狂王陛下が第四次聖杯戦争に参戦するそうです。D |
「……でかいな」
高層ビルの屋上。そこにバーサーカーと雁夜が立っていた。眼下の未遠川ではキャスターが呼び出した使い魔共がキャスターを中心に集まり巨大な海魔となって君臨していた。そのあまりの大きさに遠近感覚すら曖昧になってくる。その上空には光り輝く舟が悠然と浮かんでいる。
確認するまでもない。あんな代物を持ち出すサーヴァントなぞアーチャーしかいないだろう。ならば当然、遠坂時臣もあそこにいるはずだ。自身の勘が、刻まれた令呪の疼きがあそこに奴が居ると叫んでいる。
「本当にいいのか雁夜? あのような愚物なぞお前が手に掛けるまでもあるまい?」
「いや、いい」
バーサーカーの進言を雁夜は切り捨てる。あいつを、桜を地獄に落とした時臣は自分が倒す。倒さなければならない。バーサーカーもわかっているはずだ。この戦いがどう転ぼうが……間桐雁夜は最終的に死ぬしかないのだと。できるだけ生きるのならば可能な限り魔力の消耗は避けるべきなのだ。だが、それはできない相談だ。それだけは、絶対に。避けてしまえば雁夜の誇りが死に絶える。あの傲慢な男から逃げたのだと、雁夜の魂が許さない。
「――気づいたか」
バーサーカーの視線が上空の舟に移る。恐らくアーチャーと視線が合っているのだろう。彼の意思は黄金の王との戦いに向かっている。
「……時臣」
上空の舟から何かが降りてくる。あいつだ。余裕を見せるかのように魔術を行使した自律落下をしながらこの屋上に降りてくる。
「雁夜」
視線こそ向かないがバーサーカーが声を掛けてくる。雁夜の心配しているのだろうか? 無理もない。片や名門に生まれ、ずっと鍛錬を積んできた魔術師。片や魔術の道から逃げ出し、一年前に命を代償に無理やり取り繕った未熟者。差は歴然、という言葉すら生ぬるい。竹槍で戦車に挑むような物だ。誰もが勝てる訳が無いと口を揃えて言うだろう。だが問題はない。雁夜の竹槍は特別製だ。十分に勝算はある。
しかし、バーサーカーは雁夜のことを心配などしていない。彼が待っているのは唯一つ。それが分かっているのか雁夜は微笑を零し、口を開く。
「バーサーカー! あいつを……アーチャーを殺せ!!」
「Yes,my lord」
雁夜の命を受け、バーサーカーから魔力が溢れ出す。体勢を低く構え、真名の開放と共に彼が最も信頼を置く宝具を発動する。
「行こうか――蒼月」
己が宝具を解き放ち、蒼い閃光と共に天へと飛翔した。
未遠川の水上でセイバー・ライダー・ランサーのサーヴァント達はキャスターが召喚した巨大な海魔と戦っていた。容赦なくセイバーの剣が斬りつけ、容赦なくライダーの戦車が雷と共に肉を焼き、神牛の蹄の蹴りが肉を抉って腐汁のような血飛沫を撒き散らす。しかし、それ以上の再生能力を持って海魔は欠損した部分を瞬く間に復元する。確かに海魔の歩みは当初に比べ遅くなっているだろう。
だがそれだけだ。
遅くはなっていても止まりはしない。いずれ海魔は陸へと上がり食事を始めるだろう。そうなってしまえばおしまいだ。秘匿されるべき神秘が明るみに出るに止まらず未曾有の大惨事が始まってしまう。
騎士として、王としてキャスターは打倒すべき敵である。サーヴァント達は己の全ての力を持って海魔に挑みかかる。
その戦いの光景をアーチャー陣営は遥か上空で見ていた。
「何ともまぁ醜悪な眺めよ……」
