うそつきはどろぼうのはじまり 58 |
病床に飛び込んだ医師ジュードは、増幅器を患者に配って回った。
「これ、使ってみてください」
増幅器の型はエリーゼが使用していた物と同じ、第三世代型である。一から制作している暇が惜しく、出処はアルクノアからの押収品だ。軍部が保管していたものを、エデを通して借り受けたのである。
ただ増幅器そのものを渡してしまうと、エレンピオスでの軟禁生活を髣髴とさせてしまう。そこで彼は一計を案じ、外側を別のもので包んだ。
黒髪の若き医師は、裏の無い笑顔で一人ひとりに増幅器が内蔵された縫いぐるみを手渡す。患者の手に渡る度、少し不恰好な縫いぐるみは、名前をつけてね、と奇妙な声を上げる。
「こんなおもちゃで、本当に記憶が戻るんですか?」
このジュードの行動には、患者は元より、その家族でさえ疑わしい目を向けた。記憶喪失が治るからと医師が胸を張って薦めてくるにしては、その治療法は愛らしすぎた。何せ仰々しい薬でも治癒術でもなく、露店で売られているような縫いぐるみなのである。
疑心難儀に駆られたままの患者達を、ジュードは辛抱強く説得する。
「戻った実例があります。この縫いぐるみには、深層に眠っている記憶を揺り起こす効果があるんです」
「こいつが・・・?」
すると患者の手元に置かれた縫いぐるみが口をぱかりと開けた。
「名前をつけてね」
「し、喋った・・・!」
患者は驚き、軽く身を仰け反らせた。縫いぐるみはぱたぱたと耳を羽のように動かし、ふわりと宙に浮き上がる。
「名前をつけてね」
「名前・・・?」
「名前をつけてね」
縫いぐるみは、明らかに人の声に反応していた。感謝は戸惑いつつも、慣れない手つきで縫いぐるみを取る。その様子を眺めていたジュードは、おもむろに切り出す。
「是非、名前をつけてあげてください。そして色んなことを話してみて下さい。そうですね、ペット感覚で扱って貰って構いません。この子はとてもお喋りですから、あなたの心に反応して、沢山のことを話してくれます」
彼の穏やかな促しが功を奏したのか、患者はぎこちないながらも話しかけ始めた。
返還者専用病棟は、瞬く間に活気付いた。配布された縫いぐるみは、奇妙な姿かたちではあるが、その仕草には愛嬌が詰まっている。長らく離れ離れにされていた家族連れも、子供が喋る縫いぐるみに興味を示したことで、緊張の糸が解れつつあるようだ。
何とか上手くいきそうだ、とジュードが病室を眺めた時、看護師プランが緊張した顔を現した。
彼女が何かを言うより早く、ジュードは眉を顰めた。看護師の後ろから現れたエデの顔に、慌しい険しさを見たからだ。
「ジュード先生。少し、よろしいですか」
患者の手前、プランは笑顔こそ絶やさなかったものの声が固い。明らかに慶事を知らせるものではない。
ジュードは二人を物陰に誘った。
「先生。レイアさんに今日、外出許可証を出されましたか?」
「レイアに? ううん」
ジュードが首を振ると、二人は顔を見合わせる。
「今朝方、海港の検問所にて、彼女の名前が記された外出許可証が提出されました。現在、レイアさんは帝都内部におられません」
警備兵エデは厳しい声で告げる。
「当局にて確認したところ、責任者の欄には先生の名前が記されていました。検問所から回収された許可証を整理していた部下が、筆跡が異なることに気づき、私へ報告を寄越したのです」
ただでさえ微妙な立ち位置にいるジュードだ。なるべく騒ぎとならず、穏便に事を済ませねばならないと、エデはまず腹心の部下プランへ連絡した。知らせを受けたプランは自分達看護師を統括する看護課へ向かい、彼女の勤務表を調べた。今日の日付の部分には、印字されていた内勤の文字に二重線が引かれ、代わりに手書きで、ジュード医師の指示で外回り、と記入されていた。
ジュードは目を剥いた。
「僕、そんなこと言ってないよ!」
だが医師が否定するまでもなく、彼らは一様に頷いた。
「ええ、そうでしょうね」
「分かってますとも。ジュード先生なら、間違いなく看護師一人で患者さん家へ向かわせたりしませんから」
許可証が偽証と判明した直後、エデは部下をやり、彼女の足取りを洗った。
「レイアさんが出て行ったと思しき時刻に提出された通行証は三枚。その全てが、マナ抽出推進派の研究所職員です」
「つまり・・・レイアは誘拐されたってこと?」
「公文書偽装に、行方不明の関係者。状況を考えますと、恐らく」
ジュードは溜息をつく。
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