“誠”一文字の武士娘 |
さて時は、肌を寒さが差す冬の季節。
曇り空……とまでは言わないも、若干雲が多めの日曜日の昼下がり。
―直江家 リビング兼キッチン
手に持つ盆が微かに揺れる。
台所に立って、二人分のカフェオレを作っている時から鼓動の高鳴りを自覚していた。
直江咲は静まらない鼓動に齷齪しつつも、今だ渦巻く白と黒が混ざり合った茶色の渦を作るカフェオレへと視線を逸らしながらにリビングへと戻る。
カウンターテーブル越しに見えていた背中。背丈が二十(ハタチ)前後の年恰好となっている―――
「あ……と、で、出来たぞ」
「ありがとうございます。咲さん」
祐樹。鼻の上にチョコンと乗るように掛けられている小さな眼鏡、ともすればモノクルを二つ掛けているような街中では滅多に見ない眼鏡を掛けたままに。
炬燵布団を掛けたテーブル上に広がる雑多な書類。
総勘定元帳、各種補助簿、株式申込簿、株式割当簿、株式台帳、株式名義書換簿。
配当簿、印鑑簿、仕訳帳、現金出納帳、固定資産台帳、売掛帳、買掛帳、有価証券受渡計算書、有価証券預り証、売買報告書、社債申込書監査報告。
非課税貯蓄申込書、非課税貯蓄申告書、非課税貯蓄限度額変更申告書、非課税貯蓄異動申告書、非課税貯蓄勤務先異動申告書、非課税貯蓄廃止申告書etcetc……
枚挙に上げれば限が無い程に重なる紙の山。明らかに片手では足りないぐらいの会社分。本来ならば電子保存されている代物の一部をプリントアウトされ、処理している祐樹の姿に。
「……チンプンカンプンだわ」
「普通ですよ。分らない方が」
祐樹の手元から些か離れた位置にあった一枚の書類を摘み上げて、内容へと目を走らせるも一瞬でお手上げだと元在った場所へと書類を戻す咲。
そんな咲の言葉に手元の書類から視線を外さないままに、黙々と各項目を潰していく祐樹。
「?!……つかさ。よく出来るよな〜。こんなの」
手に取った書類を戻す途中で、テーブルへと乗っていた祐樹の掌に自身の手が触れた感触にドギマギして一瞬目を見開くも努めて冷静に言葉を為す。
気づかれないように炬燵へと潜り込んだ左手で炬燵布団をカモフラージュにしつつ胸へと手を当てる。
「寒いです。咲さん、布団上げないで欲しい……」
「うっ……!わりぃ」
祐樹が微かに身体を震わして、物悲しげに願う姿に息を詰めつつも直ぐに髪を掻きながらに軽く謝り。
「しっかし、婆も何でこんなモノを祐樹に流したんだよ?」
「働かない者食うべからず」
「……やっぱしか。普段の形(なり)から、普通に未成年扱いでいいだろうに」
「いえ、自分から願った事でもあります。自意識的にはいい歳した男がヒモっていうは……苦痛で」
「祐樹の性格からしたら、そうだよな〜」
「そういう咲さんは何を?普段家に居られますけど……?」
「ああ、私の場合は学がねぇし基本的に婆の護衛。SPって奴になってる。ま、何処か遠出をする時のみだけどよ」
「そうですか」
クルクルと自身の前髪を人差し指で巻き付けるような仕草をしつつに祐樹へと答える咲は。
「って言うか。その、さ。なんで……大人の姿になってんだ?」
朝食時には一緒に起き出して来た小雪と同じ子供の姿であったのに、小雪が京と一緒に出掛けた直前に自室へと引っ込んで書類と"PAK"を片手にリビングへと入ってきた時には。
「鍛錬の一種だそうです。如何にも俺はこの力を上手く扱いきれてない現状、一刻も早く慣れさせる為になれる時には、極力多用しておけと……」
もう、大人の姿。"斯衛"服を纏っただけの姿で顔を出すものだから、すわ?!何事か?!と慌てふためいた咲。
紆余曲折の末に、部屋着―――そも、出歩けるような格好ではないが―――として如何なのか?という若干、引きつった様な笑みを浮かべて自身のボーイッシュな服装の中から
多少大きめのパーカーとジーンズを引っ張り出してきて、祐樹へと着せた。
その際に……すんなりと入った。とまどいは「スカスカですね」というジーンズを履いた時の感想に大ダメージを受けてもいたが……
「そうか」
内心で婆GJ!と喝采を上げつつも、素面に出すことなく咲は頷いて。
「でも、本当にお前、昔は何やってたんだろうな?」
「……会計監査とか出来る所から察するに税理士でも……」
「戦う税理士?聞いたことも無いよな〜」
「……ですよね」
そんな答えに自身も簡単に同意してしまう祐樹は。
―――けど、御婆様は戸惑いもなく俺に"この"仕事を渡してきた。
養われるだけは何とも居心地の悪い事だと常々思っていた祐樹は、この機会に働く時は"この姿"になれば何かしらの収入を得られることが出来るだろうと判断し。
エレオノールへと仕事を頂けないだろうか?と相談した結果、真っ先に届いたのがこれ等の書類とデータ群。
―――御婆様は……
読み進めていけば、勝手に身体が動いた。ずっと同じような事をやっていたのであろう。
直走る手に成り行きを任せるかのように、欲するデータを"PAK"が投影するウィンドウに展開し必要な書類を形にしていく己に。
―――組織運営でもしていたのだろうか?
