その人は何処へいった? 16.迷子と魔女 |
―――ある図書館世界、「あっち」方面書架群
「こんにちは、厚木さん。」
「お。あちらさん。お久しぶりですね。お元気でしたか?」
「ええ。厚木さんもお変わりなく。」
ふよふよ浮いていた厚木は作業していた手を一旦止める。
厚木の闇色のローブは蠢きながら伸縮して、彼女の元で整理されていた本を本棚へと押し込んでゆく。
本を仕舞い終えると、降り立った厚木はあちらに一つ提案をした。
「さて、あちらさん。お急ぎでなければお茶の一杯でも如何です?」
「無論、喜んで。それこそ時間は本が腐るほどありますからね。」
不老不死の二人が顔を見合わせ、ブラックジョークににやりと笑う。
あちらは厚木の提案に賛成し、半ば彼女が私物化しつつある談話室へと足を運んだ。
そこは厚木が頻繁に利用している談話室だった。
備え付けの備品以外にも厚木が持ち込んだ私物が置かれてある。
厚木は着ていた闇色の三角帽子とローブを脱ぎ、近くの椅子の背もたれにそれを掛けた。
短めに切られた金色の髪がさらりと揺れる。
談話室に持ち込んだ茶器を使い、彼女はお茶を淹れ始めた。
「そういえば最近カミサマ被害があったんですが、あちらさんの所は大丈夫でしたか?」
「最近と言われても、ここと本では時間の流れが違うじゃないですか。
・・・まぁ確かに((被害者|トリッパー))の方がいらっしゃいましたけど、あまりに目に余ったので本を切ってしまいました。」
「ハァ・・・そうですか。
結構な本が被害にあったので、まだ全体の被害数を把握できてないんですよ。
・・・あのクソガミが。」
少しスイッチが入ってしまっている厚木からあちらはカップを受け取り、喉の渇きを潤した。
あまり飲んだ事のない味だったが、さっぱりとした風味でとても美味しい。
張り詰めていた心が解されていく様だった。
・・・どうやら自分で思っていたよりも千雨さんの事が堪えていたらしい。
「・・・美味しいお茶ですね。」
「ええ。こっそりお茶の美味しい((本|セカイ))から取ってきた物なんです。内緒ですよ?」
「ええ・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・。」
「何か悩み事ですか?」
厚木は優雅に口つけていたカップをテーブルの上に置いて訊ねてきた。
あちらは厚木の方には顔を向けず、ただカップの中のお茶に映る自分の顔を見詰めている。
あちらはぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「いえね。自分というのは度し難いものだと。
分かっていたはずなのに。彼女に初めて会ったときから。
彼女の傍にいればいる程、深みに嵌まり旅立ちには重荷になると。
だけど私は居心地の良さから、考えを先送りにして。
挙句の果てに彼女に想いも告げさせず、友達としての役割を押し付けた。」
「・・・。」
「今までの旅で想いを告げられた事も、一夜の思い出と床を共にした事もあった。
そしてその度に私は総てを振り切って旅に出た。自分の世界を探すために。その度に思うんです。
―――ねぇ厚木さん。私は一体何のために旅をしているんでしょう?
記憶に欠片も無い故郷のため?見知らぬ故郷の人々に再会するため?
((それとも旅をするため|・・・・・・・・・))?」
「・・・。」
「永い永い旅を続けてきて段々分からなくなってきた。
私には分からない。目的が。ゴールが。私の世界が。
―――私の家は((どこ|・・))だ?」
「・・・。」
厚木には何も言えない。
彼を司書見習いとして旅へと送り出したのは彼女なのだ。
あちらはよっぽど参っていたのだろう。
何時もなら厚木にこんな事を言っても困らすだけだと、いつもののらりくらりとした言動で場を流すのだが、その事にも彼は気付かない。
厚木は思う。
彼を旅立たせた事は間違いだったのではなかったのかと。
本当に彼に必要なのは自分の世界なのではなく、自分の帰るべき居場所というモノを作ってあげるべきだったのではないかと。
出会った初めに、何も知らない彼をどこか適当な平和で優しい本へと送り出し、平穏な生活を享受させるべきだったのではないか。
私達には及ばないが、それでも彼も永い時を旅してきた。
このまま旅を続ければ彼の魂は遠からず磨耗する。凍結処理は肉体は守っても心は守ってくれない。
動かない心は物と同じだ。
もうやめろとでも言うか?
貴方は十分に頑張ったのだから、もう休もうと?
