追憶迷路 |
ぱちくり、と俺は瞬きをする。そして硬直する。
眼前には見慣れない――いいや、はっきり言おう。見たことのない姿の『何か』が居た。
存在した。果たして存在しているのか? 妄想の産物ではないか? 絶賛明晰夢連載中じゃないのか?
疑う。疑わざるをえない。
そりゃ世界には色んな生物がいるさ、常識を逸脱するような構造の生物や吐き気を催すようなグロッキーな昆虫とか奇妙な深海魚だってな。
でもよ、考えてみろよ。ここはただの住宅地だぞ? はっきり言って何の変哲もない住宅地だ。
地理的にも歴史的にも因果的にも宇宙人が隠居してたりツチノコ発見が噂されたり古代魔法文明が眠っていたりするような場所じゃない。野良犬すら見かけない、閑静な田舎の住宅地なのだ。
訳がわからない。思わず呟く。
そう言って現実逃避できるならしたい。でも誰もが知るように人の目から映る映像は全て現実であらゆる形を持ってそこに存在していて、決してそこからは逃げ切れないんだぞ……。
「いい日ですね」
顔は笑っていない。しかしかすかに微笑むようにそれは切り出した。
現在俺の居る場所に人気は俺とそれしかいない。
もしそれが生物であるとするならば、発声対象は俺に違いない。
男か女か中性か。姿を見て声を聞けば性別など安易に判別できるはずなのに、何故か俺の脳が判断を躊躇った。解析を阻害されているとさえ感じてしまう。
視覚と脳の間に霧がかかっているようだ。
とりあえず性別はどうでもいい。問題はこの状況である。
現在、夜。
具体的に言うなら、午後九時過ぎ小腹が空いたから何か食べようと思ったけど冷蔵庫にアイスクリームがないせいでコンビニに行こうと考えて玄関を出て数分経った頃の時間だ。
「……何か変な事、言いましたか?」
こちらが反応しないことを不審に思ったのか不安に思ったのかは存じないが、しばし言葉を考えた後追撃を加えられる。
確かに出会った人間に挨拶をすることに何らおかしな点はない。夜という事は除けばな。
「い、いえ、そんなことはありませんよ」
電柱の光が暗い路地を照らす。見えているのにわからないそれが怖くて仕方がなかった。
立ち止まって対峙しているのに俺だけ沈黙を続けているのもおかしな話だ、せめて言い繕うように応える。
「顔が変ですが」
初対面の相手に酷い言い草だ!
しかし自分でも分かる。己の顔が引きつっているのではないかという予想がありありと想像できる。
「……ひどい人」
それは一言呟くと、宙に浮いた様に俺の横を通り過ぎた。つい最近嗅いだことがあるような匂いが鼻を突いた。
風は感じない。後ろを振り向くことは出来なかった。
……もういいだろ、俺は今焦ってるんだ。便意にストーカーされて個室に逃げ込む五秒前くらいだと思ってくれていい。
何故焦ってるのか。
そりゃ、さ。
その『何か』、浮いてたんだよ……。
第一話:追憶の存在・A
なーんてことはない高校。そう、高校だ。私立ではなく公立。中学時のレベルにおいて一般的な中学生が一般的に受けるような普通の高校。普通じゃないとすれば、学校がやたらと進学校ぶりたがる所か。
ここに通い始めて二回目となる春、今俺は今年度初の登校をしていた。
学校の課題も人生の宿題もなく、堕落しきった春休みを経て久しぶりの登校というわけである。
学校への通学路にはおおよそ新品臭さ漂う制服を来た生徒が歩いているのを見かける。
生まれてくるまでの時間がたった一年違うだけなのに、妙に先輩風を吹かしたくなってしまう。
ああ、気怠い。でも綺麗だ。
俺は通学のために通る並木道を歩いて実感する。過去にすがりたい足元と、緑生い茂る木々を見上げる頭。バラバラだけど、バランスは良い。
嫌がらせとしか思えない通学路の坂を上りきると、後は二年生のクラス群に向かい、ドアに貼り出されたクラス発表の紙を確認して回る。
その時、俺の肩が力強く叩かれた。
「久しぶりっ、だな!」
声に覚えがあるので、肩に置かれた手を振り払って言ってやる。
「ついこの前会ったろ……」
挨拶の前にツッコミを入れる俺、すっごく優しいと思う。
どうやら俺が今年学校生活を送るクラスは四組らしい。
そして隣にいる馴れ馴れしく肩を叩いてきた男も四組であった。
名は仮屋という。小学校以前よりの知り合いで、またの名を腐れ縁とも言う。
言動や思想に忠実でいつでも明るく元気な奴でイベント好き、そういう性格もあってか男女ともに友達は多い。
そんな彼の擦れた学ランにツンツンヘアーの姿は学校でも存在は稀有で、遠目でも仮屋だと判別できる。また、下級・上級生にも物怖じせず謙遜せず躊躇わず会話を成立させてしまうため校内でもお馴染みらしい。それに助けられた人も多いとかなんとか。
「固いこと言うなよー。一緒の組だな、おめでとう」
「それが久しぶりなら嬉しいんだけどな? 小学から現時点で八割以上は同じクラスだったと思うぞ?」
そうだ、腐れ縁の他聞に漏れず、仮屋とはずっとクラス替えにおいて殆ど同じ配置にされた。友達が少ないかもしれないと担任に見透かされたのが原因なのか、それともコイツとセットで販売することが良いことだと判断したのかはわからないが。
とまあ以上のようなそうでないような理由でクラスがほぼ一緒であって、更に学校が終わってからもしょっちゅう一緒に遊んでたから、もはや一緒のクラスかどうかなんて些細な問題と化している。
どうせ今日クラスが違ったと知ったって、「遊ぼうぜ!!」といった内容の絵文字付きメールが送られてくるに決まってる。
過去あったことといえば、そのメールがホームルーム中に着信したことがある。無論サイレントマナーにし忘れていた俺も悪いかもしれないが、それでも担任と振動との戦いを繰り広げた去年のあの日を忘れない。そしてお前を許さない。
「まーまー座ろうぜ!自由席だひゃっはー」
教室に入るなり窓側一番後ろに仮屋が陣取る。もとい、予めマーキングとして置いていた自分の鞄を目印にした席に戻った。この騒々しさを知らないような既に教室に入っていた同級生の肩が仮屋の声で跳ねた。
……残念ながら、出席番号順なんだけどな? 黒板に貼り出されてる。
「っだよ、早く言ってくれりゃよかったのに」
俺のほうが遅く着いたのにこの言い草だよ。
コイツの苗字は仮屋。そして俺は来嶋。過去、間に人が入ることも多かったが、どうやら今年は前後で座るようだった。か行の名字の人頑張れよ。
だが結局右へ列を一つズレる程度の移動だったのは幸いだったらしい。コイツ後ろ好きだし。
改めて正しい席に座り、そこで仮屋と雑に話をしている間に、教室内へ人が入る入る。二十分ほど経過した時点でクラスの面々がほぼ全員入り、今年最初のHRが開始されようとしていた。
高校入学と共に別れた友は多いが、それ以上に知らない人が同じクラスに入ることも多かった。そりゃ一学年に六組ある――言い忘れていたが、この学校では一学年につき六クラスあり、さらに志望学科により別に数クラスあるのだ――なら仕方ないよな。
故に担任の自己紹介をしているときにちらっと周囲を目線で見渡すと、話したことはないし、見たことすらない顔が大勢発見できた。まさか俺がこんなに閉鎖的だったなんて!
