仮面ライダークウガ New Hero Unknown Legend[EPISODE06 安心] |
「変身!」
叫び終わった数瞬後、雄介の身体は赤い複眼に赤い鎧を身にまとった古代の戦士、クウガへと変化した。変化を終えたクウガは戦闘の構えをとりながら、二体の未確認生命体を見据える。
−−かつて倒したとはいえ、強力な未確認を二体まとめて戦うのは無謀すぎる。
咄嗟に、判断を下したクウガは一体ずつ確実に倒す戦法をとることにした。
「おりゃああ!」
眼前の38号に向かって飛びかかるクウガ。38号の両肩を押さえ込んだクウガは力の限り、38号を押し続ける。38号は抵抗できないまま後ろに押されるが、精一杯両足に力を込め、クウガと38号の動きは停止した。
その瞬間にクウガの手刀が38号の首にヒットし、38号は怯んでしまう。その追撃に右膝をぶつけることで38号は後退する態勢となる。
「……っ!」
38号がうずくまった瞬間、クウガの背後から41号が跳び蹴りをかましてくる。当たる寸前に回避行動をとったものの、完全にかわすことが出来なかったクウガはバランスを崩し、砂浜を転がる。
立ち上がろうとするクウガに41号が左足の中段蹴りを放つ。クウガは右腕でそれを受け止め、左拳をぶつける。41号が少し後ろによろめく間に立ち上がると、41号に蹴りを入れようとする。
しかし、その瞬間……
「うぉ!?」
クウガの足下の砂が弾け飛ぶ。そこには、まるで細い縄状の何かが炸裂した後がくっきりと残っていた。
41号のいる方向とは別の方向を向く。そこには、鞭のような武器を手にした38号がこちらを見据えていた。
手に持った鞭を振るう38号。クウガはそれを軽い身振りでかわすが、38号は再び鞭を振るう。
「……?」
しかし、38号の攻撃は自身とは全く別の砂浜に命中した。鞭を振るう行為を38号は幾度も繰り返すが、そのどれもがクウガに掠りもせず砂浜に直撃し、その内の何発かは41号の付近に、直撃する。
その光景を見ていたクウガは、38号自身が鞭に振り回されているように感じる。実際に38号は再び鞭を振るうために数秒の時間を要していた。以前に戦った38号のそれとは何もかもが段違いなのだ。
その数秒間という時間をクウガが利用しないわけがなかった。
鞭が全く違った方向に振るわれた瞬間、38号に向かって跳躍する。鞭を手元に引き戻そうとしていた38号に右拳を繰り出す。仰け反った38号を横目に、再び38号の側に戻った41号にも拳を繰り出すものの、41号は上半身を屈め、それを回避する。
体勢を立て直した41号は右足をクウガの腹部に叩きつけた。その勢いに負けたクウガは後退するがその先にいた38号が複数回折りたたんだ鞭でクウガの首を締め上げる。
「グッ……!」
戦闘技術が格段に落ちたとはいえ、人間の力を大幅に上回った怪力はクウガの体力を確実に削っていく。抜け出そうとするクウガに抵抗するように、38号も両腕に力を加え、より強くクウガの首を締め上げる。
その隙に41号はクウガとの距離を空けるべく、後ろ向きに跳ぶ。41号は勢いをつけ、クウガを目掛けて大きく跳躍する。
そして、ドラゴンフォームのクウガを地面に叩きつけた、マイティキックに酷似した体勢をとり、41号はその一撃をクウガに浴びせようとした。
「く……うあぁぁああ!!」
クウガが叫ぶ。その瞬間、クウガの腕から電気のような閃光−−金の力の断片である電流を放出させた。
それに動揺した38号は腕に込めた力を一瞬緩めてしまう。
その一瞬を、クウガは見逃さなかった。
「はっ!!」
肘打ちを38号の腹部に叩き込む。まともに食らった38号は完全にクウガを締め上げる行為を放棄し、クウガを解放する。
体勢を立て直したクウガは迫り来る41号の蹴りを手刀で叩き落とす。相手が体勢を立て直す前にクウガは左拳を41号に叩きつけた。まともな体勢でそれを受け止められなかった41号はフラフラと後退る。
「うおりゃああ!!」
そして、追撃の回し蹴りを41号の胸部に叩きつけた。全身のバネを総て活用したその一撃は41号を彼方へと吹き飛ばすことに成功した。
