本日、お稲荷日和。〜ちうしゃっ〜
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入口で両手に吹き付けたアルコールの匂いに眉をひそめた橘音が、淡いベージュ色のソファーに腰を下ろす。

 

その仕草はお家(うち)でみせる“だらしなさ”が嘘のようにお上品。

いつも胸元や裾が肌蹴(はだけ)まくってる浴衣もキッチリ着こなしている。

 

日頃の彼女の姿を知っている人には、そのお上品さがものすごく怪しかったりするのだが。

 

(いちおうは世間体を気にしてるのかな?)

 

なんて、密かに納得する蓉子。

 

だってココはご近所中のご老人が集う場所、町の病院の待合室なのだから。

そりゃあ、橘音さんだって世間体は気にしますよ。

 

ホラ、今だって2・3人のお年寄りがさっそく橘音さんを巻き込んで、世間話をはじめました。

 

受付を済ませた蓉子が橘音の隣にちょこんと座って待合室を見渡す。

 

ちらほらとマスクをした子供の混じる待合室の混雑した様子では、蓉子の順番が回ってくるまでに、まだまだ時間がかかりそう。

 

たまに話題を振ってくる橘音を適当にあしらっていると、体温計となにやら書かれた紙、それからボールペンを人懐っこい笑顔のおばちゃん看護師が持ってきた。

 

「え〜っと、なになに?」

 

体温計を腋に挟んで、受け取ったボールペンでアンケートらしき紙に手早くチェックマークを記入していく蓉子。

 

その隣で、紙に印刷された文章を盗み見た橘音が、眼を見開いて硬直している。

頭の狐耳と尻尾がピンと立ち、気のせいか瞳孔も開いているようだ。

 

「蓉子ちゃん、これ…なに?」

 

「何って、インフルエンザ予防摂取の問診表だけど?」

 

蓉子が何気なく答えた。

 

「もしかして…注射?」

 

強張った貌の橘音。

頷く蓉子。

 

そして、時が止まったかの様に見詰め合うふたり、おばーちゃんと孫。

 

「帰る」

 

突如、すっくと立ち上がり入口へ競歩選手もビックリのスピードで歩いてゆく橘音。

 

慌てた蓉子が橘音の襟を掴んで引き止めた。

 

「いやいや、ついて来るって言ったのおばーちゃんでしょ!?」

 

「病院行くなんて知らなかったもん、注射なんて聞いてないもん!」

 

両腕をブンブン振って足をジタバタさせる橘音の姿に、待合室の皆さんの怪訝な視線が突き刺さる。

 

「ちょっと、恥ずかしいから大人しくしてったら!」

 

「いやー!注射嫌い〜!!」

 

恥も外聞もなく叫び出す橘音にドン引きする待合室の皆さん。

 

「おばーちゃんが帰ったらスーパーの激安たまごが2パック買えないでしょ!?」

 

「知〜ら〜な〜い〜!!」

 

「すぐに終わるからポッカリスエットでも飲みながら待っててよ」

 

と、ピタリと停止する橘音。

 

「りぴーと わんす もあ」

 

何故か英語で聞き返す。

 

「だから、私の予防接種が終わるまで待っててって言ったの!」

 

そのひと言で自分が勘違いしていた事に橘音が気づいた。

つまりは注射をされるのは蓉子、橘音さんはただの付き添い。

 

「まったく、そそっかしいんだから」と頬を膨らませる蓉子、「はぁ〜」と大きく息を吐いて脱力する橘音。

 

そして、そんなふたりのやり取りを眺めて和む待合室の皆さんと看護師達。

 

――その日の待合室は終日穏やかな雰囲気に包まれていたそうな。

 

 

日も傾きかけた帰り道、スーパーの買い物袋をぶら下げて橘音と蓉子がてくてく歩く。

 

目的の激安たまごは、ちゃ〜んと2パック買えました。

 

「ところで、おばーちゃん」

 

蓉子が思い出し笑いでニマニマしながら訊いた。

 

「なんであんな勘違いしたの?」

 

頬を真っ赤にしてふて腐れた様に橘音が答えた。

 

 

 

「だって、蓉子ちゃんがあんまりだらしないとおっきな注射をしてもらうって言うんだもの」

説明
ええ、よくある病院ネタです。

前回のおはなしはコチラ http://www.tinami.com/view/403675
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