狂王陛下が第四次聖杯戦争に参戦するそうです。E |
日が落ち、魍魎が闊歩し始めると言われる丑三つ時。体を休めていた雁夜と屋根の上で霊体化して警戒に当たっていたバーサーカーだったが、不意に走った衝撃に体を起こされた。窓から空を見上げると以前の教会からの召集の合図と同じ、しかしそれ以上に明確な色彩をもった魔力の煌きがちらついていた。
それが表すのは四と七。即ちタロットでいう”達成”と”勝利”を意味し、転じて聖杯戦争が決着したことを表していた。しかし、今この間桐邸にバーサーカーが居る以上それはありえない。聖杯を手に入れることが可能となるのは自身達以外の六組全てを脱落させなければならないのだから。大体上げられた狼煙は教会とは全く違う方向、間桐邸から見て北東方面から上げられていた。もしも聖堂教会の人間が上げたのならば中立地帯である冬木教会、つまり南南東から狼煙が上がる。
よって、この狼煙は教会が上げたものではなく、ましてや聖杯戦争が終わったわけでもない。ただ、誘っているのだ。文句があるのならばここに来いと。
しかし残念なことにバーサーカーは当然として急造魔術師である雁夜はあの狼煙にどんな意味があるのかなぞ検討もつかない。分かるのは二つ。あの狼煙の上がった場所に敵がいるであろうということ。そして――聖杯戦争があそこで決着するであろう、ということだ。
「行くのか、バーサーカー」
「無論だ、雁夜」
荒く呼吸しながら問いかける雁夜に、バーサーカーは言葉少なく返答する。
雁夜の体はもはや限界だ。放っておいても数日と立たぬうちに死ぬだろう。バーサーカーも最初は戦うべきか迷ったものだ。しかし、戦うことを選んだのは雁夜自身だ。その理由はすでにこの間桐邸から遠く離れた場所にいるであろう桜のためだ。
桜の魔術師としての潜在能力は時臣、臓硯も認めていた程だ。
臓硯は死んだ。これで桜は虐待から開放された。しかし、今尚あの傲慢な魔術師が、遠坂時臣は生きている。雁夜が負傷を与えたといっても既にそれなりの時間が経過している。傷はすでに癒えたと見て間違いない。つまり、今桜を葵のもとに返したとしてもあの男は間桐以外の魔術の家に桜を棄てるだけだ。それだけは、許せない。
葵は時臣を愛している。そんなことは既に分かっている。
桜の父親は時臣だ。そんなことは分かりきっている。
桜を魔術から開放するには時臣を殺さなくてはならない。
ならば桜を救うということは――葵と桜から夫を、親を奪うということだ。
雁夜は無意識にその答えに辿りついていた。しかし、葵への恋心と時臣への嫉妬がそれを覆っていた。だが、バーサーカーから銃を渡された時、雁夜は決めたのだ。覚悟を。
葵から、桜から憎まれることになろうとも必ず、必ず桜を助ける【時臣を殺す】と。
しかし、思いとは裏腹に雁夜の体はもはや満足に動けない。戦闘など夢のまた夢だ。だからこそ、バーサーカーに戦ってもらわなければならない。それが自身の命をさらに削ることになろうとも。残ったサーヴァントは皆王を謳う一級品の強敵ばかり。今までのように桜をこの家に置いておいてはいられない。事実、ランサー陣営は間桐邸以上に堅固な工房を作っておきながら他の陣営に拠点ごと破壊されている。それと同じことが起きないとどうして言えよう。だからこそ、雁夜は間桐邸から桜を遠ざけることを決断した。
冬木は雁夜の地元であるということもあり彼の知人はそれなりにこの街にいる。その中である程度の地位を持つ人物に繋がりがある人物に連絡を取り、桜を預かって貰おうと考え実行したのである。
変わり果てた雁夜の姿に色々と言われたが……そこは時間がない、ということで押し切らせてもらった。渡りをつけて会うことが出来たあの人物はかなり強面ではあったが、信頼できると感じさせる人だった。彼ならば桜を悪いようにはしないだろう。
