そらのおとしもの 決戦のバレンタイン
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「ふんふんふふんふーん♪」

 こんにちは、智樹です。皆さんもご存じだと思いますけど、今日はバレンタインですね。

 以前の僕ならフラレテルビーイングが何とか言ってモテ男達への憎しみを滾らせていた事でしょう。

「ふ、我ながら若かったぜ」

 でも、もうそんな子供じみた事は止めにしました。

 だって僕にはチョコをくれる女の子達がいるんですから。いやあ、モテる男は辛いですね。

 

「お〜い、イッカロス〜」

 彼女がいるであろう台所へ足を進める。

 ドアを開けると、そこには想像通りイカロスの姿があった。

「おはようございます、マスター」

「ああ、おはようイカロ―」

 ―おや? おかしいな、俺の目には彼女の手にある物がチョコ以外の物に見えるぞ?

「イカロス、その手に持っているのは何だ?」

 一縷の望みをかけて聞いてみる。

 もしかしてそれは俺の勘違いで、あれは意外な形をしたチョコかもしれないから。

 

「はい、マスターを拘束する為の荒縄ですが」

 まあそんな幻想は即刻否定されたわけだけど。

 

「ではマスター、失礼します」

 そしてあっという間に拘束される俺。

 ああ、せっかくのバレンタインなのにいつも通りの展開で泣けてくる。

「イカロス、これは誰に頼まれた?」

 大方の想像はつくけど一応聞いておく。

「会長さんがマスターにご用事があるそうです」

「…やっぱりか」

 ホント、あの人は飽きるって事を知らないな。

 ある種の諦観を憶えながら、俺はイカロスに空へと連れ去られたのであった。

 

 

 

 

 決戦のバレンタイン

 

 

 

 

『第一回。チキチキ、バレンタイン記念、桜井智樹争奪戦〜』

 マイクを通した会長の声が校庭に響き、それに応える歓声が轟く。

 俺たちの学び舎は一種のイベント会場と化していた。

『司会兼レフリーは私、五月田根美香子が勤めさせてもらうわね〜』

『解説兼実況の守形です』

 会長と先輩は運営として参加か。

 最近思うんだけど、守形先輩って安全圏の確保がうまいよな。今回も解説というポジションに落ち着いてるし。

『賞品はご存じのとおり、桜井君そのものよ〜』

「…はあ」

 そっか、俺が賞品か。嫌な予感が加速度的に増していくな。

 今の俺は会場の中央で縄に縛られたまま磔にされている。

 つまり一番の危険区域であり、いつも通りの定位置。つくづく思う。世界は俺に優しくない。

『それじゃあ早速。参加選手、入場〜』

 ドラの音と共にステージに姿を現したやつらは、予感通り俺の見知った連中だった。

 

『ゼッケン1番、イカロスちゃ〜ん』

「マスター、必ずお助けしますのでもうしばらくお待ちください」

 うん、ありがとう。でもそんな事を言うくらいなら最初から会長の言う事なんて聞いてほしくなかったな、俺は。

 

『ゼッケン2番、ニンフちゃ〜ん』

「ホント、ミカコのお祭り好きにも困ったもんね。ま、やるからには勝つけど」

 あのー、ニンフさん? 台詞のわりにはやる気に満ち溢れている気がするのは俺だけでしょうか?

 

『ゼッケン3番、アストレアちゃ〜ん』

「きょ、今日こそはイカロス先輩とニンフ先輩を越えてみせるわ…!」

 無理すんなアストレア。端から見ても分かるくらいに膝が震えてるぞ。

 

『ゼッケン4番、見月さ〜ん』

「一般人代表として頑張りますっ!」

 …一般人ねぇ。俺個人の見解としてはお前も立派に常識外だと思う。

 主にチョップとか、それとチョップとか、ついでにチョップとか。

 

『ゼッケン5番、風音さ〜ん』

「私も精一杯のできる事をしようと思います。見ていてくださいね、桜井君」

 気持ちは嬉しいけど、風音には無理しないで欲しいなぁ。

 なんだかんだ言って風音は俺たちの癒し的存在だと思うからさ。

 

『ゼッケン6番、カオスちゃ〜ん』

「…お兄ちゃん楽しそうね? 後で私もそこに行っていい?」

 いや、駄目。会長の嗜虐趣味に染まってほしくないし、そもそも俺はちっとも楽しくない。

 