地上五百メートルの高度にてアーチャーが身を預けているのは黄金とエメラルドで形成された舟であった。彼の王の蔵にはありとあらゆる宝具の原典が収められている。これはその一つ、後に古代インドへと伝わり”ヴィマーナ”と呼ばれることになる太古の飛行装置である。
「雑種であろうとも歴史に名を残した猛者共があのような汚物に四苦八苦しようとは……嘆かわしいにも程があるな。そうは思わんか時臣?」
そう声を掛けられた時臣の胸にはそのような感情は浮かばなかった。彼の胸にあるのは怒り、そして焦燥だ。
魔術とは秘匿すべし。魔術に携わるものが遵守しなければならない最低限にして大原則。それを眼下のキャスターはこれでもかと踏み躙っているのである。遠坂の党首として、冬木の管理者として……何より一人の魔術師としてキャスターは滅ぼさなければならない。
「英雄王よ! あの巨獣は御身の庭を汚す害獣にございます! どうか手ずからの裁きを!」
「そのような些事なぞ庭師にさせよ」
時臣の懇願をアーチャーは切り捨てる。
「ですが――他の者共では手に余る有様です! 英雄王の威光を示す好機です、どうか御英断を!」
時臣の言葉に少々心が動いたのかアーチャーは右手を一振りし、傍らに四本の宝剣・宝槍を出現させ、眼下の海魔へと射出した。眼下で戦うサーヴァント達は接近する轟音に反応し身を翻して巻き添えを免れたが巨大で愚鈍な海魔にそのような俊敏さは有り得ない。四本の武装は悉く海魔に着弾し、その肉体の三割を吹き飛ばす。
今まで以上の大打撃。しかし、海魔の中に潜むキャスターの哄笑はより高く響く。腐肉は風船のように膨れ上がりあっという間に欠損を修復してしまったのだ。当然、海魔の歩みは止まらない。
「――引き上げるぞ時臣。あのような汚物は見るに耐えぬ」
己が美貌に隠そうともしない嫌悪を浮かべ、アーチャーは船の進路を遠坂邸へと向ける。
「そんな……! 王よ、どうかお待ちを!」
「お前への義理立てと思って我の財を四挺を使い捨てた。あのような汚物に穢されてはもはや回収しようとも思わん。我の寛容とて限度があるぞ?」
「あの巨獣を倒すことが叶う英雄は御身しかおりませぬ!」
時臣も必死である。もはや一刻を争う状況となっては忠臣としての慎みなど保てるわけがない。
「あれだけの常軌を逸脱した再生能力を有している以上、奴めを打倒するには一撃で消し飛ばすしかありますまい、それを可能とするには御身の乖離剣しか――」
「痴れ者が!」
「我が至宝たる『エア』をあのような汚物風情に使えと? 弁えよ時臣! 王たる我に対するその妄言、許し難いにも程があるぞ!」
「……それ、は」
歯を食いしばりながら、時臣は面を伏せる。
確かに、そうだ。英雄王の気位を見れば、切り札にして最強の剣たる一刀は彼が格を認めた英雄にしか放たれることはない。しかし、キャスターを打倒するには乖離剣しかないのもまた事実。令呪と使おうとも考えたが――そんなことをしてしまえば英雄王との関係が完膚なきまでに決裂する。
ならば他のサーヴァントに望みを託すか? そうなるとキャスター討伐が果たせたとしても追加令呪は時臣以外のマスターに渡ることとなる。
やり場無き怒りに時臣が爪が掌を破り、血が滴るまで握り締める。自身の思惑が裏目にでる。万全の準備、徹底した策謀、考えうるあらゆる備えを行って臨んだ聖杯戦争に何故番狂わせばかりが起きるのか?