直後に38号が背後から襲撃をかけるが、クウガは人間の何倍にも研ぎ澄まされた感覚でそれを察知し、それを避ける。お返しと言わんばかりに38号の腹部に何発も拳を繰り出し、最後に顔面に一撃をぶつけた。
海面に叩きつけられた38号を見据え、クウガは右手を左前方へ突き出し、左手をアークルの右方へとあてがうと同時に右足を後方へと移動させる。
腰を低くし、両腕を広げることでバランスを取る。そして、クウガは右足へと意識を集中させる。徐々に熱くなる右足に、力が漲っていく。
−−今度こそ、倒す。
心でそう誓い、立ち上がろうとしている38号に向かってクウガは走り出そうとした。
しかし……
「クウガ……」
自身の名を呼ぶ声が聞こえた。
通常の人間の聴力を何倍にも向上したクウガのそれは、その声をはっきり捉え、声のした方向へと顔を向ける。
そこにいたのは、主犯格の未確認や38号と41号に襲われ、自分が捜していた少女だった。
そして、それを理解した瞬間、クウガの脳内にシルエットが浮かぶ。
大量の未確認生命体とクウガが戦っている光景。
自らの拳と脚を使う戦士の身体は赤く。
細長い棒のようなもので敵を薙払う戦士は青く、全体的に細い。
拳銃のような形状の武器で敵を射抜く戦士は緑色で、左肩を強化したような姿。
大剣で敵を切り裂く戦士は紫色で重々しい鎧をまとっていた。
そして、それを彼方から見つめるひとつの影があった。戦士と敵が戦っている様を傍観するそれは、その状態をしばらく維持していたかと思うと、戦士のいる場所に向かって手を伸ばす。
その腕も、まさに怪物のそれだった。伸ばした手を広げると、それからじわじわと黒い靄のようなものが滲み出す。
そして、それを戦士に向けて放った。戦士はそれに気付くが、その瞬間に放たれたそれが、周囲にいた怪物を含めて戦士を包み込んだ。その靄はやがて視界を覆い尽くし、何も見えなくなった。
−−その暗闇の中に、一滴の雫が落ちた。
どの水よりも澄み切っており、どの宝石よりも輝いていたその雫は、暗闇に波紋を生ませた。
波紋の中心に、人影が現れる。その人物は、泣いていた。澄み切った、美しい涙を流しながら、暗闇の中で俯きながら泣いていた。
やがて、その人物が顔を上げる。
−−その人物は、雄介が助け出した少女の姿だった。
「……っ!」
そこで、クウガの意識が現実へと引き戻された。ほんの一瞬の内に脳裏に浮かんだ情報が全身の動きを停止させた。
「38号は……!」
再び思考という活動を開始したクウガは標的の姿を探す。しかし、先程まで38号がいた場所には何も残されていなかった。
敵の気配が完全に消えていることを確認したクウガは変身を解き、雄介へと戻る。そして、雄介は救助した少女へと視線を移動させた。
−−その瞬間だった。ドサという音を立てて、少女が砂浜に倒れ込んだのは。
「……っ!」
咄嗟に、少女のもとへ走り出す雄介。
「大丈夫!?ねぇ、大丈夫!?」
少女の側に駆け寄った雄介は、彼女の身体を揺さぶりながら、必死に呼びかける。しかし、意識を失った彼女は両の瞳を閉じたままで、雄介の呼びかけに応じることはなかった。
湿気の強い臭いが立ち込めた薄暗いトンネルの中を、2つの影が歩いていた。しかし、その2つの影の歩き方は、どこか身体に負担を抱え込んだような、不安定な歩き方だった。
トンネルの中腹部辺りで二つの影は歩みを止めた。壁に身を任せ、身体を壁で支えながらズルズルと座り込む。
二つの影は胸部や腹部辺りを入念にさする。これで痛みが和らぐことがないと知っていながらも、必死に痛みを紛らわせようとする。
なぜ、このようなことになってしまったのか。
その考えが脳裏に浮かんだ。痛みを意識しないように、考えをそちらに必死に切り替えようとするがそれすらも痛みが阻む。そのせいで、まともな思考を行うことも出来ない二つの影は、いつまでも全身に響く痛みに抗い続ける。
−−だが、その行為も長くは続かなかった。
「けっきょく、まけたか……」