『ゼッケン7番、オレガノちゃ〜ん』

「智樹様、しばしのご辛抱を。そしてどうか美香子お嬢様の悪戯心をご理解ください」

 大丈夫、割といつもの事だから我慢できる。でも理解はできないな、絶対に。

 

『ゼッケン8番、ハピ子とハピ美ちゃ〜ん』

「おいこら! 私たちはそんな名前じゃない!」

「私たちはハーピーだ! 何度言ったら分かるんだこのダウナー!」

 ………いや待て、さすがにお前らがいるのはおかしい。シナプス陣営のこいつらがなんでこんな所にいるんだ。

『シナプスのマスターの命令でカオスちゃんの監視に来たそうだから、ついでに飛び入り参加してもらう事にしたわ〜』

 …なるほど、それならとりあえず納得できる。あいつらも色々と大変なんだな。

 

『以上八名。トーナメント方式で試合を行い、最後まで勝ち残った選手が優勝よ〜。試合種目は毎回くじ引きで決めるわね〜』

 会長の説明に合わせてバックスクリーンにはトーナメント表が映し出される。

 試合の種目は毎回変わるのか。そりゃそうだな、エンジェロイドのあいつらにガチンコで勝負をさせたらこの会場なんて一瞬で吹き飛ぶ。

 え? そはらは人間? いやいや、あんな理不尽チョップを持つ女の子を普通扱いしたら逆に失礼だろ?

 それにしても。

 

 第一試合 イカロスVSカオス

 第二試合 ニンフVSハピ子とハピ美

 第三試合 見月そはらVSオレガノ

 第四試合 風音日和VSアストレア

 

 ………波乱の予感がするなぁ。

 特に第一試合の種目によっては最初で最後の試合になるかもしれない。会場が吹っ飛ぶ的な意味で。

 

 

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『第一試合、イカロスちゃん対カオスちゃ〜ん』

 

 会長のコールに従って静かに会場の中央へ歩くイカロス。対面にはすでにカオスの姿がある。

「イカロスお姉さまと戦うなんて久しぶり。楽しみだわ」

「………カオス。私は負けるわけにはいかない、勝たせてもらうわ」

 …うわ、どっちも目がマジだ。本当に大丈夫なのか、これ。

『それじゃあ種目を決めるわね〜』

 くじの入った箱をごそごそとあさる会長を、全員が緊張した面持ちで見守っている。

 それはそうだ、種目がガチンコバトルだった日にはこの町が焦土と化すに違いない。

 頼む、穏便な種目が出てくれ…!

 

『対決種目は、じゃんけんよ〜!』

 

「…ほっ」

 よかった。じゃんけんならすぐに終わるし危ない事もない。

 最初からクライマックスを匂わせたこの対決も、平和に終わりそうだ。

「カオス、ルールは知ってる?」

「ええ、マスターが教えてくれたもの」

 よしよし、二人ともちゃんとルールを把握しているな。これで危険な要素は無くなった。

『それじゃあ、じゃ〜んけ〜ん…』

 会長の号令と共にイカロスとカオスが右手を懐深くまで引く。

 その表情は―

「―え」

 まるでこれから一戦始めるかのごとく真剣そのものだった。

「…行動予測。カオスのこれまでの戦闘記録から次の手段を構築、再思考、再思考…!」

 深紅の瞳を輝かせて高速演算に突入するイカロス。

「うふふ… イカロスお姉様の行動予測。再構築、再構築よぉ…!」

 不吉な笑みを浮かべ、同じく高速演算に没入するカオス。

 間違いない、こいつら必殺もかくやと言わんばかりの全力で相手の手を読もうとしてる。

 たかがじゃんけん、されどじゃんけん。二人は赤熱する思考回路を力ずくで抑え込み、必勝を狙う…!

