王都観光案内 〜観光前夜〜
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観光への誘い

 

役割を終え、飲み込まれようとしていた。

勧告に従って、多くの魔術師たちが離れていく。

「あなたは行かないの?」

問われた男は、空虚な笑みを返した。

無位無官となった自分の立場を示したかのような、それは的確な表現だった。

「捨てられたのだ。今更私に何の価値があろうか」

担ぎ上げられた男は、利用価値を失って見放された。

「だって、それがあなたの意義だったのでしょう?」

何の感慨も抱かずに事実を告げる。

そして、

「でも、それは役割を終えただけ。それだけのことよ」

あっさりと、そう言い切った。

男は押し黙ったまま。

「ここもそう。役割を終えたから戻るだけ。ただそれだけよ」

そう言って微笑む。

しかしその微笑みは、男を追い詰めた。

役割を終えたのなら、もはや自分が存在する意味は無い。価値も無い。

「私は・・・私には、何の力も無い。家に戻れもすまい」

「そう。そうね、だから私は強要はしないわ」

そう言って、踵を返す。

「もう行くのか?」

まるで散歩がてら外の様子を見に行くように、その足取りは軽かった。

「お前は、これからどうするのだ?」

謁見の間から外へと通ずる開け放たれた扉から、

「私と共にある王都だもの。私は私の為すべきことをするだけよ」

とだけ言って、外へと出た。

もう男への興味は無かった。

いや、自らの意志と目的を失ったものになど、価値は無かった。

確かに王国における王都の役割は終わった。

だが、まだここには存在価値がある。

目に見える現実よりも、見えない期待への好奇心に、待ち続けられる確信があった。

 

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 観光前夜

 

「王都へ行くわよ」

メルキス学術院から戻ったナフィルが、突然そう言い出した。

アスリンは、ともすれば普段の格好よりも似合っている前掛け姿のまま、

「はい、分かりました」

と答えた。

いつものことなので、「王都」が一体どこの王都なのかは聞かない。

一週間くらい野宿が出来る準備をするように言いつけて、ナフィルはすぐ飛び出して行った。

恐らく、遺跡探索の時に頼んでいるエイブスという傭兵に同行をお願いしに行ったのだろう。

とすれば、それは街道沿いで行ける王都ではない事は確かのようだ。

しかし、アスリンには未だに遺跡や魔術に関する知識が乏しく、常識的な準備しか思いつかない。

多少の自負はあった。

志願してナフィルの元を訪れたのだから、つたない知識ながら普通の人よりはよく知っているのだと。

しかしナフィルは、

「そんなことより、まず自分の出来ることを鍛えるべきでしょ?」

と冷たく言い放って、初めから頼りになどしていない素振りだった。

「そもそもね、私の周りにいる人は常識的な事ばかり言うのよ。でもね、逆にそういう人がいてくれた方が良いとも言われたわ」

ナフィルは以前そんなことも言って、アスリンは会った事もないこれまでナフィルを助けてきたであろう人たちに、慰めにも似た親近感が湧いた。

みんな、どんな気持ちで支えてきたのだろう?

そして、

「私はそんな人たちを、必ず不幸にしてきたのよ」

と自虐的に言ったナフィルが、果たして本当にその人たちを不幸にしたのかを考えると、自分の思いはそうした人たちと、そう違わないのではないかと思えた。

自分の存在意義については、ナフィルの元を訪れてからずっと、自分の能力に対するもの以上に解答が得られない、アスリンを悩ます最大の問題だった。

それでも、取り合えず野宿や旅の支度には魔術が万能ではないことを証明していて、少しだけ気持ちが軽かったのは事実である。

それにしても、

「1週間分って、持ち運べる量じゃないわよね」

その辺り、恐らくエイブスの方が詳しいに違いない。

この機会に狩りの仕方も教えてもらおうと、アスリンは気を取り直して意気込んだ。

 

