【 #njslyr 】ナイト・クリエイテッド・バイ・ウェイスト #1 |
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■注意■珈琲■このストーリーは、ブラッドリー・ボンドとフィリップ・ニンジャ・モーゼズの共著によるサイバーパンクニンジャ活劇小説「ニンジャスレイヤー」のファンジンにあたるものである。現在、ツィッターにおいて翻訳チームが日本語版の連載を実施している。■いわゆる二次創作■黒糖■
■注意■グランドキャニオン■この作品には登場人物名鑑に名を連ねながら、本編に未登場である登場人物が存在する。仮に本編における登場人物の設定が本作と異なっているとしたら、それは恐らくザ・ヴァーティゴ=サンが因果律を狂わせた結果だと理解していただきたい。■妄想重点な■ラスベガス■
■注意■ブロードウェイ■なお、この作品の主人公は本作のオリジナルであり、本編には登場しない点を留意されたい。ファンジンにおけるいわゆるオリキャラは時として世界観を崩壊させるが、斯様な事態にならないよう心を砕いていく次第である。■非ニンジャばかりだ■ビバリーヒルズ■
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日本語版公式サイト
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(第φ部「フォールス妄想大国」より ナイト・クリエイテッド・バイ・ウェイスト #1)
「タマ・リバーをわたるとき、すべての希望を捨てよ」
詠み人の知れないこのハイクは、一部の人種に対してはある意味皮肉であった。ハイクに詠われたタマ・リバーにかかる「絶望の橋」、その先にある貧民街オオヌギ地区は行き場を失った日雇い労働者の最後の吹き溜まりであり、駆け込み寺であり、そしてパンドラの箱に最後に残された一粒の希望でもあった。カンオケ・ホテルにすら劣るとされる居住環境でも、とりあえず生きてはいける。何より、オムラ・インダストリを始めとする暗黒メガコーポが推し進めるプロジェクト区画に押し込まれ、奴隷のように働かされるよりはまだ精神的な救いがある。空き巣、ひったくり、食い逃げがチャメシ・インシデントのこのジャンク・クラスターヤードに住む者はたくましく、往来を悲鳴のような叫びを上げつつ走っていく子供達は煤と泥で汚れてはいたがみな笑顔であった。
棒切れを武器に見立てた未来における闘争の志士達は、鬨の声を上げながらイケブクロ・アミューズメントの迷路よりも入り組んだプレハブ小屋の群れの中を走り抜けていく。トタン板が打ち込まれたプレハブの壁には「プロレタリアリズム」「妥協なき逃走を勝ち抜きます」「何度でも立ち上がれ」などの好戦的な文言が並ぶ。
その革命闘争めいたトタンの森を抜けて行くと、子供らの一人、鼻水を垂らした男子が路地の狭間に奇妙なものを見つけた。
「ねえ待って。なんだろ、あれ」
集団が動きを止め、鼻垂れ男子が指差す方向をゆるゆると覗き込む。視線の先に、奇妙な者がいた。耐重金属酸性雨レインコートを目深に被った人影が二人、砂利道に座り込んでいる。
「ナニアレー?」
「ドゲザ? チャント?」
「サブロ爺ちゃんのとこと違う?」
言われてみれば、確かに。服が汚れるのも厭わず地面に正座して、両手をついている様子はどことなく宗教めいていた。しかしそんな様相にも関わらずなおその二人は小綺麗に見えて、この界隈の住人が身に纏うアトモスフィアを逸脱している。詰まるところその二人はタマ・リバーの外からやって来た者で、しかもあまり歓迎せざる類の手合いである可能性があるということだ。
レインコート達は何者だろう。そんな思案を巡らせるよりも遥か前に、好奇心旺盛な子供が数人、怖いもの知らずにも彼らに近づいていった。
「なあ、おっちゃん達何してんの?」
二人は一瞬、子供達に一瞥をくれる。そのときフードが少し揺れて、二人の顔が明らかになった。奥に座っていた方が男、手前が女。子供達に二人の特徴を詳細に覚える力はなかったが、女の顔にかかったミルクポットの底のように分厚いレンズのメガネだけが妙に目に付いた。
だが二人は、子供達を無視して元の方向に向き直る。その先にあるプレハブ小屋のドアの上には一枚のオメーンが据え付けられており、二人の男女を叱責するように見下ろしている。
子供達は彼等のリアクションを見て、自身に危害は及ばないだろうと敏感に読み取った。路地の入口から様子を伺っていた者達も何人か加わり、レインコートを無遠慮に取り囲む。
「ひょっとして、サブロ爺ちゃん怒らせたん? まずいよこれ、きっと長引くよ?」
「ねぇ、アメ買わない?」
「ちょっと、ほっといてくれないか」
ここで、男の方が初めて口を開いた。頬こけ目にくまを作り、健康の二文字からは縁遠い表情を子供達に向ける。
しかし、無遠慮なオオヌギの子供らは男の要望を見事に無視した。それどころか彼らの手に目ざとくあるものを発見したのである。
「あ、もしかしておっちゃん達オムラ?」
子供の一人が発した言葉に、レインコート達は身じろぎする。子供達が目を付けたのは、レインコートの袖からはみ出た左手である。彼らの手の甲には雷を放つオニを模ったエンブレムが、イレズミめいて刻印されていた。他の子供達もそれに気がついて声を上げる。
「本当だ、オムラだ!」
「だったら、悪い奴かぁ?」
「頭髪が奇妙だ!」
最後の言葉に妙に反応して、男の方がフードを跳ね除けた。寝癖だらけの鳥の巣めいた頭が露わになる。
「失礼な! 俺はまだちゃんとある!」
だが、子供達の追求は止まらない。ナムサン、道徳を学ぶ途上の子供達は、時として大人よりも残虐な生き物なのだ! 血色の悪い男の頬に、一人の子供が棒切れを押し付ける!