『ぽ〜ん!』

「カオスっ!」

「お姉様っ!」

 かくして、二人は裂帛の気合いと共に右手を前に出した。会長の声だけ気が抜けているのがシュールだった。

『グーと、パーね。イカロスちゃんの勝ち〜』

 勝ったのはイカロス。カオスは唖然と相手の手を見ていた。

「うそ、私の計算が間違ってたの…?」

「いいえ、あなたの計算は正しかった。私は直前までチョキを出そうとしていたから」

「じゃあ、どうして変えたの?」

「マスターが言っていた事を思い出したの。ジャンケンは細かく考えるもんじゃない、何も考えないでやったほうが楽しいって」

「…そう。やっぱりお兄ちゃんは凄いのね」

「ええ、そうね」

 いや、凄いのはお前らだと思う。

 少なくとも俺はじゃんけんにそこまで真剣になれない。

 

 ともあれ、二人の戦いが穏便に終ってくれてよかった。

 ジャンケン一つでここまで全力になれるこいつらは、本当に素直でいい奴らだ。

「私に勝ったんだからきちんと優勝してね、イカロスお姉様」

「ええ、必ず」

 ………うん、まあ、逆を言えば。冗談が通じない困った奴らなんだけどさ。

 

 

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『第二試合、ニンフちゃん対ハピ子とハピ美ちゃ〜ん』

 

「ハーピーだ! いい加減にしろっ!」

 会長の呼び方に大層ご立腹のハーピーズ。

 気持ちは分からないでもないけど抗議は無駄だと思う。あの人、基本的に人の話を聞かないから。

「落ち着きましょ。相手はベータなんだし、脅威じゃないわ」

「ま、そうね。所詮ベータだし」

「………フン」

 おお、ニンフが怒ってる怒ってる。自分がハーピーの眼中にない事がいたくご不満なようだ。

 とはいえ、俺個人としてはニンフが少し心配でもある。実質の二対一である上、ニンフにとって嫌な思い出のある相手だ。

 本当は内心で怖がっているんじゃないか。そんな俺の不安は。

 

『対決種目は、歌唱力対決よ〜』

「ぶぅっ!?」

 会長の引いたくじでものの見事に吹き飛びやがりましたとさ。

 

「歌ぁ? めんどくさいわねぇ」

「いいじゃない。それならベータも安心よねぇ?」

「………そうね、負けない自信はあるわ」

 挑発的なハーピーとあくまでクールな態度を崩さないニンフ。

 ニンフの瞳には闘志が滾っている。必勝の誓いがそこにはあった。

「拙い拙い拙い…!」

 でも、正直俺はそれどころじゃないんです。

 ニンフが歌うという事の意味を誰よりも知っているんです…っ!

「会長! それはダメだ! 怪我人が出るどころの騒ぎじゃなくなる!」

「あら? ハピ子ちゃん達ってそんなに音痴なのかしら〜?」

「ち、違うっ! ハーピーじゃなくてニンフが…!」

 というかなんでみんな平然としてるんだ! ニンフの歌がジャ○アンリサイタルクラスの殺人音波である事を憶えていないのか!?

「そういえば、ニンフの歌は以前どこかで聞いたことがあるような…駄目だ、詳細を思い出せん」

「そうだったかしら〜? 私も憶えてないわ〜」

「ですねー。私もニンフ先輩の歌は聞いた事ないです」

「そうだっけ…? うん、そうだったかも」

 守形先輩と会長の言葉に同意する皆さん。

 くそっ! 忌まわしい記憶を封じる事で自己の精神を守っているのか!? 出来れば俺も忘れていたかったよチクチョー!

『それじゃあ、先攻はハピ子とハピ美ちゃんね〜。ミュージックスタート〜』

 うわ、始まっちゃったぞ!

 どうする!? このままだとまた太陽が欠けて、皆でホゲ語を話す日々が訪れてしまう!

「………マスター」

「はっ!」

 そうだ! 一人だけ無事だった奴がいるじゃないか!

 あの時、自分だけ((絶対防御圏|イージス))を張って破滅を切り抜けたイカロスが!

 あいつならニンフの歌の事を憶えているに違いない!

『しゅ〜りょ〜。いい歌だったわ、ハピ子ちゃん達もやるわね〜』

「だからハピ子じゃ…ってもういいわ」

 そうこう考えている間にハーピーズの歌は終わってしまった。

 もう迷っている暇はない。俺が磔で動けない以上、イカロスに何とかしてもらうしかない。

 でも、自分が実は音痴だったと知ったらニンフ傷つくだろう。それはできれば避けたい。

「ま、こんな所ね。精々頑張りなさいベータ」

「…言われなくてもそうするわ。全力で歌ってやるんだから」

 止めてくださいニンフさん。あなたが全力で歌ったら地球がピンチなんです、マジで。

『それじゃあ、後攻はニンフちゃんよ〜。ミュージックスタート〜』

「イカロスっ!」

「………了解しました、マスター」

 ニンフが歌い始める前のコンマ数秒。俺とイカロスはアイコンタクトで全てを語り合った。

 そして。

 