ジメジメと湿ったトンネル内に声が響き渡った。
突然響いた声に、二つの影が一斉にその方向を向く。
−−そこには、一つの黒い影があった。入り口からの光が殆ど届かない暗闇の中でも一層黒く見える霧のようなものを纏うそれは、軽く二メートルを越す巨体に頑強そうな骨格、それ自身が発光していないにも関わらず爛々と輝く双眸に、口から覗く鋭い歯。
周囲の暗闇から切り離されているように見えるその影は、現実の中に迷い込んだ異世界の存在であるようにしか思えなかった。
「いくらできそこないとはいえ、にたいのみでは、くうがをたおせなかったようだな」
まるで日本語を覚えたばかりの外国人が話しているかのような、舌足らずな発音の声がトンネル内に響く。しかしその声は、二つの影を見下しているような印象を抱かせるようなものだった。
痛みが走る身体に鞭を打ち、二つの影が壁で身体を支えながら何とか立ち上がる。
−−こんなことになってしまったのは、全て目の前にいるこいつのせいだ。
二つの影の頭の中にそのような考えが浮かぶ。現在の事態を作り上げた全ての原因を目の当たりにして、二人は失っていた闘志を敵対心という形で甦らせていた。
しかし……
「……ッ!?」
身体が全く動かなかった。今すぐにでも飛びかかり、殴りつけたい衝動が身体中に溢れているのにも関わらず、二つの影は全く動けなかったのだ。
二つの影の、身体の至る所がガクガクと震え出す。気分がおかしくなりそうなほどの濃密な威圧感をまともに浴びた二つの影は、ただただその威圧感に怯えることしか出来なかった。
衝動と恐怖が自分達の中でぶつかっていた最中、目の前の影は一歩ずつ自分達のもとへと歩み寄ってきていた。
そして、二つの影の横をその影が通り過ぎようとした瞬間……
血肉が裂け、何かをえぐり取るような音が二回聞こえた。
「やはり、だめか……」
二つの影とは別の影が、呟く。その声は、どこか残念そうな感情を含めたような声であるようにも聞こえる。
「まぁいい……じかんをかければ、なんとかなる……」
再び歩き始めた影は、一直線にトンネルの出口へと向かっていく。
その影の背後には、生気の失った二つの影が地面に横たわっていた。
PM3:42 関東医大病院
「……」
清潔に保たれた病室に設置されたベッドで、先程、未確認生命体に襲われた少女が眠っていた。世の中を騒がせている恐怖の権化とも言えるそれに襲われたことが働き、彼女の表情は疲れているように見えた。
その少女の眠っている様子を雄介は静かに、ジッと見つめていた。
「五代」
静かな空間に、雄介を呼ぶ声が響き渡る。声のした方向を見ると、病室の入り口に一条が立っていた。
「一条さん」
「彼女の様子はどうだ?」
「ずっと眠ってます。命に別状はないそうですけど……」
未だに目覚めない少女を、雄介は心配そうな面持ちで見つめる。それにつられて少女の方に目を向けた一条も、どこか心配している様子だった。
38号と41号との戦いの後、雄介は速やかに関東医大病院にいる椿に、病院へ早急に少女を運ぶようにと連絡をとっていた。彼女を見つけた際の準備をしてくれていたため、彼女は受け入れ態勢が万全に整った状態で病院に運びこまれ、なんとか事なきを得ることが出来たのである。
だが、彼女はその件以来、ずっと眠り続けている。椿の話では、38号と41号に襲われた際に出来た傷は、幸いにも擦り傷と軽い打撲のみだったらしい。
「奇跡がこうも続くとは……」と彼は言っていたが、その時の彼は、彼女の命が無事だったことを喜んでいた。
無論、それは雄介や一条にも当てはまるのだが、今は目覚めない彼女への心配がその感情を上回っていた。
「ところで、会議の方では何か進展はありましたか?」
「突然現れた未確認生命体第6号と第23号の対処に向かっていたため、会議はまだ行っていない」
自分の戦っている場所とは別の場所で未確認生命体が出現したと聞いた雄介は、表情をほんの少し険しくさせた。
「どうなりました?」