「俺の父ちゃんは、オムラのロボットに殺されたんだぞ」
「うちは家を壊された」
「マユコが火事で逃げ遅れて死んだ」
男が頬を歪められたまま、口ごもった。子供達の脳裏に蘇ったものは、彼らのエンブレムにまつわる暴虐の記憶である。その雷神をモチーフとしたエンブレムは、彼らの多感なニューロンへと鮮烈に焼き付いている。
オムラ・インダストリ。ネオサイタマにおける重工業発展の裏側で無辜の市民を搾取し続ける、にっくき暗黒メガコーポの一角。
オオヌギ地区の住民にとって、オムラは不倶戴天の敵にも等しい。この土地の地権を主張し、住民を追い出そうとする暴力的な連中。絶望の橋を挟んでの小競り合い。大人達を罵倒するオムラの武装サラリマン。
そして何より、悪鬼のごときロボ・ニンジャ、モータードクロによる破壊と虐殺!
オムラの社員に、製品に刻印される雷神のエンブレムはオオヌギの住民達にとって忌むべき存在であり、憎悪であり、そしてトラウマであった。それらが子供達の無秩序と渾然一体となり、目の前に座る二人のレインコートに対する敵意へと変わる。
レインコート達には、子供らの輪が狭まったように思えた。息が詰まる。それらに耐え切れず、ミルクポット眼鏡の女が男の袖を引いた。
「カンヌキ=サン、これとってもマズイですよ。一度出直しませんか」
「出直して、また追い返されるつもりかモリトモ=サン。出直したければ一人で帰りたまえ」
カンヌキと呼ばれた男の決意を知ってか知らずか、子供達が二人の処遇を語らい始める。
「どうする、こいつら」
「囲んで警棒で叩く?」
「イイネ! 父ちゃん達も呼ぶ?」
ブッダ! 哀れ二人のオムラ・サラリマンは、未来のアンタイセイ・ソルジャー達の練習台にされてしまうのか? 堪らずカンヌキがモリトモを庇うように両手を広げた。
「な、殴るなら俺だけにしろ。使えん奴だがそれでも女なんだ」
「カンヌキ=サン、余計なこと言わないで、じゃなくて、無茶はヤメテください!」
子供達がサディストめいた笑みを浮かべながら、手にした棒を振り回し始める。おお、ブッダ! このままではサラリマン達は、子供らのイージー・ターゲットになってしまいます! カンヌキは彼らの憎悪を受け止めるべく、歯を食い縛り、目を瞑った。
「やめんか、お前達。気が散って仕様がないわ」
そんな言葉と共に、オメーンの掛かったプレハブ小屋のショウジ戸が開かれる。姿を現したのは、腕と顔を浅黒く焼いた老人である。老いに伴う衰えは否めないが、鋭い眼光と健全な足腰は未だ彼が現役であることを疑わせない。
子供達は棒を下ろして、老人を見る。
「サブロ爺ちゃん、こいつらオムラだ」
「息子の仇だよ」
「爺ちゃんも一緒にやる?」
サブロと呼ばれた老人が、汚物でも払うかのように手を振った。
「ワシは忙しいんだ。遊ぶなら他所で遊ばんかい」
静かな威圧感が子供達を圧迫し、半歩の後ずさりを強いた。この老人が怒り出したらどうなるか、彼らは身に染みて知っているのだ。子供達は頷き合うと、一人二人とレインコート達を離れ、路地を抜け出して行く。
その場に残ったのがサラリマンだけになったのを見計らうと、老人は彼らを路傍の石のように捨て置き踵を返そうとする。
「ま、待って下さい。せめて話だけでも聞いて」
「しつこい! オムラの人間と話すことなど何もないわ!」
カンヌキの言葉を皆まで聞かず、老人の強烈な叱責が返ってきた。彼は目に憎悪の炎をたぎらせながら、サラリマン達を睨みつける。
「貴様らは、今のガキどもの話を聞いておったのか? 奴らが親達をここに連れてくる前に、とっとと立ち去れ。さもなくば、囲んで警棒で叩かれるだけでは済まんぞ? ここには、マッポなど入っては来んのだからな」
モリトモは、老人の言葉に鳥肌を立てた。彼の言うことは、紛れもなき事実であろう。この地区は治外法権なばかりではなく、反体制のプロレタリア革命組織、イッキ・ウチコワシのエージェントが駐在しているのだ。あの子供達が彼らを連れてきたらどうなる? それこそネギトロめいた死体に変わるまで自分達を打ち据え、タマ・リバーに棲息するバイオ・フナの餌に変えてもおかしくはない。
「ならばせめて、マノキノ=サンにセンコを上げさせてください! たった一度でも構わんのです!」
しかし、カンヌキは引き下がらなかった。泥にまみれることにも構わず、両手を地につき自らの額を地面に擦り付ける! 屈辱的ドゲザ・チャントである!
だが、老人はカンヌキのプライドをかなぐり捨てた振る舞いを無視した! ショウジ戸を再びくぐり、腹立たしき音を立てて戸を閉める。しかしカンヌキが、老人の制裁的仕打ちに対して頭を上げることはなかった。モリトモが彼の肩を揺する。
「カンヌキ=サン、やっぱり無理ですよ」
「だから、帰りたければ一人で帰れとさっきから言っているだろう!」
こんなやり取りをしている間に、鈍色の滴が一滴また一滴と彼らの頭上に降り注ぎ、本格的な重金属酸性雨に変わる。こんなことをしていては、武装したオオヌギ住民の到着を待たずして毒の雨にやられ身がもたないだろう。モリトモのふくよかな胸中を、絶望が満たしていく。
そんな時だ。雨に混じって別のものが降ってきたのは。不意に頭上を覆った物体に気付いて、カンヌキは顔を上げた。自身の顔に、使い込まれた手拭いが一枚引っかかっている。
「泥を拭かんか。そんななりで工房に入って来られてはかなわん」
老人は侮蔑の溜め息を吐きながら、モリトモにも手拭いを投げて寄越した。彼女はたどたどしくそれを受け止めながら、老人の顔を見上げる。
「センコを上げたらとっとと帰れ。ここで貴様らがネギトロになったら、後始末が大変だろうが」
ゴウランガ! それは遠回しな承諾を意味する。カンヌキは勢いよく立ち上がり、最敬礼を以って老人の行為に応えた。
「有難うございます! 有難うございます!」
「礼など要らんからとっとと入れ。そこで雨に溶かされたいなら、別に構わんがな」
「ヨロコンデー!」
サブロ老人は、鬱陶しそうに再び彼らへ背を向ける。だが、それまでの短い時間に彼らの姿を観察し、行動を推測してもいた。
彼らが汚していたのはレインコートばかりではない。靴の裏にまで、泥がべったりとこびりついていた。その点から推察できるのは、彼らが二人がここまで歩いて来たということである。初見には辛い、迷路のごときプレハブの中をだ。それにこれまで彼の処にやって来たオムラ社員は、全て社用車で乗りつけてきた。彼らがそうしなかったのはナンデ? 敬虔なマゾヒストのブッダ信奉者か?
