真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜 第十九話 ESCAPE |
真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜
第十九話 ESCAPE
壱
「うわ〜。こりゃ凄ぇや……」
北郷一刀は、目の前に広がる広大な森林を前にしてそう呟き、溜め息を漏らした。
「ん?何がだよアニキ。この位の規模の森なんて、結構あるじゃん?」
文醜こと猪々子が、一刀の言葉に不思議そうな顔でそう答えると、一刀は逡巡してから小さく首を振った。
「大きさの事じゃないよ……まぁ、猪々子や鈴々には、口で説明するよりも実際に体験してもらった方が早いだろ」
「ふむ、何やら絡繰があると言う事ですかな、主?」
趙雲こと星が、どこか愉快そうにそう尋ねると、一刀は黙って頷き、愛馬“龍風”の腹を優しく蹴って、その歩みを促した。
「別に、何か変わった所は無さそうですけど……」
一刀に続いて森に入った顔良こと斗詩が誰にともなくそう言うと、張飛こと鈴々が同意して頷いた。
「そうだな〜。普通に森なのだ―――ちょっと気持ち悪い感じはするけど……」
「んー、鈴々?」
「はにゃ?何なのだ、お兄ちゃん?」
「お前、ちょっと馬から降りて、そこの森の入口に向かって、全力で走ってってみな」
「へ?別に良いけど、どうしてそんな事しなきゃいけないのだ?」
鈴々が、頭の上にハテナマークを浮かべながら問い返すと、一刀はにっこりと微笑んで言った。
「それが、さっきの俺の言葉を説明するのに一番、手っ取り早いからさ」
「ふ〜ん。分かったのだ!」
鈴々は、まだ合点がいかないと言う顔をしてはいたものの、素直に馬から降りて、百尺(約30m)ほど後方にある森の出口に向き直った。
「よーし、行くのだ!うりゃりゃりゃ〜!!」
鈴々は、スタートダッシュも鮮やかに大地を蹴ると、瞬く間に森の出口に到達し、光の指す外へと突っ込んで行った―――と、次の瞬間。
「ふぇ!?」
鈴々は、何故か“目の前に居る”一刀と仲間達の姿をポカンとした顔で見つめながら、慌てて急ブレーキをかけ、高々と土煙を上げて停止した。
「ウソだろ……」
「そんな……」
「これは面妖な―――」
一刀を除く仲間達も鈴々と同様、『何がなんだか解らない』といった表情で、お互いの顔を見合う事しか出来なかった。鈴々は、確かに森の外に飛び出して行った。それは目の前で目撃していた事であり、間違えようのない事実だ。しかし現に、外に向かっていった筈の鈴々は、引き返した様子もなく、全くの“突然に現れ”、彼女達に向かって疾走して来たのである。
「―――とまぁ、こう言う訳だ」
一刀が、三人の顔を見ながら面白そうにそう言うと、一早く我に帰った星が、秀麗な眉を吊り上げて一刀に尋ねた。
「主……これは、罵苦の妖術と言う事なのですかな?」
「ん〜。まぁ、ざっくり言えば正解だな。最も“これ”はもう、そんなレベルのもんじゃ無いけど……」
一刀は、どう説明したものかと腕を組んで考え込みながら、口を開いた。
「普通、“外から誰も入れない”とか、“一度入った者を出さない”とかって言う呪法や結界は、対象が霊体とかの場合を除けば、その大半が、被術者の方向感覚を狂わせるとか、謂わば、精神に働きかけるものなんだけどな……これは、森から外に面した全ての空間“その物”を遮断してる―――正直、これだけ規模で、これほど高度な結界を展開するなんて、既に呪術だの妖術の範疇を超えてるんだ。敢えて言うなら、“魔法”だよ」
「アニキ……頼むから、アタイにも解る様に説明してくれよ……」
「うぅ……鈴々にもなのだ……」
一刀の説明を聞いた猪々子がゲンナリした顔で溜め息を吐くと、横の鈴々もワシャワシャと両手で頭を掻きむしる。その様子を見た斗詩も、顎に手当てて言った。
