ミラーズ |
エホバの鏡というものがあるらしい。それを彼に教えてもらった時は、そんな過去やらパラレルワールドに飛べるならさぞかし便利だろうなと思うだけだった。
後になって、それさえあればメフィストに会えるという事実に気づいて、それ以来、彼がやって来るのが楽しみだった。
「それ、新商品?」
座っていた椅子の背もたれに手を乗せる。前かがみになってチョコレートを手渡せば、彼は見たことがないらしい。不思議そうな顔をされた。
時間軸としては彼の方がずっと進んだ未来であることを考えれば、そのうちこの商品は無くなってしまうものなのかもしれない。
一つ頷いて意思表示。
深夜の自分の部屋は、彼が来るだけで特別な気がした。彼の手にある奇抜というか、センスが全く理解できない謎の杖も含めて、この場は特殊な空間だった。
杖といえば、メフィストも持ってたな。
あれはわりとシンプルな作りで、ファンタジーの本ではよく見かけるものだ。
床に座って袋を破る彼の横には、その杖と鏡がある。
会うたびに何か色々と策を練ってはいるもののなんだかんだとうまくいかない。意外とシンプルな方法で奪う方がいいのかもしれないなと思った。
「また喧嘩してきたの?」
持ってきたジュースを飲みながら言えば、チョコレートを齧ったまま彼は視線を逸らす。
図星だ。図星。
「今度はどっち?」
呆れが混じったため息が漏れる。
彼が喧嘩をする相手はダニエルかメフィストしかいない。
後者は彼の一方的な不貞腐れであって、喧嘩というのは正確ではないのかもしれない。
「喧嘩したわけじゃないんだけどね」
カールした前髪を軽く整えて、彼は再びチョコレートを齧った。
つい先程まで自分も前髪を引っ張っていたことを思い出して、変なとこばっかり似ているのだなと思う。
「それじゃ、なんで? 世界に愛想を尽かしたの?」
それなら僕と世界を取り替えようよ。
直前で言葉を飲み込む。
見上げた彼はコップを口に運んだ。一口だけ嚥下する。
「わりと絶望的かもしれないけど、あの世界のこと、そこまで嫌いじゃないよ」
「そういうところ、強いと思うよ」
つい身を乗り出してしまったのに気づいて、腰を戻す。
「強ければメフィストがいなくてもやれるんだろうけどね」
「頼るのは嫌なの?」
「嫌だよ」
即答だった。
わかっちゃいないなと思ったけど、口には出さない。
そういう彼の真剣な眼光には一切揺らぎなんてなかった。
でも、頼らないのなら、メフィストなんて必要ないんじゃないの?
「そういう契約で一緒には居るけれど、僕だって前の僕とは違うんだ」
杖を握り締めた手に力が籠るのを眺めて、背もたれに頬杖をついた。
こういうのを自立心というのだろうか。それなら、僕がメフィストに抱く感情は依存心か。
それは一見すれば悪いものだと言われるのかもしれない。ただ、自分が賢いだけの無力な子どもだということも痛いぐらいに理解しているのだ。
ああ、本当。
それならさあと、言いかけてしまう口を塞ぐように手で隠した。
「まあ、単純に面倒だっていうのもあるんだけどね。毎回、頼み事をする度に嫌な顔をされるのはさすがに傷つくし」
「ましてやあの顔だしね」
「そうなんだよ。真顔なのか不機嫌なのかたまによくわからなくなるしさ。そもそもダニエルと絶対仲良くしてくれないし、笛が無かったら急に居なくなるし、戻る時に毎回もう呼ぶなとか釘を刺してくるし」
うんうんと適当に頷きながら、メフィストは相変わらずなのだなと思う。
どこに行っても変わらないし、金や食べ物(特にチョコレート)や女性以外に興味はないのだろう。ましてや、面倒なことに巻き込む子どもなんて尚更だ。
だから、笛が必要だ。
本当はそれだけあれば十分なのだろうが、彼はそれを持っている様子がなかった。