唯一分かっているのは、この二人が非人道的で尊大な振る舞いを見せるオムラ・インダストリのサラリマンとしては、あまりに異質なアトモスフィアを放っていることであった。
――――
プレハブ小屋の内部は、古びた建物の外観からは想像もつかない空間だった。使い込まれた黒檀のテーブルに置かれたノコギリやカンナなどの道具はいずれも先時代的なツールであったが、いずれも長年に亘り手入れが続けられてきた用の美を醸し出している。その奥には額縁に飾られた「安全第一」のショドー。先進的企業の社員である筈の二人は、このゼンめいた空間に圧倒された。
これが彼らの敬愛して止まぬ男の父親、ドウグ・サブロが江戸時代より代々守り続けてきたドウグ社の工房か。彼からは何度も聞かされてきた光景ではあったが、現物には筆舌に尽くせぬ感動を覚えずにはいられない。
だが、この工房を訪れた二人の目的は見学ではない。それらを忘れぬうちにと、彼らはサブロ老人に名刺を手渡した。
「改めまして、ドーモ。オムラから来ました、カンヌキ・オカノと申します」
「同じく、モリトモ・ツツジです。ドーモ」
頭を下げる男女を前に、サブロ老人は二人から渡された名刺を交互に見比べる。寝癖男の方、カンヌキの肩書きはフルトモ第八プラント主任。そしてミルクポット眼鏡の女、モリトモの肩書きはフルトモ第十三プラント主任補佐であった。サブロは当初の彼らの紹介と肩書きに、軽いギャップを感じていた。
「あんた達、倅の部下だったんじゃなかったのかね。フルトモっていや、お前」
「ラボは辞めさせられました。左遷です」
左遷、というのっぴきならない言葉に反して、カンヌキの表情はさばさばとしたものだった。そんな彼が視界の端にあるものを見つけ、サブロ老人に一つ断りをいれてそれに歩み寄る。
黒檀のテーブルの片隅に、明らかにクラフトワークとは無縁なオブジェクトが置かれている。黒い漆塗りのイハイ・モニュメントだ。日本で好んで用いられる携帯可能なストゥーバであり、死者の名を表面に刻んで祈りを捧げる。隣には、手のひらほどの黒縁の額が置かれている。そこに収まっていた写真の上で、十歳前後の少年がモノクロの笑顔を浮かべていた。
モリトモもまたカンヌキと肩を並べると、少年の顔を見て表情を綻ばせる。
「あらマノキノ=サン、可愛かったんですね」
「手元に残ってた写真が、それしかなかったんだよ」
サブロ老人はぶっきらぼうな顔で作業机の引き出しを漁り、直方体の箱を取り出した。箱の中からセンコを二本手に取り、カンヌキとモリトモに一本ずつ寄越す。二人はサブロに礼を言うとイハイの傍らに置かれた燭台を使って、その先端に火を灯した。
あまりにも簡素なそれらのオブジェクトは、老人にとってのオブツダンだったのである。二人は小鉢めいた形をしたリン・ベルを棒で代わる代わる叩いて、イハイに記された者、マノキノの霊を弔った。手を合わせてからしばらくして、カンヌキはサブロ老人に向き直り、頭を下げる。
「弔わせていただき、ありがとうございます。マノキノ=サンは、我々が殺してしまったようなものですから」
「倅を殺したのはロボットだ。あんた達じゃない」
サブロ老人は簡潔に言い捨てて、親指で反対側の作業台と椅子を指し示す。自身は工房の奥まったところにある流しへと足を運び、薬缶と急須、そして茶葉の入った缶を準備する。
「その人殺しのロボットを造ったのが我々です。あの子達に反論する資格なんて、ありやしないんです」
携帯コンロに火を入れて湯を沸かしながらカンヌキの言葉を聞くサブロ老人は、先ほどの二人から感じたものと同じアトモスフィアを読み取っていた。
(全くだ! 殲滅し切れるのか、これで?)
(殺したいのに! 何とかして下さい!)