「確かに、私達にはちょっと話が難し過ぎますね……」
「うむ。主は理屈が解っておいでだから良いのでしょうが、我々には何が何やらサッパリですぞ」
腕組みをした星も、斗詩の言葉に頷いて、眉間に皺を寄せて唸った。
「そうだよなぁ……。まぁ、差し当っては、この森全体が、“入る事は出来るけど出る事は出来ない”って言う妖術に掛かってる、と考えてもらえれば十分だよ。色んな概念とかの話なんかしてたら、一日終わっちまうからな」
一刀がそう言って肩を竦めると、猪々子が口を尖らせた。
「何だよ、それで済むなら、最初からそう言えよな〜。何か、頭使って損したぜ……」
「そうなのだ!鈴々、危うくアタマ痛くなる所だったのだ!」
「そうか……何か、すまん……」
一刀は、何故か自分が責められる事への不条理を感じながらも、取り敢えず怒れる肉体派二人に詫びを入れて、気持ちを切り替える様に煙草を出して火を点けた。
「ともあれ、これで放っておいた式神が愛紗たちを見つけられなかった理由も、((漸|ようや))く解ったよ。これだけの結界なら、((千里眼|クレアボンス))や使い魔による偵察への偽装も完備してるだろうからな」
「まぁた難しい言葉が出てきた……って、アニキの言う通りなら、アタイ達、もうこっから出られないって事かよ!?」
「うむ、余りにあっさり言われたものだから、つい聞き流してしまったな―――で、どうなのです、主?」
星が、猪々子の取り乱す姿を面白そうに一瞥して一刀に水を向けると、一刀は、煙草の灰を携帯灰皿に落としながらけろっとした顔で「大丈夫だろ」と、答えた。
「なんか、凄くサラッと言いましたね……でも、本当なんですか、それ?」
斗詩が、呆れと不安が綯交ぜになった様な声でそう尋ねる。
「あぁ、こんなに大規模な結界、何の対価も無しに維持し続けられる訳がない。恐らく、相当、力のある祭具か何かを依り代にしてる筈だ。そいつを壊すなりすれば、普通に出られるさ」
「ホントにホントか?お兄ちゃん?鈴々、一生こんな肉まんもラーメンもない森の中なんて嫌なのだ……」
「嫌なのはそこなのか……歪みないな、鈴々……兎に角、大丈夫だって!昨日の斗詩の話じゃ、ここ半年位は被害者は出てないって話だったろ?それはつまり、罵苦がこの場所を一度、撤退したか廃棄されたって事だ。この結界が存在するだけで恒久的に作動し続ける類の代物なら、被害者は出続けてた筈だからな」
一刀が自信ありげにそう言って鈴々を励ましていると、横にいた星が、馬上で朗らかに笑った。
「鈴々よ。どの道、愛紗たちを助けなければ話になるまい。今は、目の前の敵の事だけを考えていれば良いのだ」
「だな!頭使うのは、アニキがやってくれるだろーしさ」
「文ちゃん、文ちゃんはもうちょっと……何でもない……。でも、ご主人様、こんな広い森で、どうやって愛紗さん達を探しましょうか?この辺り全体が敵の勢力圏なのが分かった以上、分散するのは危険ですし……」
能天気に笑う猪々子の横で溜め息を吐いた斗詩が一刀にそう問いかけると、一刀は胸のポケットをゴソゴソと漁って、卑弥呼からもらった通信機のボタンを押してみた。
「う〜ん。やっぱり卑弥呼には繋がらないか……((通信妨害|ジャミング))まで掛かってるとか、徹底してるなぁ……。となると、取り敢えずは式神をありったけ放して索敵させながら移動しつつ、式神が何か見つけるなり、俺と龍風が気配を察知するなりするまで様子を見るしかないな……」
「んだよ〜。そんなに大雑把なのかよ。凄ぇ自信満々だったから、朱里とか雛里みたいにビシッと解決してくれんのかと思ってたのにさぁ」
「へぇへぇ、凡才で悪うございましたよ―――ったくもう」
