Smile
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あの女の子の笑顔はぼくの心を動かすには十分すぎるほど刺激的だった。

 

 それはまだぼくがちびっ子だった頃、お母さんとはぐれて道に迷って泣きじゃくっていたときだった。あの時はとにかくお母さんを探すことに精一杯で、周りのことなんて何も見えていなかった。だけども、ふと気づいたら目の前に女の子がいたんだ。ぼくよりかは年上に見えるその子はぼくの目線と合わせるためだったのか、しゃがみ込んでから、ぼくの頭を撫でてくれて、そして何かを言いながら微笑んでくれたんだ。それは「お母さんを探さなきゃ」という気持ちを吹っ飛ばしてくれるほどの刺激でぼくはその子に釘付けになった。それからはお母さんがぼくを見つけてくれるまで一緒にいてくれて、ちびっ子だったぼくには何を言っているかはわからなかったけどずっと話し掛けてくれていた。でもこんなにしてくれたのにぼくはその子にお礼を言えてなかったんだ。

 

 あれからどれくらいの時が経ったのだろう。ぼくはあの時の女の子にお礼を言うためにここに戻ってきた。

― あのときは気づかなかったけど、ここってあの子の家の前だったんだ。

 ぼくは女の子の住んでいる場所が知りたくて大人達に聞いて回った。そうしていくらか聞いているうちにわかった場所。それが迷子になったときにぼくと一緒にいてくれたところだった。正確に言えばその時にいた目の前の2階建てのお家。さらにその子はここから見える2階の部屋でよく見かけるという。

― 今、考えてみればこれってストーカー行為だよね…。

 と考えつつ、2階の部屋を見てみるけど、カーテンが閉まっていて中が見えない。

― どうしようかな…。あまり長い間待っているとこれが枯れちゃうかもしれない。

 お礼を言うだけではなく贈り物も一緒にあげたら喜んでもらえるかなと思って一輪の紫色の花を持ってきていた。ただ、水を吸わせないとすぐに枯れるってお母さんが言っていた。だから早く女の子と会わなきゃいけない。ちょっとばかり焦る気持ちを抑え、女の子の家の玄関にあるボタンを見る。

― あのボタン、インターホンって言ったかな。あれを押して呼ぼうか?

 誰かを呼び出したい時はインターホンを押すと出てきてくれるってお母さんが言っていたけど、女の子の名前もわからないし、知り合いでもない。それでもってその子以外が出てきたら…。と考えるとこれはいい方法ではないと思った。

 それからもう一度辺りを見回してみると気付いた事があった。

― 女の子部屋の窓からなら訪問できそう。

 家の前にある自転車から家の周りを囲っている塀へ、そして屋根へと飛び移って部屋の窓へと登っていけそうだった。

― よし、あの部屋の前まで登って行こう!

 そう決めてからの行動は早い。登るために地べたに一旦置いていた花を口にくわえてから、まずは自転車の人が座る部分まで登り、自転車を倒さないようにそっと塀に飛び移る。塀に移ってからは屋根に飛び移れる場所までゆっくり歩く。

― 落ちたら痛い、落ちたら痛い。落ちないように慎重に…。

 今やっているのはサーカスの綱渡りと同じようなことやっているんじゃないかな。と思う。お母さんから聞いた事のあるだけで実際は見たことないけど。

― サーカスをあの子と一緒に見に行けたらいいなぁ。

 淡い期待を寄せながらも飛び移れそうな場所まで到達したので塀から屋根に飛び移る。自分で自分を褒めてあげたいほどの素晴らしい移動と着地…。だったけど屋根に着いたところでふと思う。

― これって泥棒に見えない…?

 考えてみれば、正面から入れないから屋根を登って女の子の部屋に向かうことはファンタジーの世界ではロマンチックに見えるかもしれないけど、現実の世界では端からみたらただの泥棒に見えるかもしれない。そういうことを考えていると妙な罪悪感が胸の内に広がるけども、

― こ、これはお礼を言うためには仕方ないんだ!