ふと前の席を見れば、仮屋がこちらを見ていた。また仮屋の発作が始まったか。
「おいおい見ろよ」
さっきから見てましたけど。今先生が黒板を向いているからって話しかけてくるな。
「可愛い子がちらほらと…だぜ?」
変な語尾を取ってつけたように言うな無視をするな!
まあ……言われて見れば、というよりも、パッと見ただけで周囲からちやほやされそうな女の子がちらほらと目に付く。
別段女漁りが好きで生きているわけじゃないので一瞥するだけで済ませた。
とにかくまあ、タイプが違えどさぞおモテになるんでしょうなーといった女の子が存在していた。それらと交流が持てるんならほんのりとした努力も悪くはない。
……このような俺の目線を思考通りに読み取ったのか、仮屋はムリムリ、と囁く。
「お前にゃ無理だろ。去年と同じだ、うひひ」
前の席で笑う男を全身全霊で投げ飛ばしたい。どちらかといえば窓の外へ。
しかし、コイツの言うことは至極正しい。
実は去年も同じクラスだったのだが、その時に点在していた可愛い子――いいや、そもそも女の子とすら仲良くなんてなれなかったのだ。原因を上げるならば俺の努力不足。
結局、努力と執念と根性すら武装しない男子高校生に、青春と称す勝利など訪れやしないのだ。特別な理由でもない限りな。
「まーまー、今年も仲良くしようぜ、オレと」
担任が今後の日程やら行事やらを黒板に書き出している最中、俺達以外に喋る人は居なかった。悪い意味で目立っている。
そんな仮屋は堂々とにこやかに親指を立てていた。
すると、いつの間にか担任が仮屋の目の前まで来て、苦味を噛み締めた顔をしながら黒色の生徒名簿でツンツンヘアーを潰した。
うへ、と仮屋が声を漏らすと振り直り、さーせんさーせんとにへら笑った。俺はため息を返事としてさよならを告げることにする。
そうは言ったって、なんだかんだでコイツと過ごす日常も悪くないなと思ってしまう自分が居た。
詰まらないより詰まったほうがお得だろう。面倒くさいと呟く自分と楽しむ自分がせめぎあうことで余計に疲労が増した。
担任も仮屋の事は知っていたようで呆れたように嘆息すると再び教卓に戻って話しだす。
年間行事だの近日の予定などをつらつらと述べ始める。先生にとっては何十回目の話なのだろうが、俺たち生徒にとっては初めてあるいはニ、三回目の話なんだから、せめてもう少し楽しそうに話してくれてもいいのに、と思うのは酷だろうか?
軽い説明が終わると去年もやったからわかるだろう、という担任の表情。
そのまま教室を追い出され、名前順で並んで体育館へと向かう。
始業式だ。
恒例の長い校長の話、次に学年主任による受験の何たるかを講釈垂れ。それらを馬のように聞いていたらいつの間にか終わっていた。
あれよあれよと本日の用事は全て終えてしまう。
下校時刻。とりあえず担任が別れの挨拶をして生徒も呼応するや否や、仮屋は友達と遊びに行くと言って元気よく走り去っていった。小学生と変わらない彼の姿は清純に思える。
……羨ましくはないが。
仮屋が先に帰ってしまったので、今日は一人で帰宅することにした。
大多数の生徒は、このあと部活があるわけだが……部活の話はいい、今は。
二年生の教室のある二階から階段を下り、すたすたと靴をはきかえて下校する。もちろんこんな時でさえ、話しかけてくれるようなやつはいなかった。去年一緒のクラスだった男子が、廊下でくっちゃべっている。
学校帰りのほんのりとした下り坂、校門を過ぎた辺りでふと振り返る。いつもとかわらぬ古びた校舎の姿、顔も知らぬ生徒の群れ、部活を勧誘する上級生と同級生の列。この時期ならではの風景である。散り始めた桜坂を下り始める。
ふわり、と揺れる。昨日の雨でつやつやした桜の花びらが俺の周囲に落ちる。この下り坂を覆う。空気が揺れる。風と共に揺れる。俺の短い毛も暴れる、ほんの短く強い風。
風で切り離された数多の花びらの一部が俺の頭に落ちた。見るだけなら風情結構趣結構で良いのだが、どうやら風、あるいは花びらはそれすらも俺に許してくれないらしい。
邪魔臭いので首を左右に振り、同時にカバンに着いた変な模様を消す。
ふと横目で校舎の三階が見えた。三年生及び文化系部活の教室などが配置された階だ。
高校三年生になったら受験の重しに潰されながら一年間を過ごしていかなければならないんだなあ、と人並みの感想を抱く。
三階に数多く残る空き教室には……特に何も思わないな。ある空き教室だけはちょっとした事情があるが、本当にちょっとした事なので割愛。愛があってたいへんよろしい。
いや、ないのか?
何事も無く、電車を乗り継いで自宅にたどり着く。
――かちゃん、と門が甲高い音を上げる。昔からあるもので、結構ガタがきている。
俺の部屋は二階にあり、階段を上る前にリビングに居る母に一言挨拶してから自分の部屋に向かう。
部屋の中は至っておかしなところはない。向かってすぐ右手前にベッドとタンス、左奥に小学生の頃から使っている学習机と本棚、それだけだ。一般的な男子高校生程度の漫画なら置いてある。
ここにはテーブルすら存在しないのだから味気ない。唯一の自慢はテレビの見れる俺専用パソコンぐらいだろうか。机を我が物顔で占領している。
下手すれば一人暮らしよりも狭い部屋である。
まずこの重い制服を脱いでハンガーに掛けると、タンスの一番上にあった服を無造作に取り出して着る。センスも組み合わせも無い適当な着こなし。
きゅる、と腹がなる。
午前で終わった学校からの帰りに何か買い食いをした訳でもないので空腹である。そういえば母は昼ごはんを作っていたのだろうと推測し、部屋を出るついでに脱いだ制服を洗濯機に放り込んでリビングへと乗り込み昼食をとったのだった。
素うどんをかきこんで数十分が経過した。
膨れた腹に満足しつつ、俺はベッドに倒れて窓を眺めていた。
「あー、空が青い」
独り言。誰にも聞かれないならきっと言う人は多いはずだ。実は俺もこういう独り言を呟くタイプで、こうやって脈略の無い、意味のないことを呟いて気をよく紛らわしていた。
ベッドに倒れた俺の目からは窓越しに電線と向かいの家の屋根、そしてゆるりと流れる雲が映しだされていて、当てもなくただ窓から見える世界を見て時間を過ごす。
それにも飽きるとベッド近くの棚に置いてある音楽プレイヤーを匍匐前進で掴むと適当に音楽を再生し、目を瞑って何も考えず耳を傾けていた。
こんこん。
音楽にノイズが入ったのかと無視をする。
こんこんこんこん!
いやノックだこれ。
「うあ、入っていいぞー」
急いでイヤホンを耳から抜いて声を出した。
ご丁寧にもノックして入ってくるのはあいつしか居ない。
「入るよ、お兄ちゃん」
お兄ちゃんと呼ばれるからには訪問主はすなわち妹である。わかってたけどさ。
ウチの両親はノックという文化を知らないから困る。妹の部屋にはちゃんとノックするらしいんだがなあ……。
ちなみに今更だが我が家には妹が住んでいる。両親と俺たち兄妹、そして我が屋の犬っころ一匹という家族構成だ。
年は二つ下。今年受験生ってところだ。こうして訪ねてきたってことは――。
「今日もいい? 暇なんでしょ?」
「そう言われると忙しいと答えたくないな」
面と向かって暇とか聞かれたら何かイエスと答えたくないのは俺だけだろうか。きっと俺だけじゃないはず。
「うん、いつもどおり。じゃあ今日もよろしくね。お菓子くらいは用意しておくからさ」
「お菓子はリビングに行けばあるだろ。そこを強調する意味がわからん」
俺の指摘を聞かずに部屋を出ていった妹の後ろ姿を見て、ため息を推進力としてベッドに倒れた。
つまり何がどうなってるんだというと、こうだ。
今年高校を受験しなきゃいけない。両親は妹にいい高校に行って欲しい。でも塾を進めても妹は頷かない。じゃあ兄に任せたらいい。
……どうしてそうなるんだ? おかしいだろ?