どこかの本で平穏に生きろと?
馬鹿な。そんなこと
―――((私が認めるものか|・・・・・・・・))!
((やっと|・・・))。((やっと見つけたのだ|・・・・・・・・・))!
貴方は私の!私の・・・!!
「厚木さん?」
「へ?」
私をあちらさんが心配そうに覗き込んでいる。
どうやら深く考え込んでいたようだ。・・・・・・考えて?はて?
((何を考えていたっけ|・・・・・・・・・))?
「すいません。なにかぼーとしちゃって。
ちゃんとカミサマの一件が片付いてから寝たんですけどね。」
すぐ忘れているぐらいだ。どうでも良い事なのだろう。
あははと笑って誤魔化すと、あちらさんはとても申し訳無さそうな顔で謝ってきた。
「すいません。こんな事、厚木さんに言っても不快にさせる位なのに・・・。」
「いえ。嬉しかったですよ?
あちらさん私に愚痴とか相談してくれないから、頼られてとても嬉しかったです。
有効な助言が浮かばないのが口惜しいですが・・・。」
「いえ。聞いて貰えただけで大分楽になりました。ありがとうございます。」
頭を下げるあちらさんに私は言葉を投げかける。
「少なくとも、ここにはいつでも帰ってきて良いですからね?私ぐらいしか利用していないですし。
次は貴方の好きなスモークサーモンのサンドイッチでも用意しておきますからね。」
「ふふ。ありがとうございます。」
あちらさんは珍しくにっこりと、何も含まない笑顔を浮かべた。
いつもこれなら女の子が放って置かないでしょうに。
いや、彼これでももてるんでしたっけ。
「あと今度は私の飼っている犬も紹介しましょう。とっても可愛いんですよ。」
するとなぜかあちらさんは微妙な顔をした。
?もしかすると犬が嫌いなのかな?
「フェルナンドでしたっけ・・・?・・・白いチワワ・・・?」
「ええ。そうですよ。ちょっと変わってますが良い子で可愛いんです。」
「・・・まさかとは思いますが、左右で目の色が違ったりして―――なーんて!まさかそんな」
「あれ?言ってましたっけ?」
「・・・。」
▼その人は何処にいった?
「迷子と魔女」
「それであちらさんはこれから如何されるんです?」
「もちろん。旅を続けますが、ちょっと友達に会いに行ってきます。」
「まぁ此処と本世界は時間の流れが一致しませんからね。
あなたは久しぶりでも先方はそうでもなかったりしますね。」
「さすがにページをある程度絞ってから潜りますよ。」
お茶ご馳走様でした。
カップに残ったお茶を飲み干してあちらは立ち上がった。
脇にはいつものトランクが一つ。
厚木は椅子に座ったまま彼を見送る。
「今度こそ、貴方の世界が見つかるといいですね。」
「だといいんですが。サンドイッチ楽しみにしています。」
―――では、また。
―――ええ、また。
あちらは次の本を目指して談話室を歩き去っていった。
―――後に談話室に残るのはカップを傾ける厚木だけ。
談話室に静寂が戻り、茶器が擦れ合う音だけが響く。
だが異変が起きる。
部屋の明かりが、それこそ照明を絞っていくかの様に段々暗くなってく。
しかし厚木に慌てた様子は全く無い。ただ静かにお茶を飲む。
次第に談話室の闇が深くなって行き、僅かに発てていた音も闇に吸い込まれていく。
「ええ、"また"。"また"会いましょう――――――。」
談話室は完全に闇黒に沈み、厚木の発した声も闇黒に溶けて消えていく。
ふっと部屋の照明が戻るとそこには誰の姿も無く。
ただ、テーブルに置かれた二つのカップだけが、人が存在していた事を示していた。
―――国連太平洋方面第11軍 横浜基地 地下19階
「副司令。先程、基地正面ゲートに副司令にお会いしたいという男がやって来たのですが―――。」
「―――ふぅん。アポもなしに?どこの馬鹿よ?
