修羅
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『女は花』

 

 美しく、柔らかく、疲れた男の心にひと時の安らぎを与えてくれるもの。

 

『または、酒』

 

 心寂しい時に、束の間の快楽と悦びを約束してくれるもの。

 

 俺にとって、女とはそれ以上でも以下でもなかった。

 気が向いた相手と、一瞬だけ心を通わせる。

 その時だけは、心底愛しく思うが、酔いが醒めると泡沫のように儚く消えゆく想い。

 愛の名残だけが肌に纏わりつき、褪めた心をほんの少し苛立たせる。

 

 家族が欲しい、という願いとは裏腹に、定まった女が見つからない。

 続く女がいても、どこか噛み合わず、結局別れてしまう。

 ある女に去り際に言われた言葉が、小さな棘のように心の奥で引っ掛かっている。

 

『左之さんは、誰も愛せないのよ。心の奥に冷えた部分があって、どこかで女を避けている。あなたのような人は、一人に縛られるなんて無理なことね』

 

 そう言って寂しげに笑った女の顔も、霞んで思い出せない。ただ、言葉だけが心に残って離れなかった。

 

    

       ※※※※※※※※※※※※

 

 

 深い闇の中で、一人手酌で酒を呷る。

 

(…どこかで女を避けている、か)

 

 霞のような女の言葉を思い出し、口の端に苦い笑みが浮かぶ。

 

(…そうかも知れねぇな)

 

 俺は、恐ろしいのかも知れない。たった一人の女に心を預けることが。

 唯一の存在を求めながらも、それを得ることが怖いのかも知れない。

 

 己の中に眠る、熱く激しい心。若さゆえに激情を抑えきれず、大きな間違いを幾つも犯した。

 戻れない過去の過ち、幼さへの羞恥。

 たくさんの後悔を経て、俺はようやく己の激しすぎる心を抑える術を得たのだった。

 

 冷たく凍えた理性で幾ら蓋をしようとも、俺の中には真っ赤に燃えた炭のように、熱く滾るものがある。

 いつ何時、燃え上がるか分からない、危うい熱源がある。

 ――幾多の女を渡り歩きつつも、唯一が見つからずにいることに、何処か安堵していた。

 理性を溶かすほどの女に巡り合わぬことを、哀しみながらも密かに喜んでいた。 

 箍が外れた己が、誰かを傷つける姿は見たくない。

 己でも抑え切れぬ、修羅の心を見せたくはない。

 …それが愛する者であれば、尚更のこと。

 

 ふと、脳裏に艶やかな黒髪が通り過ぎて行った。

 高く結い上げて、ゆらゆらと揺れる黒い流れ。

 不安を覚えるほど、鮮やかに思い出される小さな姿。

 

 ぴしり、と何処かで音がした。

 何かに亀裂が入るような、甲高く不吉な音が。

 

(…もう保たない)

 

 胸の奥から声が聞こえた。それの意味する事を理解しつつも、聞こえない振りをした。

 目を逸らしている内に、亀裂が元に戻っていることを切に願いながら、必死に心を誤魔化したのだった。

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 初めて会った時から、千鶴は不思議と気に掛る女だった。

 静かで控えめな性格なのに、どこか思い切りの良い女。

 優しく、争いごとを嫌うのに、これと決めたら貫き通す頑固な性格。

 そして、己の過ちを真っ直ぐに受け止める潔さ。

 

 千鶴と話していると、時を忘れた。

 他愛ない話でも、彼女と話していると楽しかった。

 最初は暇つぶしのつもりだったのに、気付けば姿を探している。空いた時間をともに過ごしたいと考えてしまう。

 

 今も巡察帰りに買い求めた甘味を共に食べようと姿を求めて歩き回っていた。

 彼女のいそうな所を訪ねてみても、どこにもいない。

 見つからないことが舌打ちするほど腹立たしく、向きになって探し回った。

 苛立つ自分に訝しみつつも、足は勝手に彼女を求めて彷徨う。

 

(…こんなのは、らしくねぇ)

 

 何度、諦めて部屋に戻ろうと思ったか分からない。

 しかし、自分以外の誰かが傍にいるのではないかと思うと、何故か面白くなかった。

 

(…何処にいるんだ?)

