少女の航跡 第4章「変貌」 3節「夜襲」 |
《シレーナ・フォート》は現在、廃墟と化していた。その廃墟に近づこうとする者は誰もいない。あの大攻撃の陥落の後、この西域大陸最大の都市は、誰もが住むことができない場所と化しており、機能もすべて失ってしまっていた。
ここは栄華を極める都だった。ピュリアーナ女王の配下の元、優秀な兵士たちが守る、難攻不落の城でもあり、西域大陸の人々を結びつけるために欠かすことができない都市でもあったのだ。
だが、その地は今、別の者達によって蹂躙されてしまう事になっていた。この都の支配権は奪い取られ、別の者達が新たに住み着いている。
その者達は、知恵を持っているのだろうか。果たして、彼らには目的と言うものがあってこの地を支配しているのだろうか。
巨大な昆虫。奇怪な生命達。彼らが人間やシレーナ達に変わって、この地を支配しようとしていた。
巨大な昆虫の体躯は人間の数倍はあろうかという巨大なものがあった。その巨大な体躯を持ってして人々を圧倒し、この地にすみついていたすべての人間を追い払ってしまっていた。追い払われた者達は住む場所をなくし、もはやどこにも行く事ができないでいる。
昆虫達は、《シレーナ・フォート》の入り組んだ地形を利用して、あたかもそこを自分達の巣であるかのようなものとして住み着いてしまっている。
しかしながらこの地はピュリアーナ女王にとって、必要不可欠な王都であった。全ての攻撃の拠点であり、防御の拠点であった。
まさかこの地が異形の生命達によって奪い取られてしまうものとなってしまうとは、全く予期していなかったことであった。
だが、奪い取られてしまったものは、奪い返すしかない。そうしなければ、この西域大陸の全てが奪い取られているも同然のものだった。だからピュリアーナ女王は、何としてもこの王都を奪還する方法を考えていた。
王都さえ奪還する事ができれば、正体の分からない異形の生命達に対しても反撃をすることができるはず。そのように考えていたのだ。
昆虫達、異形の生命体に支配されていようと、《シレーナ・フォート》には夜も来るし、昼もやって来る。
夜も昆虫達は休んでいる。あたかも自然界にいる昆虫達がそうしているかのように、彼らは羽を折りたたんで休みに付く。そして昼間は活動をするため、その羽を広げて我が物顔で、《シレーナ・フォート》の街を飛び交う。
その光景は地獄とさえ比喩されていた。崩壊された街を飛び交う異形の者達、誰も寄り付くことができない都。
果たしてこの都をどのように奪還するのか。すでに何隊かの隠密部隊が王都奪還に乗り出していたが、そのどの部隊もが壊滅せざるを得なかった。
しかし彼らの犠牲は無駄にはなっていない。彼らのおかげで、この王都を占領している昆虫達の性質が分かったのだ。
ピュリアーナ女王達が理解したことは、この異形の姿をした昆虫達は、決して頭の良い存在ではないと言う事ではないという事だった。彼らはただ、昆虫を巨大化したかのような存在であり、それ以上、高度な知性を持っていると言うわけではなかった。
彼らはただ、昼間に活動をし、必要な餌を集めて、飲み食い、そして子供を産んで増やしている。そういう存在だった。
それ故に、獰猛で、さらにおぞましい存在とも民には比喩をされていたが、結局のところはそれだけの存在。
我々人間やシレーナ、その他の亜人種たちは、その体格の差で大きく劣ってはいるものの、彼らを知恵によって圧倒する事はできるはずだった。
夜間。昆虫達はある程度警戒をしているが、彼らの目は警戒が緩む。それはどのような生命でも同じことだった。夜間にこそ狩りをする昆虫達もいるようだったが、その数はぐっと減る。
今まで侵入してきた隠密部隊も、夜間に潜入をしていた。
そして、人間やシレーナ達には知恵がある。その知恵は、この昆虫達を上回っている。それが明らかになりつつあった。
人間達は、3度目の攻撃を《シレーナ・フォート》に仕掛けることにした。この王都を奪還する事なしにすべてを取り戻す事はできない。そう判断したピュリアーナ女王の決断によって奪還作戦が実行されたのである。