一刀は、猪々子の皮肉に肩を竦めてコートの内ポケットをガサゴソと漁ると、様々な動物の形に切り抜かれた紙片の束を、何回かに分けて取り出した。龍風の鞍の上に積み上げられたそれは、軽く一抱えはありそうな程の量である。
一刀は、紙片の山を一瞥して「さて……」と小さく呟くと、他の四人が固唾を飲んで見守る中、紙片に右手を添えて目を閉じた。
「我に従いし三十六の獣よ。我が名に依りて((顕現|けんげん))し、その命ずるを果たせ……」
一刀がそう呟くと、紙片の山は((俄|にわ))かに律動し、一瞬の沈黙のあと、突風に煽られた様に空中に舞い上がった。
一行が驚きの声を上げながら見つめていると、紙はやがて、あるものは四本足の獣に、ある者は翼ある猛禽に、ある者は伝承に語られる神獣へと姿を変え、凄まじい速度でそれぞれに森の中へと消えて行った。 その姿は、全てが掌ほどの大きさである事を除けば、実在の獣そのものであった。
「凄いのだ!ちっこい牛がいたのだ!!でも、あれじゃ丸焼きにしても一口で終わっちゃうのだ……」
「鈴々よ、驚く所はそこではないと思うのだがな、私は……」
星が、自分の袖を引きながら百面相をしている鈴々に向かって深々と溜め息を付いていると、その横にいた猪々子も、興奮して大声を出しながら馬から身を乗り出し、隣の馬上の斗詩の肩をガクガクとゆすっていた。
「うわ、見たかよ斗詩!龍だぜ、小さい龍!!あれをやっつけたら“龍殺しの文醜”とか名乗れっかな?あ、いや、それより、見世物小屋でも開いた方が儲かるかも……」
「文ちゃん……それ方向性間違ってるよ、絶対……」
一刀は、それぞれのお守役二人がこめかみを指で押さえながらツッコミを入れている姿を見遣って、愉快そうに笑った。
「まぁ、流石は豪傑って事で良いんじゃないか?そう言う二人も平然としてるみたいだし―――胆が据わってるよなぁ。俺なんて、卑弥呼に初めて“これ”見せられた時なんか、軽くテンパったのにさ」
「いえ……何だか、隣の人がこんなに反応してると……」
「逆に冷静にならざるをえないと申しますか……まぁ、それはさて置き、主よ。我々は、どの様な道程で進みますかな?」
斗詩の言葉を絶妙なタイミングで引き継いた星は、緩々と首を振ってから、一刀にそう問い返した。場を引っ掻き回すのが大好きな彼女にしては珍しく、能動的に話を進めようと思い立ったらしい。
まぁ、どんな大酒飲みでも、隣の人間が自分より酔っていると酔いきれないと言うから、それと似たようなものなのだろう。一刀はそう思う事にして、星に顔向かって口を開いた。
「そうだな―――取り敢えずは、ここから続いている林道を辿って行こう。確か、天和達は馬車を使ってるんだろ?それなら、もし罵苦に襲われたとしても、余程の事がない限りは大きく道を外れるとも思えないし、今、放った式神は俺が作ったんじゃなくて、卑弥呼から譲り受けたモノだから、あの大きさの中では飛び抜けて優秀だ。結界の中に入り込んだ以上、もし愛紗達が獣道の奥深くに居るとしても、見逃す事はまず無いだろうから」
「成程―――承知致しました。斗詩も、それで良いか?」
星が一刀の言葉に頷いて、斗詩に同意を求めると、斗詩も大きく頷いて「はい。異論はないです」と応えた。
「では―――と。おい、二人共、いつまでそうして居るのだ。出立するぞ!」
星は、未だ興奮冷めやらぬ様子で騒ぎ合っている鈴々と猪々子に向かって、苦笑を浮かべながら声を掛けた―――。
弍
「ありがとうね、愛紗ちゃん」
張角こと天和は、泉の((辺|ほとり))で裸になっている自分に背を向けて、近くの岩に腰掛けながら周囲を警戒している関羽こと愛紗に礼を言った。
「何だ、天和―――藪から棒に」
愛紗は、僅かに顔を天和の裸の背に向けて、訝しげに小さく眉を((顰|ひそ))めた。