桜に関して心配はせずともいいだろう。あと雁夜がすべきことは片手で数えるほどしかない。それらを成して、雁夜は死ぬ。
「――ライ」
戦場に向かおうとするバーサーカー……ライゼルを雁夜は掠れた声で呼び止める。
クラスではなく真名、いや愛称で彼を呼ぶ。
「どうした、雁夜」
振り向いたライゼルが見たのは右手を自身に向けて差し出す雁夜の姿。
筋肉が削げ落ち、骨と皮しかない細い腕を弱弱しくも上げ、己に向けて笑みを見せる魔術師の姿。
「ありがとう。俺の”パートナー”がお前で良かった」
静かに、感謝の言葉を。死地に向かう友に向けて。
一瞬、ライゼルは素の表情を見せた。冷酷な王ではなく、あどけなさが残る年相応の少年の顔を。その顔のまま彼は微笑を浮かべると、雁夜の右手を握る。
「――”僕の”パートナーが貴方で良かった、雁夜」
その言葉に雁夜は驚きを隠し切れなかった。だが、ライゼルが素を見せたのはほんの少しだけ。彼は再び狂王としての空気を纏うと雁夜に背を向ける。
「お別れだ、雁夜。手はず通りにな」
「分かってるさ。……行って来い、バーサーカー!」
「Yes,my lord!」
獰猛な笑みを浮かべながら、狂王は雁夜の命に答え間桐邸から弾丸の如く飛び出していった。
狂王が居なくなり、この間桐邸に残されたのは雁夜ただ一人となった。彼の兄である鶴野は当の昔に追い出すように彼の息子が遊学している海外へ向かわせた。久方ぶりの孤独に少し体が震えたが、思い切り息を吸い込み体に力を入れると雁夜は電灯が消えた間桐邸の闇の中へよろめきながら消えていった。
駆ける。
バーサーカーは霊体化して狼煙の上がった場所を目指して疾駆する。
そして橋に差し掛かった所で一人、涙を流す少年を見る。
橋下の黒い河面を見つめながら静かに涙を流す少年は征服王のマスターである。しかし彼の周囲にそれらしい姿はどこにもない。その事実に少し、ほんの少しバーサーカーの心が揺れる。しかし動揺を鎮めると、彼は振り切るように速度を上げた。
そして――。
冬木市民会館前の駐車場。会館を背に、黄金の王が立っていた。
「遅かったではないか狂王よ。待ちくたびれてしまったぞ?」
殺意を発し、酷薄な笑みを浮かべながら英雄王は声を掛ける。
声を掛けられた狂王は実体化し、殺意を返し、笑みを浮かず口を開く。
「別に待っていろと言った覚えはないぞ英雄王」
「ほう? ならば我に挑むといったのは何処の狂犬だ?」
狂王の挑発的な言葉にも揺るがず、英雄王は機嫌よさそうに笑みを浮かべ続ける。しかし、殺意は消えるどころかより一層強くなっている。
「……何を笑っている?」
「審判に値する賊に我好みの愉悦……やっと我に相応しい展開となったのだ。笑いもしようというものよ」
クツクツと笑う英雄王を軽く睨むと狂王は両手に剣を呼び出す。戦場に果てた兵士の刃【オーナー・オブ・デッド】にて展開される兵士の剣。ズシリとくる重みがどこか心地いい。
「仕留める前に一つ問おう」
「許す。述べるがいい」
「征服王を討ったのは――貴様か?」
「如何にも」
問に答えつつ、英雄王も右手を上げる。
背後の空間が歪み、数多の剣が、槍が、斧が――原初宝具の切っ先が狂王へと向かう。
「そう……か。私は奴と器を比べあうと誓っていたのだが――どうしてくれる?」
体勢を低く。英雄王との距離はおよそ五十メートル。狂王の敏捷性をもってすれば数秒で辿り付ける。
「問題なかろう? 奴の器と貴様の器。どちらが上なのか――
我が見定めてやろう」
宣言と同時に英雄王の宝具の弾幕が放たれる。狂王が黄金の光目掛けて走る。
二人の王の戦いが始まった。
「そら、我は此処だぞ?」
「っちぃぃ!!」
