弱い男 |
1
「本来、ロード・エルメロイが使うはずだったイスカンダルの((聖遺物|せいいぶつ))を盗んだ人間が生き残ったのです。それを、聖遺物を手に入れるために尽力した一族の者が怒り、あなたを蛇蝎のごとく嫌う人間がいるのは当然でしょう。まさか、ボクはあの戦いで成長することができました。生き残ることができたのも、強いサーヴァントを召喚しようとしたロード・エルメロイのお陰です、ありがとうございます。このご恩はけして忘れませんと、面の皮が厚く、心臓に毛が生えているところを見せに来たのですか?」
「いえ。いくら師と折り合いが悪かったとはいえ、窃盗という罪を犯したのは私です。ロード・エルメロイが亡くなった一因も、私にあります」
「思ったよりいい方で安心しました」
アーチボルト家十代目当主は頬をゆるめる。
「返答次第では、意識を保たせたまま、皮をはごうと思っていました」
向かいのソファに座るウェイバー・ベルベットの顔が引きつったのは、言うまでもない。
アーチボルト家からすれば、派閥の裏切り者がロード・エルメロイの秘術大全を作りたいなどというのは、言語道断。
それはウェイバー自身も分かっていたが、それでも自分がやらなければいけないという使命感があった。無謀とも思える提案を通すには、まずはアーチボルト家の協力が必要。
が、一族の人間に接触しようにも断られ、居留守を使われ、直接会いに行っても追い返され、それは本家の対応も同じだった。なんとかして十代目の行動をつかみ、直談判して、ようやく話を聞いてもらえることになった。
それでも有に数十分は待たされ、時間単位で待たされなかったのは良心的なほうだとウェイバーは思ったが、甘かった。
初めて会話をする十代目の少女は容赦がなく、遠回しな嫌味を言わず、直球で攻めてくる。そして間違いも下手な謝罪も許さない。
だが、この会見が最初で最後のチャンス。ウェイバーは企画書ともいうべき書類を提出し、サンプルとして簡単なレポートもまとめて((添|そ))えた。
十代目は嫌味を言いつつも、ここまで粘った男に対するご褒美か、文書のたぐいはすべて目を通してくれた。
「学生の私でも感銘を受けるほど、素晴らしいレポートでした。これなら魔術師よりも、講師の道を目指してはいかがです? それとも、講師を目指すために先代の研究をまとめるつもりですか?」
「私はけして野心からではなく……」
十代目は片手を上げ、髪の長い年上の青年の発言を制する。
「確かに、先代の研究は金のなる木です。((公|おおやけ))にしていない研究から、さまざまな特許も出せるでしょう。あなたがやろうとしていることは、ただの本の((編纂|へんさん))ではなく、政治闘争であることを胆に銘じてください。一族の中でも、大きくなり過ぎたエルメロイを潰そうとする者たちがいます」
アーチボルト家はいくつもの血筋があり、エルメロイもその一つ。
ケイネスという天才により、家の内外でエルメロイは大きな派閥となった。それをこころよく思わない者は少なくない。
「それにあなたが聖遺物を盗んだとはいえ、盗まれる失態を犯したのは先代です。先代があのような形で亡くなって以来、当家も傾きました。エルメロイの者が傾かせたのならば、同じ血筋が解決しなければ面目が立ちません。私にはその責務があります」
「私もかつてはロード・エルメロイの弟子でした。同じように責務があります」
嘘偽りがないことを明かすかのような、青年の真剣な眼差しを十代目は受け止める。
「あなたの提案を当主である私が受け入れるということは、万馬券狙いで全財産を賭けるようなものです。失敗は許されません」
「万馬券を狙えるほどの研究を、ロード・エルメロイは残しています」
「先代の研究を解き明かそうとして、失敗した人間が多いのは知っていますか?」
