うそつきはどろぼうのはじまり 60 |
ニ・アケリアは異様な雰囲気に包まれていた。
元々世俗から隔離され、精霊と近しく慎ましやかに暮らしてきた村である。そこへ突然、近代科学を振りかざすような連中が乗り込んだのだ。乗り込んだ人数が少ないせいか、幸いにして略奪などはされていないようだが、漂う緊張感は相当だった。
村の門へ到着するなり、顔見知りの村人が駆け寄ってきた。ジュードはその村人から、もう何人もの人間が霊山へ登って行ったと聞かされた。
「前に一緒に来てた女の子も一緒だったよ。一体、何があったの?」
以前逗留していた時に、精霊の主と共に行動していただけあって、村人の口は滑らかだ。霊山へ押し入った研究者達には伝えなかったようなことも、親身になって教えてくる。
「女性が一緒だったというのは、本当ですか? 自分の足で歩いていましたか?」
「ああ。茶色い髪の、すらっとした女の子だろ? 歩いてたよ。俯いてて、なんだか元気がなかったみたいだけど……」
ジュードは胸を撫で下ろす。誘拐されているにも関わらず、拘束されていないというのは不幸中の幸いだった。
「そうですか。どうもありがとう」
「追いかけるんだろ? 気をつけてね」
村人から懇ろな言葉を掛けられ、ジュードは早速山道を進む。道中では敵との接触を極力避けた。戦闘してしまえば、どうしても物音が出る。それは即ち、自分の居場所を通知するということだ。ジュードが既に山中にいることを、向こうに知られてはならない。
山頂が見えた、と思った時だった。背中に突如、人の気配が出現する。ジュードは振り返りすらせずに、すばやく背後を取った。
おそらく初めて目にする集中回避だったのだろう。研究所の制服である作業着が板についた、ひげ面の男は一瞬怯んだ。だがそれもつかの間で、うっすらと笑いを浮かべた。
「本当に来るとはね。噂通り、本当に律儀な研究者さんだ」
「レイアを返せ」
幼馴染が囚われていても、ジュードはジュードだった。平然と要求をぶつけていく。
「僕は無断外出した彼女を追ってここに来た。偽証の件もあるから、即刻連れて帰りたい」
「お帰りの駄賃は、小刀だ。あんたのことだ、どうせ気を回して持ってきてるんだろう? 違うかい?」
砂利を踏んで男が近づいて来る。だがジュードは脅しに動じない。
「彼女の確認が先だ」
男はやれやれと肩を竦め、無言で顎をしゃくった。仲間と思しき別の男が物陰に引っ込み、やがて一人の人間を伴って戻ってきた。
「だから何度も言ってるでしょ? 道があったのは五年前の話なんだってば。今更この山に来たって、何にも……」
盛大に文句を垂れながの登場を果たしたレイアだったが、幼馴染を見るなり目を丸くした。
「ジュード!?」
見たところ、彼女の態度は普段と変わらない。だが、武芸に秀でたレイアが、大人しく引っ立てられているところを見ると、背に武器でも突きつけられているのだろう。
「大丈夫? 怪我はない?」
するとレイアは顔を強張らせ、不自由な身体を捩ってで叫んだ。
「ジュード、言いなりになっちゃ駄目! こいつらミュゼの小刀で、道を作ろうとしてる!」
「知ってるよ」
にこりとジュードは肯定する。
「タリム医学校は、外からの出入りが自由だ。誰がうろついていても不思議に思わない。研究所の制服を着ていれば尚更だ。診察室の外で僕らの話、立ち聞きしてたんでしょ?」
「ご明察。盗聴したこっちが言える台詞じゃないが、あんな不特定多数がうろついてるようなとこで、機密情報べらべら喋る方が迂闊ってもんだぜ」
全くもってその通りだ。今度はジュードが肩を竦める番だった。この指摘は耳が痛い。診察室で内輪話をするなど、不注意にも程があるというものだろう。
「さて、と。人質はこの通り無事だ。小刀を渡してもらおうか」
ジュードは無言で懐を弄る。武器を取り出す気かと、男達が身構える。若き医師が取り出した物を見て、レイアは思わず呻いた。
「ミュゼの小刀……」
青年は手のひらに納まる懐刀を手にしたまま、大声で告げた。
「レイアと交換だ。僕は地面に小刀を置く。そしたら彼女を離せ」
「その小刀が本物だという証拠が欲しい。先生、あんたが扱え。無事に道が開けば、女は返す」
地面に小刀を置きかけていた医師はそれを聞き、溜息をついた。
彼らはミュゼの小刀がどんなものかを知らない。現物を見たことがあるのは、ジュードを始めとする五年前の当事者のみだ。その真偽を確かめられないからジュードが開け、と向こうが要求するのも道理にかなっている。
若き医師は小刀を手にしたまま、切り立った崖に向かった。男達は静観を決め込んでいる。成功すれば御の字、失敗しても人質もろとも崖の上から落として証拠隠滅すればいいだけの話である。どちらに転んでも自分達の不利益にはならないので、どこか余裕めいた雰囲気を漂わせていた。
唯一、レイアだけが不安な視線で幼馴染を追った。食い入るように見つめる少女の目の前で、小刀が鞘から抜き払われる。
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