迫る弾幕を防ぎ、避け、捌く。その光景は最初の戦闘の再現であった。しかし、狂王の顔に余裕はない。端麗な顔を苦痛と焦燥に歪ませている。その理由は英雄王の放つ弾幕が今までとは全く違うものだからだ。
即ち、弾幕の質と密度である。
放たれる原初宝具は全てがAランク並みの魔力を放ち、その密度もまた圧倒的だった。
一挺の剣を撃ち払う間に二挺の槍が、それを捌くと刹那に別の刃が多数飛んでくる。元より戦場に果てた兵士の刃【オーナー・オブ・デッド】で召喚される武装のランクはE。強度・攻撃力共に放たれる原初宝具に遠く及ばない。以前は曲がり、罅割れる程度で防ぎきれた弾幕は狂王の武装を容易く破壊する。
それでも尚、絶望的な弾幕を捌く。捌き続ける。迎撃仕切れなかった刃が体を引き裂くがそれでも狂王は止まらない。剣を落とし、槍を払い、斧を避ける、牙を防ぐ。そして、
一歩、進んだ。
たかが一歩。されど一歩。絶望的な距離を詰める。そこから狂王の歩みは加速する。
剣を払って一歩。
槍を捌いて二歩。
避けたにも係わらず背後から迫る杭を防いで更に数歩。
前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ――――!
「ほう……」
気がつけば二人の王の距離は半分程度まで縮まっていた。その代償に狂王の全身は防ぎきれなかった刃によって引き裂かれ、純白の装束は真紅に染まっていた。しかし、確固たる意思は鈍らない。狂王は真っ直ぐに英雄王目指して歩を進める。
それを見る英雄王の表情には笑みが浮かぶ。愉悦の、悦楽の笑みだ。ああ、これが笑わずにいられようか? 時臣に呼ばれ、闘争というには程遠い些事を見続けて、今宵己を沸かせる者共は堰を切ったかのようにここに集うのだ。耐えるつもりは更々ないが、口元に笑みが浮かぶのは止められない。
このまま王の財宝【ゲート・オブ・バビロン】による弾幕だけでも狂王は殲滅できるだろう。
だがそれではつまらない。目の前で自身目指して迫る男は、征服王同様審判に値する『敵』である。ならばあの狂王は自身の秘奥を晒すに相応しい――!
英雄王のすぐ後ろから一振りの剣が現れる。いや、それは剣、というべきなのか? 柄はある、鍔もある。されどもっとも重要とも言える刀身の部位があまりにも異質であった。三つの円柱がゆっくりと交互に回転を続けている異端の剣。
知る者などいないだろう。この刃は蔵にある数多の原初宝具たちとは違い、真実英雄王のみが有する宝具である。即ちメソポタミア神話において、世界を引き裂いて天と地に分けた始まりの剣に他ならない。
「狂王よ、我をここまで興じさせた褒美を賜わそう――」
頭上に高々と”剣”を掲げる。それに答えるように円柱の回転が加速し、夥しい魔力が発せられる。常人ならば立つことすら叶わない魔力の嵐。その嵐は弾幕を捌いて前進し続ける狂王にも届く。
「受け取るがいい、我の至宝の一撃をな!」
刃振るい続ける狂王の耳に英雄王の声が響く。彼の瞳に異形の剣が映る。
そしてこの瞬間。英雄王の真の切り札が解放されたこの瞬間、
間桐雁夜がバーサーカーに仕掛けた”令呪”が起動する。
狂王の右手に新たな武装が展開される。新たな武装は一本の長槍。白い柄に緑の穂先が三つ伸びており、中心には淡く輝く赤い宝石のようなものが収められている。その槍を、狂王は歩みと止めて思い切り振りかぶるように構える。左手は忙しなく迫る弾幕を弾いているが元より両の腕の武装でようやく凌げた攻撃である。急所こそはずしているが、何本かは狂王の体に突き刺さり血が吹き上がる。されど狂った王は動かない。構えた槍の穂先を英雄王にむけ――膨大な魔力が槍へと集中させる。
