探偵少女 月城こよいの怪奇事件簿
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 12月24日、世間は一つの行事に浮かれていた。

 クリスマス・イヴ。

 子供にしてみれば理由も無くプレゼントが貰える幸せな日。

 大人にしてみれば一部の販売業やサービス業が死ぬほど忙しく、親ならば懐の寒さに震えあがる不幸な日。

 街を歩けば鈴のリズムの心地よい音楽が流れ、テレビを付ければ芸能人達が特別編成の番組で盛り上がる。

 それはまるで、そんな不幸をごまかす為に行なわれているかのようだった。

「……と、僕は考えるのですが。いかがでしょうか」

 黒い皮のソファに腰掛けた執事服の男がリモコンを操作しテレビを消し、湯呑を洗っているメイド服の女性に話しかける。

 彼女は手を止め、上半身だけ振り返る。

「これに聞いているのですか?」

「ええ」

 男が頷くと、問いに対しての反応が返る。

「これに聞かれても。さあ、としか。またひねくれた事を言っているのだろうと推測しますが」

「その通り。いやまったくもってその通りです。それはまあ、性分みたいなもので。……ああ、せっかくなのでもう一つ。

 我々にしてみれば休暇と仕事、どちらがクリスマスプレゼントになると思います?」

「依頼人が来れば仕事が、来なければ休暇が。それぞれプレゼントでよいのではないかと」

 ふむ、と喉を鳴らす。

「裏を返せばそれは、依頼人が来たら休暇が、来なければ仕事が。それぞれプレゼントだったのに。

 ああ、やっぱりサンタなんていないんだ。世の中の人間達はなんて愚かなんだろう。そう考えることも出来ますね」

「考え方は人それぞれかと」

 ドアをノックする音に、会話は一度中断される。

「……どうやら、クリスマスプレゼントは休暇だったようですね」

「そうですか。そのようで。……どうぞ、お入りください」

 

 

 カラオケショップやファストフード店、百貨店。人の賑わう店ばかりの駅前に場違いな建物が一つ。

 三階建てのテナントビル。一階の自動ドア越しに見えるのは石像や絵画などの芸術品。

 骨董品屋というわけでもちょっとした美術館というわけでもない。それどころか電気もついていない。

 ただ大雑把に、あれこれと所在なさげに物が置かれていた。

 そんなビルの前に立つ一人の青年。

 手の中には一枚の簡単な地図があった。

「ここか……」

 呟くと、上を見上げた。

 二階、ブラインドで閉じられた窓には月城探偵事務所と書かれている。

 意を決して一階の自動ドアの前に踏み出す。

「あれ?」

 しかし、開かない。

 自動ドアは動きを見せず、壊れているか壊れかけて反応が悪いのかと考えた。

 ならばと一度わざとらしく足を上げ、踏み降ろす。

 体重を思いきりかけ、これならばと思うがやはり開かない。

 一歩後ろに下がり、もう一度上を見上げる。

 月城探偵事務所。

 間違いなく、用があるのはここだった。

 それに、二階は電気がついているようでブラインドの隙間から明かりが漏れていた。

 少し思考し、周囲を見る。テナントビルを正面に見て左側、そこから路地裏に入れるようだ。

 足を踏み入れると、そこは夕方でも薄暗い。日が入ってこない為に。

 裏の高層ビルとの間にはフェンスがあり、乗り越えられないように鉄線がその上に巻かれている。

 今見るべきはそこではない、と。目的の側のビルを見れば。

 そこには二階に直接続く、非常用階段があった。

 ご丁寧に、その階段を登った先の扉には月城探偵事務所入り口と張り紙がしてある。

 そうだとしても。

「分かり辛いな、これ」

 わざわざ路地裏に入らないと見つからない。それも非常用階段を登らないと張り紙も見えない。

 入り口が分からず帰っていった依頼人も少なくないのではないだろうかと思う。

 ともあれ見つかったのだからよしとする。今度こそは、と扉を二度三度、叩く。

 一瞬の空白、後に。

「……どうぞ、お入りください」

 中から女性の声で許可が降りた。

 

 

依頼No.0 クリスマス・キャロルを聴きながら

 

 