 

 探せども、なかなか姿が見えないことに焦りを覚える。

 建屋の中は全て探した。残るは庭しかない。

 

(もしや…)

 

 時折、池の端を掃除していることを思い出した。

 急いた心のまま、草履に足を突っ込み、足早に池へと歩いて行った。

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 ざくざく、と土を踏みしめて池へと向かう。

 我知らず、歩く速度が上がっていき、最後には駆け出さんばかりに急いた足取りになっていた。

 

(俺は…何やってんだ)

 

 何度、自問したか分からない。

 答えは出なくても、自分がひどく不機嫌であることは分かった。

 

「千鶴が誰といようと構わねぇだろうが」

(なら、何でそんなに苛立ってんだ?)

 心の奥底から声が聞こえる。

 

「あいつは妹みたいなもんだろ?」

(本当にそうなのか?)

 

「…そうだ、守ってやるべき小さな子どもだ」

(そうやって、誤魔化してると先越されちまうぜ?)

 

「…あいつが誰を選ぼうが、あいつの自由だ」

(物分りのいいこった。その強がりがいつまで続くか見物だな)

 胸奥から、意地の悪い嗤い声が聞こえる。

 ひどく耳障りな、叩き潰したくなるほど不快な声。

 

「…誰といようが、勝手だ。俺には関係ねぇ」

 自らに言い聞かせるように、そう呟いた。

 脳裏に木霊する声を無視して、歩き続けた。

 そして、あと少しという所で彼女の後姿を見つけ、顔を綻ばせながら、声を掛けようと口を開く。

 その時、彼女が一人ではない事に気付いた。

 大きな庭石を分け合うように座る、もう一つの人影。

 

(…総司)

 

 二人の姿をじっと見つめた。仲が良さそうに語り合う二つの影は、袖と袖が擦り合うほど、近しい距離で座っている。

 一瞬、総司が此方を向いた気がした。しかし、すぐに彼女に向き直って何かを話しかけて、彼女は困ったように顔を赤らめている。

 気付けば、拳をきつく握り締めていた。爪が食い込むほど、強く、深く。それと同時に、心の奥底で眠っていた修羅が蠢くのを感じていた。

 

 その時、俺の熱を冷ますかのように、涼しい風が吹き抜けていった。

 風は、彼女の長い黒髪を柔らかく乱し、唇に軽い笑みを零させた。

 

(…髪に触れたい)

(唇の形をなぞりたい)

 

 強い欲求が湧き上がった。

 思わず手を伸ばしたが、俺ではなく、総司の手が彼女の乱れた前髪を優しく手で直した。そして、僅かに逡巡した 後、白い頬にそっと手を伸ばし、その線を確かめるように辿ったのだった。

 

 俺は、その様子を、ただ黙って見つめていた。

 胸の奥で、今まさに氷が溶け、勝ち誇った笑みを浮かべながら、修羅がゆっくりと表に出てくるのが分かった。

 

(だから、言っただろう?強がりは止せって)

 修羅がにやにや、と笑いながら語りかけてくる。

(…お前はあの女に惚れている。そうだろう?)

 そう、俺は千鶴に惚れている。

 俺の中の修羅が、嫉妬と執着の塊が表に出てきたことが、何よりも俺の心を表している。

(…お前だけが、俺の心を熱くする)

 戸惑ったように、総司を見返す彼女を見つめながら、声に出さずにそう呟いた。

 ようやく求めていたものを見つけた、という喜びと見つけてしまった、という哀しみが複雑に絡み合った。

 心を解放した先にある、強い恋情と執着。

 どうしようもなく深く囚われているのを自覚して、無性に嗤いたくなった。

(…お前が欲しい)

 瞳に執着の色を滲ませながら、ただ彼女を見つめ続けた。いつか、彼女にも同じ色を纏って欲しいと切に願いながら、ひたすらその後姿を見つめ続けたのだった。              

                                    【了】

 

説明
薄桜鬼の二次創作。SSで原千です。
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