RUSTRAD −地縛霊夜を往く−
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博一は玄関でスニーカーを履くと、花模様のレインラックから深緑色の傘を引き抜いた。

「んじゃ、行ってきまーす」

 傘をコツコツと鳴らしながらマンションを下り、重いガラス戸を押して外に出る。逢魔時の空には、橙色に輝く雲が羊の背のように積み込まれていた。

観光客向けの市場が多い石蛙台の町は、この時間になると客寄せの掛け声も息を潜める。昼間の騒がしさを忘れたような静寂の中で耳を澄ませば、飴屋がまな板を叩く音が響いてくる。

トントントン――トコトントコトコ――。

飴を切るリズムに合わせ、寂しげに背を丸めて町を歩く。和哉はこの町の、こういう虚無的な雰囲気が好きだった。

やがて小道を外れ、広い公園の前に出た。公園の外周に沿って進めば、二分足らずで彼の勤めるコンビニの明かりが見えてくる。

傘を置いて自動ドアの前に立つ。ガラス越しのカウンターでは、本田店長がOLらしき女性を相手にレジを打っていた。

開いたドアを抜けようと、一歩足を踏み出した。

その時、

「――うおッ!」

 背中を突き飛ばされ、危うくドアの敷居につまずきかけた。店長とOLさんは、その光景にギョッとしてこちらを見た。

「あ、あはは、驚かせてすみませんです……」

 二人へ苦笑ぎみに謝り、背後にいた小柄な少女を睨む。肩口の出た白いワンピースを着た彼女は、それを見てケラケラと笑っていた。

 雨が降っているわけでもないのに、やたら大きな傘を差す少女。その傘は臙脂色の縁を黒く塗った、まるで京の町を闊歩する芸者の持つ番傘に似ていた。だが、その持ち主は千紫万紅の着物に身を包んでいるわけでも、高貴な化粧を施されているわけでもない。

着ている物は薄い質素なワンピース。その肩口から伸びる貧相な両腕は、白百合を思わせるほどに華奢で頼りない。たとえ助走を付けたとしても、大の男をよろめかせるような腕力があるとはとても思えなかった。

少女は傘を畳むと、セミロングの黒髪をかき上げて雑誌コーナーに向かった。

「――あ、ありがとうございます」

 店長がそう告げると、OLさんはハッとして商品を受け取り、和哉に奇異の眼差しを向ける。

「ど、どうも」

 なるべく愛想が良いように微笑んだつもりだったが、OLさんの目には別の印象で映ったらしく、怯えた様子でそそくさと店を出て行ってしまった。

「博一くん。今、何かに背中押されなかった?」

 店長はメガネをかけ直し、閉じた自動ドアを見つめながらそう言った。

「え? あ、いや、そんなことないッスよ! ちょっとコケそうになっただけなんで、はは」

 とぼけながら、カウンターを抜けてバックルームに入る。

(やれやれ格好悪ぃな……。ったく、レギュ子の奴め)

 あの少女は、俗に言う幽霊だ。

あの時店長とOLさんが驚いていたのはその為だろう。二人からは、見えない何者かに突き飛ばされていた≠謔、に見えたに違いない。

彼がこのコンビニでアルバイトをする以前から、彼女はこの店に居座っていた。しかし博一によって未練を解決されて以来、なぜか彼のもとを憑いて回っている。レギュ子≠ニは、和哉が彼女のことを日記に書く際に使うあだ名だ。あげあげクン(このコンビニでもっとも売れているファストフードシリーズ)のレギュラー味しか食べないことに由来して命名された。

博一はストライプ柄の制服に着替え、カウンターに戻った。今のところ、マンガを立ち読みしているレギュ子を除いてお客はいない。

目の前の石蛙台公園に目を向けると、早くも宵闇の陰りに覆い隠されつつあった。申し訳程度に配置された周辺の街頭が、日没に応じて灯り始める。

広大な敷地を点々と照らし出す様は、やがて闇の中に蠢く異形を露にするのではないか≠ニいう想像を掻き立てる魅力がある。その光景は、ただ夜の帳を眺めるより一層不気味に感じてしまうものだ。夜の公園は、やはり何度見ても苦手だ。

「さて、と。清掃やっちゃいますか?」

 気を紛らわせるためにも、さっさと仕事に入ろう。お客もいないし、FF(ファストフード)もけっこう残っている。掃除を済ませたら前陳やった方がいいかな。

「そうね。あ、トイレはさっきやっておいたから、床バフ(バフィング)お願い」

「了解っす」

 この辺りは平日の夕方になると、極端に人通りが途絶えてしまうので来客も少なくなる。その合間に清掃や品出しを済ませるのが、いつものパターンだ。

 バフマシーンで床を磨き終え、前陳のついでに品出しも片付けていると、

「そういえば博一くん、万引きの話って聞いてる?」

 FFを揚げ直していた店長は、カウンターから言葉を投げかけた。

「いえ……ウチがやられたんですか?」

 思わず、背後でファッション雑誌をめくっている少女霊に目を向ける。

(つーか、幽霊が服の流行気にしてどうする……買えとか言い出さないだろうな?)

