オリジナル百合小説 「つまさきほど」 第2節
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 2. トーク・トゥ・ハー

 

 

 明くる日の朝。登校の時刻。なんでもない風を装いながら、そして自分にそうと言い聞かせながら、それでも私は心のどこかで気にかけていた。

 あの子を置き去りにして本屋を去った昨日。このまま学校に行けば、あるいは道の途中でも、今日のうちに彼女とはまた顔を合わせることになるだろう。その事情が私の心に重しを乗せていた。そのことを自分自身で理解しているのだけれども、ただそれを認めるのが嫌で、いつもの自分の冷静さを装っていた。

 自宅から住宅街、通学路、国道沿いの歩道、学校へ向かう生徒ばかりの一本道。校舎の裏側の校門、げた箱、靴を履きかえて階段、二階、二年一組の扉、教室の中、私の席。

 そこまで、あの子に会うことはなかった。しかしそれで安心することもできなかった。いつ突然やってくるか分からないということは、今までの行動パターンから考えられる。それでも私は落ち着き払っていた。少なくとも表面上は、そう装うのが得意なのでそうしていた。

 続々と登校したクラスメイトが集まってくる。教室が騒がしくなる。予鈴と本鈴がなる。そうして、一日が平常の始まりを迎えた。

 

 

 何故だか一際集中できた授業のあと、お手洗いに行くため教室を出た。そうすることに一瞬のためらいを感じたけれど、今日一日ずっと教室の中にいることができるわけでもないので、仕方がない。廊下には人が溢れていて、休み時間の喧騒があった。人だかりの先、横目に姿が視界をかすめる。

 ……。

 二組の教室前、さらにその向こう。私は自分が何を考えているのか解らなかったけれど、その姿が遠くにあることを認識して安心を得ることができた。どこにいるか分からない存在よりも、居場所が目で見えている存在のほうが、予測をつけられるという点において心配しなくて済む。それが恐怖であろうと、何であろうとだ。いつの間にか心にまとわりついていた不安感のようなものは消えていた。

 お手洗いを済ませて教室に戻る。休み時間は終わり、生徒たちは教室へ入り込んでいく。そうすればとりあえずは外敵から身を守れるのだ。授業が始まる。いつもより優れた集中力で勉強をしながら、私は学校というシステムについて考えていた。

 他のいかような場所でも関わりのない人と出会うことができる場所。交流を持つことができる空間。そんな狭いところのようでいながら、全く関係を持たずに3年間を過ごすことだってある。人が多すぎるからだ。沢山の人間が詰め込まれている穴ぐら。そんなところで出会って、交流を持ち、親しくなり、特別な関係を築くことだって出来るシステム、それが学校というもの。

 私たちがそんな機構じみた学校で触れ合ったことは、果たして意味のあることだったんだろうか。……いや、あるいは私たちは学校というものが無くても、集団の外でも、街角でも、どこでだって触れ合えたんじゃないか? 私たちには、それが有り得るだけの可能性があった。

 

 

 その日は最後まで、あの子が接近してくることはなかった。遠目に姿を見かけることは何度かあったけど、私に気付いて近づいてくる様子はなし。いきなり押しかけてくるようなこともなくて、最後の懸念だった校門前での待ち伏せもない。私は一人で帰ることができた。

 

 

 それから数日、相変わらずあの子の存在は私に近付いてこない。同じ学年なのだから視界にお互いが入るのが当たり前だろうけど、それでも直接の接触はなかった。私の方から彼女に接近していくことはないから、接触するとしたら彼女がこちらに来るしかない。それでもなんの出来事もなかった。

 数日前の出来事はなんだったんだろう。あの子が突然話しかけてきたこと。私を待ち伏せして一緒に帰ったこと。本屋で不思議と落ち着いた時間を過ごしたこと。そして、名前を知っている私を問い詰めた……。

 まるでそんなことは全て無かったかのように、毎日が平常に戻りつつあった。むしろ今は一方的に私が気にしているだけで、向こうはもうなんとも思っていないのかも知れない……と考えてみた。

 だけど、そんなことはありえないのだ。

 

 

 私は積極的な観察を始めた。休み時間にできるだけ廊下に出て、彼女の姿を探す。見つければ、時間の許す限り観察してみる。だけどまだ近付いて話しかけたりはしない。もともと私から彼女に会いに行ったことはないんだから。ただ今は相手の反応を見続ける。そうすれば分かることがあるだろう。

 あの子は廊下でクラスメートと喋っていることもあれば、教室から出てこないこともあった。教室移動の際にはチャイムが鳴るぎりぎりの時間に行動しているようで、鉢合わせすることもなかった。

 そうしていくつかの休み時間を過ごしていると、必然的にニアミスが起きることになる。どうしたって同学年の生徒は距離が近い。むしろ全く近付かないでいる方が不自然っていうものだ。