昨晩の喧騒さの残滓が残る午前中の酒場には、一種独特の寂しさが漂っている。

一仕事を終え、疲労感を携えて久しぶりに戻ったエイブスは、感慨に耽りながらその雰囲気と朝食を味わっていた。

と、

「エイブは居るー?」

という声がして、エイブスの安らぎは早々に破られた。

エイブスの渋くなる顔に、事情を知っている酒場の親父が酒をついで奥へと消える。

「・・・朝から元気だな」

嫌味で言うエイブスに、

「朝から元気でなくてどうするのよ?」

と、埒もないことを言うなと、あっさりと斬って捨てた。

「暇そうならまた調査に同行して欲しいんだけど?」

「今戻ってきたところで暇なわけじゃない」

エイブスはあからさまに嫌そうな顔をして、反発心から反射的に言い返す。

が、

「出発は明日だから別に今日がどうだって良いわ。少し遠出になりそうだから宜しく」

と、ナフィルは一方的に告げて出て行った。

その後姿を見送ったエイブスは、ため息をついてから、すっかり無くした食欲を叱咤しつつ、再び朝食を口に運び始めた。

「また遺跡かい?」

察して戻った親父の問いに、

「そうらしいな」

と他人事のように答えて、酒で流し込んだ。

正直なところ、ナフィルの持ち込む仕事は、興味もあるし旨みもある。

だが、

「俺はまだ若いんだ。何だって俺は親代わりのようにあいつの面倒見てやらなくちゃいけないんだ?」

とエイブスは愚痴って、代金を置くと立ち上がった。

「それでも、行くんだろう?」

また来ると言って背を向けたエイブスに、親父はそう決め付けて声を掛ける。

エイブスは振り返りもせず片手で挨拶を返すと、そのまま出て行った。

確かに、あんなに面倒見の良い奴だっただろうか、と親父は思う。

そうさせる何かが、あの少女にはあるのだろう。それが実利なのか意識的なものかは分かりはしないが。

にしても、

「お伽話が現実にあったら、俺なら関わらんがなぁ」

と、半場呆れ気味に笑ってから、エイブスの無事を祈りつつその後姿を見送った。

 

「随分唐突ですが、本当に許可が下りたのですか?」

意外さを隠すことなく、ナフィルは聞き返した。

「左様、許可が下りたのだ。手続きと報告義務の確認を忘れずにな。向かう際には必ず申告をすること。以上だ」

極めて事務的な説明だったが、それは遺跡の保全と調査をする学術院の最高権威からの承認だった。

魔術師として、「王都」詣は必ず1度は経験するに違いない。

気が変わるということも無かろうが、いずれ行くつもりだったからすぐの方が良いに決まっていた。

魔術師見習いという立場のナフィルが、行かない事を選択する理由などあるはずがない。

その日のうちに手続きをし、王都における行動や、得られた知識や経験、魔法具について、報告や提出をするように求められ、誓約をさせられた。

面倒なことだとは思うが、禁を破って逃げおおせるほど、ナフィルも甘くは思っていない。

少なくとも、学術院に居る誰よりも魔術には精通しているが、この世界でしか生きられない魔術師にとって、規律や秩序を無視して成せるものは限られる。

ナフィルの師も、世俗との関わりを極力避けるようにはしていたが、ついぞその呪縛からは逃れられなかった。

ナフィルとしても、敵対はせずとも馴れ合いはしない、という立場を貫くには、ある程度の関わりを保ち続けなければならなかった。

しかし、世の中は想像以上に甘くは無かった。

夜になって、ナフィルの借家に来客があった。

訪れたのは、若いが理知的で少し神経質そうな顔をした男で、ビジットと名乗って徴税官だと告げた。

「同行して、遺跡の宝物を記録させて頂く」

男の言葉に、ナフィルは絶句した。

 

王都への探索は、これまで4度行われている。

かねてから場所だけは知られていた王都を確認するために送られた1度目の調査隊は、賢者や導師が自ら赴こうともせず、傭兵などを雇って委託したため、魔力を感知することはおろか知識的にも到達することができず失敗した。

