黒髪の勇者 第二編 王立学校 第二話 |
黒髪の勇者 第二編第一章 入学式 (パート2)
詩音とシアールが、早朝の会話を楽しんでいた頃。
「フランソワお嬢様、郵便物が届いておりますわ。」
朝餉を終えて私室に戻ろうとしたフランソワに、メイドの一人がそう声をかけた。
「私宛てに?」
フランソワはそう答えながら、A4程度のサイズを持つ封筒を受け取った。
尚、アリア王国を始めとした西部同盟内ではどこであっても荷物を届ける郵便事業が国際的に展開されている。元々貿易商人や行商人達が片手間に初めた事業ではあったが、庶民でも安価な料金で手紙や荷物のやり取りが出来るということで大いに評判を得て、今や郵便事業の専門企業まで出現している有様であった。特に郵便事業が発展している国家がアリア王国である。マーケットの拡大と共に早々に国家専売事業に指定したシルバ教国とフィヨルド王国とは異なり、アリア王国はあくまで民間の手による郵便事業を推奨していたからである。
そもそも、アリア王国は他の国家に比べて商人の社会的地位が遥かに高い。それは貿易商人がアリア王国を支えているという事実もさることながら、その宗教観も大いに影響していた。即ち、節制と禁欲を推奨するヤーヴェ教にとって、利益拡大を至上目的とする商人はたとえヤーヴェ教徒であっても異端の存在であるという認識が幅広く共有されいた。それに対し、多神教を信奉するアリア王国の中には勿論、商売繁盛の神様も存在している。
『正当な利益は評価されるべきもの』
そんな標語が、アリア王国には代々伝えられていた。その文言を形骸化させることなく持ち続けていたからこそ、今のアリア王国の発展があるのだろう。
さて、話を戻そう。
「王立学校からだわ!」
差出人を確認したフランソワは、興奮を隠さないままでそう言った。来月からフランソワが進学を予定している、アリア王立学校からの配達物である。
「フランソワ。」
まだ自室に戻っていなかったアウストリアが、フランソワを促すようにそう言った。続けて、執事の一人がペーパーナイフをフランソワに差し出す。銀製のペーパーナイフで丁寧に開封したフランソワは、中に納められた書類を黙読して、そして誰もが分かる程度にその表情を緩めさせた。
そして。
「お父様、ちょっと席を外しますわ。すぐに知らせないと!」
「無事、受かったのかね。」
アウストリアの声に、背中を向けたフランソワは軽く振り向くと、満面の笑顔でこう答えた。
「ええ、無事に!」
「シオン、おはよう!」
食堂にフランソワの声が響いたのは、それから数分後のことである。漸く従者連中の食事が用意され、食堂は早番上がりの衛兵たちやら、一仕事終えた職人たちで賑わっていた。だが、彼らもフランソワの出現に対して丁寧な挨拶こそ行うが、それほど驚いたような様子は見えない。今更、フランソワが従者用の食堂に顔を出すことなど、最早珍しい風景でも無くなっていたのである。
「フランソワ。一緒に食べるか?」
あまり進まない食事をシアールと、後から合流したビックスと共に摂っていた詩音は、フランソワの声に何事かと顔を上げた。フランソワは時折気まぐれに詩音たちと一緒に食事を摂ることがあったから、或いは今日がその日なのかと考えたのである。
「朝ごはんならもう食べてきたわ。」
フランソワは詩音にそう言うとカウンターへと向かい、自らでストレートの紅茶を一杯用意した。郷に入れば郷に従えというつもりなのか、食堂に来るとフランソワは他の家臣たちと同じような行動を取ることを常としていた。
ともかく、紅茶を用意したフランソワはそのまま詩音の隣に腰を降ろした。そして、にやり、と笑いながら封筒を詩音に見せる。
「ね、来たよ、受験結果。」
その言葉を耳に納めて、詩音は緊張したように表情を強張らせた。
詩音を王立学校に進学してもらう。それはフランソワがかねてから計画していたことであった。シャルロッテ処女航海の際に詩音に伝えていた王立学校への進学に関して、フランソワはシャルロッテ造船と変わらぬ程の積極さで推進していたのであった。
ところでアリア王立学校である。
