鞘の娘と牙の王子 1-1:華麗なる鞘(ゴージャス・スキャバード)
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 幽霊屋敷に訪れて三日目、悪霊はついにその姿を現した。

 黒い霧のような得体の知れない物体があちこちから染み現れ、大広間の壁や天井から覆い隠してゆく。そして階段の上から見下ろすように人影も現れた。恐らくそれが悪霊の本体だ。しかし、鮮血のように赤いじゅうたんが敷かれた床からは、どこからも黒い霧は染み出ていない。かつて領主だった時のプライドが、床を這いずり回る事に抵抗を感じているのか。それとも、健気にも立ち向かおうとする剣士を侮り、ハンデを与えているつもりなのか。

 階段の下から悪霊を見上げるのは、華奢な体つきから少年を思わせる、一人の小柄な剣士だった。羽根の付いた洒落た帽子に、短く切った髪。上半身を覆い隠すケープ。滑り止めの剣士用グローブにロングブーツ。腰にはサイズが合わないのかソードベルトが斜めに巻かれており、左腰に下げられている剣には、鞘から簡単には引き抜けないよう何重ものセーフティーがかけられていた。

 周囲を囲まれ逃げ場のない、絶体絶命の状況。しかし剣士は悪霊を見据えるとニヤリと笑う。

「悪霊さん、知ってるかい? 東洋にはこんなことわざがあるんだ。『毒を以て毒を制する』ってね。聖職者じゃなくても魔が祓えるって事、教えてやんよ!」

 剣士が鞘に施された封印を解くと、禍々しい邪気を放つ剣が解き放たれた。

 

「いくぞ! 魔剣ハートブレイカー!」

 

 剣士が魔剣で斬りつけると、エクソシストをものともせず、物理攻撃は一切効かない黒い霧が、紙切れのようにあっさり切断された。驚いた悪霊は、黒い霧を触手のように伸ばし、四方八方から攻撃する。すると魔剣は、人の限界をはるかに超えた凄まじいスピードで、剣士に近寄る触手を全て切り捨てた。剣士は階段の上にいる悪霊に挑発的な笑みを浮かべる。

「ヌルいなぁ。ヌルすぎてあくびが出ちまうよ悪霊さん。もっと本気で襲っておくれよ。楽しもうぜ、戦いをさっ」

 

 一度使えば生き血を吸うまで止まらない魔剣の中でも、ハートブレイカーは異質な存在である。伝説によると、その切っ先には、仲間を護りきれなかった無念と、仲間を殺した敵への憎悪が、復讐を誓った勇者の血の涙と共に染み込んでいるのだという。故に使用者が敵と認識したものは全て切り捨てる。ハートブレイカーとは、魔の力で魔を滅し、呪いの力で呪いを滅する、愛と怒りと悲しみの剣なのだ。だがしかし、いかに大義名分があろうとも、勇者の血は復讐を許さない。勝利の果てに待っているのは、己への罰。使用者の確実なる死であった。

 

 本体から切断された黒い霧は、光の玉となって悪霊から離れていった。それが悪霊の力の源なのか、黒い霧を斬り剥がす度に、悪霊は徐々に力を失ってゆく。やがて黒い霧をほとんど失った悪霊は、正体をあらわにした。幽霊屋敷だけでなく、森全体にまでも影響力を及ぼそうとした、最低の領主にして最悪の悪霊が今、惨めに姿をさらしている。その姿は一見すると哀れな年寄りだった。しかし剣士はその本性を知っている。

 子どもたちの楽園を作ると宣言し、多くの孤児を養子に迎えた、心優しき領主様。その化けの皮が剥がれたのは、突然死をして間もなくのことだった。領主はその変態性欲を満たすために子どもたちを集め、用済みになった子は、より残酷な欲求を満たすために拷問し、さんざん弄んだ上で殺していたのだ。

 ところが今度は屋敷に訪れた人を次々と謎の死を遂げるようになった。領主の悪霊の仕業だと怯えた領民は次々と逃げ出し、やがて領主の国は滅亡した。それがかれこれ六十年前の話。今では悪霊領主が棲む幽霊屋敷だけが、かつての国の名残である。

 

「キサマ…呪ッテヤ…ル…汚シテヤ…ル…殺シテヤ…ル…」

 領主の悪霊は、ほとんどの力を失いながらも地べたを這いずり、呪いの言葉を発しながら剣士に迫っていた。ハートブレイカーはかなり強力な魔剣だが、魔封じが専門というわけではない。力を斬り剥がすことまではできても、完全に浄化することはできない。放っておけば再び人を殺しはじめ、何十年後かには災厄をまき散らす最悪の悪霊へと返り咲くだろう。

 しかし、怖い者知らずの剣士は悪霊を挑発し続けた。悪霊の憎悪の矛先を、自分だけに向けさせようとするように。

「やれるものならやってみな、ドサンピン!」

 それに呼応するかのように悪霊は奇声を上げ、腕を槍のように伸ばした。あまりのスピードに、剣士は避ける間もなく左胸を貫かれる。体内に潜り込んだ悪霊の腕は、心臓を鷲掴みするように包み込み、残った体の全てを剣士の体内へ潜り込ませた。心臓に侵蝕した悪霊は、血管を通して体中へと侵蝕を広げてゆく。