そのため、若手の賢者を中心として半年後に2度目の調査が行われたが、予定が過ぎても調査隊は戻らず、遭難したものと思われた。

直ちに捜索隊が送られたが、調査隊を発見することは出来なかった。

ところが王都に偶然たどり着いた。これが実質的な3度目の調査隊となった。

捜索隊は、そこで美しい女に出会った。

女は、自身を魔術師だと名乗って、2度目の調査隊の末路を語った。

「魔術師以外を迎え入れることは出来ないと警告された」

40人近く居た捜索隊から、2人だけが戻ってそう報告した。

当初は言葉だけだったその警告は、捜索隊が強行突破を図った途端に容赦の無い罰となった。

突然息苦しくなって次々と倒れていく中、最後まで残ったのがその2人だけだった。

2人は解放され、事の顛末とそこに居た魔術師と名乗った女の言葉を伝えるため帰された。

しかし、精神的に障害を負ったのか、未知の病に侵されたのか、2人は時々恐慌に襲われたり高熱を発し、発狂して相次いで死んだ。

その後、4度目の探索までは実に20年以上開くことになった。

その4度目の探索は、学術院に迎えられた現代の魔術師、アローム・エルバイオによって行われた。

アロームを迎えた美しい女性魔術師は言った。

「あなたが魔術師と名乗るなら、あなた以外の人間たちを殺しなさい」

アロームは僅かな躊躇を見せた後、20数人の同行者を殺した。

それによってアロームは王都に迎え入れられ、そのまま戻る事はなかった。

 

「あなた、王都に行くと言う意味が分かってるの?」

その直前に訪れていたエイブスを含めた3人を前にして、ナフィルは不釣合いな杖で床を突付きながら説明をした。

「無論、私は皆を殺してまで入る気は無いわ。でも、実際にどれほどの危険な目に遭うか分からないのよ?」

アスリンは随分と力強い意思のある目でナフィルを見つめている。

しかしエイブスは、志願したわけでもないのにどうして進んで同行を求めたようなことになっているのか、納得しかねる顔をしていた。

「誰の差し金? リュナン導師?」

学術と芸術の総本山で、いかなる勢力の干渉も受けないとは言われているメルキス学術院ではあるが、無論そんなはずは無い。

特に、今ではそのこと自体を秘匿しているが、元々は魔法王国と魔術師の調査、研究を主体としていた。

それだけに、「王都」には特別な重みと意味がある。

リュナン導師は遺跡の調査や保全を統括する三賢者と呼ばれる権威者の一人だが、学院の渉外担当でもあった。

王都へ行くことを認める一方で、政治的干渉からこうしたことをしてきたとしても不思議は無い。

エジットは嫌々命じられている、とナフィルが考えたのには、これまでの自分に対する評価が元であって、それは極めて正しい認識だった。

だが、ビジットは僅かに厳しい目付きをしただけで、

「私は自分の意思でこの任務を志願している」

と言って、さほどナフィルの説明に感銘を受けた様子はなかった。

それどころか、

「オルタ傭兵事務所には優秀な傭兵を推薦してくれるよう頼んである。問題は無い」

と強気一辺倒だった。

ナフィルは目を丸く見開いて、その反応に少なからず驚く。

魔術師であるとか、見た目が普通の少女にしか見えないとか、まるでお伽話のような体験が待っているとか、そういったことで余り好意的に思われない身である。

信じてもらえないことは多かったが、それにしても無謀極まりない。

そういった話を今まで聞いていないので、恐怖に対する想像力が欠如しているのではないか?

しかし、何かを問いかけようとする暇も無く、ビジットは言うことだけ言って、ナフィルらを顧みることなく出て行った。

明日待ち合わせる打ち合わせだけが用事なのだと、言わんばかりの不躾な態度だった。

「な、何なの? あいつ」

「俺は助けんぞ」

厄介事をすぐ押し付けられるエイブスが釘を刺す。

「勝手についてくる人間を守る義務は私にも無いわよ!?」

アスリンが心配そうに二人の成り行きを見守る。

そうは言うが、ナフィルは自分の庇護下に居る人間は守る。

そのことに心配は無かったが、その責任に応えられる力が無いことが、ナフィルに苦悩を強いているのだ。

「学院から来るならともかく、国から送り込んでくるのが怪しいのよ」

ナフィルの言うことにはエイブスも納得がいく。

傭兵はそもそも自由気質が高いので、人を見る目やその機微には敏感だった。

単に王都にある財宝から税を徴収しようとするなら、わざわざ人を送り込むだろうか?