 ある休み時間に予鈴が鳴って、私は教室に戻ろうとしていた。その時、クラスメートがある用事で話しかけてきて、廊下に出たまま少し話すことになった。すると、向こうからあの人物はやってきた。

 彼女は教室移動のようで、教科書を抱えて私の教室の前を通り過ぎようとしていた。私はそこに立っていたのだ。私が彼女の姿を認めた瞬間、彼女がこちらを見た。

 目が合った。

 そのまま早足で歩き去っていく。本鈴まで時間がないんだから急いで向かうのは当たり前だろう。だけど、あれだけ私にまとわりついたあの子が、何の一言も無しに無視して去っていくのはおかしいことだろうと思えた。

 あの子は、私と関わらないようにしている。春に突然話しかけてきて、学校や帰り道で会話をして、それでも私を遠ざけようとしている。

 その理由には、心当たりがあった。私はあの子の事情を、理解し始めていた。

 

 

 校内にはいくつか、自販機がある。私は味の濃いジュースがあまり好きじゃないので普段は緑茶、烏龍茶、ジャスミン茶くらいしか買わない。あるいは校外にこっそり出て学校近くの自販機でミウのレモンを買う。これはフレーバーウォーターというやつで、レモンの風味はあるけれども味はしない。ただの水だ。こんなのを飲んでいると、友達からは「なんでただの水が好きなの?」と訊かれることがある。でも好きだからよく飲む。

 そんな私が自販機でジュースを買っていると、たまたま居合わせた仲のいい友達に怪訝な顔をされた。

「めっちゃ珍しいね。美里奈が炭酸ジュース買うとは……」

「たまにはね」

 校内にはあまり炭酸ジュースの種類がなかった。買ったのはペプシネックス。私は炭酸の飲み物が好きじゃない。もっと言えば、人工甘味料が入っている飲み物なんて嫌いだ。決して自分では飲みたくない。

 

 

 私のクラスのホームルームの時間が、たまたまこの日は早く終わった。他のクラスがまだ終っていないので騒がしくすることは推奨されてないけども、皆は放課後ということで各々の活動を始める。

 私は帰り支度を早々に済ませて、友達に断りを入れた。

「私、今日用事あるから先、帰るね」

 また明日、という挨拶を交わして教室を出る。他のクラスはまだ静かなままだ。私は階段を下りてげた箱で靴を履き替え、急いで校舎を後にする。

 目的は、触れ合いだ。

 

 

 私は正門に向かう。自分の帰り道とは違う校門だ。しかし前に、たまたまあの子が正門から帰っていくところを見かけてしまった。ストーカーされていたかも、とか考えていたのにまるで自分がストーカーみたいだな……とちょっと思ってしまう。

 門の影に隠れる。学校から出てくるまでこちらの姿は見えないはずだ。

 しばらく佇んでいると、下校する生徒がちらほら現れ始めた。もし門を通りすぎればあの子の姿は一目で分かる。一人で帰るかどうかは分からないけども、お構いなしだ。なんせこちらもお構いなしで襲撃されたんだから。

 鞄からあらかじめ買っておいたペプシネックスを取り出す。まるで釣り餌みたいだ、と思いつつもそのままでしばらく待つ。

 何人も生徒が帰路に向かっていく。一人の人もいる。二人や三人で帰る人もいる。それを見て、今更一人でいてくれた方が面倒くさくないな、と思った。

 

 

 突然、心臓が急に血液を送り出したかのような感覚が、あの姿を見た瞬間に全身に伝わった。

 飾りっ気のない黒のショート。私と同じ極端に黒い色の自毛だが、ほんの少しだけ茶色を入れている私と違って、そのままにしている。どうして気付かなかったのか、その軽い影の様な姿には不思議な存在感があった。近くにいる時には気付かなかった色、一人でいる時に初めて異彩を放つ、主張する色。彼女が一人で歩いていると、近寄り難いような雰囲気すら感じられた。

 ぼうっとしている場合じゃない。

 ペットボトルを握りしめて、通り過ぎていく彼女の後ろから右肩を叩いた。

 

 

「えっ……?」

 私はまだ平静を装えているのか、自分で分からなかった。でも彼女はそれ以上に驚いたようで、振り向いたそこに私がいたことに動揺していた。

「あの……どうしたの……桂田、さん」

「これ」

 準備していたペットボトルを差し出す。

「これ……私に? おごってくれるの?」

「ええどうぞ。私のおごりだから飲んでいいよ」

 と言うと、彼女は好物を手にして少し落ち着いてように見えた。プシュ、と炭酸の抜ける音を立てて蓋を開けると、そのまま口をつけた。

 そのまま、ごくごくと飲み込んでいく。……ちょっと待て。一口でどれだけ飲むつもりなんだ。

 はぁーっと大きな息をついてやっとペットボトルから口を離すと、彼女の表情に明るい色がさしていた。

「ジュース飲んで落ち着いた?」

「……私が炭酸好きだって、覚えてたんだ」

「あなたほど美味しそうに飲む人、いないからね」

 私は彼女が一人でいるらしいことを確認する。

「時間があるなら、ちょっと用があるんだけど」

「話? 時間はあるけど」

「……そう。分かってるなら付いてきて。ここじゃよくないから、二人で話せるところ」

 