無意識に思った事は、真実を言い当てていた。"騎士団"。
"戦闘"よりも寧ろ、此方関係の方に時間を取られていたのは明白。様々な場所との連携、牽制、交渉etc
ワンマン体制。と言うよりも"たった三人"で全てを回していかなければいけなく、その頂点に立つ立場に居た祐樹には必然的に多くのモノが求められていた。
故に。身体に染み付いた代物。ある筈の無いデータを無意識に探し出す。"稼動運用""損耗パーツ""新規開発機"などのデータを求めるも。
―――……"何か"が足りない。けど、ソレに案著している自分が居る
そんな物がある筈が無い。時は2009年の平和な日本。外宇宙からの侵略などSFの世界だと一蹴される様な長閑な世界に……ある訳が無い。
胸に抱えた棘の様な想いに我知らず、苦悶のような顔を浮かべる祐樹。傍から見ていた咲は心配げに祐樹の様子を見守りつつ、話題転換に。
「そういや、今日は川神院―――」
「!小雪が帰ってきてます。"戻り"ますね」
出鼻を完璧に挫いた形になって祐樹はそそくさと自室へと向かい。
「たっだいまーーー!」
「おじゃまします……」
小雪の能天気な大きな声とその声に掻き消されそうな程に小さな挨拶を言葉にする京。
二人の声音に、思わず溜息を吐きつつも咲は対応する為に玄関口へと向かっていった。
「……さむい」
脱いだ上着をテキトウにベッドへと放り投げる。
クローゼットの姿見に映る子供の姿に不釣合いな咲の服を脱ぎながら。
―――なんだって、世界に冬という概念があるんだよ…
世界の摂理に対して悪態をついても状況が変わるわけもなく、さっさと着込んでいく。
そう……佐橋祐樹は基本的に寒さに滅法弱い。熱いのと寒いのどっちが嫌いと言われれば―――
―――早く春にならないのか?冬眠したくなる……!
即答で寒いの!!というぐらいに弱い。
どっかの世界では極寒の地でも着ていた反逆者のスーツとマントの機能のおかげで事なきを得ていたも。
「うぅ〜〜……寒い」
今の少年たる祐樹にはそんな便利な代物はなく、祐樹の中だけの三種の神器に縋って暖を取るしかない。
―――ああ、外出たくない。けど……今日は鉄心先生に呼ばれてるんだよな……川神院に
憂鬱な気分そのままに溜息を洩らしながら考えつつ、リビングへと向かう。
今日の案件を思考すれば、するほどに憂鬱で済まないほどに気持ちが落ちていく。
ついに、というか?等々というべきなのか?
本日は川神院へと初の顔出しとなる日。
―――寒い上に、気が乗らない呼び出し……鉄心先生も人が悪い
己の力を誇示することは嫌い。無駄な争いも嫌い。奪う戦いは唾棄すべき代物。
身を護る為の戦いなら仕方なく……けれど、大切な人を護る為なら、理不尽な戦いに巻き込まれる人を護るなら、いくらでも戦う気概を持つ少年は。
―――いくら、顔出しだけで力の件についても伏せてくれるって言ってもな
川神院の人達は……釈迦堂を除けば大概、とても親切で優しい人々。
その人達自身の人柄に対しては何も思うことはないが……
―――釈迦堂さんに鉢合うのはホンと、勘弁なんだが
落ちいく気持ちに呼応して、暗い雰囲気を背負っていく。縦線を背負い込みつつにリビングへと辿り着き。
「あ!ただいま!ゆうき!」
「大好きだよ。ゆうき。あと、お邪魔します」
顔出した祐樹にイの一番に反応する二人。
互いに炬燵の中に入り込んでいたが、飛び跳ねて祐樹へと飛びつく小雪と。
そんな小雪に膨れ面になりつつに袖を取りつつに対抗心を燃やす京。
「っと。こら、小雪。家の中で飛び跳ねない。いらっしゃい、京」
「うぃー」
「うん……。でも、スルーなんだね」
糸目になって首根っこにぶら下りつつにテンションを下げつつに答える。
対する京は、向けられた保護意識からやって来る暖かな笑みに心根が暖かくなるのを感じつつにゆっくりと頷く。
まぁ、本題は完全にスルーされているので、ちょっぴり哀愁を漂わせているが……
「寒い。とにかく炬燵」
二人への返事が終えて、寒さに耐えられないと言わんばかりに足早に炬燵の中へと身を潜らせる祐樹。
ぶら下る小雪も袖を掴む京もなんのその。一角に三人がすし詰めになるような状態で潜り込むが故に。
「おー。三人一緒だともっとあったかいね!」
「うん。ていうか、どれだけ寒いのダメなの?祐樹」
「京、京。四季じゃなくて、三季のが良くない?」
「……自然の摂理曲げちゃうのはどうかと、思うな」
「冬なんて消えちゃえばいいんだ!って一生懸命いうぐらいだもんねー」
―――お前ら羨ましすぎるだろ!