犬を飼っているとはいえ、ウチはお世辞にも裕福とは言えない。むしろ妹の塾や家庭教師の費用をわんこが食いつぶしていると言ってもいい。飼うと言い始めたのは母だから異論はないが、それを賄うために俺が尽力しているのは納得いかねー……。
こうして俺は春休みの頃から暇な時は時々妹の部屋に行っては軽く勉強を教えている。
懸命に勉強する妹に対して普段勉強していない俺が勉強を教えるのは些か罪悪感というか申し訳なさがこみ上げてくるが、中学レベルなら相当なレベルを目指さければ俺にでも大丈夫なのだ。
俺だって一応元受験生だし、高校受験の時は割と勉強したクチだ。毎度毎度記憶を呼び戻しつつ妹の問題解答を見ている。
「ほらほら、早く来てよっ」
妹の部屋の前で手招いていた妹によりめでたくお呼ばれして入室する。
テーブルには今日勉強するであろう教科書や参考書、そして申し訳程度のお菓子が置かれていた。封が開けられ少し量が減っている。言わずもがな。
「俺だって忙しいんだよ」
嘘だけど。
「嘘つき」
バレてた。
本を逆さに読むのは辛いので妹の隣に不躾に座ると勉強を開始する。
これ自体もう何十回もやっているし、今更手順について悩むことも緊張することもない。
問題集の時は解いてから答え合わせと解説を俺がやり、予習に関しては学校の授業を真似て説明する。至極シンプルなお手軽家庭教師だ。
しかも今日は問題集を解くタイプの日だったので楽だ。なので、こういう日に読む用に買っておいた本片手に勉強を進めさせる。
……家庭教師なら、報酬をもらってもよろしいんじゃないでしょうかお母様。
「そういえばさー」
勉強を初めて数刻、問題文を目で追いながら妹が突然話しかけてきた。こういう場合、相槌を打っても打たなくても勝手に話は続くので、俺は暇な時に読んでいるいつもの本を読み続けた。
「ヒメの事なんだけどさ」
妹からヒメという言葉が漏れる。
ヒメとは、我が家で我が物顔で居座っている怠惰なわんこの名前である。大型犬。まだまだやんちゃな年頃だったように思う。
当初外で飼うつもりが、可愛さの余りに家の中にいれざるを得なくなったとは母談。大体家の玄関のドアを開けるとコイツが寝そべっていて靴を脱ぐのを妨害するはた迷惑な犬だった。
補足情報……ヨダレが多い。特に飯時。
「何か変なものでも食ったのか?」
困ったことに、たまに拾い食いをする犬なのだ。植物は当然として昆虫さえも食糧と考えているらしい。
「いんや、ヒメがそんなことをするのはお兄ちゃんが散歩するときだけ。そうじゃないの」
そうだったのか!?
「昔からなんだけどさー」
ふと問題を解く手を止め、息を吐く。
「散歩に行ってるとね、ちょいちょいと引っ張られるの」
「引っ張られる?」
「そう」
イエスかノーかじゃなくて内容を訊いているんだけどな。
「あの神社、お兄ちゃんも行ったことあるよね」
「ああ――」
てっきり近所の食べ物屋の匂いに釣られているのかと思ったが。
知っているとも。
神社というか、ここが田舎なせいで寂れた、何を祀っているのかすらわからない社がこの辺りには点在している。住宅地のど真ん中か、それとも森の中か、俺の知らぬ所にも在りそうである。
「山の上のところか?」
「そ。昔お兄ちゃんとも遊んでたところ」
「そんなこともあったな」
記憶にはあまりない。
「それで、引っ張られるって……あそこにヒメが行きたがってるって? あのクソ長い階段をか?」
半ば信じられないといった調子ではあっても、実際身に覚えがあった。
我が家ではヒメの散歩は母か妹が主に行い、時間が取れない他様々な理由により俺がピンチヒッターで散歩に出かけることになっている。
そしてある散歩の時、時間があったので珍しく遠くまで行った時、その神社が建立されている山の麓を通ろうものなら、ヒメの首が閉まるのだ。ただ通り過ぎるだけだってのに不自然にその方向へと力を感じるのである。
もっともらしく長い階段もあるし何より面倒なので、かつてヒメの希望通りに神社へと足を向けたことがあろうか。
その瞬間ヒメと視線が合うと、どことなくしょんぼりしているように感じるのは錯覚ではないかもしれない。
「それがどうかしたのか」
どこが問題だーってわけじゃないんだけど、と付け加える。
「最近、なんだかヒメの……こう、行きてえ! って感じが特に強い気がして……」
「そりゃ単純にヒメの力が強くなったのかお前が弱くなったのどっちかじゃないか? 最近胸に脂肪溜め込んでるしな」
「……変態」
冗談だという様に笑って見せると、右隣に座っている妹は左手で胸を隠して俺を睨んだ。
生意気な事に、コイツは最近特に胸に脂肪を溜め込み始めているのだ。冬眠するんじゃねーだろうな。もしそうなら残念ながらいまは春だっつーの。遅いっつーの!
「変態」
大事なことなので二回いったのか。それとも念を押したかったのか。
「うへへ―――ぐおぉっ!?」
「変態!」
乗ってやった瞬間、俺の脇腹に妹のひじ鉄が突き刺さる。勢いがおかしいだろ!
「じ、冗談だっ、コミュニケーションだっての。ほっ、本気にしすぎだ……っ」
肋骨の骨と骨の間に深く突き刺さったひじ鉄は未だ刺さったままで、更に追撃としてぐりぐりしてくる。
「うぐぐ……それで、そんなに気になるほどのものだったのか」
仕切り直す意味でも話を戻した。
「まあねー。別に害があるわけじゃないから、気にするなと言われたらそれまでなんだろうけど……」
どうも腑に落ちない、と言った表情だった。
しかし、いくら話題に上げるほど感じたとはいえ、気になるほどのものなのだろうか?
動物は人間よりも感覚に優れ、人間が感じないことでも感じることができるらしいが……となると、うちのわんこは神社の神様でも拝みに行きたがっているのか?
「――昔話じゃあるまいし」
そこで俺は予定を生み出す。
「わかった。今日は暇だし散歩に連れて行くから、その時に確認してみるわ」
「自分で暇って言ったね?」
昔のことなど覚えてはおられんのだよ。
「あはは、ありがと。別に気味が悪いって意味じゃなくて、何となく気になるだけなの。何も無ければそれでいいし」
気になる事は答えが出るまで考え、調べる。学生にとってあるべき姿勢だな。俺にはないけど。
「妹様に頼まれちゃしかたない。勉強が終わったら行くから、今は問題でも解いてろ」
どっちにしろ時間が潰せてラッキー、と言うべきか? 最近散歩に出かけてないし、ヒメも喜ぶだろ。
「じゃ、お礼に……」
と言って、シャーペンをテーブルにおいて両腕で自身の小さな脂肪をゆっくり挟み始めた。
――マジか!
