魔法少女リリカルなのは -朱星の少女- 第二話 |
十分すぎるくらい広いと呼べる空間も、人が多くいるせいで、ひとえに『狭い』と言う印象を抱かされる。
そんな実際は広いのに狭いと感じる空間で、私は周りから見てもどんよりとした空気を纏っているだろう事は想像に難くないでしょう。
「? おねえちゃん?」
「ええ、何でもありません、何でもありませんとも。ですが、心の準備とやらをせずこのような状況になってしまったので、少々打ちのめされたというところでしょうか」
「??」
隣に座っているナノハが小首をかしげるが、私はそれにかまう事は出来なかった。
そんな余裕が無かったからである。
(迂闊でした……ナノハの年齢なら、ここに通うであろう事は分かりきったこと。そして、『双子の姉』であるコノハも、同じくここに通うであろうと言うことは想像できたはずです)
だと言うのに、いろいろ先を考えすぎた結果、目先に迫っていた現実に対する考えが足りなかったと言わざるを得ない。
……闇の書の闇より生れし三基のマテリアルが一基、「理」をつかさどるマテリアルSである私は、本日、この時点をもってして『幼稚園児』と言う身分を拝命することとなった。
数時間前。
「おはようございます、皆さん」
「ああこのは、今起こしに行こうと思ったのよ。早く食べちゃいなさい? 今日は入園式よ?」
「……『にゅうえんしき』?」
はて、それはいったい何なのだろうか?
そんな私の疑問をよそに、キョウヤやミユキ、はてはナノハさえ早く朝食を済ませろと急かしてくる。
私の予定では、ゆっくりと朝食をとりつつ、これからのことを考えようというつもりだったのですが。
「桃子、このはは起きたかい? って起きてるね。おはようこのは」
「おはようございます。……あの、にゅうえんしきとは何でしょう?」
つい今しがたリビングに入ってきたシロウに挨拶をし、ついでににゅうえんしきとやらについて聞いてみる。
しかし、瀕死の重症から生還し、ついこの間退院したばかりとは思えないほど元気ですね、シロウは。
モモコと同じく、受け継いだ記憶にある姿から微塵も変わっておりませんし。
「へ?このは、もしかしてまだ寝ぼけてるのかい?」
私の質問に、驚いた顔をしてシロウがそう答える。
失礼な。私はこれでも目覚めはいいです。
低血圧とは訳が違うのですよ。
「今日はこのはとなのはが海鳴幼稚園の入園式に行く日じゃないか」
「……幼稚園、ですと?」
シロウの言葉を聞き、意識が若干飛ぶ。
ようちえん、幼稚園。
幼稚園といえば、あの非常に幼き、まだ誰かの庇護にいなければ生存することがかなわない子どもが通う、あの幼稚園ですか?
そして、にゅうえんしきとはつまり入園式で、私とナノハが入園式に行くということは……
「私が、幼稚園児……ですか」
出来ればそれはお断りしたい。
そんな場所に通っている暇があれば、一刻も早く私がこのような状況に陥った原因を調べ無くてはならない。
もっとも、そんな私の考えなど、周りの人が分かるわけもなく、むしろピクリとも動こうとしない私を無理やり着替えさせ、強引に入園式に連れて行ったのだった。
「わ、私の意見は……」
「おねえちゃん、ようちえんにはいかなきゃだめだよ?」
まさか、ナノハに諭されてしまうとは……
そんなこんなで、私はこうして入園式に臨んでいるのだが、正直に言おう。まったくもって乗り気ではない。
以前の姿でも今の姿でも、見た目は子どもだったが、私は悠久の時を経た闇の書、そのマテリアルだ。
少なくとも精神は見た目以上に成熟しており、知識も少なくとも一般教養程度はもっていると自負している。
そこで雷刃を思い出し、何故か頭が痛くなったが、それは置いておきましょう。
ともかく、今の私は見た目とは精神年齢とやらが違うということなのだ。
そんな私が、式の途中ですらなかなか静かにならないこの子どもの群れに混じれと?
(第一、何故あなた達はそう理由もなく騒げるのですか? まったくもって理解不能です)
そうやってガシガシと精神を削られながらも、私は入園式何とか乗り切っていく。
昨日までの検証で、私がタカマチ・コノハと言う、生身の人間であると分かり、生身の人間であったからこうして精神が削られるぐらいですんだのだろうが、もし私がプログラム体のままだったら?
