嘘にならないエイプリル |
エイプリルフール。あるいは四月馬鹿。
その言葉を小さく舌の上に乗せて、噛み締めるように、クロノ・ハラオウンは吐息をもらした。
黒髪黒目という日本人らしい特徴を持った少年であるが、その名の通り彼は日本人ではない。
とはいえ、今は日本で暮らしているし、日本語も問題ないので、日本人でないことなど些細なことである。
基本的に真面目で、悪く言えば堅物とも言えるこの少年は、少し悩んでいた。いやかなり悩んでいた。
別にエイプリルフールの習慣にとやかく言うつもりはない。
企業も個人も、今日のためにわざわざ用意しているネタを披露しているし、それらはどれも手が込んでいて面白い。
仲間同士での他愛も無い嘘も良いだろう。それは、今日だからこそ出来る身内の楽しみのひとつでもあるのだから。
だからまぁ――クロノとしても別にささやかな嘘で騙されたりしたところで、怒るつもりはない。
空を見上げる。
まばらに散る白い雲と、突き抜けるような蒼穹と、爽やかなそよ風。陽気はすでに春の様相を呈しており、日の光はポカポカと温かい。
これといった事件もなく、世はなべてこともなし。休日としては申し分ない。
――だというのに、クロノは気が重かった。
これはもう予感を超えた直感だ。来る。絶対にヤツが来る。
これまでのパターンから察するに、確実に来る。来ないワケがない。
既に、クロノのケータイには、同志からのメールも届いていた。
【遭遇したら諦めよう】
と。
どうしようもなかった。
メールの向こうから、諦めの境地に達した空気がヒシヒシと感じる。
遭遇したら――などと書いてあるが、どうせ遭遇するのだから諦めようという、そういう空気だ。
ひどい泣き寝入りな気がするが、まぁ自分も似たような心境なので、とやかくは言えない。
少し強い風が吹く。
「……そろそろ、かな?」
風に髪を揺されながら、改めて空を見上げて呟く。
その声は風にながら、天に溶け行く。
あまりにも小さな声に、誰も気にもとめないほどだったのに、それに反応する声があった。
「お待たせしました」
「待ってない帰れ」
即答。
声のした方に見向きもせずに、クロノは告げた。
「はっはっは。つれないコトを言いますなクロノ様」
深く深く息を吐き出して、クロノはゆっくりと声の主へと身体を向ける。
そこにいるのは、バニングス家に仕える執事。鮫島。
普段は優秀で有能で、執事として申し分ない人物ながら、一度悪ふざけを始めると収拾など考えず風呂敷を広げ続け、飽きると風呂敷を閉じることなく帰っていく。
その悪ふざけのターゲットになることが多いのが、クロノであり、先程のメールの送り主でもある高町恭也の両名だ。
関わりたくないが、神出鬼没なこの執事と、だいたい関わってしまう。
その遭遇のタイミングが、クリスマスやらバレンタインやらである為、今日もまた警戒をしていたのであるが。
「クロノ様。エイプリルフールというものをご存知ですか」
「知ってます。知っているからこそ、あなたと会いたくなかった」
「知っていながら会いたくなかった、と。なるほど、クロノ様。本日は嘘によるツンデレ全開なのですね。ありがとうございます」
「うわ面倒くさい殴りたい」
「あっはっは。ツンツンしておりますなー!」
この執事、どうしてくれようか。
根本的にどうにもならないのだが、それでも色々と乱暴な衝動が抑えられそうにない。
「乱暴な衝動とは――出来れば、女性の方が……」
「人の心を読まないで下さいッ! あと、そういう意味じゃありませんッ!」
ツッコミを入れてから、頭を抱える。
思うツボになっている気がしてならなかった。
「ところでクロノ様。今日はこのような快晴ながら、雪が降るらしいですよ」
「嘘ですよね」
「はい。嘘でございます」
他愛もない――というか、もはや騙す気すらない嘘など、何の意味があるのだろうか。
こっそりと嘆息して顔を上げると、ふと周囲が暗くなっていることに気が付いた。
「鮫島さん、今度は何をしたんです?」
「い、いえ……私はなにも……」
彼も困惑した様子で周囲を見渡している。
「なんだ……?」
訝しみながら、空を見上げると、分厚い雲が集まってきていた。気温もどんどん下がってきている。
「急に天気が変わったな」
「なにやら不自然な感じが致しますが……クロノ様、これは……」
「いや。魔力は感じない。魔法ではないと思うんだが」
だからこそ、不気味なのだが。
冷えた空気に、クロノがぶるりと身体を震わせる。
春の陽気にあわせた服装なのだったのだが、今はこの上に一、二枚上着が欲しくなっていた。
「申し訳程度ですがこちらをどうぞ。急に冬の天気になりましたからな」
どこからともなく執事の取り出したカイロをありがたく受け取る。