 ホゲェ

「((絶対防御圏|イージス))、限定展開…!」

 ニンフの破壊音波が発せられる直前、ニンフとハーピーの周囲にイカロスのバリアが展開された。

 

「〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 耳が、痛、い。

 イージスごしでも、意識が持っていかれそうな、破壊力、だ。

「…((絶対防御圏|イージス))、解除。マスター、ご無事ですか?」

「…ああ、なんとか、な」

 それでも、イカロスのおかげで助かった。

 俺は何とか正気を保っていられたし、会場のみんなも耳を抑えているだけで無事なようだ。

『…会長、珍しく桜井君に謝りたい気分だわ〜。それとイカロスちゃんに感謝も〜』

 会長の言葉にうんうん、と頷く一同。

 別にお礼を言われることじゃない。会場の中央、つまり対決の至近距離にいた俺が真っ先に危なかったし。

「…あら? ミカコ、評点する機械が壊れてるわよ?」

 そしてきょとんと周りを見渡すニンフ。さて、なんとか誤魔化さないといけないんで、頼みますよ会長。

『あらあら、ニンフちゃんの歌が凄すぎて測定できなかったみたいね〜。それじゃあ会場の皆にジャッジしてもらいましょうか〜?』

 ナイス采配です、会長。それなら満場一致でニンフの勝ちとなるでしょう。

 なにせ((凶器|マイク))はまだニンフの手にあるんだから、逆らえる奴なんていないのである。

 それに、ニンフの歌が凄すぎるというのはある意味事実なんだし。

『開票の結果、全会一致でニンフちゃんの勝ちね〜』

「…ふん、当然よ。トモキもそう思うわよね?」

「あー、うん。もちろんだ」

 クールを装うニンフも内心嬉しそうだし、俺たち全員も無事に済んだ。めでたしめでたし。

 

「マスター。石化して動かなくなったハーピーはどうしましょう?」

「………のし付けてシナプスに帰してやれ」

 ただ一組、ニンフの殺人音波から逃げられなかったハーピーズを除いてだけど。

 さすがのイカロスも、ニンフの一番近くにいたこいつらまでは助けられなかったのである。

 俺は心の中でハーピーズの不幸を悼む事にした。きっと会場の誰もがそうしただろうから。

 

 

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『第三試合、見月さん対オレガノちゃ〜ん』

 

「…よろしくお願い致します、見月様」

「あ、うんこちらこそ…ってやりにくいなぁ」

 さて、さっきまでの緊迫した空気から一転。実に和やかな雰囲気になった第三試合である。

 そはらは実にやりにくそうだが無理もない。ミニイカロスことオレガノには敵意どころか闘志さえないからなぁ。

 これは種目によってはそはらのワンサイドゲームになりかねないだろう。

 こういう対決という物は、体力や技術以前に闘志がものをいう世界なのだ。

 

『種目は、英語力対決よ〜』

 ………まあ、どこまで闘志を燃やそうと届かない壁というのもあるのですが。

 

 この先の展開は大方皆さんの予想通りなので、あえて詳しく語らないようにしたいと思います。

 英語が鬼門のそはらと、初めて英語を学ぶオレガノ。

 それはまるで小学校の英語の授業のごとく、和やかに行われたとだけ言っておきますね。

 ちなみに勝敗は。

『オレガノちゃん90点、見月さん50点。この勝負はオレガノちゃんの勝ち〜』

 優等生のオレガノが準決勝に進みましたとさ。

 …いや、別にそはらが悪い生徒ってわけじゃなくて。単に得手不得手の差が出ただけなんですが。

 それと会長の持っているくじには悪意があるんじゃないかと疑い始める俺なのであった。

 

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『第四試合、風音さん対アストレアちゃ〜ん』

 

「よろしくお願いしますっ!」

「はい、頑張りましょう」

 鼻息を荒くして意気込むアストレアとにこやかに握手する風音。これまた和やかな雰囲気の対決になりそうだ。

 …つーか、第一と第二試合の緊張感の方がおかしい事に今気づいた。

 本来、こういうコメディ路線の対決ものとはこういった雰囲気であるべきなのだ。

 