「君の言う通り、復活した未確認は以前戦った時のような戦闘を行わず、がむしゃらに暴れまわっていただけのようだ。銃弾の効果がないのは相変わらずだが、39号の事件時に使用した超高圧ライフルや催涙弾の効果を強化した弾丸を使って追い返したという所だ。被害者が0人だったのは幸いだったが……」
「早く未確認を倒さないといけない……ですよね?」
雄介の決意を込めた瞳に、一条は無言で力強く頷いた。
そう、雄介も一条を含めた警察も、今回蘇った未確認生命体を一匹も倒せていない。
複数匹の行動により、雄介がいない場で未確認生命体が暴れていることや、警察側の人員が薄くなっていることを含めていることが原因とされているが、何よりも大きな原因は、現在の状況整理が全く出来ておらず、どのような出方をすればよいか、方針が全く定まっていないことにある。
未確認生命体に対抗する上で必要なクウガ、すなわち雄介との連携が成功できたのも、相手側の犯罪ケースを把握できていたからこそである。しかし未確認生命体の活動が連続で発生している現在、話し合うための時間など全くと言っていいほど無かったのだ。
それに加え、未確認生命体がただ暴れまわっているということは、未確認生命体自身が標的を定めず行動をしているということであり、こちら側が下手をすれば被害者の数が急激に増大することにもなる。
故に話し合う機会が出来れば、未確認生命体の活動や彼らの謎の行動、一般住民への避難の指示、戦闘態勢、そして今回の事件の黒幕とも言える未確認生命体についての対策を企てなければならない。
しかし、手掛かりが少なすぎる現在、対策案を出すのでさえも対策班内部で困難を極めていた。
「一刻も早くこの事件を解決しなければならない……そのためには、一体何が必要なのか……考えれば考える程、真相が闇の中に溶けていくように感じる……」
独り言のように呟いた一条の言葉が、静かな病室に響く。
「あの、一条さん……」
「なんだ?」
「なんていうか……別の考え方をしてみたらいいんじゃないかなって……」
雄介が言う、『別の考え方』という言葉に一条は眉をひそめる。
「別の考え方……?」
「さっき戦った38号なんですけど、鞭を使うのにすごく苦労していたんです。なんか、初めて鞭を使って戦うって感じで……とにかく、戦闘が全くの素人っていうか……」
そう言われると、6号と23号の戦い方もかなり滅茶苦茶に暴れまわっているような一方で、どこか動きにくそうに戦っている印象があった。
そのように捉えると、今回の事件で復活した未確認生命体全体は戦闘技術がかつてのものよりはるかに低くなっている可能性が考えられる。現に一条が6号と23号に対して使用した超高圧ライフルや催涙弾のみで簡単に撤退していることも、かつての未確認生命体にしてみたら有り得ないことである。
「それに、主犯格の未確認の行動に対してもこれまでとは別の考え方を持って対策を考えることが必要だと思うんですけど……」
雄介の言う通りだった。現在、主犯格と思われる未確認生命体が行っていることといえば、雄介や一条ら警察が倒してきた未確認生命体の復活。この活動自身が最大の謎であることには違いないことだ。
長野県で第0号が起こしたと見られている未確認生命体の大量虐殺事件とは正反対の結果を導いているこの行動については、目的が全く不明なのである。
仮に何か目的があるとすれば、大量虐殺とほぼ同時に倒した未確認生命体を蘇らせた意図はいったい何なのか。
また、復活させた未確認生命体の戦闘が複数体同時に活動することと、戦闘能力を駆使して戦おうとしない理由についても何らかの関係があるのか。
これらの活動が、これまで未確認生命体が起こしてきた事件と全く関連性がないことが雄介や一条ら警察が事態を把握できていない大きな原因であった。
しかし、雄介の言うとおり、これまでの未確認生命体の動きと切り離して考えるとしたら……?
主犯格の未確認生命体が、これまで戦ってきた未確認生命体とは全く別の目的で動いているとしたら……?
過去の彼らの行動パターンや法則性にしばれれる事なく、この未確認生命体の行動についてのみを考えるとしたら……?
