うそつきはどろぼうのはじまり 65 |
花嫁は駆けた。新郎から距離を置くように走った。バランが何かを言ったわけではない。まだ何もされていない。だが本能が逃げろと告げていた。
白くまばゆい回廊を駆け抜け、制止する声を振り切りって彼女は走る。裾をたくし上げ、真白な靴を乱暴に脱ぎ捨てる。こんなにも踵が高いと走りづらくて適わない。足をとられるだけだ。有り難いことに今日の靴下には薔薇模様の滑り止めが付いている。ほぼ裸足と同じように走れるだろう。
駆けて来た勢いのまま、ためらわず甲板を踏む。鉄板が大きくしなる。それでも花嫁は止まろうとしない。
追ってきたバランが、彼女の向かっている場所を知って嘲笑する。
「何? 君、死ぬつもりなの?」
ここは空中だ。端から下を見れば無限の空と、はるか下方に大海が広がる。落ちればまず即死であることはわかりきったことであるので、誰もそこへ近寄らない。
だが彼女は重い花嫁衣裳の裾を絡げながら、迷うことなく柵に足を掛けた。
「エリーゼ。馬鹿な真似はよすんだ」
花嫁は振り返る。そこには、ひきつった笑みを浮かべるバランがいた。その手には武器がある。リーゼ・マクシアでは見慣れぬ形をしていたにもかかわらず武器と知れたのは、アルヴィンが所持する銃だったからだ。あれは殺傷能力を有する道具。バランには、明らかな殺意がある。
新郎の周囲には自分を先導してきた神官もいる。護衛らしき兵士がこちらに駆け寄ろうとしつつある。
銃口がこちらに向いた。銃把を握っている技師の構えは、微動だにしない。それは見る者に、彼がひどく手馴れていると感じさせた。
「動くな、エリーゼ・ルタス! 動けば撃つ!」
エリーゼはこれを、静かな眼差しでけん制する。
「来ないでください。バランさん、あなたもです」
だが彼女は、彼らが来ても来なくてもここから飛び降りるつもりだった。彼らに体を触れられることさえ、厭う自分がいた。人の自由と意志をここまで踏みにじっておいて、結婚しようだなんて。
技師の指は既に引き金に触れている。それを認めておきながら、エリーゼは尚も動きを止めなかった。
登った柵は、足の幅程度しかない狭さだった。どっしりと重量のある上質の絹が薄布の如くはためく。風は強い。
その時、爆音が轟いた。全員の視線が一斉に空へ向く。輸送船に搭載されていたクルスニクの槍が火を噴いている。大量のマナを含有しきれず、内部から爆発したのだ。
「くそ……っ!」
船は熱と鉄くず、油を撒き散らして轟沈する。その火の粉は、挙式が挙行されていたこの船にも雨霰とばかりに降り注いだ。
ずしん、と腹に響くような衝撃がきた。船の駆動部がやられたのか、新郎新婦がにらみ合う甲板が、不気味な音を立てて大きく傾ぐ。
体勢を崩した新郎は、立て直そうと咄嗟に手を握った。引き金に掛かっていた指は、当然のように引かれる。
巨大な兵器が壊れゆく轟音の中、その乾いた音はとてもよく空に響き渡った。
しまった、と新郎新婦は同時に思った。銃は脅しだった。殺すつもりで持ち出したわけではないのに、引き金を引いてしまった。狙いを彼女に定めたまま、引き金を引いてしまった。この距離で銃弾を避けることは至難の業だ。避けられない、とエリーゼは思わず目を瞑る。
その時、花嫁の抱かかえた花束から、飛び出したものがいる。
「ティポ……!」
押し返さんばかりの風圧が彼女の叫びを奪う。傾いだ体が宙に舞う瞬間、花嫁は確かに破裂する音を聞いた。
まるで大空に飛び込むかのように、エリーゼは身体を投げ出した。庭園の淵から華奢な足が離れる。勢いで髪止め具が飛ぶ。金の髪が解けて、衣装と共に風で広がる。
だがそれが視野に映ったのはほんの一瞬。
慌てて駆け寄り、下を見やった人々の脇を疾風の如くかすめていった影がある。いや、認識した頃には既に影はない。空を切り、影さえ残さぬ凄まじい速さである。思わず身を縮め、煽られる衣装を押さえつけながら、彼らはその正体を知った。
魔物だ。リーゼ・マクシアが誇る、天駆けるワイバーン。跨る人間の識別は既に難しいほど、もう距離がある。影は落ち行く花嫁を上回る速さで下方に先回りをし、停止した。そこにみるみる小さくなる花嫁の姿が重なり、一瞬の後、大空に白い花が咲いた。
背中に受けた衝撃に一瞬呼吸が止まる。だが覚悟していた程の痛みはない。どうやら地面に叩きつけられたのではないようだ。
エリーゼは張り詰めていた息を吐く。最初は荒かった息も、数回息継ぎをするうちに落ち着いてくる。
まず視野に入ったのは、空。肩を支え、膝を抱える自分の手以外の腕。大きな手が自分をしっかりと受け止めてくれている。そして自分を見下ろす目と視線が合った瞬間、彼女の息は再び止まった。
「アル……」
深い茶。それは枯れた木の枝葉ではなく、森の奥深くで静かに命を育む土の色。そして、叶うことならもう一度見たいと思っていた色だ。普段滅多に表情を動かさない彼が目を見張っている。が、男は花嫁よりも早く冷静さを取り戻していた。見下ろしてくる双眸の中に、気遣いを感じる。
エリーゼは何もできなかった。身じろぎ一つできぬまま、彼らは見詰め合った。
「無事か? 貴様のワイバーンは早いな、アルヴィン」
少女は咄嗟に運び屋の衣服をんだ。何が恐ろしいのか、花嫁は怯えたように身を縮めている。茶の外套の内側、男の胸板にきつい皺がよる。
横付けしてきたのは一匹の飛竜だった。全身に描かれている斑模様が美しい。
「ガイアス」
「エリー!」
跨っていたのは国王だけではなかった。カラハ・シャールの女領主は、泣き濡れた瞳を見張って歓声を上げる。
「エリー、ああ本当にエリーなのね。良かった……!」
エリーゼが船から落ちた時、ドロッセルはまさに半狂乱だった。狂ったように花嫁の名を連呼する領主を、護衛の国王が無理やり連れ出したのだ。クルスニクの槍の煽りを受けて沈みゆく船から脱出したのは、指笛で呼び寄せたワイバーンのお陰である。近くに待機させておいて正解だった、との言葉が後日、国王の口から齎された。
その国王は上空を仰ぎ見る。
「だいぶ下ったな。近くの船に落ち着くとするか」
船という言葉を耳にした途端、腕の中の花嫁は身を強張らせた。その様子は傍目にも明らかだったので、国王は微かに目を細めた。
「何か問題が?」
「まあ! 陛下、まだ年端もいかない、いたいけな女子に、そんな物の訊ね方がありますか」
そう国王を窘めてはいたが、ドロッセルの視線は心配そうだ。アルヴィンもまた、彼女の怯えた素振りが気になっていた。
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