「くそ……ッ!?」
時臣の令呪が、魔術回路がうずく。キャスターではない、それ以外の魔力反応によるものだ。時臣は船縁から眼下に視線を走らせる。これはと見定めた高層ビルの屋上――時臣達を監視でき、且つ眼下の戦いを一望できる場所――に、居た。
白き装束を身に纏い、漆黒の魔力を放つサーヴァント。その傍らに立つ一人の男。
男の視線が宣言している。対決の時だと。
「ほう……我に挑むか? 狂犬」
英雄王の顔に微笑が浮かぶ。この感覚は間違いなくあのバーサーカー。先の宴で挑むと宣言した男が自身に戦いを挑もうというのだ。ちょうど汚物と関わって気が削がれていたところでこれだ。憂さ晴らしには上等すぎる。
「王よ。私はマスターを」
「良かろう。好きにせよ」
「――御武運を」
左手で礼装の杖を掴み、時臣は躊躇なく空中へ身を躍らせた。
独り残ったアーチャーは声高らかに宣言する。
「狂犬! 我はここに居るぞ! さぁ我を興じさせて魅せよ!」
時臣がそれなりにビルに接近したとき、
屋上からヴィマーナに向かって一直線に蒼い閃光が走る。それを見たアーチャーは素早くヴィマーナを閃光の軌道から動かすと刹那の差でナニかが横切る。
それは元々とあるナイトメアフレームという兵器の試作機だった。
紅蓮二式という当時最新の機体を量産するためのプロトタイプ。それは記憶を無くして組織に入ってきた青年に渡された。だが青年の操作性に答えられるようにと調整した結果、データこそ取れたが青年にしか乗りこなせず、しかし量産機の試作品でありながらオリジナルに比肩する強さを発揮した。
それから時は流れ、試作機は激しい戦いで損耗し破棄され、そのデータは翼を得た新しい機体へと受け継がれる。そして、その機体は二人の技術者の手により更なる力を得る。機体と青年。彼らの相性はピッタリという言葉では物足りない。何せ当時それ以上のスペックを誇る最強の二機を……完全に圧倒してしまったのだから。機体は最強の機体にして青年のパートナーとして歴史に刻まれ、遂には青年の宝具として登録された。神秘に真っ向から反する科学によって生まれ、されど神秘と呼ぶしかない強さを発揮する。
ガラスのように淡く透き通った蒼い翼。
獣の爪を思わせる左手。
全てを撃ち抜く右の銃口。
全てを引き裂く短い刃。
それらの武装を装備して、蒼き巨人が黄金の舟と相対する。
宝具ランクA++。狂王が誇る最強宝具王と歩みし鋼の巨人【蒼月・蒼穹太極式】。
並行世界に生まれた異端の宝具が今、天に飛翔した。
「ほぅ……」
アーチャーの口から感嘆の声が出る。自身に挑むとは言っていたが……まさか己と同じ天に昇ってくるとは思わなかった。それも凄まじい魔力を放つ宝具を引っさげて、だ。その宝具も自身の蔵に眠る原典であろうゴーレムを上回っている。いや、あそこまで変わるともはや別個の宝具と見るしかないだろう。
原典の宝具を超え、真の王たる自身に挑むその意思。それは称賛に値するだろう。
だが、度し難い。
天とは王が立つべき場所。
挑めとは言ったが己が居るこの場を侵すとは――。
「我が立つ天に昇るとは……狂犬ごときが分不相応であるぞ!」
アーチャーの背後の空間が歪み、そこから巨人目掛けて数多の宝具が放たれる。
空中に数瞬静止していた巨人がアーチャー目掛けて疾駆する。
中で巨人を操るライゼルの手が凄まじい早さでレバーを動かす。それに答えるように巨人もまた金属の咆哮を上げた。迫る宝具の弾幕。その弾幕を巨人は文字通り紙一重で避け、死の切っ先を見事に回避してみせる。攻撃をギリギリまで引き付け最小の動きで避ける。傍から見ればすり抜けたようにも見える神業であった。
されど、その程度で攻略できる英雄王の王の財宝【ゲート・オブ・バビロン】ではない。
放たれた十五挺のうち六挺の刃が弧を描くように反転し、背後から巨人を破壊せんと迫る。
