うそつきはどろぼうのはじまり 40 |
気乗りしないながらも、これも仕事と割り切ってトリグラフに辿り着いたアルヴィンは、いつものくせでバランの集合住宅へ向かった。
だがそこに彼の姿はなかった。足取りを求めて今度はスヴェント家を尋ねると、白髪の執事が慇懃無礼に頭を下げてくる。
「バラン様はヘリオボーグ基地に詰められております」
お呼びしましょうか、という執事の申し出を、運び屋は丁寧に断った。彼の所有するワイバーンは、世界最速の足を誇る。ここトリグラフから基地までなど一飛びだ。
そもそも、運び屋の都合で客を呼び立てるなど、もっての外である。
一介の貴族と運び屋である自分は、元々の立場からして雲泥の差がある。どう考えても出直すか、またはこちらから出向く方が理にかなっていた。
男はワイバーンの首を基地へ向けた。正門で居場所を尋ねると、門番は彼の来訪を前もって知らされていたらしく、愛想よく対応してくれた。
「やあ、よく来てくれたね」
指定された場所は実験室横の居室だった。机や電算機のいくつも並ぶ部屋の真ん中で、白髪の男が片手を挙げた。
白衣の裾を絡げながら、バランは運び屋に近づく。来訪が嬉しいと口にしていながら、顔には明らかな苦笑が浮かんでいた。
「君が来たってことは、リーゼ・マクシアの方も感づいたってことか。まー仕方ないよね。なんせそっちには、あのマティス大先生がいるもんねえ」
情報統制したつもりだったんだけど、と技師はぽりぽりと頭を掻いた。
相変わらず主語のない話し方をする従兄弟だ。アルヴィンは微かに眉を顰める。
「何の話だ?」
「彼女の様子を見て来いって言われたんでしょ? 違うの?」
「ああ・・・まあ、そうだが」
どちらかというと荷運びが主目的であるが、ここはとりあえず頷いておくことにする。
バランは観念したように、大きく息をついた。
「今、呼ぶ・・・」
「バラン!」
明るい声にアルヴィンはぎょっとして振り返った。
隣のガラス戸を押し開けて居室に走りこんできたのは、笑顔のエリーゼだった。
肩口に下した金髪に落ち着いた色味の飾り紐を編み込んでいるせいか、随分大人びて見える。着ている物はエレンピオス様式の、立て襟に裾の長い、細身の衣装である。
少女は拗ねたように口を尖らせる。
「バラン、もう探したんですからね! この子をちゃんと動かせたら教えてって言ったの、バランじゃないですか! あ・・・・・・」
そこまでまくし立てたところで、ようやくアルヴィンの存在に気づいたらしい。エリーゼは源黒匣を腕に抱えたまま、目をまん丸にした。
「お、お客様・・・だったんですか・・・?」
エリーゼの言葉に、バランは少し唸る。
「うーん。正確には、お客というか、幼馴染?」
「幼馴染・・・・・・あ!」
合点がいった、とばかりに少女は突然ぱちんと両手を合わせる。
「分かりました! バランの従兄弟の、アルフレド様ですよね」
若草色の瞳をきらきらと輝かせ、彼女は男に向かって丁寧な礼をした。
「はじめまして。エリーゼ・ルタスと申します。宜しくお願いします」
それは、本音と建前を切り分けてきた男の人生経験が、遺憾なく発揮された瞬間だった。
運び屋は、優雅に差し出された手を、握り返していた。握り方こそややおざなりであったが、それでも不自然に思われない程度に対応できた自分を、心底褒めてやりたかった。
「・・・はじめまして」
社交辞令ここに極まれり、という言葉が、初対面の決まり文句を口にした男の脳裏に流れた。
目の前の少女は屈託なく笑い続けている。
「お会いできてうれしいです。リーゼ・マクシアの方なんですよね? バランから色々お話は伺ってますけど、まさかご本人に会えるなんて!」
彼女の興奮具合といったら、まさにその場で小躍りしかねない勢いだった。そんな少女を宥めたのはバランだった。
「エリーゼ。彼と少し話があるから、先に行ってて貰っていいかな?」
後で必ず見に行くから、と付け加えられたことで納得したのか、少女はわかりましたと頷き、再びガラス戸の向こうへ消えていった。
その後姿が完全に見えなくなってから、白髪の技師は大きく息を吐いた。肩を落としつつ、ちらりと従兄弟を盗み見る。隣に立つ黒髪の男は、自失しているように見えた。
「・・・大丈夫?」
「・・・どういうことだ」
アルヴィンの口からは真っ先に疑問が飛び出した。
何も分からなかった。何もかもが理解の範疇を超えていた。
今しがた、目の前で起きたことは事実なんだろうか。分からない。
理解できない。全て、何もかもが自分の知る理屈と合わなさ過ぎる。
「どういう・・・ことなんだよっ!」
苛立ちの矛先は当然のようにバランに向けられた。ただバランの方は、彼女と面会させると決めたときから、こうなることは予想済みだったようだ。掴まれた白衣の襟をそのままに、黒髪の従兄弟に告げる。
「僕にも分からない」
「分からないわけないだろ!? お前が・・・だってお前、が」
「分からないんだ、本当に。彼女の記憶が失われてしまった仕組みは、まだ解明できていないんだよ」
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