 メイド服を普通に来ている人間がいるとは思わなかった。

 それが彼の、月城探偵事務所での最初の感想だった。

 しかも銀髪。頭につけている飾りもやけに大きく、目立つ事この上ない。

 あっけにとられている間に皮のソファへと導かれるままに座り、今は緑茶を出して貰っていた。

 目の前には、執事服の男が座っている。客が来ても座りっぱなしのその様は不遜。

 男が口を開いた。

「ようこそ、月城探偵事務所に。僕の名前はアリス。彼女の名前はセルセ。セルセ・オンブラマイフ。……お名前と、ご依頼の内容を聞いても?」

 変わった名前だ、と。そう思いはしたものの青年は口には出さない。

 落ち付いた口調で語りかける男は柔和な笑みを浮かべている。

「俺は早乙女洋太。依頼の内容は……これだ」

 鞄の中から取りだされた、一枚の封筒、そして手紙。

 アリスと名乗った男は確認するように言葉に出した。

「封筒と、手紙がそれぞれ一枚。――手に取って見せていただいてもよろしいでしょうか」

 一度頷き、テーブルにその封筒と手紙を置いて手に取るように促した。

「封筒は無地、住所や名前も書かれていない。手紙の方は……ただ、一文」

 貴方のさたを戴きに参ります。

「――そう書かれていますね。実に達筆だ。これは?」

「分からない。さた、とは何なのか見当もつかない。これが依頼なんだ。

 さたとは何か、俺から何を奪おうとしているのか。誰がこんなものを出したのか。それを、調査して欲しい」

「成程。……“さた”の正体、手紙を出した相手。大まかにこの二点ですね。……はい、分かりました」

 客の前に湯気の立つお茶の入った湯呑を差し出すメイドに向かって、アリスは話しかける。

「セルセさん、検索を。キーワードは沙汰。地獄の沙汰も金次第、の沙汰で」

「了解しました。沙汰。――物事の処理、裁定、裁判。通知、命令、指示。知らせ、音信。話題、うわさ。問題となる事件、行為……こんなところでしょうか」

 何を見たわけでもなく、すらすらと。姿勢良くまっすぐにピンと立つ彼女は当たり前のように答える。声色に淀みは一切無い。

「驚いた。沙汰、だなんて言葉の意味がそれだけ色々出てくるものなんだな。

 俺も最初、さたと言われて思いついたのがそっちの、アリスさんが言ってたように地獄の沙汰も……が浮かんでさ。

 それで辞書を開いて調べたんだが、ほとんどそれと同じような事が書いてあったよ」

 でも、と俯いて。

「それじゃ、何がなんだかわからない。俺は一体何を奪われようとしてるのか。誰が、という点も同じだ」

「その通り。いやまったくもってその通りです。ですから――」

 事務所の扉が開く。

「ここからが、探偵のお時間です」

 

 

 

 