「天才に真正面から挑めば負けます。上策でかなわないなら、逆に下策であれば上首尾に到ることもあります」
「やれると言うんですね」
「やれます」
「断言するほどの自信があるんですか」
「魔術を隠すのではなく、明かせばいいんです。指南書として世に出せば、毎年収入を得られます。それに、アーチボルト家に金を払ってでも、直接学ぼうとする者も出てくるはずです。それによって権威が復活するでしょうし、教え子たちからさらなる収入を得ることもできて、財政面も安定するでしょう」
「魔道の世界の常識とは逆ですね」
「昔、ロード・エルメロイに言われたことがあります。君は物事の理解や理論の再構築は群を抜いて素晴らしいが、常識を無視し過ぎると」
珍しいと十代目は思った。先代なりに彼を褒めていると。
(光るものはあったのね…)
そして信じようと思った。本を作ることを提案してきたウェイバー・ベルベットではなく、彼を評したケイネス・エルメロイ・アーチボルトのほうを。
「……いいでしょう」
「では!」
今度は鋭い視線で発言が制される。会話のすべては十代目の制御化にあることを、ウェイバーは認識した。少女とは思えない威圧感に、当主としての教育が十分にほどこされていることを実感する。
「ただし、一族内での会議にかけてからです。時間はかかりますが、おそらく許されます。エルメロイ派の者たちは許さないでしょうが、他の派閥から見れば、エルメロイを完全に潰す好機です。残念ながらエルメロイの発言権は弱い。それで通るはずです」
「ありがとうございます…!」
「感謝ならロード・エルメロイにしてください。彼があなたの才能を認めていたからこそ、許すのです。では、ご機嫌よう」
その言葉を最後に、十代目は部屋を出る。会見は終わり、ウェイバーは大きく息を吐くと、冷めた紅茶を飲み干した。
改めて応接室を見回すと、まるで映画のセットのような部屋だった。この一部屋だけで、十分生活ができるほどの広さ。見たこともないような絵画や高そうな家具が並び、庶民の感覚からすれば、すべての金銭的桁が三つほど違うような世界。
ウェイバーがここに入ったのはもちろん初めてだったが、ケイネスが生きていた時も、この部屋はこういう雰囲気だったのだろうかと想像する。
「先生」
高い天井を見ながらつぶやく。
「先生も、ここで人と会ったりしました?」
答える声はなかった。
2
「許可は得ました。一族内の反応はあなたの予想と同じだと思って結構です。これであなたの計画が失敗に終われば、エルメロイは本格的に終わります。よろしいですね」
短いような長いような、そんな日数が過ぎたあと、十代目はウェイバーの目の前に現れ、脅しともいうべき文句を宣言した。
その後、ウェイバーを黒塗りのセダンに乗せ、強制的に連れて行ったのは郊外にある二階建ての家。
「ここは先代が隠れ家として使っていた場所です。彼の死後、掃除はさせていますが、なにも手をつけていません。生前のままです」
ウェイバーは十代目に先導され、刈りそろえられた芝生を通り抜けて中に入る。十代目はうしろを振り返ることなく、付いてくるのは当然という勢いで、ここは居間、ここは寝室、ここはハウスキーパーの部屋と、次々紹介する。
「先代の趣味は、絵画や彫刻といった芸術でした。少しだけ見ましたが、スケッチブックに術式の走り書きのメモがあるようです」
この家のメインスペースである、広いアトリエに通される。あちこちに白い布やビニールがかけられていて、作品をほこりや日光から守っていた。
「アトリエにも研究の痕跡が散らばっているので、好きな時に見にきて結構です。ただし、あまり荒らさないように。ライフラインは通っています。自由に使ってください」
当たり前のように家の鍵が渡され、ウェイバーは戸惑った。
「鍵、もらっていいんですか?」