『対決種目は、ゆで卵の殻むきよ〜。先に全部むいた方の勝ちね〜』

 二人の前にででんと置かれる50個のゆで卵。うん、こういう普通の対決でいいんだ。

 死力を尽くしたジャンケンとか、世界が大ピンチのカラオケとか、露骨なそはらさん虐めとか、そういうのはいらないのである。

 

「お料理関係なら任せて下さいっ!」

「………ジュルリ」

 やる気に満ち溢れる風音、対決そっちのけで食べる気満々なアストレア。

 あー、こりゃ勝敗は見えたな。そもそも不器用なアストレアに卵の殻なんてむけるとは思えない。

 きっと殻ごとばりばりと食べ尽くして失格になるに違いない。この対決はあくまで殻をむく事であって、食べる必要は全くないから。

『レディ〜ゴ〜!』

 ゴングの音と共に動いたのは風音だ。流れるような手つきで卵の殻をむいていく。

「…ひよりちゃん、本気だね」

「…はい。通常の1.4倍のスピードです」

 そはらとイカロスの料理得意組は風音の気迫を感じ取っているらしい。

 確かに風音の目は本気だ。さっきまで和やかな雰囲気とか言っていた俺が内心で反省してしまうほどに。

 もう勝敗は明らかだ。アストレアに勝ち目なんて無い。

「嘘、でしょ…!?」

 そんな俺の予想を裏切るかのごとく、ニンフが愕然とした声を上げた。俺はその視線の先にいるアストレアを目視する。

「…ば」

 ―そして、ニンフと同じく愕然とした。

 

「ふごふぐふごふぐふごふぐ…!」

 そこには、風音を凌駕する早さで卵の殻をむき。

『…美香子。一応聞いておくが』

『何かしら英君?』

『むいた卵を食べる必要はあるのか?』

『無いわね。全然、全く、これっぽちも』

 そのまま自分の口に放り込む馬鹿者の姿があった。

 

「馬鹿じゃねぇかあいつ…!」

 しつこく言うが、むいた卵を食べる必要は全くない。

 それをアストレアはルールなんて関係ないと言わんばかりに、卵をむいたそばから口に詰め込んでいく。

 いや、そこまではいい。あいつが馬鹿なのはいつもの事だ。問題は。

「ひよりちゃんより、早い…!」

 そはらが呆然と口にこぼすその感想。

 そう、問題は。

 そんな無駄な事をしてなお、アストレアは風音より早いのだ。

「アストレアお姉様ったら凄いわ。さすが、最速を名乗るだけあるのね」

 カオスの感想はいたく間違っている。でもアストレアならその賛辞を素直に受け取るだろう。

「ごちそうさまでしたっ!」

 だってあいつ、馬鹿だし。

『勝者、アストレアちゃ〜ん!』

 会長の宣言により勝者は決まった。

 その馬鹿げた光景を目の当たりにした風音は。はあ、とため息一つついて苦笑したのであった。

 俺は彼女のそんな大人の対応に感謝したいとつくづく思った。

 

 

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『準決勝第一試合、イカロスちゃん対ニンフちゃ〜ん』

 

 太陽が真上に位置する真昼の刻、かくして二人は対峙した。

「………ニンフ」

「…遠慮は無用。アンタも分かってるでしょ?」

「…ええ」

 ステージの二人の表情は真剣そのもので、こっちにまでそれが伝わってくる。

 再び会場に緊張が走り、アストレアが残してくれた脱力ムードは四散していた。

「なんであそこまで真剣なんだあいつら…」

 そもそもイカロスとニンフの仲はこんなに険悪になるほど悪くない。

 以心伝心とまではいかなくても、二人は互いの事を気遣える姉妹みたいなものだったハズだ。

 それとも、単に対決ものという会長企画のお祭り騒ぎに付き合っているだけなんだろうか。

「…いや、ないな。イカロスはともかくニンフはなぁ…」

 素直で真面目なイカロスと違って、ニンフは会長のお遊びに律儀に付き合う性格じゃない。

 自分がやりたくないなら、そうはっきりと口にするのがニンフだ。

 俺が景品だなんて会長の狂言に決まっているのに、あいつがここまでマジになる理由が分からない。

 

『対決種目は、セクシーポーズ対決〜。桜井君をよりドキドキさせた方が勝ちよ〜』

「んなっ!?」

 ってんな事考えてる場合じゃねー! なんて事言うんだあの人はー!