「……変態」
妹は顔を逸らして再び左手で隠してしまった。
なんと惜しいものよ。
そんなこんなで時間は進み、英語・数学の問題を合計して二十ページ程終わらせたところで俺はお役御免となった。
もう世間的におやつの時間ではあるが既に妹の部屋で食べていたこともあって、特に何か食べたい気分にはならない。
なので、何気なくソファに座ってテレビを見ることにした。
一度電源を入れたら、こちらの日常など一切考慮しないけたたましい喧騒と笑い声が部屋を包んだ。お笑い芸人がコントを披露している映像だ。
決して俺はその笑い声につられるようなことはなく、むしろ、この温度差に笑えてしまうのであった。
いつから人格は形成されるか。
別に俺自身そんなにつまらない人間じゃないと自負しているが、人付き合いが多くない時点で人として、男として魅力がないのかもしれない。その原因が『つまらない人間』だから、結局俺はつまらない人間なのだろう。
無理にでもテンションを上げていけばそれから脱出できるかな、と考えるが、仮屋を想像して胃が震える。
真剣にコントを聞くことなく、ただ騒音に溺れていた。
こくり。
こくり。
「――はっ」
暖かくなった革の感触が頭を包む。
部屋が九十度回って見える。縦向きに置かれたテレビがずっと映像を流している。
……どうでもいいテレビを見ていたらどうやら少し眠ってしまったらしい。
これを応用すると、寝付けないときの対策になるな。
「っと、そろそろ散歩に行くか」
時計を横目で見ると三時半近く。昼寝ととれば悪くない時間だ。
俺は気怠く体を起こすと、前に置いてあるリモコンでテレビに仮眠を与え、首を一、二回鳴らしてから立つ。よれたシャツとジーンズそのままにリビングを出て玄関に向かうと、怠惰の中の怠惰を享受しているヒメを発見する。相変わらずで安心だ。
「さーてヒメよ、散歩にいくぞーっと」
いっぱしの犬が人語を理解するか。これについて俺は学者じゃないし犬でもないのでわかるはずがないのだが、声の調子や音程に反応するのは明らかなので、そういう意味で明るい自分を押し出してみる。むしろ、犬猫インコ等々のペットに対してドスの効いた声だったり無口だったりする飼い主はいないだろ、多分。
俺にさえそうさせる可愛さがヒメにはあるのだ。
靴箱の上に置いてあるペット関連の道具箱よりリードを取り出すと、若干緩いヒメの首輪へとかける。小気味良い金属の音が鳴った。ちなみにヒメはこの時間帯に道具箱をごそごそする事を散歩に行くと理解していて、先程からちぎれるんじゃないかと思うぐらい尻尾を振り回していた。
ガチャリ。門を抜けると、コンクリートで舗装された細い道路があった。
……そう新鮮な景色なんて出会えるまいて。
ただいつも通りの散歩道を――たまに変わった道を――ヒメと共に歩く。それが母か妹か、たまに俺のする仕事だった。
今思えば、妹に体よく仕事を押し付けられたような気がする。
まあ受験のこともあるし、妹の負担を減らすことにはやぶさかではないのだけども。
右隣にはハッハッハと舌をぶら下げながら歩くヒメの姿。リードが揺れるたび、ヒメが揺れるたびカチャカチャと音がなる。極めて規則的な音が静かな住宅街を彩る。
ここで右、次の十字路は左。三個向こうを右に言って公園を通り、そこからは真っ直ぐ。
次第に景色は色を増やしていく。コンクリートから土へ。田んぼだ、あぜ道だ、たんぽぽだ、はしゃぐ少年の集団だ、近所のおばあちゃんだ。
太陽の明るさも伴って、見違えるように色が増えていく。
母曰く、この地域は一昔前も二昔前にも前に開発された住宅地、いわゆるニュータウンらしいが、それは築三、四十年のホテルニュー何とかと同じでニューの意味を成していない。
非常に閑静な住宅地だし、繁華街の反対側に歩けば、出会えるのは春はたんぽぽ、夏は蛙、秋はトンボと冬は……あんまり印象ないな。
とにかく、田舎臭さ満ちた風景と遭遇することができるのだ。それが俺の住む地域であり、それが良いところでもある。良し悪しはこの空気に耐えられるかどうかで左右されるが。
歩むほどに変わる景色が少なからず精神面にプラス効果を与えているのは間違いない。ほぼ毎日通る通学路はともかく、久しぶりに歩く道路が存外心地よかった。
その時間もすぐに経過し、やがて目的地の目印が姿を現す。
「もうすぐ見えて来るぞー。お前の大好きな神社がよ」
声と共にリードを持つ右手を揺らしてやるとヒメは、気のせいかと感じる程度に尻尾を揺らし、顔をこちらへ向けて息をはあはあとさせていた。
何を意味するか。
期待か。それだと嬉しい。嘆息か、それだと……反省しよう。
ただ、ヒメが神社に近づくにつれ俺の歩くスピードを凌駕するように感じてきたのは事実だった。
まさか本当に神社に何か思い入れがあるというのか。それとも、公園に行くノリではしゃぎまわりたいだけなのか。あの玄関でのぐうたらぶりはその布石だったのか?
「妹の話もたまには信じてやるもんだ」
なんだか妹の悪口を言っているように我ながら思い、自省する。無意味な悪口、無感情な嘲笑、こういった人間として気付くべき点に気付いてこなかった俺が、今の俺を形成しているのだ。友達が欲しければまずはその性格を直せってことだよ。聞いてるのか俺?
「はあー。やっぱ高いな」
この距離だからマシに思えるが、近くで上を眺めようものなら首の疲労を考慮しなければならない。
どうして神社や寺なんかは高い所が好きなのだろうか。バカは高い所が好きらしいが……流石にこんなことは言えまい。
景色が変わり始めてから十分か二十分程か、ようやく神社を成す山全体の姿を小さく視認することができた。草木が生い茂る山の中に階段が作られ、昔のままならその大体頂上に件の神社がある。
空に突き刺さるようにそびえ立つ山。昔はその神社は文字通り神のおわす場所だったんだろうな、と当たり前の感想を抱く。今は見るも無残な姿だろうと予想されるが。
昨日雨が降ったくせに今日は雲ひとつ無い快晴で、空の青と木々の青のコントラストに見ている俺も不思議な気持ちになる。
古い記憶、遙か昔の夏休み。そこまで年をとったわけでもないのに郷愁に駆られた。
俺が小学生の頃、近所の友だちと神社にかくれんぼやら鬼ごっこやら遊びに行く時も、このルートを大体トレースしている。今でこそ約数十分でふもとを見ることができるが、子供の足なら一体どれほどの時間を掛けてゴールへと向かったのだろうか。
さて、ここで簡単な地理を説明しておこう。
家から神社へは先程述べたルート通りに行くのが最も簡単だ。
ただし、ルートの途中から住宅地を超え、田舎の田園風景さながらのエリアに突入する。
ここから、流石に地面は舗装されているが、左右、そして前後が四季に沿った様々な作物が植えられている田んぼに囲まれるのだ。
この変化というものは我が町の二面性を表す最もな例だ。中途半端という言葉がより似合う。
辺りに視界を遮る障害物と思しき物はあらず、あるとすれば時折伺える民家と、今俺が前方に視認している山ぐらいなものだった。
俺の目に映る風景の変貌に改めて感想を抱きながら、ヒメの目に映る映像を空想しながら。
次第に荒ぶり始める犬の尻尾に心の中で笑いながら。
歩みを進めたその瞬間。
――ずきり。
頭のどこかが痛んだ。
「……ん?」
状況に似つかわぬ痛みと不穏な音に思わず足を止めてしまう。
春とはいえ、この時期でも気温は上がり始めている。冬よりも春のほうが好きだが、暑いのは勘弁だ。
その暑さが俺の頭痛を誘導しているのか?