 こちらに向き直ったレギュ子は、博一に向けて雑誌を広げた。好奇心の強そうな瞳を輝かせて指で示す記事には、春のジーンズ特集! 今年はダメージ系で肉食アピール!≠ニいうキャッチフレーズの広告が、見開き二ページに渡って強調されていた。その下には、何種類ものジーパンに合わせたコーディネートが紹介されている。

(いやいや、お前はどう見ても肉食系じゃねぇだろ)

「そういうわけじゃ……博一くん聞いてる? どしたの怖い顔して」

「あっ! いえっ、向こうに虫っぽいのがいた気がして、気になっちゃって。ああ、続けてください」

「? まぁ、とにかくウチが被害に遭ったわけじゃないんだけど、北口側のコンビニが何件かやられたらしいの。警察から、私服警官を増員しますって告知が来ちゃったのよ」

 この町は石蛙台駅を挟んで、南口側と北口側に分かれている。南口側は、主に住宅街や寺社仏閣で構成されているのに対し、北口側はオフィス物件や証券会社などが多い都市部になっている。博一のいるコンビニは南口側だ。

「そうなんスか。でも、万引きで随分と大袈裟な気もしますね。それ」

 店長も同感らしく、肩をすくめてみせる。

「一軒一軒盗られた被害は大した値段じゃないみたいだけど、やられた範囲と件数が凄いらしいよ。

もし愉快犯だったら、調子付いて強盗にまで発展したら困るってことでしょ」

「なるほど――よいしょっと」

 空になったカゴを抱え、カウンターに戻る。

 フライヤーで油が弾ける音が止み、よし。と言って店長は、

「そういうことだから、万引きには注意してね。見つけたら、あんまり深入りしないでマニュアル通りに対応して頂戴」

 マニュアルなんてもらった覚えはないが、まぁ、常識の範囲内で対応すればいいってことだろう。

「はい、分かりました。見つけたら、ちゃんと外で声をかけるようにします。確か、店から出ない限りは未成立なんですよね」

 バックに引っ込もうとしていた店長が、呆れ顔で振り返った。

「あのねぇ、見つけても声かけなくていいから。ウチは保険も入ってるし、下手に怪我される方がこっちの負担にもなるの。わかってる?」

 ビシッと人差し指を眉間に突きつけられ、

「は、はい……」

と、煮え切らない返事を返す博一。

「……なんか納得してなさそうねぇ。

まったく。男の子だし血の気が多いのも結構だけど、そういうのは他人に迷惑かけた時点で見苦しいだけなのよ? はいコレ」

博一の手からカゴを取り上げ、持っていたビニール袋を差し出した。

「それあげるから、一応胆に命じておきなさいね」

 

     ◇

 

 その日は夜中の十一時に上がり、夜勤の樋山先輩に後を任せて帰宅した。

「さーて、日記書いて寝るか」

 自宅に戻った博一は、風呂を済ませて勉強机に向かっていた。

 マンガやゲームの攻略本ばかり押し込められた本棚から、黒い革表紙の三年日記帳を取り出す。金文字でささやかに装飾されたA5サイズの分厚い本には、すでに半年分の回顧録が記されていた。

 本を開いてシャーペンをコチコチ鳴らしていると、背後のベッドから「ポスッ」と何かが落ちる音がする。

「うわッ! ――なんだお前か。脅かすなよ。あと、何回も言ったけど部屋で傘差すな」

盛大に乱されたベッドの上には、アヒル座りでこちらを見るレギュ子の姿があった。肩に乗せてクルクル回していた傘を閉じると、ベッドから降りて博一のもとへやって来る。

「ああ、はいはいパソコンね」

博一は、机の横に置いてあるデスクトップを起動させた。メモ帳を開いてやり、キーボードを手渡す。レギュ子はそれを床に置くとその場にぺたんと座り、右手の人差し指を使って丁寧にローマ字を打ち込んでゆく。

 

『からあげ』

 

 たった一言。時間をかけたわりには簡素な名詞が画面に現れた。

「店長がくれたやつか。あれは今冷蔵庫だよ」

 そう言うと、再びレギュ子はキーボードをポチポチ操作する。

 

『あっためろ』

 

 相変わらず簡潔な言葉だが、今度のはちょっとした強制が含まれていた。

「……嫌だよ、これから寝る部屋に揚げ物の臭いを充満させる気か」

 少し考えて、次の言葉を打ち込む。

 

『おそとでたべうr』

 

 駄々をこね始めた。

「RとUが逆だぞ。

 それに、今からレンジ使ったら絶対怒られちまう。だから今夜はもうダメ。明日の朝にしてくれって」

 むぅ。と頬を膨れさせるレギュ子。乱暴にキーボードを数回打つと、立ち上がって博一の死角に回り込んだ。

「お、おい?」

 イスを回転させて振り返ると、そこにレギュ子の姿はなかった。いつも通り、やって来るのも立ち去るのも唐突だ。神出鬼没。時折忘れてしまうが、幽霊とはそういう物なのだろう。

「ったく、お子様め……」

 メモ帳の最後には、

 

『このばかちんがぁ』

 

 と、捨て台詞が残されていた。

 なんでこういう言葉だけはすぐに打てるんだよ、間違えねぇし……。ていうか何故に金八先生?

