アヒル未満、白鳥未満
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 談話室の扉を開いたのは、6時限目終業のチャイムが鳴り終わってから30分もした後のことだったか。

 自分のために作られた『理科室』以外に馴染みのある場所になりつつある礼拝堂の一室。

 

「皆さんこんにちわー!」

「おう、今日は随分遅かったな」

 

 部室には、部内唯一の男子生徒ひとりしか居なかった。

 いつもの定位置で、本を傾けている。大きさから見て文庫本ではなかった。

 読書家の部長ほどではないが、彼も活字を眺めていることが多いほうだ。

 見た目に似合わないことを趣味としているのをみると、単に本好きというより、ひとりで時間を潰せる手段として読書を選び、それがいつしか趣味になってしまったというような切ない経緯を想像したくなる。

 

「いやぁ、蛙の交配を眺めていたら遅くなっちゃいました」

「それはそんな嬉々として報告することじゃないだろ」

 

 基本的に、隣人部の中でも理科は他の部員より早く部室に詰めていることが多い。

 学園生活のスタイルが他の学生とは全く異なり、学内で時間の制約というものがほとんどないせいだろう。

 

「今日は他の皆さんはどうしたんでしょ?」

「夜空は新しい本を買いにいくからこないそうだ。小鳩は居残り。星奈は知らんけど、待ってればくるんじゃないか?」

 

 視線を虚空に彷徨わせて、部員の予定を羅列していく小鷹の眉間に不意に皺が寄る。

 別に何か気に触ることがあったわけではなく、何かに気付いただけのようだ。しかし元々愛嬌皆無の顔が更に凶悪になって、そのまま視線を座っているソファに落ちる。左手が尻ポケットへと伸びた。

 ∀UのM61b。外装をゴールドで固めた輝きは、どこか毒々しさすら感じる。

 それを使う少年との相乗効果もあるのだろうな、と理科は綺麗なブロンドヘアーの先輩をなんとなく思い出す。

 彼女も今の目の前にある携帯と同種同色のものを持っているが、違和感は感じなかった。むしろわかりやすくゴージャスな金以外のイメージが出来ないくらい似合っている。

 舌打ちが聞こえた。小鷹の表情が苦々しくなっている。

 

「星奈の奴もこれないとさ」

「へ? どうしてですか?」

「俺が知るかよ。帰ってゆっくりエロゲでもやりたいんじゃないか?」

 

 どこか投げやりに吐き捨てて、パタンと二つ折りの携帯が閉じられた。

 

「っつーか何でみんな俺にいってくるんだよ。俺が部室にいなかったらどうするつもりだ?」

「まぁ、小鷹先輩は部内でも出席率が高いですからねー」

「俺は部長でもなければメッセンジャーじゃねーっつーの」

 

 飛ばした愚痴に、どこか呆れと諦めを混ざっている。

 煩わしくも冷淡に突き放せない面倒見の良さは、手のかかる妹との生活の中で培ったのか、それとも彼自身のパーソナリティか。

 もっといえば、意地っ張りが人の形を作ったような彼女たちが自分の事情を彼に伝達する意図には、事務的な要素以外が入っているのだろうが。

 そこを彼に諭すのは、この天才科学者志熊理科が機械に感情を植えつけるほど至難の業だ。

 

「けど入部時期的に副部長みたいなものじゃないですか」

 

 隣人部創設期からの部員は発起人の夜空を除けば小鷹のみ。

 別に入部順に役職が割り振られるわけではないが、乱暴に決め付ければ確かに副部長という役職は小鷹と考えることもできる。

 そもそも部員が思い思いに過ごすだけの部に規律や序列があるわけでもないから、無意味といえば無意味なものだが。

 

「……って、あれ?」

「ん?」

「っていうことは、今日は小鷹先輩とふたりっきりですか?」

「あぁ、今のところはな。そういや幸村も来ないな。マリアはまた用事があるんだろうけど」

 

