真・恋姫?無双 〜天下争乱、久遠胡蝶の章〜 第四章 蒼麗再臨 第六話 |
『――――――世に大乱蔓延る時、天より遣わされし者、輝ける衣を纏いて出で、天の智を以て乱を治めん』
水鏡先生に頼まれた買い物を終えて、つと立ち寄った書店で目ぼしい本を見繕っていた時、小耳に挟んだ噂があった。
それは、北の地を訪れたとある占い師が囁いた予言だという。
“天の御遣い”
相次ぐ飢饉、略奪の横行によって疲弊した民衆の愚想が生んだ、御伽噺の様な存在を、しかし多くの者が口にする。
下らない、と笑う者もいた。
あり得ない、と断じる者もいた。
だが、僕は信じた。
幼い頃に母に聞かされた御伽噺の様な英雄の存在を、『夢物語だから』という言葉で片付けたくはなかった。
憧望、と嘲笑う者もいた。
所詮は愚かな童の域を出ぬ、愚眛なる子供の戯言だと。
―――今ならば、その妄言を許してやってもいい。
「お初にお目にかかる、天の御遣い殿。僕は司馬懿、字を仲達という」
夢見た存在を目の前にして、らしくもなく僕は高揚しているのを感じた。
“天の御遣い殿”と――――――
そう呼ばれた時、自分でも驚くぐらいストンと、自分自身の中で何かの得心がいった様な心地を味わった。
どうしてこんなに冷静でいられるんだ。
どうしてこんなに落ちついているんだ。
ただ目の前の彼は、仲達は、“俺を知らないだけ”だから―――
「……御遣い殿?どうかされたのか?」
怪訝そうに問いかける仲た…………『司馬懿』の言葉に、俺は首を横に振って座った。
何の事はない。
ただ彼が“俺の知る”彼でないだけなのだ。
だから、大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、俺は司馬徽さんの方を見やった。
「皆、揃った様ですね」
そう言って司馬徽さんは鳳統、俺、司馬懿、諸葛亮を見回してから、改めて視線を司馬懿に向けた。
「……さて。では御遣い殿、先ずは貴方の自己紹介から宜しいですか?」
「あ、はい……えと、聖フランチェスカ学園二年の北郷一刀です」
名前を皮切りに始めた俺の簡単な経緯を話すと、やはりというか予想はしていたが、場にいる全員が頭上に疑問符を浮かべて小首を傾げる様な仕草を見せた。
……いや、正確には一人だけ、反応が僅かに違う人がいる。
「ほぅ……成程」
司馬懿は時折此方に質問を投げかけてきては、神妙そうに話に聞き入っていた。
「詰まる所、御遣い殿はこの世界の人間ではなく、異なる世界、未来から来た方であると……そういう事か?」
「ああ……大体はそんな感じだと思う」
「そうか、そうか……ふふっ」
話を終えると、少しだけ嬉しそうに口元を綻ばせて司馬懿が笑っているのが見えた。
“それ”は俺が知る彼の表情とはおよそかけ離れた、酷く無邪気な笑みで―――
『――――――一刀』
不意に、俺の知る“仲達”に面影が重なる。
その幻影を振り払っている俺を余所に、司馬懿は司馬徽さんへと視線を向けた。
「水鏡先生、これは天命です」
「……何が言いたいのですか?仲達」
瞳を輝かせる司馬懿とは対照的に、何処か剣呑とした眼差しの司馬徽さんが問い返す。
「北の地に広まった予言はこの荊州にまで届いております。即ち彼こそが予言の指し示す“天の御遣い”であり、この中原を治める“器”なのです」
確信めいた語調で司馬懿はそう断じて、俺の方を見た。
凛とした眼差しといい、その立ち居振る舞いといい、嘗て覇王と対した威風が何処となく漂う彼の真っ直ぐとした瞳が数瞬、俺を見つめてから司馬徽さんへと移った。
「―――で、あれば。日頃より水鏡先生に軍術機略を学ぶこの身が為すべき事は只一つ。その天道を支え、天下への道を往く事のみに御座います」
一寸の領土も、一人の民臣も持たぬ男を前にして、彼は宣言した。
「この司馬仲達、御遣い殿と共に天下に蔓延る乱を治めたく存じます」
唐突過ぎる宣言に、朱里は混乱の極致にあった。
天より飛来した(と思われる)出自不明の青年に、同輩でも随一の智略を持つ知己、仲達が仕えたい、と言いだした。
以前、荊州に根を下ろす漢室の一門、劉表が地元の賢才を招こうとした折に、師である司馬徽共々にべもなく断った彼が。未だ寸度の領土も持たぬ少年にその才能を捧げると、そう宣言したのだ。
古今の兵法書を諳んじ、こと詭計機略にかけては頭一つ抜きんでた、都でも英才の誉れ高い彼がこの水鏡私塾の門を叩いたのは十年近く前。
