Re@l Voc@loid 第二話『ハジメテノオト』その@ |
【PM 22:13】
18:00を過ぎた頃から降り出した雨は未だ止む様子を見せない。
夜闇に紛れ、レインコートを身に付けた二人の男が無人のテナントビルから毛布にくるまれた何かを車に押し込んでいた。滑り込むように運転席に乗り込んだ男がレインコートのフードを外す。現れたのは皮肉気な三白眼を持つ短髪の青年、入江貞之であった。
「住居侵入及び窃盗……これで俺達は共犯だな」
貞之はハンドルの上に両腕を組みそこへ顎を乗せると深々と息を吐いた。
「すまない……」
後部座席に荷物と共に乗り込んだ唱がフードを外しながら静かに沈痛な表情で詫びる。
「真に受けんなよ、冗談だって。お前が破滅的な悪い事をする何て思っちゃいねえさ……さあ、良いか? 準備が良けりゃ車出すぜ、ご近所に不振がられないように深く静かにな」
言って貞之は車を発進させた。付近に人通りは無いが車道に出る際は周囲に奇異に思われないように、ゆったりと如何にも自然体を装って廃ビルの駐車場から出て行く。
唱は静かな揺れに身を揺らし隣の荷物を労わるように視線を向ける。毛布の隙間から薄緑色の髪の毛がこぼれている。唱は無意識に小さく呟いていた。
「初音……ミク……」
もはや説明は不要だろう、それが少女の名前である。
2007年に登場し、世を席巻した電子の歌姫、ボーカロイド 初音ミク。
彼女達が生み出した文化とそれを愛して止まない人々の情熱が日本のロボット技術と融合し、遂に実在する初音ミク型アンドロイドこと【リアル・ボーカロイド】が誕生した。そして2040年の現在ではリアル・ボーカロイドは一般ユーザーが手にする事が出来るまでになっている。唱が廃ビルで発見したのはまさにそのリアル・ボーカロイドであった。
廃ビルの中で遭遇した初音ミクと結城唱、目と目が合う二人であったが唱は突然の成り行きに掛ける言葉を失っていた。故にイニシアティブを取ったのはミクの方だった。
ミクは思考停止している唱に対しニコリと弾けるような笑顔を浮かべた。
「貴方がマスター……ですか? はじめま……し……て―――」
だがミクによるリードは長くは続かない。告げる言葉の途中で彼女も唐突に停止してしまっていた。唱が慌てて調べると彼女はバッテリー不足により強制的にシャットダウンした様であった。内臓バッテリーの枯渇はノートPCだけではなかったらしい。困ったのは唱である。停止した彼女を連れ出そうにも、意識の無い人型の物体は融通の利かない重量の荷物と同類だ。非力な唱に彼女を動かす事は容易では無かった。困った唱は親友である入江貞之に助けを求めた。携帯越しに事の経緯を聞き、始めは驚いた貞之であったが、彼は唱を咎めはせず、逆に有用な指示を提案した。陽の有る内に怪しい行動をするのは不味い。一旦出直し、日が暮れてからミクを連れ出そうと……。彼女を一人残す事に不安もあったが、唱は貞之の言葉に従い一度家に戻った。貞之は大学の先輩から車を借り受け、唱と合流すると再び廃ビルへ潜入しミクを回収したのだ……。
「しっかし……」
貞之が運転を続けながら思っていた事を口にする。
「何だってまたあんな所にミクが居たんだ。あそこにあった会社ってミクを使って何かしてる会社だったっけ?」
裏通りを通る事など殆どなかった為、廃ビルに入っていた会社がどんな会社で、何時頃廃業をしたのかを二人は知らないし知る余地も無い。だが、手掛かりと言うか答えに近いと思われる物を唱は持っていた。唱はポケットから握られて皺くちゃになった一枚の紙切れを取り出すと、表面を延ばしてから運転席の肩越しに貞之に見せる。それは唱がミクが納められていたケースの中から発見した物だ。貞之は前方の安全を確認しつつ紙切れを一瞥した。システム手帳を破り取った物にボールペンで書いたのだろう、几帳面な筆跡で一言こう書かれていた。
『彼女の事を頼みます』
「なるほど、なんつーか……"捨て"ボカロとはなぁ……」
リアル・ボーカロイドを放置し、拾ってくれるユーザーが現れるのを待つ手法を例えて貞之が言った。
