桃色ゆらゆら
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『せっかくの盆休みなんだから、帰って来い』

 実家の家族にそう言われたので帰って来たは良いが、実家は私以外にも一族が集まっていてごった返している。

 叔母やら祖父やら、普段見ない顔が集まると否が応でも話が盛り上がり、実家はとても賑わっていた。

『おう、お前も帰って来てたのか』

『久しぶりだなぁ、すっかり立派になって』

『私が最後に見たときとは大違いだわ』

 溢れる笑い声と、絶えることのない賑々しさ。

 夜になっても、否、夜になってから更に賑やかになるその宴の場に疲れてしまい、私は一人で外に出た。

 

 街灯らしい街灯が無い田舎の道。

 虫の声が空気を満たしている、私だけが異質の空間。

 満たされる、奇妙な疎外感。

 

 その空気が懐かしくて星を見上げながら歩いていると、小さな川に架かる、小さな橋に出た。

―― 昔はよくここで釣りをしたものだ。

 思い出して、ほんのりと笑みが浮かんでくる。

 欄干に肘を置いた時、懐に従兄弟がくれた煙草があることを思い出した。一服するかとライターの火を着けると、手元が赤々と照らし出される。

 一瞬退けられた暗闇は、直ぐにまた手元を飲み込んだ。流れて、何処かへ消えて行く紫煙を見ていると、無性に物悲しくなった。

 帰って来いと笑顔で言ってくれた家族の声を思い出して、鼻の奥が少し、ツンとする。

 

 暫く川の向こうに続く夜の闇を見つめていると、遠くから小さな足音が聞こえて来た。

 こんな時間に誰かと思いその方向を見ると、躊躇い気味な声が掛かる。

「……こんばんは」

 声と顔立ちからして、まだ十歳かそこらだろう。

 肩口まで伸びた髪に、水色のワンピース。彼女は私に訝しげな視線を送りながら、小さな箱を抱えていた。

「こんばんは」

 私はそれ以上怪しまれないように精一杯普通の笑顔を浮かべて挨拶を返す。

 彼女は緊張した足取りで私に近寄ると、少しだけ距離を置いた場所に立った。そしてそのまま、私と同じ様に、夜の色に澄んだ川面を眺めた。

 今度は、私の方が急に不安になった。

 黙り込んだままのこの子は、一体何者なのだろうか。恰好からして家出とも思えない。

 何を考えて、大人も躊躇うだろう暗い夜、こんな時間に、こんな所に来たのだろうか。

 少し怖くなって、少女の方を見た。

「あ」

「あ」

 同じタイミングで、少女がこちらを見た。

 思わず噴き出すと、また少女も噴き出した。

 人間とは不思議なもので、一回同じ時に笑うとそれだけで不信感が和らぎ、安心感が生まれる。

 少女は目に夜空の星を映しながら私を見上げ、明るい声で訊いて来た。

 

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「こんな時間に如何してこんな所にいるの?」

「ちょっと、散歩に来たんだ」

 先と違う自然に浮かんだ笑顔でそう答えると、少女は面白そうに、ふぅんと頷く。

 僅かの間、再び虫の声が空気を埋める。

「君はどうして此処に来たの? お母さんやお父さんが心配するんじゃない?」

 そう尋ねると、少女は川面を見つめて短い返事を返した。

「お葬式に来たの」

 予想もしていなかった返事にギョッとして、私は思わず訊き返す。

「お葬式?」

 少女は黙ったまま頷くと、欄干の上に持っていた箱をのせた。軽い音が鉄の欄干に響く。

「それに、何が入ってるの?」

 半ば恐る恐る尋ねる。

「ふーちゃんのお花」

 箱を開きながら少女は言う。覗いてみると、ふわりとした薄桃色の塊が箱の中を埋め尽くしていた。

 良く見ると、金魚草の花だけが箱いっぱいに詰められている。

「これはね、ふーちゃんのお友達なの」

 箱から一つ、花を取りだす。名前の通り金魚に似たその花は、少女の手の上で風に揺られていた。

「ふーちゃんって、誰?」

「ふーちゃんは金魚なの」

 少女は、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「ふーちゃんはね、私がお祭りの金魚掬いで一匹も掬えなかったから、おじさんがくれた子なの」