 どこかの学校のものであろう黒の制服、校章の入った茶色い鞄、黒いマフラー、息は絶え絶えで顔も赤い。

 前髪の長いボブカットでその眼は覆い隠されていて、表情を伺い知る事は出来ない。

 しかし、疲れているのだということだけは分かる。

「た、ただいまー……」

 その言葉に反応し、男は立ち上がる。座っていた時には分からなかったが随分と背の高い男だったようだ。

 一組の男女は身体を少女の方へ向け、同時に少女に一礼をした。

「お帰りなさいませ、我が主」

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 まさか、と。

 先程のアリスさんの言葉と、二人の態度。いや、態度はやり過ぎな気もするが……。

「きみが、探偵――?」

 どうみても、というよりは学校の制服を着ている時点でまだ学生であろうと予想される。

 そんな少女が、探偵をやっているとでもいうのか。

「は、はい……つ、月城こよいと、言います……どうぞ、よろしく……」

 まだ息切れをしているのか、言葉がたどたどしい。

「あ、ああ……。おい、あんたが探偵じゃないのか?」

 立ち上がり、アリスに話を振ると首を横に振られてしまう。

「まさか。そんな事は一言も言っていませんよ。この事務所に探偵はただ一人。

 私は助手二号のアリス。ただのアリスです」

「な……」

 確かに、名乗ったのは名前だけ。名前のインパクトでそれに気付けなかったようだ。

 少女はメイドの女に差し出された湯呑に口を付け、一息。

「セルセさん、この手紙、調べてみて」

「かしこまりました。これにお任せを」

 手紙を受け取ると階下へと降りていった。

「待ってくれ、そっちのアリスさんでも随分若い探偵さんだと思ったんだが。えーと、お嬢ちゃんが探偵なら、もっと若いわけだ。流石にそれは……」

「信用できない、ですか?」

 言い淀んでた事を、相手から促してきた。向こうも分かっているならば。

「正直、そうだ。どうにかできるとは思えない」

「座ってください」

 その声に怒りなどの、負の感情は感じられなかった。ただ、どうぞと勧める程度の雰囲気。

 彼女は持っていた鞄をアリスさんに預けると、俺の向かい側のソファに座った。

「さて、早乙女さん」

「……名前、名乗ったかな?」

 話の腰を折るようだったが、名前という事柄に関しては先程のアリスさんとの会話もあって少々敏感な部分になっている。

「いいえ、でも聞きました」

「言っている意味が分からないな」

 それに、表情も見えない彼女は若干、不気味だ。

「無地の封筒の中に入っていた、貴方のさたを戴きに参りますと一文だけ書かれた手紙。その意味と犯人探し」

「なんでそれを……その会話をした時はまだ君はいなかったはずじゃ」

「はい、そうです。お名前も、依頼も。ここに私がいない時のお話の内容、です」

 ならばなぜ、と聞こうとすると言葉を続けてきた。

「そういった手段を持っています。……ここの噂を人づてに聞いてきた、んですよね?」

「ああ。こういう訳のわからない事件を解決してくれるところだって聞いて、それで」

「それで合っています。おいくつですか?」

「二十一、だけど」

 何か気になる部分があったのか、口元が若干動いたのを見た。

「……あまり、歳は変わらないです。お嬢ちゃん呼びはやめてください」

「あ、うん。それは失礼。癖みたいなものなんだ」

 目の前の探偵少女はそうですかと一言返すとソファにしっかりと座り直し、仕切り直しとばかりに話を変える。

「前金は年齢掛ける五千円で十万五千円、依頼解決後に、怪奇が関わっていなければ同じく十万五千円。合わせて二十一万円。

 関わっていたら年齢掛ける一万五千円で三十一万五千円。合わせて四十二万円。それでどうでしょうか」

「え、あれ。ちょっと待ってくれ。その前にほら、俺、信用出来ないって言った訳で。その辺を説き伏せたりとかしないの?」

「無駄、かなって。それよりお金の話したほうがよさそうだから。お仕事、ですし」

 ……マイペースな!

