うそつきはどろぼうのはじまり 64 |
ミラは、はっとした。
「しまった、さっき槍に送り込んだ奴で……!」
精霊の主は臍を噛む。
クルスニクの槍を破壊するにあたり、槍のマナ許容量が不明だったため、精霊たちはありったけのマナを放出していた。幸いなことに槍の容量は思っていたほど大きくはなく、姿形を維持するだけのマナは手元に残った。だが逆を言えば現状、現世に姿を現すのが精一杯の有様だったのである。
槍を含めた戦艦は、目の前で崩壊を続けている。もういくつもの破片が海面に落ち、その度に派手な水柱が上がった。
固唾を呑んで惨劇を見守っていたジュードの耳に、その声は届いた。
「ジュード」
押し殺したような声の主はミラだった。
「なに?」
「私を直接使役しろ」
イフリートが息を呑む。視野の端に、ミュゼが目を見張るのが見えた。
「え、でもそれって……。精霊にとって、あまり良い事じゃないんでしょう?」
ジュードは以前見た剣幕を思い出す。ミュゼを直接使役したと知ったときのミラの反応が尋常ではなかったからだ。
だが肝心の精霊の主は淡々としていた。本能的に唾棄するような行為を前にしているというのに、その声はあまりにも静かだった。
「お前なら、構わない」
ミラが振り返る。ジュードは一瞬、ミラが泣くのかと思った。
「私は、ジュードに使役されたい」
それは精霊の主の、精一杯の言葉だった。ジュードはそれを受け止めた。どこか必死な彼女を安心させるように、しっかりと頷いてやる。
「わかった」
「ジュード……」
すい、と降りてきた彼女の顔が近づく。先程まで触れていた手に、再び相手の温もりが齎される。より強く体温を通わせるように、彼らは互いの手を握った。
「君を直接使役するよ、ミラ」
目線を等しくした二人は、互いの額を寄せ合った。金の前髪にかかる吐息が細かく震えている。
「お前のマナを……私に与えてくれ。頼む」
ジュードは瞳を閉ざす直前、精霊の主の切ない呟きを聞いた。
ミラがジュードと出会ったのは五年前。リーゼ・マクシアが殻に包まれ、ナハティガル王が存命だった頃である。イル・ファンの水路で巡り会ったことを皮切りに、彼らの行動はやがて世界を動かすまでになった。
しかし所詮は人と精霊。別れは必然であった。彼らは彼ら自身の信念を貫き通す道を選び、異なる世界で生きることになった。その間、一年弱である。だが二人が連れ添った時間は短くても、密度は大地より濃く、絆は海より深い。
(マナが……流れ込んでくる……)
陶然と、ミラは瞼を閉ざしていた。見る見る間に蓄積されてゆく力。それは透き通るような群青の色を帯びていた。
(これが、ジュードの……マナ……)
ミラはを見開く。空の青が、今まで以上に染み込む。視界はより明瞭に、聴力はより鮮明になった。まとう風は力強く、振り上げた腕は機敏に動いた。
朗々たる女声が、世界にあまねく響きわたる。
「天に散り、地に伏せし同胞よ。我が声を聞け。我が力を示せ」
信じる心が、祈る言葉が、やがて力を持ち、具現する世界。
精霊の主の髪がゆっくりと揺れる。焔のように周囲に燐光が揺らめき、周囲を明るく照らす。
天が涙し、地を黙させる、大精霊マクスウェルの声が天空を渡り、この世界に満ち溢れ行く様を、若き医師は静かに見守っていた。
「我が名はマクスウェル。世々を統べし四大の長なり――」
光が膨れ上がる。温かいものが胸から溢れ出る。体内で止めるまもなく弾け、そのまま四方へと飛んだ。
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