一挺が着弾しただけでも間違いなく巨人は破壊され眼下の川へ叩き落されるだろう。
だが、狂王の王と歩みし鋼の巨人【蒼月・蒼穹太極式】とて並ではない。
右手に持たれた銃を構え、背後に迫る剣軍に狙いを定め引き金を引く。
一発目は剣に直撃し、二発目は槍を落とす。されど四挺の宝槍は噴煙を超えて迫る。
再び引き金を引く。今度は四挺の宝槍の隙間を縫うように放たれた。
直撃はせず、宝槍は健在。しかしそれで十分。今放たれた銃撃は宝槍のすべてを掠め、刃全てが明後日の方角に飛んでいった。追尾してくる刃の動きを乱し、切っ先から逃れるだけならば何も全て撃ち落すまでもない。
全ての攻撃を捌ききったと同時に蒼月の左手から赤黒い光が放たれる。光が手から溢れ出ようとした瞬間、一気にアーチャーのヴィマーナ目掛けて光を開放し、赤き閃光となってアーチャーに迫る。蒼月が放った攻撃の名は輻射波動砲。本来接近戦で最大の威力を発揮する攻撃を遠距離で、威力を維持したまま放つまさに”必殺”の攻撃である。
「――ふん」
アーチャーは不適な笑みを零し、舟の舵輪に手を触れた。と同時に急速に加速したヴィマーナは蒼月と同じく鮮やかな飛翔を持って閃光の軌道から逃れる。されど、その先にはすでに放たれていた銃弾が。
蒼月の右手に持たれていた銃の名をスナイプヴァリス。その名の通り遠距離から目標物を狙い撃つ狙撃銃である。輻射波動砲を避けられると前もって予測し、その逃走軌道上に放っておいたのである。
その攻撃すらも鼻で嗤い、アーチャーは王の財宝【ゲート・オブ・バビロン】より盾を取り出し、迫る銃弾を防ぎきる。
英雄王の瞳に熱狂の色が帯び始める。今バーサーカーが放った攻撃は何れも一手間違えれば自身を塵殺できる。その感覚が闘争の熱を呼ぶ。
「面白い……! 我に挑むというだけあるではないか狂犬! ここまで我を興じさせるとはなぁ!」
声高らかに英雄王は哄笑し、それに答えるようにヴィマーナが加速する。
ライゼルの蒼月も遅れは取らぬとばかりに加速し、その背後に食らいつく。
両者は一気に音すら置き去りにしながらも互いを潰さんと攻撃を打ち合い、眼下での英雄達の戦いにも劣らぬ死闘を天上で繰り広げ始めた。
ビルの屋上。間桐雁夜と遠坂時臣は距離を取って対峙していた。
雁夜は問う。何故桜を間桐にやったのかと。
時臣は答える。桜の未来に幸福を望んだ故だと。
そう言われ雁夜の思考が怒りに染まり――一気に冷却された。痛みも超えれば甘美なものであるように、怒りもまた超えれば逆に頭が冷えると、雁夜はまた学習した。
やっぱりダメだ。こいつは、遠坂時臣は骨の髄まで魔術師だ。バーサーカーのおかげで桜を救うことはできた。しかし、遠坂葵の元へ桜を返せば……こいつはまた桜をどこかの魔術師の所へ送るだろう。それだけは許せない。
「――私はね、君という男を許せない。魔道の家に生まれながらその道から逃げ、だというのに聖杯欲しさに負い目すら抱かずに戻ってきたその卑劣さ。間桐雁夜は魔術の道の恥さらしだ。こうやって見えてしまった以上、誅罰を下すより他あるまい」
もったいぶった言い方をしながら、時臣は左手のもった礼装を振りかざし、炎の術式を編みこむ。生まれた魔術は触れるもの全てを焼き尽くす攻性防御。なるほど、自身とは比べ物にならないなと、雁夜は内心で苦笑する。
「教えておこう雁夜。自ら責任を負い、それを果たすのが人としての第一案件だ。それすらできない君は人以下の狗だよ」
「――だからお前は屑なんだよ時臣」
「……何?」
嗤いながら、雁夜は時臣を罵倒する。先ほどのような感情にまかせた罵倒とは違う。頭を冷やし、冷静になった上で時臣は屑だと断じる。先ほどと雁夜の様子が変わったのを察したのか、時臣は訝しげに眉を顰める。
「俺が狗? 俺が落伍者? そんなこと、俺が一番わかっている」