おそらく、私を構成する情報がガリガリと削られて、私の体が消えていく様が見えたので無かろうか?
私が受けたダメージはそれぐらいなのだ。
あぁ、これが人間を苦しめる元凶とも呼ばれる、ストレスと言うものでしょうか?
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
「あまり、大丈夫じゃないです……」
ナノハの質問にも、皮肉を交えて答えれないくらい、私は消耗しきってしまった。
その後も、私の精神は入園式が終わるまでガリガリ、ガシガシと削られ続ける事となった。
家に帰った後、私を見たナノハがこう言って来た。
「おねえちゃん、なんだかあさよりやせたの」
それは痩せたではなく、やつれたというのですよ、ナノハ。
さて、そんな形で幼稚園に通うことになってしばらくが経った私ですが、当然誰かと一緒にいようという考えは毛頭ない。
だから、やることといえば図書室……といっても、絵本がおいてあるだけなので図書室といっていいものかはなはだ疑問ではあるが。
とにかくその部屋で絵本を読むくらいだ。
「ふむ……この本もなかなかに面白いですね」
しかし、その絵本がなかなかに興味深い。
子ども向けの下らないものと思っていたのだが、なかなかどうして。
今しがた読み終わったこのウサギとカメも、子ども向けに表現は幾分か優しく変えてあるが、的確にこの世の真理を示している。
すなわち、努力する者には成功を、怠惰な者には失敗を。
もちろん、努力してもこの話のカメのように、必ずしも成功するとは限らないが、少なくとも努力無くして成功がない、と言うことは確かだ。
他の絵本にも、人間が生きていくうえでおおよそ必要であろうと予測できる知識を、子どもにも理解しやすいように書いている。
子どもに分かりやすく物事を教えるということは、教えたい事柄について教えようとした側が深く理解していなければ到底出来ないことだ。
ふむ、子ども向けとはいえ、侮れませんね、絵本と言うものは。
「おや、もうこんな時間ですか」
壁にある時計を見ると、そろそろ教室に戻らなければならない時間だった。
読み終わった本を棚に戻し、図書室を出る。
その際、扉に張ってある「としょしつ」と書かれた紙を見て、今まで思っても口に出さなかった疑問が、ついに口を出た。
「しかし、この図書室を利用する園児は、果たして私以外に存在するのでしょうか?」
窓を見れば、未だに男や女関係なく外で遊びにこうじている。
やはりあのぐらいの子どもは、じっと本を読むより体を動かすほうが楽しいのでしょう。
今まで、私以外にこの部屋を利用している園児を見たことがありません。
「……まぁ、どうでもいいことですね」
考えては見たものの、結局はそこに行き着く事になるので、考えるのをやめ、教室へと向かった。
そういえば、本に関係することで、何か大事なことがあったような気がしたのだが……
「本……書物……書……っ! 闇の書っ」
そうだ、私はこうやって幼稚園児生活を楽しんでいる場合ではないじゃないですか。
何故、忘れていた? 以前はあれほど考えていたというのに。
まるで、『そんなことなどどうでもいい』といわんばかりに、私はそれを忘れてしまっていた。
幼稚園からナノハと帰った後、私はすぐさま部屋に閉じこもった。
「おかしいです、こんな事が……」
今日、図書室から教室に戻る際に気づいたこと。
私が、明らかに今の生活に適応しつつあるのだ。
いや、適応する分にはいっこうに構わないのだが、その過程で、私が存在する意味、『砕け得ぬ闇の復活』に対しての執着とでも言いましょうか、それがなくなっているのだ。
現に、この事実に思い至るまで私はすっかりと砕け得ぬ闇のことを忘れてしまっていたのだ。
普通、自分の存在理由を忘れてしまうなんて事はまずないはずなのに……
「私は、砕け得ぬ闇のことなど……どうでもいいと思っている?」
口に出して、背筋が寒くなったような気がした。
そんな馬鹿なことがあってたまりますか。
もし、それがどうでもいいことなら、私はこれから何を目的として生きていけばいい……?