「いや、無駄ってそんな。本当に解決できるのか分からないと依頼できないよ」

 ふと気付けばセルセさんは音も無く歩み寄る。

 お嬢ちゃんの耳元で何かを囁き、アリスさんとはソファを挟んで逆の位置に立ち、姿勢を正した。

「うん、だから。推理を聞いてもらうのが一番信用してもらえるかなと思いまして」

「余計な美辞麗句はいらない、と。そういうことです」

 アリスさんが不敵な笑みをこぼす。それは、したり顔に近いものに見える。

「これは、狸さんの仕業だと思われます」

「タヌキ……? あの、動物の?」

 動物が手紙を出す、などというとヤギを思い出したりもする。しかしそれは童謡に過ぎない。

「風もないのに金の玉がぶらぶらする、あれですね」

 アリスさん、よりによってそれを出すか。

「狸は人を化かす。聞いた事、ありますか?」

「ああ、うん。かちかち山とかお婆さんに化けてたよね」

 今思うと、あれは大分グロデスクな話な気がする。最近ではあの辺の話が変更されていると聞いたことがある。

「はい。狸の妖怪は、そこまで珍しくなくて。むしろメジャーです」

「その狸が、俺から“さた”を奪おうとしてる?」

「おそらく、ですけど」

 そうだとしても理由が分からない。それに。

「なんでその結論に?」

「ヒントは、たぬき」

「え?」

「小さい頃、クイズをやりませんでしたか? 特定の文字列に、“た”をたくさんいれて。ヒントにたぬきの絵が描いてある、そんなクイズです」

 それならば、確かに覚えがある。俺の幼馴染は絵が下手なもんで、あの時はクイズとして成り立たなかった。

「それがきっと、“さた”の“た”です」

「え、じゃあ“さ”は……」

「同じ事です。さぬき、讃岐です。香川県の別の呼び方。讃岐の狸さんが、はるばるこっちまで来たということになります」

「“さぬき”の“たぬき”が“さた”を抜く……? まるで、言葉遊びみたいだ」

 それに、結局それが自分自身にどう関わってくるのかまるでわからない。

「そんな言葉遊びさえ実現させるのが怪奇です。でも、そこまでの事が出来るとすれば。よっぽどの大物じゃないと無理、だと思います」

 話がとんでもない方向に向かっている気がする。

「根拠はないのか? 単なる子供の悪戯を拡大解釈しただけにも取れるよ」

 大物がどうだとか、そんな話が一般人の自分に関わってくるとは考えにくい。

「子供の悪戯にしては、少々字が綺麗過ぎます。可能性は低いと思われます。

 さっきセルセさんに封筒と手紙を調べて貰った結果。指紋などは一切無く、狸さんの毛が僅かに付着していました。

 この辺りには野生動物はいません。悪戯の為に動物の毛を入れるならもっと多量に入れるでしょう。

 また、もし狸さんを飼っている人が犯人だとして、そうだとすれば指紋を残さないような慎重な人がそんな特定されやすくなるような証拠を残す事はないでしょう。

 つまり、しっかりと掃除をしたつもりになっていたと考えます。そして、毛を払っても払っても取り切れないとすればその動物そのもの。そう考えました」

 理屈は通っている、のだろうか。犯人が人間ではない動物という結論を常識が否定し、考えが麻痺しているようだ。

「こういう事に関してはお嬢ちゃん達が詳しいんだろうし。うん、とりあえず納得するよ。

 じゃあ、“さた”を奪われるってどういうことなんだ? それに、なんで俺が狙われる?」

「“さた”については今の段階では分かりません。そうなると狙われる理由についても調査が必要になります。

 ところで、その手紙を出した相手の目星は大体ついたことになります。……これでも、信用には足りませんか?」

 乗りかかった船、とでもいうべきか。ここまで来たら解決までお願いしたい。だから。

「いや、信用させてもらうよ。よろしく、探偵のお嬢ちゃん」

 

 

 この状況は何なのか。こんな事になろうとは予想だにしなかった。

「――というわけで、ええ、私は下着というものが大好きなのですよ。

 我が主のものは、特に。ああ見えてそれはもう大きな胸(たから)を持っていますし、押しに弱いところがありますので何か彼女が負い目を感じている時にでも土下座をして頼み込めば一枚くらい貰えるのではないかと画策しておりまして……」

 何の因果か、目の前の執事服の男(へんたい)の下着論を聞かされる羽目になってしまった。ついでに今後の野望まで。

「そんな話聞かされて、俺はどうしろって言うんだ。……ですか」

 探偵のお嬢ちゃんも、メイド服の彼女も階下へと降りてしまってここにはいない。とはいえいつ戻ってくるかも分からないのにそんな話をするのは怖い。つい敬語になってしまうくらいにはテンパってしまう。

「いえいえ、どうと言う事はないのですが。常に男一人、女性二人という環境で生活していますとたまにはそんな話もしたくなるというものなのですよ。お暇でしょうし、こういった話で時間を潰すのも悪くないでしょう?」

 悪い。主に心臓に悪い。

「……依頼は、受けてもらってるんだな? 外に出て聞きこみとか、そういうのはしないのか?」

 話を変えてしまう事にした。そもそも、前金の支払いで懐が寒くなってテンションが落ちている時にそんな話をされても、あまり乗れない。

「今はお二人が過去の情報を収集しておりまして。僕はそっち方面は門外漢ですので。……あ、それとセルセさんの方は下着をつけていないのですよ。下も含めて」

「はぁ……は!?」

 乗れた。というか、とんでもない話を聞いてしまった。平然と何を言っているのかこの男は。

「下着好きの僕としては困った話なのですけれどね。ええ、そのせいもあって彼女とは少々――相性が悪い」

 本当に何を言っているのかこの男は。人との相性を下着の着脱で決めるな。……いや、常に脱いでる人と知って仲良くするのは辛いか。どう考えても変態だ。だがこの男も変態だしどっちも変態同士仲良くすればいい。

「もう、いいよ。ほんと……そちらさんの下着論はどうでもいいし、シモ議論をするつもりも無い。勘弁してくれ」

「あっはっは。これは失礼。いやあ、楽しい時間をありがとうございました」

 俺はまったく楽しくなかった。とりあえず適当に手をふってごまかす。

 脱力した身体に届くのは、近付く足音。二人分のそれは、やはり女性陣のものだった。

「お待たせしました。早乙女洋太さん、貴方が狙われる理由にそれらしいものが見つかりました」

「調べてたのは俺の事だったのか……でも調べたのなら分かったはずだ。俺は今まで普通に生活していたはずだろう?」

「はい。貴方自身は確かに普通に暮らしていて、怪奇と関わる事もありませんでした」

 ならば何故、と問うより先に探偵のお嬢ちゃんは言葉を続けた。

「ただし、貴方のご先祖さまは違った。貴方のご先祖さまは香川に住んでいた。そして、武士であったその方は、大名行列に飛び込んできた一匹の狸を槍で一突きにしたそうです」