「雪だ」
呟く声に、白い息が混じった。かなり冷え込んできているようだ。
「……嘘から出た誠、というやつですな……」
クロノの言葉にうなずく鮫島も、かなり戸惑っているようであるが。
「まぁそういうコトもあるか」
天気というものは、その世界の気まぐれの産物なのだ。
コントロールしている世界もあるが、地球にはそんな技術はない。
ならば、星の気まぐれとでも思っていた方が気楽というものである。
「個人的に出鼻を挫かれてしまった気がしますな」
はっはっはと横を歩く執事は笑う。
「あの何でついてきてるんですか?」
「いえ、特に理由は」
雪が降ってきたこともあり、クロノは散歩を途中で切り上げて自宅へと戻っている途中だ。
天気も悪くなったことでこの執事もまた帰るのかと思ったのだが、そんなことはなかった。
「ところでクロノ様。知っておりますかな? 今日はもしかしたら隕石が丁度良い角度で突入してくるかもしれない、と」
「嘘ですよね」
「はい。嘘でございます」
素直にうなずく執事に、クロノは眉を顰める。
普段の執事であれば、もう少しこちらを振り回すようなネタをしてきそうだが、今日はいまいちキレが悪い。いや、切れ味が良い嘘など勘弁してもらいたくはあるが。
「……!」
と、ふと目に入った火の玉に思わずクロノはその場から飛び退いた。
「どうしましたクロノさ……」
直後、その火の玉が鮫島に直撃し、地面を小さなクレーターを作り出す。
その中心で黒こげになっていた鮫島だったが、すぐに何事もなかったかのように立ち上がる。その姿はだいぶボロボロであるが。
「死ぬかと思いました」
「むしろ何で生きているんですか?」
まぁこの程度で鮫島が死ぬとは思っていなかったので、クロノは何もせずその場を離れただけなのだが。
「ところで今のは一体……?」
首を傾げる鮫島に、クロノ自身も半信半疑の答えを返した。
「隕石なんじゃないかと」
「…………」
珍しく、鮫島が沈黙する。
やがて口を開くと、
「嘘から出た誠、というやつなのでしょうか……」
首を傾げながら、そう呟いた。
それに、クロノは何と答えて良いかわからなかった。
「それで、何でついてくるんですか?」
「いえ深い意味は特に」
クロノが再び帰路に着くと、相も変わらず鮫島も後をついてくる。
鮫島自身は何かいたずらをしたいのかもしれないが、今日に限ってはどうにもそのチャンスを逃してしまっているようだ。
その逃がしてしまう理由を思うと、クロノは少々薄ら寒いものを感じている。
(先程から、嘘をつこうとして失敗してるんだよな)
二連続。それを偶然と片付けるべきか、必然と片付けるべきか。運命の女神のいたずら辺りがふさわしい気もするが。
「む、クロノ様」
「なんですか?」
「あなたを狙う刺客が!」
突然声を上げる鮫島に対し、クロノは冷めた様子で周囲を見渡す。
当然、何もいないし、気配もない。
「嘘ですか」
「はい。嘘でござ……」
「そこの執事……何で気が付いた?」
鮫島の言葉を遮って、何も無い空間に魔法陣が出来たと思うと黒ずくめの男が姿を見せた。
嘘から出た誠。怪我の功名。馬鹿に出来ない四月馬鹿。
「まぁ、何でもいいか」
「なに?」
クロノが思わず漏らした男は眉を顰める。
「ああ。気にしないでくれ。君のコトを三流だと思っただけのコトだ」
「貴様……ッ!」
気配の消し方も魔力の消し方も完璧だった。
鮫島が言った他愛のない嘘を真に受けて姿を見せたのが運の尽きといえよう。
一流なら、すぐに姿を見せずに様子を見ただろう。そして様子を見ていれば鮫島のネタ晴らしに気付けたはずだったのに。
執事に見抜かれたことでプライドが傷ついたののだろう。それで苛立っていたところへ、クロノの言葉だ。どうやら相当、頭に来たらしい。
だが、クロノからすれば、ますます三流だと言わざるをえない。
「暗殺者を気取るなら、ここで冷静さを失ったらダメだと思うんだが?」
踊りかかってくる刺客を見据え、クロノは一歩踏み込んだ。
「…………あの、クロノ様」
「鮫島さん。今日はもう喋らない方が良い気がしますよ?」
「…………………」
二度あることは三度ある。あるいは三度目の正直か。
刺客を拘束し、エイミィへ連絡し終えたあとで、声を掛けてきた鮫島にクロノは、思わず告げた。
「色々と用意はしておいたのですが……」
どこか寂しそうである。
「前フリが成功してないんですから、出番もないんじゃないですか?」
「そうでございますね……」
どうにも元気が無い。
「何が悪かったのでしょうか?」
「いたずらそのものが悪いと言えば悪い気がしますが――それでもまぁ強いて言えば、今日の鮫島さんの運勢が、ではないかと」
「運勢ですか」
「ええ」
「運勢ならば仕方がないですね」
コーケコッコー!