それから自分と彼は何時の間にか親しくなり、どちらともなく想い合う様になっていた。
明確に想いを告げた事はなく、果たして本当に気持ちが通じ合っているのか、時々不安になる事もある。
それでも、自分と彼はこれからもずっと一緒にいられる――――――そう、思っていた。
「―――で、あれば。日頃より水鏡先生に軍術機略を学ぶこの身が為すべき事は只一つ。その天道を支え、天下への道を往く事のみに御座います」
だが、目の前で仲達は尽きぬ興味に瞳を輝かせ、溢れ出る衝動に喜色を浮かべて言葉を重ねている。
それは今まで、言葉にせずとも多くの時間を共に過ごし、感覚を共有してきた自分にも殆ど向けられる事のなかった、純粋なまでの好奇心にも似た感情。
所謂“思慕”という奴だ。
其処に思い至った途端、ほんの僅かな時間で彼にそれ程の情を沸かせた目の前の青年に、朱里は自分の中に言い知れぬ不安と、チクリと棘が刺さった様な罪悪感と共に嫉妬を覚えた。
それが我儘である事など百も承知している。
下らぬ自己満足の為の感情である事も重々承知している。
それでも朱里は、目の前の彼に嫉妬を覚える事を抑える事は出来なかった。
出会って間もない頃、ロクに会話を交わす事も少なかった幼少期。朱里の才能に嫉妬した生徒達が司馬徽にばれないように嫌がらせを繰り返していた時に、面識の少なかった仲達が本人である朱里よりも、誰よりも先に彼らを弾劾し、糾弾し、告発した。
その時の彼はきっと義侠心に駆られての行動だったのだろうが、それでも朱里にとってあの時の彼はまさしく御伽噺の中に出てくる英雄にも似た存在だった。
それからは仲達と、やがて自分と同じ様に身寄りを失って引き取られた雛里との三人で共に学び、門下でも一、二を競い合う程にその才能を高めた。
故に、仲達と一緒に過ごしてきた時間は恐らくは司馬徽よりも長い。
その中で理解し、時にぶつかり合い、それでも分かりあってきたこの絆は、そう容易いものではない。
――――――それほどまでに彼の事を相応以上に理解していても、だ。
「この司馬仲達、御遣い殿と共に天下に蔓延る乱を治めたく存じます」
今、目の前で繰り出された宣言に、朱里は自分の思考が追いついていない事にすら気づいてはいなかった。
司馬懿の唐突過ぎる宣言に、その場に居合わせた人間は一様に言葉を失っていた。普段から冷静さを失わず、慈愛と母性を兼ね備えている司馬徽でさえ軽く眼を見開き、驚きを露わにしていた。
そんな中、真っ先に我に返ったのは一刀だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!いきなりそんな事を言われても、俺にはロクな力は……」
「御遣い殿、何も貴方に戦場で剣を振るい、政治の一切を取り仕切れと云う訳ではない。天下万民が希求するのは乱を治める者……“天の御遣い”という象徴は、それを最も分かりやすく知らしめる存在なのだ」
司馬懿の凛然とした双眸が、一刀を真っ直ぐ射抜いた。
「僕は求めた。この乱を治めるに足る“器”が欲しいと。そしてその求めに応じて“器”が現れた今、それを支える事こそが僕の天命だ」
「………………」
「愚かだと笑われても構わない。巷の占い師如きの妄言を鵜呑みにする愚行だと謗られようと構わない。僕は、僕が今出来うる最善にして最高の事を成す為に全力を尽くしたいだけなんだ」
司馬懿の言葉は、何処か渇望にも似ていた。
今までの無力な自分を嘆く訳でもなく、名を高めたいと望む訳でもなく。
ただただ彼は、救いたいのだ。
そしてきっと、救われたいのだ。
自分の弱さを知るからこそ、その無力さを知っていたからこそ彼は―――司馬懿は、強くなる事を求めた。
それが叶えられなかったからこそ、彼は世界に絶望した。どれだけ智を磨こうと、名を轟かせようと、本当に求めていた場所に辿りつく事は出来なかった。世界がそれを許さなかった。
真に為すべき事。
“仲達”を知ったまま“司馬懿”に巡り合えたのならば、その意味も理解出来る。
「お願いだ、御遣い殿」
母親の温もりを求める様な眼差しで、司馬懿は言葉を紡ぐ。
「僕と共に、戦ってはくれないか?」
その手を握り、そして紡ごう。
それが俺に与えられた使命であり、機会であるというのなら。
「――――――ああ、宜しく頼む」
あんな結末を二度と繰り返さない為に。
変えようのない過去よりも、変えられる未来の為に。
もう一度、俺は君と共に歩もう。