粛々と茶の準備をしつつ、ニューロンから引き出されたのは二年前の惨劇である。モータードクロと共に現れたオムラの武装サラリマン達はオオヌギの住民をゴミクズのように扱い、殺戮することに何の罪悪感も持ち合わせなかった。彼らのブッダも恐れぬ態度と比較するにつれ、カンヌキとモリトモはあまりにも異質な存在と言えた。
オムラとて、一枚岩ではないと言うのか。否。あれは人の仕事を、土地を、生活を搾取し貪り尽くすオムラ・インダストリの社員に相違ない。彼らの左手に刻まれた刻印、生体認証コードを偽造することなど不可能だ。サブロ老人は自分が気紛れを起こし彼らをドウグ社の工房に迎え入れたのは、二人のアトモスフィアに自身の選別眼が騙されてはいないか確かめるためだと自身に言い聞かせた。
増して彼らがマノキノの元部下、彼と共にモータードクロを造った虐殺の幇助者だとすれば、なおさら警戒しなければならぬはずなのだ。
湯呑みに茶葉を入れ、沸かしたお湯を注ぎ入れる。僅かな葉の感触と共に飲み干すそれは、実際健康にもよく古式ゆかしい伝統的ホットドリンクである。
「ドーゾ」
カンヌキとモリトモは、礼を言ってサブロ老人から湯呑みを受け取る。茶の熱は酸性雨の降り注ぐ外気で冷え切った身体には暖かく、手にしているだけでも彼らの凍てついた精神を癒すかのようであった。
「お察しの通り、我々はロボ・ニンジャの開発チームを外れプロジェクトの管理に回されました。あそこの仕事は、心身に堪えます」
サブロ老人の言葉を待たず、カンヌキは一人ごちるように喋り始めた。老人もまたそれを遮るような、無粋な真似はしない。彼もまたサブロと同じく、大事なものを失い心に深い傷を負った者。それらが現在の環境と相俟って、彼をよりネガティブな方向へと導いているのだと、長年のクラフトマン直感力が告げていた。
「あそこに送り込まれる人達を見ていると、ズンビーの群れでも眺めているんじゃないかって気分になります。あのジゴクを見せられるのが、ブッダの罰って奴なのかも知れませんね」
湯呑みを持ったまま項垂れるカンヌキを案じて、モリトモがその横顔を眺める。彼女にとってもまた、プロジェクト区画の管理業務は辛い仕事だった。強引な区画整理や建設計画で住居を奪われた者達が送り込まれるプロジェクト区画は、一種の牢獄である。彼らの大半は激務によって体を、精神を壊され、終わっていく。カンヌキ達の仕事は、それらの監視だ。労働者を消耗品と同等に捉える自称エリート共はともかく、技術畑で育った彼らはそれらを耐え忍ぶ神経など持ち合わせていないのだ。事実上の懲罰房である。抜け出すためには上役に媚を売って他の部門に異動するか、退職願を提出する以外にない。
「それで、倅に一言詫びをと。そう言いたいのかね」
サブロ老人は底知れぬ怒りを押さえつけながら、カンヌキに問う。モータードクロの暴走は、憎んでも憎みきれないオムラに対する禍根を老人に植え付けた。彼の目の前で、マノキノは無惨に殺されたのだ。
「あの人は開発チームの誰よりも、被害者だったと思っています。信じていただけるか分かりませんが。マノキノ=サンは、決して欠陥ロボットなんか造っちゃいません。あの人は誰よりもひたむきで、真摯でした」
ネオサイタマの治安を乱し、マッポーを呼び込む犯罪者達を取り締まれる頼もしいロボットを。モータードクロも、元は先代のモーターヤブも、そのために設計されたロボットであったとカンヌキは力説する。それらの話を聞くにつれ、サブロ老人の心中にも次第に彼の話に対する興味が芽生えてきた。思えばマノキノのことについては、十歳の時に妻に連れられて出て行ってからオムラの社員としてアイサツに訪れるまで、知る術もなかったし知るつもりもなかった。だがあの日モータードクロに殺されたマノキノは、少なくともあの一瞬においてサブロ老人の誇れる息子であった筈だ。今頃になって知りたいと願うことを、誰が責められようか?
「常にマノキノ=サンは、貴方の背中を追い続けていたんだと私はそう信じています。そいつを、あのラオモト・カンが台無しにしていったんです」
ラオモト・カン。サブロ老人の表情にも険しさが宿る。トコロザワ・ピラーの屋上から転落し壮絶な最期を遂げた男のことは、情報過疎地のオオヌギに住まう彼の耳にも入ってきていた。
金融業者ネコソギ・ファンドの代表取締役から、一時はネオサイタマの知事最有力候補にまで上り詰めた男。だがその実態はネオサイタマの政治・経済を牛耳り、思うがままに操ってきた巨悪の一人だ。表向き彼は自殺したことになっているが、サブロ老人には根拠なき確信があった。
奴は殺されたのだ。サブロ老人の眼前でモータードクロを破壊した、たった一人の超人によって。
「ラオモト・カンは、倅に何をしよったのかね」
「モータードクロの仕様変更です。あいつの要求は実際無茶苦茶でしたが、従うしかなかった。マノキノ=サンはそれを粛々と受け入れて、おかしくなっていたんだと思います。当然、我々も」
モリトモが思わずミルクポット眼鏡を持ち上げ、目頭を押さえる。目の形を確認するのも困難なほど分厚い眼鏡に隠されたその素顔が、一瞬だけ露になったように思えた。
ああ、やはり。マノキノは我が息子だ、カエルの子が実際オタマジャクシだとサブロ老人は自嘲する。彼は愚鈍に、どんな目的に用いられるかも知らず淡々とモータードクロを造り続けたに違いない。
「それなのにチャールストン=サンと来たら、死んだマノキノ=サンになんのお悔やみもありゃしない。残った我々まで、欠陥商品製作者のレッテルを貼られてプロジェクト行きです」
「人を呪わば、自らが埋葬される」
サブロ老人は一言のコトワザを用いて、カンヌキのオムラ重役陣に対する呪詛めいた言葉を押し留める。キツネを落とされたかのように、彼は目を見開いて老人を視界に収めた。
「お若いの、怒る気持ちはワカル。だが、それだけでは解決せんよ。命ある限りは、前に進まねばならん」
カンヌキにかけられた優しい言葉は、その一方でサブロ老人自身に言い聞かせるようでもある。
「倅は、あんた達に相当慕われていたと見える。こいつぁ、老いたる者のワガママだが。あ奴にも思う所があって、ロボットを造り続けていたのだとワシは信じたいのだ。どうか、そいつをあんた達が継いでやっちゃくれんだろうか」
カンヌキとモリトモは肩を並べて、サブロ老人の言葉を受け止める。しかしその表情は複雑であった。
「実際、身に余りますね」
「ええ、ラボに戻れそうにもありませんし」
モリトモは自虐的に笑いながら、カンヌキに同意を求めた。そのカンヌキはと言えば、なぜか湯呑みに視線を落とした体勢で、固まっている。
「どうしました?」
モリトモの呼びかけが聞こえたかどうか。彼が注視していたのは湯呑みの水面である。細長い茶葉の一つが、天をつくかのような縦方向に浮いている。これは日本古来の縁起物とされる、ティー・ピラーではないか?