ザワザワと、物陰から音がする。影から蟲が這いずって集い――一斉に脱皮して、宙に飛翔する。
「そんな俺に負けるんだ。だったら――」
猛牛の骨をも食い破る肉食昆虫”翅刃虫”の群れが雁夜の言葉に合わせるように動き、空中で隊列を整える。
「お前は俺以下の屑ってことだろう!? 時臣ぃぃぃ!!」
雁夜の叫びが夜空に響く。それに呼応するように虫の軍団は時臣目掛けて突撃した。
それから少し、時は流れる。
上空では未だ英雄王と狂王が音を超えた速さで死闘を続け、眼下の未遠川ではライダーが己の宝具である王の軍勢【アイオニオン・ヘタイロイ】が生み出す固有結界の中へキャスターを引きずり込み、現実空間から海魔の姿を消した。そしてここ、ビルの屋上では二人の男の戦いに決着が付こうとしていた。
しかし、傍から見ればそれは戦いですらないだろう。
雁夜が文字通り命を掛けて使役する翅刃虫は時臣が張った結界を突破することが叶わず、突っ込んでは燃え尽きるというのをずっと繰り返しているのだから。時臣は攻撃を一切していない。ただ、結界を維持しているだけで済んだ。
悠然と佇む時臣とは対称的に、雁夜は瀕死としか言えない有様だ。限界を超えて魔術を行使した結果、雁夜は全身から血飛沫を散らす。我が身と命を削りながら魔術を行使するその姿は時臣にとって見るに耐えない、不快なものでしかなかった。それどころか上空の戦闘に目を向ける余裕すらあった。
「お、おおおおおお!!!!」
雁夜の咆哮と共に新たな虫が時臣に襲い掛かる。しかしその虫は翅刃虫ではない。
火の属性をもつ時臣を打倒するため雁夜が半年掛かって作り出した奥の手である”耐火虫”。その名の通り炎に対し高い耐性を持つ2mはあろうかという巨虫だ。時臣の結界をギチギチと音を立てながら食い破らんと炎の壁に拮抗する。
されど、それでも時臣は動じない。軽く杖を振り、二節の呪言を紡ぐ。
「Intensive Einascherung――」
その詠唱に炎の結界が動き、蛇のように蠢き耐火虫を包み込む。高い耐性を持つ、とは言っても所詮は虫だ。耐久限界を超える熱を叩き込めばそれで終わる。
断末魔の悲鳴を上げながら耐火虫は炎に焼かれ、黒い煙となって消えた。
耐火虫の焼滅を確認した後で、目の前で醜態を晒し続ける雁夜を、魔道を誇りとする時臣は見ることに限界を迎えた。再び杖を振りかざし、今度は雁夜を焼き尽くさんと――。
音が響いた。
おかしい。時臣が思ったのはそれだ。
術を解除した覚えがないというのに炎の壁が消えている。
雁夜を倒したから? いや、奴は目の前に居る。
様々な理由を想定しながら杖を振ろうとして……ようやく時臣は答えを知る。
自身の礼装が左手ごとなくなってることに、だ。
答えに辿り着いたと同時に、凄まじい激痛が走り、左手がなくなった手首から噴水のように血が噴出した。
「グ――アァァ!?」
痛みと出血を抑えようと、無意識に左手首を抑える。それを行った下手人――雁夜はフラつきながらも立ち上がる。痛みに顔を歪める時臣が正面の雁夜に視線を向ける。
……銃だ。
雁夜が右手に持っているのは科学が生んだ炸薬を用いた兵器である。当然、威力など上手く当たれば命を奪える程度の威力しかなく、急所に当たらなければ風穴を開ける程度しかできない武装。それが時臣の左手を奪った武器だった。
当然威力が上乗せされている仕掛けはある。その仕掛けに、ありえない事態に時臣は痛みに耐えながら言葉を零す。
「”宝具”……だと!?」
そう、雁夜が持つ銃は唯の銃に非ず。漆黒の魔力を纏う正真正銘の宝具である。宝具としての格はせいぜいEランクと最下級だろう。しかしそれでも、人体に大打撃を与える程度の威力は有している。これが間桐雁夜の真の切り札。人間一人殺すには十分すぎる宝具の拳銃――!
