人鬼‐異聞録‐ 【春】 |
もう、春が来る。
庭に生えた木々には新芽が宿り、風に漂う仄かな花々の香りが鼻腔に届くと
善信は”嗚呼、春になるな”と心が躍るのだ。
春が来れば寒さに震え部屋に篭ることも少なくなる。
こうして縁側にでて花見酒が飲めることが善信の楽しみだった。
「柏木殿、柏木殿」
「おや、館脇殿ではござらぬか」
何かと門に目を向けるとそこには館脇 平雅が相も変わらない穏やかな笑顔で立っていた。
館脇平雅という男は善信と同じく武士であり、この屋敷のすぐ傍に屋敷を構えている。
この両家、昔から互いを好敵手として張り合っていたのだが、平雅と善信の代になると
過去の諍いが嘘のように仲がいいのである。
その平雅が何やら手にざるを持ち歩いてくる。
「今朝方、竹薮の方へ散歩に出かけているとな。このように筍が地に居たのだ。
それで折角だから柏木殿の庭で春迎えの酒でもと思ったのだが、如何だろうか」
「おお、それはいい。ならば私が簡単につまみでもこしらえようではござらんか」
「それは有難い!某も何か手伝おう」
この二人が他と違うのはこの点もそうだろう。
何せ、この二人。
使用人を雇いはするが、身の回りの事は殆ど自分でやりたがる節があるのだ。
掃除は任せるとしても炊事洗濯まで自分でやろうとする。
この事は町人たちも知っている事で、それはそれで庶民派侍として親しまれているよう。
「そういえば先日善信殿の父上がいらしてな。何やら奥の部屋で某の父と話しこんでおったよ」
「それはしらなかったでござる。…が、しかし何となくの事情は察せるでござるな」
「嗚呼、感の鈍い某ですら何となくは察せてしまった。流石にあのように値踏みされてはなぁ」
「ううむ、申し訳ござらん。父上はああいう性格故、気遣いにかけていて困る」
袖をたくしあげた善信がバツが悪そうに頭を掻くと、平雅も困ったように笑った。
二人には年頃になる妹がお互いに居て、最近妙に両家の父が話しこんでいるとなると
何となくは察しが出来てしまうだろう。
恐らくは互いの妹を嫁にもらい、これまでの意地などは水に流して末永くという意味だ。
家柄も良い、妹も美人である。
文句の一つも出てはこないといいたいところだが、二人は乗り気ではなかった。
「妹は何分じゃじゃ馬娘で」
「それを言うならば私の妹こそ手が付けられぬでござるよ」
「お互いの妹を娶るというのも変な話だ。某はただ善信殿と酒を飲むほうが楽しいのにな」
「私とてそこに女子が入り込むのは気が引ける。仮に私が平雅殿の妹君を嫁にもらったら
縁側で酒ではなく刀が飛び交いそうでござる」
「はは、それなら善信殿の妹君こそ昼間から酒なぞ飲むなと弓で射るのではないか」
互いに苦笑いで想像しては肩を竦ませる。
もしも互いの妹がこの場に居たらそれこそ偉い騒ぎになるだろう。
考えただけでも恐ろしいと言わんばかりに二人はつまみの支度に取りかかった。
「――っ」
「どうしたでござるか?」
「いや、どうも某はこういったものに不器用なようだ」
「はは、始めは私も沢山切り傷をつくって母上に笑われた。
どれ、貸してみるでござる」
そういって善信は平雅の手を取ると驚いたように口を開けた。
考えていたよりも傷が深かったからだ。
しかし、当の本人は困った顔で”参った”と笑うだけなのだから更に狼狽する。
こうしている間にも傷口から血が流れていく。
「と、とにかく傷口を洗い流さねば…」
「善信殿、どうかしたのか。顔色が悪くなって来た様だが」
「平雅殿の血は苦手でござるよ、痛そうな顔一つみせないのがまた心配で」
「某は…如何にも表情が少なくて駄目出しを受ける。
もしや、気づかぬうちに善信殿を不快にさせては居ないだろうか」
「とんでもない、私は平雅殿と居て不快になることなど一度もないでござる」
薄赤い水が流れて行く。
二人でそれを見ながら口を閉ざしていると、その手が引かれた。
じわりじわりと血の滲む指に懐から出した真白い布を巻いてやる。
「侍のくせにと思うかもしれないでござろうが、平雅殿が血を流すというのは
あまり見たくない光景でござるよ」
「そうだな、某も善信殿が血を流す様は見たくない」
「平和が一番」
「平和が一番」
笑いながら善信が筍に手を付ける。
どうやら怪我をした平雅に変わり、続きをやろうというのだ。
「某は、女子に生まれた方が良かったのだろうか」
巻かれた布を触りながらぽつりと呟いた。
瞬間、驚いた様子で振り返ると平雅は至って真面目くさった顔で此方を見ている。
独り言ではなく、答えを待つ顔だった。
どうしたものかと考えた後、まずは理由を聞いて見たかった。
「よく思うのだよ。某が女子であれば楽だったのではないかと。
腕は立つのだが、争いは好かぬしな。それに比べ妹は武士として申し分ない。
あれが弟であれば家督を譲っても構わないのだがなあ」
「しかし、それでは私と酒を飲み交わすことが出来ないのでは」
「何を言う、某が女子ならば善信殿に寄りそう健気な嫁になったやもしれぬぞ」
可笑しそうに言って善信の肩を叩く。
善信は一瞬、肩が跳ね上がるかと思った。
わざとらしい咳払いをして、筍を刻んだ。
かすかながらに筍の香りが鼻腔をくすぐる。
「ひ、平雅殿は縁側で待っていてござらんか。
丁度陽が指して居心地もいい」
「はは、そうだな。先に一つ飲んでいようか」
「むむ、それは困るでござる」
「冗談だ」
肩を竦めて善信の後ろを通り過ぎる。
残された善信は一つ息をついてから、包丁を握りなおした。
「平雅殿」
声をかけるとゆっくりと振り返り、善信の手に持っている小鉢に視線を釘付けにする。
香りのいい梅の香り。
善信の料理上手なのはよくしっていた。
だからこそ余計に楽しみなのである。
「梅のいい香りがする」
「少しばかり遅くはなり申したが、春迎えといくでござる」
柔らかく笑い、隣に座る。
梅のたたきを筍に合えたものだった。
一口横からつまむと、旬の味が口のなかに広がり、途端に笑顔がこぼれる。
「平雅殿は相変わらず美味しそうに食べる」
「現に美味しいから仕方がない」
「…私は、武士でなければ町に小さな店を出したかったでござるよ」
「そうなれば、某は店に通い詰めて懐が寂しくなるだろうなあ」
「まさか。平雅殿から金を取るなどとんでもない」
互いの杯に酒を満たしながら笑う。
いつもの光景であった。
善信の屋敷に平雅が入れば、しきりに賑やかになるのである。
「来年もこうありたいでござるな」
「嗚呼、来年もこうあろう」
ほろよい気分で庭を見ながら酒を口へ運ぶ。
既に二人の傍には何本かの徳利が並べられている。
「善信殿。善信殿には申し分けないが、某は善信殿の妹君とは夫婦になるわけにいかないのだ」
「奇遇でござる。私もそう言おうと思っていたところ。
平雅殿の妹君と夫婦になれば、来年はこうはいかないでござるからな」
「やはり、色恋よりも某にはこちらのほうがいい」
「右に同じく」
もう一度、口へと杯を運んだ。
...Fin
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もうすぐ春が来る――…。 柏木×館脇/和風/腐向け/ほのぼの |
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