「…………」
突然響いたニワトリの鳴き声に、クロノはビクリとするが、執事は至って冷静に懐から懐中時計を取り出した。
「そろそろお嬢様のお茶の時間でございますな」
とてもしょんぼりとした様子で、鮫島が呟く。
「このような不本意なタイムアップは初めてでございます」
「でしょうね」
「…………」
しばらくは肩を落とした様子だったが、そこはプロの執事だ。
大きく息を吐いた後、シャキッと姿勢を但し、恭しくクロノへと頭を下げた。
「それでは失礼致しますクロノ様。本日はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「まるで普段は迷惑掛けてないとでも言うような言い方ですが――まぁそういう日もあるでしょうから、お気になさらず」
「ところでクロノ様……帰る前に実は一つ言っておきたいコトがございまして」
「なんですか?」
「――嘘、でございます」
「……この期に及んで何が【嘘】なんですか?」
クロノの返答に、鮫島も困った顔をして答える。
「何かがそうであればよかったなぁ……と」
そうして鮫島は改めて頭を下げると、とても哀しそうに去っていくのだった。
隕石辺りがパカりと開いて【嘘ぴょ〜ん】などと旗が出てくれば救いもありそうなものであるが、それもなかったのだから、今回は本気で鮫島は本領を発揮出来なかったのだろう。
「されたらされたで嫌だったけど」
だからといってあそこまで気落ちされると、何だか申し訳なくなってしまうのは、自分の人の良さ故なのだろうか。
「あ、あの」
「なんだ?」
ストラグルバインドをした上で、鮫島が用意してくれた簀巻きセットで拘束し、転がしておいた刺客が声を掛けてくる。
「じ、実は俺、あの執事の用意した偽の殺し屋で――」
「だとしたらあの人は簀巻きセットなんて用意しませんよ。タチの悪いいたずらをする人ではありますが、一線を越えるいたずらはしない人ですから」
「そこはほら手違いとかだって……」
「まぁそれならそれでも僕は構わないんだが」
「え?」
「あの人の知り合いなら、多少は無茶しても平気なんでしょう?」
「え、えーっと……」
「騒いだら騒いだで厄介ではあるが、騒ぎもなく何らかのオチも無い――というのはどうにも張り合いがなくて落ち着かなかったところでもある」
「何を言って……」
「こういうのを何と言ったか……ああ、そうだ。爆破オチだ。物足りないと思ってしまう時点で僕も相当毒されてしまっているのかもしれないが」
「ちょ……なんでデバイスをこちらに……ッ!?」
「ブレイズカノン!」
男の言葉など無視して、クロノが魔法を解き放つ。
青白い閃光と爆音は彼を悲鳴ごと飲み込んだ。
「無意味な暴力って虚しいな」
宙を舞う刺客を見ながらクロノが呟く。
「なら……やるなよ……」
地面に落ち、ぐったりとしながら、刺客が呻いたが、それもまた、虚しく空に溶ける。
クロノはデバイスを仕舞い、空を見上げた。
気が付くと、雲は晴れ、気温も元に戻っている。
「嘘をつくって、案外難しいものなんだなぁ」
再び顔を出した太陽に目を細めながら、クロノは思わずそう漏らさずにはいられなかった。
【April not Fool - cloused.】
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エイプリルフール。 それが何であるかはすでにクロノは知っている。 だが、そこにあの執事が絡んでくると話が変わる。 しかし、その執事の様子が……? |
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