「だって、私達が言い出した“つあー”に付いて来てくれたからこんな事になっちゃったのに、文句も言わないで助けてくれて―――今だって、こうして私達のワガママを聞いて、身体を洗わせてくれてるし……」
「どの道、小休止は必要だった。お前達の頼みは、そのついでだ。お前達の護衛を引き受けたのも私の意思だし、気に病む事などない。そんな事より、早く身体を洗ってしまえ……風邪を引くぞ」
「―――うん、ありがと♪」
天和は、再びプイと顔を前方に戻して頬を掻く愛紗を嬉しそうに見つめると、布で身体を洗う事に没頭した。彼女達が、罵苦の被害調査を兼ねた“慰撫つあー”からの帰路に就いてはや五日、この森に足を踏み入れてからは、((直|じき))に丸三日目になろうとしていた。
その間、彼女達は、罵苦とおぼしき怪物の襲撃を、三度に渡って受けていた。いずれも愛紗と彼女率いる十名の兵士達が撃退してはいたが、愛紗に言わせると『どうにも、本気でこちらを潰すつもりとは思えない』との事らしい。
戦や戦術に疎い天和でも、愛紗の言っている事を何となくは理解する事が出来た。確かに、襲って来た怪物達は、余りにもあっさりと退散して行った様に見えたのである。
「ねぇ、愛紗ちゃん」
「今度は何だ、天和?」
「あいつら、また襲って来るのかな?」
天和が、乾いた布で身体を拭い、衣服を身に着けながらそう問いかけると、愛紗は顎に手を当て、まるで、そこに髭でもあるかの様に、指で摩りながら考え込んだ。
「まぁ……来る、だろうな」
「そっかぁ……」
「うむ―――今まで襲って来た奴らは、様子見に“軽く一当て”と言った感じだったし、いずれも単独行動の別個体だった。このまま引き下がるとは思えん。それに―――」
「それに?」
「いや、何でもない―――些細な事だ」
天和が、尻すぼみになった愛紗の言葉を促すと、愛紗は小さく首を振った。『以前、自分が交戦した罵苦とは明らかに違う』そんな事を天和に言ってみたところで、何がどうなる訳でもない。
それどころか、余計に彼女を怯えさせてしまうだけだろう。
「さて、もう良いか?今日はもう少し進みたいのだ。いい加減、明日にはこの森から出てしまいたいからな」
「うん。もう良いよ―――ねぇ、愛紗ちゃん」
「ん?」
「出れるよね、私達……この森から……都に、帰れるよね?」
すっかり身支度を整えた天和が、不安げな眼差しでそう問いかけると、愛紗は、労わる様な笑顔で、天和を見返した。
「当然だ……お前達を守っているのは、誰だと思っている?」
参
「もう、遅いよ姉さん!心配したじゃない!」
扉の開け放たれた馬車のタラップに座っていた張宝こと地和は、愛紗と天和の姿を見つけて飛び上がる様に立ち上がり、不機嫌そうに大きな足音を立てて、二人に向かって歩きながら大声を出した。
「ごめんね〜、ちぃちゃん。ほら、お姉ちゃん、ちぃちゃんと違って洗うトコロが沢山あるから……」
「どー言う意味よ、それ!?」
地和が、思わせ振りな姉の言葉に肩を怒らせて食ってかかろうとすると、天和は((態|わざ))とらしい叫び声を上げて、愛紗の背中に逃げ込んだ。
「まぁまぁ、落ち着け地和。人和はどうしているのだ?出来れば、今日はもう少し先に進みたい。その事を伝えたいのだが……」
愛紗が、天和を追い掛けようとする地和をどうにか手で制してそう尋ねると、地和は渋々と言った様子で天和を捕まえるのを諦め、腰に両手を当てて鼻から息を吐いた。
「人和ならさっき、休憩してるあんたの部下に地図借りに行くって言ってたわよ。そっちじゃない?」
愛紗は、地和の不機嫌そうな言葉に黙って頷くと、((踵|きびす))を返して、今、馬車を守っている兵と交代で休憩に入っている部下達の元に向かって歩き出した。
後ろから、再び追いかけっこを始めた二人の姦しい声が追い((縋|すが))って来る。愛紗は二人に気づかれぬ様に苦笑いを浮かべて、小さく首を振った。