それを見る英雄王の笑みがまた一段と深くなる。己の乖離剣を抜いたと同時に出したということはあの槍こそが狂王の真の切り札だということだ。敵の切り札を一撃で消し飛ばし、真の王の姿を魅せる。これこそ我が真の王であるという証を立てることに他ならない。英雄王の笑みに答えるように、”剣”の魔力の嵐が一段と強くなる。狂王の意思に答えるように”槍”に集う魔力が密度を上げる。
「天地乖離す【エヌマ】――」
英雄王が口を開く。宝具の力を解き放つ真名を言い放とうとする。
「明日を願う【フレイヤ――」
狂王もまた槍の真名を口にする。限界を超えて体に力を込め、全身の傷口から血が落ちる。
二つの宝具から更なる魔力が吹き上がる。そして――。
「――開闢の星【エリシュ】!!」
突き出すように振り下ろされる異形の刃。そして放たれる膨大な魔力の嵐。
その嵐の前に森羅万象は膝を折る。英雄王を最強足らしめる乖離剣エアの一撃である。
その嵐を引き裂くように、滅びの結末の否定するように――。
「――神殺しの槍【エリミネーター】!」
狂王の槍が投擲される。
狂王の手より放たれた槍は魔力の嵐をくぐるように飛翔する。真っ直ぐに、真っ直ぐに。飛翔する槍は英雄王の元まで届き、カツン、と音を立てて嵐を生み出す剣に触れたと同時に槍に集った魔力が開放され――。
乖離剣の生んだ嵐全てを消し去った。
「な――んだとぉ!?」
消えたのは嵐だけではない。剣が放出していた魔力すらも完全に沈黙させていた。
この槍こそ狂王の最後の宝具。名を明日を願う神殺しの槍【フレイヤ・エリミネーター】という。
元を辿れば彼の世界においてニーナ・アインシュタインが生み出してしまった大量破壊兵器フレイヤに唯一対抗できた兵器である。状況に応じて刻一刻と内部プログラムを変更するフレイヤに対し、19.04秒以内に対処プログラムを入力、正確に命中させることで無力化させる。彼が最後に戦った戦争において、空中要塞ダモクレスから放たれたフレイヤを彼の親友であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと共に見事に無力化に成功した。その逸話が生んだ宝具である。
英雄王の乖離剣は絶大な破壊力をもつランクEXを誇る対界宝具であるのに対し、この槍は滅びの力を消し去る究極の対消滅宝具に他ならない。ただ一度しか使えず、消滅させることが出来るのは対軍宝具以上の威力を持った宝具に限定されるが、それでもその力はランクEXに相応しい。
しかし、それ故にこの槍は発動が難しい。史実でもプログラム入力・正確に命中とギリギリの綱渡りを要求されたように、この槍もまたほぼ同様の条件を要求される。
そこで、間桐雁夜が掛けた令呪が力を発揮する。
令呪はサーヴァントの性能の強化、並びに行動の強制させる効果がある。そしかし長期に渡り、漠然としないものでは効果が激減する、という欠点がある。しかし、両者の合意の上で発動した令呪はただの強化に止まらず、瞬間移動のような魔法の領域にまで力をみせる。
雁夜が狂王を召喚した二日後に掛けた令呪はこうだ。
”明日を願う神殺しの槍【フレイヤ・エリミネーター】による迎撃を成功させろ。”
長期に渡る命令ではあるが、条件が満たされるまで令呪の力は狂王の中に止まり、舞台が整った瞬間効果が起動する。変則的ではあるがある意味において両者の合意の上で発動した瞬間的な行動強化である。
あらゆる破壊の力を消滅させる明日を願う神殺しの槍【フレイヤ・エリミネーター】であるが、もう一つ、隠された効果がある。それは数瞬、ほんの僅かな間、回避・防御行動を不可能なものとする、というものだ。先の英雄王の驚愕はこれが原因だ。
そして数瞬あれば、それだけの時間があれば。
「蒼月――!!」
宝具の発動には十分すぎる……!