 腑に落ちない心持ちを脇に置いて、博一はようやく日記を書き始めた。

 

 日誌 夢二博一 記

 

・二〇一一年、二月一〇日(木)晴

 

 近所のコンビニで万引きが増えていると本田店長が言っていた。ウチは今のところ被害は出ていないが、警察の方から私服警官を回すという告知が来たらしい。

 まぁ、今のところ被害は北口方面だけに集中しているようだ。わざわざ駅をまたいでくる犯人などいないだろうから、無闇に警戒することもないだろう。一定の地域を狙う意図があるのか、それとも手近なカモから手をつけているだけなのか。どちらにしろ、こういう手合いは割りと早めにワッパをかけられるもんだ。

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      ◇

 

 その翌日。博一は昼間の勤務でコンビニにいた。夜間は閑古鳥の鳴くこの店だが、流石に公園の前ということもあり、日の出ている時間帯は人の出入りが多くなる。

「ありがとうございます。またお越しください」

 二人の園児を連れたお母さんに、お菓子の入った袋を渡した。

「ママ、早くっ」

はしゃぐ子供に手を引かれ、親子は人で賑わう公園に歩いていった。

「いいよねー、ああいう所帯持ちってさぁ」

 前陳から戻ってきた本田店長が、溜息交じりに呟く。

「店長、子供好きなんですか?」

「まぁ、それもあるけどねぇ」

 含みのある店長の言葉に、バックルームからバインダーを持って出てきた樋山先輩が反応した。

「本田さんだったら、結婚できればいいお母さんになれると思いま――ぐふッ」

 メガネを押さえつつ放たれた鋭い裏拳は、先輩の水月に見事な角度で吸い込まれた。

「ありがとう樋山くん。でも一言余計よ」

「す、すみま、せん……。

 ごほっ そろそろCDC(お弁当やおにぎりの配送)来ると思うんで、検品手伝ってください」

 言うが早いか、店の前の駐車場に一台のトラックが滑り込んできた。荷台の側面には、ローソンのロゴマークが描かれている。

「あら、タイミングぴったりね。それじゃ博一くん、私達が戻るまでレジお願い」

「あ、でも力仕事だったら、店長より俺の方が適任じゃないですか?」

「ふふっ 嬉しい気遣いね。でも残念ながら大丈夫よ。それに、博一くんはまだPOTの使い方分からないでしょ?」

 POT(ポータブル・オーダー・ターミナル)。検品作業で、入荷した商品のバーコードを読み取る機器だ。テレビリモコンの頭を大きく広げたような形をしている。

 何度か検品作業に立ち会ったことはあるが、使い方を習ったことはなかった。

「そういえば、そうっすね……」

「んじゃ、そろそろ混むかもしれないけど、戻るまでレジだけに集中してていいから」

「了解しました」

 博一は二人を送り出し、レジに立って店内を見回してみる。

 現在店内にお客さんは五人。スーツ姿や子連れの主婦など、それぞれ違う属性が入り混じっている。中に一人だけ、この世の者ですらない¥ュ女がいるのはご愛嬌。

 雑誌コーナーで黙々とマンガを読んでいるレギュ子は、昨夜のことをまだ引きずっているようだ。不機嫌そうに肩をいからせたまま、開いた本に顔を埋めている。

(ちゃんと朝には食わせてやったろう……)

 心の中で溜息をつく。そろそろ来客のピーク時間だし、あまり気を散らしていては粗相に繋がるだろう。そう思った博一は、レギュ子から意識を戻した。

「いらっしゃいませ、只今あげあげクンが揚げたてになっております」

 いつも通りしっかり丁寧な発音で、お客さんに挨拶と商品アピールを欠かさない。

 今入ってきたお客さんは、あまり見ないタイプだった。キャメルカラーのブレザーに濃紺と白のチェック柄スカートを合わせ、首には赤いシルクのリボンを結んでいる。一目で女子高生だと分かる服装だ。

 しかし、この辺りでは見たことのない制服だった。そもそも南口側に高等学校がないので、このコンビニに制服姿の学生が来ること自体が稀である。

 彼女は入店早々、雑誌コーナーで立ち読みを始めた。彼女には見えていないだろうが、丁度レギュ子のすぐ隣に立っている。

 クセのある栗色の髪はサイドポニーに結われ、髪の隙間から見える目は、女性週刊誌に向けて気だるげに細められている。どこか虚ろな視線は、とてもじゃないが雑誌の文章を追っているようには見えない。

(怪しい。この上なく……)

 昨日の、万引きの話題が頭を過ぎる。

 しかしいくら不審でも、今はレジから動くわけにはいかない。

まぁ、動けてもどうにもできないか。まだ何もしてないし。

 とりあえず、なるべく目を離さないように仕事を続けよう。そう考え、やってくるお客さんのお会計をこなしていった。

しかしピークの時間ということで、どうしても隙を作らずに目を向けていることはできない。

 そんな状態が十分ほど続き、レジには三人の列が出来ていた。女子高生に動きはない。

流石に和哉も気疲れを覚え始めた頃、ようやく荷物を下ろし終えた樋山先輩が戻ってきた。

「お疲れ。この列消化したらFF補充な」

「了解っス」

 先輩がお会計のフォローに入ってくれたおかげで、少しだけ余裕ができた。先輩の誘導で、並んでいたお客さんが新たに開いたレジへと流れる。それでもまだ、博一のレジには二人のお客さんがついていた。