思えば以前、主である北郷一刀が彼女らに会いに行く際には、やっかみ半分に随分と皮肉や小言を言って眉を((顰|ひそ))めたものだが、そんな時、主は決まって「そりゃ楽しいは楽しいけど、何も楽しい事ばかりでもないんだよ?」と、困った様に言って微笑んでいたものだった。
当時は言い訳じみて聞こえていたものだが、今の愛紗は、その言葉が純然たる真実であったと思い知っていた。姦しい事には十分耐性があるつもりではあったが、彼の三姉妹が蜀には居ないタイプの少女達であった事に加え、これまでは滅多に話をした事も無かった為、最初の数日は、気疲れで床に入った瞬間に泥の様に眠ってしまった程であった。
特に、唐突に始まる天和と地和のじゃれ合いは、昔の愛紗であれば辟易して怒鳴りつけていたかも知れない位に頻発し、しかもそれが延々と続くのだから困ったものだった。人和が止めてくれる時はまだ良いが、彼女は慣れきってしまっている為か、多少の事では仲裁に入る気にもならないらしいので、大概の場合、愛紗は天を仰いで、どうしたものかと途方に暮れるしかなかったのである。
しかしまぁ、そこはそれ。女同士と言う事もあり、ひと月以上も寝食を共にする内に、随分と慣れた。愛紗自身、普段の振る舞いはどうあれ、三人の歌と舞台に賭ける真摯さは好ましいと思っていたし、それを意気に感じたからこそ、今回の護衛役を買って出たのである。
「―――人和。少し良いか?」
愛紗は、休憩中の兵士達から少し離れた所で、羊皮紙に描いてある地図を難しい顔で睨んでいた張梁こと人和の背中にそう声を掛けた。人和は、地図から顔を上げて愛紗の方を振り返ると、小さく頷いて眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ちょうど良かった。私も、愛紗さんに話したい事があったから」
「そうか……」
愛紗が、人和の言葉に答えながら、視線を談笑している兵士達に向けると、彼等はその意味を察して車座になって座っていた地面から立ち上がり、馬車の止まっている方に向かって歩き出した。
「悪い事しちゃったわね。休憩中だったのに」
人和が、兵士達の背中を見ながらそう呟くと、愛紗は微笑して言った。
「兵士の休憩と言うのは、一般に言う休憩とは似て非なるものだ。気にする事はない。それに―――あいつらにしてみれば、お前達の近くに付いて居られると言うだけで報奨の様なものだろう。最初の数日などは、鼻の下を伸ばしっ放しだったしな。まったく、何度、怒鳴りつけてやろうと思ったことか……」
「ふふ、意外ですね。愛紗さんが、そう思ってもやらなかったって」
「そうか?本来は優しいものだぞ、私は。周りが、怒らなければ直ぐにサボろうとする連中ばかりなだけで」
「えぇ、そうなんでしょうね」
「は?……あぁ……まぁ、な……」
愛紗は、星辺りが居れば『どの口が言うのか』と、冗談めかして言い返される様な軽口に、人和が素直に頷いたのを見て、思わず頬を赤くして生返事をしてしまった。
「どうかしました?」
「あ、いや……普段なら、冗談で片付けられる類の台詞に素直に納得されてしまったから……何と言うか……な」
愛紗が思わず口篭って頬を掻くと、人和は僅かに笑った。
「だって、一刀さんがよく言ってましたから……」
「む……ご主人様が?」
「はい―――私達がまだ都に来て直ぐの、愛紗さんと殆どお話もした事がなかった頃……愛紗さんは、よく一刀さんや鈴々ちゃん、星さん達を叱っていたでしょう?」
「そう……だったか?まぁ、今でも鈴々や星に対してよく説教はしていると思うが、お前達の目に付く所でご主人様を叱ったりは……いや、していたかも知れないな……」
人和は、決まりが悪そうに顎を摩る愛紗の言葉に頷くと、話を続けた。