 理科同様、小鷹の舎弟――正確には『舎妹』――である幸村も、放課後の行動は早いほうだ。

 もっとも彼女の場合は、単純に小鷹に尽くすためであるから、掃除などのやむおえない事情もあり、来る時間にばらつきがあるのも事実だが。

 30分ほど経ってもこないということは、今日は欠席と考えても良いだろう。

 半ば習慣化した昼休み昼食を渡されたときには何もいっていなかったことが、『アニキ』としては気がかりではある。しかし彼女にも何か事情があるのだろう。女の子のプライベートを邪推するほど無粋ではない。少なくとも星奈よりは真っ当な理由なのだろうし。……多分。

 一通り状況を整理した小鷹は、ふぅ、と息を吐いた。

 

「やべぇ。食われる」

 

 危機感も何もない平坦な調子だった。

 

「いきなりなんですかそれ! むしろそれは女の子である私のセリフじゃないんですか!?」

「日ごろの行いを考えろ。それが難しいなら昨日の行いを考えろ。たった21時間前にお前がやらかしたことを思い出せ」

「それについては断固謝りません! むしろ私の誇りです! けどプリンヘアーの強面ルックな先輩にそういうこと言われるとショックがでかいです!」

「しっちゃこっちゃあない!」

「食べちゃいましょうか! いっそホントに食べちゃいましょうか!」

「やめろっつーの!」

 

 にじり寄る理科の顔面に、パスンと本の表紙がぶち当たった。

 厚い紙質が鼻の頭に当たり、熱くなる。

 

「ひっ、酷い。こんな強引にファーストキスを奪うなんて!」

「レモンの味でもしたか? 本の表紙相手に」

「酷い! 鬼! 悪魔! この鬼畜! でも感じちゃうぅ! もっと罵ってくださいお願いします!」

「お前ホント無敵だよな」

 

 いよいよ匙を投げ始めたひとつ年上の先輩を見て、じゃれあいもここで潮時かと引き下がった。

 テンションに任せて上げていたボルテージを落とし、自分も半ば部室で指定位置となっているPCデスクへと向かう。

 

 

 

 彼の手の中の本に注意が向かったのは、偶然だった。

 今しがた強かに鼻を打った表紙に打ち込まれた活字に眉を上げる。

 

「珍しい本読んでますね」

「ん、あぁ。ちょっとな。ほら、昨日やったろ?」

「『白雪女王』ですか?」

 

 平時個々で好き勝手やっている隣人部面々が暇を持て余した末、『部活動とは集団で何かひとつの物事を行うことである』という常識をたまに思い出したように集団活動することがある。

 理科がクリエイティブな大人たちからモニターしてみてくれといわれた試作品で遊んでみたりすることもあるが、基本的に誰かがやりたいことを提案して、『友達が出来たときに役立つかもしれない』ともっともらしい理由を後付しながら行うのだ。

 時折外で活動することもあるが、基本出不精の集まりなので部室で出来ることに範囲はとどまる。

 特に演劇はやたらと日を置いて提案される活動だ。

「友達を作るために必要なもの。それは――演技力だ」

 とは夜空の弁だが、正直なところ夜空と星奈がお互いをやり込めるための大義名分として使われているような気がして小鷹はならない。

 童話などで演目を決められ、簡単に手を加えることが出来る手軽さも、あるのだろう。

 昨日も元々は『白雪姫』をちょこちょこ弄りながらやる予定だったのだが、継母役になってしまった夜空が『雪の女王』なんかの物語を混ぜ始めてから物語が破綻し始め、最終的には白雪姫vs雪の女王のバトルモノになってしまっていた。

 

「何で白雪姫に焼けた鉄の靴を履かされて踊らせようとしたのやら」

 

 それは継母の最期じゃないか。

 そもそも熱鉄靴なんて雪の女王が触れたら融けて共倒れだろうに。

 

「グリムは第3版ぐらいまでは大人向けの童話ですからねー。エログロぬちゃぬちゃ」

「知ってる知ってる。シンデレラの継母たちの末路とか、正直子どもに話す内容じゃないよな」

「あ、知ってますか? 茨姫が紡ぎ車の針に刺されて眠るというのは『処女喪失からなる失神』のメタファーで」

「やめい」

 

 小鷹もかつて暇にかまけてグリム童話関係は興味から調べたことがあるため、その辺りの話をしても面白そうだが、日を改めて夜空を混ぜてするよう心に誓う。

 日も高いうちからどうしてこう話を下品な方向へ持っていこうとするのかこの娘は。

 