雄介の言う通り、別の見方をすることで事件の真相が見えてくる可能性だってあり得る。
「分かった、今後の会議でそのような考え方で捜査方針に変えられるかどうかを検討してみる。だが……」
一条はそこで口ごもってしまう。その視線の先には、ベッドの上で眠っている少女がいた。
「この子から、事情聴取するんですよね……?」
雄介が、悲しそうな顔をしながら、訊ねる。
先程言った捜査方針を固めるためには、やはり主犯格の未確認生命体の情報がほぼ無い現状では、不可能に近いであろう。
そこで警察が注目したのは、主犯の未確認が直接手を下そうとしたこの少女だった。犯人の姿を最も近くで見ていたからこそ、有力な手がかりが彼女から入る可能性が最も高いということは雄介も重々理解している。
しかし、それはこの少女に再び事件の概要を思い出させることである。世間において、最も恐れられている未確認生命体に襲われた時のことを事件解決のために無理やり思い出させようとするのを、雄介は快く思っていなかった。
それで、この少女に再び悲しい想いをさせてしまうのだから。
無論、一条もそのように感じていた。しかし、警察であり、一般人の安全を義務としている彼は、そうと判っていても、
実行しなければならないのだ。
未確認生命体の恐ろしさと、それが導く結果の悲しさを誰よりも重く受け取り、深く理解している二人だからこそ。
この悲しい決断を下すのに、戸惑っているのだ。
「その少女に関してだが、新しいことが分かったぞ」
突然、病室の入り口から声がした。そこには椿が、複雑そうな面持ちで二人を手招きしていた。
「記憶喪失……?」
椿の診察室に通された二人が真っ先に聞いた言葉がそれだった。
「それは、どういうことだ……?」
「あくまでも可能性の話だが、あの少女は記憶喪失になっている可能性が高い」
椿の言ったことについての理解が追いついていない一条が椿に問いかけると、椿は補足を加えた。
椿の話によると、昨夜彼女が運び込まれ、数時間が経過した後、彼女は意識を取り戻したそうだ。その際、深夜の見回りをしていた看護婦が廊下で歩いていた彼女を目撃し、夜勤で入っていた椿の同僚である医者が彼女に問診を行ったのだが、彼女はこう言ったそうだ。
『何も、思い出せない……』
これを聞いたその医者は記憶喪失の可能性があると判断し、この病院の専門医に詳しく診断してもらった結果、彼女は記憶喪失で間違いないらしい。
「昨日の未確認に襲われたことが原因なのか?」
「彼女の診断結果を見たら、頭部にも体内器官にも全く異常が見られなかった。専門医の視点から見ても、頭部への障害が記憶喪失の原因である可能性はまず考えられない」
「だとすると、残っている可能性って……」
「……精神的要因による、記憶喪失だ」
気難しい表情となった椿が、言い辛そうにつぶやく。
精神的要因で起きる記憶喪失に関しては、一条も雄介もほんの少し知識があった。あまりにも衝撃的なことがあった際に精神崩壊を防ぐために自己防衛機能が働き、発生するものだ。
未確認による外傷がない以上、それが記憶喪失の原因とみるので間違いはないが、そう捉えると彼女の身によほど衝撃的な何かが起きたと言う事に他ならない。
雄介と一条はそれを聞き、なおさら彼女のことが心配になる。主犯の未確認に関する手がかりがなくなったことなど、彼らの中では大きな問題ではなかった。
彼女はその悲しい出来事のせいで、自分が何者かも分からなくなってしまったのだから。
「椿先生!!」
椿の名前を叫びながら、一人の看護婦が診察室に入ってきた。何事かと思い、椿らは看護婦の方を見る。
「例の女性の患者さんが、少し目を離した隙に、またいなくなりました!!」
「なんだと……!?」
椿は驚き、声を荒げ、一条も目を大きく見開いていた。
そんな中、雄介だけは診察室を即座に飛び出していた。
「五代!!」
背後から聞こえる椿と一条の叫び声を無視し、雄介は少女を捜しに向っていた。
「……」
少女は、病院の中庭というところにやってきていた。清潔に整えられた建物の中に比べて、自然の環境を備え付けられたこの場所は、人工物特有の匂いがなく、自然のありのままの姿をこの身で感じることが出来る。人工物に囲まれた建物内の居心地の悪さが気にいらなかった彼女は、この場所を気にいっていた。
「……」
吹いてくる風を、心地よさそうに浴びる少女。しかし、風がやんだ後、彼女の表情は暗くなっていた。
−−どうして、また(・・)忘れてしまったんだろう……
海に歩いていった際にも幾度も繰り返された自問自答を再び行う。