「住んでも構いませんよ。書斎代わりとして使ってもいいですし。あとで、あなたの身の回りを世話する者を置きましょう」
「それは……ここで本をまとめろ、ということでしょうか」
「そうとらえても結構です」
ハウスキーパーをいりませんと言ったところで無駄なことは、ウェイバーには分かっていた。当主の決定は絶対なのだ。
あまり本家に出入りしてほしくない、微妙な事情があるのだろうと推測する。下世話な勘繰りをすれば、当主は女であるため、外部の男が頻繁に出入りすることで変な噂が立つのも困るのだろうと。
だが、わざわざケイネスが使っていた隠れ家を提供するのはいかがものか。それがウェイバーの本音だった。
そう思っても拒否権というものがないので、結局ウェイバーはケイネスの隠れ家に住むも同然となり、あれよあれよという((間|ま))に住み込みのハウスキーパーとして老婦人が来て、アーチボルト家が保管していた論文やレポートが大量に持ち込まれることになった。
まずはと文書に目を通すことから始めたものの、ケイネスは手当たり次第にさまざまな分野に手をつけていたので、読むだけでも一苦労。その合間にアトリエの作品を冷やかすのがウェイバーの日課になった。
アトリエには作りかけや描きかけの放置が多い反面、物が多いわりにきちんと整理整頓されていた。
水彩、油彩、アクリル、大小さまざまな筆、デッサン用のコンテや木炭、鉛筆、石彫刀に彫刻刀、ウェイバーが知らない種類の未開封の粘土もあり、ちょっとした画材屋を見ているようで楽しかった。
おそらく道具はすべて一級品。特に彫刻刀あたりは、一流の職人に発注して作らせた物だろうと推測する。そしてそれをうまく使いこなしていたのだろうと。
研究もそうだが、芸術面でもあちこちに手を出し、素人のウェイバーにも分かるほどのうまさだった。
「ほんと、嫌なタイプだよ」
今日は小さなスケッチブックをめくる。おそらく外出用のもので、街の風景や子供、小動物などが鉛筆で描かれていた。
十代目が言った通り、スケッチブックには魔術に関する走り書きをしていることがある。本当にメモ程度の書き方で、そこからなにかを読みとるのは難しい。
もしかしたらなにかの研究に繋がっているかもしれないので、そういう時は念のために付箋を((貼|は))っておく。
珍しいのでは生徒の覚書のような落書きもあり、しかめっ面のウェイバーの顔もあった。その時は、やはりこう見えていたのかと感傷に浸った。
今回見るスケッチブックには、時折人間や動物をデフォルメした小さな落書きがあった。かわいらしいもので、ウェイバーは「へえ」とにやにやする。
さらにめくったところで一つのことに気づき、盛大に吹き出す。何ページかにわたって隅に描かれていたのは、鳥が止まり木から飛んで消えるまでのパラパラ漫画。
「漫画描くのかよ!」
笑い過ぎて呼吸困難におちいりかけるほど、ウェイバーは大笑いした。あの気難しい顔でこれを描いたかと思うと、余計におかしかった。
「面白いなあ」
スケッチブックを元に戻し、次はキャンバスが収められている棚の前に立つ。以前に軽く調べたところ、技法に分けて完成品を順番に入れているらしく、未完成品は別の棚に入れ、これも技法ごとに分けられていた。
ウェイバーに絵心はなかったが、ケイネスの画風は有名な風景画の描き方に似ていると思った。線は強弱をつけて全体的に繊細。流れは優美。色の境目はにじませて曖昧。
(絵は内面が出るらしいけど、実生活じゃ繊細が行き過ぎて神経質になっていたよな)
今日はどのキャンバスを見ようかと選んでいると、几帳面に管理する人にしては珍しく、木枠からはずされた画布が、乱暴に棚の奥に突っ込まれていた。興味を持ったので引っ張り出し、広げてみる。
「??ッ」
規則正しい鼓動のリズムを大きくずらすほどに、その絵はインパクトがあった。
