サニーデイ・アフター・ストーリー |
まどかとほむらが帰った後。
さやかは杏子の寝顔を見ていた。
(今日は、勉強どころじゃなかったなぁ…)
追試という逃れられない運命を思うとその事実が重くのしかかるが、不思議と後悔は無かった。
いや、不思議でも無いのかもしれない。
この五人で居て、一緒に遊んで、戦う事に、後悔なんてあるはずも無い。
まどかでは無いのだが、さやかも自分が平凡な人間である事の自覚はあり、それで何も出来ない日々を過ごしていて、変わりたいと思っていたのは事実なのだ。
そんな時、転機が訪れて…そして、無防備な寝顔を晒すこの少女と出会った。
(全く、人の気も知らないでのん気に寝ちゃってさ)
さやかは杏子の頬を指先でつつく。突くというよりも触れる程度の力なので、杏子は起きる様子を見せなかった。口の端からは涎が漏れており、よほどリラックスしているのが分かる。
言えない。まさか、この少女ともう少しだけ居たくて、勉強を口実に先輩の家に留まったなどと。
「んあ…さやか?」
そしてさやかは無意識のうちに杏子の前髪を手で梳いていて、杏子はようやくそれに反応して、重たげに瞼を開いた。
「あ、ごめん…起こしちゃった?」
「んー…?」
杏子は上半身だけを起こし、辺りを見回す。夢心地なのは変わらず、どこを、何を見ているのか、さやかには分からなかった。
やがて部屋に他に誰も居ないと分かると、杏子はさやかの顔を見て、緩く笑みを浮かべた。
「…さやかも、もう寝ようぜー…」
「え…ちょ、ちょっと…!?」
そして杏子は再び横になった…が、先ほどの床に大の字になって寝るという体勢ではなく…さやかの膝に頭を預け、文字通りの膝枕をして、杏子は幸せそうに、すぐさま寝息を立てだした。
「な、何やってんのよ?」
しかしさやかの声は極めて小さく、起こす気が全く無いのは明白だった。
杏子もさやか相手に何の警戒も見せず、歳相応かそれ以下の、幼い寝顔を晒していた。
(…ほんとに、変な奴…)
変な奴。学校にも行かず、普段どこで何をしているかも分からない。初めて会った時から、その印象は変わっていない。
それでも、憎めなくて、優しいところもあって…誰よりも素直だと、さやかは思った。悪く言うなら、自分に正直でわがままだけど。
「あら、お邪魔だったかしら?」
すっかり熟睡した杏子の知らず知らず撫でていたさやかは、突然かかった声に自分も驚いて声を上げそうになったが、杏子の寝顔を見てそれを辛うじて抑えた。
「ま、ま、マミさん?」
キッチンからお茶の入ったカップの乗った盆を運びながら、マミはさやかと杏子の姿を見て、優しげな、それでいて…何とも形容しがたい、直情的なさやかにはまだ理解出来ない、憂愁を帯びた笑みを浮かべていた。
「や、やだなぁ、マミさん。このお子ちゃまがいきなり枕扱いしてきて、優しいあたしは膝を貸してるだけでして…」
「それで、勉強もそっちのけで寝顔に夢中になったのね」
くすくすと忍び笑いを漏らし、マミはテーブルの上にカップを三つ置いた。ほんのりと湯気が立ち、それでいてほっと息を吐きたくなるような、心地いい香りがリビングに広がった。さやかの横に腰を下ろす。
「返す言葉がないっす…すみません、マミさん。勉強とか言っときながら、結局騒いで終わっちゃって」
「うふふ、いいのよ。私だって、とっても楽しかったしね。それに…」
マミはさやかの膝枕で眠る杏子を見て、先ほどと同じ笑みを浮かべた。
「この子のこんな顔を見れたのも、みんなのおかげ。本当に、人って変われるものなのね…」
意味深な事を呟き、マミは杏子の髪に手を伸ばそうとして、止めた。
触れる事叶わなかった手は一瞬虚空に留まり、やがて自らの膝の上にと戻っていった。
「マミさん、こいつの昔の事、よく知っているんですか?」
その仕草に何故かほっとしている自分を必死に押し隠し、さやかは小さな驚きを隠せずに尋ねた。
穏やかでありながら芯がある先輩には珍しい、言葉を選ぶような逡巡に、さやかはわずかに不安を抱いた。
「よく、と言えるほどではないかもしれないわ。でも…少なくとも、私の家でこうして、幸せそうな寝顔を浮かべる事は、きっと無かったでしょうね」
マミの言葉はどこか遠くを見つめているようで、やはりさやかは全てを解する事は出来なかった。
それでも、マミの言葉全てが本音で無いと、さやかは本能で感じ取った。
よく知らない人間の事を話すのに、どうしてそこまで、嬉しそうで…。
そして、哀しそうなんだろう?
「だから私は、みんな本当に…特に、あなたには感謝しているわ。ありがとう、美樹さん。この子を変えてくれて」
でも、と続きをマミは口にする事が出来なかった。
でも、出来れば。
私が、あなたをここに連れ戻したかったと。
私が誰よりも…あなたの近くに在りたかった。
でも、それはもう叶わない。
「佐倉さんは…きっと、美樹さんの事を誰よりも大切で、近いと感じているわ」
「そ、そうですか? まあ、こいつ、よくあたしに絡んできて、喧嘩も吹っかけてくるし…あはは、良ければマミさんに譲ってあげたいくらいですよ」
「本当ね?」
冗談半分でさやかは茶化そうとすると、マミは全く間を置く事も無く、すぐさま真顔でさやかに詰め寄った。
いつものマミさんと違う? さやかは年上として余裕の振る舞いを見せている、憧れの先輩の必死とも言える形相に、言葉を失った。
「ふふっ、冗談よ。でも、美樹さん…佐倉さんを大切にしてあげてね? この子の事を考えると、今でも私ね…」
「ま、マミさん…?」
後輩の狼狽ぶりにマミは相好を崩して笑ったが、言葉の重みは先ほどと変わらないか、それ以上のものを伺わせていた。
§
また、一人ぼっちね…。
佐倉さんが去った後でも、しばらく私は彼女が居た空間を未練がましく目で追っていた。彼女が消えてようやく、私は誰も居ない自宅へと戻ってきていた。
一人には慣れている。今までだって、一人でやってこれた。
ただ、一人が好きというわけじゃない。むしろ、嫌い。
それに…『また』という前置きがあるだけで、寂しさはより鋭利に研ぎ澄まされ、私の胸の中を切り刻んだ。
一度目は家族が居なくなり。
二度目は、仲間が居なくなった。
どうして?
