Re:birth 1話 |
真夜中近く、広大な広間の中心で痩身の男が立っていた。金や宝石の輝きを放つきらびやかな装飾品が壁と手すりを彩り、天井に描かれた絵は神代の景色をそのまま切り取ったような美しさだ。壁に掛けられた蝋燭と所々に置かれた燭台には灯を点してあり、夜の広間を照らしている。
男の服装はこの絢爛な部屋に似つかわしくなかった。ほとんどボロ布になっている黒い外套は、色あせて紫に近い色になっていたし、革製のブーツとベルトは擦れて所々ひび割れていた。彼の軽くウェーブしている黒髪は伸び放題で、口に当てられた黒い布は雑巾の方が上等な物に見えるほどだ。明らかに乞食かなにかのような格好だが、彼が持つ一本の鉄棒だけは相当な値打ち物だった。かすかに反り返った一メートル前後の長さを持つそれは、楕円の断面を持ち精緻な金属細工が施され、楕円の片面は高位の天使や神が刻まれており、もう一方の面はあらゆる悪魔が描かれ、中心に「憤怒」の銘が彫ってあった。美しく冒涜的なこの鉄棒は、彼の手中で静かに存在している。
男の髪がかすかに揺れる。窓の一つが割られていたのだ。そこではカーテンが揺れ、割れたガラスがきらきらと輝いていた。外はきれいな満月で、雲のない空には静かに星が瞬いている。
「イクシール伯ギルベルト」
男が口を開くと掠れた声が漏れた。周りには意識を失っている高貴な身分の男女が装飾品を傷つけないような形で倒れていた。一方彼が声をかけたイクシール伯は、腰を抜かしたようにヘたり込み、彼から離れようとその小太りの体を引きずっていた。
「も、目的は何だ! 金か!?」
広間に裏が選った声が響く。イクシール伯は勲章や装飾品の付いた服を脱ぎ捨て、目の前でたったままの男に向かって投げる。鉄棒を持った男はその棒で投げられた衣服を払い落とすと、その声を聞いて満足そうに笑い、そしてこう言った。
「あなたの娘、そしてあなたの生命」
「む、娘? 何のことか……ひいっ!」
ぱきん、と金属が割れる音がして鉄棒から二つの塊が落ちた。二つの塊は鉄棒の八割程度の長さの棒で、楕円を半分に割った断面に、一部へこみが付いた形をしていた。二つの塊の一方には天使達、もう一方には悪魔と「憤怒」の銘。男が持つ鉄棒は表面の精緻な装飾が落ち、内部にある鋭利な刃が露出していた。
「とぼけなくていい、どちらにしてもおまえは殺す」
刃を持った男が一歩踏みだして刀を掲げる。燭台の炎を反射するその側面は美しく輝いて、それが凶器であることを微塵も感じさせないような物だった。
「や、やめろ! わかった、わかった! 娘は連れていっていい、だが命だけは……」
小太りの男は狼狽して、ほかの人間からみればひどく滑稽な命乞いをする。目には涙をためて唾をとばしながら喚き、そして腰の抜けた体を引きずってできる限り遠くへ行こうとする。
暗殺者が一本も倒さなかった燭台を何本も倒し、昏倒している来客達に阻まれつつも、彼はひたすらその凶刃から逃れようとする。しかし、一つの方向へ逃げていては壁に追いつめられるのは必然で、ついに哀れな男は壁際へ追いつめられてしまった。
「いいいい、イヤだ、死にたくない、死にたくない、助けてくれ助けてくれたす……」
言葉の先は内臓から上ってきた血が、音とともに口から溢れだした所為で聞くことはできなかった。びくん、びくんと痙攣を繰り返す男だったそれは、肩口から切り込まれた刃を胸に深々と突き立てた状態で脱力していく。
傷口から溢れ出る血しぶきは、辺り一帯に赤黒い斑点を残した後、ゆっくりと勢いを弱めつつ辺りに同じ色の染みを地面に作り始めた。
皮膚と脂肪、筋肉そして肋骨と内臓すらも一度に切り裂いた痩身の男は、痙攣が止まるまでじっと体を動かさないでいたが、それが止まるとすぐに血にまみれてなお光を失わない刃を引き抜いて、外套の端で血糊をふき取った。
ー