描かれている人物はケイネスの婚約者だと一目で分かる。ウェイバーが学生だった当時、婚約者の顔を知らない者たちの間でも、胸が大きい赤毛の美人だという情報は出回っていた。
婚約者が淡く微笑んだ水彩の肖像画は上半身のみ。一番の特徴ともいえる赤毛は温かみがあり、水彩の柔らかさが巧みに使われていた。笑顔だけ見れば、春のようにおだやかな雰囲気がある。
おそらく時間をかけ、線も色も吟味し、優しく丁寧な愛情を込めたはずの絵は、たった一本の赤い線で、引きちぎられるようにして没にされていた。
感情のおもむくまま、最初は筆を叩きつけてこすりつけるように。途中から勢いに任せて、朱よりも鮮やかに、紅よりも濃く、赤の中の赤で、荒々しく引かれた斜め線は、どの線や塗り方よりもはっきりとした意思表示を持っていた。
ウェイバー渾身の論文を破った比ではない生々しさが、そこにある。
静かに息を吐き出すと、ウェイバーは画布を丸めて元の場所に戻した。自分の視界に入らないようにする。次に大きく深呼吸をしてから、近くの椅子に座った。目の前にはキャンバスを乗せるためのH型のイーゼル。
おそらくケイネスはここで、絵の中の愛する人を拒絶した。
それほどの出来事が起こったあとで、画布を木枠からはがし、棚に突っ込んだ。日本から帰ったら処分しようとしたのかもしれないが、その機会は永遠に訪れなかった。
婚約者本人にぶつけるべき怒りを絵にぶつけているように見えて、見てはいけないものを見てしまった気分になる。どんな顔であの線を引いたのか。心の泥を叩きつけたようなあの絵は、刺激が強過ぎた。
日記のたぐいはなかったと十代目は言っていた。その代わりとなるのが論文や研究のメモであろうと。公的な日記が論文だとしたら、私的な日記はこの部屋。
「これって嫌な作業じゃん…」
この家は文字通りケイネスの隠れ家。彼だけの庭。あるいは城。言い方を変えれば聖域。そこにウェイバーは踏み込んでいる。
十代目はいつでも誰かが帰ってきていいように丸ごと保存し、手をつけなかった。心に分け入る作業をしているのは、おそらくウェイバーが初めて。
(押しつけられたか)
あるいは、少しはロード・エルメロイを知りなさいという、彼女なりの嫌味。
「ファック」
さすがにビッチとは吐き捨てなかった。
3
後日、ウェイバーはハウスキーパーに銘柄と種類を指定して、シガリロを一箱頼んだ。
ウェイバー自身は喫煙者ではなかったが、聖杯戦争後に時計塔を休学し、世界を旅した時に葉巻の吸い方を学んだ。
葉巻の煙は煙草より濃厚。肺に入れると悪酔いする。だから煙を肺に入れず、口の中でゆっくり味わって楽しむこと。ギリギリのラインで楽しみなさいと。
頼んだ品は簡単に手に入ったようで、買い物から帰ってきたハウスキーパーからシガリロの箱を渡された。
ロメオ・イ・フリエタ。イギリスの元首相や有名な架空スパイが好んだ葉巻のブランド。イギリスが生んだ文豪シェイクスピアの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』に由来し、パッケージの絵も二人がバルコニーで語らうシーンを使っている。
(経過は似ていないけど、結末が同じだなんて皮肉だな)
敵対する家同士の若い男女、ロミオとジュリエットは偶然出会い、熱烈な恋愛の末に結婚まで行き着くが、悲劇的結末を迎える。
ケイネスとソラウは戯曲の内容からほど遠かったが、二人とも死ぬ結末だけは同じだった。
今日も息抜きにアトリエを訪れ、作品を冷やかしつつ、思考の痕跡を探す。それに加わった行動はシガリロを吸うこと。
使用中の画材が置いてある棚に行き、シガリロの箱とマッチを手に取る。箱の中を見ると残りわずか。その中の一本を吸う。
シガリロを吸うようになったきっかけは、一つの木箱の発見からだった。