「いらっしゃいませ。おにぎりは温めますか?」

 その時、あの女子高生が雑誌を棚に戻すのを目で捉えた。彼女は先ほどと同じような感情を殺した目のままで、お菓子のある棚に近づく。

「――二点で三三〇円になります」

 ここまできたら見届けたい所だが、流石に余所見しながら会計をこなすわけにはいかない。そんな技量はないし、何よりお客さんに失礼だ。

「――ありがとうございます。またお越しください」

 一人をかわし、チラッと女子高生を見る。今度はドリンクコーナーの冷蔵庫を開け、炭酸飲料のペットボトルを取ろうとしていた。それと同時に、思いもよらない物が目に留まる。

(あれ、レギュ子……何やってんだ)

 普段は雑誌コーナーから動かないレギュ子が、女子高生の傍らに立って興味深そうに彼女を見つめていた。なぜかその手には、商品のウェットティッシュが握られている。

 女子高生は先輩のレジでお会計を済ませ、テープを張ったボトルを手に店を後にした。

 その背中を見ていた和哉のもとに、ついて歩いていたレギュ子がやって来る。

「どうした?」

 先輩にバレないよう小声で尋ねると、レギュ子は持っていたウェットティッシュをレジに置く。そして、ついっと店の外を指差した。

 指の先には、コンビニを出た女子高生の姿があった。何か慌てた様子で、持っていたスクールバッグをガサガサと漁っている。

(あっ なるほど。これを盗って……)

 手元に残されたウェットティッシュを見やる。

 どうやらあの女子高生は、これをこっそりバッグに入れていたのだろう。レギュ子はそれを取り返してきたらしい。

 女子高生は不思議そうにローソンを見返した後、そそくさと退散していった。

「おお、やるじゃないかレギュ子。エラいぞっ」

 褒めてやると、レギュ子は照れ笑いで頬を掻いた。そしておもむろに、一枚のレシートを博一に突きつけた。

「? こ、これは……」

 そこには、からあげクンレギュラー二つ分の明細が記されていた。

「……よこせと?」

 腰に手を当て胸を張ったレギュ子は、さも当然と言わんばかりに大きく頷いた。

 

     ◇

 

 日誌 夢二博一 記

 

・二〇一一年 二月一一日(金)晴

 

 今日、初めて万引き犯に遭遇した。遭遇と言っても、現行犯を確認したわけじゃないが。

しかし、レギュ子がこんな形で役立つとは考えもしなかったな。どうやって商品を回収したのかが気になるけど、尋ねても『とった』としか説明してくれない。本当にバッグから普通に抜き取っただけなのか? まぁ幽霊だし、それでもバレないってこともありえるのかな。

さて、あの女子高生が昨今のコンビニを怯えさせている万引き常習犯なのだろうか。俺はスリルシーカーズ系のグループ犯を想像していたんだが。

仕事の後、樋山先輩にあの女子高生について聞いてみた。先輩によるとあの制服は、北口側にある高校の冬服だという。なんでそれが分かるのかは教えてくれなかった。

そういえば、万引き被害が集中しているのも北口側だったはず。これは、偶然の一致にしては臭う点だろう。

問題は、あの女子高生が再びウチの店にやって来るかもしれないということだ。

もし今日の犯行がただの出来心に過ぎなかったなら、その心配はない。だが先の仮説通り彼女が件の常習犯≠ナ、ウチを故意に狙っていたのだとしたら、話は違ってくる。

犯人はコンビニを一軒ずつ巡り、その被害件数を着実に重ねている。成功数を増やすことに執着しているとなれば、それは間違いなく愉快犯だ。犯人は一種のゲームに挑戦するような感覚で万引きを繰り返していると言っていい。

そういう輩は総じて、一度狙った店での犯行を成功させるまで諦めない。もう一度ウチの店にやって来るはずだ。

俺がシフトに入っていない間、レギュ子を常駐させることもできる。だけど、その度あげあげクンを催促されてはたまったものではない。

何かいい対策はないだろうか……。

 

・・・

・・

 

    ◇

 

 翌週の月曜日。天気予報に反した曇天の空模様が災いし、普段は客足のピークであるはずの店内は人気に欠けていた。この店の主な顧客が公園の利用者である以上、客入りが天気に振り回されてしまうことは珍しくない。

 あれから色々と考えた博一であったが、結局策は見当たらないまま土日が過ぎた。週末の二日間であの女子高生がリベンジしてくるかという懸念はあったが、制服姿で来ていたことから察するに、授業のない休日なら可能性は低いだろうという当たりをつけていた。

 案の定。店長に尋ねてみると、土日は女子高生らしきお客さんは来ていないらしい。

「なぁに? 博一くん年下がタイプなの?」

 思わず、飲んでいたコーヒーを噴出しかけた。

「ち、違いますよっ」

 休憩時間。廃棄に出たFFをもらい、ストコンに向き合う店長とダベりながら昼食を取っていた。

「じゃあ、制服がシュミってわけか。セーラーでよかったら今度着てあげよっか」

 思わず、持っていたコロッケを握り潰してしまった。

「もっと違います! 話の腰を折らないでくださいってばっ!」

 アハハと笑いながら、「ごめんごめん」と店長は手を振る。

「んで、その女子高生が例の万引き犯かもしんないって?」

「その可能性があるってだけですけどね。

今まで来た事のないコンビニで一五分も立ち読みするってのは、あんまり普通じゃないと思いますよ」

 ちなみに、説明上レギュ子の活躍は省略させてもらっている。勤めて隠すつもりはないが、必要に迫られない限り彼女の存在は伏せるようにしていた。曲がりなりにも幽霊≠セし、話して自分が変な目で見られるのも、変に怖がらせるのも避けたいのが心情だ。