奪還作戦を実行するのは、ピュリアーナ女王の精錬された隠密部隊達。それだけではなかった。この計画を決行するために、連合軍が形成され、より多くの兵が、秘密裡に送り込まれていたのである。
《シレーナ・フォート》は巨大な都市だった。その都市が丸ごと昆虫達の巣と化してしまっているのだから、これを奪還するのは相当な手間がかかるという事は目に見えていた。
しかし作戦はある。人間と、それに準ずる亜人種達の頭は、ずっと昆虫達よりも優れたものなのだ。
だからこそ、この王都を奪還する事ができるはずだった。
《シレーナ・フォート》に送り込まれた部隊達は、正面から中へと入りこむことはしなかった。彼らは夜の光を反射しないような装備をし、慎重に動いていた。
昆虫の怪物達は、確かに頭では人間達には劣っていたものの、反応と動き、そして繁殖力だけは異様な高さを持っていた。
隠密部隊達は、海の上に築き上げられた《シレーナ・フォート》の外壁の外部に面している、対岸の洞穴に集まっている。
ここは昆虫達によって占拠されていない秘密の場所だった。普段は可動式の大きな岩によって隠されている秘密の通路で、正面門からは入れることができない、秘密の使者などを送り込む際に使われていた。
「計画は万事順調か?」
そのように言って部隊達の前に現れたのは、ひときわ背の高い、フードを被った人物だった。
「ええ、万事順調です。後は対岸からの合図があれば、一網打尽にする事ができますよ」
恭しい様子で、隠密部隊の一人が言ってきた。
なるほど、万事順調。それは良い事だ。しかしながらここ数年間、万事順調と言われている事が、全く持って予想外の事態、それも人知を超えるかのような予想外の事態によって簡単に崩れ去っている。ルッジェーロはそれを知っていた。
ルッジェーロ・カッセラート・ランベルディは、『セルティオン』の王の命令でこの地へとやって来ていた。近衛騎士として王を守る立場にある彼らだったが、もともとは小回りの利く部隊として使われていた。
近衛騎士として使われているのはほんの数名程度で、あとの騎士たちは、このように同盟国に派遣され任に当たる事が多い。非常時ともなればそれはなおさらだった。
『リキテインブルグ』と『セルティオン』の同盟関係は、西域七か国の中でも最も厚いと言われている程だ。
どちらかの国が亡びれば、大きな打撃を得ることになってしまう。その為に今はお互いが協力しなければならなかった。
それに『セルティオン』は元々は教皇領であり、軍事に関してはかなり弱いものだ。『リキテインブルグ』の支援が無ければ、簡単に滅ぼされてしまうだろう。
ルッジェーロはそんな『セルティオン』に支援をしてくれる、ピュリアーナ女王らの恩に報いるためにもここにやって来ていたのだ。
「万事順調なんて言葉は、無いんだぜ」
思わずルッジェーロはそのように言っていた。
彼には、他の恩に報いる意味もあった。それは個人的な理由かもしれないし、国をかけた理由であるかもしれない。
あの《シレーナ・フォート》陥落の直前に別れを告げ、そのまま行方不明になってしまった、カテリーナ・フォルトゥーナ。彼女がいなくなってからというもの、ルッジェーロも心の中に、ぽっかりと穴が開いたかのような気分にさせられてしまっていた。
それは、彼女が思い人だったためだろう。あの戦いが終わったら、婚約をする事も出来たかもしれない。それだというのに、彼女はいなくなってしまった。
カテリーナがいなくなってからというもの、『リキテインブルグ』の兵士達もその士気が下がっていると言う。そして、ルッジェーロもそれと同じだった。
「隊長。隊長、大丈夫ですか?」
そのように言って来る、ルッジェーロの部下の姿があった。彼は頭を抱えるようにして床に座り込んでいたルッジェーロに言葉を投げかけてくる。
「あ、ああ。大丈夫だ」
ルッジェーロははっと気が付いてそのように答え、とっさに剣の柄を掴むのだった。この習慣だけは彼に欠かさずに残っている。
「それよりもどうだ?対岸からの、フレアーの合図は?」
ルッジェーロたちがいる秘密の洞穴の反対側にいるのは、フレアーの部隊だった。彼女達とルッジェーロの部隊が共に動いて、挟み撃ちになる形で昆虫を襲撃する。
「まだ、です。しかし、もう少しでしょう」