「ありがとうございます、サブロ=サン。お陰で、俺は踏ん切りがつきました」
サブロ老人が怪訝な顔を作り、モリトモもカンヌキの横で首を傾げている。
「オムラを辞めます。ああ、もうあの会社には愛想が尽きた。うんざりだ。新しい会社で、マノキノ=サンの遺志を継ぎたい」
モリトモはカンヌキの言葉を聞いて、眼を丸くした。
「お、オムラを退職するんですか? 退職して、何処に行くつもりなんですか。あそこより条件がいい会社なんてそうそう」
「サラリーの高い安いなんざ、問題じゃねえんだよ。それにもう、行き先のアテはある」
サブロ老人が見るカンヌキの意志は、強固に思えた。そのカンヌキが思い起こしていたのは、数日前に会ったとある男の記憶である。
――――
数日前、ネオサイタマ市内某所!
カンヌキは薄暗い店内のテーブルに腰かけ、待ち人の到着を緊張した面持ちで待ち構えていた。先方が待ち合わせに指定した場所は、トコシマ地区ビル街の奥底にある薄汚れた喫茶店である。眠るような目で同じコーヒーカップを磨き続ける老マスターを除けば、店内にカンヌキ以外の人影はない。この立地、この客の出入りで果たして経営は成り立っているのだろうか。人事ながら心配にならざるを得ない。
彼がこの場に来る切っ掛けとなった出来事は、更に数日前に発生した。その日も彼は休憩時間の合間を縫って、自分のIRC端末のスイッチを入れ転職ネットワークへと密かにアクセスしていた。実のところ、彼がオムラを辞める意志は突発的なものではない。条件さえ合えばいつでも三行半をオムラ・チャールストン専務の攻撃的なバーコードめいた頭に叩きつける覚悟はできていたし、鞄には常に退職願を忍ばせてもいた。
しかし問題は、彼の求める労働条件を満たしている会社がなかなか見つからないことである。カンヌキもまたモリトモと同様オムラの給与条件に慣れきってしまっていたし、三年前に式を挙げたばかりの妻と十ヶ月になる息子を養わねばならない。新居のローンも死ぬまで払い続ける必要があった。さりとて時折好条件の会社を見つけると、一瞬で募集定員をオーバーしてしまう。そんな状況をIRC端末で眺めて溜め息をつくのが、カンヌキの日課になりつつあった。
彼に一通のノーティスが届くまでは。
内容は、とある企業の人事が面会を希望しているというものである。それはカンヌキにとって大変訝しいものではあった。何しろ企業名や条件は、会うまで話せないというのだから。
転職ネットワークは、時折こうしたワケありの企業と転職希望者との仲介役を行なっていると聞いている。だがカンヌキ自身がそれを体験することになるとは、思いもよらなかった。ネットワーク自体も、決して信頼に足る仲介と言えるかどうかは分からない。さてこの誘いは吉か、凶か?
午後のモニター室で、光彩が失せた目をして働き続ける労働者達を眺めながらカンヌキは考えた。彼等に比べたら、まだ自身は選択の余地がある分恵まれた部類なのかもしれない。仮に面会希望者がとんでもない詐欺師だとして、それに騙されない程度の精神的余裕は持ち合わせているつもりだ。余裕がある内に突っぱねて、転職ネットワークに一言報告を入れてやればいいだろう。そう思ってノーティスを返送すると、程なくして日時やこの待ち合わせ場所が再返送されてきた。
そして、現在。古臭い板張りの床、マホガニーと思しき琥珀色のカウンターは、前時代的な落ち着いた統一感を保っていたがカンヌキの緊張を和らげるには至らなかった。待ち合わせ時間が五分前に迫り、新たなコーヒーのオーダーを考え始めているとドアのカウベルが鳴る。
隙間から顔を出したのは、だぶついた贅肉、少々後退した生え際を持つ中年男だった。
「イヤイヤ、マイッタネ、コリャ」
何に参ったのかおおよそ理解出来ないジャーゴンめいた言葉を口走りながら、店内に足を踏み入れる。まさか、彼が? カンヌキの人物査定を以ってしても、詐欺を働くようには。あれはむしろ、騙される側だ。
だがその男は、店の奥にいたカンヌキの姿を認めると、目を見開きスモトリめいた小走りでそそくさと歩み寄ってくるではないか。まさか、であった。
「アイエエエエ、スミマセン、スミマセン。カンヌキ=サンですな。お待たせしてしまいましたか、スミマセン」
過剰なほど謝られた。だが「スミマセン」という言葉は、謝罪のみならず感謝や深慮の意思を伝えるのにも用いられる奥ゆかしい多義的ワードでもある。
「いいえ。私も早く着きすぎましたので」
「そうでしたかドーモ、スミマセン。わざわざ起こしいただいて本当、スミマセン」
状況や前後の文節からどの用途で「スミマセン」を用いているのか即座に読み取ることも、奥ゆかしきサラリマンには必要なことだ。だがこうしたスミマセン人間がビジネスで成功するのは、実際稀である。少なくとも、オムラでは生き残れない。
そのビジネスが下手そうな小太り男は、腕に引っ掛けた背広をいそいそと羽織るとカンヌキの向かいに腰掛けた。
「マスター、イツモノ、お願いね」
「ヨロコンデー」
横から唐突に、男の声! カンヌキは口から「アイエッ!?」と声を上げるのを、かろうじて思いとどまった。カップを拭きながら寝ているのかと思えたあのマスターが、いつの間にか伝票を手にしてテーブルの脇に控えている。もしも彼がアサシンなら、カンヌキは確実にアンブッシュで首を取られていたであろう。ワザマエ!
