うそつきはどろぼうのはじまり 32
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けれども結局、彼は一人に戻る道を選択した。

彼女が今も隣にいてくれたら、とその存在を惜しむ気持ちは勿論ある。顔が見れないのは寂しいし、声が聞きたくて堪らない。

けれど、それはきっと時間が解決してくれる。これまでもそうだったように、きっとエリーゼのことも、美しい思い出として語れるようになるのだろう。

願わくば、彼女の方もそう思ってくれているといい。

アルヴィンは代金を杯の下に差し入れ、店を出た。

二大国の楔として捧げられたエリーゼを、欲望のままに強奪する手段がなかったわけではない。彼には天を駆けるワイバーンがあり、土地を転々と旅する流浪の生活に慣れていた。しかし男は、世界を敵に回すほど愚かでなかったのである。

シャン・ドゥに帰還したアルヴィンは、ユルゲンスと無事を祝い合うのもそこそこに、早速次の仕事に取り掛かった。

「君が掛かりっきりだったお陰で、配達に遅延が出始めている。挽回に是非とも協力してくれ」

事務所の主は旅支度を解かぬまま茶を啜る。業務連絡を兼ねた軽食を摂った後、再び配達に出るのだろう。片手に湯のみ、もう片手に燻製肉や酢漬けの野菜を挟んだパンを握ったキタル族は、給湯室から出てきたカーラに行儀の悪さを窘められている。

「立ったまま食べるなんて、とんでもないわ。ちゃんと座って。――ごめんなさいね、アルヴィンさん。帰ってきて早々、仕事を引き受けさせてしまって」

彼女は申し訳なさそうに温かい茶を差し出す。湯気の立つ湯飲みを受け取りながら、男は人懐っこい笑顔で応じた。

「いや、いいよ。こっちが大混乱だってのは、薄々予想ついてたしな」

手紙で前もって知らされていた通り、本当に目の回るような忙しさだった。常にワイバーンの背には限界まで荷物が搭載され、それらは行く先々で送り届けられる。届け先で新たな運搬を頼まれることもしょっちゅうで、新たな荷物を括りつけ、次の街へ飛ぶ。世界を何周も巡り、伝票を纏める綴り紐が足らなくなってきた頃、男はようやく一息入れることができた。

久方振りに事務所へ戻ろうと足を踏み入れた街には、明るい布がいくつも垂れ下がっていた。崖の上の高みから、吹き抜ける風にたなびく色取り取りの織布を見て、アルヴィンは祭りの到来を知った。

「もう闘技大会の季節になってたんだな」

早いもんだ、とアルヴィンは事務所の壁にかけられた暦を感慨深そうに眺めた。あれからひと月近くが経過していた。思い出す暇もなかったな、と今更のように回顧する。

「ええ。開会されてから、街は連日すごい人出よ。ラ・シュガルからの旅行者も多くて、買い物に出かける度に結構話しかけられたわ。像の謂れとか、美味しい食べ物を知っているかとか、あの布は何だ、とか」

今でこそ運送屋の事務員をしているが、カーラの本業は教師である。普段は子供達を相手に教鞭を執っているだけあって、常に温和な、話しかけやすい雰囲気を醸している。観光客から質問攻めに合う、というのも頷ける話であった。

窓辺から見下ろす街は、確かにカーラの言う通り、これまでにないほどごった返していた。予想屋の威勢の良い掛け声があちこちでしているし、路地に並ぶ露店の数も、普段がどうだったか思い出せないくらい多い。

「織布といえば、あの青地の奴。あれすごい目立ってるな」

アルヴィンが感心したような声を上げる。

「え? ああ、あれね」

男が指差した織布を見て、カーラの表情が僅かに曇った。

「どうかしたのか?」

「いえ、あれは・・・実はレイアと私で仕上げたものなのよ。未完成のままで届けられたのだけど、お蔵入りするにはあまりに勿体無かったから」

見事な図柄でしょう、とカーラは書類を束ねながら微笑む。

「ああ。あれってワイバーンだよな?」

「流石は乗り手ね。ユルゲンスも一目で見抜いたわ。良く観察してるって。よっぽど近くで、何度も見たのだろうって。本当に見事だったの、エリーゼさんの下絵は」

アルヴィンは言葉を失った。目に付いた作品が、まさかエリーゼが描いたものだったとは思いも寄らなかったからだ。

青地に金の縫い糸で縁取られた一匹の魔物。長い首に鱗の様な体毛、長い尾、そして二つの翼。アルヴィンは、一目で図柄が飛竜だと分かった。それは、刺繍のワイバーンが自分の相棒に、あまりにも酷似していたからだった。

近くで、何度となく目にしていたから、描けた姿。近くで、何度も。

「アルヴィンさん?」

我に返ると、カーラが不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。

「ああ、悪い。――何?」

「次のお仕事の話です。カラハ・シャールのドロッセル様からご指名がきていますけど・・・」

どうしますか、という問い掛けに、男は空になった湯飲みを卓に置くことで答えた。

軽やかに腰を上げたアルヴィンは一路カラハ・シャールを目指した。

港町として栄えたこの街が心無い放火に見舞われたのはつい最近のことである。だが焼け焦げた街並は、もうすっかり以前の活気を取り戻していた。

「皆のお陰よ。わたしは何もしていないわ」

挨拶も兼ねて復興の手腕を褒め称えると、女領主はころころと軽やかに笑った。

「謙遜だな」

「本当のことよ。道も建物も、みんな街の人たちが総出で作り直したの。わたしはただ、国や他の領主達に、助けて欲しいと言っただけ」

ドロッセルは頼んだだけと言うが、彼女がすぐさま発令した援助要請がどれだけ大きな援けとなったことだろう。

道一つ、建物一つ修繕するにも、物資や多くの人手が必要だ。それらを見栄も面子も捨てて周囲に乞うた、彼女の決断は英断と呼んで差し支えない。若きシャール家の当主は、明らかに己の役割を自覚していた。

「運んで貰いたいのは、そんな大した物ではないわ。あのごたごたで持ち出せなかった、エリーの私物。あと、私の書簡」

運び屋は躊躇いがちに荷物を受け取ると、大事そうに抱えた。

「分かった」

「良ければ戻ってきてから、彼女の様子を教えて頂戴。エリーから、あまりにも連絡がないものだから、元気にしているか心配で・・・」

嫌な予感がするの、とドロッセルは口を噤む。

 

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