アリア王国唯一の国立教育機関であり、現在のミルドガルド大陸には三つしか存在していない高等教育機関でもある。日本でいうならば戦前の旧制高等学校と帝国大学の性質を混ぜ合わせたような位置づけに当たる学校であった。ちなみに、他二か所の高等教育機関とはシルバ教国にあるシルバ神学校と、ビザンツ帝国に置かれている帝都大学の事である。これら三学校を差してミルドガルド三大学校と呼ばれているが、帝国設立後に新設された帝都大学とは異なり、アリア王立学校とシルバ神学校は既に数百年の歴史を誇る教育機関であることも注目に値するだろう。
また、アリア王立学校は大きく分けて三つの学科に分かれている。魔術科、科学科、法経済科の三つの学科であった。歴史をたどれば魔術師養成機関として設立された学校ではあるが、造船技術に象徴されるような科学技術発展の必要性と、法律や経済発展に寄与する人材育成の必要性を受けてそれぞれが独立した学科として追加設立されることになった。
そのうち、フランソワは科学科を、そして詩音は法経済科をそれぞれ志望して受験勉強に臨むことになった。詩音が法経済科を選択した理由はたいした理由ではない。
ただ、数学や物理がかねてから極端に苦手であっただけである。
それでも受験勉強は詩音にとって相当の苦労を要するものであったことは間違いがない。何しろ、文字を理解するという、本来ならばもっと幼少の頃に身につけておかなければならない勉学から始めなければならなかったのだから。それでもフランソワの丁寧な指導と、詩音やシアールのように食客として身を置いている学者たちの指導もあって、詩音はその学力をめきめきと向上させていた。
そして。
「どうだったんだ、フランソワ。」
勿体ぶるフランソワに対して、詩音は急かす様にそう言った。するとフランソワが満面の笑みを浮かべながら、封筒から取り出した一枚の紙を詩音に見せつける。その文字を黙読して、詩音は驚きを隠さないような表情で口をあんぐちを開けた。
「おお、素晴らしい、シオン殿!」
先に口を開いたのは、詩音の隣から通知書を覗き込んだビックスであった。
その通知書の一番上には、こう記載されていたのである。
『合格通知 アオキ=シオン 殿』
「そうよ、おめでとう、シオン!」
フランソワがそう言いながら、思い切りよく両手を叩いた。何事かと様子を見ていた従者たちも、それに合わせて拍手を行う。その中で詩音は感慨深く溜息を漏らすと、力が抜けたような口調でこう言った。
「フランソワのおかげだよ。」
「えへへ。」
詩音の言葉に、フランソワも嬉しそうに顔を崩した。普段はしっかりとした態度を取っているが、そこはまだ年頃の少女、時折このような幼い表情を見せるのだ。
「なんだ、つまらなくなるな。」
ひょう、と口笛を鳴らしたシアールが残念がるようにそう言った。
「折角鍛えがいのある奴に会えたのによ。」
「たまには戻ってこれますよ。」
詩音は安堵に肩を撫で下ろしながら、そう答えた。
「入学式は四月一日ね。」
続けて、合格証書に同封された書類を眺めながら、フランソワはそう言った。ちなみにフランソワは既に貴族専用の特別枠での入学を決めている。王立学校内では貴族、庶民の差なく同一に扱われはするものの、入学に関しては貴族の優位制が定められていた。貴族としての身分を持たない詩音はたとえアウストリアの紹介状を用いたとしても、ある程度の学力を求められることになる。
「もう一か月もないじゃないか。」
日本の学校と同じなんだな、と考えながら詩音はそう言った。
「そうね。それに王立学校までは一週間程度かかる訳だし、今月の下旬には出発しないと。」
実際、詩音は過去に一度だけ、受験の際に王立学校を訪れている。アリア王都であるアリシアから東に十キロヤルク程度離れた郊外に位置している王立学校とシャルルまでの距離はおおよそ二百キロヤルクというところだろう。早馬で駆ければ一日二日で到達する距離ではあるが、徒歩やゆっくりとした馬車での移動となれば多少急いだとしても一週間程度の時間はかかる。現代日本で育った詩音にしてみれば、高速鉄道とは言わずとも、せめて一般鉄道程度の技術があればと痛感してしまう距離である。
「早速今日から準備を始めましょう、シオン。チョルル港の皆にも知らせにいかないとね。」
フランソワは最後にそう言って、満面の笑顔を見せた。
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