狂王の声に答え、瞬時に現れた王と歩みし鋼の巨人【蒼月・蒼穹太極式】。その機体の各所には火花が散り、英雄王から受けた損傷が今尚残っている。だがそれでも、戦闘行動は可能である。
両足の後ろに供えられたローラー、ランドスピナーが激しく回転し一気に巨体が加速する。沈黙した乖離剣を持つ英雄王目掛けて蒼き巨人は残された最後にして最大の武装、左手の輻射波動を発動させて走る、奔る、疾る。
「は――その程度の策が我に届くと思ったか、狂王!!」
明日を願う神殺しの槍【フレイヤ・エリミネーター】の副次効果から解き放たれた英雄王は巨人に王の財宝【ゲート・オブ・バビロン】の照準を合わせ、原初宝具を掃射する。
何挺かは輻射波動の障壁に阻まれたが、それでも大多数の刃が蒼月の機体に突き刺さる。ある剣は脚部を破壊し、ある斧は首を撥ねる。ある槍は、ある刃は――。
そうして、英雄王の少し手前で蒼月は完全に破壊された。
美しかった蒼い巨人はあらゆる箇所を原初宝具に貫かれた。
無論、コックピットも完膚なきまでに破壊され……。
「お――あああああああああ!!!!!」
端麗な顔を崩し、狂王が咆哮しながら遂に英雄王の下へと疾走する。
そう、蒼月は単なる囮。真の目的は狂王自身が英雄王を打倒することである――!
「おのれ小癪な真似をぉぉぉ!!」
身体に突き刺さった剣を左手で引き抜いて、
狂王は一振りの剣を右手に呼び出し、英雄王に突き立てんと疾駆する。
しかし、ここで最後の壁が立ちはだかる。
即ち、英雄王が纏う黄金の鎧である。
とある未来において、この鎧は聖剣エクスカリバーを幾度となく受けて尚形を維持し続けるほどの強度を持つ。最高峰の聖剣ですら持ちこたえる鎧である。たかだかEランクの無名の剣では傷どころか歪みすら付けられまい。
狂王が切っ先を英雄王の心の臓へ向ける。
英雄王が迎え撃たんと乖離剣を振り上げる。
両者が両者の間合いに入ったその瞬間、
狂王が間桐雁夜に掛けた【ギアス】が発動する――!