 そう自分に言い聞かせ、とりあえず、女の子に会うことだけを考えようとした。それから念のため周りを見渡すが人影ひとつ見当たらないのが幸いだった。

― さて。

 気持ちを入れ替えて、女の子がいると思われる部屋を見つめ直す。

― もうこんな近くに来ちゃったよ…!

 もうすぐあの時の笑顔の女の子に会えるとなると胸が高まってきた。ぼくは一息ついてから一歩一歩ゆっくりと部屋の窓に近づいて行った。相変わらずカーテンは閉まったままで開けられる気配もなく中が見えることもなかった。それは胸の高まりとは逆に様々な不安も感じた。

― 本当に女の子はあの部屋にいるのかな。ぼくのことを忘れていないかな。

 あの部屋にあの女の子がいなければまた探せばいい、だけど忘れられていたら元もこうもない。「あなた誰?」なんて言われたら、泣きながら全力疾走に違いない。

― そんなことにはなりませんように…。

 あれこれ考えている間に窓の前まで来てしまった。ぼくは深呼吸を一度行い、気持ちを少しでも落ち着かせようとした。

― よ、よし!

 口にくわえていた花を置いてから、意を決して窓を軽くノックしてみた。

― あの子が出てきたらなんて言おう。ありがとうございました?い、いやそれよりあの子じゃなかったらどうしよう。やっぱり全力で逃げる?で、でもここから全力で逃げるにはどういう風に逃げれば…

 この後起こりそうな様々なシュチュエーションに対応するために色々と考えていたら、閉まっていたカーテンがガサゴソと動き始めた。

― ぎゃ!まだ考えがまとまってないのに!ノ、ノックする前に考えておくべきだったよおお!

 ものすごく強い後悔の念にかられて逃げ出したくなったけど、逃げずに待った。

― い、今更逃げたって屋根を降り切る前に見つかりそうだし、このまま待つ!

 そうするとカーテンが一気に開かれてそこにその子が現れた。あの時とほとんど変わらない女の子が。

― 天使だ…。

 ぼくは胸に一本の矢が刺さったような感覚に陥り、さっきまでの緊張とは別の緊張のあまり動けなくて何も言えなかった。女の子もぼくを見つめて固まっていた。明らかに驚いた表情をしていた。無理もない、だって屋根の上からの訪問だから。しばらくすると女の子が「あっ。」と声を漏らし、何かに気付いたようで窓を開けてくれた。

「もしかして、あの時の迷子の…?」

 女の子がそう言ってくれたので、固まっていたぼくはなんとか首だけを動かしとにかく頷いた。あの時とは違って何を言っているのかもわかる。それを見た女の子の表情は一気に柔らかくなり、そしてあの時と同じ笑顔を見せてくれた。ぼくはそれのおかげで胸の高鳴りが最高潮になって、ある意味死に掛けていた。だから本当に良い意味で死んでしまう前に贈り物をもう一度口にくわえて女の子の前に差し出した。

「私にくれるの?」

 さっきよりもより早く首を縦に振っていたぼくがいた。

女の子はその紫色の花を受け取り、そっと握り、その花の香りを楽しんでくれているみたいだった。その子はとても幸せそうな表情をしていて、なんだか見ているこっちも嬉しくなる。そして花の香りを楽しみ終わったのか、またこっちを見てくれてこう言った。

「ありがとう、ねこちゃん!」

 それからあの時と同じようにぼくの頭を撫でてくれた。ぼくは嬉しくて、さらに興奮もしていて上手く言えないけど何か言わなきゃと思い、

『こっちこそあの時はありがとう!』

 満面の笑顔のつもりでそう言った。そう言ったけども、女の子にその言葉の意味が伝わっているかはわからなかった。それでも…それでも女の子は笑顔のままだった。ねこと呼ばれるぼくはもうそれだけでも幸せだった。

 

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「笑顔」
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