「んー。確かに変だけど、それだけで万引き犯っていうのも突飛じゃない?」

「ええ。でも、その女子高生が通っている高校が石蛙台の北口方面にあるそうです。被害の発生地から考えても――」

「そんなことまで調べたの? やっぱりそういう子が――」

「違いますからっ」

 そうこうしていると、表から樋山先輩が戻ってきた。

「博一君、例の子来たよ」

「あ、はい。すぐ行きます」

 残りのFFを頬張り、座っていたパイプイスを片付ける。

「例の子って、誰それ?」

 店長は小首を傾げ、先輩に尋ねた。

「先週来ていた女子高生のお客さんです。来店したら教えてくれって」

「まあ。ちょっと博一くん、ここを逢引き受付に使うなんていい度胸じゃない……覚悟は出来てるんでしょうね」

「だから違うって言ってるでしょうがッ!」

 

     ◇

 

 あの女子高生は、前回と同じく雑誌コーナーで立ち読みをしていた。少し硬い表情で雑誌をめくる姿から、「今度こそ」という意気込みが伺えるような気がする。

 しかし店内を見渡すと、お客さんは女子高生を含めて三人しかいない。この状況なら、よほどの業がない限り万引きを成功させるのは不可能だ。

(今日は諦めて帰るかもなぁ)

 その時、仄暗い外の景色が瞬いた。ゴロゴロと、お天道様の腹の虫が鳴る。いつの間にやらコンビニの上空は、北風に乗ってやってきた厚い雲に覆われていたらしい。

(雷……マズいな)

 雷が来たということは、急な雨が降ってくる可能性が高い。つまりこれから、傘を買いに来るお客が増えるということだ。

博一は一旦、バックルームに引き返そうとする。しかしその前に、ビニール傘の在庫を抱えた樋山先輩が奥から出てきた。

「あ、雷の音気付きましたか」

「うん。僕が見てた時も怪しかったしね」

 博一は先輩と共に、入り口の目立つ場所へ傘を配置する。その間にも、傘を求めての来客が早速増え始めた。

ピーク程ではないが、店内は次第に人気を取り戻してゆく。

(まさか、こうなるのを狙ってたのか?)

 あの女子高生は、雑誌から顔を上げて空を眺めていた。いや、正しくは窓に着いた雨粒を見ていたのかもしれない。突然の雨に動じる様子もなく、静かな動作で雑誌を閉じた。

(こりゃ一本取られたな……)

 配置したビニ傘が続々と手に取られ、レジの前に列を作る。樋山先輩と二人がかりでカウンターに立っても、それぞれ二人以上の順番待ちができてしまった。

(くそっ あの子は――)

 見ると女子高生は、既に雑誌コーナーから移動していた。丁度、お菓子の棚から出てドリンクコーナーに向かおうとしている。レギュ子が、その後にぴったりついて歩いている。

 カウンターで対応する合間にチラチラと覗いても、万引きらしき行動は未だ確認することができない。女子高生はコーヒー缶を手に、悠々と博一のレジに並んだ。肩に掛けていたバッグのジッパーを開き、財布を取り出した。

 彼女の背後にいたレギュ子は、左手にぶら下げられたバッグをじっと見つめていた。

 すると、バッグの側面に設けられた大きめのポケットへ、無遠慮に手を突っ込んだ。

(ッ!)

 バッグは軋み、女子高生の腕がその勢いでぶれる。いくらなんでも大胆すぎるレギュ子の行動に博一は目を見張った。

しかし女子高生は、一度バッグに目を落としたものの、それに気付く様子はまるでない。

(幽霊ならこういうモンなのか?)

 レギュ子がバッグから引き抜いた手には、チョコスナックの箱が握られていた。だがそれは、側面のポケットに入っていたにしてはいささか大き過ぎる。入ったにしても外側に膨れるはずだが、そんな様子はなかったはず。

(……紙袋の手品みたいなトリックかな)

 おそらく、ポケットの内側に切れ込みが入っているのだろう。そうすればポケットに入れた品を、そこからバッグ本体に収納できる。

 やがて列が動き、女子高生がレジの前に立った。

「――いらっしゃいませ。コーヒー一点でよろしいですか?」

 伏せ目で缶を置いた女子高生は、「はい」と小声で呟く。

(結局現行は抑えられなかったか。あー、他に打つ手はねぇのかよ……)

 彼女が犯人だと分かっていても、博一にはそれを他人に証明することができない。つまり彼女を摘発するには、現行犯を抑えるしか手段がないのだ。

「――ありがとうございます。またお越し下さい」

 あの日と同じように和哉は、女子高生の後姿を見送る。店を出た彼女は、折り畳み傘をバッグから取り出した。

ふと、傘立てに収まっている自分の傘が目に映る。

(あ、待てよ……この手はアリか?)