まぁいいわ。誰であろうと適当に追っ払んなさい。
唯でさえ桜花作戦後は掌返したゴマすり連中がわんさか溢れてんだから、いちいちそんなの相手にしてらんないわ。」
「・・・よろしいのですか?」
「よろしいのよ。アポ無し来るのが悪いんだから。」
「やって来たのは、あの『迷子の中尉』殿ですよ。」
「・・・はぁ?」
その頃、あちらは基地正面ゲートの警備の伍長と楽しくおしゃべりしていた。
「しかし、久しぶりですね。伍長。」
「はい。中尉殿もご健勝そうでなによりです。急に退役されたと聞いたときは驚きましたよ。」
「・・・あー。はい。ちょっと都合がありまして。基地の皆さんは元気にしてますか?」
「私もあまり詳しい事は存じませんが、白銀中佐やヴァルキリーズの皆さんは元気そうでしたよ。
昨日もPXで白銀中佐を巡ってなにかラブコメしてましたね。」
「あれ、まだやってるんですか。
・・・確か法律が改定されて重婚可能になったんじゃありませんでしたっけ?」
「どうも、誰が第一夫人になるかで争っているみたいですね。
トトカルチョは今の所、鑑中尉がトップですね。中尉も買って行かれます?」
「興味は尽きませんが辞めときます。配当を受け取るのに時間がかかりそうなので。
他の皆さん、京塚曹長や副司令や社さんは?」
「京塚曹長は元気ですよ。有り過ぎる位です。もし時間が有るのであれば会われていかれては?
副司令たちは・・・中尉、お迎えです。ご自分でご確認を。」
伍長はあちらの後ろに視線を向けると、急に真面目な顔になってびしっと敬礼をしてきた。
しかし口元が愉快気にニヤついている事が、これから起こる事態を面白がっているのが丸分かりだった。
背後からする荒々しい足音と禍々しい気配に背筋を凍らせながら、あちらは最後の抵抗とばかり吐き捨てた。
「・・・"元"、中尉です。伍長ブッ!?」
直後、あちらは顔面を大地に叩き付けた。
誰かがあちらの背中に乗っている。その人物は白衣を翻し、ぐりぐりとあちらの頭を踏んでいる。
「あら、迷子あちら退役中尉殿。お久しぶりね?」
「ぐぺ。・・・香月夕呼副司令閣下もお元気そうで何よりで。
ちょっとヒールが刺さって痛いので降りてくれると嬉しいのですが・・・ぺ!?」
「ちょっと?ならご希望にお答えしてもっと痛くしましょうか。
―――それよりもあちら?そんな事より私に言わなければいけない言葉があるでしょ?」
夕呼はあちらの頭を踏みしめながら、嗜虐的な笑顔を浮かべながら問い質してくる。
その問いにあちらはしばらく考えた後、こう答えた。
「・・・夕呼さん、ちょっと太った?」
夕呼はサッカーボールを蹴るかの如く、容赦の欠片も無い所か殺意しかない蹴りをあちらの頭部に叩き込み、あちらの意識を強制終了させる。
何事も無かったかのように夕呼は傍で一部始終を見ていた伍長に話しかけた。
「この馬鹿は貰っていくわ。ボディチェックも検査も不要よ。
荷物は後で私の部屋に持ってきなさい。
問題は?」
「ノー、マム。」
伍長も平然と何事も無かったかのように振舞った。
若干あちらを見る目に呆れも含まれていたが。
「社!戻るわよ。この馬鹿の足を片方持ってちょうだい。」
「・・・。」
少し離れた所に立っていた霞はちょこちょこ近寄ってきて、あちらの足を片方持つ。
夕呼も片方の足を持ちあちらをずるずる引き摺って行く。
霞が夕呼の顔を覗き見ると、彼女は不機嫌そうに顔を顰めていたが、本心は全然違うなんてことはリーディング能力なんかが無くても察する事ができた。
怒っているというのも本当だが、それよりも気恥ずかしくて正面から顔が見れなかっただけだ。
―――ようするに照れていただけだ。
ある元因果導体やヴァルキリーズの隊長が聞いたら卒倒しそうだが、この女性の親友の少佐は納得するだろう。
ずるずると気絶した男性を引き摺って夕呼と霞は基地内を歩んでいく。
道すがら出会う人々は一瞬ぎょとした顔になるが、すぐにいつもの事か納得して自分の仕事に戻っていく。
皆日頃から白銀中佐を始めとする騒動でこういう事には耐性がついている。
魔女とその助手は気絶した迷子を引き摺って歩いていく。
目的の魔女の部屋は直ぐそこだ。
ここは人類が侵略者と己の生存圏を賭けて熾烈に争う世界。
そしてここは極東国連軍横浜基地。対BETA戦略の重要拠点。
―――桜花の英雄と戦乙女達が守護する、魔女の棲家である。
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※本作は小説投稿サイト『ハーメルン』様でも投稿しています。 | ||
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