感嘆した様に言った。実際、エンケラドスは、10人からなる魔術武装した剣士と同等と言われている。能力者であろうとも、未熟ならば手に余る、中級の魔獣だ。
とはいえ、その程度の魔獣を倒して賞賛されたとして、エラルドにはどうでも良い評価であり、また、礼を言われるのも筋違いではあったが。
エラルドはあくまでもアグスティンや護衛らしき青年には関心を示さず、地面に散らばった死体…………正確には衣類や木箱の中身、荷馬車に眼をやっていた。
「あの…………?」
その様子を判断しかねたのか、首を傾げるアグスティンが、エラルドの横目に映った。
「エンケラドスの生息区域は、半径数キロに渡って立ち入り禁止になっているはずなんだけどな。俺はこの国に入ってまだ日が浅いから良くは知らんのだが、ここは正規ルートなんだろ?」
「え? え、ええ…………それはまあ、その通りでございまして。本来ならば、エンケラドスの生息区域はここから数十キロ離れているはずなのでございますが」
「人を好んで捕食する訳でもない魔獣が、ここまで足を伸ばしたってのか? …………どうなってやがる」
エラルドは少し考えていた様だったが、すぐに気を取り直したように、今度は辛うじて無事だった荷馬車の幌を開ける。
「あっ!?」
アグスティンの慌てた様な声を無視して、中を覗いた。
「…………ふん」
中に居たのは若い女だった。死んではいない。生存者だ。気弱そうな面持ちで、将来は美人になりそうな顔つき。綺麗な長髪のブロンドが印象的だった。しかし、衣類はボロを着用しているので、なんとなく台無しになっている感じはある。彼女はこちらを見て震えていた。外のやりとりは見えていただろうから、おおよその事情も把握しているはずだが、ハッキリと怯えている様に見えた。
「あんたらは人買いもするのか?」
「ま、まあ…………。いえ、いえいえしかし、もちろん非合法な方法で奪ったのではありませんよ! ちゃんとした取引の元で成立した商談です」
「ああ、勘違いさせてすまったならすまない。別に人買いを非難してるわけじゃないんだぜ」
エラルドが言うと、アグスティンはあからさまにほっとした様だった。
「だが、嘘を付くのは許せねぇなぁ」
だが、エラルドのその言葉で、凍りついた様にその身体を硬直させた。
「あんたらは盗賊だろ。商人なんてのは嘘だ。木箱の中身は全部盗品。そこで地面にへばり付いてる間抜けは仲間ってわけだ」
盗賊が商人を装って略奪を行う。ありふれた手段ではあるが、実に効果的ではある。ケフィ王国とインドゥを繋ぐ正規ルートは3つ程存在するが、現在居るこのルートは最も距離が短く
、行程が楽では有るが、地形的な要因で王国騎士団の眼が届き難い場所でもあった。だから、普通は別の2ルートを使うというわけだ。入国して日が浅いため、エラルドも良くは知らないが、それくらいは知っていた。
「お前…………どうして、それを…………何故…………」
アグスティンは震える声で、顔を紅潮させながら後退した。武装したもう一人の男もまた、それに合わせて後ずさった。知られたからには当然始末しなければならないのだが、エンケラドスをあっさりと倒してしまうような男に、何をどうすれば良いのか分からないのだろう。実際、何をどうしてもどうしようもないのが、彼らの置かれた現状なのだが。
「あんたらが襲った馬車を見つけたからだよ。可哀想に、襲われた奴等はもう死んじまったがな。最後の言葉が、攫われた娘をどうか助けてください、だったんだよ」
エラルドが大破した馬車とその持ち主らしき夫妻を発見したのは、この場所から十数キロ離れた街道だった。正確には、街道から離れた森に隠されていたのだが。妻の方は既に息絶えていたが、夫のほうは辛うじて息を繋いでいた。しかし、死ぬのも時間の問題という有様で、エラルドとしては最後の言葉を聞き、その願いを叶えてやる事は、やぶさかでないのだった。
「私達をどうする! …………殺す、のか?」
引きつった顔で、どうにか言葉を繋ぐアグスティンに、しかしエラルドはあっさりと言い放った。
「いや? あんたら二人を俺は殺さないよ。どうせ、あの夫妻もこの街道を直進してたんだろうし、そうなるとエンケラドスに殺されてただろうしな。運命って奴だったんだろ」
エラルドは運命など信じていないが、心底どうでも良さそうにそう言うのだった。
「そ、それじゃあ…………」
「だがな」
ほっとした様子のアグスティンだが、エラルドの言葉で再度、身体を震わせた。
「俺以外の奴は、まあ殺すだろうな」
「……………………? 何を言っている?」
「聞こえないか?」
言われて、アグスティンは宙に目を向け、耳を澄ませた。エラルドはもう大分前から気付いていたし、エンケラドスの習性から明らかだったのだが。
ようやく気が付いたのだろう。アグスティンは絶望に顔を歪めて、その場にへたり込んだ。
「エンケラドスの恐ろしい所は、実の所その強さじゃない。…………群れで行動する所だ」
アグスティンは絶望するのも無理はない。たった一匹でも死を覚悟したエンケラドスが。
10を超えて、岩壁の向こう側から姿を現したのだから。
「た、助け…………」
アグスティンの言葉も虚しく、エラルドは既に、荷馬車の娘を抱えて上方に跳んでいた。
数十メートルはあろうかという峡谷の上に難なく跳び上がったのだ。
娘は抱えられたまま、呆然としていた。真っ青になった顔が、気弱そうな印象に拍車をかけていた。
そして忘れていた言葉を思い出したかの様に、どうにか、という様子で言葉を搾り出した。喉が緊張で乾いていたのだろう。声は掠れきっていた。
「あ、あの有難うございます」
「ああ。礼なんて要らねぇんだ」
エラルドは嘆息して、呟いた。
「お前も盗賊の仲間だろうがよ」
囁きにも近いエラルドの声に、娘は絶句し眼を見開いた。
「どうし…………て?」
「そのどうしては、何で分かったのかって事か? それとも、どうしてわざわざこんな場所まで運んでやったのかって事か?」
やはり絶句して答えない娘は、冷や汗をかき、怯えで全身が震えだしていた。
「まあな、あんたらが攫った娘の特徴くらい聞いてるさ。あんたとは全然一致しねぇ上に、腰に短剣まで巻いてやがるじゃねーか」
攫った人間が武器を持っていたら、当然取り上げるだろうに。
「そんでここまで運んだ理由は、だな」
エラルドは抱えていた娘を、峡谷の下へと躊躇なく投げ捨てた。
「気弱そうな長髪のブロンド娘に、妻がえげつない殺され方をした敵を取ってくれって頼まれたからだ」
最早どうにもならないと悟ったのか。無気力に峡谷の下へ、エンケラドスの群れへと落ちていく娘を見ながら(下に落ちきるそれまでには、既に死んでいるかもしれないが)、エラルドは、
「まあ、あんたらがこれまでしてきた事を考えれば、優しい殺され方だと思うぜ」
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コンセプトは『あまりよろしくない主人公』です。 | ||
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