「レギュ子。ちょっとおいで」

 

     ◇

 

 その日の夕方に雷は通り過ぎ、今はそれを名残惜しむような霧雨が風にたゆたう。時刻は一九時を回っていた。

「それじゃ先輩、お先に失礼します」

 シフトを終えた博一は私服に着替え、カウンターの樋山先輩に告げた。

「はいご苦労さん。さっきのは借しだからな?」

「分かってますよ、今度何かおごります。では」

 自動ドアが開くと、重たく水を吸った空気が頬に触れた。肌を引っ掻くような冷たさに顔をしかめ、傘立てから愛用の傘を拾う。

開くと、目に心地よい深緑をぐるりと黒で覆った柄の花が咲いた。いわゆる蛇の目という和柄で、その色調だけはレギュ子の持っている赤い傘によく似ている。

 昏い夜道。濡れて街頭の光を反射するアスファルトを踏みしめ、コンビニの明かりから遠のいてゆく。ある程度離れて周囲に人がいないか確認すると、博一はどこにいるか分からない相手にささやいた。

「よしレギュ子、案内頼む」

 呼びかけに反応して和哉の背後からヒョコっと現れた少女は、地面に突いていた傘を宙へ向けて解いた。ジャンプ構造で勢いよく開いたシートだが、雨粒が付着してラメのように煌くことも、それが玉になって縁から滑り落ちる様子もない。そもそも透けているのだ。

(まぁ、実体がないんだから当たり前か)

 ご機嫌にスキップするレギュ子に先導され、博一は駅の方面に向かって歩いてゆく。錆び付いたシャッターを下ろした土産屋を通り過ぎるたび、重い溜息を幾度となく吐き出した。

「いいアイデアだと思ったけど、よくよく考えたらただのストーカーじゃねぇか? これ」

 こうして歩いている道は、万引き少女が店を出た後に取った(と思われる)経路だ。博一はレギュ子に、あの女子高生を尾行するよう頼んでいたのだ。

 現場で事が納められないのなら、直接会って説得してみるしかない。だが店内では色々と問題があるし、こっちから出向いて話し合うのが無難だろう。そう考えての追跡――だったが、

(幽霊使うのはチートだろう、なんかやってて気に喰わねぇなぁ……。

つーか、行ったら行ったでどうすりゃいいんだよ。クソッ 後先真っ暗じゃねぇか俺のバカ)

 今更ながら後悔の念に駆られ、すぐにでも引き返したい気持ちが頭の中で逡巡する。そしてそんな自身の肝っ玉の小ささにも、僅かながら恥じ入る心境を覚えていた。

だが、ここで引いたらあの子は手遅れになるかもしれない。その思いが、多少の背徳行為なら勘弁してもらえそうな気を呼び起こす。そのおかげで、なんとか足を進めることができていた。

(あの子の表情。楽しんでるとか挑戦的とか、そういうヤンチャな感じじゃない。ありゃどう見ても苦しそうだった)

 息をする余裕もないほど押し込められた感情を、罪の意識で無理やりにでも希釈させようとしていたような印象だ。あくまで、そんな気がしただけだが。

 自傷行為《オーバードース》

そんな言葉を連想させる、今にも壊れそうな人間の目つきだった。

どんな理由があるにせよ、そんな子をこのまま放置するわけにはいかない。そんな辛気臭いお客が、うちのコンビニに入り浸るようなことは絶対に御免だ。

(ただでさえ縁起でもないヤツが一人いるしな)

 目の前でクルクルと回る赤い傘を見ながら、博一はそんなことを思った。

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     ◇

 

 レギュ子は石蛙台駅を、北口側に通り抜ける。

博一が北口側に来たのは、これが初めてだった。周辺には居酒屋やカラオケボックスなど、これから夜の時間帯で始業する店が多い。

(最近まで、駅を越えたら石蛙台じゃないと思ってたもんなぁ。南側とは正反対だ)

 タクシーの多いロータリーを過ぎ、背の高い建物に挟まれた商店街を抜けた。それからしばらく歩くと、欧米風の一軒家が立ち並ぶ高級住宅街に入った。

 レギュ子は、表札を一つ一つ確認しながら進む。どうやら、この中の一軒が目的地らしい。

 立ち止まったのは、車二台分は入りそうなガレージを構える一際大きな家だった。とてもじゃないが、万引き犯の住む場所には相応しくない。

「おい、本当にここか? 私設の警備員が立ってても違和感ないぞ」

 レギュ子はコクリとうなずき、肯定を示す。

 博一は、一本足のポストに張られている表札を確認する。ローマ字でAKAKURA≠ニ彫られた金属板は厚みがあり、明らかに他の家よりもお金がかけられている。

(アカクラ、か……この家のインターフォン押して「娘さんの万引きの件でお話が」なんて言ったら、タダじゃ済まないだろうな)

「――じゃ、帰るぞレギュ子」

 博一はとりあえず、場所と名前を記憶して踵を返した。危険を冒してまで今会う必要はない。これで住所が分かったのだから、しかるべき時に出直せばいいのだ。

 来た道を戻ろうと、博一は歩き出す。しかし、突然レギュ子にコートの裾を引っ張られた。

「ん、どうした? 何か――」

 レギュ子は人差し指を口に当て、「シー」と博一の言葉をさえぎる。

次に指を三本立て、一秒に一本ずつ折り始めた。

(……カウント? 三、二、一――)

 

 ガチャ

 

 驚いて、レギュ子から目線を上げる。

あの女子高生が、玄関から顔を覗かせた。

「――あ」

 真正面、三メートルもない距離で、二人の視線が合う。

「――え」

 一瞬怪訝な顔をした彼女だったが、目の前にいる人物に見覚えがあることに思い至り顔色を変えた。

 彼女の背後で、玄関のドアがパタンと閉じられる。何とも言えない沈黙が、二人の間に漂った。

「こ、こんばんは」

 先に口を開いたのは博一だった。こうなったら乗りかかった船だ。行けるとこまで行くとしよう。

「えっと……こんばん、は」

 対する少女は、とても気まずそうに挨拶を返した。

 