理由なんて分かっている。それに、家族を失う悲しさは私だって味わっている。分かってあげられる、はずなのに。
もう遅い。今からでも「もう使い魔も狙わないし、グリーフシードだってあげるから、一緒に居てほしい」と言うべきなのかしら?
「泣いているのかい、マミ?」
ううん、違う。私は、今こうして出てきてくれた…キュゥべえの為にも、そして私と同じ思いをしそうになっている人の為にも、戦わなくちゃいけない。
「苦しいよ、マミ」
だから、今だけは後悔したかった。
正義なんていう、自分への言い訳を優先して、大切な物を手放してしまった事に。
「…佐倉さん…さ、くら、さん…」
ぎゅうっ、とキュゥべえを抱き締めて、自分の信念を曲げられなかった事を呪って。
きっと泣き止めば、後悔なんてしないはずだから。また一人ぼっちになっても、泣かないから。
だから、お願い。
「マミ、杏子が心配なのかい? 僕の口からでいいなら、彼女の無事を逐一知らせるけれど。グリーフシードの回収のついでだけどね」
「うん、うん…ありがとう、キュゥべえ…それと、もう一つ、お願いしていい?」
「なんだい?」
抑揚の無い声で、私の唯一の友達は抱き締められながら、フワフワの尻尾をゆっくりと左右に振っていた。その尻尾が私の頬を優しく撫で、流れる涙を拭ってくれる。偶然だって分かってるけど、今はそれも優しさだと勘違いしていたかった。
「今日は、ずっと一緒に居て」
「マミがそう言うんなら、別にいいよ。でも握り潰さないでね? 僕、そこまで頑丈じゃないから」
本当にどちらでも良さそうなキュゥべえの返事だったけど、今の私には関係が無かった。側に居てくれるという事実だけが涙を溢れさせて、結局泣き疲れて眠るまで、この姿のままだった。
それからも私は使い魔も魔女も関係無く、倒し続けていた。
終わらない戦いの中に居る時点で幸運なんて身分じゃないと分かってるけど、それからの私は、運が良かったんだと思う。
「マミ、この町に新しい魔法少女が生まれた。面倒を見てあげてくれるかい?」
それはもしかしたら、体裁の為とはいえ、正義を振りかざして戦っていたご褒美みたいで。
ある日、そんなキュゥべえの何気ない一言は、私の意識を一瞬奪った。それくらい嬉しくて、気が動転してしまった。
そして、仲間は仲間を呼ぶもので、私は三人の仲間を得る事が出来た。
内向的だけど、人一倍優しくて、誰かの為に戦える事を誇りに思っている子、鹿目さん。
そんな鹿目さんの友達で、活発で正義感が強い、ちょっと危なっかしいところもある、美樹さん。
少し不思議で分からない部分もあるけど、鹿目さんを守るために私たちに協力してくれている、暁美さん。
初めは浮かれていてドジなところを見せてしまったけど、それでも私の事を先輩として慕ってくれているみんなの為に、と私は張り切って戦い、同時にみんな(暁美さんは初めから凄く強かったけど)も成長を続け、今では魔女退治も随分と楽になった。
そして何より…みんなと話したり遊んだりするのが、とても楽しくて、嬉しかった。
魔女退治の終わりにはよく私の家にみんなを招待して、ケーキを食べたり、ご飯を食べたりしていた。時にはお泊り会と称して、夜遅くまで盛り上がっていたりもした。
それは今まで広すぎた家が途端に狭く感じるような、幸福感が溢れている生活。あまりの嬉しさに感極まって泣いてしまった日なんか、みんな酷く慌てていたのを思い出す。
ようやく私にも仲間が出来た! その自覚が出来た時、浮かれきっていた私の脳裏にふと蘇った言葉があった。
『いつかあんたに相応しい仲間が出来るさ、マミ』
別れの際、先ほどまで見せていたギラギラとした殺気を無くして、酷く悲しそうで寂しそうな顔をした佐倉さんが放った、一言。
そして、私が言えなかった一言。
『どうしてその仲間になってくれないの、佐倉さん?』
あの時そう言えていたとしても、結果は変わらないだろうけど。
それでも、言えなかった事は今でも胸の奥に疑問として、私の幸せな毎日の側面として、残っている。
佐倉さんは、どう過ごしているんだろう? 仲間は、いるの?