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馬車は旧街道を通る道を選び右に曲がった。
空は晴れ渡り、風は初夏の草原を思わせる香りを運び、御者の嗅覚を楽しませる。のんびりとした速さで馬車を引く馬達も、先ほどの休憩所で食事をしたからか元気そうに鼻を鳴らしていた。草の香りを十分に楽しんだ御者は、余りにのどかな旅路に思わず鼻歌を歌っている。
最近の街道は領主間の対立が激しく、治安も悪化の一途を辿っていた。よってこういった職業には、用心棒が不可欠となっているのだが、今日は不思議とならず者や獣の類が全く見あたらなかった。ようやく領主の連中が治安維持に乗り出したのかもしれない。御者はそんなことを考えながら大きく欠伸をした。
布と竹軸で作られた簡素な屋根を持つ馬車の中には、無精ひげを生やした汚らしい身なりの痩せぎすの男と、容姿こそみすぼらしいが気品溢れる顔立ちをしたブロンドヘアーの少女が乗っていた。二人は対角線に座り、男は眠るように目をつぶり、少女はじっと男を見つめていた。
彼女の名前はマリス=ブラウン=フォン=イクシール、ブラウン家は近隣の領主達のうちでは、比較的小さい領土しか持っていないが、政治手腕については一目置かれている家柄だ。彼女はブラウン家の令嬢だった。
「逃げるな」
馬車についている屋根の隙間へ手を掛けたマリスへ男が声をかけた。掠れたその声は、外の明るい陽気とは似つかわしくない冷えた物だった。
「逃げる気はありません、ただ暑くって……ルド、風通しをよくしてくれないかしら」
ルドと呼ばれた痩せぎすの男は答えを返さなかった。色の褪せた黒い外套と、精緻な彫刻が彫られた鉄棒を横に置いている彼の職業は暗殺者だ。この領主達が争う時代に、彼のような職業は疎まれつつも必要とされている。
ルドは依頼によってマリスの父親を殺害した。理由など彼には理解する気もなかったが、隠し子……マリスの誘拐も依頼に含まれていたので、おそらくはこの少女が目的なのだろう。ルドはそうとだけ考えて誰にも話すことはしない。暗殺者にとって口の軽いということは致命的であるし、彼自身詮索も人と話すことも好きではなかった。
だがそれでも、彼には気になることがあった。彼女を連れて追っ手の迫る中、マリスの言った言葉だ。「ありがとう」……父親を斬り殺し、安住の地から連れ去ろうとする男に、なぜそんな言葉をかけるのか、体を縛ってでも連れていくつもりだったルドとしては拍子抜けで、むしろその言葉が呪縛のように思考を絡め取っていた。
「……」
ルドは静かに頭を振った。思考を振り払うためのそれは、マリスには否定と伝わり、彼女は汗をかいた額を軽くハンカチで拭い、ため息をついた。
「旦那ぁ、いい天気っすねぇ」
辺りに自分を脅かす賊の類が見あたらないこともあって、暇を飽かした御者がルドに声をかけた。彼は体を動かさずに「ああ……」とだけ答えた。
「最近はどこもかしこも賊だの山犬だので用心棒が不可欠だってのに今日は妙に静かだ。どうせならいつも通り金をもらった方がよかったかもなぁ……へへへっ」
ルドと御者は、用心棒をする代わりに旅費を一人分にしてもらうという約束をしていた。みすぼらしい身なりの旅人二人と馬車程度では、わざわざ大人数で襲う賊もいないはずなので、用心棒は一人で十分だったし、御者は長年の勘からルドの能力をある程度見抜いていた。
彼らが歩いているのは、イクシールからエルシールへと向かう旧街道で、少々道も悪く遠回りとなる道だが、そのかわり新しく整備された新街道よりも通行税が安く済む上に、金持ちは新街道を通るため、うまみのないこちらはそもそも盗賊が少ないのだ。
「なら今すぐ払うか? 俺はかまわないぞ」
「よしてくれよ旦那、いくら旧街道だって用心棒なしで旅なんか想像したくねぇ」