ケイネスの心の整理をする作業をしていると理解したとたん、ウェイバーは山と積まれた文書を見る意欲がなくなり、読むスピードは明らかに落ちた。意識を切り替えようと丸一日休んだり、散歩したり、街で食事したりもした。
それでも欠かさなかったのは、アトリエに来ること。嫌だと思いつつも、やめられなかった。
何気なしにキャンバスが納められている隣の棚に歩み寄り、木箱をのぞくと、中に入っていたのは使用中の色とりどりの水彩絵具。紙の箱には短くなったデッサン用の木炭。それらは前に見たので中身を知っていた。
さらに奥を見て、隠すようにしまわれていた木箱を見つけたので開ける。入っていたのは煙草。しばらく見つめたあと、ウェイバーの口から出たのは「ええっ!?」という驚きの声。
一本手に取ってよく見ると、煙草とは違った。かといって葉巻ほど太くはない。木箱の蓋表面のロゴマークの下に『Mini』と書かれていることから、どうやらこれはミニシガー、シガリロだと分かり、ウェイバーの落ち込んでいた気分が急浮上した。
シガリロは手軽に吸える小型の葉巻だが、煙草よりもヘビー。ケイネスは匂いに敏感そうに見えたので、煙草や葉巻とは無縁だと思っていた。
客に勧めるために備えているかと思ったが、ここは彼以外誰も来ないはずなので、明らかに個人用。
金持ちで貴族とくれば、大衆品の紙煙草を吸うイメージは浮かばない。かといって太めの葉巻をじっくり吸うイメージも浮かばない。
シガリロを選んだケイネスに、「あの人らしいや」とウェイバーは思わず笑った。
最初は故人の物を拝借して吸おうと思ったが、そんなことをしたら十代目に怒られそうな気がしたのでやめた。自分の金で買うことにした。ハウスキーパーにシガリロの購入を頼んだのは、そういう経緯だった。
ケイネスの思考パターンを知りたくて吸い続けていたが、煙草のたぐいを嗜好品として続けるのも悪くないと思い、次は葉巻を吸おうと思っていた。今吸っているタイプのとは違う、重くて、力強くて、土の味がするような濃厚なもの。
初めて吸った葉巻は確かコイーバだったと、ウェイバーは記憶していた。これも有名ブランドで、初体験ということもあり、酒で酔ったように頭がくらくらした。
「先生、葉巻が苦手でシガリロにしたんですか?」
小さなつぶやきを聞く者はいない。
今、あれほど嫌いで苦手だった人と同じシガリロを吸っている。学生の時だったら考えられなかった行動に、ウェイバーは自身に対して苦笑した。
聖杯戦争前だったら、ゆがんだコンプレックスから魔道の名家の没落を素直に喜んだかもしれないが、あの戦いを経験したあとはそうではなかった。
没落が意味するところは財産や名誉を失うことであり、人によっては生活苦から死を選ぶことである。
病死とは違う、素手で心をつかまれて引きちぎられるような別れの生々しさを経験したあとでは、他人の不幸を喜べなかった。
聖杯戦争に参加せず、あのまま時計塔に残っていたなら、ケイネスの嫌な面をそっくり受け継いだ人間になっていたはず。そう思えるほどに、暗い部分が似ていた。
そうならなかったのはライダーと出会えたからこそ。
出会うきっかけとなったのは間違いなくケイネスで、彼がいなければ今の自分はいない。ライダーとは別の意味で、人生に大きく影響を残す一人。
今思えば、父とも呼べた人。
ライダーこと征服王イスカンダルも父とたとえるなら、彼は明で、暗はケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
征服王はとても分かりやすかった。明るく徳に満ち、豪放磊落。ケイネスはその逆だった。神経質で自尊心が高く、冷血。
そして二人ともいなくなった。
本をまとめるにあたり、ウェイバーは十代目に対して野心がないと言ったが、嘘だった。魔術師として大成したかった。あの王の隣に並ぶのにふさわしいと言われたかった。