     ◇

 

 赤倉 志乃――。彼女はそう名乗った。

 厚いウールのPコートを着た彼女は、フルートのケースを手に提げている。聞けばこれから習い事で、そのために外出するところだったらしい。

 二人は駅までの道のりを、話をしながらゆっくりと歩いていた。

「先週と、今日。万引き……しようとした、よね?」

 博一の言葉に、ピクッと肩を震わせる志乃。緊張した面持ちで、

「はい……すみませんでした」

 と、意外にも素直に謝罪の言葉を述べた。

「でも、その……と、盗れませんでした……」

 チラチラと、横目に和哉を窺いながら言う。どうして盗った品が消えてしまうのか、尋ねるかどうかあぐねているのだろう。

「あー、その、なんだ。反省してるなら別にいいよ」

 そこに突っ込まれるとこちらも返答しにくいので、先に話を制しておく。

「ただ、万引きの理由があるんなら、話してもらってもいいか?」

 志乃は、飾り気のないコウモリ傘に身を寄せて、博一の隣を歩く。

「理由……ですか?」

 雨音に掻き消されそうな声色だが、はっきりとした動揺が伺える。

「店側としちゃ、「二度と来ないでくれ」って言うのも簡単だけど、ウチはあんまり業績がよろしくなくってね。顧客はなるべく減らしたくないんだ」

 一呼吸置いて、続きを話す。

「だから、君が二度と万引きしないっていう確証を得てから、改めてウチで買い物してほしいんだ。店員だしね、お客さんの快適なショッピングを守る義務がある。今回は、そのちょっとした延長みたいなもんだ」

 言っていて恥ずかしくなり、途中から段々投げやりな口調になっていた。

 差している傘の脇から覗くと、志乃は少し唖然とした表情で博一を見返していた。

(ああ、やっぱ痛い人だと思われてる……)

 顔が赤くなるのを感じた和哉は、咄嗟に前を向き、顔を傘で隠した。すると後ろから、

「……奇特な方ですね」

 と、なんだか遠まわしに揶揄されているようにも思えることを言われた。

「そ、それは褒めてんのか?」

「あっ いえ、皮肉で言ったわけじゃないんです。とっても意外だったから……」

 気分を害されたなら謝ります。と付け加える。

先ほどまでのモゴモゴした話し方を一変させ、丁寧な言葉遣いではっきりとしゃべるようになってきた。

まぁ、奇特は奇特で間違っちゃいないさ。随分前から自覚してる。

「いいよ。気にしちゃいないから。

 んで、話の続きだけど。もし万引きをやめることができるなら、何か手伝ってやるよ。こんな、いち店員が役立てる話なら」

 博一は、万引きの理由について促した。

「……分かりました。長くなると思いますけど、全部話します」

 

     ◇

 

 志乃の家は、代々日舞の師範を生業にしている名家だ。志乃自身も、幼い頃から厳しい稽古を続けていたらしい。優しい父の指導のもとで、辛くも充実した幼少期を過ごしていた。

 しかし志乃が中学生の頃、その父が不慮の事故で他界してしまう。それ以後、父の代わりに祖母が志乃の師範を勤めることとなった。

だが祖母の指導は、父のそれとは比べ物にならないほど厳しい物であった。今までは楽しくさえ思えた日舞も、祖母の叱咤を恐れるだけの機会になり下がってしまう。

そしてある日。志乃が辛い思いを続けていることに見かねた母親は、祖母に頭を下げて稽古をやめさせるよう説得した。長い応酬の末、志乃は条件つきで日舞の稽古をやめさせてもらえることになったそうだ。

祖母の出した条件とは、「赤倉の家において恥じぬ人間になれ」という物だった。学業では常に高いノルマを強いられ、様々な習い事に通う毎日。満足に友達と遊ぶこともできない窮屈な日常は、次第に志乃の心を曇らせてゆく。

そんな日常が二年あまり続き、志乃は高校二年生に進学した。

ある日。志乃が近所のコンビニで買い物をしていると、偶然他校の生徒が万引きを行っている現場を目撃した。その生徒は涼しい顔で、あっさりとコンビニから姿を消す。まるで人目を気にする素振りも見せず、ただただ自然に、それが当たり前のような錯覚さえ起こさせる手際だったと言う。

志乃はその様子を見て、自分とはまるで違う世界に生きているのだと感じた。

きっとあの人は、私なんかとは比べ物にならないほど広い世界を持っているのだろう。それも他人にあてがわれた物じゃなく、ああやって自分の手で掴み取ってきた心の領地を。

つい今の自分と比較して考えてみる。すると突然、自分が籠に囚われる鳥になったような閉塞感に襲われた。胸を押さえても収まらない息苦しさに、涙が止まらなくなる。

 

 

どうして私は縛られなきゃいけないの?

どうして私は囚われているの?

どうして私は何もできないの?

 

どうして私は、あの人と違うの?