新しい仲間が出来た私は、佐倉さんの近況をキュゥべえから聞いていなかった。あれほど悲しんだくせに、とその事実に気付いた時、自分を責めてみたりしたものだった。
彼女は、きっと一人。
私みたいにそれに寂しさを覚えるでも無く、そうする事の方が正しいと思って。
佐倉さんの望んでいる物と私が望んでいる物が違うのなんて、最後に別れた時に分かってしまっている。押し付ける方が迷惑だっていうのも、理解してる。
それでも。
私は自分の仲間を見ていると、この中に彼女が加わるという、夢物語を、一人頭の中で紡いでしまうのだ―。
そして、それは予期せぬ形で迎える事になる。
ある日の夜遅く…魔女も出なかった平和な日、一人で勉強していたら、鹿目さんから電話がかかってきた。人に気を使うこの子がともすれば迷惑にもなりかねない時間に電話してくるなんて珍しい…と思って、私は携帯を開いた。
『マミさん、さやかちゃんが大変なんです!』
通話ボタンを押した瞬間、鹿目さんの切迫した声が私の鼓膜をビリビリと刺激した。この子がこんな声を出すのはよっぽど、とすぐさま理解した私は寝間着から私服に着替え、出かける準備をしつつ、事情を聞いた。
何でも、美樹さんが隣町とこの町の境目で使い魔退治をしていたら、突如現れた隣町の魔法少女と口論の末、喧嘩に発展してしまったそうなのだ。
驚く事じゃなかった。美樹さんは正義感が強いし、同時に思い込みも強いから、誰かと衝突しやすいというのは十分予想できた。
でも、それが魔法少女…しかも隣町を縄張りにしているとあっては、私の心にはザワザワと妙な予感があった。
それがいい事がどうかなんて分からない。でも、私は変身する事も忘れて指定された場所へと駆けていた。幸い変身しなくても身体能力の強化は出来たし、普通では有り得ない時間で、隣町との境目である、裏路地に到着していた。
「ま、マミさん…!」
鹿目さんは困惑を通り越し、涙目で目の前の状況と私の顔とを見ていた。
そして、そこは…私の予感が何から何まで的中した光景だった。
魔法少女に変身した美樹さんが、赤い衣装を身に纏った魔法少女…佐倉さんと、戦っていたのだ。手にはお互いの得物が握られている。喧嘩、というにはすでに殺し合いと形容してもいい状態。
そんな中鹿目さんが変身せずに制服姿という状況にも、私は納得していた。
魔女相手なら怯まず戦う彼女だけど、本当は人を傷つける事を何よりも嫌っている。今美樹さんが戦っている相手は、敵とはいえ、同年代の少女なのだ。ゆえに、美樹さんに加勢したくとも、出来ない。恐らく彼女が加勢するとしたら、美樹さんが死に直面した時だろう、と分かった。だから、彼女が薄情なんて思えなかった。
美樹さんが殺されそうになったら、彼女が佐倉さんを殺すでしょうね…。
鹿目さんのいざという時の行動力には、目を見張るものがあった。
「やれやれ、よくそんな動きで今まで生きてこられたねぇ!」
「黙れぇ! あんた、あんたなんかに…!!」
佐倉さんの挑発的な言動に、激情に駆られる美樹さん。精神面でもそうだけど、二人の実力差は明白だった。
佐倉さんは私と最後に戦った時…ロッソ・ファンタズマを封印したあの日、彼女は自分の傷を顧みずに、敵に突っ込んでいた。
しかし、今はまるで別人…性格は変わらずとも、槍を駆使した高飛びに加えてアクロバットな動きを使い、美樹さんの攻撃を悠々とかわしながら攻撃を着実に当てている。
それに対して美樹さんは、まるで過去の佐倉さん…自分の身を顧みない、敵に目がけて一直線に切り込むという、今の彼女相手には通用すると思えない動きだった。
すでに体中が傷だらけの美樹さんは、動きがどんどんと鈍くなっていて、このままだと先ほど考えた最悪の事態になりかねなかった。
「マミさん、私…!」
鹿目さんが必死の形相で変身しようとしたのを、私は辛うじて止めた。
けど、私の武器も遠距離向けだ。動き回る近接型の二人を巻き込まない保証は無い。
何より…私は、二人とも傷つけたくは無かった。
「!」
でも、私にとって理想の瞬間は、あっさりと訪れてくれた。
「チャラチャラしてんじゃねーよ、うすのろ!」
「くっ…!」
回避を伴う動きでジワジワと削る事を面倒に思った佐倉さんが、持ち前の力を生かして近距離戦を挑む。そしてそれに反応して、槍を剣で受け止めた美樹さん。二人は鍔迫り合いの格好となり、動きが止まった。
私は自分の魔法が活きる瞬間を見逃さなかった。
「なっ…!?」
「え…?」
私はリングの形をしたソウルジェムをかざし、二人の足元からリボンを召喚して、二人の体を拘束した。
美樹さんも拘束したのは、二人とも興奮して危なかったから、という理由だ。もしもどちらかだけを拘束していたら、止めを刺そうとするでしょうね。
魔法少女同士が争ったら、それはもう喧嘩なんていうレベルじゃない。
殺し合いなのだ。だから、私は鹿目さんの手前平静を装っていたけど、傷つけず動きを止められた事に凄く安堵を覚えていた。
ゆっくりと、私は抜け出そうともがく二人に近寄る。コツ、コツとローファーの靴が硬質な床と触れ合う度に音を立てる。
その音に戦いに夢中だった二人は、ようやく私の存在に気付いた。
「てめぇ、何しやが…!?」
表通りの人口の光が辛うじて届いている路地裏では判別が出来ていなかったのか、お互いの顔がしっかりと見える距離になってから、佐倉さんはハッと驚き、息を呑んだ。
「ま、マミさん、なんであたしまで…」
そして同じくして私の姿を認めた美樹さんが困惑していた。その様子に多少は落ち着いたと判断した私は鹿目さんを呼び、美樹さんと向かい合う。
「美樹さん、事情は分からないけど…魔法少女同士、争うのは良くないわ。あなたのそういう真っ直ぐなところ、素敵だと思うけど」
私は頭ごなしに叱らないように、出来るだけいつもの…先輩らしい言葉で、美樹さんに語りかけた。
「で、でも…あいつは…!」
その話題に触れると、美樹さんは怒り冷めやらぬといった様子で、拘束を抜け出そうともがいた。
私の拘束魔法は動く相手は苦手だけど、一度でも止まった相手を捕らえれば、そう簡単に逃がしはしない。