恐らくダニエルに預けてきたのだろう。面倒なことをする。
「そういえば、気になってたんだけど」
放っておいたらどこまでも話を続けそうな彼に対して、一呼吸の合間、言葉を滑り込ませた。
「エホバの鏡、ちょっと見せてよ」
彼は横に置いたエホバの鏡に目を向けた。
「いいよ」
意外とあっさりと渡されて驚きはしたものの素直に受け取れば、端を掴んだ彼の丸い目がじっとこちらを見ていた。
「前にメフィストに会える方法を聞いたよね」
「急にどうしたの?」
一瞬、考えていたことを読まれたかと思った。
「ううん。ただ」
そこで違和感に気づいた。いつのまにか視線がずれている。
この方向は肩越しだ。まさかと思って振り返る。そこには何もない。
肩すかしをくらったところで、手元が軽くなっていることに気づいた。
「気づいていないんだなと思って」
いつの間にか、エホバの鏡を手にした彼に距離を置かれていた。
「どういう、こと?」
「魔法陣も呪文も正しい。そして、呼べば来るのがメフィストなんだ」
エホバの鏡が光る。彼が元の世界に帰る合図だと気づいて、慌てて立ち上がった。
「待ってよ!」
「またね」
意味ありげな視線だけを向けて、何も残さず彼は消えてしまう。
ああ、もう。
また何もできなかった。地団太を踏んで、頭を掻き毟った。
よりにもよって、今日は謎の言葉を残されてしまった。よけいに性質が悪い。
「嫌いだよ。本当」
それもまた自分自身であるのだと知りつつも、そんな言葉が漏れる。
「ただの嫉妬だよ。わかってるんだ」
泣けない以上、歯がゆさは唇を噛みしめるぐらいでしか表現できない。
ひんやりとした風に髪を撫でられた。
それで慰めたつもりなのかと自然に対して腹が立って、我に返る。
部屋の窓は閉めたままのはずである。
「メフィスト!」
部屋をぐるりと見回す。姿どころか気配すらない。
「なにそれ、意味がわからないよ! 居るならどうして出て来てくれないんだ!」
何度だって呼んだ。今だってずっと呼んでいる。
「わかってるくせに! 見えているんだろ!」
こんなに叫んだら両親や妹が部屋に来るかもしれないと知りつつも言葉が止まらない。
「嫌いだ! 大嫌いだ!」
この世界の方が消えてなくなってしまえばいい!
声は喉の奥から放たれるはずなのに音にならなかった。
「それだけは言うな」
久々でもわかる声に幻覚を疑った。
それでも唇を押さえる白い手袋の感触も甘い匂いも確かにある。
「じゃりガキが」
吐き捨てる言葉以上に眉を潜めたその表情を真正面から眺めながら、不思議と感じたのは高揚感だった。
「いい加減、諦めろ」
睨まれる視線に僅かに浮かぶ殺気を受けて、笑みを浮かべたくて仕方がない。
さっきまで抱いた苛々も歯がゆさも、どこかに飛んで行ってしまったらしい。
手がようやく離れた。乱れていた呼吸を整えるように深呼吸。
「嫌だよ」
悪魔は何も答えない。
「手に入れるまでやめない」
ふんと鼻を鳴らしたメフィストがマントの端を掴んで広げた。
「勝手にやってろ」
そのまま消えてしまう姿を見送った。
何も無くなったいつも通りの部屋を前に、何もできなかったと悔みはしない。
どうせ、追い縋っても聞いてはもらえないのだ。
捕まえるしかない。縛りつけるしかない。
「勝手にやるよ」
これで十分だ。
「あー楽しい」
ただの独り言だよと心の中で笑った。
説明 | ||
いつもとちょっと違った山田くんになったのでこちらに。性格が悪い彼も結構好きです。当初はメフィストとの惚気話を聞かされたら険悪になりそうというものだったのですが、どうしてこうなったのか謎。 | ||
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