「時臣ぃぃぃ!!」
雁夜が再び引き金を引く。パン、と乾いた音とは裏腹に人間にとって致命傷を与える威力を持った弾丸が時臣に襲い掛かる。それを避けようと時臣は魔術回路を動かし気流制御を利用して攻撃から逃れんとする。しかし、心臓を狙った弾丸は狙いを外しつつも時臣の左脇腹を抉る。
再び血が吹き上がる。
ありえない状況に、初めて経験する激痛に左右され、時臣の行使した魔術は僅かに乱れ、彼は防護フェンスを押し破りビルの奥底、路地裏へとに消えた。
「は、はははは……! やった、やったぞ!」
時臣がビルから落ちたのを確認し、雁夜は血涙を流し、全身を襲う激痛に耐えながらも勝利の感覚に酔う。
彼が持つ銃は紛れもない宝具であるが、同時に警官が持つありふれた武装である。
そのタネはバーサーカーの宝具による恩恵だ。
戦場に果てた兵士の刃【オーナー・オブ・デッド】。
剣・槍・弓といった武装をEランク相当の宝具として数に限界なく展開、行使する。しかし、その真骨頂は持ち主の死亡が確認された武装を持つことが出来ればEランク相当の宝具として特性そのままに使用できる、という点にある。以前バーサーカーがある少女を助けた時、傍にあった警官の死体からバーサーカーは銃を抜き取り、自身の宝具に登録していたのである。
そして銃の特性とは何か? 離れた敵を攻撃できることか? いいや違う。銃の特性とは、誰が使っても一定のダメージを与えられるという”汎用性”だ。剣・弓・槍・斧・刀といった武装は誰が使っても同じとはいかない。しかし汎用武器は違う。老若男女だれが使っても結果は同じだ。その汎用性をそのままに宝具化された拳銃を雁夜はバーサーカーから譲り受けていたのである。
並の人間ならばまず間違いなく死ぬ。それだけの怪我を負わせてやった。しかし遠坂時臣は魔術師だ。この程度で死ぬことはまずないだろう。ふと視線を向ければ、時臣の左手が付いたままの杖が転がっていた。柄頭の特大のルビーに時臣が生涯を掛けて練成した魔力を封入したその礼装は金銭的にも、魔術的にもかなりの価値が付くだろう。しかし、それを忌々しい視線で睨んだ雁夜は宝具化した銃をルビーに押し付けると躊躇なく引き金を引いた。
ルビーが砕け、それに込められた魔力が開放される。魔力はルビーに刻まれた炎の術式を通り、炎となって樫の杖と残された時臣の左手を焼き払う。こうして、遠坂時臣の礼装は、生涯と掛けて編みこんだ魔力を蓄えたルビーはあっさりと消滅した。今の今まで軽く燃やしてきた雁夜の虫たちのように。
拳銃を懐に仕舞い、雁夜はフェンスに体を預け座り込む。体を酷使しすぎた。恐らくこの戦いで自身の命は更に減っただろうが……構うものか。ふと上を見上げると二つの閃光が空を走っている。どんな戦いをしているのかは雁夜には検討もつかない。故にただ願う。
「勝てよ、バーサーカー……」
天上での死闘もまた佳境に近づいていた。激しい戦闘の結果、蒼月のスナイプヴァリスは破壊され、機体からは所々から火花が散っている。ヴィマーナも無傷ではない。ヴァリスが何発か命中させられて機動力が落ちている。もっとも、それは蒼月にもいえることだが。
しかし、アーチャーは目には未だ熱が灯ったままだ。銃を失ってもなお、蒼月には左の輻射波動砲が残っているし、破棄した銃の代わりに装備した剣もまた油断ならない切れ味を誇っているからだ。一瞬の油断が死を招く。そんな状況がずっと続いているのだ。飽きなど来るはずもない。