「てことは……子孫の俺にその復讐に来た、ということか!?」

「そうだと思われます。そうなると、“さた”は音沙汰の事ではないかと考えられます。

 消息を奪う、つまり消息を絶たせる。誘拐、神隠しで済めばまだよし。殺される可能性も充分にあります。

 そんな意味が込められた脅迫状、殺人予告といったところではないでしょうか」

 ぞっとする。それが本当なら、単なる悪戯などという楽観的な思考で放置していたらどうなっていたことか。

 念のためにと教えてもらった探偵事務所に来たのは大正解だったようだ。下着論を男が語り出した時は本気で帰りたくなったが我慢した甲斐というか、我慢するだけの価値はあった、と。

「そういえば、この手紙。届いたのはいつでしょうか」

「ん、ああ。三週間以上前……というか十二月一日だ。実際、もう何事もないだろうと思ってたんだけどな。

 やけにここの探偵事務所に来る事を勧めた奴がいて、それでも来ないでいたら今日の約束をすっぽかしてメールで無理矢理ここに来る羽目になった。結果的に、そいつの行動が正解だったみたいだ」

「クリスマスイヴに約束、それはそれは。その方は女性で? いやはや、僕のような独り者には羨ましい限りですよ」

 常に女二人と一緒にいる環境がどうこうと言っていた男の発言とは思えない。

「残念ながら、男だよ」

「それはそれは。同じ独り者同士仲良くしましょう」

 どの口がそれを言うのか。今思うとそもそも胸のサイズだとか下着の着用どうこうを知ってるってどういうことなんだ。

「今晩、狸さんと会うことになります。今回の事件はそれで解決です」

 探偵のお嬢ちゃんは断言した。ソファに座り、テレビのリモコンを手に取りながら。

「ちょっと待ってくれ、なんでそんな事言いながらテレビを点けてるんだ」

 デジタルな画面がケーキの紹介、お笑い芸人の派手なアクション、番組宣伝と映す物を変えていく。

 合唱をしている人々を映したところで、切り替えが止まる。

「狸さんは夜行性で、まだちょっと時間には早いです。

 それまではのんびり待っていましょう。クリスマス・キャロルを聴きながら」

 

 