動機の一つに、三流でも壁を突破できる方法が師の研究にあるはず、というのがあった。数多くの文書に目を通したものの、きっかけになるものは今のところない。
きっと先生ならこんなふうに悩まず、王の隣にいても最初から見劣りしないんでしょうねと、卑屈になることもある。
そんな感情が癒えるのは、アトリエに残されたケイネスの弱さを見た時。才能にどれほどの差があっても、自分と同じ人間がここにいる。
わずか十一日間の聖杯戦争で、本に書かれた王としての強いイスカンダルの姿を見た。そして本には書かれない、弱さもある人間としての姿を知った。
今度はケイネスの姿を知る。当主と講師という鉄壁の向こうにある面を、この家から。
シガリロの煙を口内に満たしたあと、ウェイバーはまぶたを閉じて思い浮かべる。
ケイネスはこの家で自分好みの調度品に囲まれ、金がある貴族らしい趣味をたしなみ、あるいは俗世で興味を持った本を読みふけり、紅茶や酒を飲み、シガリロを吸うような、年相応の上流階級の青年だった。
ここでだけは、ありのままの姿で、弱い心をさらけ出しても大丈夫だった。
ウェイバーは目を開けると、味わっていた煙をゆっくり吐き出す。
(先生、ライダーみたいな人と会えなかったんですね)
天賦の才がもたらす功績。それにともなう輝かしい地位と名誉。これからの人生をいろどる恩師の娘との婚約。
すべてを手にして順風満帆に見えたが、自分が思うよりも恵まれておらず、圧倒的に孤独だったのではとウェイバーは考える。
おそらく彼の心に寄り((添|そ))えた人間は、近くにいなかった。家族に使用人、学友、同僚、日本まで一緒に来た美しい婚約者、遠目から見ても一目で美丈夫と分かるほど輝かしいサーヴァント。
その誰もが、物理的に近くにいただけだったとすれば。
傲慢なほどに強くあれ。おそらくそういうふうにケイネスは育てられ、振る舞い、出生と才能に決められた人生からはずれることなく、彼の王国を築き上げた。
それを壊す一因となったのはウェイバー。
死んだからこそ美化される部分もあれば、分かるようになった部分もある。どんな形でもいいから、孤高の人生の中で彼が大事にしてきたものに報いたかった。それは親孝行のようなもの。
十分に吸ったシガリロは、いつのまにか灰皿の中で火が消えていた。
「嫌いな人ほど細かい部分までよく見える、ってね」
ロード・エルメロイの本質とも言うべきあなたの魔術を理解し、解説できる言葉を持つ者はいないでしょう。
誰よりもあなたの才能に焦がれ、否定され、嫌ったボク以外には。
4
ハウスキーパーの紅茶を((淹|い))れる腕は素晴らしく、ウェイバーと訪問客の間にアールグレイの香りが漂う。
一見優雅に見える光景だが、空気は殺伐としていた。家の鍵を渡されて以来、会うことがなかった十代目が抜き打ち検査に来た。ウェイバーはそう思った。
「研究をまとめる作業は進んでいますか?」
「まあまあといったところです。文書に目を通すだけで、かなりのものですね」
「最近、シガリロを吸っていると聞きました」
「……あのおばあさんはお喋りですね」
「私は風の噂で耳にしただけです」
見え透いた嘘に、ウェイバーはファックと言いそうになったが、紅茶とともに喉の奥に飲み込む。言ったらなにが起こるか分からない。
(裏切り者へのお目付け役、ってところか)
炊事洗濯は申し分なく、近所付き合いも明るくこなす優秀なハウスキーパー。そう思っていたらスパイまでこなしていたとは。
そんな老婦人に、むしろウェイバーは感心した。
「シガリロ、こちらで用意しましょうか」
「いえ、それは…」
「お金の心配はしなくても結構です」
「いえ、次は葉巻を吸おうと思ってまして」
十代目は意外そうな顔をする。
「銘柄を指名したと聞いたので、喫煙者だとばかり」