足元が、ガラリと崩れていくような気がした。
「……おねえちゃん?」
「っ、ナノハ……」
ナノハは私をじっと見つめ、ハッとしたような表情をしながら駆け寄ってきた。
「おねえちゃん、どうしたの!?」
「どうした、とはどういうことですか?」
「だって、おねえちゃんないてるよ!?」
「泣く……?」
ナノハの言葉に、顔に手をやると、確かに私の指は何かの液体にさわった感じがした。
そのまま手を目の前に持ってくると、私の指が何かで濡れていた。
「おねえちゃん、つらいの? 悲しいの?」
「泣く……私が、泣く?」
普通なら何でもないのだろうが、私は自分が泣いているという事実に打ちのめされた気分になった。
「これでは、私が……私じゃなくなっていくようではないですか……っ」
以前では想像もつかない思考、以前では想像もつかない感情。
以前の私だったらこの程度で打ちのめされたりはしないはず。なのに、私は涙をとめることが出来ない。
ありとあらゆる、以前の自分と違う要素。
それが、たまらなく怖いと感じてしまった。
「いやです、こんな、こんな……!」
震える体を押さえつけるように、自分の体を抱きしめるが、震えはいっこうに収まらず、むしろ強くなっていく。
「だれか……たすけて……っ」
縋るように、そう口に出したときだった。
「だいじょうぶだよ、おねえちゃん」
「……ナノ、ハ?」
ふわりと、ぬくもりに包まれたかと思えば、それはナノハが私に抱きついたからだった。
「なのはがいるから、だからなかないで、おねえちゃん」
「ナノハ」
「だいじょうぶだよ! なのはがずっといっしょにいるから!!」
その言葉を聞いて、私はそのときひどく安心したということが、頭に残っている。
「……朝、ですか」
まったく、いつの間に朝になっているのやら。
そう思いながら、起き上がろうとするが、何かにしがみつかれているため、失敗した。
「これは、ナノハですか?」
布団を払いのけると、ナノハが私の腕にしがみついて寝ている。
どうりで起き上がれないわけだ。
しかし、なぜナノハが……
「あぁ、そういえば、昨日は無様にも泣いてしまったのでしたっけ」
つまり泣き疲れて寝てしまったと。
それに釣られてナノハも寝てしまったのだろう。
眠ったせいか、少なくとも昨夜よりは心の整理はついている。
そして、落ち着いた心でならば、なぜ闇の書などについての執着がなくなったのかが驚くほどすんなり見えてきた。
「つまり、私がタカマチ・コノハになってきた、ということでしょうか」
つまり、今までの私は、あくまでプログラム体であるマテリアルSの意識がタカマチ・コノハという体を操縦しているといった感じだった。
要するに、あくまでも私とコノハは別の存在だった。
それが、時間の経過か、はたまた家族とやらのふれあい故か、あるいは両方か。ともかくそれにより、私とコノハの間にある誤差とも呼べる物が修正されてきて、私の意識とコノハで、一人の人間であるタカマチ・コノハになったというところでしょうか?
正直、こういった類のことはよく分からない。
ですが……
「私が今までの私のままでいれるとは、思わないほうがいいですね」
そろそろ、認めなければならない時期なのかもしれない。
私はすでにマテリアルSではなく、『人間』タカマチ・コノハなのだと。
体はもはや人間のものであることは分かっている。あとは自身のあり方を『人間』であると認めるだけ。
「まさか、私が人間になるとは。ますます、どうしてこのような状況になってしまったのかが気になりますね」
正直に言えば、もう怖くないのかと聞かれれば、今の私は間違いなく怖いといってしまうでしょう。
でも、ここで現実から目を背け、無駄な逃避に入るなんて合理的でもなんでもない。
「やはり、私はどこまで行っても合理性を求める者みたいですし」
なんとかナノハから腕を引き抜き、カーテンを開ける。
まぶしい光が、窓からさっと入り込んできた。
「ん……まぶしいよぉ……」
その入り込んできた光の強さに、ナノハがもぞもぞと動き出し、やがてむくりと起き上がった。
「んぅ……あ、おねえちゃん、おはよう」
ほにゃっと、寝ぼけたまま笑みを浮かべたナノハがそう挨拶をしてくる。
「……そうですね、おはようございます、ナノハ」
私は、それに微笑みながら答えた。
説明 | ||
星光さんの台詞の言い回しとかが難しいです。 それに、あくまでこの話では高町このはというキャラなので、ただ星光さんの言い回しを模倣してばかりでは駄目。 人間らしく、けど根底は星光さん。 そのさじ加減が、なかなかに難しいですね。 |
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