某スレッド第六回統一お題選手権参加作 |
宇宙人だって、美しいものくらいは知っている。
それは技術と計算で創造された、人の叡智の塊を指して使う言葉だ。
移民船は窮屈な上に、疑似重力も頼りない型落ちのオンボロだった。
バーニー・ヒルは暑苦しさに息を詰まらせる。このフロアだけで彼の他に、ざっと見て二百人は押し込められていると考えていいだろう。それでも月軌道07番コロニーのゴロツキ共を全員連行するには、少なく見積もってもあと四、五隻は同規模のボロ船が必要だ。
他の移民たちに目をやると、ある奴はわざとらしいくらいに大きな声で笑っていて、ある奴は猜疑心を隠さない目つきで同じような眼をした連中と身を寄せ合っている。ある奴はうずくまって顔を隠し、ある奴は夢の中にいるような表情で理想を語り、ある奴はガキのように泣き喚き、ある奴は腕に抱えた何かを慈しむような手つきで――。
「――兄さん」
自分を呼ぶ声に、意識が引き戻される。視線を右下に落とすと、頭一つ背の低い妹がバーニーを見上げていた。
「どうした、ベティ」
「こわい」
――抑揚のない声。朱の差した頬。震える唇。期待と不安が混ざった瞳。
笑顔を作って、ベティの掌を握る。落ち着きのない拍動が肌越しに感じ取れた。
そもそもの始まりは、つい数週間前だ。前々から噂されてはいたが、コロニーは遂に民営化を宣言した。だから居住者を選り好みするようになるのも当然の流れで、今までのように不法滞在者に見て見ぬふりをすることもなくなった。
追い出し先を用意してくれたのは、不気味なくらいの温情だ。コロニー中の嫌われ者をひっそりと宇宙に放り出したとして、咎める奴などいないのだから。
バーニーは片手で懐からPDAを取り出す。指先の操作で器用にブラウザを立ち上げると、すぐさま、お目当ての情報に辿りついた。
「なにそれ」
ベティが覗き込んでくる。
「ここに着陸するんだ」
画面を傾けると、ベティは眉を寄せた。
「……読めない。文字が小さい」
縮尺を上げても良かったが、文字送りの操作が煩わしい。バーニーは07コロニーが送りつけてきた資料を読み上げることにした。
「えぇと……、田園地帯だって。コメ作ってるんだ。大戦の被害を受けなかった場所のひとつで、今でも『自然』の多くが残ってるんだってさ」
とは言っても、バーニーも知識として知っているだけで、実際に『自然』を見たことはない。コロニー開発のごく初期に、酸素の供給に植物を使う案があったらしいが、様々な問題が重なって立ち消えたと聞いたことがある。今のコロニーで『樹』と言えば、プランターに収まっているそれのことを指す。
画像の類を添えたってバチは当たらないだろうに、資料は黒文字のテキストだけで構成されていた。
バーニーは息をつき、ブラウザを閉じてピクチャファイルを呼び出した。
中身はコロニーで撮った風景写真だ。『田園』に辿りつくまでの時間つぶしにはなるだろう。
ベティも黙って、それを見つめていた。
いくつもの写真が、画面を流れていく。
綿密な計画の上で造られた立体道路、一見ありえないようなバランスと完璧な計算の上で建造された高層ビル。あらゆる場所に黄金比が散りばめられたオブジェに、人の叡智を象徴する07コロニーの中枢タワー。
そして最後に表示されたのが、青く光る地球の姿だ。
これだけは美しくない、とバーニーは思う。
人類の大半が、宇宙で暮らすことを諦め始めて四半世紀になるらしい。誰に強要された訳でもなく、大勢が自分の意思で月面都市や軌道コロニーを捨てているのだから、地球産まれにとって『母なる大地』は文字面以上の意味を持っているのだろう。
そうして母星に帰った地球産まれの中には、コロニー運営の中核も少なくなかった。残ったのは宇宙で産まれ、宇宙で育った筋金入りの『宇宙人』だけだった。
――ブツン、と古き良きコールスピーカーがノイズを吐いた。
移民船の喧騒が、水を打ったように収まる。スピーカーはしわがれ声で言う。
『本船は、まもなく地球に到着する。各員、大気圏突入の衝撃に備えたし』
ヤケクソ染みた歓声が上がった。
だが、歓声はすぐさま、――本当にすぐさまに――船が震えて軋む音にかき消された。振動はたちまち轟音になり、バーニーの鼓膜を揺さぶる。移民たちの悲鳴がフロアに響いた。地球の重力と疑似重力が合わさって『地面』の方向に身体が引き寄せられる。即座に装置は切られたようだが、ぐらりと脚がふらついた。音の濁流の中で微かにベティの声が聞こえる。繋いだ手を強く握ると。更に強く握り返される感触。
――いっそ、奴隷にでもしてくれた方がよかったのだ。
産まれた土地に否定された人間は、瞼の裏に何を浮かべればいいのか。
父親はいない。四次大戦の戦場で頭を撃ち抜かれた。
母親もいない。ベティを産んですぐ、二人を置いてどこかに消えた。
明日からガキ二人にどう生きろと言うのか。コロニーが用意したのは住む場所だけで、食い扶持の稼ぎ方は各々で考えるしかない。
誰に頼ることも出来ないのは地球だろうが宇宙だろうが同じだけれども、コロニーには計算と、黄金比と、叡智の塊があった。
バーニーは歯噛みする。美しいものたちは、手の届く場所にはない。