「いいえ。もともと喫煙者じゃありません。シガリロはアトリエで見つけたんですよ。どうやら先生が吸っていたみたいで、同じ物を吸えば、思考パターンに近づけるかと思ったんです」
その答えに十代目は遠い目をして、「ああ、それで」とつぶやいた。
「なにがです?」
「先代から葉巻の匂いが……本当に時々ですが、したんです。てっきり香水だと思っていましたが、吸っていたんですね」
懐かしい日々を思い出し、十代目の表情は自然と柔らかくなる。葉巻の匂いは嫌な香りではなかった。
「先生はどこで葉巻を覚えたんでしょうか」
「社交界に出る前に、たしなみとして一通りのことは教えられます」
「酒も?」
「ええ。必要ですから」
「女性も?」
意地悪い質問に十代目は「ええ」と涼やかに答え、逆にウェイバーのほうが「えっ!」と驚いた。
「使い魔との契約の代償に性交することもあるので、やり方は教えられますし、社交界では体の相性がいい相手を見つけて結婚することもあります。一般の世界から見れば、ただれていると言われるでしょうね」
「ほんとに!?」
あまりの食い付きぶりに、十代目は怪訝な顔をする。
「あなたの期待通りの答えをするなら、ロード・エルメロイは童貞ではありません。ただし、性技にたけていたか、どのような性癖があったかは知りません。少なくとも、ロリコンではありませんでし……」
「すみませんでした!」
ウェイバーは大声を出して発言を止めさせた。あのアーチボルト家の当主といえど、まだ十代の少女。大人の身からすれば、そんな子に性的な話を堂々としてほしくなかった。
「時計塔ではそういう噂があったのですね」
「ま、まあ、悪口の一種でしたが…」
「潔癖に見えましたものね」
「だからあちらのほうもかと、つい……」
「先代は、金と暇を持て余した階級独特の遊びを嫌っているようでした。それに加えて魔術師というのは、珍しい体質の子供がいたと知るや、調べたがります。それらが合わさると、たいていは眉をひそめる結果になります」
ケイネスは二重属性を持っていたことをウェイバーは思い出す。
「もしかして先生は、そういうことをされたんですか?」
「さあ? そればかりは、推測でしかものを言えません」
あの厄介な性格を形作る一因としては、説得力があるとウェイバーは思った。潔癖症の気があり、一点の曇りもなさそうな天才に、背徳にまみれた過去があるという設定は。
(……どこぞの文学の主人公みたいだな)
ネタにはなるがケイネスは名門の出。神童と呼ばれた御曹司がそんな酷い目に遭うと思えなかったが、閉ざされた世界でなにがおこなわれたか、知るよしもない。
ケイネスは家の力でうまく逃げられたのか、そうではなかったのか。十代目は知らないと言うし、ケイネス本人もそんなことはなに一つ言わなかった。
では十代目自身はどうなのかと、そこまで問える勇気がウェイバーにはなかった。
魔術師は俗世の常識とかけ離れている。もう少し自分の体を大切にと言ったところで、体液も臓器もすべて商品価値があるため、一般の理屈が通じない。それが彼らの常識。魔術という夢のきらめきの裏にある陰は濃く、煮詰まっている。
「それで葉巻のことですが、ご指名の銘柄はありますか」
「それは葉巻を買えというご命令、ですか?」
「このような大役を引き受けてくれたあなたへの、ささやかなお礼です。天才過ぎる魔術師としての先代を理解するのは、途方もないことですから」
意外に素直な答えに、明日は槍が降るのではとウェイバーは内心恐れつつ、もしやと思った。
もしかしたらこの少女も、ロード・エルメロイが残した研究を解き明かそうとしたのではないかと。
ウェイバーよりもケイネスの近くにいた少女からすれば、野心よりも身内を理解したくての行為。
(自分ができなかったから、できそうな奴を待っていた……?)