あのビジットという男が、本当に徴税官であるのかには、多少の疑念があった。

「あの?、もうそろそろおじさんのところに行きませんか?」

ナフィルの不満顔とエイブスの思案顔に、控えめにアスリンが提案する。

いつもは自炊だが、出発前に外で食事をしようと、既に用意をしてもらっている。

「エイブも付き合うでしょ? それくらいなら奢っておく」

ぶっきらぼうに言う。

それに遠慮することは無い。

「スを省略するな」

もう口癖のように、賛意を込めてそう答えた。

 

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 観光前日

 

翌日、交易のために南に向かう隊商の馬車を利用するため、一行は南門詰め所前に集合した。

ナフィルは、遅れてきたら待つ気は無いなどと大人気ないことを言っていたが、残念なことに、ナフィルの希望は叶わなかった。

ビジットは、精悍な男を伴って現れた。

油断無い鋭い目をしたその男は、高慢な態度のビジットとは対照的に意外と愛想良く、ビジットよりも好感が持てた。

ナフィルの渋い顔に変わりは無かったが、とりあえず扱いに困ることは無いだろうと、エイブスとアスリンは少しだけ安堵して顔を見合わせた。

エイブスは、タウスと名乗るその男がオルタ傭兵事務所に所属していることを改めて確認した。

傭兵隊は司令官ともどもルナン=トルモース代理戦争に参加中で、新参者しか残っていないはずだった。

そのあたりの事情は、ひそかに昔の仲間から聞いて確認してはいたが、タウスからもほぼ同様なことを聞けた。

「何? 今回は随分と用心深いけど」

ナフィルがその様子を見て問うた。

ナフィルは、達観と言うか諦観した考え方をするが、基本的な部分で『抜けて』いた。

「お前が気にしなさ過ぎなんだよ」

エイブスはそう言って、時に緩みがちになるナフィルの考えを諌めた。

もっとも、口にはしなかったが実はビジットについては既に調べが付いていて、一晩でその素性や評判を承知していた。

若くして王国の一等事務官になったのは、従軍を志願して戦地で行政補佐や書記官を務めた功績によるものだった。

今回の任務は外、恐らく学術院から持ち込まれたもので、真偽や芳しからざる噂によれば喜んで赴く人間がいようはずもなく、ビジットがその危険に見合うだけの功績を目論んで志願したに違いなかった。

だからこそ、エイブスは傭兵を怪しんだ。

事務所の推薦と言うことだったが、学術院が何かをたくらんでいれば、恐らく一番その役割を果たすのに適格な人物だった。

なのに、目的が判然としない。

馬車に乗り込んでから、同じ傭兵として差しさわりのない話をしながら探りを入れるが、怪しいところは何も無かった。

昼休憩で、気掛かりだったアスリンがそれとなく尋ねた。

「不審な点とかあったのでしょうか?」

「ない」

エイブスは即答した。

そして、タウスの言っていることはほぼ間違いなく本当のことだと付け加えた。

「では特に問題はないのですね」

アスリンは微笑んで表情を緩めた。

しかし、

「本当のことを言っても問題がないだけだ」

と言って、エイブスは渋い顔をした。

傭兵時代、捕虜が随分と本当のことを言うので、その情報を信じて奇襲をかけるべく出撃した傭兵隊が、まんまと敵の罠にかかって全滅したことがあった。

「用心に越したことは無いと思うが・・・」

随分と肩入れしすぎていると思う。

「そ。ま、そっちはエイブに任すわ」

素っ気無いナフィルの答えに、エイブスはそうせざるを得ない理由を見た気がした。

もっとも、ナフィルは既に、そんなことに気を回していられるほど物見遊山な気分ではいなかった。

二日後、隊商は広大な脊椎山脈を貫く街道の中間に位置する、古都ポルカッタに到着した。

 

「役に立ててよかった」

顔見知りのおじさんはそう言ってナフィルの手を取った。

「ありがと。助かったわ。それよりお土産の方をお願いね?」

ナフィルはその商人への頼みごとを忘れない。

隊商はそのまま南下してトーマの港まで行くのだ。

「何だ土産って?」

エイブスがアスリンに尋ねる。

「乾燥果物のことでしょう」

隊商が去ると、ビジットがタウスを伴って代官府へ行くと言って分かれたので、ナフィルたちはそのままエイブスの知っている宿屋へと投宿した。

物思いに耽ることが多くなったナフィルをおいて、エイブスとアスリンはこれから向かう山中における行動や準備について詰めることにした。

アスリンが、別室で本を読んでいるナフィルにお茶を淹れ、自分たちの分も淹れて戻った。

香り良く、ほんのり甘いがすっきりとした味わい。

「そう言えば、乾燥果物と言うのはこれか?」

エイブスの問いにアスリンは、

「そうです」

と言って、少し嬉しそうに微笑んだ。

お茶と言うには味は薄い。風味が付いた白湯、あるいは水と言った方が良いかも知れない。

「子供の頃は貧しくて、果物と言うものを知らなかったそうです。森で取れた木の実は、ほとんど村で集めて街で売ってしまうそうなので」

新鮮な果物は高価で、王族や貴族、良くて裕福な商家が口にするくらいで、普通は嗜好品として下層市民出のナフィルが口にすることはほとんどなかった。

森での収穫の際、傷物などで僅かにその恩恵にあずかったことはあったが、親や親族が居らず村で養われていたナフィルにとって、村での貴重な収入源を喜んで味わう気など無かったらしい。