「"only you"シリーズになってから、急激にリアル・ボカロの販売価格が下がってるからって言ったって、高いパソコン並みの金額だぞ……随分思い切った奴が世の中には居るもんだなぁ」
こんな事せずに中古市場にでも出せば良いじゃねえか、と貞之はぼやく。
現在一般向けに販売されているミク型リアル・ボーカロイドはR-V@L-01-006 初音ミク・Append(only you)と廉価版のR-V@L-01-005 初音ミク(only you)呼ばれるモノである。
ちなみにAppendの方が後発であるが、単独では踊る事と歌う事しか出来なかった彼女の為にサウンドモジュール、高性能アンプとスピーカーを標準装備されていて、その分価格は若干高い。だが、これにより彼女単体での演奏と歌唱を可能になっており。その為、前モデルのR-V@L-01-005 初音ミク(only you)が廉価版扱いとされていた。
もう少し詳しい話しをすると、ミク型リアル・ボーカロイドが一般に向け発売された当初、R-V@L-01-001 初音ミク・V2(Evolution)と呼ばれる彼女達の販売価格は数千万円に達し、凡そ個人が購入できる代物ではなかった。その後の技術革新と量産体勢の整備により開発された後継機、R-V@L-01-002〜004 初音ミク・V2-Sp2〜4(Next Evolution)の価格は乗用車並みまで値下がりを見せ、それから10年後である現在、流通している最新モデルの初音ミク"only you"と呼ばれる物の販売価格はハイエンドパソコン並みの金額に下がっている。
高級感の拭えなかった彼女達が遂に人々の手元へゆだねらる事を願い付けられた販売のキャッチコピー『あなたの為の、あなただけの……』が、訳され商標となったのは有名なエピソードだ。
話しが逸れたので戻そう。
唱はどこか腑に落ちない物を感じていた。
腹立たしい事だが彼女達を捨てた事実はひとまず置いて、何故あんな場所に放置していたのか? あんな場所では見付けてくれと言う方が難しい。しかもボーカロイド・マスター・コントロールシステムを所持していないと、その存在にも気付けない方法まで使ってだ……。これでは拾って欲しいのか、拾って欲しくなかったのか……当人の思惑が矛盾を孕んでいて理解できない。
唱がそんな事を考えている間に二人を乗せた車は唱の住むアパートへと到着した。彼の住むアパートは築7年の8戸建て駐車スペース付き、部屋は1LDKで一般的な学生が借りるには申し分のない物で本人にも不満は無い。
二人は外階段を上り、上がり口のすぐにある唱の部屋へとミクを運び込んだ。取り合えずベッドに彼女を横たわらせ毛布を剥ぎ取る。見たところ雨に濡れた跡は無い。リアル・ボカロは完全防水仕様の為、心配する必要も無いのだが唱は内心ホッとしていた。
「駐車場から少しの距離なのに結構濡れちまったな。唱、お前もコート脱いじまえよ」
玄関でレインコートを脱ぎ貞之も室内に戻って来た。「ああ」と頷き唱も濡れたレインコートを脱ぎに向かう。
「床、少し濡れちまってるぞ?」
「後で拭いておくから構わないよ」
玄関からの返事に貞之は「そうか」と答え、ベッドに横になった歌姫を見下ろした。呼吸もする事無い、温度もないミクの身体は良く出来たフィギュアのようだ。
(標準仕様のSEGAモデル改か……彼女と同じだな)
貞之はミクの寝顔を見て唱には聞こえないよう小声で呟いた。
ミクの顔は往年の傑作であるSEGAのCGモデルを参考に、著名なフィギュア製作者とアドバイザーの愛と努力で完成した物だ。本物の人間らしい部分とアニメ調のディフォルメを見事に融合させ、不気味の谷現象を回避する事に成功した奇跡の作品でも有る。
(唱が必死になったのが解る気がするぜ……)
貞之が思いを巡らせている所に、唱が雑巾代わりのハンドタオルを持って戻って来た。
「で、これからどうするよ?」
「バッテリーをどうにかするのが先だな……悪いけど、もう少し力を貸してくれないか?」