 剣士は苦痛に顔を歪ませ、左胸を押さえるが、痛みで立っていられず、膝をつき、ついには四つん這いになった。肌のあちこちに紫斑が表れ、侵蝕と共にどんどん広がってゆく。そして剣士が悲鳴を上げると共に、その体はどす黒く輝き、そして静寂が訪れた。

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 突然、うつぶせに倒れていた剣士が顔を上げ、大きく息を吸いこむ。その顔には先ほどまであった紫斑は無い。むせながら体を起こした剣士は両腕を見る。両腕の紫斑は徐々に小さくなり、やがて完全に消え去った。剣士は続いてケープをめくり、悪霊が飛び込んできた胸元を見る。そこには傷も紫斑もなかったが、代わりに少年には無いはずの膨らみが二つあった。

「まったく…。苦し紛れにおっぱい掴みかかってくるとか、最後の最後までドヘンタイ野郎だったな。クソ領主め」

 悪霊は必死に抵抗を続け、しばらく胃の辺りに違和感が残っていたが、やがて力尽きたのか、消え失せた。

 

 ふと、大勢の人の気配を感じ、剣士は振り返る。部屋の隅で不安そうに見せる幼い瞳。領主に囚われていた子どもたちだった。下は4歳から上は14歳くらいだろうか。剣士は笑顔を作り、哀れな子どもたちに優しく話しかける。

「もう大丈夫だよ。悪いヤツはお姉ちゃんが『食べちまった』からね」

 胸をわざと強く叩き、咳き込んで、おどけてみせると、子どもたちは安心したのか、笑顔を取り戻し、走り寄って剣士を囲んだ。

「お礼なんかいらないから、もう行っちゃいなよ。あたしには、あんたたちの道案内は出来ないんだ。天国になんて行ったこと無いからね。なぁに、大丈夫さ。みんなで一緒に天に昇れば、お迎えが見つけて来てくれるよ。だからはぐれたりしないよう、気をつけるんだよ」

子どもたちは、剣士に改めて感謝の気持ちを捧げると、互いの手を握り合い、空を見上げると、光の玉へと姿を変えた。無邪気で清らかな輝きを放つ子どもたちの魂は、身を寄せ合いながら空へと昇ってゆく。その様は光の龍が天に昇るかのようだった。剣士は美しい光景に目頭が熱くなる。

「そっか…。あたし…まだ泣けたんだ。まだ人の心が残ってたんだ…。そっか…」

 無性に嬉しくなった剣士は、感情に身を任せ、空を見上げながら、子どもたちに向かって大きく手を振った。

「みんな、バイバ?イ! あたしはそっちには行けないけど、天国で幸せにね?!」

 

 一仕事終えた剣士は、うつぶせになると右の頬を床に押しつけ、意識を屋敷中に広げる。静寂に包まれた屋敷からは、もう何の気配も感じない。死霊も生き霊も悪霊も…。夜明けと共に小鳥のさえずりが聞こえてきた。悪霊を恐れて近寄らなかった小動物が戻ってきたのなら、もう大丈夫。幽霊屋敷の邪悪な気配は全て破壊した。任務完了だ。

 剣士は起き上がると、魔剣を鞘に収める。が、納めきる前に、手が止まってしまう。何度経験してもこればかりは慣れようがない。剣士は大きく深呼吸をすると、「イタイのは一瞬だけ、イタイのは一瞬だけ」と呪文のように唱えながら、一気に魔剣を鞘に納めきる。すると同時に鈍い破裂音が体内から響き、剣士は血を吐いて倒れた。

 魔剣ハートブレイカーがその役目を終えたとき、死の呪いが発動し、忌まわしいその名の通り、使用者の心臓が破壊したのだった。

 

「はぁ?。伝説の勇者さんのお仕置きは、相変わらずキッツイなぁ」

 それから三十分ほどして、剣士は何事もなかったように幽霊屋敷を後にした。切り替えの早い彼女の心は、すでに成功報酬で一杯であった。成功報酬をもらうまでがお仕事。不動産屋はちゃんと払ってくれるだろうか。二度も死んだのだから、むしろ追加料金を請求したいところだが、もし値切ってくるようなら、悪霊をダシに不動産屋にイタズラしてやろう。

 

 彼女の名はサーヤ。不死の呪いをかけられた永遠の少女。呪いを己の身体で受け止め無力化する『鞘』の能力者。((『華麗なる鞘』|ゴージャス・スキャバード))の二つ名を名乗る、ケガレの剣士。

説明
おとぎ話モチーフのファンタジーノベルです。第1章はバトルを通して主人公を紹介するショートストーリー。エクソシスム(悪霊払い)すら通用しない邪悪な霊に、剣士はいかにして立ち向かうのか?
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剣士 ファンタジー 悪霊 中世 おとぎ話 鞘の娘と牙の王子 

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