「ルッジェーロ様、本当にこの作戦で、虫共を一掃する事ができると思いますか?」
部隊員の一人がそのようにルッジェーロに尋ねていた。彼は不安げな表情をしている。
ルッジェーロは顔を上げた。
「正直に言っておけば、虫共を全て一掃する事がそう簡単にできるとも思っていない。奴らの取柄は、体がでかい事もあるが、どんどん繁殖していっているという事だ。本当に、全てを一掃する事ができるのか?俺にはまだ分からない。ただ、これは我々の部隊に与えられた作戦だ。与えられた作戦は実行しなければならない。それが例え完全に成功するものではないとしてもな」
そのように答えたルッジェーロ。その言葉の通りだった。彼にはまだ自信がない。相手はほんの1年もたたない前に、突然《シレーナ・フォート》にその姿を現した、得体のしれない者達であり、その正体も分からない。ただ、体の大きな昆虫でしかない。それしか分かっていない。
「ルッジェーロ様!」
その時、望遠鏡をのぞいていた部隊員の一人が声を上げるのだった。
「どうした?」
「狼煙が上がりました。フレアー様が作戦を決行なさったようです」
その声にルッジェーロは立ち上がるのだった。
「そうか。ではこちらもやるぞ。この時刻。水流が変わって、うまい具合に流れていくはずだ。あれを流せ」
ルッジェーロの命令で出てきたものは、大きな樽が幾つもあるものだった。これを昆虫達や、《スカディ平原》を徘徊する得体のしれない生命達の影に紛れて持ってくるのは、かなり骨の折れる仕事だった。
樽の量もかなりある。しかし中に入っているものは酒ではない。
次々とその樽は蓋が開けられて、秘密の通路から海の中へと中身が流されていく。それは、《シレーナ・フォート》の都の方へと向けて流れていく。
海の中に、水と混ざる事がなく流れていくものは、油だった。それも少しの量ではない。大量の油が流されていく。
油は海の流れに乗せられていき、どんどん《シレーナ・フォート》の方へと流されていく。その量は相当のものだ。こんなに大量の油がこの時代にそうそう簡単に用意する事ができるというものではない。中には不純な物質も混ざっている。だが、とりあえず今の作戦は、これに火が付けばそれで十分なのだ。
昆虫達には気が付かれていない。だが、そうしている間にも、海にはまるで絨毯を敷くかのように油は敷かれていった。
全ての樽の油を流し切るのには小一時間ほどの時間もかかってしまった。
「狼煙がもう一つ上がりました」
そのようにルッジェーロに伝えられる言葉。その狼煙が意味をしている行動は一つだった。
「よし、火を点けろ」
ルッジェーロはそのように命じた。一本の松明が持ってこられ、それが油の流されている海の中へと投げ込まれた。
水面に炎が浮かぶ。その炎は絨毯の上を疾走するかのように広がっていく。どんどんとその規模を広げていき、そこに火の海を築き上げていった。
ルッジェーロは広がっていく火の海を見やる。
「これも、女王陛下のご命令とあらば」
そのように言った。ルッジェーロ達とは反対側の秘密の洞窟にいるフレアーからも、同じように油が流され、そして火が放たれていた。《シレーナ・フォート》は同時に二つの方向から、挟み撃ちになる姿で炎が取り巻いていくのだった。
炎は夜の闇を一気に照らしあげていく。それは《シレーナ・フォート》の都を取り囲むかのように広がっていく。
炎の明かりには都の中にいる昆虫達も気が付き始めているようだったが、炎の勢いはそれにも増してどんどんと大きくなっていこうとしていた。
《シレーナ・フォート》はその身を炎に包まれていく。数百年に渡って築き上げられてきた都が、全ての炎の中に呑みこまれていこうとしていた。
だが、これはピュリアーナ女王の判断だった。ピュリアーナ女王は、自らの王宮と都を犠牲にする事によって、昆虫達全てを掃討するつもりだったのだ。
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前章にて陥落した《シレーナ・フォート》。この都に蔓延る昆虫の怪物たちを駆逐するための作戦が始まります。 | ||
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