少女の航跡 第4章「変貌」 2節「崩れゆく世界」
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 灰と煤で汚れ、所々の部分が欠損した鎧は重く、ようやく私はそれを自分の身から外すことができた。甲冑の胴の部分だけ外しただけでも、体の重みは大分和らいだが、それでも、体全体が重たい疲労に包まれていた。これが、単なる疲れであったならば、ゆっくり休むことで取れていく事だろう。

 髪や肌も薄汚れ、泥や灰にまみれている。そんな私、そして私だけではなく、この大陸に生きている人々すべてを覆っているのは、逃れようのない不安だった。不安が心をわしづかみにして離さまいとしている。

 そして、それが一体どこからやって来ているものなのか、私達は知る事さえできないでいた。私達が戦っている相手が一体何者なのか、それさえも知る事ができていないのである。

 ただただ、軍勢はどこからともなく現れ、私達に襲いかかって来ていた。《シレーナ・フォート》がその軍勢によって壊滅させられてから、すでに1年近くが経っている。その間、私達は、見えざる軍勢との戦いを繰り広げていた。

 戦う理由は一つ。生き残るためでしかない。守るべき領土をことごとく蹂躙されていく国々。その幾つかはすでに滅亡しているという。

 私達が知りうるだけでも、『リキテインブルグ』『セルティオン』しか、その王国の存在を確認する事ができていない。両国はお互いが助け合う事によって、そして騎士、兵士達の総力を使う事によって、何とかその存続を続けている事ができた。

 だが、迫りくる軍勢の勢いは一向に休まる事が無かったのである。

 この一年間、私も戦い詰めであった。私にとって、『リキテインブルグ』とは、自分の国ではない。だが、多くのその国はもちろん、人々を守るために、私は戦っていた。

「どう?調子は?」

 そう言って、顔や体を拭くための布を手渡してきたのはルージェラだった。彼女も戦いに明け暮れている。しかも現在、『リキテインブルグ』で最も地位の高い騎士が彼女だった。

 一人ですべての軍を統括するのは、この国が混乱している状況下では難しい事だった。ルージェラはとりあえず、ピュリアーナ女王が統率を取ることができている範囲だけを活動させていた。

 しかしながら、彼女らの配下の者達が動いていて、一体何になると言うのだろう。

 どこからともなく現れる巨大な怪物達には、ことごとく国の領土を侵されていき、今や国の全体像は、どのようになってしまっているかという事さえ分からない状況だった。

 だが、例えそうであっても、ルージェラや私達は、そこにいる者達を死守していこうとしていた。

「調子は、あまりよくありませんね。このような状況では」

 ようやく私は、自信もなくそのように答えていた。身に着けた甲冑の部品が重く、それがずっしりと私にのしかかってくるようだった。

「でも、お手柄よ、あなた。よくもまあ、一人であの軍勢の総大将を倒すことができたわね」

 そのように言って、ルージェラは私に剣を一振り渡してきた。それは私の愛刀であった。あのジェイドとの戦いでどこかへと紛失してしまっていたが、それをルージェラが取って来てくれたのだ。

「ありがとう」

 私はその剣を受け取ってそのように答えた。だが疲労感がそれに勝り、どうしても力ない声へとなってしまっていた。

 この一年間。人々を助けるために、私達は戦いばかりであった。そろそろ限界が近づいてきているかもしれない。

「あなたも、まだ考えているの?」

 殺伐とした戦場跡の陣。まだ負傷者の手当ても終わっていない状況で、ルージェラは私にそのように言って来る。

 それが何の事を意味しているのかは、私にも分かっていた。

「それは考えています。忘れられるはずがありませんよ。今でも私は、カテリーナがいてくれたらって思っています」

 カテリーナの事だった。私達にとってカテリーナは何よりも重要な存在だった。もしかしたら、この『リキテインブルグ』の生命線とも言える存在だったかもしれない。

 カテリーナというたった一人の騎士がいれば、全てが変わると言うものではない。だが、それは『リキテインブルグ』という国にとっても、私にとっても、ルージェラにとっても重要な存在だった。

 それが失われてしまった。ピュリアーナ女王も私達も、カテリーナは死んだものと考えている。それ以外に考えられなかった。

 誰もカテリーナが死んだところを見たわけではないが、それでも、彼女はこの一年間姿を現さなかった。もし生きていたならば、忠誠を誓ったピュリアーナ女王、そしてこの国の為に、彼女は必ず姿を現すはずだ。

 しかしながら彼女が現れる気配は全くなく、行方不明のままだった。

 そして私たちは、彼女を死んだものと判断してしまっている。

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「カテリーナがいれば、全てが好転する。あたし達はそう考えてしまっているわね。それは無理も無い話だわ。今までは、彼女が何もかもを変えてくれた。だけれども、今ではそんな彼女もいない。

 一体、どうしたら良いのか、それを迷ってしまうのは、あの子に何もかもを頼りすぎていたせいだと思うわ」

 ルージェラは私の横に座るなり、そのように言ってきた。まるで、私をなだめるかのような声で言って来る。

「頼りすぎていた。そうかもしれません。でも、だからこそ、今だからこそ、彼女が私達には必要なのだと思ってしまいます。そうでなければ、この状況を潜り抜けることはできない」