エルシールは元来イクシール領と同じ貴族が治めていたのだが、二十年ほど前に跡取り問題によって分裂してしまった姉妹国家だ。国の成り立ちからして反目するこの二つの国家は、政治とは別に経済は活発に未だ交流しており、お互いの利害関係の一致から、人と物、そして金の流れに関してはお互いに積極的干渉はしないこととなっている。
御者がルドと談笑しつつ馬を歩かせていると、騎士たちが、前方から蹄鉄の音を鳴らしながら近づいてきた。脇に抱えた兜に付く青色の羽根飾りは、イクシールの騎士であることを示している。
「失礼、この馬車はエルシールへ向かうものだろうか?」
「おや騎士様方、何か御用で?」
騎士という言葉に、馬車の中にいる二人は反応する。マリスは怯えたように縮こまり、ルドは鉄棒を握りしめた。
「少々厄介なことが起きている。積み荷をあらためさせてほしい」
ルドは近くにあったブランケットををマリスに掛けてやり、立ち上がってズボンの下に鉄棒を隠すと、二三回咳払いをした。イクシールの下級騎士が領主の隠し子を知っているとは思えなかったが、用心に越したことはない、彼はそう考えたのだ。外の気配は三人ほどで、彼は全員打ち倒してしまうことはできたが、必要以上に騒ぎ立てて厄介な状況になるのは避けたかった。
「へい、それはかまいませんが……中には浮浪者の兄妹しか乗ってませんぜ?」
そう言いながら、御者は馬車の蓋を開けた。
「騎士様のような身分の方々が私たち兄妹に何の御用ですか?」
ルドは掠れた声で騎士を出迎えた。マリスは相変わらず部屋の隅で震えていたが、外套で顔はよく見えないようになっていた。
騎士たちは無遠慮に二人を観察した後、マリスの方に声をかけた。
「おい、そこの女、顔を見せろ」
「っ!」
騎士のうち一人がマリスに声を掛け、彼女の体が跳ねる。そして、外套の上からでも分かるほどに体をふるわせ出した。
「どうした? なにを怯えている?」
騎士たちは不審に思い、そのうち一人が馬から下りて馬車の中へ入ってきた。ルドは反射的に、衣服の下へ隠した鉄棒を抜き払いそうになった。だが、まだ彼らは自分たちがしたことについて知っているようにも見えない。彼は騎士たちに気づかれないように姿勢を直した。
しかし自分はともかくマリスの顔を見られれば、イクシールの騎士であれば危険だろう。恐らく隠し子である彼女を知らないとはいえ、人相書きによって捕縛命令が出ているかもしれないのだ。
ルドはそう考えて、騎士の手が彼女の頭にかかる外套を取り去るより前に声を掛けた。
「すみません」
ルドの声に反応して騎士は手を止めた。ルドは頭の中でもっともらしい理由をこじつける。
「……妹は幼い頃暴漢に襲われ、それ以来私以外の男には皆こういった反応をしてしまうのです」
ルドは悲痛そうな表情を顔面に張り付かせて、目の前にいる騎士を見た。彼の演技は周りの状況を含めて完璧で、騎士たちは引き下がるしかなかった。
「……それは失礼した。良い旅を」
騎士たちが去った後、マリスはほっと胸をなで下ろし、ルドは隠していた鉄棒をズボンの中から引き抜いて座り直した。
あの騎士たちは領主が殺されたことを知らされているのだろうか。ルドの懸念はそこにあった。距離はかなり離れているとはいえ、早馬で一昼夜飛ばせば国境付近まで知らせることができるだろう。また、一時的に領主が不在となっている今でさえ、そこまで大きな混乱は起きていないように思える。この二つと、騎士たちの見回りが最近おろそかだったことを含めて推察すると、騎士たちが知っている可能性が高いように彼には思えた。だとすれば直接エルシールへ向かうルートは、危険かもしれない。
「いやぁ今日は珍しい、山犬も盗賊もいなけりゃ騎士様がそこらを歩き回ってるとは」
御者はまた退屈し始めたのか、馬車の中にいるルドに話しかけてきた。