「まさか」
自分で言ってセルフツッコミ。軽く息を漏らすと、首をかしげつつも俺は再び歩き始める。
歩きすぎて頭痛がすると結論付けるのは早い。そこまで弱っちゃいない。
前方遙か遠くに階段がある。壊れ砕かれた石の階段。誰も通っていないことが明らかな程の古さを誇っている。
この見通しの良い直線の先に神社へと続く階段がある。
――ずきり。
その階段に近づくたびに、足の裏を地面につけるたびに、ずきり、と頭をつねられる。
過去経験したことのない種類の痛みに思わずこめかみを押さえ立ち止まる。心なしか視界も揺れている。
風呂上りにふらふらしたり、暑い時にかき氷を一気食いした時のような痛みじゃない。
明確な、まるで俺を攻撃しているかのような痛みだ。この山の上に宇宙人の拠点があって、警告するために俺に精神攻撃をしているのだろうか。
馬鹿か?
馬鹿だ。馬鹿な馬鹿だ。全く以て馬鹿馬鹿しい。何が宇宙人だ。そういう風に形容するのは仮屋の行動だけでいい。
俺は正常だ。
また歩く。痛む。鼓動を成すように痛む。
痛い。誰の痛みだ。また足を止める。右手が前に行く。立ち止まると思っていなかったヒメの首が絞まる。振り返ってこちらを見るヒメは、早く行けと命令しているように見えた。
はじめは俺の力が勝って押しとどめていた。
「お、おい――」
しかし、次第にヒメが俺の意思を無視し始める。
微かな抵抗を無視し、ヒメは俺を引っ張った。
進めば進むほど鼓動の音が大きくなる。
……本当に鼓動の音か? 鼓動の音に見せかけた痛みの音ではないか?
止まれ。
痛い。痛い。更に痛い。どうなってんだ。
必死に止まらんと足を踏ん張るが止まれない。止まらない。止まりそうにない。そのうち踏ん張る力が消失する。
何故か俺の体は既に意思による支配を逃れていやがる。
止まれという命令を無視して歩く。歩くというレベルじゃない、小走りだ。
並走する俺達。意思無き今の俺では、むしろヒメが俺を誘導している。今や首輪は俺に付けられているようなものだった。
ヒメの足取りがリズミカルになり、自然と進むスピードが速くなる。脳と体が乖離した俺は、だんだん近づき段々痛む頭に悩まされながら、ひたすら独断的な思考を試みていた。
「ち、ちょ――止まれよ!」
何が起きている? しかしあまりにも痛くて考えがまとまらない。
どこへ向かっている? わかりきったことなのに、それがわからなかった。
俺は……ヒメは、どこに向かっている?
都合の利かない首をなんとか動かし、ヒメを見る。ヒメは、ただ前を向きただ階段に向かって進んでいる。歩調を合わせるように俺も進み、より強い痛みに顔を歪める。
次第に階段が大きく見える。山も大きく見える。近づいてきた証拠だ、更に頭痛も加速する。これも近づいてきた証拠のように思える。
――痛覚。
頭痛とは違う痛みにはっと驚く。
歩くことに飽きたらしいヒメが勝手に走り始めたのだ!
二足歩行と四足歩行が競走をしたって結果は見えている。右隣のヒメは加速度的に走りを強めていた。首輪をつながれた俺は、それについていくように右手が大きく引っ張られ、意思無き体は追いつこうと全力で走る。ヒメの息が大きく荒れる。地面を蹴る足が激しく躍動する。
俺って、こんなに速く走れたっけ。風を斬る音と痛みの音がやかましい。
正通学校の運動会のかけっこなんて、後ろから数えた方が早い順位ばっかりだったような気が。
右手が大きく前に突き出て、分離することのない肩が引っ張られて前のめりになる。いつ転んでもおかしくないのに速さについていける自分に恐怖した。
犬と同じ速さだぞ? 場が場なら短距離世界記録だって目指せるかもしれない。
速い。速い速い!
地面を蹴る足が酷くしびれて膝が壊れ腿の筋肉がひきちぎれそうでも止まらない、止まれない!
かつて経験したことが殆どない程の痛みに視界がねじれ、風が見える。
ブレた青々とした木々が見える。空が見える。風の隙間が見える。
――なんだって?
隙間が見えた?
そう表現したことに違和感を抱く。
暑さで煮えくり返る体と裏腹に、諦観して冷静になった俺の脳が訝しむ。俺らしからぬ意味不明な表現だ。
しかし。
それは何だ、と誰かに尋ねる前に――
*
りん、と鈴の音が鳴った。
むしろ、それ以外の音が消えてしまった。
そう、例えるならどう言うのが適当だろうか。
地球が一瞬で反転した、とか。世界がひっくり返った、とか。電車に乗っていて、トンネルに入った、とか。
どれも現状を表すのには不適だろうに、それより上手い言葉が思いつくことがなかった。
ぐにゃり、と世界がずれた……という言葉が思いついた時、やっと正解に近い表現がでてきたな、と思った。
はて、俺はどこに居る。
世界がずれた。
そう思っていたら、いつの間にか俺は暗闇の中に立っていた。
とはいっても完全な暗闇というわけではなく、闇に慣れた目を凝らして周囲を見てみると、うっすらの以前の景色の輪郭が見える。両隣には田んぼの窪みがあるのだ。
つまり場所自体は動いていない。
足は既に止まっていた。あれだけ全速力以上で走ったというのに息は切れていない。
身体があたたまるどころか寒気さえする。汗でぴたりと張り付いていた前髪は乾燥し解放され、汗は蒸散しきったようだった。息が荒くなるどころか、むしろ気味悪さに息が詰まりそうになる。
足や腕、肩を軽く動かして見て所有権を取り戻したことを確認しながら考え、右手が手持ち無沙汰なことに気付く。
ヒメが居なくなってしまった。ヒメの姿は消え、握っていたリードも消えた。
もしヒメを失くしてみろ、家族、主に母と妹から……いや、父からも大ブーイングされるに違いない。
なのに――そんな焦燥感はこの鼓動の中に存在してはいなかった。
得体のしれない恐怖感を煽る景色だというのに落ち着いている、それが何より恐ろしかった。
ここは、どこだろう。
コバルト色の空。雲はない。時間をあと十時間ほど遅らせたような、そんな夜の景色。雲はないのに星はない。これではまるで暗い部屋に知らず知らずに入ってしまったようではないか。
とりあえず、進んでいた方向に歩き始めるしかない。
途方にくれつつも、じっとしていたって仕方がないのだと躊躇を振り切る。
足音すらならない世界。ただ鈴の音が不正確にリズムを刻み、軽い耳鳴りが周囲を包むのみだ。
あの時走ったおかげで階段までの距離が随分と縮まっていた。前後の記憶が曖昧なせいで一体どの時点で『ここ』に来てしまったのかがわからない。
まさかただ見に行くだけだった行動がここまで飛躍してしまうとは思っても見なかった。
明かりはない。ただ薄暗い。光源がないのにどうして見えているのかという疑問には答えられそうにはない。
まさに不思議世界。精神世界。そういった言葉がお似合いだった。
「ここにヒメが来たがる理由、か」
当初の予定とは大きく外れたが、ようやく階段の一段目がはっきりと見える距離まで来ることができた。ここで俺は足を止めて仰ぐ。
暗さが俺の視覚を阻害する。頂上は見えそうにはない。数十段先がうっすら見える程度だ。
少し思いを馳せてみる。
あの駄犬に何か考えがあるとは思えない……とずっと俺は思っていたし、実際そういう思わせぶりな行動は見たことがない。
それだけに、妹の「ヒメがここに来たがる」という発言には甚く驚いた。
もしかして今までの堕落っぷりはブラフで、裏では何か壮大な計画を立てて――。
阿呆。
いきなりこんな所に放り込まれたせいで思考がおかしくなってきている。
そんな状態で色々考えたところで有益な事は思い浮かぶまい、と切り捨て、階段を上がり始めるべく足を踏み出す。
もにゅ。
「もにゅ?」
続けざまに起きる不可解な現象に思わず擬音を喋ってしまう。
綿あめ、いやゼリーに体を突っ込ませたらこういう感覚なのだろうか。見えない何かに遮られている。
仰ぐのを止めて前を向き、いざ階段を上がろうとしたときの出来事だ。
ゼラチンか? スプリングベッドか? 姿も形もない造形の何かが階段の前にそびえている。
試しに人差し指を差し出してみると、音もなく感触もなく阻まれる。ある程度までは沈むみたいだが……。
これじゃまるで誰かが俺を神社に行くのを快く思っていないかのようじゃないか。
「許せんな」
意味もない執念に燃えていた。
理解出来ないし論理の範囲を悠々と飛び越えた所に投げ込まれるだけでも怒り心頭なのに更に制限を加えるというのか。理由も説明せずに。
昨今のゲームでさえ移動できないエリアはちゃんとセリフで教えてくれるというのに、全く不親切だ。
そういうわけで、俺は階段を回りこんで進もうとする。具体的には側の木の間をぬって進んだ。
……しかし、同様に阻まれてしまう。
わかったことは、俺が居るところと山とを何かが区切っているという事だけだった。
直感と言うか本能が、今後ろに戻っても帰れないと囁いている。だから無駄とわかりつつも階段を上ろうと頑張っているわけだが、傍から見たらみっともない事この上ない。
りん、と音がした。
途端、遮る何かの向こうから光が灯された!