「鹿目さん、変身してもらえる?」
「あ、はい…!」
そのやり取りを黙って見ていた鹿目さんを変身させ、美樹さんの肩を抑えるように促した。
美樹さんの事は信じてるけど…まだ、感情を抑えるのは難しいでしょうね。一応の措置だった。
「マミさん、あたしはもう…」
「信じているわ。でも、私は可愛い後輩の面倒をきちんと見る義務があるの。貴方が暴力を働くなんて思えないけどね?」
自分勝手な義務だったけど、私が笑顔で拘束を解くと、美樹さんは始め何かを言おうと口をパクパクさせていたけど、すぐに黙り込んで
「…ごめんなさい、マミさん」
そして小さな声で、そう言った。
例え一時の感情に流されて爆発してしまったとはいえ、可愛い後輩というのは揺ぎ無い事実なのだ。素直なところは本当に微笑ましく、これ以上怒る意味を見出せなかった。うん、と私は満足し、次の課題に向かい合う事にした。
きっと、彼女は…美樹さんみたいに素直にはなってくれないんだろうな…。
「それじゃあ鹿目さん、美樹さんを家に帰してあげてくれるかしら? 私が彼女と話しておくから」
彼女、というのは誰か言うまでもない。
私に呼ばれた佐倉さんはばつが悪そうにそっぽを向いた。
「マミさん、それはあたしが…」
「ダメよ美樹さん。あなた、かなり魔力を消耗しているから、今日はおやすみなさい。傷の回復、随分と遅れているわ」
「うっ…」
美樹さんの全身を軽くチェックし、そう結論付けると、美樹さんはまた黙り込んだ。
美樹さんは癒しの願いで契約したから、傷の再生が極めて早い。そんな彼女の治りが遅れているのは、そういう事だ。体が魔力の消費と生命維持の効率を割り出し、最低限の回復で留めているのだろう。
それでも何か言いたげだった美樹さんは鹿目さんに促され、重い足取りで路地裏から消えた。
二人だけになった路地裏を支配しているのは、静寂。
その間に私は小さく深呼吸した。
特別な相手に向かい合うには、時間がもう少し欲しかった。
今さら、とは思わない。時間が思い出を色褪せさせるとしたら、彼女との思い出の時間は、私の中で停止しているに違いない。
新しい仲間が出来て、寂しさは和らいだとはいえ、彼女への想いは…ずっと、私の中から消えていなかったから。
「久しぶりね」
私は出来るだけ感情を押し殺し、一人になってからよく使うようになった作り笑いを浮かべる。
最近はみんなのおかげで自然に笑う事が多いけど、一度身に付いた処世術というのは、こういう時に役に立つ。
「…」
でも、彼女は私から目を逸らしたまま、ずっと憮然としていた。
もしも相手が拗ねた美樹さんや鹿目さんだったら、私はもっと余裕の対応をしていただろう。
でも、佐倉さん相手にそんな態度を取られては、私のまだ大人とは言えない年齢が作り出した大人の仮面なんて、いともたやすく取り除かれてしまう。
「ひ・さ・し・ぶ・り・ね」
私は佐倉さんの両頬に手を添え、無理矢理こちらに向かせた。浮かべている笑顔の端がヒクヒクと痙攣しているのが、自分でも分かる。
「お、おう…」
そして渋々といった風に、彼女はぶっきらぼうな返事した。
懐かしい。
そう思えるほど時間が経っているとは思えないのに、生き別れてしまった親友に再会したような錯覚。
何から言えばいいんだろう。
今まで何をしていたの?という、本音の私が聞きたい事。
どうして喧嘩していたの?という、良き先輩であろうとする私。
二人の私は短い葛藤の後、また小さく深呼吸をして口を開いた。
「私の後輩と喧嘩していたんですってね。理由、聞かせてもらえるかしら?」
そして私は何とか無理して大人ぶった言葉を選んだ。
選んでしまった、と言うべきなのかもしれない。
昔のままだったら、私は多分…溢れる感情を、言葉にすら出来ていなかったかもしれないから。
それが自分の知らない間に佐倉さんを過去の人にしていたような気がして、喜ばしい事とは到底思えなかった。
「ちっ、何が可愛い後輩だ…人の縄張りであいつは、無駄な狩りをしてやがったから、それを指摘してやっただけだってのに」
無駄な狩り、と聞いて、それだけで事の発端とも言えるやり取りの理解が出来た。
私の後輩たち…仲間は、私の理想を受け入れてくれている。
鹿目さんは誰かが傷付くのを見過ごせないし、美樹さんの正義感の強さは、佐倉さんと喧嘩になった時点で推して知るべし。暁美さんは…鹿目さんが戦う相手なら、人間の軍隊でも怯む事は無いでしょう。
だから、私たちにとって使い魔と魔女の違いというのは、純粋に手ごわさの違いになっている。
それに、仲間と力を合わせれば、無駄な力の消耗も無く戦えるから、結果としてグリーフシードの分配も滞りなく出来ていた。
「確かに、人の縄張りに入るのは無作法かもしれないけど…この位置だと、ちょうど風見野と見滝原の境界線くらいだと思うわ。無駄な狩りだったとしたら、放っておけば良かったじゃない」
「卵を産む前のニワトリを絞めたってのにか? グリーフシードは無限じゃないんだから、そういう事をされたら困るってんだよ。あの使い魔がこっちに来たら、立派な妨害さ」
佐倉さんに悪びれた様子なんて無い。きっと、自分のした事を悪いなんて思っていないんだろう。
理解出来ない、とは言わない。仮にも正義を振りかざす私が思っていい事じゃないのは分かってるし…何より、佐倉さんがそう言うから、という非常に個人的な理由だってある。
「境界線にある限り、権利はお互いにあると思わない? だったら、先に戦っていた美樹さんを優先しても…」
それでも、私は正論で反撃する事を止めない。
それは、すでに人の命がどうとか、立派な物じゃなくなっていた。
そうやって大人ぶっていないと、私は…。
「それが結果として自分の首を絞めるって言ってんだよ。あいつ…美樹さやか、だっけ? あいつは未熟だから言うまでも無いし、そんな調子じゃいつかあんただって…」
「…心配してくれるくらいなら」
自分を、抑えられないから。
本当ならリボンじゃなくて、私の腕で抱きとめたくなるくらいの想いが溢れそうだから。
「ずっと、一緒に居てくれていたってよかったじゃない…あなたが居なくなって、私、また一人ぼっちになって…」