「あぁ、それでアンデルセンですか」

「まぁね。あまりメジャーな話じゃないだろ?」

「まぁそうですね」

 

 『雪の女王』なんて、昨日いきなりその話を夜空が持ち出してきて反応できたのは小鷹ぐらいなものだった。

 もっとも名前を出して納得できた理科も、知識としては知っていたようだが。

 星奈や幸村、小鳩なんかは全然わかっていなかった。

 幸村は普段の価値観から、あまり西洋童話を知っているとは思えない。

 星奈に関しては、童話なんかの物語に興味を抱かず生きてきたのだろう。わからないものはからきしな彼女らしい。

 小鳩は早く母親を亡くしてしまったから、童話なんかに触れる機会がなかったせいかもしれない。幼少の砌に優しい声で母親が話してくれた童話は、希少な思い出である分小鷹の印象に強く残っている。

 今となっては何が出来ることでもないが、あいつが小さい頃に読み聞かせてやればよかったなと、小鷹はなんとなく後悔してしまう。

 

「ぼんやりとは覚えていたけど、厳密にどんな話だったかなと思ってね」

 

 『雪の女王』は悪魔の鏡の破片が心臓に刺さり、雪の女王に魅入らた少年カイのために、ゲルダという少女が冒険するお話だ。

 少女が冒険する話といえば『オズの魔法使い』をなんとなく思い出すが、認知度としてはそこまで高いとはいえない。

 

「こうしてみると、童話も面白いものだな」

 

 小さな頃に聞きなれ、あらすじを知っているはずなのだが、色々な物事を覚えた今気付けるユーモアや皮肉もある。

 もともと童話は物語を通して子どもたちに道徳観念なんかを植え付けるものでもあるから、なのだろうが。

 

「アンデルセンって、どんな話がありましたっけ? 有名どころでは『親指姫』とか『人魚姫』とか?」

「ん、あと『マッチ売りの少女』『裸の王様』ってとこだな」

「今読んでるのは?」

「あぁ、今読んでるのは……」

 

 

 そこで一瞬、小鷹が固まる。身体が動かなくなるついでに、瞳孔が少し小さくなったような気がした。別に部屋の明度はさっきから変わっていない。

 迷ったように唇が音にならない言葉を呟こうとして、頭を振る。

 

「『みにくいアヒルの子』だ」

 

 どこか観念したように、彼はいった。

 

「……『みにくいアヒルの子』、ですか」

 

 なんとなく、皮膚で感じる部屋の温度が変わった。

『みにくいアヒルの子』もどちらかといえば有名なタイトルだろう。

 アヒルの巣の中になぜか紛れ込んだ白鳥の卵。そこからかえった雛は灰色がかっており周囲のアヒルから醜く映った。

 そのことが原因でいじめられ、巣から飛び出すと様々な所で辛酸を舐める羽目になる。

 最後は醜い自分を殺してもらおうと白鳥の群れに近づき、そこで自身も白鳥であることに気付く。

 大雑把に掴めばたしかそんな話だったはずだ。

 醜い、というより異端な外見をしていたから、排斥される。

 中途半端に母親から受け継いでしまった金色の髪を持つために不必要に周囲から恐れられている少年のコンプレックスを直接揺さぶるような内容だ。

 

「それも結構メジャーなお話ですよね」

「……そうだな」

 

 今しがた読んでいる話を、なぜ小鷹が挙げなかったのか、尋ねるほど理科は愚かではない。

 沈黙が降りた。窓も扉も開けてない部屋で、呼吸するたびに空気が淀んでいくのがわかるほど、嫌な沈黙だった。

 

 

「アヒルの子はさ」

 

 沈黙を持て余していた理科は、一瞬小鷹の呟きを取りこぼしそうになる。

 音量から独り言ではないはずの言葉だが、その先を躊躇うように空白が生まれた。

 

「話のアヒルの子は結局のところ白鳥だったわけなんだけど」

 

 言葉を選びながら、自分の中を探るような話し方はどこかたどたどしい。

 眉間に皺がよっている。さっき携帯に気付いたときと酷似する表情に哀愁が滲んでいる。

 