「うおわっ!?」
不測すぎる事態に突入する行動をすっぱりと諦め驚きおののく。
俺の視覚情報が正しければ、オレンジがかった光だった。
写真加工を加えた後のようなぼんやりとした光で、それは何故か眩しくない。網膜に焼きつかない不思議な光だった。
次第に濃度を増し、階段の上でふわふわと揺らめいている。
――死なせてはいけない
俺の耳に突如、言葉が反響する。
音に驚き周囲をぐるりと見渡す。
コバルトブルーの空や田んぼが広がっていて、そう遠い位置は視認できない。
「……死なせてはいけない」
呼応して呟く。
誰を? 何を? 誰から? 何から?
対象も理由も根拠もわからぬ欠けた言葉が零れ落ちた。
――お前は、死なせてはいけない
「お前は誰なんだ」
「お前は何を知っている」
光を直視する。太陽とは違って見てはいけないことはない。怪しくも優しい光。
冷静でない頭で冷静に考えると、この光が声を発している事は明らかだ。
何故ならば、今ここに登場人物は俺とその光、二つしか無いからな。
声は続く。
――お前は死なせてはいけない。忘れてはいけない
「知らないものを忘れるわけがない」
ちりん、と鈴がなる。光が揺らめく。
「……もしかして怒ったのか?」
正直に言って光に囁く俺すっごく痛々しい。でもこうする他道がない。
さっきから一方的に言っている光に対して質問をすると、光の揺らぎが増す。
決してろうそくの光ほどじゃない。まさに太陽の光が目の前にあった。
徐々に、急速に光度がますそれを俺は見続けた。
やがてその光は、形を成した。
「……!!」
うにょうにょと形を変える光に鳥肌が立ったが、いちいちこんなことで驚いてもいられない、出来上がった姿を眺める。
人の形だった。
そのヒトガタの周囲には、形成される際に入りきらなかったのか常に生成しないと形を保てないかで光が漏れ出ていた。それがまるで後光に見えて神々しかった。この光なきコバルトブルーの世界だからこそ、余計に幻想的だった。
夜に見るホタルの光。スケールを下げればそんな感じだろう。
そのヒトガタが、階段を降りる。二段目で静止する。
「待ってたよ」
やけに響く暗闇の中で、俺の耳はそう聞いた。
俺も後ずさった足を戻して再び階段の前に立つ。
ヒトガタの『それ』は少女だった。
おおよそこの世の色では再現できそうにないオレンジ色の髪の少女。輪郭が現れたが若干姿はぶれている。古い型のビデオをスクリーンに投影しているように、時々ノイズのある姿の少女だった。お互いに二段の差があるものの、それでも俺より小さい。
途端、ひどい郷愁が俺を苛む。
見たこともないものに郷愁を感じたりなんかしないだろ?
しかし誰かが……何かが、じわじわと脳裏に焼き付けようとしている。
何かをしなければならないような、焦りのようなものを感じる。
ぼんやりとしているのは少女の姿か、はたまた俺の記憶か。
思い出せない。俺はこの子を知っている? なら何故少女の顔が見えない。ぼやけていても姿は確認できるのに、表情だけは何一つとして見えないのだ。
少女は仕草一つせず囁きかける。
「待ってたよ」
知り合いにこんな女の子を見たことがない。
なのに。
なのに、そう言われたらそんな気さえしてくるのだった。
ずっと待たせていたような、そんな気が。
「待ってるよ」
そんな約束、取り付けた覚えはない。
きっちりと言いたかったのに、自然と口が閉ざされる。
彼女は、誰だ?
理解も記憶の検索も追いつかない。
ただひとつわかるのは――悲しそうだ、ということだけだった。
表情は光でぼやけてはっきりと見えない。平坦な声で言われても感情を推し量ることはできそうにない。
俺は一体どういう行動を取るのが正解かと考慮している時、不意に少女の右手が伸ばされた。
曖昧な輪郭でもわかる、細い、華奢な腕。そこから出ている指は尚更だ。
現実にいたら心配になるぐらいに。
「ん?」
何も言わぬ少女の手を見て俺は気付く。
明らかに彼女の手の先は俺を遮っていた何かを透過しているじゃないか!
「……」
「……あー」
しばし硬直する俺の体。しかし静止する少女。
もう理由とか原理とか、そういったふざけていない事を考慮するのはやめることにしよう。
……もう、やることは決まってるじゃないか。
恐る恐る、俺は少女の手に触れた。
電流が血液を駆け巡るように感じる。
温もり。
懐かしさ。
寂しさ。
少女は俺の手を握る。
「もうちょっとだけ、待ってる」
握ったまま、俺にそう言った。
何を待っているんだ? 届ければいいのか? 探しだせばいいのか?