アスリンは富裕層ともいえる割と大きな商家の出で、何も気にせず果物を食していた。

2年前にナフィルを探し出して押しかけたあの日、出されたお茶がこの乾燥果物を使ったものだった。

その時に初めて、乾燥果物の存在を知った。

「この話、私にとっては本当に恥ずかしいんですけど」

はにかみながら何とか話題から避けようとする。

エイブスもそれ以上追及する気はなかった。

「ナフィルは・・・」

エイブスは気になっていたことを口にした。

「もしかして緊張してるのか?」

「え?」

思い出し照れ笑いに耽るアスリンが、話題が変わったことに気付いて顔の赤みを増した。

「あぁ、はい。でもいつもですよ? ・・・気付きませんでしたか?」

余り気にしていなかった。遺跡に同行するのは4度目だが、落ち着いた風であったし、単に真剣さの表れだと思っていた。

正直、危険であることは承知していたが、ナフィルの危うさに気付かなかった。

「魔術師が居るのだろう? 俺にはわからんが、同じ魔術師で必ずしも敵対すると限ったことではないのではないか?」

「それは、・・・私にも良く分かりません。ナフィル様は余りお話しては下さいませんから」

一番傍に居るアスリンが、自嘲気味に笑う。

「私が心配なのは、ナフィル様の心です。ナフィル様が落ち着いて見えるのは、心が覚めてしまうからです。これまで、大切な人を守れず、犠牲にしてきたことが、ナフィル様を魔術師にしているのです」

「どういうことだ?」

ナフィルは魔術師なのだろう? と、エイブスは反射的に確認をした。

アスリンは首を横に振った。

「そう、ナフィル様が独り言で言っていたのです。魔術師は人ではないと。人でないから魔術師なのだと」

アスリン自身、理解しかねるようだった。であれば、エイブスに理解出来様はずもない。

「難しいことは俺にも分からん」

エイブスは、アスリンにすまないと詫びた。

確かに人の理解できる話ではなかった。そもそも雇われの身だ。雇い主が誰だろうと自分の役目を果たすだけだ。

ナフィルはこれまで、見習いだからと言い訳しながらも頑張っていた。

皆を死なせてまで王都には行きたくないと、魔術師らしからぬ発言をしたのを今になると良く理解できた。

「変わった奴だな」

アスリンが困ったような顔をして首をかしげる。

「まずは王都まで送り届けよう。それが俺の仕事だ。それ以上の金も貰っていないしな」

アスリンも頷いて同意する。

ナフィルがエイブスの元を初めて訪れたのは、傭兵事務所で推薦されたからだった。

傭兵隊は出払っていて、遺跡に入った経験のある腕の良い傭兵は居ないとの事だった。

その時の、酷く自信なさげな様子を思い出した。

人見知りをするのかと思った。初めての遺跡に行って戻った後、態度が随分大きくなったからだ。

あれは、恐れていたのだろうか?

・・・魔術師になりきれない自分を。・・・魔術師である自分を?

エイブスにはあの時、ナフィルがその見かけどおりの年恰好の少女としか思えなかった。

この計り知れない存在であることが魔術師という事なのかも知れない。

と、エイブスはそれ以上踏み込んで理解する事を止めた。

アスリンとエイブスは、その後深夜まで経路の確認と森での行動について話し合った。

 