マスターがカウンターの奥に消えるのを待ってから、カンヌキは平静を装って話を切り出すことにした。
「ドーモ。私は、っと、少々お待ちいただけますか」
カンヌキは背広のポケットを探り、そこに忍ばせていたIRCジャマーのスイッチを入れた。ツチノコ・ストリートのいかがわしいジャンクパーツショップで手に入れた、軍用品の横流しパーツだ。ジャマーが発する妨害電波は、左手の甲に埋め込まれたICチップが発する生体信号を阻害する。
「失礼。改めましてドーモ。オムラのカンヌキです」
「ドーモ、カンヌキ=サン、スミマセン。私はヤマナンチのナカサマと申します。スミマセン」
小太り男の発した肩書きが、カンヌキのニューロンに引っ掛かった。ヤマナンチだと? 胸騒ぎを抑えながら、ナカサマと名乗った男との名刺交換に応じる。そこには確かに、ヤマナンチ・エレクトロニクス人事部長のナカサマ・トノベと記されていた。ナムアミダブツ! 彼が身元を隠していた理由が、一瞬で理解できた。
カンヌキは素早く自身のニューロンを検索する。ヤマナンチは医療用サイバネティクスの義体や人工臓器を手がけており、業界では二位のシェアを持っていた。しかし闇サイバネ治療が横行している現代においてこの産業はニッチであり、経営状況はかならずしも芳しいものとは言えない。しかも、懸念事項はそれだけではなかった。
「あの、まだタケダチック・アガキとは、その」
ナカサマ人事部長は、精一杯右手を伸ばしてカンヌキの次の言葉を必死に遮った。
「お待ちください、お待ちくださいどうか。スミマセン。仰りたいことは痛いほど分かっておりますので」
ナカサマはしばらく手を振ってカンヌキの反論を封じながら、左手でスラックスのポケットを漁ってハンカチを取り出す。彼は神経質に、頭髪の薄い頭に浮かび上がった冷や汗を拭い取った。
「アガキ=サンの仰ってることは、全くの言いがかりなんです。スミマセン。私達にニンジャを雇って、企業テロを仕掛けるような余裕なんてありゃしないんですから」
カンヌキのように闇の事情にも通じたサラリマンならば、ニュースにはならずとも周知の事実である事件があった。それは軍事用サイバネティクス製造のタケダチック・アガキ社社員が、原因も分からぬまま何者かの狙撃を受けて死亡するという通り魔めいた事件だ。
アガキ社は近年医療用サイバネティクスへの自社技術転用を目指しており、卑劣な買収工作を背景としてヤマナンチ・エレクトロニクスのシェアを貪欲に食い潰していた。
「ですが、誤解なんです。スミマセン。アガキ=サンとことを構えたところで、私らにいいことなんて何にもありゃしないんですから」
ナカサマもカンヌキも、アガキ社が裏では企業ニンジャを抱えていることをよく知っている。
そう、ニンジャ。常人の数倍の肉体能力を持ち、様々なジツを現代に再生させる超常的存在。
オムラ・インダストリもまた企業ニンジャを多数抱え、同時にそれらを科学の力で打倒する方法を模索してもいた。ニンジャにかかれば零細企業のヤマナンチを壊滅させることなど、造作もないだろう。
「ええ、ですが、マッポには随分虐められましてな。嗅覚の強い新卒は、揃ってうちの内定を蹴っていってしまいまして。ですからこうして、ヘッドハンティングの真似事などやっとるわけなんですわ。スミマセン」
当然だ。ニンジャに報復される可能性がある会社に誰が就職したがるというのだろう。
だが、これは。紛れもなくこの男は本物だ。藁にも縋る思いでカンヌキに接触してきた、ヤマナンチの社員なのだ。世界のどこに、風前の灯火である企業を騙って詐欺を働く奴がいるというのか。しかもナカサマはこの店で「イツモノ」ができる客、リピーターときている。
「なるほど、事情は分かりました。ですが、ヤマナンチの方が、ナンデ私を?」
「スミマセン、話のキモはそこでございましてな。アガキ=サンは、まだ報復する気満々なようでして。うちの社員にいつ危害が及ぶかと思うともう戦々恐々なんですわ、スミマセン。ですが、うちにはヤクザを雇う金だってありゃしないんです。そこで、ヤマナミ、うちの社長が申しますには。スミマセン」
そこでナカサマは、心持ち前屈みになってカンヌキに顔を近づけた。
「自前でニンジャ作っちまえってんですよ。うちの技術で」
カンヌキは、口に含んだコーヒーを危うく吹き出しそうになった。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、荒唐無稽にも程がある!
「ニンジャって」
横からコーヒーカップと共に二本の腕が伸びたのは、その時のことだった。慌ててカンヌキが口をつぐむ。マスターがナカサマの前に置いたコーヒーカップから、エキストラブレンドの暖かなフレーバーが漂ってきた。
ここのマスター、本当はニンジャなのではなかろうか。そんなことを考えながら再び彼がカウンターに戻るのを待つ。
「そちらさんの社長は、正気とは思えません。ロボ・ニンジャですって? 大体、ヤマナンチじゃ軍用サイバネはおろか、ドロイドの技術だって」
「スミマセン、それができるんですわ」
再びの絶句。驚きの表情を作るカンヌキを前に、ナカサマは薄い笑みすら浮かべていた。
「その気になれば、うちの技術は頭以外全部サイバネに取り替えることも可能なんです、スミマセン。LAN制御なしで動かせる義肢はうちが初だと思います。特許も取得しておりますよって、調べていただければと。スミマセン」
ナカサマは断りを入れて、ミルクをコーヒーカップに注ぎ入れる。彼が口にした言葉を反芻する。ヤマナンチが義体技術で特許だと? 初耳だ。
「そんなスゴイ技術が、どうして今まで大っぴらにされてないんですか」
「スミマセン、そりゃあ両足を取り替えるほど重篤な怪我をした人がいなかったからでして。動くところはとことん使い続けるのが、うちの社風ですから。スイマセン」