忘れまいと決めていたのに、なぜ忘れてしまうのか。彼女は自身の無力さを恨んでいた。
大切だからこそ、覚えていなければならない。
覚えていなければ、あの人が悲しむから。
その人が自分自身を救ってくれた、自分自身を証明する大切な思い出だから。
−−しかし、その大切な人の名前も思い出も、もはや(・・・)覚えて(・・・)いない(・・・)。
自分が自分である証が手の内からこぼれていく。
不安でたまらなかった。
苦しくてたまらなかった。
自分を知っている人がいなくなることが怖い。
自分を、自分と呼べなくなってしまうことが怖い。
迫りくる正体の判らない焦燥と恐怖が、余計に彼女を不安にさせていたのだ。
「かえしてよ、それ!!」
「なにいってんだよ、これはおれのだろ!!」
「ぼくのだよ!!かえしてよ!!」
彼女が不安に押しつぶされそうになっている中、そのような声が聞こえた。
目の前に6歳ぐらいの二人の男の子がいた。片一方は同世代にふさわしい背格好で、もう一方は大柄で力も強そうな感じだった。
言い争いをしている彼らは、どうやら前者の少年のものであるボールを後者の少年が取ったことに対しての言い合いのようだ。
「……」
それを見ていた少女の胸の内から、不安からくる焦燥感が消え去っていた。
新しく生まれたのは……
−−二人が喧嘩するのを見たくない
二人の少年を思いやる、優しい思いだった。
しかし、少女がそう思った瞬間……
「うるさいんだよ!!」
力の強そうな少年が拳を振り上げた。次の瞬間には、もう一方の少年に向かい、容赦なく拳を振り落としていた。
もう一方の少年は、両目を瞑る。少女は間に合えと強く思いながら、駆け出そうとする。
しかし……
「ヨッ、ホッ……!」
それらの動きを、一瞬にして止めた男性がいた。
その男性は複数のボールを持っており、空中に投げていた。一つを投げたら、一つを受け取り。また投げると、今度は別の手でそれを受け取る。それを繰り返す。
その動作に、二人の少年は釘付けになっていた。それは少女に対して同様のことが言えた。
「ふう……」
やがて、その動作を終えた男性は、二人の少年に笑顔を向けてこう言った。
「ボールで遊びたいって気持ちも判るけどさ、それを二人でやってごらんよ。一人でやるより、もっともっと楽しいから!」
最後に「ね!」と言いながら、男性は拳に親指を立てた右手を少年達に見せた。
「うん!わかった!!」
その男性に対し、二人の少年は飛び切りの笑顔を向けてそう言った。その後、二人は遠くに走っていき、キャッチボールを始める。怒りで血走った目ではなく、本当に楽しそうな笑顔をお互いに向けながら。
それを満足そうに見届けた男性はやがて、こちらに向き直る。−−先ほどの笑顔をそのままに。
「少し、深呼吸しない?」
こちらにその言葉を投げかける。そう言うと男性は「んー」と言いながら、両腕を精一杯伸ばし、体を反らし息を沢山吸い込む。そうした後、「ぶはぁ」と言いながら溜め込んだ息を一斉に吐く。
「君は君だから。どんな時でも、どんな君でも」
笑顔を絶やさず、すらすらと言葉をつなぐ。彼女は彼の言葉に自然と耳を傾けていた。
「だからさ、少しだけ休んでみようよ。それから、考えてみてもいいんじゃないかな?ね!」
少年達にやってみせた、拳に親指を立てた右手をこちらに向ける男性。
正直に言って、ほぼ初めて会った男性だ。それなのに、こちら側が何を考えているのかが判っているかのような感じで話してくることに、彼女は彼に対して疑問を抱いてしまう。
−−だが、彼と接することによって、彼女の心にあった焦燥感や恐怖感は、いつの間にか消え去っていた。
さらに、少女は思い出す。この男性に話しかけられていた少年達もすぐに笑顔を取り戻していたことを。
そして、同時に気付く。
−−この男性は、無意識のうちに、誰かの心をすぐに理解し、安心させることができる男性なのだと。
「俺、五代雄介って言うんだ。よろしく!」
笑顔を浮かべながら、自身の名前を言う男性。そして、自分のほうに右手を差し出した。
見ず知らずの男性が何者かは判らない。
自分が失くしたものを、取り戻せる確証もない。
それでも、胸のうちに溢れる温かさをかみ締めるかのように。
彼の優しさに寄り添うかのように。
少女は、彼の伸ばした手を、そっと握り返していた。
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第7話となります | ||
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