狂王が間桐雁夜を信じたように、間桐雁夜もまた狂王を信じた。だからこそ彼は一時の自我の消失を恐れず、ギアスを受け入れたのであった。そして狂王が雁夜に掛けたギアスの内容とは
”私が望む状況で私が望むように令呪を使用しろ”
というものであった。魔力のラインを通じて、雁夜はギアスに従い、間桐邸の闇の中で速やかに令呪を使用する。発動した令呪は瞬時に魔力のラインを通り、狂王の性能を強化する。再び発動した令呪の内容とは、
”英雄王の鎧を突破しろ”
というものだ。令呪の魔力は現状の狂王の状態から英雄王を打倒するように力を発揮する。
――魔力が狂王の身体能力を強化する。
――右に持つ剣に魔力が奔り、刃が膨張する。
――そして振り下ろされる乖離剣よりも速く、一歩踏み出す。
邂逅、そして決着。
「――さて、奴と私ではどちらが上だ?」
「ふん……雑種の助けを借りておいて格を問うなど戯けたことをほざくな、狂犬」
狂王の剣は英雄王の鎧を超え霊核を貫いた。乖離剣は狂王の身体を僅かに逸れた。
勝者は狂王。敗者は英雄王。それがこの戦いの結末だった。
「英雄王。遠坂時臣はどこだ?」
「――ああ、あの雑種か。当の昔に奴の弟子に殺されているわ。つくづくつまらん男であった」
雁夜がもっとも憎む男がすでに死んでいる。この事実はさしもの狂王とて予想していなかった。無理もない。時臣の弟子の危険性は――言峰綺礼の危なさは、実際に対峙しなければわからない。
「しかし、やはり世界は面白い。我の認識すら超えたモノが生まれるのだからな。全てが思い通りなどつまらぬ。少しは我に刃向かう輩がおらねばな」
霊核を破壊され、英雄王は現世に止まる魔力を失っていく。全身が消えつつあるにも係わらず、どこまでも彼は王であった。
「ではな、狂王よ。次は己が力のみで我に挑むがいい」
「……ああ、そうさせてもらおう」
最後まで王として在り続け、英雄王は完全にその姿を消失した。
英雄王が消えてすぐ、狂王は荒く呼吸する。全ての宝具、全ての策を導入してようやく勝てた。歯車が一つ狂っていれば消えていたのは狂王の方だったであろう。それほどまでにギリギリの勝利であった。英雄王の鎧を突破するためにも令呪”二画”を使用した。令呪は尽き、蒼月ももはや戦闘には使えまい。残ったのは己の体と刃のみ。
狂王は背後を一度振り返る。僅か数分の戦いだったというのに元々の光景が想像できないほどに破壊されつくした駐車場。戦闘中に火が移ったのか焦げ臭い香りがする会館。一度大きく息を吐くと、狂王は武装を消し、会館の中へと入っていった。
途中燃料切れで動かなくなったバイクを乗り捨てて、セイバーはようやく冬木市民会館に辿りつく。その入り口で戦闘の痕跡があった、ということは自分以外の何人かが戦い、そして消えたということだろう。不可視の剣を握る手に力が篭る。この先には勝ち残ったサーヴァントがいるだろう。征服王か、狂王か、底知れない黄金の王か――。
炎で溢れる廊下を進み、彼女は正面の扉を開き……エントランス抜けた先のコンサートホール、その正面に黄金の杯が炎に舐められながら宙に浮かんでいた。
聖杯の器の護り手であるアイリスフィールの姿はない。ならば――。
「……分かっています、アイリスフィール。聖杯は私と、切嗣が必ず……」
一歩、黄金の聖杯へ歩を進める。
「遅かったな小娘。漁夫の利でも狙ったか?」
その道を阻むように、銀髪の王が立ちふさがる。
「ッバーサーカー……!」
確かに、セイバーはここで他のサーヴァントと戦う覚悟は出来ていた。しかし、まさか得体の知れないアーチャーではなく、固有結界を有する征服王ではなく、バーサーカーが現れるとは予想外だった。
されど、目の前のバーサーカーは満身創痍。白かった装束は自身の血で真紅に染め上げられており、蒼いマントはそのものがなくなっている。しかし、しかしだ。最初の邂逅の時と同じように無名の剣の切っ先を真っ直ぐに自身に突きつけるその姿、その王気はその時以上。
「私は……」