「ようやく治安が良くなり始めたのかねぇ……いやー良いことだ」
「……あの! 最近ってそんなに治安悪かったんですか?」
騎士たちをやりすごし少し気が緩んだのか、マリスは暢気に話す御者に声を掛けた。御者の方は意識していない相手からの声に少し驚いていたが、すぐに気を取り直して話を続けた。
「おうよ、こんなに悪くなったのはたぶん、エルシールとイクシールが分かれる直前とかそれくらいかもしれん。俺はそん時十四、五だったがよく覚えてる。特に夜道なんか五人くらいで固まっていても襲われるんで、日が沈んだら絶対に外に出ないのが決まり事になっててな……嬢ちゃんも旅をするなら兄貴に頼りっぱなしじゃなく、それくらいは知っておかないと駄目だぜ?」
兄貴と呼ばれてルドは、そう言えばさっき騎士を言いくるめた嘘でそんなことを言ったな、と思った。どういうつもりなのかルドには皆目見当もつかないが、マリスは御者と普通に話を始めて、自分の素性などは明かさずに今の治安や町の状況などを熱心に聞いていた。
ルドは二人の会話を意識の隅で聞きながら竹軸と布で作られた天井を見た。薄い屋根越しに太陽の光が射し込んでいて、それから推察するに大体正午をすぎた辺りだった。ルドの見立てでは、この調子なら国境付近の集落で一泊した後、依頼主の元へ向かうことになりそうだ。
ー
ー
日もとっぷりと沈み、エルシール国境付近の宿でルド達は彼の見立て通り一泊する事になった。御者とは別れてしまうが国境を越えれば、早馬をエルシール伯が用意してくれているはずだったので、むしろ馬車は邪魔だった。
宿は国境近くということで、国境を越えようとする傭兵や商人が多く利用していて、なかなか繁盛しているようだ。ルドはカウンターの向こうにいるマスターに声をかけて、ここの二階に二人分の部屋を取り、一階の酒場で夕飯をとるべく手近なテーブルについた。
二階建てのうち一階の一部と二階の全てを寝室として利用しているこの宿は、大衆向けらしく薄暗い煤けた年代物のランプが照らしている。店内は木造で、所々が軋んでいたり、こぼした酒や料理のソースなどで机の上や床がべたついていたりしている。
出される料理はもちろん質より量を求めたものがほとんどで、ルドとマリスがついたテーブルには、ルドの注文通り大皿に乗ったサラダと、ぶつ切りにされたステーキ、ほとんど水に近いスープ、そして水の入ったグラスが二人分置かれた。
料理が届くと同時に、ルドはぶつ切りのステーキをフォークを使って口に運ぶが、マリスの手が動かないことに気づいてその手を止めた。
「あの……ナイフとナプキンは」
マリスは助けを求める視線をルドに送った。薄い青色の瞳は、薄暗い照明を浴びてかすかな光を放っている。ルドは口の前まで運んだステーキを、刺さっているフォークごと皿に戻すと、溜息をついた。
「ここはそんな上等な店じゃない」
こんな大衆向けの、いわゆる低俗な店でナイフとフォークを使って、テーブルマナーに則った食事をすれば、笑われるか奇異の目を向けられるだろう。ルドはこう食べるものだ、と教える目的で、再度ステーキを持ち上げると少し乱暴に食べて見せた。マリスはそのままルドが食べている様子と、自分の前にある料理をしばらく交互に見ていたが、それでもまだ食べ始めることはできずに、おろおろしていた。
マリスの背後で歓声が弾けた。どうやら音楽家が演奏を始めるようで、口笛や拍手の音が所々であがり始める。ルドは躊躇する彼女を視界の端でとらえつつ、ステージへ視線を向けた。人垣の隙間から見えるそこには一人のマリアッチがいて、ちょうどギターを構えて演奏を始めるところだった。