どれだけの間、轟音に怯えていたのだろうか。何十分か、それとも何時間か。それでも振動は少しずつ小さくなり、最後には消えてなくなった。
周囲の移民たちから安堵のため息が漏れる。ベティに目をやる。瞳に涙を溜めていた。手を離して、頭を撫でてやった。
再度、スピーカーからノイズ。
『大気圏を突破した。もう間もなく、本船は着陸態勢に入る』
歓声は上がらない。移民たちの疲れはピークに達しているようだ。バーニーも同じようなものだった。力なく床に座り込む。
移民船が、機首を水平に保ったまま、高度を下げているのが感覚で分かった。嫌な浮遊感にに胃袋が縮こまる気がした。
移民たちは誰も口を開かなかった。バーニーたちのいるフロアが静寂に包まれる。
そして、前触れらしい前触れもなく、船は僅かな振動と共に、地上へと着陸した。
――どくん、と心臓が跳ね上がる。
金属が擦れる音を立てて、フロアの後方、渡航中はビクともしなかった壁一面の扉が、ゆっくりと開いた。スピーカーは達成感に満ち満ちた声で言う。
『本船は全日程を終えた。尻に鞭を打つようで悪いが、「乗客」の皆様には可及的速やかに新天地まで歩き出して欲しい。我々も早く地球の土を踏みたいのでね』
扉の先に見えるのは、『地球』まで繋がった廊下だ。遠くが光に輝いているのが見える。
移民たちは、自ずとそれぞれ歩き出した。二人もまた、それに倣う。
彼らはそれぞれ希望に満ちた顔や、不安の底のような顔、好奇心に溢れた顔で脚を動かしている。ベティの顔を覗き込むと、緊張で表情を強張らせていた。
こちらの視線に気がついて、ベティは不思議そうに首を傾げる。
自分はいま、どんな顔をしているのだろうか。とりあえず、笑い返した。
黙々と脚を進める。何人もの足音が反響して耳を劈こうとしている。五分ほど歩くと、横に長い出口に辿りついた。
それは大戦前の映画で見た、パラシュート部隊を敵地に投げ出すための搬出口を彷彿とさせた。多くの宇宙人が光の中へ吸い込まれていく。自分もまた、それに続くのだ。
ベティと手を繋ぎ直し、光の中に足を踏み出した。明暗の差に目が眩み、しかし立ち止まることも出来ず、どうにか降りたタラップの先、誰かの背中にぶつかって、それと同時に視界が開き――、
――大地が輝いていた。
顔を上げる。どこまでも高い青。その中に浮かぶのは力強さに溢れた白。世界の果てが赤く染まり始めていた。それを鏡のように映しているのが『田園』だろうか。遠くで日傘を持った誰かが、こちらに向かって手を振っている。犬がそれに合わせるように吼える。
呆気に取られて棒立ちになると、触れたことのない、瑞々しい空気がバーニーを飲み込んだ。空気は穏やかな風になり、風にそよぐ稲が緑色の波をつくる。生命の匂いが頬を撫でた。
空気にはまるで味がついているようで、息を吸うたびに心地の良い冷たさが肺を埋める。
地球の『田園』は、想像とまるで違った。こんなに広大で、豪壮で、端然としていて、そして――。
――突然、ベティが掌を離して走り出した。
一瞬慌てるが、無理もない、とも思う。自分だって、そうしたくて堪らないのだ。
移民たちは唖然とした顔で『地球』の空を見つめている。その間を抜けると、あぜ道の向こうにベティの後姿が見えた。この先には、緻密な計算で造られたものなんて、きっとどこにもないのだろう。
それが何だって話である。
少しずつ小さくなるベティの背中を追って、バーニーは感情のままに走り出した。
あぜ道は斜陽に燃え、田園もその赤色を一面に広げている。風景に目を奪われると、柔らかな土に靴を取られそうになった。泥が服に跳ね返る。それでも脚は止まらない。
『あぜ道』も『夕焼け』も『田園』も、舗装されていない『土』の地面や跳ね返るような『泥』だって、今までのバーニーはいくらでも知識で知っていた。知っていたが、ただそれだけだった。
ついさっきまでの自分を殴り倒してやりたいとすら思う。
唐突に限界がやってきた。脚の動きが意図せず止まって、顔から派手にすっころぶ。地面に鼻を削られたような錯覚。目尻に涙を浮かべながら、ふらふらと立ち上がる。
見上げた空には、暖かな夕日の姿があった。
バーニーは息を呑む。痛みも怒りも、漠然とした不安までもが、どこかに消えている自分に気がつく。
――もちろん、コロニーの美しさは、どうしたって忘れることの出来ない大切な想い出だ。
それでも案外、地球だって負けちゃいなかった。
だから、いつか。お金が溜まって、時間の余裕ができて、ベティがそれを許してくれたなら。
いま自分が見ているものを、コロニーの宇宙人にも教えてやりたいと思う。
本当なら独り占めにしたいけど、太陽は自分の懐には大きすぎて収まらないだろう。『宇宙人』同士のよしみである。
バーニーは、太陽が山々に隠れるまで、そうしていた。
「綺麗だね」
いつの間にか隣に立っていたベティが、呟くようにそう言った。
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某所にて晒した習作の加筆習性版その5 お題はそのまま載せると色々アレなので、気になったら各々で調べてください |
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