ナカサマの言葉はカンヌキにはおろか、およそほとんどのネオサイタマ市民にとっても奇妙なものに聞こえたことだろう。必要とあらば、健常な部位にもサイバネを埋め込むのが当たり前のライフスタイルだ。カルチャーギャップを感じずにはいられない。
「ただ、人間以上に飛んだり跳ねたり殴る蹴るといった辺りは、さすがに不慣れでございまして。スミマセン、カンヌキ=サンの経験を是非ともお借りしたいわけなんです」
カンヌキは黙り込んだ。現状、ヤマナンチが試みようとしていることは、無謀の極みと言えよう。だが浅慮ではない。ロボ・ニンジャの設計主任であったカンヌキの経歴を調べ上げ、こうしてスナイパーめいて声をかけてきたのだろう。
だが、本当に新しい環境でロボ・ニンジャが造れるのか? 技術はあってもオムラのように充実した開発費用、設備があるわけでもないヤマナンチで。労働条件だって、ろくでもないに決まっている。そこで本当に
「ところでカンヌキ=サン。スミマセン、最近よく寝れておりますかな?」
ナカサマの声で、思考の渦を堰き止められた。どうして唐突に、この男は人の体調など聞いてくるのか。
「いえ、それほどでも」
「左様でしたか、スミマセン。悪い癖ですわ。ヤマナミの下で人事をやって三十年にもなりますとな、どうも顔色を見る癖がついてしまっていけません」
カンヌキはなぜか、ばつの悪さを覚える。そんなに血色が悪く見えたのだろうか。
「それともお仕事にご不満でもありましたか、スミマセン。オムラ=サンみたいなご立派なところにお勤めなのに、転職活動などなすっているのは余程の事情かとも思いますし。スミマセン。それで、どうでしょうか。弊社への転職はご検討いただけますか」
ナカサマの言葉が心に刺さった。オムラへの不満は当然あるに決まっている。だがそれに比べてヤマナンチの仕事が魅力的かどうかと言えば。
「実際社長のお考えは夢想めいたお話です。少々考えるお時間をいただきたい」
「そうですよね、スミマセン。すぐには決めかねる、当然のことと思います。お決めになられましたら、是非お電話を頂戴致したいと思います」
ナカサマは婉曲的な拒絶に気づいてか気づかずか、にっこりと笑いながらテーブルに置かれたカンヌキの伝票を手に取る。
「スミマセン、ここのお勘定は私が払いますので。私はここでコーヒーを楽しんでから出ますんで、先にお帰りいただいて結構です。スミマセン。ここのは私のお気に入りでしてね。へへ」
香りを楽しんでいるナカサマを横目に、カンヌキは席を立って一礼する。
「ご馳走になります。では私は、これで失礼を」
「本当に、わざわざスミマセン。プロジェクトのお仕事、頑張ってくださいね」
マスターにも一礼してカウンターの前を通り過ぎ、喫茶店を後にする。後ろ手にドアを締め……?
(ブッダシット、あのタヌキ親父……!)
プロジェクトのお仕事、だと!? 言ってもいないのに、気がついている! ナカサマは名刺に書かれた肩書き、カンヌキの顔色などから彼の素性をあらかた見通しているのだ。なんというサラリマン人物鑑定眼! そして恐らくは、ヤマナンチのロボ・ニンジャ構想にカンヌキが惹かれていることすらも。
ああ、隠しようもあるまい。理不尽な降格人事、畑違いの仕事。ラオモト・カンの消えた今こそ、最高のロボ・ニンジャが作れるはずなのに、オムラと来たら! そこにヤマナンチがロボ・ニンジャを造りたいと言ってきた。魅力を感じないはずがないではないか。
ヤマナンチの先行きに対する不安。オムラへの雪辱。カンヌキのニューロンの上ではこれらを乗せた天秤が、左右に激しく揺れ動いていた。
(またロボ・ニンジャを……マノキノ=サンの弔い合戦を……)
未練を断ち切るべく足早に喫茶店を離れてなお、彼の中に渦巻く思いは膨れ上がるばかりであった。
――――
そして現在、ドウグ社工房!
「それで、ヤマナンチ=サンの誘いに乗るつもりなんですか?」
「ああ、そのつもりだ。あそこは真面目にそのつもりで、オムラリストラ組を取りにきてる。もうオガベやゼッタにもナカサマ=サンは声をかけているみたいでな」
モリトモは動揺を隠せなかった。たった今カンヌキが列挙した名前はいずれもリストラクチャされたモータードクロの開発スタッフではないか。つまり、つまりは。
「か、カンヌキ=サン。私、私にはそんな話来てませんよ。私も元スタッフなのに」
「そりゃお前さんは、チームのお茶汲み重点だったからじゃないか。ナカサマ=サンもノーマークだろうよ」
「ヒドイ!」
半泣きになるモリトモを眺めて、くぐもった笑い声を漏らす者あり……サブロ老人である。
「チームでまとめて、ヤマナンチに移ればええ。どうせ人手不足だろうよ。そうか、ヤマナミがのう。音沙汰ないと思えば、社長様かよ」
なお笑い続けるサブロ老人を前に、カンヌキとモリトモは顔を見合わせる。サブロが喜びの感情を露わにするのも実際稀だが、ヤマナミ? ヤマナンチの社長の名を、彼は呼び捨てにしたか?
「ヤマナミ=サンをご存知なのですか?」
「知ってるも何も、奴は元ドウグ社員よ。ワシの同期だ」
再度絶句する二人を他所に、サブロ老人は歯を見せほくそ笑んだ。
「先代、ワシの親父が存命だった頃に取った弟子の一人でな。肩を並べてワザマエを磨き合ったもんだが、何をとち狂ったのかサイバネをやりたいと抜かしだしよった。結局喧嘩別れしてそれっきりだったが、そうか、そうか」
彼は一頻り独り合点して頷くと一転、笑みを消して二人を鋭い眼光で睨みつけた。
「ヤマナンチに行きなされ。そして、造ってみなされ、ニンジャを。厳しいかもしれんが、オムラの百倍千倍はまともな会社だ。ワシが保証しよう」
カンヌキはサブロ老人に視線を運び、しかと首を縦に振った。おお、見るがいい。一つの断固たる決意を現した彼の面構えを、燃える瞳を! ドウグ社の門前でドゲザしていた男とは全くの別人のようである!