「何も言うな。セイバー」
セイバーが放とうとした言葉を先んじてバーサーカーが切り捨てる。
「宴席でも言ったが、私は貴様を王として認めない……故に」
睨む。満身創痍ながらも気迫は衰えるどころかより強く。
「私は貴様の願いを否定する。それでも願いを欲するのならば――」
セイバーが不可視の剣を下段に構える。バーサーカーとは違い、自身は先日の聖剣解放の魔力消費がまだ少々残っている程度。勝機は十分にある。
「ここで果てて昨日を思い眠るがいい、小娘」
魔力を纏いセイバーが突撃する。聖杯を背にバーサーカーはセイバーを迎え撃つ。
最後の、聖杯を賭けた戦いが幕を開ける。
「はああぁぁぁ―――!!」
裂帛の気合と共に振り下ろされる不可視の剣。それを、
「――ッシィ!」
バーサーカーの左の無名の剣が防ぐ。剣は一合で曲がるが攻撃を防ぐという役割は果たす。僅かに硬直するセイバーを右の槍が襲う。だがその槍は刹那の速さでセイバーが切り落とす。曲がった剣が消え、新たな武装が左手に握られる。
両者の激突の余波で破壊されつくしたコンサートホールであったが、似たような攻防が繰り返されていた。
セイバーが攻め、バーサーカーが左右どちらかの武装で防ぐ。そして逆の刃がセイバーを断たんを迫り、それを撃ち落す。セイバーはバーサーカーの戦い辛さに臍をかむ。通常の戦士ならば手に持った武装を破壊すれば攻め手は減る。しかし、バーサーカーにとって武器とはいくらでも呼び出せる消耗品でしかない。剣が砕けようと、槍が折れようと、次から次に別の武器でセイバーの攻撃を迎え撃つ。瞬時に敵の間合いも変わるのだ。
だが、その程度で怯めば剣の英霊は勤まらない。
繰り返された攻防で、セイバーはバーサーカーの突破口を見出していた。即ち、彼の武装の脆弱さ、次の武装の展開への時間である。バーサーカーの武装の強度といい切れ味といい己のエクスカリバーの足元にも及ばない。そして一つの武装が破壊され、新たな武具を呼び出すまでには僅かな時間が必要なのだ。その二つの弱点を突き、バーサーカーを切り伏せるには……。
再び始まる剣舞。セイバーの下段から救い上げるような一撃をバーサーカーが左の刃で防ぐ。今度の一撃は今まで以上に早かった。
「ぬ――!」
左の剣が砕け散る。右手には未だ剣が現れていない。
――ここだ!!
開放される風王結界。その風の推進力を利用して、一気に振り下ろされる黄金の剣。バーサーカーの防御はおそらくギリギリで間に合うだろう。しかし、”魔力放出”と風王結界を開放したことによって生まれた爆発的な威力を有する上段切りは彼の剣を破壊し、そのままバーサーカーの身体を切り裂く――はずだった。
あろうことか閃光のような一撃を彼は”両手で持った剣”で鮮やかに捌き、
返す刃でセイバーの胴を引き裂いた。
「あ――くぅ……!」
疑問が生じるよりも先に直感が彼女の身体を動かす。瞬時に距離を取ると同時、音が響いて己が居た場所に複数の穴が空く。バーサーカーの手にいつの間にか持たれていた拳銃。戦場に果てた兵士の刃【オーナー・オブ・デッド】によって宝具化された弾丸が当たればさしものセイバーとてダメージは避けられない。
だが、今はそれは大した問題ではない。己が叩きこんだ一撃、アレは無名の剣では防ぐことはできないはずだ。技術がどうとかいう話ではない。紙で剣を防ぐことなどありえない。
セイバーの自己再生能力が引き裂かれた胴を癒す。そして立ち上がりバーサーカーを見据える。
正面のバーサーカーは弾を撃ちつくした右手の銃を無造作に投げ捨て、左手に持ったままの剣を両手で握る。剣から溢れる魔力はEに留まらず、Aランクはあるだろう。過去にセイバー自身が持っていた勝利すべき黄金の剣【カリバーン】同様に美しく装飾された薄黒い長剣。そして何より、あの剣はセイバーの鎧を紙の如く引き裂いたということ。
華美に鍛えられ、尚且つ絶大な切れ味を誇る装飾剣。該当する剣は唯一つ。
「デュランダル……!」