齢十歳前後の少女達に、血涙流す勢いの咲。
膝上を巡って視線で攻防を行いつつに祐樹へと返答している二人の様子に、手に持つ人数分の飲み物を放り出したい葛藤に悩ませられつつ。
何とか、年上の威厳を保つ為に我慢する。不自然に満面の笑み。こめかみに青筋を立てつつに。清清しい声音で咲は。
「おらー。お前ら、祐樹の上から退かなかったら吹っ飛ばすぞー」
全然、耐えられていなかった。
ドスの効いた声音に背筋に悪寒が走り、ピンと伸びて違う角へと退避する二人。
何時もぽやぽやとした笑みを浮かべている小雪がわりと本気に飛び出して行った所から察してもらいたい。
「咲さん……」
「う……!」
ジト目の祐樹。無言の威圧のようなプレッシャーに晒される咲。
「しょーもない…。祐樹、寒がりだから引っ付いてあげてたかった」
「だよねー」
いい気味だと、相槌を打ち二人で耳打ちしあう小雪と京。
空気に乗っかって祐樹が此れまでの咲の行動の中で苦言を申したい事をツラツラと述べ始めて、ソレに恐縮しぱっなしの咲を尻目に。
「……敵は強大。うかうかしてると盗られちゃう」
「むう!即物的な戦力を可及的かつ速やかに用意するのだ!」
視線の先に居る。二つの大きな戦力。ちょうど小雪の好物たるマシュマロに例えられる事もある胸の戦力に二人が慄き。
「やせっぽっち……直さなきゃ」
「ういうい。僕も僕も」
あと何年もすれば、愛情たっぷり注がれて育ったと自負する。年頃からしたら豊満なボディを持つに至る二人の少女はこの日から努力し始めたのであり。
―――わたしは祐樹に好きになってもらたい
一途に"仁"を持つ武士娘は――
―――がんばる
齢9歳の考えではない。普通ならば。
それほどに、椎名京という少女は。
愛に飢えていた。
「えこひいきだぞー」
「ブイ。(十点札を取り出して)」
―川上院 門前
「はぁ〜、寒い」
ダウンを着込み、首元にアラン模様のマフラーを巻き分厚い手袋をつけた完全防寒装備でありながらも。
「ざむい……中に早く入れてもらおう」
寒い寒いと洩らしつつ身体を震わせる祐樹は、雷門に似た門を潜り抜けていくと。
セイ!セイ!セイ!
修行僧達の盛大な掛け声が中庭兼稽古場と化している場所から聞こえてき。
「おオ!祐樹、着たんだネ」
稽古をつけていたルー・イー師範代が声を掛けてくる。
「こんにちは〜ルー師範代」
「こんにちハ、総代なら部屋の中に居るヨ。……形打ち1000本!」
「「「「「「「雄!!」」」」」」」
「案内するヨ。祐樹」
「ありがとうございます。ルー師範代」
案内を買って出てくれたルーに祐樹は頭を下げて。
「畏まることはないヨ……それにしても、祐樹がウチに来るとは……思わなかったネ」
祐樹の態度に朗らかに笑いながらも不思議そうにルーが問いかけると。
「……御婆様の差し金です」
溜息を洩らしながら祐樹は暗雲立ちこめる顔色で答え。
「はハ!なら……祐樹に百代を紹介するつもりだネ」
祐樹の答えに軽く笑い声を上げてルーは一人納得する。
「百代?……誰かに俺を紹介する為に――ですか?」
「だろうネ。祐樹の一つ上の総代のお孫さんだヨ」
そんなやりとりを交わしながら、二人は日本家屋特有の茶黒く変色した木板の廊下を歩く。
一枚の彰子に隔たれ部屋の前へと辿り着き。
「総代……祐樹が訪ねてきましタ」
「うむ。中に入れてくれるかの?」
彰子越しに返ってきた言葉に正座をしてルーはゆっくりと彰子を開けると。
「待っておったぞ…祐樹」
好々爺の表情を浮べた鉄心と。
「爺!会わせたいという奴は……こいつか?」
こちらを値踏みするように視線を細めて訝しげに見つめてくる。
黒髪短髪を持ち、腕を組んで仁王立ちの――――
「こりゃ!モモ!何度言うたら、言葉遣いを改める!」
"誠"貫く武士娘にして。
「………爺が直接、会わせたいと言うから強い奴だと思ったのだが」
嘆息を洩らす。戦闘狂(バトルマニア)という名の性を持つ少女。
後の武道四天王の一人にして四天王最強。
「はぁ……お前、名前は?」
川神百代との出会い。
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