 三階建てのテナントビル。依頼人の男はその屋上で待たされていた。

 準備をする。そう言って探偵の少女、月城こよいに追いやられる形になったのだ。

 空はとっくに暗くなり、見上げれば月がその存在を主張している。

「……さっむ」

 十二月の終わりともなれば、暖かい筈も無く。吹き荒れる寒風を浴びる彼の肩や足は若干震えている。

「お待たせしました」

 振り返れば、そこには探偵の少女が一人。

 茶色いトレンチコートに身を包み、首元には長い黒のマフラーがたなびいている。

 その両手に持つのは、白い布のカバーのついた大型のトランクケース。

「こんなところで待っているだけで、その狸は来るのか?」

「はい、連れて来てくれると思います」

 探偵少女が左手につけた地味な時計を一度確認すると、トランクケースから一枚の紙を取り出し、投げた。

 それは依頼人の元に届けられた謎の脅迫状。正確には、謎の解かれた脅迫状。

 時計は、零時丁度を指し示す。

 すると、脅迫状は一匹の生物へと形を変えた。

 頭の上には一枚の葉っぱ。腹やふぐりの膨れ上がったそれは、まるで狸の置物をそのまま生物にしたかのようだ。

「こいつが……俺を狙っている!?」

「違います。彼は……」

 言い終わるより早く、二本足で立つ狸は煙に包まれ別の形に姿を変えた。

 トナカイ、そしてソリ。

 それはぐるりと後ろを向き、走り出す。

 徐々に地から足が浮き始め、空を駆け、姿を消した。

「あれ、一体どこに行ったんだ? というかあいつが俺を狙ってるんじゃないのか?」

 何が何だか、と言わんばかりの早乙女であったがその答えはすぐに分かる事となる。

 ソリのついたトナカイは戻ってきた。そのソリの上に一匹の、サンタクロースの服を着た置き物のような狸を乗せて。

「めりぃくりすます、人間。悪い子にはぷれぜんとを貰おうかのぅ」

 狸はソリから降りると、人の言葉で喋り出した。

 そして、走り出した。というよりは重いスキップのような動きだ。

 しかし確実に、早乙女洋太へと近付いている。

 その間に割って入る人間一人。

 サンタ服の狸は足を止めた。

「“さた”を奪うのを、やめてもらえませんか?」

 膝くらいの高さのその怪奇な生物に、探偵少女は問う。

「ううむ、陽気な狸である儂としても、さすがに命一個分を説得では止められんなあ。どうしたもんか」

「……ならば、力尽くで止めるがよい。お嬢さん」

 トナカイへ化けていた方の狸も、その姿を現わしていた。

「芝右衛門狸、さんですね? 二十四日と化け続ける時間を先に決めておくという代償を支払う事で完全な化けを可能にする技を持った化けの天才。

 手紙へと化けた貴方をそちらの屋島の禿(かむろ)狸さんが封筒に入れ、早乙女さんの家の郵便受けに直接投函。そして芝右衛門狸さんはずっと早乙女さんを監視していた」

「見事だお嬢さん。更に言うのであれば、もし捨てられてもまた戻ってきているという驚かせ方も出来たね。そこの彼はずっと私を持ち続けているものだから実行出来なかったのだが」

 裸の狸は低い声で口惜しそうに唸る。

「それよりも芝右衛門よ。そこの娘に力尽くで止めさせようとはどういうことかのぅ」

「いやなに、そちらのお嬢さんはなかなかの上物。ならば、力比べで負けたならばわしらの嫁さんとして連れ帰る。

 そんな条件をつけてやろうと思ってな」

 にやり、といやらしく笑うと腹を一度ぽんと鳴らす。

「それはよいのぅ、毎日のように可愛がってやろうではないか。一日交代で晩から朝毎でよいな?」

 サンタ服の狸もまた腹をぽんと鳴らす。しかし服の上からではもう一匹ほどの良い音は鳴らなかった。

「勿論、勿論。……さて、お嬢さん。力比べ、受ける気はあるかな?」

「探偵のお嬢ちゃん……」

 流石にそれは、と早乙女は後ろから声をかける。

「構いません。力比べ、受けましょう」

 躊躇う事なく、彼女は了承する。

「早乙女さん、下がっていてください」

「いやはや、見事な度胸じゃのぅ。ならば、儂ら二体。いざ参る」

 次の瞬間。こよいはサンタ服の狸の体当たりを受けていた。

「あっ……!」

 吹き飛ばされ、身体が転がる。

「くぅ……」

 痛みに耐えながら起き上がると、足元には再びサンタ服の狸。

 左足に抱きついたかと思うと勢いよく引っ張り、少女は仰向けに転倒させられる。

 そうして次に視界に入ったのは、今度は裸の狸。頭の方に立ち、見降ろす。

 煙に包まれたかと思うと、こよいの手には手錠がかけられていた。

 右と左の手首に付いた輪を結ぶ鎖部分の中心に、狸の尻尾が付いている。変化によって、手錠へと形を変えたのだ。

「こんなもんかのぅ。どうかの、これで降参でよろしいか?」

 わずか数秒。勝負が付くのには早過ぎるほどだ。

「駄目。私はまだ、動ける、から」

 そう、勝負が付くのには早過ぎる。まだこれから。

 ここからが、探偵の時間。

「強がりじゃの、ぅっ……がっ……!」

 サンタ服の狸の腹から黒い三角形の頂点が貫いていた。

 その三角形の出ている元となっているのは影。サンタ服の狸の影だった。

 ひるんでいる間に、勢いをつけて足だけで立ち上がる。

 ご丁寧に、変化した狸の手錠には鍵穴まで付いている。

 そこに、探偵少女の影から飛び出した闇が飛び込む。

 闇は固体と化して鍵の代わりとなる。開けられた手錠は足元に落ち、そして姿を狸のものへと戻す。

 それを見計らっていたかのように、影からは新たな闇が生まれる。

 紐状になったそれは裸の狸の全身をきつく縛りあげる。猿轡まで兼ねられていて、言葉を発する事さえさせない。

 不利から一転。一体を闇が貫き、もう一体は縛りあげた。

 それもまた、数秒。

 探偵少女は一息を吐いた。

 しかし、目の前で赤服の狸が貫いていた闇が、その存在を掻き消されていた。

「いやはや、やるのぅ。娘さん、あんたがここまでやるとは思わんかった。

 もし儂らが相手で無ければ、勝負はついておったろうなあ」

 足元を見れば、同じく狸を縛っていた筈の闇もまた消えている。

 裸の狸はボールのように跳ね、後ろに下がる。二体の狸は一列に並んだ。

「娘さんが使った技、いやはや驚きじゃった。奇襲性も高い。が、今ので種は割れたようなもんじゃ。が、娘さんは儂らがどのような技術を使ったのか分かっておらぬ。この差は大きいのぅ。また儂らは娘さんの技を無効にしてしまうかもしれんぞ」