 

「セクシー…ポーズ?」

 ああ、ほら見ろ。

 さっきまでドが付くくらいのシリアス顔だったイカロスが小首を傾げて呆けてるじゃないか。

「…ミカコ。そのくじって絶対あなたが操作してるわよね?」

 同じくニンフもシリアス顔から一転、苦虫を噛み潰したような顔で抗議を始めた。

『会長はくじに細工なんてしてないわ〜。これも神様のお導きじゃないかしら〜?』

『おそらく笑いの神だろうがな』

 すっとぼける会長とさりげなくフォローを入れる守形先輩。あの二人、割と仲がいいよなぁ。

「…まあいいわ。要するにトモキの持ってるエロ本みたいな恰好をすればいいんでしょ?」

「………なるほど」

 うわ、本気でやるのかニンフ。あとイカロスもその例えで納得しないでくれ。

『それじゃあ先攻は〜?』

「私がいくわ。アルファーはまだ考えがまとまってないみたいだし」

 そう言いながら動けない俺に近づいてくるニンフ。

 いや待て。待ってください。こんな大勢の前で何考えてんだお前。本気で恥ずかしいからやめろって。

「………えっと。こう、かしら?」

 前かがみで上目使い気味に、おっかなびっくりの誘惑をするニンフ。

「〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 馬鹿お前、そんなしおらしい態度になるな! 本当に恥ずかしい事してるって意識しちゃうだろうが! いつも通りに罵倒しながら蹴飛ばして来いっつの!

『うふふ〜。効果は抜群のようね〜』

 くそぅ。こんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ。

 エロ魔人の名を欲しいままにしていたハズの自分がどうにかなっちまった様だ。

『じゃあ次はイカロスちゃんね〜』

「無理無理無理! もう無理ですってぇ!」

 これだけでも顔から火が出そうなのに、追撃にイカロスだと!? 俺を殺す気か会長は!?

「…マスター」

「駄目だ! もういいから! もう限界だから!」

 俺の懇願を聞いてもイカロスは止まらない。じりじりと俺の傍まで歩み寄ってくる。

 いかん、ピンチピンチピンチ…! ここでイカロスに色仕掛けなんてされたら、本当にどうにかなっちまう…!

「…めてくれ」

「…確か、マスターの本は、こう―」

 

「止めてくれイカロスっ! こんなのは駄目だっ!」

 イカロスが何かしようとした寸前、俺はなんとか声を張り上げる事ができた。

 

「………ですがマスター、私は」

「…お前が嫌いってわけじゃないんだ。でも、こんな場所で、自分でもよく分からない事はしないでくれ。そういうのは、自分が本当にしたいと思った相手にしないと駄目だ」

 傷つけたと思ったから、とっさにそんな言い訳が口から出てきた。

 馬鹿野郎だ、俺は。本当は単に自分がどうにかなりそうだったから止めてくれと言っただけなのに。

「………わかりました。私がこの意味を十分に理解できた時は、よろしいのですね?」

「…いいけどさ。無理に憶える事じゃないからな、それ」

 俺の言葉を真摯に受け止めてくれるイカロスに申し訳ないと思いつつ。俺はこれで良かったと思う事にする。

 こいつだって女の子なんだ。こういう事は恋とか愛とか、ちゃんと理解した時じゃないとしちゃいけないと思うから。

『イカロスちゃんは試合放棄みたいだから、ニンフちゃんの勝ちね〜』

 …そうだよな、やっぱり。

 イカロスがここまで真剣に勝とうとした理由は分からないけど、これについては俺に責任がある。

「すまん、カオスには俺から謝っておく」

 こいつはカオスに優勝するって約束していたから、それも俺が負わないと。

「いいえ、約束をしたのは私です。マスターに責任はありません。では、失礼します」

 そう言ってイカロスはステージを降りてく。カオスに謝りに行くんだろうか。

「…二人には申し訳ない事したな」

 イカロスとカオスには後でもう一度謝りに行こう。俺の勝手で約束をふいにしたんだから。

「………ねえトモキ。もう一人、申し訳ないと思うべき相手がいるんじゃない?」

 いつの間に近づいていたのか、俺のすぐ傍にいるニンフはひどく不機嫌そうである。

「…いたっけそんなやつ?」

 少なくとも勝負に勝ったニンフには関係のない事だと思うんだけど。

「つーかだな、俺にあんな恥ずかしい思いさせたお前こそ申し訳ないと思わないのか?」

「さっきのアンタの台詞の方がよっぽど恥ずかしいのよっ!」

「ぐほぉ!?」

 ニンフのハイキックが俺の顔面に突き刺さる。俺の意識はそのまま闇へ落ちて行った。

 

