うそつきはどろぼうのはじまり 48 |
ローエンは疑問だった。
二人は孤独だった。出会って旅を始めるまで、孤独の闇の中を彷徨っていた。信頼や友情について異常なまでに反応し、少女は何かにつけ友という単語を口にし、逆に男は極力回避し続けていた。
もしかしたらそれは、傷を舐めあうような仲だったかもしれない。けれども仲間内で男がもっとも心を許した相手はエリーゼだった。エリーゼもまた男の嘘を許容するだけの、孤独に対する理解を示していた。少なくともローエンの目にはそう映った。
傍目にもそこまで洞察できてしまえるほどの間柄なのに、何故アルヴィンは腰を上げようとしないのか、全く分からない。
件の男は、窓の外を眺め続けている。風が出てきたのか、窓ガラスに雨が滝のように流れていた。
長らく沈黙が続いたが、ローエンは答えを待ち続けた。無言のうちに拒絶の匂いを嗅ぎ取ったが、それでも頑として居座り続けた。
曇天から降り注ぐ雨粒を見て、運河の周辺を警戒する必要がありそうだと防災方面に思考が移りかけた時だった。
「できないんだ」
ローエンは眉根を寄せる。男の答えは理由になっていない。
「俺には、できない。助けられないんだ。助けたら、駄目なんだよ」
男は自虐の笑みを浮かべながら、寝具の上に放り出していた左手を見つめる。
「手を伸ばしたら、俺はジランドと同じになっちまう・・・」
「同じ、とは?」
この場で元参謀長の名が出てくるのは予想外であった。確か男とは血縁関係にあった人間で、組織アルクノアのリーダーでもあったエレンピオス人だ。出世欲と名誉への執着心で自滅したような奴と、アルヴィンとの共通点は叔父と甥という以外には、あまり共通点はない気がする。
そんなローエンの内心の疑問を読み取ったのか、男は疲れたように笑い、敢えて遠くに追いやった記憶の箱の蓋を開けた。
「俺が家族と一緒にジルニトラ号に乗船したのは、六才の時だった。久し振りの家族旅行だった。親族も大勢いたけど、いつも忙しくて家にいなかった親父やお袋と一緒にいられるんだって、すごくはしゃいだのを覚えてる。けど旅行は途中で打ち切られた。津波が船を襲って、気がついたら見たことも聞いたこともない世界だった。親父はその時、俺を庇った時に受けた傷が元で死んだ」
津波発生の原因は後年判明するが、少なくともリーゼ・マクシアではファイザバードの大戦を終結させた津波として記録されている。ローエンの愛する人を奪い、友を失わせた間接的な原因だった。
「親父が死んで、縋るものを失ったお袋は、ジランドに頼った。精神面でも金でも――肉体的にも。俺には隠そうとしてたみたいだけど、十二の時には意味も分かってた」
「それは・・・」
流石のローエンも思わず呻いた。なまじ淡々と話されるだけに、内容の凄惨さが際立っている。
シャン・ドゥの街で面会したアルヴィンの母、レティシャは無垢な人だった。病気のせいもあるのだろうが、口調はどこか子供じみていて、優しさを通り越した無心の状態にあった。
街を訪れる度に訪問しているのに、母へ挨拶をする男の口調が妙に固かったことを思い出す。自分のことを覚えていないから、という理由だけで、あそこまで普通よそよそしくはならない。
母は弱いんだ、と言葉少なに説明したアルヴィンはひどく暗い顔をしていた。その弱さとは果たして、病気に負けてしまったという意味だけで、使われていたのであろうか。
おそらくは違う。弱かったのは身体だけではなく、精神的にも薄弱だったのだ。夫という支えを失っただけで、息子の気持ちを顧みられなくなってしまうくらいに。
ジランドールは母子に資金を提供した。定職につけず生活に窮していた二人に、身体という報酬を目当てに対価を渡した。おそらくは子供を前にして養育費だと言い放ったのだろう。そうでなければ、息子であるアルヴィンが黙っているはずがないからだ。自分を生かしている金がどこから出ているのかを明らかにすることで、元参謀長は甥子の頭を押さえつけたのである。スヴェント家の家督がジランドールに委譲されたという話も、これなら納得がいく。
今は亡き故人に向ける感情にあるまじきことであるが、ローエンは元参謀長に対し嫌悪を抱いた。彼の所業は人の道から完全に外れている。鬼畜といっても、誰も文句を言うまい。
ローエンは嘆息する。アルヴィンと名乗る男は、真の意味で独りであったのだ。
父の名誉を汚され、母レティシャは息子の手を振り払って叔父の虜となり、自分は母と金と命を担保に、駒として仕立て上げられた。その全身に鎖を絡められた状態で、アルフレドの名を捨てた男は彷徨い続けた。
どんなに辛かったろうと思う。十にも満たない貴族の子供が背負うには、あまりに重い事実ばかりだ。こんなものをいきなり背負い込まれて、誰が一体逃げるななどと言えるだろうか。
誰も助けてくれなかった。異界の地で縋れる相手は、同郷のアルクノアだけだった。そのアルクノアの頂点に、ジランドールは君臨していた。
誰も信じられなくなった。愛と庇護を求め、差し出した手をレティシャは払いのけたのだろう。ジランドールという新たな支えを見つけてしまった彼女の目にはもう、子供の姿は入らなくなっていた。救いを求めて伸ばした手を払われた子供が、愛や信頼などという言葉を信じるわけがない。
男は断言する。搾り出すような声だったが、揺ぎ無い決意が秘められた宣言だった。
「俺はジランドと同じ道は歩まない。絶対にだ」
これを聞いた、ふむ、とローエンは顎鬚を撫でた。
「その覚悟はご立派です。あのような外道の所業は批難されてしかるべきです。ですがアルヴィンさん、あなたは少々勘違いをしておられる」
アルヴィンはむっとした顔になる。己の覚悟を勘違いと流され、気分を害したようだ。
「よろしいですか。あなたの立ち位置は叔父君ではない、父君です。あなたの元から謀略を用いて奪ったのは向こうです。大体、今回の婚姻については完全にエレンピオスの非です。政略結婚が完全に隠れ蓑、最初からエリーゼさんの確保が目的だったわけですから。しかも、副作用の功罪についての検証がなされないまま、見切り発車で使用している。恐らく陣頭で指揮をとっているのは、エレンピオス側の開発陣――あなたの従兄弟君でしょう。それに、貴方には資格がある」
「資格だと?」
「はい。エリーゼさんを迎えに行く資格です」
流石のアルヴィンもこれには怒鳴った。
「馬鹿いうな。そんなもの、俺にあってたまるか!」
「ありますとも。アルヴィンさんは、今までにさんざん嘘をついてきた。故に資格を有しているのです。古くから言われているでしょう? 嘘つきは泥棒の始まり、と」
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