 笑う狸に、しかし少女は首を横に振る。

「“さぬき”と“たぬき”」

「な……!?」

 狸の笑みが凍りつく。

「最初の瞬間移動は“さ”、つまり私と狸さんの間にある“差”を抜いた。打ち消しは“た”、“た”は“多”に通じ、一つのものを一度に複数を利用した攻撃等、とにかく複数に関わるものを消してしまう。惑わそうとして、無効にする能力があるのを儂らと表現したのは惑わせる為の罠。あくまで“さた”を抜けるのは讃岐の狸である貴方です。そうでなければ芝右衛門狸さんが瞬間移動を使わずに移動してきた理由がありません」

「――見事。娘さん、あんたは一体」

「探偵、月城こよい……です」

「なるほど。頭が回るものじゃ。ますます嫁に貰いたくなるのぅ。

 それにあくまでこれは力比べ。頭脳比べではない。どれだけ理屈が分かっていようと、勝負と直接の関係は無いぞ」

「更に言うのであれば、だ」

 裸の狸は変化を行なう。姿は、一本の鞭。それを腹の部分に穴の空いたサンタ服を着た狸が掴む。

「この状態、攻撃を行なえばほぼ“多”への攻撃と見なされる。武器とその使用者、ここまで密接しているのではな」

「攻撃、防御共に完璧というわけじゃ」

 対し、無言で行なったのは影の中からトランクケースを取り寄せる事だった。

 最初に吹き飛ばされた時点で距離の離れてしまったそれは。トランクケース自身の影に飲まれ、そしてこよいの影から現れた。

 次に、影の操作。少女の影は形を変え立体化する。

 その形は、一匹の巨大な犬。影の猟犬。

 少女の左に位置したそれはその飼い主に頭を撫でられる。

「ぬぅ……」

 鞭が震えだす。

「苦手、なんですよね。犬が。威嚇として効果があるのが片方だけであれば、それは“個”であって“多”ではない。

 これなら、無効には出来ません」

「すまん、犬だけは。駄目なのだ。すまん……!」

 変化を解いた芝右衛門狸は後ろを見ることなく、そのまま走り逃げ去っていった。

「芝右衛門! 芝右衛門よ! くっ、こうなれば儂一人でも……!」

 “差”を抜き、一瞬にして距離を詰める。

 猟犬は一瞬にして形を変え、巨大な拳となり狸の片割れをアッパーで打ち上げる。

「セルセさん!」

 トランクケースが呼びかけに答えるように、自動で開く。

 中から一本の拳銃が飛び出し、少女の手の中に吸い込まれる。

 銃声が響く。

 一発。

 宙に浮く狸の腹部中心に。

 さらに打ち上がり、そしてそのまま床に落下していった。

 大の字で倒れている狸の様子を見る為に近寄ると、ゴム弾がよほど効いたのか気絶していた。

「……早乙女さんのご先祖様にやられた傷が原因で、変化が出来なくなってしまったんですね」

 力比べの最中、変化を行なわなかった理由はきっとそれだと推理した。

「妖怪狸として、一番大切なものを奪われてしまったから。その仕返しがしたかった」

 まとめてしまえば、その動機は通常の事件と何ら変わりない。

 少女の元へ一人の男が走り寄る。依頼人の早乙女洋太。

「助かったよ、ありがとう。こんな奴らに襲われてたら、俺じゃどうしようもなかったな」

「いえ、無事でなによりです」

「そうだ、こいつとちょっと話をさせてくれないか?」

 早乙女の提案に、こよいは僅かに間を開けてから。

「どうぞ。起きるまで少し時間がかかるかもしれませんが」

「構わないよ。それまでに、俺も言いたい事をまとめておく」

 トランクケースを両手で持ち、こよいはその場を離れた。

 依頼は無事解決。あとは狸とどのような話をしたのかを報酬を受け取る時にでも聞いてみたい。そんな事を考えながら 

 少しばかりの時間が経過する。

 妖怪狸は眼を閉じたまま、言葉を紡いだ。

「話がある、というたな」

「起きてたのか。狸寝入りってやつかな」

「そうじゃな……ああ、話があるならちょいと起こしてくれんか」

 了解、と一言。その手を掴んだ。

「ぐ、ぁ。がぁ……! 何を……!」