涙が止まらなかった。新しく仲間が出来た時に抑えられなかった時に流して以来の涙が、たった一人…佐倉さんへの想いがあっさりと決壊させた。
その一人が佐倉さんだったからこそ、流れてしまった。
「あなた、言ったわよね。あんたにアタシの気持ちが分かるはずが無いって。その言葉、そっくり返してあげる。佐倉さんは私の気持ちなんて分かってなかった。一人ぼっちじゃ無くなってそれだけで幸せだった私に、また孤独の重みを与えた」
「…」
佐倉さんは小さく舌打ちだけして、歯を食いしばってそっぽを向いた。
分かってる。私の言っている事はわがままだし、自分が直接した事でないにせよ、佐倉さんは自分の力で家族を破滅させた。確かに、私とは違う。気持ちを分かってあげられなかったのかもしれない。
でも…分かろうとする時間もくれずに、私を一人にした。それが納得いかなかった。
とっても悲しくて、悔しくて、寂しくて。
とても恋しかった。佐倉さんのくれたものが。
「…ごめんなさい。でも、私はあなたがしている事を、認めるわけにはいかないの。どんな事情があっても、使い魔は人を殺す。私たちは使い魔を倒しても得るものが無い、なんて事は思わない」
私は涙を拭い、ひっくり返りそうになる声を抑えながら、ゆっくりと喋った。
佐倉さんが変わってしまったように、私も変わってしまった。
私の激情に反論する彼女では無く、不本意ながらも聞き続ける彼女になってしまったように。
そして、そんな佐倉さんを見て、落ち着きを取り戻す私になってしまったように―。
私たちは変わった。もう、戻れない。もう、退けない。
この諦めも、あなたがくれた物だというのなら…私は、捨てる事が出来なかった。
あなたからの贈り物なんて、今となってはこれくらいしか残らないのだから。
「それじゃあ、ここでアタシを殺すかい? そうすれば、風見野にも新しい魔法少女が来るだろうよ。そいつがどうするかなんて知らないけどさ、少なくとも使い魔を見逃すアタシは居なくなるぜ?」
「…そうするなら、とっくにしていたわ。行きなさい」
私が拘束を解除すると同時に、変身する隙も与えない速さで佐倉さんが目の前に迫り、槍を多節根に変形させて縛り上げ、今度は私が囚われる番となった。
「相変わらず、甘ちゃんだな」
私を捕らえた佐倉さんは、物騒に笑った。今では少し動きにくい程度の拘束だけど、その気になれば…私のリボンのように、命を奪う事も出来るだろう。
でも、私は分かっていた。彼女を解放すれば、私がこうされる事も。
「私を殺す?」
「…殺すなら、槍で突けば全部終わっていたよ」
そして、彼女が私を殺せない事も。全部、全部―。
「あんたは今、仲間が居るんだろう? 自分が求めたモノが。かつてアタシが与えて、奪ったモノがあるんだろう? それがある相手を殺すなんて、気分がわりぃ」
佐倉さんは私を解放し、槍を元に戻した。先ほどまでお互い命を奪い合える立場にあったのに、そんな事を忘れているように見えるくらい、無用心に背を向けて、ゆっくりと歩き出した。
「…私たちは全員、力を合わせて戦っている。その結果、グリーフシードも不足していないわ。一緒に、来ない?」
その背中に、私も先のやり取りを忘れて、尋ねてみた。
無視される? それともまた甘ちゃんだと罵倒される?
でも、そんな予測しきっていた答えよりも…彼女の見せた顔は、私の胸を締め付けた。
「今さらだよ、そんなの」
顔だけをわずかにこちらに向けて、悲しそうに笑って見せた。
それは初めて出会った時から、今こうして別れるまでに一度も見せなかった、彼女の顔…紛れも無い、本音だった。
それを最後に、佐倉さんは路地裏を小走りに後にした。
もう戻って来ない。もう、戻れない。
追いかけない私。きっとそれは、自己防衛なんだと思った。諦める事で、無駄な希望を抱かずに済む。今居る仲間を大切にする事で忘れられれば、それでいいと思っていた。
そう、私はこの時、大きな勘違いをしていた。
希望を忘れた魔法少女が、魔法少女でないように。
希望を忘れなかった魔法少女こそ、望んだ結末を迎えられる事を。
後日、家に来た鹿目さんと美樹さんに、その話し合いの結果を簡単に説明した。
もちろん、私と佐倉さんとの関係は省いておいた。その時の私は、佐倉さんの話題を持ち出すことで、今の仲間との関係に支障をきたしたく無かった。
「むきー! なんて自分勝手な奴! 優しいマミさんが見逃してあげたって言うのに、それでも反省してないなんて!」
上手くぼかせたつもりだったけど、美樹さんはそれを聞いて憤慨した。まあ、彼女がそう簡単に納得するとは思ってなかったけど…。
「さ、さやかちゃん、もう喧嘩はしちゃダメだよ?」
鹿目さんは怒りが収まらない美樹さんをなだめつつも、私の解決に安心を隠せないようだった。消極的ではあるものの、美樹さんのように血気盛んでは無いので、私としては助かった。
「それでも、向こうからちょっかいを出す事は無いはずよ。美樹さん、あなたも反省しないと。境界線にはしばらく近付くのは禁止ね」
「いや、反省はしてますけど…でも、またそこに使い魔が出たら、マミさんは放っておくんですか?」
今回の件は美樹さんに多少なりとも落ち着きをもたらしてくれると思っていたけど、どうやら彼女はまだまだ自分が納得出来ない事を上手くやりきれないようで、感情的ではないにせよ、不服を隠そうとせずに尋ねてきた。困った子ね。
「そうは言ってないわ。ただ、あなたが行くとまた諍いを起こすでしょう? 次にあそこに現れるようなら、私が対処するわ。大丈夫よ、私を信じて」
「そりゃ、マミさんに任せておけば大丈夫なのは分かりますけど…」
美樹さんはどうしても納得できず、しきりに「うーん」と唸り続けていた。
『マミさん、このままだとさやかちゃん、またあの子と喧嘩しそうです…』
『ええ、そうね…どうしたものかしら』
鹿目さんが苦笑いを浮かべつつ、私にだけ絞って思念を送ってくる。
美樹さんは自分が決めた事はどんな事があっても最後までやり遂げようとする。それは、私も素直に認めている。