「たまたま私が、そう言う場面に出くわす事ばかりだったの知れないけど……でも、愛紗さんて、何となく怖い方なのかな、と思ってて……それで、一刀さんと仕事の打ち合わせをしてる時に、聞いてみたんです。『愛紗さんて、やっぱり普段から怖い人なの?』って―――あ、気を悪くしたのならごめんなさい」
「いや、もう慣れた……。で、ご主人様は何と?」
「一刀さんは、『そんな事ないよ。愛紗は、本当は凄く優しい娘なんだ。俺がだらしないから、何時も憎まれ役をやってくれてるだけさ』って……」
「そうか、ご主人様がな……」
「えぇ……その時は半信半疑だったけど……一刀さんは、美人に弱いし」
人和は、珍しく冗談めかしてそう言うと、頬を赤らめた愛紗と、顔を見合わせて微笑んだ。
「でも、今回の件で、私も本当にそうなんだな、って思ったから」
「ん?私は、お前に特別何かした事などなかったと思うが……」
愛紗は、人和の言葉を聞いて首を傾げた。仕事としては、一刀や桃香を警護する時と同様に、万全を期したと言う自負はある。しかし、『優しい』などと形容されるような事は、何一つ思い至らなかった。
「ううん。そんな事ないです。だって、私達が“つあー”に行きたいって言った時、愛紗さんだけが賛成してくれたでしょう?」
「いや、あれは……私は単に、お前達の民を思う心意気を買っただけで……」
人和は、そう言って照れ臭そうに片手を振る愛紗に向かって、首を振って答えた。
「いいえ、私達を『“つあー”に行かせてやれ』と言うだけなら、誰にでも言える……でも、その為に自分が護衛として付いて行くなんて、そう出来る事じゃないわ。しかも、罵苦に襲われるかも知れない危険な地域に、一刀さんと再会するのを先延ばしにしてまで……」
「そうだろうか……?私は、自分の言った事に責任を持つのが当たり前だと思うんだが……」
「それが当たり前に出来る人ばかりなら、乱世になんか、なったりしないと思います」
奇しくも、人和の愛紗に対する人物評は、史実にしろ物語にしろ、“関羽”と言う人物を語るに於いて、常にその根幹に関わっているものであった。この十数代に一人現れるかどうかと言う稀代の豪傑は、“中山精王に連なる”と言う事だけを((縁|よすが))として世を嘆いていただけの筵織りに、願いさえすれば、遥かに多くの物を得られた筈の自分の人生の、血の一滴に至るまでを捧げ尽くしたのである。
それも、“意気に感じた”と言う、唯それだけの為に。
『人生 意気に感ず
功名 誰か((復|ま))た論ぜん』
三国時代から((大凡|おおよそ))三百年の後、中国史上最高の名君の一人と称えられる唐の二代皇帝、太宗の部下、((魏徴|ぎちょう))が詠んだ五言古詩、“述懐”の一節である。魏徴は、かつては太宗の兄に仕えていた自身の忠誠を太宗に表明する為にこれを詠ったが、関羽は徹頭徹尾、生き様で『地位や名誉の為でなく、自分が意気に感じたから』と言うこの一文を体現してみせたと言える。
「どうも、面と向かってそう持ち上げられては、照れ臭くて敵わんぞ、人和」
「別に、持ち上げてなんかいません。ただ私は、あなたが一刀さんが言う通りの優しい人だと思っているし、感謝してるって事です。それで―――」
人和は一瞬、優しげ眼差しを愛紗に向けてから表情を引き締めた。
「何か、お話があったんですよね?」
「あ、あぁ―――天和の行水も終わったし、明日には森を抜けてしまいたいから、今日はもう少し距離を稼ごうと思ってな。準備が出来たら、出発したいのだが―――」
「……本当に出れるんですか?この森―――」
愛紗は、自分の言葉の間隙を縫って放たれた人和の言葉に、一瞬、声を詰まらせた。
「……気付いていたのか、人和」
「えぇ。姉さん達はどうか知らないけど、馬車の窓から、同じ特徴のある形の木が何回も見えたりしましたし、地図と照らし合わせても、これだけ移動していたら、もうそろそろ出口が見えていてもおかしくない筈ですから―――でも、道を間違えて迷った訳じゃないんですよね?」