 

手が出たのは無意識だった。気がついた時には自分の部屋に帰っていて、その手には、小さなガムが硬く握られていた。

 

    ◇

 

「それからずっと、色々な所で万引きしてました。いけないことだって思います。でも、どうしてもやめられなくて……」

 話し終える頃に、ちょうど二人は石蛙台の駅に到着した。フルートの教室までは、ここから三つ先の駅まで乗るらしい。

(クレプトマニアクス《万引き依存症》か……)

 博一は傘を閉じ、バサバサと振るって水気を払った。

「ウチに二回も盗りに来たのは、盗らずに済む≠ニ思ったから?」

「……はい」

 彼女は、申し訳なさそうにつぶやいた。

 どうしてもやめられない万引き。繰り返す罪の意識に、彼女はいつも苦しめられている。もはや自分では、万引きに対するリビドーを制御することができなくなっていた。だから、誰かにそれを止めてほしいと願っていたのだ。

「これって、ちゃんとした精神病なんですよね。お医者さんに診せるべきですよね。けど、お母さんに私のしてたコトがバレちゃうと……」

 盗癖は、立派な衝動制御の障害である。ある程度進んでしまった以上、カウンセラーの治療が必要だ。

 だが、そのためには母に全てを打ち明けなければならない。自分のために頭を下げてくれた優しい母を、失望させることになるだろう。

 二人は駅舎に入ると、人の行き交うロータリーを眺めながら立ち尽くしていた。

 雨どいの下にできた水溜りを見ていた博一が、おもむろに口を開いた。

「でも、続けてたらバレる時は必ず来るよ。その時が来て、警察署でお母さんに罪を知られるか、それとも自分の口でケジメをつけるのか……選ぶのは君だ」

 ぼんやりと、錆鼠色の空を見上げていた志乃。博一の言葉を聞き、下唇を噛んで俯いた。

「……わかんない」

 かすれた語尾は、雨音に飲まれて消えた。

 博一は、考えるように腕を組んだ。しばらくして、決心したように顔を上げた。

「でも、さ。どっちがいいか……これは、自分で選んだ方がいいと思う」

 まるで自身にも言い聞かせるかのように、前を向いて断言した。

「だって君は、自分の手で掴み取った物が欲しくて、こんなことになっちまったんだろ? だったら最後は、自分の手で幕を引くべきだ。それがどんな収め方でもいいけど、なんにしても君の償いは相応に辛いだろう。結局その差は、親や周囲への罪悪感として還元されるか、自己的な努力で乗り越えるかの違いだけだ。君が冒した自由の責任だから、その取り方も自由だ」

 志乃の方を見ずにゆっくりと、強く印象づけるように言った。傍らで、志乃が息を飲む気配がする。

 それから二人の間に会話はなく、志乃の乗る電車が来る時間になるまで沈黙が続いた。

「そろそろ……行かないと」

 志乃は少し赤い目を拭って、腕時計を覗き込む。

「うん……」

 コートの懐から定期券を出した志乃は、改札に向かって歩き出した。人気がすっかり消えた構内では、二人の足音がひどく目立って感じる。

「あー……ちょっと待て」

 改札を超えた直後に、和哉は志乃を呼び止めた。

「手伝うとか言ったのに、なんか無責任っぽいこと言ってたと思うからさ、こうしよう。

もし決断するまで時間が必要だったら、俺がシフトに入ってる時にウチのコンビニに来るといい。

 絶対、盗ませないから。安心して買い物してってくれ」

 その言葉に振り向いた志乃は、驚いた表情で博一を見つめた。――そして、込み上げてきた思いが頬を伝う。

「……ありがとう、ございます」

 空いた手で口元を押さえ、搾り出した感謝の言葉。

「――火曜と水曜は絶対いるから。

 んじゃ、またな」

 そう言って博一は、彼女に背を向けて歩き出した。雨は止んでいたので、傘を差さずに駅舎を出た。

「さてと。帰ってあげあげクン揚げなきゃな」

 レギュ子に要求された尾行の対価は、揚げたてのあげあげクン二十個。博一のショルダーバッグには今、あげあげクンレギュラーがたっぷり詰め込まれていた。これを、家に帰ってもう一度揚げ直すのだ。

「あげあげクンもこれだけあると重いんだな――あ?」

 背中に回していたバッグを揺すってみると、店を出る時よりも軽くなっていることに気付いた。

「……つまみ食いか」

 駅舎の屋根に腰掛けていたレギュ子が、地面にふわりと降りてくる。その手には、開けたばかりのあげあげクンがあった。

「ったく、少しくらい我慢しろよ。何個喰った? 揚げてほしいんじゃ――あ?」

 バッグを確認すると、空箱しか入っていない。今レギュ子が持っているのが最後のようだ。

 レギュ子はその一つに爪楊枝を刺し、それを博一に差し出した。

「なんだよ珍しいな……まぁ、いただきます」

 受け取り、口に放り込む。性に合わないことをしたせいか空腹を覚えていたので、なんだかいつもより美味しく感じた。

「たまには、レギュラーも悪くねぇな」

 レギュ子は無邪気に笑って、博一を先導して歩き出した。

 空には、影が浮くほど綺麗な満月が顔を出していた。

 

 おわり。

 

 

説明
ピクシブの企画に投稿した作品です。ヒマができたんで、ちょいと直してもってきました。表紙絵は、絵師のゆのじさんに描いていただきました! http://www.tinami.com/view/270374
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タグ
オリジナル 短編 幽霊 万引き コンビニ 

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