無音の世界
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 無音の世界はどこにもない。ぼくのいるこの世界を除いては、どこにも。

 街中は人々でごった返している。けれど音はない。何もかもが、流れる水すら止まっている。さっきまでは聞こえてきた喧騒は一瞬で消え去り、何も聞こえない静寂が訪れる。

 ぼくは時を止めることができるのだろう。しかし自分の身体を動かすことはできない。だからただ止めるだけだ。この中を自由に動き回れたならば、それはまた何か変わった発見があったかもしれない。首が動かせるわけではないし、目も動かせないのだから視界が広がるわけでもない。焦点もさっき見ていた場所から変えることはできない。だから厳密に世界が止まっているかはわからなかったけれど、ただ第六感とも言うべきものがそう僕に伝えていた。

 この力が使えるようになってからどれだけ経つかはわからない。ただ時たまに今みたいに使ってみようと思って使うときがある程度で、乱用もしていない。しかしこれを使い出してからか妙な感覚が残るようになった。

 ――このまま止まったままで良いのではないか。

 この世界を感知できるのは僕だけだろう。もし他にいてもきっとどこかでズレている。もしかしたら本当は世界なんてものは止まっていなくて、ただ一人ひとりにそれぞれ別の世界が用意されているのかもしれない。それならなおさらだ。ぼくの世界はこれ以上進む必要もないように思える。

 社会的に見れば逸脱者の思想だ。わかりやすく異常者といってもいい。この瞬間は、いやこの時間は永遠に社会から切り離されている。不適合であって当然のこと。こうやって考えることさえできれば他になにもいらない。

 そこで時を止めるのをやめた。ピタリと止まっていた世界は動き出し、音も元に戻っている。僕も止まっていた足は勝手に動き出し、人の進む流れに身を任せている。こうやってさっきのように思想がそっちにいき過ぎたら解除をしている。ただそれもいつかしなくなるのかもしれない。ぼくはどうしたいのだろう。したいこともないし、したくないこともない。ただ時間が過ぎていく。こうやって歩いているだけで、立ち止まっていても。それには普通は逆らえない。ただ止めることがぼくにはできる。

――やっぱりあっちのほうがいいかもしれないな。

 ぼくという存在はぼくにしか感知できない。心は心の持ち主にか感知できない。ふっと携帯電話を取り出して、時間を確認してみる。時計は正午を示していた。電源を切って画面を見る。黒色の画面がぼくの顔を写していた。目はぼく自身がみても生気がない。なにをみているのかわからない。好きでもないし、嫌いでもない。

 携帯を閉じると行き交う人の群れに目を合わせた。こっちを向いている人もたまにはいる。でも目があったかと思うとすぐに目を逸らして他のものを見ようとする。その瞳には命が宿っている。ぼくの瞳にはないのかもしれない。ただ鏡を使ってでしかぼくは自分の目を見ることができないから、わからないのかもしれない。

 また時を止めてみた。無音の世界。ぼくは名前も知らない誰かの瞳に焦点をあわせている。その瞳には生気がなかった。偶然ぼくが見つめたのがぼくと同じような人間だったのかもしれないし、この世界では皆がそうなるのかもしれない。

 ――でも、そういうことなんだな。

 ぼくはこのまま時間を止めることにした。動かない瞳をただ見つめてずっと考える。さっき時間を止めてから、今までのあいだ現実では十秒も経っていないだろう。

 ぼくの世界は止まったままだ。でもきっと別の世界では動いている。ぼくもその一部として。ならそっちでぼくが生きているならこれでいい。

 無音の世界は時間が消え去り、僕だけのものになった。僕だけの世界に。

 

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 何も聞こえない。
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