でも、それで満足のいく最後に辿り着くか否かは、怪しいところだ。むしろ彼女ほど純粋なら、判断を誤っても修正が効かなくなり、より悪い結果を生み出す事もありそうで、不安だった。
「マミさん、アタシにもう一度だけ、チャンスをくれませんか?」
「というと?」
美樹さんはしばらく考え込んだ後、意を決したように私に向かい合った。
そこには強い意志があり、どこか佐倉さんに対して諦めを抱いている私とは正反対だった。
「あたし、もう一度あいつに会って話をしてみたいんです。いや、喧嘩じゃなくてですね…確かに人の命を軽く見てるのは許せないんだけど、あの時はあたしも感情的すぎたというか…それに戦いの最中だって、あたしはあんまり余裕なかったんだけど、あいつは余裕そうだったし…もしかしたら、話すくらいは出来たかもしれないって」
正直、私は美樹さんの変わりように驚いてしまっていた。
むしろ悪いのだけれど、感情的でなく話し合いをする美樹さんの方が、想像に苦しかった。
「マミさんだって、あいつと話し合いであの場を収めたんですよね? 憧れの先輩がそうしてくれたんだから、あたしとしてもこのまま終わるのは悔しいって…」
そんな立派なものじゃないのだけれど…それでも美樹さんは私が出した結果を認めてくれていて、それに倣いたいという素直な気持ちが伝わってきた。
私は思わず苦笑した。むしろ、私の方が過去を持ち出したりして、それで佐倉さんを困らせたような気がした。
思えば…私の一方的な感情を、あの時の彼女は黙って受け止めてくれていた。もしかしたら、と有り得ない未来を思い浮かべる。
「…分かったわ。でも、次で最後よ?」
でも、もうそれは遅い。
私は…佐倉さんに拒絶されてしまった。
怒るでもなく馬鹿にするでもなく、佐倉さんはただ悲しそうに笑っていた。
それはあの時…昔佐倉さんと決別した時と同じ、どうしようもないくらいに深い諦めの念を、私に植え付けた。
私はもう、彼女を説得出来ない。そんな顔、見たくない。そのくせ、戻ってくるとしたら…その時は、きっと喜ぶのだろう。
説得を諦め、傷付くのを恐れる私。
そんな私のところに、戻ってきてくれるはずなんて無いんだ―。
「よっしゃあ! このさやかちゃんに任せて下さいよ! あたしがあの不良魔法少女を、更生させてやりますからね!」
意気込む美樹さんには、私の諦めなんて微塵も伝わっていない。
でも、それがきっと彼女のいいところなんだろうな。
「ただし、鹿目さんも一緒に行く事。いい? この前は仕方ないとは思ったけど…今度は美樹さんが危ないと思ったら、ちゃんと変身するのよ?」
「あ、はい…すみませんでした…」
鹿目さんはこの前見ているだけだった自分を恥じて、顔を赤らめて俯く。
私はその素直さに顔を緩めた。絵に描いたようないい子だ。
「あなたが変身しないと、美樹さんの暴走を誰が止めるの? 次に喧嘩になったら、すぐに二人ともまとめて撃っていいから」
「…あのー、マミさん…? それ、冗談ですよねー?」
「あら、こんな時に冗談なんて趣味が悪い事、しないわ。ね、鹿目さん?」
「は、はいっ! ちゃんと私、二人の急所を外せるように練習しときます!」
「ちょ、待てこらー! あたしが失敗して喧嘩になる前提で話すな!」
その一言を契機に、全員が空気を軽くする為に笑い出した。私たちはいつも真剣だ。戦いは命のやり取りだって伴っている。だからこそ、笑う時は心の底から、楽しく笑える。
そう、私は諦めてしまったけど…それでみんなが居るとしたら、きっと間違ってなかったんだと、この時は思っていた。何かを犠牲にして今の幸せがあるんだと、文字通り『諦めて』いた。
その時は唐突にやってきた。
数日後、時刻は深夜。私は当然の如く夢の世界に旅立っていたら、突如として幸せな世界は崩落した。
『マミさんっ、夜遅くにすみません!』
頭に直接響いてきたのは、美樹さんの興奮した声。
慌てて起きて枕もとの携帯を確認すれば、着信も無い。インターホンも鳴った形跡が無い。
『…どうしたの?』
急に起こされた事に私はほんの少し不機嫌な思念を送りつつ、寝間着のままベッドから立ち上がった。
『ちょっと、玄関開けてもらえますか? どうしても会いたいんです!』
美樹さんの言葉に一体何があったのか判然としないものの「会いたいと言われたら無下にできないわよね」などと、無駄に先輩ぶる私が居た。
玄関の電灯を点け、チェーンを外して半分程度ドアを開くと、私は美樹さんの格好に少し驚いた。
「な、なにその格好? 何があったの?」
そう、いつも着ている見滝原中学の制服が、ところどころが泥にまみれ、破けていた。まるでそれは、喧嘩の後のように―。
「へへへ…ほら、さっさと来なさい!」
美樹さんはまだドアで隠れている部分ににやにやいながら声をかけると「う、うっせーな! 今行くからちょっと待てって!」と、忘れもしない声が、ぶっきらぼうな言葉遣いで、返事をした。
「あーもう、遅い! ちょっとすみません!」
そう言って美樹さんはドアを全部開いた。
すると、そこには。
「…よお」
あの時と同じような素っ気無い挨拶と共に。
佐倉さんが、立っていた。
「あ、あなた…どうして?」
あの時と違うとすれば、佐倉さんの服装…グリーンのパーカーに短パンが、美樹さんの制服と同じように、所々汚れて破損している事だった。
非常にばつが悪そうな顔をしていたのに、瞳は全然違っていた。
暗く沈んだ自分ばかりを見つめていた、あの時の目とは違う。
隣に立つ美樹さんのように、活き活きとした光が、確かに宿っていた。
それからしばらく私と佐倉さんは無言で目を合わせたり逸らしたりを繰り返して、やがて美樹さんが「じれったいなぁ」と佐倉さんの後頭部を掴んで、無理矢理下げさせた。
「今日からこの佐倉杏子は、さやかちゃんの指導の下にみんなと戦う事を誓います!」
「…え?」
してやったりと美樹さんは笑いながら一気に喋り「か、勝手に言ってんじゃねーよ!」と佐倉さんは憤慨しながら手を振り解いて美樹さんに食ってかかった。
…わけがわからなかった。
突然であり、ほんの少し前に私が諦めた事…もう会うことすら叶わないと思っていたのに、目の前に居て…一緒に戦う?