されどここまでだ。バーサーカーには存分に愉しませてもらった。興が削がれると思い使わなかったが……超えてくるならばそれでよし。超えなければその程度だったというだけだ。
再び放たれる宝具の弾幕。今までと同じように蒼月は紙一重で回避し、ヴィマーナに迫る。
しかし、今ままでと唯一つ違った点があった。
一本の槍が常軌を逸脱した軌道で反転し、蒼月の右腕と両翼――エナジーウィングを破壊したことだ。
『何!?』
さしもの狂王もこれは予想できなかった。それも当然といえよう。
たった今放たれた槍は後にゲイボルグと呼ばれる槍の原典。その効果、放てば必ず当たる。
翼を失い、重力の鎖に囚われた蒼月は黄金の舟に悪足掻きとばかりに輻射波動砲を撃つが、あっさりと避けられる。そしてついに蒼き巨人は地へと落下し始めた。
それを見たアーチャーはより高く高く嗤う。
「クハハハハハ! 中々に愉しめたぞ狂犬! その褒美に命は取らずにおいてやろう。感謝するがいい!」
気分よく高らかに嗤うアーチャー。しかし、ガクンと、黄金の舟が傾く。
「ぬ!? ……貴様まだ!」
『捉えたぞアーチャー……!』
声はヴィマーナの下から。舟の下腹部に蒼月がピッタリと張り付いていた。翼を失い、もはや落ちるのみとなった蒼月は胸部に備えられた武装、スラッシュハーケンを放ちヴィマーナに突き立て、ワイヤーを巻き取って舟にしがみついたのである。
アーチャーが攻撃を放つよりも早く、バーサーカーが行動を起こす。
『――貴様も落ちろ』
零距離で発動する輻射波動。
左手が触れている所からボコボコとヴィマーナの船体が膨れ上がる。その膨張は瞬く間に舟の動力部へと近づき――轟音と共に動力部が爆発する。
機体を浮かせる動力がなくなったことでヴィマーナは浮力を失い、しかも翼も連鎖的に壊れてしまい、錐揉み回転しながら蒼月と共に遥か眼下の河面へと落下してしまった。
轟音と共に二つの機影は河へと落ち、同時にバーサーカーは蒼月の実体化を解くと近くの川岸へと着地する。それから一息つく間もなく、河の中心近くより閃光弾が上がり――消え去っていた海魔が再び現世に戻る。それに少々驚きつつもどうするかと考えると――遥か遠くより光が顕れる。
「まずい!?」
今自身が居る場所が危険だと感じたのかバーサーカーはアーチャーの生死を確認することなく速やかに危険域から撤退する。
声が聞こえる。
聞こえぬはずの距離だというのに気高く凛とした声がする。
『エクス――』
声と共に光が溢れる。夜だというのに一部を昼に変えてなお足りぬとばかりに光が満ちる。
活目してみるがいい数多の英雄達よ。この光こそ誇り。この光こそが栄光である。
気高き祈りと兵達の思いを乗せて、今――。
『――カリバァァァ!!』
最強の聖剣が、放たれた。
「まだ生きてたのか、アーチャー」
「その言葉、そのまま返すぞ狂犬」
冬木大橋のアーチの上に悠然と佇むアーチャーに、バーサーカーは声を掛ける。両者ともに満身創痍。何より今さっきまで殺し合っていた関係だ。無視しようとも思ったのだが――遠目にライダーも近づいて来てるとなっては無視はできまい。