 早乙女は自身の手、妖怪狸を掴んだからその右手から、何かを吸いだされる感覚を覚えていた。

「何を言いたかったのか、儂は知らんし。興味も無くてのぅ。

 愚行、実に愚行じゃよ」

「う、ぁあ……、ひ、ぃ、はぁ……!」

「なるほど、確かに愚行ですね」

 何者か、狸が問うそれよりも早く早乙女の影からアリスが飛び出し、その右手で右肩から左足までを切り裂いた。

「その通り。いやまったくもってその通りです。せっかく助かった命を、わざわざ奪わせるような真似をして」

 血に染まった右手を大きく振る。血痕が飛び散る。

「思えば、どちらともそうですね。ああ、いやだいやだ。“命短し生きよ早乙女”……なんて、特に上手くもありませんね」

 赤い服をさらに赤く染め上げた狸の身体は、自身の影の中へと飲まれていった。

 何かを吸われた依頼人、早乙女洋太は気を失い。執事服の男にお姫様だっこをされる羽目になる。

「ん……? これは……」

 そしてアリスは、手の中の男に起こった変化を見る事になる。

 

 

 こんな結末を迎えようとは誰も予想だにしなかった。

 依頼をした早乙女洋太が、依頼を受けた月城こよいが。――もしかすると、原因である妖怪狸でさえも。

「いや、ほんっと……こんなことになるとはな」

 額に手を当て、呟いたのは青髪の幼い外見の女性。

「ありえないだろ、こんなの」

 首を横に振る。長髪が周囲に広がる。

「ほら、暴れないで」

 抱き抱えられ、人間椅子により深く腰掛けさせられた。

 大きくて柔らかい、温かな感触が小さな背中に感じられる。

 あの変態の言っていた事は確かだった。髪に櫛をかけられながら、そんな事を思う。

「なあ、探偵のお嬢ちゃん」

「お姉ちゃん、ね」

「くっ。お姉ちゃんとしては、この状況どう思う?」

 料理を作っているセルセ・オンブラマイフ。

 向かいのソファで笑顔をこちらに向けるアリス。

 青髪の幼女を自分の上に乗せ、その髪に櫛をかけている月城こよい。

 そして――その幼女となった。元・早乙女洋太。

「……妹が出来て嬉しい?」

「違う! そうじゃない! 推理を頼む、なんで俺がこんな事になったのか推理を!」

「また、それ? 何回も言ってるのに……」

 あの後、アリスが見た変化は、縮んでいく背丈、軽くなっていく体重、毛根側から変色していく毛色。

 まさしく、今の姿になるまでの過程だった。

 妖怪狸が行なったのは、やはり“さた”を奪う事だった。

 ただしそれは、あくまで能力としてのもの。

 実際に命を奪うには至らず、即座にアリスが攻撃を仕掛けた事で中断された。

 結果、奪われたのは名前。

 早乙女洋太。名前の始まりである“さ”と終わりの“た”。

 これらが奪われ、残った乙女と洋の字。最初と最後の文字を奪われた事で、名前が暴走してしまった。

 乙女、の文字が身体に影響を与え、清らかな少女の姿になった。

 洋の文字は顔立ちと髪色を変えた。洋風のものに。

 これらの変化が終わった事で、その姿は安定した。命の危険は無くなった。

 とはいえ、もはや早乙女洋太として生きる事は出来ず。

 月城こよいの元で新たな人生を送る事になった。とあるコネで戸籍も偽装した。

 新たな名前はキャロル。キャロル・コヴェントリー。

 名付けたのはアリスで、その名前を提案した時に、似合わないネーミングだと月城こよいに言われた為に名字でイメージを挽回したという。

「やっぱり納得いかないんだよな、この状況……」

 何度説明されたとしても、やはり納得の行くものではなかった。

 それでも事実として、今、彼は彼女になっている。

「それより、あの時に狸さんと何を話そうとしてたの?」

「ああ、あれか。あれは……」

 溜息を一つ。しかし言葉を続ける。

 今日は楽しいクリスマス。新たな家族、キャロルの話を聴きながら。

 月城探偵事務所は、今宵も営業中。

 

 

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