「いやぁ、マミさんに一つ謝らないといけない事が…」
「な、何かしら?」
「えっとぉ…喧嘩するなって言われたんですけど、ちょっと色々あって…あ、でも! 魔法少女には変身してませんから! ちゃんと人間のまま、なんていうか…健全にしたっていうか…」
「健全な喧嘩ってなんだよ…くそっ、服の替えあんまり無いのに、ボロボロにしやがって…」
一目見て分かる事を美樹さんは謝罪し、そしてそれに対して愚痴をこぼす佐倉さん。
…本当に、佐倉さん?
「あー、確かに言われてみるとちょっとあんた、臭うよー。それ何日目?」
「そういう意味で言ったんじゃねーよ! テメー、弁償しやがれ! 一番高い服よこせ!」
「あんたなんかシモムラの処分品で十分だっての! どうせ可愛い服似合わない癖に!」
「はっ、お前が可愛い服持ってないからだろ! 人の事言えるかよ!」
「くぅー、黙って聞いてれば…また続きやる気!?」
「上等だ! 次こそ泣かせてやる!」
まるで兄弟のような喧嘩…殺し合いとは程遠い、それこそ、昔からの付き合いの人間同士のような口論の末、お互い掴み合おうとしたのを、私は辛うじて止めた。
「ええっと、その…結局、何がどうしてこうなったの?」
「こいつが悪いんです!」
「こいつが悪いんだ!」
お互いを指さし合い、同時にほぼ全く同じ意味の言葉が上がった。
そして再び沈黙。わずかな間の後
「「あっははは!」」
二人とも、お腹を抱えて笑い出した。とても可笑しそうに。さっきまで掴み合いの喧嘩をしそうだったというのに。
とても自然で、取り繕ったところも何も無い雰囲気に私も
「ふっ、あはは」
思わず、笑いを漏らしてしまっていた。
佐倉さんが戻ってきた。
それは、分かった。彼女に拒絶の雰囲気なんて、すでにどこにも無いのだから。
だというのに私は、嬉しくて抱きつく事も、泣く事も出来ずに。
ただ、笑いの発作に身を任せてしまっていた。すでに真夜中なのに、近所迷惑になる事も理解していながら。
「っふふ、それで、結局どうして佐倉さんも一緒に戦ってくれる事になったの?」
笑いすぎで涙が瞳の端から零れたところで、ようやく一息ついた私は佐倉さんに尋ねた。すると佐倉さんは急に言いよどんで、頬を掻きながら視線を泳がせた。
「あー…えっと、それはだな…」
「さやかちゃんの愛と勇気が勝つストーリーだからですよマミさん!」
美樹さんは佐倉さんの首に腕を回し、自分の顔に近付けるように抱き寄せた。突然の事に佐倉さんは顔を赤くして、反論を忘れてしまっているようだった。
「あるところに一人でいじけて戦っていた不良娘が居て、そんな子を正義の美少女さやかちゃんが説得、でも言ってダメだったので川原での殴り合いの結果、泣きながら不良娘が『アタシ、本当は寂しかったんだよぉ!』と抱きついてきた、というのが話の大まかな流れでして」
「ちょっとまてコラ! 随分事実と違うじゃねえか! アタシはどうしてもあんたが来いって言うから…」
「それでホイホイついて来たんだから、似たようなもんじゃん! 覚悟しなさいよ、これからあんたを更生させる為にガンガンしごいてやるんだから! 泣いたり笑ったり出来なくしてやるかんね!」
「へっ、魔法少女の時に散々ボコられた癖によく言うじゃん! アンタこそ、そんじょそこらの魔女に負けないように、魔法少女辞めたくなるくらいにきつく鍛えてやるから覚悟しな!」
その後も似たようなやり取りをしては喧嘩になる二人を止める、というやり取りがしばらく続いた時点で、美樹さんがよろめいた。
私が支えようとするより早く、佐倉さんは喧嘩相手を見る目とは思えないくらい、心配そうな顔をして抱きとめた。
「お、おい、大丈夫か?」
「あー…ごめん、正直疲れた…マミさん、悪いんですけど…今日、あたしらを泊めてもらえませんか? あ、大丈夫です。こいつはあたしが見張ってるんで」
「何もしないって…」と反論する佐倉さんの腕に美樹さんは安心して身を預けているのが分かり、私はそこでようやく…複雑な気持ちにさせられた。
佐倉さん、私にそうしてくれた事なんて、無かったわよね…。
私が先輩だったし、美樹さんに嫉妬なんてお門違いにも程があるのは、分かってる。
でも、私が佐倉さんを想っていた期間なんてまるで無意味だったかのように…二人には、わずかな時間で強い絆が出来ているように見えた。
まるで、惹かれ合うのが当然のような、強い運命を感じずにはいられない。
「ええ、もちろん大丈夫よ。今お風呂の準備するから、上がって休んでて」
でも、それでいいのだと思う。
私が求めていた結果に限りなく近く、それでいて遠い…それが今の私にとって、一番相応しいのだから。
あなたを求めていながら、手を伸ばす事を諦めた私。
そんな私の側に居てくれるのだから、十分すぎるくらい幸せだと思った。
佐倉さんの言葉を聞くまでは。
『マミ』