愛紗は、暫くの間、逡巡すると、意を決した様に頷いた。
「あぁ。そもそも、馬車が通れる程の広さの道など、間違えられる筈はないからな。私も昨日、一日に三度も、同じ枝振りの木と切り株を見て気が付いたのだ」
「じゃあ、やっぱり……」
「うむ。不可解な襲撃の仕方と言い、罵苦が絡んでいる事は間違いないだろうな」
人和は、指で顎を支えながら、愛紗の言葉を吟味する様に考え込んだ。
「でも、妖術か何かの類なら、ちぃ姉さんが異変を感じ取っていても良い筈なのに……」
「相手は、人外の化け物だ。以前、朱里にも言われたが、こちらの常識に掛かって考えていては、致命的な過ちを招きかねん」
「それはそうかも知れませんけど……でもそれなら、戻ってみるのは?」
「恐らく、無駄足になるだろう。獲物が来た道を引き返すのを黙認する位なら、最初から罠など張るとも思えん」
人和は、自分の意見をにべもなく否定した愛紗の顔を、不安げに見返した。
「それは結局、ここからは出られない、って事ですよね?」
「まだ、そうとは決まっていないぞ。私達を襲って来る罵苦を全て((斃|たお))せば、術が解けるかも知れん」
「でも、もし負けたら……」
「負けんさ」
愛紗は、きっぱりとそう言い放つと、その琥珀色の瞳で、真っ直ぐに人和を見返した。
「我が名は関羽。天の御使いと蜀の大徳を守護せし第一の刃なり―――。私が己の責任で守ると誓った以上、例え相手が鬼神羅刹であろうとも、お前達に指一本触れさせはせん。例え、この身に変えようとも―――な。そうでなければ、ご主人様や桃香様、それに華琳にも、会わす顔が無いと言うものだ」
「愛紗さん……」
人和が、瞬間に愛紗の身に滾った覇気に圧倒されていると、愛紗は、ふと表情を緩めて微笑んだ。
「案ずるな、人和。そもそも、勝つの負けるのの前に、暫くの間、耐え凌ぎさえすれば、都から助けが来てくれよう。お前は、それまで生き残る事だけを考えていれば良い」
人和が、愛紗の頼もしい言葉に微笑んで頷き返そうとした瞬間、耳を((劈|つんざ))く爆発音が、辺りに響いた。
「天和姉さん、ちぃ姉さん……!?」
「チッ、そう簡単には行かせてくれぬと言う訳か……!人和、一人では居ては危険だ、一緒に来い!!」
愛紗は、三百尺(約100m)ほど先に停めてあった馬車が業火に包まれる様を呆然と見つめていた人和に大声でそう言うと、脱兎の如く大地を蹴った―――。
四
「頃合―――だな」
愛紗達が休憩を取っていた場所からほど近い森の中に広がる、人気の無い空き地の中心に立つ漆黒の具足を纏った偉丈夫は、顔を被った兜の中で、無感情に呟いた。その横には、彼と((粗|ほぼ))同じ背丈の異形の怪物が、昆虫じみた外骨格を大樹に沿わせて((微睡|まどろ))んでいる。
偉丈夫―――四凶の一人、((饕餮|とうてつ))が兜の奥から視線を投げると、怪物に差した影が突然、湖面を風が揺らしでもした様にざわめいた。やがて、そのざわめきの中心が隆起し、山の様に盛り上がると、それは異形の黒い腕となって、“影の外”に、ベチャリと不気味な音を立てて掌を着く。
「これで、オリジナル五体を入れて三十五……一個小隊分か。眠り続ける限り、無限に写身を生み出す―――面白い能力ではあるが、その間こうも無防備ではな……起きろ、もう十分だ」
饕餮は、眠る異形の影から瓜二つの異形が完全に這い出たのを確認すると、爪先で眠り続ける怪物の頭を小突いた。
「さて―――早く来い、北郷一刀。お前は、“俺を終わらせる事”が出来る男なのかも知れんのだからな……」
森の木々の先に上がる黒煙を見つめながら、饕餮は、僅かに期待を込めた声で、小さくそう呟いた―――。
あとがき
さて、今回のお話、如何でしたか?