 

 その後、気絶した俺をよそに行われた準決勝第二試合では。

『ゴール! 50メートル走の勝者はアストレアちゃ〜ん』

 転びそうになった体勢から根性の飛び込み前転でゴールテープを切ったアストレアが、勝負の後にオレガノとがっちり握手をしていたらしい。

 ニンフの言葉によると『オレガノってばデルタを見くびってたみたいだけど、認識を改めたのかしらね。私に対しては小生意気なくせに、デルタを認めるなんて何考えてんのかしら』だそうだ。………うーん、つまり案外オレガノって体育会系に近い考えでも持っているんじゃないか? アストレアもそうだし、二人は意外と気が合うかもしれないな。

 

 

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『いよいよ決勝戦よ〜。ニンフちゃん対アストレアちゃんというカードの決勝を誰が予想できたかしら〜』

 

 確かに。順当に考えればイカロスやカオスが勝ち上がってくると思うよな、普通。

 それも対決種目がバラエティに富んでいたからだろう。若干、運営側の不正の匂いを感じるけど。

「遂にこの時が来たわ。私がニンフ先輩を越える日がっ!」

「夢見てんじゃないわよ。言っとくけど今の私は機嫌が悪いから、手加減なんてしてあげないわよ?」

 闘志を滾らせるアストレアと、殺気すらにじみ出ているニンフさん(敬語)。どうもさっきの俺の態度がいたくご不満だったらしい。

 正直な話、あんなのは順番の問題だった。ニンフからあんな大打撃を受けなければ、俺だってイカロスにも毅然とした態度でいられたさ。多分。

『最後の種目はお菓子の早食い対決よ〜』

「勝った! 第三部完っ! 早食いで私に勝てるとは思わないでくださいね!」

「上等よ、お菓子だったら私にも一言あるわ。今は丁度やけ食いしたい気分だしね…フフフ」

 不利な種目でもニンフの闘志は衰えない。

 …訂正、あれは闘志じゃなくて100%殺気だ。ニンフはその怒りをお菓子にぶつけるつもりらしい。

 

 ………ぐぅるるるる。

 

「あー…」

 二人の前に山のように積まれるお菓子を見て、つい腹の虫が鳴った。

 考えてみれば、朝っぱらからイカロスに拉致されて以来何も口にしていない。

 食事を取ろうにも、荒縄で縛られて磔にされている為に動けないのである。

「マスター、大丈夫ですか?」

「あんまり大丈夫じゃねぇなぁ…」

 しっかりと俺の腹の音を聞きつけたのか、イカロスが心配そうに覗き込んでくる。

 情けないけど、何か食べさせてもらわないと空腹でどうにかなりそうだ。

 バレンタインというチョコ大安売りの日に、なんでお菓子の山を見ながら飢え死にしなければならないんだ。理不尽すぎる。

「………そうだ、今日はバレンタインじゃん」

 自分でも今まですっかり忘れていた。

 今日はバレンタインで、イカロスが目の前にいる。…ちょっとくらい聞いてみてもいいよな?

「なあイカロス。チョコ持ってないか?」

「あ、はい。持っていますが…」

 なぜか悲しそうに目を伏せるイカロス。むう、まさかあげようとした奴に断られたのか?