あらゆる5W1Hを駆使して疑問文を構築するも適当な文は見つからない。
何かを期待するような沈黙。
もはやこの状況を理解することなんてできやしない、と察し……もとい、諦めた。
「――わかったよ」
疲労が無闇矢鱈と蓄積する。慣れないことは眼前に起こるべきじゃない、何より普段使わない頭を必死に回転させるべきじゃない。
ぶっちゃけ早く帰りたい気分ではあったが、ありがとう、と少女の口元がすこしばかり釣り上がったような気がする。
この言葉を、感謝だと感じてくれたのか。
それが何故か嬉しくて。
「本当に、本当に、あと少しだけ待ってるよ?」
優しい声が続く。
子供のような声色。異次元染みた風貌とは程遠い、明るい声だった。
そうかこれは夢だ夢に違いない。
一つ目を閉じれば元通りだろうし頭痛も引いてるしなんてことはないとある日の犬の散歩の状況に覚めるはずなんだ。
はずなのに。
そのはずなのに、何故これほどまでに感触がリアルなんだ。
光を握る俺の手がふわふわと温度の上昇を感知する。緊張から来る興奮の賜物なのか、あるいは光から発せられる熱エネルギーなのか。
ただ温かいだけではないのは確かだ。無機的な熱ではなく、芯に響く熱。
どういうわけかその少女の表情は何一つ読み取れない。光が強すぎるせいで、かろうじで輪郭が見て取れる以外はのっぺりとしているのだ。
それでも光から波打つ声を懐かしいと感じた。
どこかで聞いた。どこかで見た。苛々するデジャヴ。ほじくり出したい。でもわからない。
感情状況全てを理解することなく、俺は口を動かした。
「会いに行く」
「絶対、絶対?」
握られた手の力が強くなる。彼女の意思は力となり主張しているとさえ感じる。
「絶対。――絶対だ」
くす、と少女は笑った気がする。
「じゃあ、ちょっとだけ」
決して手は離さない。
「ああ。ちょっとだけ、な」
俺も自然に笑っていた。微笑みかけるような、優しい気持ちが俺を支配する。
「ふふ、ちょっとだけ!」
少女は急速に輝きが増した。
その手とつながっている彼女の指先がから光が強く流れる。光の粒子が溢れる。滾る。
頭から。恐ろしく美しい毛先から、足先から。胸の内から。
全てが粒子となり。世界を塗り替え始める。
「来てね」と、ホワイトアウトし始める少女と世界の中、そう聞こえた気がした。
*
ぐい、と引っ張られる感触がした。
……はれ?
気の抜けた声が出てしまう。
痛い。目が痛い!
手をかざして目を閉じ、虹彩が適応してくれるのを待った。
数秒経ってなんとか復帰できたと判断したら、目を開けて事態を確認する。
……あれ?
今度はきちんと口にだすことができた。
眼前には、太陽の下に晒された階段が。特別な装飾も何もない、これといって気になる点のない石のものだ。周囲には木々が生い茂っていて、階段以外からこの山を登る気にはならない程だ。
どうしてだ?
耳を澄ませば蝉の声が聞こえるかもしれない。
非常に晴れやかな風景だった。
思いだせ。
原因不明な力により走ることを強制された俺はいつの間にかヘンテコな夜へと時空を越えてしまった。
そして理解不能は会話の後気がついたら元に戻っていた――。
「意味がわからん」
まさにその通りだった。
この説明を聞いて一体何人が状況を脳内で再現できるのだろうか。少なくとも俺にはできない。
だがその通りなのだ。理解されなくてもそうなのだ。理解できなくてもそこに事実として降りかかったのだ。
今一瞬夢遊病か明晰夢か白昼夢か蜃気楼か走馬灯なんじゃないかと色々逃避してしまった。
……本当に夢じゃないだろうな?
「待ってる、か」
右手はしっかりとリードを握っていて。暑かろう毛皮に覆われたヒメが長い舌を垂らしていて。
夢だといいなあ、とため息を付いて俺は階段を上ることにしたのである。
――腰に紐でつながれたタイヤを引くように。足首に足枷を付けたまま走るように。数十キロの重さのあるリュックを背負って行軍するように。
俺は疲労していた。
実際体験したことは一度もない。ただの例だ。
誰の手によっても手入れされなかったであろう鳥居を考えなく通り過ぎると、日常ではあまり見ることのない景色がそこにはあった。
地上よりも心なしか強い風が髪を撫で、額を刺す。
一般的な階段でも急傾斜だろうに、顔色ひとつ変えずに付いてきた……むしろ牽引していたヒメはすごいと思う。
周囲、階段側を除く全てが広葉樹によって覆われていた。神社の敷地全体が日陰になるほどの高さではない。だが周りからの視線を遮断するにはうってつけで、子供たちが大人から隔離された独自の世界を形成するのにもうってつけだった。
腕で額の汗を拭う。神社という特別な環境が、風により強い冷たさを加えている感覚がした。
ヒメは階段を登ってからは意外にも大人しく、中へと進む俺の横をピタリと付いていた。階段を登ることが目標だったのか?
古さの中にも頑丈さはある。隙間に草の生えていない石畳だったり、そのほかの地面には雑草が生い茂っているのにも関わらず社付近には全く生えていなかったり。
俺はオカルト信者ではない。勿論リアリストでもないわけだが、神頼みをすることはあっても本気で神の存在を信じているわけではない。
にも関わらず、この神社に入ると不穏な気持ちになってしまうのだ。ざわざわする。汗が微妙に服にへたりついて気持ち悪い。
忙しく首を振り回して左右を確認しながら俺たちは歩みを進めた。不気味なほどにその石畳は綺麗に作られており、言ってしまえばボロい他の設備に比べれば一度新調したかのようである。
「で、社の前に来たわけだが」
四段の木製の階段の後に小さな賽銭箱と賽銭を入れたあとにガラガラ鳴らす緒、そして社の中へ入るための引き戸がある。微妙に曖昧だが一般的な知識ではこの程度だ。神社によく行く人でも、正式名称を知る人は中々居まい。
するり、と力の抜けた右手からリードが離れる。
立ち止まった俺を無視したヒメが、その階段を登ったのだ。
別にそこまで登る必要もなかろうに、とヒメの後ろ姿を眺めたが、飽きて降りてくる気配も無いので仕方なく俺も登る。
賽銭箱を避けて進みきると、埃か傷かで濁ったガラスから社の内部が見えた。
多分宗教的な儀式に使われるであろう金属らしき器具がいくつか棚に収納されて、見るからに固そうな座布団が壁に二、三立てかけられているだけだった。
「……ほんっとに寂しいな、ここは」
寂れているとも言える。だが、変な寂しさが胸を覆うのだ。かつて遊び場として使っていた場所から人気がなくなったことへの感情だろうか。
もうヒメのリードを掴み直す気にはならない。これだけ人気が無ければ、離したって何人たりとも危害は加わらないだろう。
俺は不意に引き戸に手をかけた。
せっかくここまできたのだから、と子供の頃手を付けなかった部分への探究心が灯されたのだ。
しかし案の定戸は施錠されていて開く気配はない。原始的な施錠なのか、少しだけ隙間は開いた。
本格的に開けようものならそれなりの道具を持ってくればいいが、生憎そこまでの気力はない。もとい、窃盗や不法侵入などの犯罪者になる気はない。
何回かガタガタと戸を鳴らしてから諦めて手を放す。中の様子は何も変わらなかった。
再びヒメが移動をはじめる。
これじゃまるで本当にヒメが意思を持ってここに来たがっているみたいじゃないか。
首をかしげたがると同時に、中々に面白い、と感じる俺であった。
旋回するスペースすら殆ど無い賽銭箱と社の壁との間を何とかくるりと方向転換するとヒメは社の壁をつたって周回する。おいおいどこにいくんだと訝しみながら追跡する。
誰にも邪魔されず思い切り成長して生い茂る雑草を踏み倒しながらヒメの行く末を追いかける。
その間に、無意識ながら俺は考えてしまう。
――あの少女は何者か。
そもそも、あれは少女と呼ぶべき人間なのか。
揺らぎを感じる点を除けば姿形こそ華奢な少女と形容するのが正しい。
ただ、異次元染みた、現世ではあり得ないような、輝く見惚れるような美しいオレンジ色をした髪をみると怪しさが満点なのである。
あの世界は何だ。
そもそも、あれは世界と呼ぶべき代物なのか。
残念ながら、俺にそれを知る術は残されていない。実験をしようにも再現できる要素が殆どないからだ。どのようにして、どういう時に起こるのかがわからないのだ。たかだか一回だけで結論づけるのも尚早だとも思うが。
強く感じたことといえば、とてつもない寂しさと懐かしさである。
少女の見えない目を見つめている時、酷くごちゃ混ぜになったえげつない色の感情がふつふつと沸き起こった感覚を俺はこの先一生忘れないだろう。それ程に強烈だった。
そして焦燥感。
俺は何をしたんだ? 何をしてきたんだ? 何をすればいんだ?