美樹さんが玄関に上がり、リビングに消えたところで、佐倉さんが私にだけ思念を送ってきた。彼女はリビングに向かう足を止めており、私はその背中だけしか見えない。
『…悪かった。それと、』
でも、一瞬だけ…前に別れた時と同じように、わずかに横を向いて、顔を見せてくれた。でも、同じなのは格好だけ。
その顔には、とても嬉しそうな、笑みが浮かんでいた。
美樹さんに向けていたのと同じ、きっと彼女が大切な人にしか向けない顔で。
『これからも、よろしく』
そう言って、彼女もリビングに消えていった。
彼女は分かっていない。
私がどれだけわがままなのかを。どれだけ、あなたの事を想っていたのかを。
その一言は、私に昔の感情を抱かせるのに、十分すぎる一言だった―。
§
あれ以来、マミは杏子との昔の話を誰にもしていない。杏子も、また同じだ。する必要が無かったし、意識している風にも見えなかった。
杏子は、だが。
「…今でも私は、どう言えばいいのか、分からなくなるの。この子は私にとって、どういう存在なんだろうって」
マミにとって、杏子は…仲間であり、友達であり、後輩であり、そして
「マミさん、もしかして…こいつの事…」
さやかはその先の言葉を言えなかった。聞きたい以上に、言いようのない不安が募る。さやか自身、それがどういった類のものか、はっきりとは分かっていない。
だが、一番近い感情なら、抱いた事がある。
それは多分、本来杏子に対して抱くべきでは無い感情であり、向けるべき相手は分かっている。自分の勘違いだと、頭ではそう思うようにしている。
それでも、マミを見ていたら、逆の答えが心の片隅で存在を訴えるのだ。
「だから、仲良くしてあげてね。あなたは一時の正義感がそうさせたのかもしれないけど…佐倉さんは、そんなあなたの全部を受け止めて、前に進んだのだから」
「…そうですね。あたし、よく考えればこいつの人生に影響を与えちゃったんですよね」
本当に出会った時は、間違いを犯しているこの少女を何とか更生させたい思いでさやかはぶつかっていった。
それから杏子は随分と変わり、性格の棘は徐々に丸くなり、さやかは更生させるという当初の名目を忘れ、それこそ古くからの友人のように、時には笑い、時には泣き…苦楽を共にしてきた。
さやかはいい加減な気持ちこそ無かったものの、杏子という重みを忘れかけていた。
「それを重圧に感じてはダメよ。佐倉さんは、こう見えてそういう感情に敏感だから…今まで通りに一緒に居てあげて、この子の事をずっと忘れないであげてくれれば、きっと…」
そんなさやかの思考を読んだかのように、マミはまた自分にも言い聞かせるように、一言一言を噛み締めるように口にした。
「あたし、杏子の事を忘れるなんて絶対にありません。こいつがいつか大人になって、立派に社会復帰をするまで…それまでは、あたしの責任なんですから」
「頼もしいわね」
胸を張って答えるさやかにマミは微笑みつつ、先ほどの手を、今度は前髪に触れさせた。
―随分と伸びたわね…今度、切ってあげないと。
「…あぁ? あれ? どうしたんだ、二人とも?」
杏子は眠たそうな目を擦りながら、それでも体を起こそうとせずに、自分を見つめる二つの顔を見比べた。
「ふふっ、ちょうど今あなたの話をしていたところなの。美樹さんがあなたを責任をもって養ってくれるそうよ」
「ま、マミさん!?」
珍しい先輩の冗談に、さやかは顔を真っ赤にしてうろたえた。しかしまだ夢見心地だった杏子は、それに笑った。
「おおー、そうか…アタシ好き嫌いないから、メシは三食ちゃんと食わせてくれるなら何でもいいぞぉー…」
「だ・れ・が! あんたみたいな野良犬を養いますか! とっとと起きろこのポニテ犬が!」
「あいたぁー!?」
さやかは杏子の頭を持ち上げ膝を引き、そのまま手を離した。当然体勢の都合上、杏子の頭はカーペットが敷かれた床に落ち、ごつん、と音を立てた。涙目になりながら頭を擦り、さやかに食って掛かる。
「いきなりなにしやがんだ!」
「うるさいうるさーい! あんたのせいで勉強全然進まないじゃないの! あたしが落ちこぼれたらあんたのせいなんだから、あんたがあたしを養いなさいよ!」
「ふざけんな、お前の成績はお前のせいだろうが! バカさやか! べりーべりーふーりっしゅ!」
「はいはい、それなら大人しく勉強しましょうね」
こうして普段静かなマンションの一室は、夜中まで賑やかな様相を呈していた。
説明 | ||
サニーデイライフとフェアウェルストーリーを何とか繋げた話を書きたい、と思って書いてみたらサニーデイっぽさが犠牲になったような…でも後悔は無い! というわけでフェアウェルでは別々に歩むことになった二人が再会して再び一緒に居るとしたらこうなる、と色々想像して書いてみました。マミあんさやはもっと開拓されてもいいと思うんだ…。 |
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