一刀が使った小さな動物の式神達は、かの芦屋道満も用いたと言う“三十六禽”で、江戸時代まで用いられていた時間の表し方に関わる存在でもあります。時代劇で、『今宵、戌の刻に〜』とかの台詞が出てくるのをお聴きになった事があると思いますが、あれのモチーフですね。
調べてみると、スッポンとかも入っていて面白かったのですが、思想自体は中国から伝わった様なので、ちょうど良いかなと言うのもあって、今回登場させました。他に式神と言えば、十二神将なんかが有名ですよね。
でもまぁ、そこら辺の大御所にもなると、最早、式神と言うより神降ろしレベルの強力さだと思うので、安易に使っちゃうのはちょっと……ねぇ?www
今回のサブタイ元ネタは、
ESCAPE/MOON CHILD
でした。
九十年代に青春を過ごした方ならば、大体はご存知なのではないでしょうか?曲名は知らなくても、サビの『裸の太陽Ah〜この胸に〜』の所を聴けば、「あぁ!!」となると思いますw
今回は関羽千里行と言う事で、関羽千里行→逃亡劇→ESCAPE?と言う感じで決まりました。本当は、スペースラナウェイな赤くてデカいジム頭とかも脳裏を過ぎったのですが、『流石に宇宙は関係なかろう』と、ボツにwww
ESCAPEはカッコイイ曲ですし(個人的には、イントロからベースがバリバリなのが堪りません)、愛紗が戦う姿に似合ってると思うんですけど、どうでしょう?余談ですが、以前にどこかの動画サイトで、ESCAPEを使った仮面ライダーBlackの凄くカッコイイMADを観た記憶があるのですが、今探そうとしても全然見つからないんです。私、検索センスが皆無なもので……。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご一報頂いたく思います。
では、また次回、お会いしましょう!!
説明 | ||
どうも皆様、YTAでございます。ご無沙汰して大変申し訳ありません。だって、魔装機神Uが面白過ぎるんだもん……!!と言うのもありますが、仕事柄、この時期は忙しいのも事実でして、何やかんやで筆が遅れてしまいました。重ねて、お詫び申し上げます。 ともあれ、筆者としても待望の愛紗編がいよいよスタートという事で、感想など、モチベーションにもなりますのでお気軽に頂ければ嬉しいです。 では、どうぞ!! |
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コメント | ||
さむさん ご無沙汰しております!そうですね。多分、(アニメ含め)原作でも殆ど会話してないんじゃないかと……。ストーリーは自然と思いついたので、考え抜いた組み合わせと言う訳ではないのですが、こういう普段あんまり絡まないキャラを絡ませると言うのもssの醍醐味だと、個人的には考えています。(YTA) 千里行が頭にあるにしても愛紗と張三姉妹というのはあまり見かけない組み合わせですよね。(さむ) いえいえ、それなら良かったです。(YTA) 書き方が分かり辛かったようで失礼しました。二か所やたらと文字が横に伸びていた処がありまして、カーソルを動かしながら読んでいたもので。書き方では無く、自分の問題でしたね。本当に申し訳ありませんでした。(西湘カモメ) 饕餮は、私が考えたオリジナルの敵キャラの中でも特別な存在なので、最後の台詞にも、色々な意味が込められています。物語の中で少しずつ明らかにして行きますので、ご期待下さい。(YTA) 西湘カモメさん コメントありがとうございます。読み辛かったですか……書き方を変えたりしたつもりは無いのですが、自分では解らないものですね……。もし宜しければ、具体的にどう読み辛かったかも教えて頂けると、今後の参考にもなるので助かります。(YTA) 御待ちしてましたが、今回は非常に読み辛かった・・・。それはさて置き今回は愛紗再会編序章と言ったところでしょうか。まるで鬼門遁甲の様な結界が張られた森の中での、其々の遣り取りが楽しく完全に三国の信頼が強いと感じられました。最後の饕餮の台詞は「俺を殺せ」の意味合いですかね?(西湘カモメ) |
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