ビジットは僅かにも表情を緩めなかった。

家柄だけで代官となった男に愛想を振りまく気にもならない。

そもそも敬意を払うだけでも嫌なのだ。元から愛想が無いと言われたビジットの顔には、侮蔑を浮かべていないと言う逆の意味で、無表情だった。

だが、それはその男もそう思っているに違いなかった。

市民出の年若い男が、一等事務官などというのは耐え難いことだろう。

官位を示す徽章の線が1本半しか違わない。しかし、年齢には倍以上の開きがあった。

言葉だけの事務的申し送りを済ませ、書簡を補佐官に手渡す。

代官は官位よりも爵位をひけらかすかのように、もったいぶったやり方で補佐官にそれを確認させ、わざわざ読み上げさせた。

それを聞いていた代官は口元を歪ませ、取り繕うともせずに笑った。

「おやおや、戦場に勇んで行ったかと思えば、今度は妖精の国かね。不肖の身には考えも及ばぬな」

それに対して、ビジットは表情においても無視をした。

代官は面白くなさそうに表情をしかめると、

「好きにしろ」

とだけ言って、補佐官へ手を払う。

「お部屋を用意いたします。こちらへどうぞ」

ビジットとそう年の変わらない補佐官が先に立って扉を開く。

儀礼上の礼だけは失わずに会釈をすると、補佐官についで部屋を出た。

「またとんでもない任務を仰せつかりましたね」

その補佐官、二等書記官の青年は、同情するようにそう言った。

志願で来たとは思わなかったらしい。それについては訂正しないでおいた。

「あの傭兵はどうした?」

「既に部屋を与えておいたのですが、酒場に行くと言ってすぐ出掛けました」

「そうか」

それを聞くと、もうあの傭兵への関心は失せた。

馴れ合う気など無い。任務だって満足にこなせるか当てにもしていなかった。

めったに人が来ないのか、その書記官はひとしきり日常的な話題に触れると、食事の時間を告げて立ち去った。

用意されていた水を口にして、ベッドに腰を下ろす。

この任務が不愉快であろうと、元々日頃からそう愛想が良いとは思わない。

今回の話を、誰しも本気に思わなかっただろう。

自分自身そうだった。いや、王都の存在を、ではない。魔術師が居て、それと共に王都に行くと言うことがだ。

しかし、ビジットは知っていた。

学術院が秘匿する、少女の姿をした魔術師がいると言うことを。

任務を志願した時の、皆の一様に驚いた顔に関心はなかった。

だが、その少女を目にした時、騙されているのではないかと疑ったのは確かだった。

半信半疑なのは、今も変わりない。

ただ、確かに見た目だけでは計れない、人としての格の違いのようなものを感じた。

それは、進んで危険に身をおかなくてはならない自身の境遇からくる、道は違えど傭兵と似たような感覚なのかもしれない。

夕食は、代官府の事務官や書記官が集まってのもので、少なからず気を紛らわせることができた。

代官である行政官は日頃から食事を共にすることはないそうで、それは喜ばしいことであったが、反面特権的意識が垣間見れて、感情面では気分を害することになった。

ビジットの任務は補佐官から伝わっているようで、同席した皆からは当然興味本位で聞かれたりした。

王都があることは知られている。

しかし、それは遺跡としてであって、現在も半稼動状態にあるということは一部の人間しか知らない。

だから、専ら話題は『魔術師』に偏った。

「魔術師というのは本当に居るのですか?」

若い事務官は、半信半疑にそう口にした。

その場に居るほとんどの人間が、それに対し否定的に自分の考えを口にする。

ビジットは、だが、その問いに容易には答えが出せないでいる。

実際にあの少女の姿をしたものが魔術師であるのかどうかは、そのうち分かるとしか言いようがない。

だが、そんなことが言えるわけもなかった。

「居るのだろう。でなければ私は面白くもない芝居に付き合わされることになる」

そう言うのが精一杯だった。

居るとも居ないとも言えない。にもかかわらず、期待を裏切らないで欲しいと密かに願う自分が居た。

「私は見ましたよ」

一番年下の書記官が、得意げに声を上げた。

「事務官と居られた人たちでしょう? あの中に居たのですよね?」

そう言ってから、書記官は臆して顔が青ざめた。

ビジットが冷たい目をして睨み付けていたからだ。

「口外をするな」

ビジットはそうとだけ言った。だが、否定はしなかった。

場が白けたことで、年配の事務官が無難な話題に逸らしたが、ビジットは自分の思いに耽った。

現実に気付いたのか、気付かされたのか、今、自分はどれを現実だと思ったのか。

何とも思わなかったあの少女を、初めて不気味に思った。

王都に行く意味を自分に問いかけてみる。

その答えを出す前に、結論は出ていた。

どうであろうとも、自分には求めることしか出来ないのだと。

「先に失礼する」

ビジットは別の話題に花咲いていた皆にそう言い置いて、先に宛がわれた自室に引き上げた。

他の連中だって、私欲であの少女に付き従っているに決まっているのだ。

 