「それ、誰当てだったんだ?」

「………マスター、です」

 なんだ、それなら何の問題もないな。

「じゃあ今食べさせてくれよ。丁度腹減ってたし」

「………それは、できません」

 ますます表情が暗くなっていくイカロス。

 …腹減り過ぎたせいかな。なんかムカついてきたぞ。

「なんでだよ? お前からもらえるなら俺はオッケーだぞ」

「…理由は、その」

 さらにもにょもにょと口ごもるイカロス。ええい、はっきり言えないなら俺にも考えがあるぞ。

「よし、久しぶりに命令するぞ。俺にそのチョコを食べさせてくれ」

「ですが、それは」

「責任は俺がとる。イカロスが嫌じゃないなら俺にくれ」

 きっぱりと俺の意思を伝える。

 我ながらさっきに続いて恥ずかしい事を言っている気がするけど、人間は空腹に勝てないのである。

「分かり、ました。どうぞ、マスター」

 ようやくといった感じでおずおずと俺の口にチョコを運ぶイカロス。

 …うまい。甘い中にも香ばしい香りがあって何とも言えない。

 空腹のせいか、それともこいつの腕がいいのか。今まで食べたチョコの中でも最高の味かもしれない。

「うん、うまい。サンキューイカロス」

「………はい」

 俺の言葉に真っ赤になってうつむくイカロスは、その、なんていうか―

 

「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!」

「ふっ。勝負の最中によそ見とは余裕ですねニンフせんぱええええぇぇぇぇぇ!?」

 

 うん? なんで俺の方を見て絶叫してるんだあいつらは?

『………これは困ったことになったわね〜』

 う。なんか会長の言葉にゾクっと来たんだけど。なんか拙いことしたか、俺。

『桜井君、実はこの大会の優勝者にはある特典があったのよ〜』

「へぇ、なんすかそれ?」

 俺が景品とか言ってたけど、他に何かあったのか?

『桜井君は、今日は何の日だか知ってるわよね〜?』

「バレンタイン、すね」

 そんな男女がキャッキャウフフする日にこんな催しをする会長のセンスは到底理解できませんが。

『………うふふ〜』

 なんだろう、会長が怖い。

 いや、いつも怖い人なんだけど、今は明らかに俺に対して怒っているような。

『…智樹。これはお前へのサプライズという事で秘密にしていたのだがな』

 これ以上この空気に耐えられないという様に、守形先輩が代わりに説明を続けた。

 

『優勝者には、お前へ最初にチョコを贈る事が出来るという特典をつける予定だった。ちなみに参加者はそれを承知していた』

 

 なるほど、それは優勝者はもちろん俺にもお得なサプライズだ。 

 ………待て。つまり今、俺がしたことは。

『桜井君が自分で優勝者を決めたみたいなものね〜』

 そっかー、俺が決めちゃったかー。

 会長の催しをぶっ壊しちゃったんだね。そりゃ会長も怒るよね。

 …さて、どうやって逃げたもんかな。

「イカロス、この縄解いてくれないか?」

 とりあえず自由を確保しない事には始まらない。そして、現状でこれを頼めるのはイカロスだけだろう。

「…それは、できません」

「…なんでだ」

「…マスターは、責任を取ってくださると約束してくれました」

 あー… 言ったな、確かに。

 ここで俺が何も言わずに逃げれば、批難がイカロスに向くのは自明の理だろう。

「逃げ道なんて、最初から無かったわけだな」

 つまり、ここで俺は―

 

「トモキイィィィィィィ!」

「こんの、世界最強の大バカァァァァ!」

『ここで大会の趣旨を変更して、桜井智樹を誅殺したい人選手権にするわ〜。参加資格はフリーだから、どしどし参加してちょうだ〜い♪』

 

 ―せいいっぱいの言い訳をしつつ、果てるしかないわけだ。

 

 

 かくして、今年のバレンタインは終わった。

 俺がもらえたチョコは最初の一個だけであり、他にもらった物は制裁という名の暴力だった事を記しておく。

 ………まあ、わりと後悔はしていないんだけどさ。

 

 

 〜了〜

説明
『そらのおとしもの』の二次創作になります。 
 今回のテーマ:バレンタインSSに見せかけた少年漫画的バトルトーナメント(コメディ風味)
        …まあ、それもダミーで実際はあるヒロインを応援するのが目的ですが。
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コメント
枡久野恭様へ 会長的にはこのオチでもアリというのが本音ですから。ただ、他の参加者へのポーズを示さなければならないので。(tk)
BLACK様へ ガチンコで喧嘩させると空見町が灰燼と帰すので、こういう対決方式になりました。………あれ? 原作13巻じゃ割とガチでやってたような…?(tk)
リア充は死ぬしかないという日本昔話でも使えそうなありがたい含蓄を含んだ物語ですな。会長はとても幸せそうに見えます(枡久野恭(ますくのきょー))
とんだバラエティ豊かな対決ですな。(笑)俺には思いつかないです。(BLACK)
タグ
そらのおとしもの バレンタイン コメディ 

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