 

 もう一度校門を通って向かったのは、校舎の裏側から校庭に降りるところにある階段だ。校舎側とは離れていて、校庭側は既に部活が始まっていて騒々しい。ここなら誰かに会話を聞かれる心配がない。

 数段を降りて中程で立ち止まると、彼女はその下の段まで降りて腰を下ろした。……平然とそんなところに座るないで欲しい。仕方ないので今日はまだ使ってないハンカチを取り出した。

「ちょっと腰上げて。スカートが汚れるのを気にしなさいよ」

「ああ、ありがと。つい」

 尻の下にハンカチを敷いてやる。私のハンカチが汚れるのは別にいい。スカートが汚れることの重大さを解っていないんだな、この子は。

「……」

 私も彼女も同じ方向を向いている。私は立ったままで、一段下の彼女の頭を見下ろす。校庭で運動する生徒たちを見ながら、彼女はペットボトルを手でもてあそんでいる。

「ねえ」

 意外にも、口を開いたのは彼女が先だった。

「何?」

「いつから気付いてたの、私のこと」

 私は少し口ごもってから、返答する。

「炭酸と緑茶のあたり」

 待ち伏せされて一緒に下校した日のことだ。彼女は自分のために炭酸、私のために緑茶を買った。私は何もリクエストしていないのに。

 でも、本当はその後。笑顔を見た瞬間だとは、気恥ずかしくて言えなかった。

「今でもお茶、飲むんだね。変わってないって思った」

「あなたこそ本当に昔からジュースが好きだね。子供っぽい」

 そう、昔から、だ。

「美蘭」

 名前を呼んだ。

「何年ぶり?」

「あの頃は小学、何年生だっけ。9年ぶり。お姉ちゃん」

「……子供の頃は、お姉ちゃんなんて呼んだことないくせに」

「うん、今初めて呼んだな。でもお姉ちゃんだもんね」

「双子なんだから姉も妹もないようなものでしょ。名前で呼び合ってたし」

 彼女が振り向いて私の顔を見た。

「うん。……美里奈」

「久しぶり、美蘭」

 話したいことが沢山ある。いつ戻ってきたのか。なんでこの学校にいるのか。お父さんとお母さんはどうなっているのか。でもそんなことは二の次でしかない。

 一番大事なのは、私と美蘭、二人のこと。

「昔は本当に24時間一緒にいたのにね。美蘭に気付かないなんてどうかしてた」

「9年ぶりだもん。美里奈も髪がすっごい伸びてるし、ちょっと染めてるし、最初見た時は私も気付かなかったんだよ」

「でも、美蘭は9年ってほどには変わってない」

「そうかな? さすがに小学生の頃からは大分成長したと思うけど」

「見た目はね。中身が一緒だよ。本当、昔と一緒……」

 積極的なくせに不器用。変に気を使う。

 突然私に近付いてきたくせに、その手段が下手すぎる。ちょっと嫌な気を見せると、話しかけてこなくなる。

 変わってない。あの笑顔も。

「一緒に産まれた仲なのに、なんでこんなまわりくどいことするの」

 少し、攻めるような口調で言い放った。

「……だってさ」

 美蘭らしくない戸惑ったような喋り方で、ゆっくり話し始める。

「……ずっと、会いたかったんだよ。9年間ずっと、そう思ってた。美里奈と離れ離れになってからこっちに帰ってくるまで、とにかくずっとそう思ってた」

「私たち、双子だけど人生の半分も一緒にいないでしょ。ぎりぎり半分未満。それに子供の頃のことなんて大分忘れてるし」

「私は覚えてる」

 美蘭の眼が真剣になった。

「子供の頃のこと、沢山覚えてるよ。美里奈が忘れてること、全部私が話して思い出させてあげてもいい」

 私は返す言葉に詰まった。

「美里奈は私とまた会えたこと、あんまり嬉しくない?」

 答える言葉を、やっと見つけることができた。 

「……本当はすごい嬉しいよ。ごめんね、表情があんまり顔に出ない人間になっちゃって」

 美蘭が目を細めて笑った。やっぱり、この笑顔は覚えている。

説明
ちまちまと書き進めているオリジナルの百合小説です。ここまでが書き溜めてた分です。
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