英国叙事詩『ローランの歌』の主人公たる騎士、ローランがシャルルマーニュ王より賜った輝煌の剣。それがバーサーカーの手に持つ刃の正体だった。
だが、この剣はデュランダルではない。正確に言えば後にデュランダルと呼ばれる無名の聖剣である。
先の英雄王と狂王が戦った際に彼の身体に刺さった剣。それがこの剣だ。英雄王が斃れ、狂王が左手に持ったままだった剣は戦場に果てた兵士の刃【オーナー・オブ・デッド】の力の対象となり、狂王の宝具として登録されたのである。
「外したか。意外に粘るな、セイバー」
「ほざけバーサーカー……!」
強がるが正直セイバーに勝機は薄い。元々ステータスでもバーサーカーが上であり、数少ない突破口はデュランダルによって潰された。宝具の開放をしようにもバーサーカーは聖杯を背にして立っている。仮に開放すれば如何なデュランダルであろうとエクスカリバーの真名開放には耐えられまい。だが、その代償に聖杯もまた消える。
苦悩するセイバーの視界の端に、幽鬼のような人影が映る。彼女のマスターである衛宮切嗣だ。これはチャンスだ。セイバーの脳裏に光明が差す。彼の手には未だ令呪が二画残っている。これを使えばバーサーカーを打倒することが可能であろう。
”聖杯を破壊せよ”
「え――?」
しかし、響いた言葉は彼女の思考の範疇外。されどサーヴァントの身体は命を執行しようと聖剣を掲げる。
「な……! 何を考えている!?」
これには狂王も狼狽を隠せない。己が聖杯を背にしてるというのに最強の聖剣を解放するなど考えられないことだ。願いを叶えるためには聖杯が必要だ。だというのに何故……?
「違う! 私じゃ……私じゃない! 何故だ切嗣!!」
その叫びが誰に向けた物か、バーサーカーは速やかに理解し視線をセイバーの目線の先に合わせる。
「邪魔をするな、魔術師!」
怒りも露に手に持った剣を消し、弓矢を呼び出す。バーサーカー自身に願いはないが雁夜の願いを、桜の救済を完璧に行うためには聖杯が必要だ。それを破壊しようとしている相手に、容赦などしまい。
一気に弓を引き絞り、放たれる瞬間――。
「……っ! 雁夜!?」
間桐雁夜の体内の刻印虫が限界を迎えた。英雄王との戦闘、セイバーとの戦いに魔力消費は増大し、刻印虫を死滅させたのだ。そして刻印虫が消えた以上、バーサーカーに供給される魔力はなくなった。そして雁夜は刻印虫の生み出す魔力によって延命していたようなもの。その虫が死んだのならば――。
その一瞬が、雁夜へ意思を向けた一瞬で切嗣は最後の令呪を発動する。
”重ねて令呪を持って命ずる”
「やめろ切嗣!! 貴方は聖杯を欲していたのでは――世界を救うのではなかったのか!?」
セイバーが涙を流し絶叫する。されど、彼はそれを無視する。
”聖杯を破壊しろ!!”
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
彼女の意思など踏み躙るように、令呪の強制はセイバーの現界魔力すら聖剣に注ぎ込み、
発動と同時に彼女はその姿を消した。
放たれた黄金の閃光は聖杯に直撃し、その器を焼きつくす。
そして宙に空いた孔より這い出た漆黒の泥が―――未曾有の惨事を引き起こす。
第四次聖杯戦争――ここに終結。
セイバー……いや、アルトリアは夢から覚める。
瞳を開けばそこはアーサー王の最期の場所、カムランの丘。それも己の子を殺した瞬間。
もう二度と見ることがないと決めた場所に、瞬間に彼女の心は揺れ動く。
切嗣を信じたというのに、この結末だ。だがそれも無理はないとも思う。
たった三回命令を受けただけの男をだれが理解できるだろう。そしてこの思いは……かつて己の部下達も抱いたものだ。
”アーサー王は人の気持ちが理解できない”
その言葉が再び胸を打つ。同じ立場に立ってやっと分かった。
ああ、なんだ……。
私なんか、王にならなければよかったんだ。
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