朝から機嫌の悪い顔をしていた。

「何なのよ一体」

それを見てナフィルが咎める。

「やっぱりだ」

後悔してもどうなるものでもない。

「すいません」

とアスリンが何故か謝った。

「お前が謝ってどうする?」

エイブスはうんざりしたが、不機嫌さを極力抑えてそう言った。

本来なら雇い主であるビジットが迎えに行くはずなのだ。だがタウスは、

「雇い主に迷惑は掛けられない。同じ傭兵仲間じゃないですか」

とエイブスの役割を的確に把握した発言をして渋い顔をさせた。

昨日、と言うよりも早朝だが、タウスは酒場で喧嘩騒ぎを起こし、警備隊詰所に勾留されていた。

身元の引き受けに、タウスはビジットではなくエイブスを選んだのに深い理由など必要ない。

それだけにどれほど文句を付けようと納得せざるを得なかった。

もっとも、いつまでも憂鬱でいるわけにも行かなかった。

昨晩、ナフィルは「王都」への行き方を説明した。

「王都へはこの街にある門から行くの。門は限定開放型の転移魔法陣で、三重の結界によって守られてる。王都自体は三つの霊山に囲まれた高地の盆地に固定されていて、ここから4・5日ほどの距離にあるわ」

どうしてこの街は魔法で行けるのに近くに在るのか。

「簡単よ。王都の近くに作ったんだもの」

ナフィルは得々と王国時代の移動方法を説明した後で、

「でも、その移送の門は失われている。ここから徒歩で山を越え、直接王都へ行く」

と言った。

それは当然のことのように思われた。

そんな便利なものがあるのなら、当初から困難な予想も覚悟も必要なかっただろう。

「で、具体的にどう行くのだ? 方向だけしかわからんのか?」

「今は乾季だから川沿いに行くわ。そこから今時期だけ木の切り出しで使われている集落があるの。そこの猟師に途中まで案内をして貰うつもり」

その方針で、エイブスとアスリンは準備を進めていた。

だが、エイブスがより心配した問題は、当時とは違うこの街の地理的事情だ。

今でこそ脊椎山脈を南北に貫くいくつかの細い街道の一つにある要衝に過ぎないが、この街は王都の近くにあるということで、当初から学術院の力が強く及んでいる特別な場所だ。