彼は帽子を脇のテーブルに載せると、軽く弦を弾いてから演奏を始める。その演奏は騒がしい酒場の中にしみこむような音色で、演奏が始まって数十秒経つ頃には、酒場にいるほとんどの人間が、彼の演奏のために手を止めていた。それはマリスも同じで、彼女は手つかずの料理をそのままに、椅子を動かしてマリアッチの方を向いている。演奏は流れる水のような滑らかさと砂漠の太陽に似た情熱を感じさせる見事な曲で、マリアッチの出身であろう大陸西部の情緒を感じさせる。
ほぼひし形に近い形の大陸、世界唯一にして最大の物であるそれは、何か固有の名称を与えられることなく、今日まで存在している。大陸東部は工芸品、南部は農作物と土地に対応した特産品があり、その中で大陸北部と西部は特殊な物を生産していた。北部は寒さから作物も育たず、元来人の住める土地ではなかった。よって荒くれ者や犯罪者といった者が住み始めるようになり、その武力を商品、つまり傭兵として送り出していた。
西部は更に特殊だ。東部は一年を通じ海からの風があるので、山岳部の多い東部は南部ほどではないが温暖かつ湿潤なため肥沃な大地が広がっている。しかし西部は内陸からの乾いた風が常に吹き付け、砂漠地帯が広がっている。水も資源も枯渇している西部は、一見すれば誰も近寄らないような場所である。しかしながら、現在見つかっている遺跡遺構、そのほかロストテクノロジーの産出は、九割以上が西部からもたらされたもので、考古学者や技師といった人的資源を多く持つ地域だった。
東西南北、様々な気候には様々な文化が根付く、マリアッチもそのうち一つで、大陸西部をルーツとする音楽であった。彼らは西部の気候をそのまま曲へと昇華するような、情熱的な性格と外見を持っている。特にマリスが眺める先にいるマリアッチは、浅黒い肌にブラウンの長髪と瞳を持ち、綺麗に整えた顎髭と時折覗く白い歯が印象的な男だった。
ルドは未だに黙々と口に食べ物を運んでいたが、それでも意識は彼の演奏に引き付けられているようで、時折目を瞑って耳を澄ませるような仕草を見せていた。
そんな時間が過ぎていき、薄暗い店内に響くギターの音が途切れると、続いて大きな歓声が上がった。
「いいぜマリアッチ! もう一曲やってくれ!」
「ああ、そうだな、俺からも頼むよ! いくら出せばいい?」
男のしゃがれ声でアンコールが掛かり、それに他の客が便乗して更に声が掛かる。アンコールを望む声はすぐに大きな声となってマリアッチに向けられる。
しかし彼はその要望に応えることはなく、そそくさと帽子を被りなおしてステージから降りてしまった。当然ブーイングが起きるが、それでもマリアッチは無視して部屋に戻って行ってしまった。
一旦扉が閉じられると、客たちはアンコールに応えてくれることは無いと判断したのか、徐々に騒がしさを取り戻していった。マリスはそんな中でも、マリアッチが去って行ったドアを見つめ続け、そのまま動かずにいた。
「早く食ってしまえ、食べられる料理も食べられなくなるぞ」
「……えっ? あっ!」
ルドの声でようやく我に返ったマリスは、慌ててステーキにフォークを突き刺す。先程と違い、マリスは躊躇なくその行動が出来たのを、彼女自身は気付かなかった。
―
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夕飯も済ませ、ルドとマリスは二階の部屋で就寝の準備を始めていた。部屋はどうも多くの人間を泊める事だけに特化しているようで、狭苦しく埃っぽい部屋に無理矢理ベッドを二つ押し込んだようになっており、二つ隙間なく並んだベッドと入り口近くに置かれた小さなタンスと小汚いランプ、そして壁際には小さな窓が一つだけ開いていた。まさしく寝るためだけにあるような部屋の間取りだ。
埃と煤で透明度のほとんどないガラス製の窓を覗きこめば、薄ぼんやりと街の明かりがポツポツと見える。マリスは窓を開けることはしなかったが、それでも外の景色が気になるようで、窓際に置かれたベッドから薄汚れた窓を眺めていた。
「そんなに窓の外が珍しいか?」