貞之が振り返りつつ今後を尋ねると、唱が申し訳なさそうに助けを求めてきた。そんな親友を見て貞之は笑う。何を今更遠慮しているとでも言いたげに。
「犯罪紛いの事までさせといて殊勝な事言ってんなよ。オーケー、じゃあ、さっさと始めて眠り姫の目を覚まさせてやるか!」
「すまない……」
貞之の軽薄な軽口は彼なりの気遣いから出た物だ。それが解っているからこそ、唱は貞之に感謝し詫びるのだった。
二人は早速行動を開始した。唱がOAデスクのパソコンの電源を入れながら、デスクの上の天板に置かれているプラスチックケースから長めのUSBケーブルを取り出す。貞之は横たわるミクの身体を左向きの側臥位にさせると、うなじをかき上げ首筋を露にした。隠れていた二つのUSBポートとアダプタのプラグ差込口が覗く。ふと手を止め貞之が唱の方を振り返った。
「おい、アダプタは? まだとっといてるか?」
「ああ……捨てていないさ」
唱はクローゼットのケースの中からリアル・ボカロ用のACアダプタを取り出し貞之に差し出した。
「上等! 流石に物持ちが良いな。USBからでも電源は取れるが、こっちの方が早い」
そう言ってミクの首筋にプラグを差し込む。唱は起動したパソコンとスマートフォンを無線で繋ぐと、ボーカロイド・マスター・コントロールシステムを起動しデータを連動させた。元々、ボーカロイド・マスター・コントロールシステムの大本はPC側に有り、スマホに有るボーカロイド・マスター・コントロールシステムはサブ的な物だ。リアル・ボカロの所有者はこのシステムを用いて彼女達の様々な管理を行うのだ。
作業開始から約1時間後―――。
パソコンのボーカロイド・マスター・コントロールシステムへミクの登録を済ませ、後は彼女のバッテリーが充電されるのを待つばかりだ。貞之は床に足を伸ばしながらビールの缶を片手に、テレビの下らない深夜番組をつまらなそうに眺めていた。
「もうこんな時間かよ……ふぁ」
小さなテーブルの上に置かれた液晶時計の時刻を確認しながら欠伸を噛み殺していると、パソコンのスピーカーから小さなシステムサウンドが流れるのが聞こえた。OAチェアから唱が立ち上がる音がしたので振り返る。
「充電がバッテリーの25%まで来た。そろそろ立ち上げても大丈夫だろう」
唱は言いながらミクの側に移っていた。
「せっかちだねぇ……まぁ、待てって俺も行くから、よいしょっと……」
性急な唱の様子に苦笑しながら、貞之はビールの缶を床に置くと立ち上がって唱の側に立つ。唱は既にミクの電源をオンにし起動させていた。
「念願の眠り姫のお目覚めだ……キッスはしなくても良かったのかい?」
「……そう言う冗談は止めてくれ」
「はいはいっと」
軽口を叩き合っているとパチリとミクが目を開き、数度瞬かせた。
「あれ……ここは……場所が……あれ?」
辺りを見回しながらミクが上半身を起こす。どうやらシャットダウンする前に記憶していた光景と今の状況が違う為混乱しているようだ。
「君は挨拶の途中でバッテリーが無くなってシャットダウンしていたんだ。今はもう大丈夫……僕を憶えているかい?」
唱は慈しむような……それでいて泣き出しそうな表情でミクに問い掛けた。ミクはそんな唱の顔をまじまじと見詰め……頭の脇に電球マークが浮かびそうな弾ける笑顔で頷いた。
「ハイ! 貴方が私のマスターですね! 初めまして、宜しくッスよ!」
眩い笑顔を見せる彼女だが、二人の男の背後には『!?』マークが表示されそうな微妙な空気が流れていた。
「……【ッス】って斬新な……何、この子(ミク)?」
何とも言えない唱の気持ちを代弁し貞之がボソリと呟いていた。
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廃ビルの中で出会った少女…それは紛れも無い初音ミクと言う存在であった。だがしかし……。 | ||
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