まさかね。
ウェイバーは自己完結させると、「では」と切り出す。
「銘柄はシガリロと同じ、ロメオ・イ・フリエタを。種類はチャーチルをお願いします」
「もしかして、チャーチルが吸っていた葉巻ですか」
「ええ。有名なのを一度は吸ってみたいと思ったもので」
「初心者向きなんですか?」
「まあ、多分」
曖昧な答えに、十代目の視線が冷たくなる。彼女の眼差しは上品さも相まって、見られているほうをいたたまれない気分にさせた。
「……葉巻に慣れてもいないのに、最初から難易度が高いものに挑戦してどうするんですか」
これは嫌味が来ると思い、ウェイバーは精神的に身構える。
「先代の気持ちが少し分かりました。あのイスカンダルのマスターになるとは、((分|ぶ))をわきまえぬ者よと」
予想通りの攻撃に、心にさらなる壁を作ったが、次に来たのは予想外の言葉だった。
「でも、あなたは生き残りました。聖杯戦争でのケイネスおじさまのことを知っているのは、あなただけです」
十代目にとっては親しみのあるおじさま。ウェイバーにとっては気難しい講師。
彼女は大好きなおじさまを死に追いやった遠因である男を嫌いつつも、おじさまがどのように戦ったか、直接知っているかもしれない男に歩み寄ろうとしている。
彼は厳しい講師を嫌いつつも、講師の生家の没落に良心の呵責を感じている。中傷に耐えて家を救おうとしている気持ちは本物。心の底から憎んでいるとも思えない。
おたがいにそう解釈する。
「そうだ。紅茶、新しいのをもらいましょう」
微妙に変化した場の空気を変えるため、ウェイバーはハウスキーパーを呼び、新しい紅茶を頼む。第三者が来て雰囲気が刷新されたところで、「そういえば」と新しい話題に切り替えた。
「あなたの肖像画がアトリエにありましたよ。いい絵でした」
「多分それは習作です。以前、肖像画をもらったことがありますから。……本当になんでもできて、子供には優しい人でした」
眉間にしわを寄せ、理解するのに時間がかかっているウェイバーの表情がおかしくて、十代目は口元を隠して笑った。
「そのしかめっ面、おじさまのスケッチブックに描かれていたのとそっくり」
「あれですか」
「あなたも見たんですか」
「見ました。時々、面白いのを描いていますよね」
意外ですよね、そうですねと、二人は笑い合う。剣呑な空気は消え、おだやかな時間が流れていた。
直接会う前から十代目は自分を知っていたことに、ウェイバーは不思議な((縁|えにし))を感じずにはいられない。嵐のようなライダーとの出会いもあれば、遠く張り巡らされた蜘蛛の糸のような十代目との出会いもある。
おそらく師は、これからも多くの出会いをもたらしてくれるはずだと考える。その中で、十代目の言うおじさまの姿をもっと目にするかもしれない。
点と線を繋ぎ、人間のケイネスに近づいていく。
多分、こういう形でしか分かりあえない師弟だった。よく似ているからこそ遠く離れ、長い時間をかけてしか理解できない。正面からでは心がすり切れるから無理。
自分たちにはこれが一番合っていると納得できたのは、ライダーがウェイバーの弱さや、他者から見ればくだらないはずと思っていた知識を認めてくれたから。
弱さは成長するうえで必要であり、答えに到達するにはさまざまな方法があると。
生き方はライダーに、出会いはケイネスに。
(もしかしたら……)
先生は、いつかライダーともう一度出会えるきっかけを与えてくれるかもしれませんね。きっと凡人には想像もつかない方法を用意しているはず。
だってあなたはロード・エルメロイなんですから。
END
後書き
二世の赤いコートがライダーだとしたら、葉巻はケイネスだったらいいなと思いました。
説明 | ||
例の本をまとめようとするあたりのウェイバーとケイネスの名残の話。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。事件簿発売前に書いた話なので、キャラ造形が違うのはご了承ください。聖杯戦争後のケイネスの行方→http://www.tinami.com/view/412292 | ||
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