窓ガラスと同じように埃と煤の所為で光量の落ちていたランプを、ルドはきれいに磨きながらマリスに声をかける。詮索をしない主義の彼にとっては珍しい事だったが、それ以上にこの少女から感じ取れる不思議な雰囲気が、彼を刺激し続けている。
「ええ、とても」
マリスは殆ど外の見えない窓から目を逸らさずに、ルドの質問に応えた。
「いつも遠くからしか見る事の出来なかった景色が、目の前にあるんですもの。いつまでも見ていたい気分です」
マリスは心底嬉しそうな表情をルドに見せる。その表情は父親殺しの男へ見せるべきものではなかった。
「ルドには本当に感謝しています」
「……親の敵にそんな言葉を吐くな」
掃除の終わったランプは煌々と室内を照らし、ルドの持つ無精髭とウェーブのかかった黒髪を橙色の光で照らす。外套を脱ぎ肌着のみとなった彼の身体は、引き締められた強靭な筋肉を全身に纏っており、痩せぎすのシルエットからは想像できない程力強く見えた。
「親の仇……?」
「ああ、お前の父親であるイクシール伯ギルベルトを殺害し、エルシールへお前を送り届けるのが俺の仕事だ。一つは終わり、もう一つもじき終わる」
ルドは念の為、自らの武装である鉄棒をちらりと見た。事実を知ったマリスがどんな行動を起こすか分からない。体格的にも年齢的にもルドの方が勝っていたが、用心深い性格がそうさせたのだった。
その視線にマリスは気付くことは無く、彼女は窓から目を逸らして、延び延びとベッドに身体を倒すと、天井を見上げたまま口を開いた。
「ギルベルト……あの人はただ血縁上は父親というだけで、私はあの人を父だと思ったことはありません」
「……」
「彼は私を物のように扱いましたし、部屋の中以外の自由は与えてくれませんでした。でも、貴方と貴方の依頼主は私をそこから救い出してくれました。ですから本当に感謝しています」
「物のように」という言葉は慰み者という意味だろうか、ルドはそんなことを一瞬考えたが、彼は深く聞くことはしなかった。それは彼自身が詮索をしない主義であるのと、無意識のうちに彼女を傷つけまいとする心理によるものだった。
「俺も依頼主も、お前の父親と同じような事をするかもしれないぞ。自分が今いる場所を楽園だとは思わないことだ」
恐らくエルシール伯の元へ届けられた彼女は、イクシールとの交渉材料として使われるだろう。利用価値がある間はそれでもいいが、もし先方がマリスの事を知らぬ存ぜぬで通した場合、彼女の実が安全であるという保証はどこにもないのだ。
「ねえ、ルド……貴方は私をそんなふうに扱うの?」
マリスはベッドに寝そべったまま、顔をルドの方向へ向ける。ルドはドアの方向、つまりマリスに背を向ける形で、ベッドに腰掛けており、肌着には、両二の腕に刻まれた特徴的な刺青が、透けて見えていた。その刺青は片翼をモチーフとしたもので、片腕に四つずつ、つまり四対の翼が彼の二の腕に描かれている。
「その腕は……」
マリスはその腕に見覚えがあった。いつだったか、自分の部屋に修道士が訪れた時、彼らの二の腕部分が開いた修道服から覗いたのが、その刺青だった。ただし、彼の刺青は一対の翼のみで、彼の刺青よりは幾分か簡素な物だった。
「……昔の物だ。今は何の意味もない」
ルドは両腕の刺青を隠すように布団をかぶり、ベッドで横になった。
「お前も早く寝ろ、明日は早いぞ」
それ以上の会話は無く、意思の疎通もない。マリスは彼の腕に刻まれた翼を、ベッドの中で思い出そうとしていた。
説明 | ||
厨二的ファンタジーを書いてみたかった。XDの方も続けていくけどこっちも書けるといいなあ。 1話;ここ 2話>http://www.tinami.com/view/507689 |
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