優しい夢の始まり |
忘れるな。泡沫の夢の中ということを―――
「あ〜……童貞(チェリー)食いてぇ……」
ミニバンの助手席に座る女性がタレた姿でぼやく。
御年の頃は二十歳頃。慣れないリクルートスーツに身を包み、茶色のショートカット。
ブラウンに近いオレンジの瞳の色合いを持つ日本人。
全体的に顔の形が童顔であるが故に、その身に付けられた"あだ名"が不釣合いに見せやすい。
嘗て、というよりも……今も号令一つで彼女を慕う者達が即座に駆けつけるほどの人望を持つ女傑。
神奈川県の北半分を丸ごと牛耳る―――"直江咲"は夜のしじまに溶け込む山道をガラス越しにボンヤリと見つめる。
「未貫通(おぼこ)がなま言ってんじゃないっての」
「うっさいぼけ。人が気にしてる事いうんじゃねえ……」
飛ばした拳を飄々と避けられる。夫婦揃って、自由気ままな風間慧子は咲が飛ばした戯れのような拳を払いのける。
運転の片手間に、かつ咲が現役時代に唯一無二の相棒たる慧子には……ジャレつきの拳は日常茶飯事だったのだから。
「まったく、夢見るのはいいけどね。自分がリード取りたいからって経験なし同士じゃ、悲惨な目に会うだけよ」
「けっ!息子までいるお前に言われたかねぇ!学生結婚の果てに息子産みやがって……!腹膨れたままで集会に顔出した時ゃ、私は開いた口が閉まらなかった」
「ま、若気の至りって奴よ。アイツに会わなかったら、アンタ引き込んで男見繕って遊んでたろうけど」
「連れ込むな?!私はレズじゃない!!」
振りそぞく雨。濡れた山道もなんのそのとミッション車特有にギアを入れ替え続け、ハンドルを惚れ惚れするぐらいに切っていく慧子を一瞥し。
「ちぇ!なんで、お前みたいな男装麗人?なんかそんな感じの奴が結婚まで出来て私は出来ないかな……」
「……そういえば、男も女も事欠かなかったな。まぁ、お前の場合は舎弟や妹達がこぞってたけど」
クツクツと唇の端に笑みを浮かべて、面白おかしく茶化す。
「うるせ!!くっそぉぉぉ〜〜!!翼の野郎は、何でこんな性悪女と結婚したんだ?!」
「そりゃ、私(あたし)以外にアイツの手綱を取れる奴が居ないからさ」
カセット下にある棚に手を突っ込み。タバコを取り出そうとするも。
「やめろ。私にも匂いがつくだろ!タバコの匂いつけてたらヤドカリ達が砂に潜ったままだ」
手にしたソフトケースを叩き落とす。割と本気の速度。痛みは無いが叩かれた手から落ちるぐらいの芸当。
「……ソレ絶対アンタのとこだけでしょ?というよりも"鹿島"の婆様の所から出ても飼ってんの?アンタ」
「ヤドカリ達が居なくなったら、私は何を楽しみに生きていけって?!」
「……絶対、アンタのヤドカリ熱もアンタに男が寄らない理由の一つよ」
呆れた声音で慧子は咲へと言葉を返して前方へと集中する。
夜の山道。しかも、雨の中を走らせるというは些かに神経を磨り減らす。
特に、ここ丹沢山中は傾斜も多くカーブがキツイ故にサイドミラーやバックミラー。
前後左右にも気を配っていないと―――
「はぁぁぁぁ?!?!」
「伏せてな!咲!!!」
人型機動兵器にぶつかる事とてある
ミニバンの横合い。ガードレールから一歩でも飛び出したら空中遊泳まっしぐらに切り立った崖。
舗装された道路の横合いから、掠めるように……否、慧子が咄嗟に車体を引っ張り。
墜ちていく様に崖側から咲達の進行方向の道路へと突っ込んでいく人型機動兵器。
そのフォルム―――彼女達に知る術はないが……"蜃気楼"
所々にオリジナルとの差異が顕著にあるも、総じて"悪逆皇帝"が乗りし最後の機体に瓜二つであり。
「な、なんだってんだ!一体……!」
「こっちが聞きたいぐらいだね……!」
急にハンドルを切って、車体を何と崖に埋もれるようにして止まる。"蜃気楼"の横合いに煽りを受けて横転したものの停められた慧子。
咲が助手席で盛大に転がった体制から起き上がりつつに悪態をつく様を、自身もミキサーにかけられた様な体制になっていながらに同意する。
シッチャカメッチャカとは正しくこの事と言わんばかりに、両者が互いに互いの不運を嘆きながらに顔上げ視線を目前の鉄の巨人へと移す。
「おいおいおい……!何の冗談だよ……!コレ―――どう見たって、ロボットじゃねえか!」
何とか車から這い出した咲は、目前の"蜃気楼"に愕然となりながらも叫ぶ。
「だね……」
「って、おい!お前、あっさりしすぎ!」
「ロボットだからって、なんだい?私(あたし)らに如何にか出来る筈ないだろう?」
同様に這い出してきた慧子が、呆れた声音でタバコに火をつける
這い出す時にもコレだけは持ってくるぐらいには現状が馬鹿げている認識しているのだから
一服したくもなるものだ
「あ〜……!ちくしょう!面接は落ちるわ、雨にうたれるわ、おまけにトンでも事態に遭遇するわ!」
グシャグシャと自身の髪を混ぜ返す咲。盛大な悪態を―――