魔法や魔術というものが表面だってはいないが、エイブスはナフィルがこの街に来たことが、その世界の人間には当然のように知れ渡っているはずだと思っていた。

そして、それには知識欲や好奇心といったナフィル寄りのものだけではなく、もっと単純に得られる宝物の横取りや独占も含まれるだろう。

「一々気にしていられないわ」

とナフィルは無関心を装っていたが、現実にはそれらがナフィルを妨げることも十分有り得た。

ナフィルの関心は無論王都に向いていたが、エイブスにはそこまでの道中の方が気掛かりだった。

であったから、極力面倒事は避けたかったのだ。

それが、大人しくするどころか一騒動起こした挙句、代官府から目を付けられてしまった。

こうなれば、余計な詮索をされる前に、早急に出発するしかない。

アスリンをエジットの元へ送って、当初の集合時間よりもかなり早い時間に参集して出発することにした。

一番の懸念はそのエジットだったが、アスリンが意外に思うほど、特に不満めいたものを訴えることはなかった。

何かしら納得のいく理由をつけなければ、異議を唱えてごねるのではないかと思っていたのだ。

そのことに別の疑念がわいたが、それはそのままエジットに対する当初からの疑念でもあって、今更驚きもいぶかしむことも無かった。

一行は、逃げ出すようにまだ朝早いポルカッタを出た。

しばらくはまだ道があるが、自然と一列になって歩く。

先頭がエイブスで、ナフィル、アスリン、ビジット、タウスの順だ。

「目の前が若い女だからって、色目使うなよ?」

僅かな意趣返しを含めて、エイブスは妙に大人しいエジットをからかう様にそんな軽口を叩いた。

ところが、

「私は妻を愛している。同じくらい愛する子供もいる」

と、心外であるとばかりに真面目に言い返されてしまった。

臆面もなく言い切ったその言葉にエイブスは鼻白んだ。

家族を省みないように見える堅物で優秀な男からは想像も出来なかったその言葉に、男としてなにやら負けた気がしてならなかった。

確かにビジットの方が年上なのだが、エイブスはひげ面で体格も良く、背では僅かに及ばないが、見た目では立派に引率者のように見える。

別に威張ろうとも思わないが、ナフィルからはまとめ役として雇われている面もあり、面目としては内心大きく傷ついた。

その衝撃は何故かアスリンにだけには伝わって、不自然に微笑まれてしまった。

今日は何も悪いことが起きません様に。

朝からついていないエイブスは、恐らく生まれて初めて謙虚にそう願った。

願った先は、無論神ではない。

 

雨季には谷一杯に流れる川も、今は谷底に僅かに流れているに過ぎない。

木材の切り出しはこの時期に山に入って行い、雨季に水かさが増えてからそれを利用して下流に流すそうである。

その時には、この谷底は両側の急な斜面まで激しい流れに覆われる。

「雨季じゃなくて良かったですね」

アスリンは心底そう思って言った。

迂回することになれば、それだけで2日は余計にかかる。

山地で森の中だ。ビジットはもちろん、ナフィルにも苦労が少ないに越したことはない。

意外と、見た目からは分からないが、アスリンは体力がある。

ナフィルより背が高いとは言え、標準的に見てもそう高い方ではない。

それにもかかわらず、アスリンは自分とナフィルの分の荷物も持っていた。

エイブスがいくらか受け持っているとはいえ、エイブスとアスリンはほぼ対等だった。

加えて、アスリンは自分の剣と盾も持っている。しかも得意な得物だと言って、短い弓と矢も携えている。

タウスも、鎧を付けてないとはいえ余りにもアスリンが重武装なので、

「これは勇ましい」

などと微笑ましげに言ったが、ダーナ教導団卒業というのを聞いて納得して揶揄することもなくなった。

あそこは身分や富裕の差が通用しない軍事教練所で、そこを卒業したということには独特の重みがあった。

トレビスの戦乙女と呼ばれたメイリス王妃に憧れていたと言うだけあって、見た目的には全く女性らしい風貌が多かった。

タウスのように、一見してそうは見られないところにこそ、その真価があるように思われた。

まんまと油断して、出し抜かれたり不意を衝かれるに違いない。

エイブスが本気で口説き落とそうと思わないのも、アスリンの本性をまだ嗅ぎ取れないからで、決して臆しているからではないのだ。

「と思うが・・・痛っ!?」

肩に痛みと衝撃が起きた。

思わず振り向くと、ナフィルが杖でエイブスの肩を叩いていた。

「何だ?」

眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに言い放つ。

「声を掛けても上の空だからよ。休憩しましょ」

いつもより早いが、と言おうとしたが、ナフィルがビジットを気遣って言ったのだとすぐ察した。

普段から渋い顔をしているビジットだが、明らかにそれとは違う厳しい顔をしている。

こんなので持つのか?

俺でさえ、魔術師という輩の世界に戸惑った。

常識で測れないという部分だけではない。素直に恐怖したのは、これが自分たちの日常ではないからだ。

だが、エジットはそれ以前に、野外活動そのものに付いていけそうにない。

「こんな調子でたどり着けるのか?」

嫌味ではなく、現実的に考えてエイブスはそう言った。

状況についていけていないビジットへの、ある意味親切心からだ。

ナフィルは答えない。

その代わり、

「いや、すまない。私が足を引っ張っているようだ」

と、ビジットが率直に詫びた。

「無理もありませんよ」

とアスリンは言ったが、

「不慣れなんだから仕方ないわ。遅れるようなら置いて行くだけよ」

とナフィルが冷たく言い放つ。

それが照れ隠しではなく本気なのには苦笑してしまう。

だが、ある意味それが温情だろう。

夕方にようやく、乾季だけ使われている集落に着いた。

ビジットは、ナフィルに負けじと頑張って付いて来ていた。

いよいよ、お伽話の妖精の国へと入るのだ。

その入り口にふさわしい、寂れて人気のない集落を、何故か不気味に感じず懐かしい思いがした。

ビジットも含め、我々は既に異常なのだと、悟るのだった。

説明
かつての魔法王国期の王都を訪れる魔術師のお話。
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