「仮にアヒルと白鳥の子どもだったとしたら、どうなっていたんだろうな?」

「アヒルと白鳥の子ですか」

 

 科学的な見解でいえば、家畜化された鳥類や愛玩動物となっている鳥ならまだしも、野鳥の雑種というものはあまり考えられない。

 基本鳥類は群れて行動するため同種内で繁殖が進むし、生態系の異なる種同士で生まれても、長続きしないのだ。

 稀にあったとしても近い種同士でのことであり、雑種というよりは亜種となって処理される。

 体格も季節の過ごし方も違うアヒルと白鳥ではありえないだろう。

 もっとも、童話でのifにそんなことをいうのもあまりにナンセンスな話だ。

 科学者としての自分の癖に、理科は呆れ、苦笑する。

 彼のいいたいことはそんなことではないだろう。

 

「半端に受け継いだ親の羽の色で、やっぱりアヒルからは苛められるんだろうか。ラストの白鳥たちからも、やっぱり違うから啄ばまれて最期をむかえるんだろうか」

 

 成長すれば、アヒルも白鳥も身体を覆う羽は白くなる。

 ただ、理科はその雑種の羽の色を灰色から白のグラデーションで想像した。

 そしてそれは、目の前で金から黒のグラデーションを持つ先輩が想像しているのと一緒だろうと確信する。

 いるはずもない醜くすらなれないアヒルの子を思い描く作業は、出会ったことのない彼の幼少期を想像する作業へと変わっていく。

 どちらも共通して、愉快なものにはならなかった。

 やや沈んだ気持ちになってしまったところで、目の前の成長途中のアヒルが大きなため息をついた。

 

「わりぃ。なんだか変な話しちまったな」

 

 カラリと湿度のない声。

 おどけた様な瞳に映る誤魔化しは、話を聞いてくれた少女に向けてなのか。

 それとも――

 

「さて、誰も来ないようなら今日はもう帰ろうかな。理科はどうするんだ? 戻るなら鍵かけるけど」

「もし」

「……え?」

「もし、そんな貴重なアヒルがいるなら、理科が飼います」

 

 ぽかんと口を開けたまま、背中から首だけ振り返っている小鷹に言葉を畳み掛ける。

 

「アヒルと白鳥ですよ! 体型も違えば生態系もまるで違う。種としても縁遠い2種の子どもなんて。そもそも野鳥のハイブリットなんて珍しい通り越して稀な事例です。

 メタルなキングのスライムもびっくりのエンカウントですよ!

 そりゃ飼いますとも! 飼って一日中、一年中、いや一生観察してやりますよ!

 食事も室内温度も細心の注意を払って、理科の持てる限りのVIP待遇です。

 白鳥の『渡り』本能があるなら戦闘機だってチャーターして一緒に飛び立ってやりましょうとも!」

 

 最後には興奮のあまり立ち上がってしまった。勢いつけて机を叩いた音が、部室に弾けた。

 寂しさを誤魔化して、なかったことにして。

 そうやって逃げることに慣れてしまったアヒル。

 黒いつり目で、ヘタクソな漫談を自慢げにひけらかし、家事料理が得意な面倒見の良い金と黒の羽を持つ醜くすらないアヒル。

 逃げ出そうとするなら、捕まえてやる。そんな魅力的な存在、志熊理科が逃がすわけがない。

 ものすごい剣幕で捲くし立てられる言葉を呆けて受け止めるだけだった小鷹は、ひとつ息を吐く。

 なぜか張り詰めていた空気を、かき混ぜるような吐息だった。

 

「仮に、そんなアヒルが本当にいるんだとしたら」

 

 困ったように金の眉根を下げ、肩を竦めて見せる。

 

 

 

「お前に捕まってしまったそいつに同情するよ」

 

 

 

 素気無い言葉。だがそこにある優しい響きに理科は思わず得意げに笑んだ。

説明
別題:アヒルと白鳥のハイブリッター(元ネタあり)
後半ややシリアス。原作でもさりげなく描写されてますが、小鷹も結構読書家ですよね。
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タグ
羽瀬川小鷹 僕は友達が少ない はがない 志熊理科 

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