ただ一人、モリトモだけが一人別世界に取り残されてしまったかのように、あたふたとカンヌキの袖を引いた。
「あの、カンヌキ=サン?」
「ああ? 心配すんな、お前さんのことは俺がナカサマ=サンに紹介してやるよ」
「いや、そうじゃなくて。奥さんは転職のこと、ご存知なんです?」
一瞬だけ、カンヌキの笑顔がストップモーションめいて硬直した。
「いや、これから話す。ああ、ガキの養育費がどうのと泣かれるかもな。実際家も手放さんといかんかもしれんが。まあ、何とかするさ。決めたことだ」
モリトモを捨て置いて一人盛り上がるカンヌキの姿を、サブロ老人は微笑ましく眺めていた。
向こう見ずな姿が、似ているのだ。若かった頃の自分に。せめて妻に逃げられたところまでは、似ないでほしいと願わずにはいられない。
老人の息子、マノキノは二年前のあの日死んだ。
だが、おお、見よ。その魂は、目の前の若者へ確かに受け継がれているではないか。ゴウランガ、ゴウランガ。
「さて威勢のいいことは結構だが、精々オオヌギを出る前にその勢いを挫かれぬようにな? ガキと親共が、オヌシらを狙っとるかもしれんのだからな」
「アイエッ?」
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一ヶ月後、オムラ・インダストリ本社ビル最上階、役員会議室!
円卓の会議場には、この会社を支配するオムラの一族が顔を連ねていた。だがナムアミダブツ、この月例会議の身の毛もよだつようなアトモスフィアを語るは、幾千幾万の言葉を用いても至難の業と言えよう。
会議場の奥に陣取るは、薄い髪を几帳面になでつけ嗜虐的なバーコードめいたヘアースタイルを形作る黒縁メガネの老人、オムラ・インダストリ会長オムラ・セントルイス!
会長の右隣に陣取るは、薄い髪を精一杯になでつけ刺激的なバーコードめいたヘアースタイルを形作る黒縁メガネの初老の男、オムラ・インダストリCEO、オムラ・ミルウォーキー!
会長の左隣に陣取るは、薄い髪を神経質になでつけ攻撃的なバーコードめいたヘアースタイルを形作る黒縁メガネの中年の男、オムラ・インダストリ専務、オムラ・チャールストン!
以下、役員全員がクローニングを噂されるほど整然と頭頂部や黒縁メガネを輝かせ、会議が始まるのを猛獣めいて待ち構えている。ニュービー・オムラ社員ならば失禁も免れ得ぬ光景だ。ナムアミダブツ!
「エート、それでは月例の役員会議を開催いたします。それではエート、最初の議題は事業整理に伴う早期退職者募集の状況について。報告願いますかな」
「ヨロコンデー」
チャールストンの言葉に応じて、人事部長オムラ・ノースカロライナが起立し会長に一礼する。
「エート、先月までの募集に応じて退職を希望した者は計画定員数の五十パーセントを達成いたしました。エート、これは実際予定通りの数字です。残り五十パーセントにつきましてもプロジェクトへの配置転換により、早急に完了できるものと思われます」
「よろしい。引き続き勧告を続けなさい」
ブッダ! ノースカロライナの言うプロジェクト配置転換とはプロジェクト管理よりも更に下、最下級労働者に混じって働くことを意味する! 正社員が自らの企業で働くことには、何ら法律的な問題がない。しかしプロジェクトでの過酷な労働はカチグミ企業で甘い汁を吸い続けたサラリマン達に耐えられる筈がなく、配置を命じられる前に辞表を提出する以外に回避する方法もないということだ。なんと合理的かつ残酷な人員削減システムであろうか!
「エート、念のため早期退職者の配置について教えていただけますかな?」
「ハイ、多い順に兵器製造部門から十七人、サイバネティクス製造部門から十五人、営業部門から十二人となっております。エートそれに続いて、プロジェクト管理部門から十人が退職しておりますな」
チャールストンはそれを聞くと、自身のメガネを持ち上げて確認する。
「プロジェクト管理部門? はて、あすこにはまだ配置転換の勧告を行なっていなかった筈ですが。潔いのが先んじて辞めて行きましたか。エート、個人名は分かりますかな?」
「ハイ、カンヌキ・オカノ、オガベ・ハンザキ、ゼッタ・クルス……」
名前を聞くにつれて、チャールストンの表情に笑みが浮かび始める。
「これは傑作。モータードクロの開発チームがまるごと辞めて行ったか。ポンコツしか作れぬ連中が、抗議退社気取りか? 随分と思い上がったものだ」
「チャールストン=サン、実際問題ではないのかね。腐ってもモーターシリーズの元開発メンバーであろう? 技術流出を心配せねばなるまいよ」
「ハッハ、会長。ご心配には及びません」
チャールストンは笑顔のまま、セントルイス会長を見やった。
「奴等が持っているノウハウは、全て我が社のデータベースに収集済みです。仮に奴等が外で何か作ったとしても、我が社の類似品が出来上がるまでのこと。知的財産の侵害でたっぷりと賠償金を絞り上げ、我が社の懐の深さを思い知らせてやればよろしいでしょう」
「なるほどチャールストン=サン、君は我が社の収入倍増に余念が無いな」
セントルイスは納得すると、次の議題に移るよう指示を出す。彼らがこの会議で決めなければならないことは多い。たかが一セクションの集団退職ごときを気にしている暇はないのだ。
だが、会社の経営にしか興味のない彼等は、モータードクロ開発チームの集団退職を実際侮っていたと言わざるを得ない。如何に知識が会社のデータベースを通じて継承されたとて、その裏にある情念や熱意までも継承することはできないからだ。
そしてオムラの重役陣には、集団退職を気にしていられるほどの余裕すら実際なかったのである。
(ナイト・クリエイテッド・バイ・ウェイスト #1 おわり #2へ続く)
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不定期連載です/筆者の妄想が多分に詰まっています/本編と矛盾する設定があるかもしれませんが見逃して下さい/夏に冊子化できるといいね/奔放に書き散らしているので冊子化する時にお手入れするかもしれません/鮪/http://www.tinami.com/view/379062 ←#2 | ||
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ドーモ。夏のウキヨエ祭りに向けて鋭意製作中です。ご期待ください。(false76) 遥かに良いです。続きが気になります。(ゆめえり) |
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