「赤くて、尻尾がヒラヒラしてて、泳ぐととっても綺麗で」

「いつもふわふわ泳いでたから、ふーちゃんなの」

「私が水槽の前に来ると、ふーちゃんもこっちに向かって泳いで来てね、すごく可愛いの」

「でも……三年も飼ってたのに……昨日見たら、浮かんでて……」

「昨日、お家の庭に埋めてあげたの」

 

 そこまで言った時に、少女は少し涙声になって口籠った。少女の年で三年はきっと、とても長い時間だろう。

 今まで生きて来た時間の三分の一近い時間を共に過ごしたその小さな友人は、彼女にとって大きな存在だったに違いない。

 その小さな友人が、突然この世からいなくなってしまった。と言うことなのだろう。

 お盆と言うこともあり、彼女の話に昔のことを思い出して、私も少し、涙腺が熱くなった。

 暫く黙っていた少女は、不意にまた口を開く。

「でも、埋めてあげてから気づいたの。ふーちゃんね、ウチに来てから、ずっと一人だったって」

「一匹だけで飼ってたの?」

「うん」

 少女の手の上で、桃色が揺れる。

「きっとふーちゃん、天国で寂しがってると思うの」

 ずっと手の上で揺れていたその桃色を少女は、ふわりと夜色の川面に落とした。

 桃色は不規則な動きで落ちて行き、川面に落ちる。

「だからこの花を川に流して、ふーちゃんにお友達増やしてあげようと思ったの」

「そっか……」

 おそらく彼女は、お盆特有の川や海にお供え物を流す光景を見たのだろう。

 そしてお盆で死者を偲ぶことと、葬式で死者を悼むことの違いが解らなかったに違いない。

―― けれどきっと、その根本は同じだ

 生きている者が、死者を想うこと。そしてその想いに、どちらであったにせよ変わりは無い。

 この小さな想いにも、きっと変わりは無い。

「……この花、届くかな?」

 不安そうに尋ねられて、私は頷く。

「うん。きっと大丈夫だよ」

 だって、知っているから。

「絶対?」

「うん、絶対。約束だってする。ふーちゃんも、きっと喜んでくれるよ」

 私がそう言うと少女はぱっと笑顔になり、箱の中に詰まった桃色を一握りそっと掴み出す。

「天国で、ふーちゃんと遊んであげてね」

 手の中にそう語りかけると少女は、桃色を風に任せて川面に撒いた。真っ黒な川面に、ぱらぱらと桃色の点が散った。

 桃色は流れに巻かれ、ゆらゆらと泳ぐように川を流れて行く。

 少女の小さな友人の許へと。

 ゆらゆら、ゆらゆら。

 ゆらゆら、ゆらゆら。

 疎(まば)らな列を作った桃色の金魚は、やがて澄んだ黒に紛れて消えた。

 そしてその最後の一つが暗闇に溶けるまで、少女はじっと川面を見つめていた。

「―― バイバイ、ふーちゃん」

 最後に、寂しそうに別れの言葉を口にして、少女は私に向き直った。

「そろそろ帰るね」

「そっか。お家まで送ろうか?」

「大丈夫だよ、すぐそこだから」

 少女はにっこりと笑うと、空になった箱を手に一歩踏み出す。

「またね!」

 彼女は小さな手を振る。私もつられて笑顔になり、手を振った。

「うん。またね」

 闇に溶ける様に帰って行った彼女の後姿を見送って、私は呟く。

 

 

 もし来年も、この時期に、この場所に来たら、あの少女に会えるだろうか。

 もし出会えたら、その時はふーちゃんにきちんと友達が出来たかどうかを調べて、報告してあげなくては。

 しかしここまで考えて、私の脳裏にふと一抹の不安が過ぎった。

 果たして私には、そのふーちゃんを見分けられるだろうか?

「……ふわふわ泳いでるから、ふーちゃんか」

―― きっと、解るだろう。

 ふわふわと水に揺れ、流れと戯れる金魚の周りを、小さな桃色が沢山泳いでいる。そんな柔らかな色で描かれた情景を想像して、私は思わず口元が綻んだ。

 その笑顔のまま、家族が待っている家へ帰る。

 

「来年、また、きっと」

 

―― 真っ暗で優しい夜闇の中、人魂が一つ、幸せそうにゆらゆらと揺れながら家路を辿っていた。

 

 

 

 

 

 

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