あらゆる疑問が脳内に増殖している。
少女、仮にあれが少女だとすると、少女は「待ってる」と言った。
あの言葉はどういう意味なんだ。
あれは、本当に俺に対しての言葉なのか。
難問にも程がある。難解な数学の問題だって問題文中に答えを導くためのヒントが書かれているのに、これは大問一や二といった区切りも問題文の印刷も前提条件の提示も図も何もない。ついでに言えば公式もない。
「これでどうやって解けというんだ」
思わず声に出して独りごちる。
仮に、俺へ「待ってる」と言ったとするなら、何を待ってるんだ?
申し訳ないが、幼少の頃に結婚の約束をした女の子なんて俺には居ないし、ごく最近でも――そもそも少女どころか女の子とさえまともな約束をとった覚えがない。
言ってて悲しくないか、俺。
……個人的な怨念というか生き様はどうでもいい。
ひとつ分かる、というか思うことは、この神社に何かヒントが有るような気がする、ということだけである。
この神社に来る途中にあんなことがあっては、誰だってここに何かあると考えるに決まってる。一般的な視点で一般人な思考の人間こと俺なら尚更だ。
だとすると、先立っての疑問は「少女が俺に何をするのを待ってるのか」という点に行き着く。
ただ一つに絞った所でわかるはずがないのが悔しいところである。
ヒメはゆっくりととたとた歩いている。
俺に気を遣っているのか、それとも雑草が邪魔なのかはわからないが、やがて俺は神社の裏側へと連れてこられた。
―どくん、と心臓の動きが一瞬変わった。
予想を大きく裏切る光景だった。
石畳の周囲、社の左右、どちらも名も知らぬ草が支配していたのを見て俺は周囲すべて草まみれなんじゃないかと思っていた。
しかし意外なことに、社の裏側だけは違った。
『切り取られたかのように地面が剥き出し』なのだ。
白いコピー用紙の中を一部四角くはさみで切ったといえば良いだろうか?
明らかに恣意的な行動の結果だと断定できるほどに、きっちりと、社より少し狭い幅の直線距離の草が除去されていたのである。
これをみておかしいと思わないはずがない。案の定俺もその一人で、自然と顎に手を当てた。
「……昔からこうだったか?」
だが、何故か神社に関する記憶が曖昧で仕方ない。靄がかかったようで一層もどかしくなる。
一応俺の中では思い出深い場所の一つだっただけに悔しい。
いやいや待て、覚えていようがなかろうが、常識的に考えてこの状態はありえない。決して自然的に起こる結果ではないのだ。
誰が、あるいは何が?
だが、これも同様にわかりそうにない。
露出した地面を縁に沿って歩いてみたり、軽くつま先で掘ってみても変な物は見つからない。
結果だけ見れば、失敗に終わった。
まあこんな日もあるだろ、別に本気でどうこうしようとしていたわけじゃないさ、と自分に言い聞かせて切り上げてヒメの首輪につけられた土に汚れたリードを拾うために屈むと――。
「……なんだあれ」
丁度社の底上げされた床の下、土が湿るほどに日陰となっている場所に大きな石が一箇所に集められていることに気付く。
その高さとは小さな子供が少し屈むと入れる程度のもので、今の俺がそこへ行くには大変苦労しそうだ。
気になるけど、ズボンに土付けてまで探索する義理はないと思い立ち上がると同時に、または俺が立ち上がるのを見て判断したのか、ヒメが俺の足の横を抜けて社の床下へと潜り込んでしまった。
「め、面倒くせえ」
しかし、名前を呼んで出てくるように手を叩いても一向に出てくる気配がないので、俺は仕方なく四つん這いになって潜ることになった。
ふと我に帰って俺なにしているんだろうと自分の行動に悩むが、それらを一生懸命無視して数歩進むと、おかしな石にたどり着く。
遠目では大したことなく感じていた石も、目の前で見て触ると感想も変わる。
散々石と呼んでいたが、今となっては石と呼ぶには大きすぎると感じた。
少し回りこんで確認すると、小さな岩が二、三ほど固めて置かれていたのだ。いや、あるいは棄てられているのかもしれない。
この岩の存在理由がわからない以上、どっちともとれそうだ。
それにしてもこの岩、見事に隠すように置かれている。
誰にも見つけてほしくないと言わんばかりだ。ヒメは舌を垂らして岩の臭いを嗅いでいた。
勝手に進んだり止まったりと自由な犬である。
ここで岩を見つけた所で何かがわかる訳ではない。気になる点は増えたが俺を突き動かす何かがエネルギーに変らない以上、改めてここで切り上げることにした。
もしかしてまたヒメが独断行動を取るんじゃないかと疑ったが杞憂だったようで、先に社の床下を抜け出して外で俺を見つめて待っていた。
俺も抜けだしては手の土、次にズボンの土を払ってリードを掴み、地上へと降り立つことにしたのだった。
時は動き、現在晩ご飯中。
我が家では食事をするテーブルとリビングのテレビが遠い位置にあり、必然的に食事に集中することになる――が、基本的に母と妹がここぞとばかりに話に花を咲かすので静寂が訪れることは滅多に無い。
俺だって無言の食卓は何か嫌だから感謝はしてるさ。
しかし、今日の食事は特別だった。
何故なら、会話の主導権が俺に委ねられていたからだ。
いつもはすかざす入り込んでぶんどる妹も会話をドッジボールにしがちな母も、俺の話を聞いた。
俺は、素直に今日のことを話した。
勿論ヘンテコな所に言って光とお話したことは吐露していない。あくまで俺もヒメがあの神社へ行きたがるという力があると感じたということ、そしてあの不自然に切り取られた社後ろのエリアのみに終止した。
もしあの時のことを話してみろ、笑われるならまだいい、露骨に引かれて俺のストップ安を超えて取引停止される、上場廃止される。
母がどうしてそこにいったんだという質問をしたので、俺の代わりに妹が経緯を説明する。
「はあ、ヒメがねえ……」
右手の箸を一旦置き、顎に手を当てる。
「お母さんも聞いたこと無いわ。特にあそこの神社……なんて神社だったかしら、にヒメが行きたがるなんて」
「だよねー。ホントなんでだろ?」
隣に座る妹が俺を見る。
「俺に分かるわけ無いだろ」
そう言って妹の頬を指で突いて無理やり視線を戻させる。
「ぶー」
変な奴だ。
「ま、動物は人間よりも気配に敏感というし、なんか霊でも見えたんじゃないか?」
大皿に盛られた肉じゃがを箸で挟んで口に運ぶ。
「……そーかなあ?」
どこか煮え切らない、と言った態度の妹であったが、逆にどういう風に気になるんだと突っ込むと押し黙った。
結局何もわからないのである。
仮にあの事を話したとしたら、この家族、特に興味を持った母と妹に対しては事態が進展するのかもしれないが……なんとなく、言う気にはなれなかった。
説明 | ||
というなのオリジナル小説にトライ。れっつめいくだーてぃらいふ、ってな感じ。私はそうは思いませんけどね! 直で感想くれるととても有り難いです。//タイトルは最後に考えたのでまたいいの思いついたら変えます、たぶん。 | ||
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