 するとルージェラは立ち上がった。

「駄目ね」

 天を仰ぎ見て彼女はそのように言った。ルージェラが見上げた先には重苦しい雲が、厚く覆っている。それはあまりにも厚い雲だった。

「駄目。そう考えては駄目。何度もあたしも、自分にそう言い聞かせていている。でも、現実はそうではない。確かに私達は今、大きく追いつめられてきてしまっている。民も、戦士も、皆が追いつめられてきてしまっている。逃げ場はどこにも無い。選ぶのは、戦うか、逃げるか、それとも死ぬかしかない。

 カテリーナがいたら、なんていう選択肢は、私達には選ぶことができなくなっている。

 それは残酷な現実だった。もはや私達は自分達で自らの進むべきを切り開いていかなければならない。

「おおい、もっと薬はないのか!」

「負傷者の、負傷者の手当てを!もっと来るぞ!」

 そのように聞こえてくる声があった。先ほどの戦いはまだ冷めやらないままだ。あのジェイドとの戦い、そして巨大な軍勢を倒すことはできたが、私達にできたのはそこまでであり、実際のところはどんどん追いつめられているのだ。

 最近では敗戦も続いており、騎士や兵士達の数も減り、彼らの士気も大きく下がってきている。

 そしてこのままでは、『リキテインブルグ』という国が崩壊するのも目に見えている。

「この地にはもう食料も無いのか!」

 そのように苛立った騎士が言っていた。彼も、先ほど最前線で戦いを行っていたものの一人だった。

 民からやってきた配給係に対して、あたかも脅しであるかのように迫っている。

「す、すみません。もう、何もないのです。近くの村にも何も食料は残っていません。畑も全て荒れ果ててしまいました…」

 民はそのように言った。あたかも、その場で切り捨てようかという迫力を魅せる騎士に対して恐れさえ感じている。

「おのれ」

 そう言って、その騎士はどうともできない苛立ちを、そのまま地面へと向けていた。

「ちょっと、あんた、落ち着きなさいよ」

 そんな彼を制止しようとしたのはルージェラだった。自分の部下であるその騎士の苛立ちを制止しようとする。

「落ち着く?このような状況でそんな事ができると思いますか?ルージェラ様!皆が戦い詰めで、疲労も極限にまで達しています。それなのに、食料さえ手に入らないとは!一体、我々はどうしたら!」

 訴えかけてくるその騎士に対し、ルージェラは彼の肩を手で掴んで言った。

「駄目よ。皆の為に戦う騎士がそのような事を言っていては。辛いのは皆も一緒のはず。民も、貴族も、皆が極限にまで来ている。そんな極限にまでやって来ても、民の希望となれるのは誰か?それは戦う者達よ。私達はその期待に応えるために、弱音を吐くつもりはないわ」

 そう言ったルージェラは、確かな決意に満ち溢れていた。目は揺らぐことなく、その騎士に注がれている。

 騎士はそのルージェラの視線に耐え切れなくなったのか、彼女から目線を外して、自信のなさそうな表用を魅せる。

「すみません。ルージェラ様。私には、それをこれ以上耐えることができないのです」

 そのように言うなり、その騎士は、地面へと自分の剣を落としてしまった。その行為が一体何を意味しているのか、私は知っていた。

「あなたはそれでいいの?忠誠を誓った女王陛下を裏切るという事になるのよ?」

 ルージェラは言ったが、

「もう。『リキテインブルグ王国』など存在しません。この国も、この世界も終わってしまったのです。後は、死を待つだけでしょう。自分も覚悟を決めました」

 騎士はルージェラに言って、彼女に背を向けると、陣を後にしようとしてしまう。ルージェラはそんな彼を呼び止めようとした。

「あなた。騎士ならば、最後まで戦って果てようと、そのようには考えないの!」

 彼女の制止も聞かずに、その騎士は去って行ってしまう。もはや彼は騎士という肩書を自らの手で捨ててしまっていた。

 ルージェラはがっくりと肩を落とす。あの騎士だけではない。ここ最近は特に多くの騎士が騎士団を離反をしている。そして脱走兵も相次いでいる。

 それを止める事は誰にもできなかった。何しろ、騎士団を離脱する兵士があまりにも多すぎるために処罰しきることができないのだ。ただ騎士や兵士を止めるくらいならばまだ良い。

 だが、彼らは盗賊などと成り下がってしまい、この終わりゆく世の中で、略奪行為など、堕ちに堕ちた者達も多く、それが、この世の終わりと形容される世界を更に形作っていたのだ。

 あの騎士も、どうなってしまうのだろうか。盗賊と成り下がってしまわないだろうか。

 それも心配だった。しかしながら、この世の中にある心配事はそれだけに済まされるものではない。全ての出来事が、私達を追いつめてきているのだ。

 

説明
巨大な生物たちとの戦いに勝利したものの、ブラダマンテ達には、残酷な世界の現実を変えることはできないのでした。カテリーナ亡き後の彼女達は―?
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