「男も捕まらねぇわ!ついてねぇぇぇぇぇ!!」
上げるしかない。童顔とその言葉遣いが織り成す雰囲気はまさしく、やんちゃな子供が拗ねるそのものと言えるぐらいに。
そんな横で黙々と横転した車から携帯を探し出した慧子はモノクロの液晶に映る文字を確認してから。
「………あっ、"鹿島"の婆様に慧子から至急で繋ぎをお願いしたいと。ええ……お願いします」
「って?!おい、何でババアに連絡取ってんだよ?!警察だろ?!け・い・さ・つ!」
「アンタ馬鹿?こんなもん、一介の警察如きにどうにかできる訳ないでしょ?アンタと私(あたし)のチームですらまともに捕り物に出来なかったってのに」
「そりゃ……そうだけどさ」
「事、こういう荒時紛いの事は婆様にお願いした方がいいさ。アンタと私(あたし)の時もそうだったでしょ」
「……やめろよ。ソレ……軽くトラウマなんだぞ……なんで操り人形のデッカイ版。それもババアが操ってる奴如きに負けたんだろ……私」
軽くトラウマを抉られて、さらに落ち込む咲。雨の中体育座りしながらに座り込んでしまう咲を肩を竦めて見下ろしながらに電話の応対をする慧子。
凹んでる咲など捨て置くに限ると言わんばかりに。
「ふんだ。アンタも私に冷たいのは知ってるもんね。いいさ、いいさ!ババアのご機嫌取りでもしと……け…よ」
更なる悪態をつきだす咲が視界を上げる先で―――開いてく。
呆然と見入る。ゆっくりと開いていくコクピットブロックからずり落ちるヒト。
―――色素が抜け切った髪に不釣合いな"色合い"
左目側のみを覆い尽くす前髪。その部分だけ"蒼"
右の分け目から伸びる髪のみが"銀"
残り全てが老人のような白色に覆われた髪を持ち……全身、黒。
そう言いきれる服と外套―――マントを羽織った男が、ずり落ちていく最中を目撃した咲は反射のように飛び出し。
「うわっと?!って……軽りいな、おい。飯食ってんのか?コイツ……!!」
無意識で伸ばした腕に抱きとめた男をドギマギしながらに抱きとめる。
そして―――その顔を覗き込んだ瞬間。
ドクリ、っと芯が鳴る。心臓が鼓動を叩く。一際大きく、今までの人生で最大限と言えるほどの音を叩き出す。
「おい!大丈夫か?!結構な高さから落ちてきたが……」
駆け寄ってきた慧子にすら、気づくことなく見入る。いや、魅入られる。
顔が火照っていくのが分る。限界を超えて熱くなっていきそうな感覚。
今まで立ってきた、どんな死闘でも感じたことの無い高鳴り……今まで血潮を熱くしてきた幾多の戦いが、塵芥に等しいと今では断言できるほどの高鳴り。
自分の両腕の中で呻く男が齎す熱。雲散と降りしきる雨が熱を奪うはずなのに……自身の中から湧き出してくる熱を奪っていく事をしない。
苦悶に塗れていた顔が動く。辛酸と諦観。されど―――"到達する結末"に納得した者のみが象れる常の表情。
透明感のあるソレを、額が割れて血を流す青年は唇を動かす。
「う……ぁぁ……」
「おい?!しっかりしろ!!しっかりしろよ?!」
「やめろ!咲!頭を揺らすな!!怪我人だぞ?!」
慧子ですら見た事の無い焦りを浮かべた咲は、呻き声を上げた青年を懸命に揺すりだし慌てて慧子が止めに入る。
止めに入らないといけないほどに、取り乱した咲の願いが通じたのか―――
「……か、あ……さん?」
覗き込む咲の顔を薄く開いた眼で見やった青年は……弱弱しい言葉を吐き出して、意識を失いつつに。
「なっ?!か、身体が……!」
「か、髪も……変わっていく?!」
二人が驚きに固まる中、青年の身体は縮んでいく。熱を上げて身体に降り注ぐ雨が蒸気に変わっていくように煙を吐き出しながらに。
前髪と右側の髪から…"蒼"と"銀"が抜けていく―――
「………ごめん……なさい……」
雨の中、複数の車が走る音が聞こえてくる。
振り注ぐ雨音。切り裂く車の音。それらが咲の耳に届く事は無い。
青年が―――少年が漏らす。幼子が母に許しを請うような……悲しみと申し訳なさだけが籠もる言葉に咲は縛り付けられて。
「光灯る街に背を向け」
降りしきる雨。
「我が歩むは果て無き荒野」
しんなりとした紫(ゆかり)が夜闇に溶け込む。
「奇跡もなく標も無く」
五連の比翼連理を刻み込んだ黒留袖。何もかもが調和され、美しく佇む。
「ただ夜が広がるのみ」
――――およそ、200年分の年輪を刻み込んだような皺があろうとも。
「揺ぎ無い意思を糧として」
老婆は美しく佇む。常に精錬された空気を纏う"鹿島"家の家長は。
「闇の旅を進んでいく」
咲が抱く少年を優しげに見つめて、言葉を漏らした。
「………お帰り。私(あたし)の孫よ。"護"る事を選んだ―――」
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泡沫の夢 | ||
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