「まぁよい。今我は気分がいいからな。貴様の無礼も見逃そう。さて――見たか征服王に狂犬? あれが奴の輝きだ。貴様らはセイバーと認めぬと言っていたがアレだけの光を見て尚奴を認めんのか?」
「ああ、認めんな」
あっさりと答えを返すバーサーカーに対し、何時の間にやら来ていたライダーは痛ましげな視線を河面のセイバーに向けつつ言葉を紡ぐ。
「小娘ごときが”理想”などという呪いを背負った結果があの光よ。――見ていて痛ましいわ」
「だからこそ美しいのではないか」
忌々しげな表情のバーサーカーに沈痛な顔をするライダー、されどアーチャーは何処までも欲望を剥き出しな微笑を浮かべる。
それを不服としたのかライダーはギロリと視線をアーチャーへと向ける。
「――やはり貴様とは刃を交えるよりないな。バビロニアの英雄王」
「ほう? ようやっと察したか? もっとも、狂犬も勘付いていたようだがな」
チラリと視線をバーサーカーに向けるも彼の視線はアーチャーには向かず、荒く息と吐くセイバーへと視線を向けている。視線こそ向けないが、バーサーカーは返答を口にする。
「言動には気をつけろギルガメッシュ。あれだけ動けば真名に辿り付けぬ方がおかしいわ」
その返答にアーチャーは改めて破顔する。
「我に挑むと大言を吐いただけはあるか狂王よ。それに免じて我の財を潰した罪を許そう。そして――貴様を我の審判に値するモノとして認めてやろう」
狂犬ではなく狂王と、アーチャー……いやギルガメッシュはライゼルを呼ぶ。それは真実彼を敵として認めた証であった。
「ふん――ならばその首しかと洗っておくがいい英雄王」
「そう急くな。消えるなら一つ我の問に答えてからにせよ」
実体化を解こうとした狂王を英雄王は呼び止める。
「……何だ?」
「征服王はセイバーを認めぬ理由を吐いた。だが、貴様は何故だ? 何故セイバーを認めぬ?」
「知れた事」
背を向けて実体化を解きつつ狂王は言葉を紡ぐ。
「私がセイバーを認めないのは奴の願い故だ。過去を望む以上あの小娘を私は決して認めない」
言葉こそ少ないが、二人の王は理由をしっかりと理解していた。
騎士王のように理想に殉ずるのも、征服王や英雄王のように我欲に正直なのもいい。されど狂王の掲げる王道とは”明日”。
その王道に真っ向から反する願いを持つからこそ、騎士王を認めないのだと。
霊体となったバーサーカーはまっすぐに雁夜の元へと向かう。
最初と変わらぬ場所に彼はいた。血涙を流し、全身から出血し、おまけに刻印虫の痛みとて耐えがたいのだろう。しかし苦痛に顔を歪ませてなお、間桐雁夜は笑っていた。
それを見たバーサーカーは軽く安堵の息を吐き、実体化して言葉を掛ける。
「――勝ったのか?」
「――ああ、勝った」
言葉少なく。されど交わされた思いは多い。
痛みを押して雁夜はゆっくりと立ち上がる。そして今言うべき言葉を放つ。
「帰ろうバーサーカー。桜ちゃんが待ってる」
「そうだな、雁夜」
バーサーカーは蒼月に深刻なダメージを受け、本人も怪我を負った。
雁夜が今夜だけで失ったモノなぞ考えたくもない。
しかしバーサーカーに抱えられて夜の街を跳ぶ雁夜の胸に後悔はない。
胸を張って雁夜は言える。今日の戦いは――俺達の勝ちだと。
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