うそつきはどろぼうのはじまり 35 |
ジュード今、黒匣に替わる機構、源黒匣の開発と普及の第一線で活躍している。エレンピオスで暮らす人々にとって、黒匣は生活必需品だ。精霊を食い潰すということで、精霊たちの間で長らく目の敵にされていた機構だが、エレンピオス人にとっては必要不可欠な代物である。限りあるマナを枯渇させるからといって、おいそれと使用を禁ずることは無理があった。
霊力野を持つリーゼ・マクシア人とは違い、エレンピオス人はマナを生産できない。彼らに消費される一方のマナは、現時点で既に枯渇しつつある。先代の大精霊マクスウェルが、その存在と断界殻をもって生み出したマナの猶予は二十年と見積もられている。それらが底を突く前に、何としてでも代替手段を確立し、世界の隅々にまで行き渡らせる必要があった。
源黒匣研究の最前線に立つ彼が多忙を極めているに違いないことは、遠方で暮らすレイアにも容易に想像がついた。彼女の幼馴染は、他者との軋轢を極端に嫌う。にも関わらず、ジュードは切磋琢磨の研究畑に自ら飛び込んでいった。
祖国に住む彼の両親は、息子をひどく心配していた。誰よりも他者と関係を繋ぐことを最優先するような人間が、競争心の激しい人々に揉まれ、時に足を引っ張り合うような環境下にあっては精神が持たないと案じたのである。
だがレイアは止めなかった。寧ろ彼の肩を全面的に持ち、彼の両親を説得する側に回った。源黒匣研究を進め、源黒匣を世界に普及させること。それは、彼自身が望んだことだった。今から五年前に交わした、精霊の主との約束だったからである。
レイアは少し憔悴気味の幼馴染を、持ち前の笑顔で励ました。人類に猶予が与えられてないとはいえ、肝心のジュードが身体を壊してはどうしようもない。
「焦る気持ちはすごく良く分かるよ。けど、無理しないで。ジュードが倒れたら、それこそ源黒匣の普及が遅れちゃうもの」
「うん・・・」
少年は曖昧に頷き、土産物を並べ続ける少女をちらりと横目で見る。
自分の不調をあっさり見抜かれ、ジュードは内心、この幼馴染に対する認識を改たにしていた。
「そういえばレイア。どうしてイル・ファンに来たの? 闘技大会に出場するって、前に帰省した時、あんなに息巻いてたのに」
ジュードは沸いた湯をポットに満たし、二杯目を空の湯飲みに淹れた。
少年のもっともな質問に、レイアは表情を硬くする。相変わらず隠し事が下手だ、とジュードは静かに相手の言葉を待った。
「あたし・・・陛下に謁見しにきたの」
「ガイアス王に?」
ジュードは鸚鵡返しに問う。レイアは口を真一文字に結んだまま、こくりと頷いた。謁見の理由は言えない、ということなのだろう。
だがしかし、とジュードは長い息をついた。これは、もしかすると節目なのではなかろうか。
(潮時・・・なんだろうな。レイアは僕に、もう避けられないってことを、知らせにきてくれたのかもしれない)
「レイア。僕、今ガイアス王に呼び出しを受けているんだ。一緒に来る?」
思いがけない言葉にレイアは目をまん丸にする。
「え、でも・・・いいの? 邪魔にならない?」
少年は微笑みながら首を振る。邪魔になどなるものか。彼女の存在は、寧ろ心強いくらいだ。
それくらい、今のジュードにはガイアス王が恐ろしかった。
ジュード・マティスは幼馴染の少女を伴い、オルダ宮謁見の間に出頭した。
「どういうことなの、ガイアス王」
口火を切ったのはレイアだった。挨拶も抜きに、王に向かっていきなり食って掛かる少女を止めようと、兵士が身を乗り出す。それを鋭い視線だけで押さえたのは、脇に控えていたローエンだった。
「リーゼ・マクシアとエレンピオスの友好の証として、何故エリーゼを選んだの? 他にもいっぱいいるじゃない、貴族のお姫様なんか。なのに、どうして・・・」
「婚姻を嫌がっている、という話は聞いていないが」
王の静かな指摘に、レイアは言えるわけないじゃない、と吐き捨てた。
「身寄りのないエリーゼは、シャール家に引き取られて養われていた。あなたはそれを盾に脅したのね。嫌がることは、ドロッセルの恩に対する不義になるからって」
泣いていたわ、とレイアは声を絞り出す。
「何を間違えたの、って。どうして一緒にいられないのって。もう、どうしたらいいかわからないって・・・。ガイアス王、あたしは王でも貴族でもない、単なる宿屋の娘よ。でもこれくらいはわかる。誰かが犠牲になる平和なんか、嘘よ! そんなものはっ!」
宥めようとするジュードの腕を振り払い、レイアの指摘が矢の様に玉座へ飛ぶ。雛壇の上、深々と椅子に腰掛け続ける浅黒い肌を持つ男は、無感動な眼差しを投げた。
「人の上に立つとは、そういうことだ」
「エリーゼは王様じゃないわ」
少女の舌鋒は続く。
「あなたが王様なんでしょう? あなたが決めたことであなた自身が苦しむなら、そんなの当たり前だから納得できる。でも、これはあなたはちっとも苦しくない。なのにガイアス、あなたは自分が守らなきゃいけないとしょっちゅう言い張っている力の弱い人々に、必要のない苦痛をどうして強いるわけ?」
そこまでぶつけたところで、控えめな声が割って入った。
「レイアさん。どうか、もうそれ以上は」
少女は溜息をつく。苛立ったように茶色い髪が揺れた。
「ローエン・・・。あなたが側にいながら、どうしてガイアスを止めないのよ」
もはや国王すら呼び捨てという無礼振りだが、老宰相はこれを咎めようとはしなかった。ただ淡々と口だけを動かし、淀みなくこう述べた。
「私は王に仕える身。ありとあらゆる可能性、無数の策の中から、もっとも国の利益となり得るものを選択し、献上することが務めです」
ぎり、とレイアの奥歯が鳴った。
「エリーゼが・・・顔も知らない人の奥さんになることが、一番良いと思ったというの?」
「はい」
頭に血が上ったレイアがローエンに掴みかからんと飛び上がった時、計ったようにその声は降った。
「友好の証ではない」
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