心の羽音(後編)
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 これは、「学校の怪談」に分類される話だと思う。

 けれど、誤解しないでくれ。舞台になっているS音大Eキャンパスが不吉だの、呪われているの、験が悪いの、と言っているわけじゃないんだ。

 俺が気付いたこと、心の奥深くに残ったことを伝えたい、ただそれだけのことなんだ。

 俺の姉貴が、S音大Eキャンパスの声楽科三年生でさ、リアルタイムで聞かされていた話だから、かなり内容は正確で具体的なものだ。裏付けも簡単にとれると思う。

 辺りの住宅街に溶け込むように拡がるEキャンパスには、平成三年から大国 誉(おおくに ほまれ)っていう学長が就任していてさ、この人には子供が二人いたんだそうだ。

 でも、二人とも音楽家は芸能人と同じで人間関係が強烈に過ぎる、という理由から、長男は公務員、次男は民間会社に入ったらしい。

 平成四年の七月には、次男夫婦にミカという女の子が生まれたんだ。

 大国学長は、美しく奏でる、という漢字を当てて命名したんだが、楽器の演奏を連想させる名は困る、と長男夫婦まで巻き込んで次男夫婦に猛反対されたそうだ。でも大国学長は美奏は絶対に音楽とは関係のない道へやる、と誓約したらしい。自分の人生を息子夫婦に否定され、寂しかったと思う。

 えっ? 他人の家の事情にずいぶん詳しいじゃないかって?

 俺の姉貴が、この美奏の親友で、よく話してくれていたそうだ。

 で、美奏が四つになった平成八年に大国学長が、南青山のコンサートホールでドイツの楽団に請われ、ヴァイオリンのソロ演奏をやることになったんだ。

 大国学長は、次男夫婦とたまたま次男夫婦の家がある横浜の本牧に遊びに行っていた妻を招待したんだ。美奏は長男夫婦に預けられたらしい。

 この日は、昼過ぎから首都圏は大雨で、次男が運転する乗用車が首都高で事故に遭い、乗っていた三人は即死だったんだ。  

 この交通事故を都市新聞の縮刷版CDーROMで調べてみると、確かに大国学長の妻と次男夫婦は首都高湾岸線を本牧ふ頭インターチェンジから入って、東品川で首都高一号羽田線に乗り換えて、浜川崎ジャンクションで首都高環状線に入り、谷町ジャンクションを経て、三号渋谷線で渋谷インターチェンジを出る予定だったらしい。事故現場になった東品川を通ったことが裏付けられる。

 一瞬にして両親と祖母を亡くした美奏は、長男夫婦の養女になるところなんだけれど、本人の希望で祖父と暮らすことになったらしい。

 大国学長は、仕事と家庭の両立に大変な苦心をしたようだけれど、美奏は横道にそれることなく心身共に健康に成長したようだ。

 美奏は都立の高校へ進み、三年生の進路相談のとき、S音大でヴァイオリニストを目指すことを自分の意志で決めたらしい。

 祖父と古楽器の演奏を、父母を殺した憎い敵、とは全く捉えなかったんだな。見事にS音大に現役で合格し、晴れてEキャンパスに通うことになった美奏だったけれど、大国学長は公私の別をつけるよう、躾けたようだ。

 しかし、内心では自宅では「おじいちゃん」、大学では「学長」と呼ばせるよそよそしさにずいぶんと苦しんでいたらしい。

 学長って言うと、一般には豪華な執務室で印鑑だけ稟議書に捺していればいいようなイメージがあるけれど、大国学長は自らレッスン室で教鞭を執る熱心さで後進を育てていたらしい。その中に美奏もいて、生徒達の前では「大国君」と呼ばなければならない。ちょっとかわいそうだよな。

 これに加えて、大国学長は腕が鈍っては、よい指導など出来るはずがない、と寸刻を惜しんで自身のレッスンにも励んでいた。

 さて、ここからが本題なんだ。

 実は、この大国学長は平成二十三年三月に学長室で突然に亡くなっているんだ。おそらく心臓疾患のようなものだったんだろう。

 専ら、大国学長が用いていたレッスン室は、Eキャンパスの最も奥まったところにある楽器資料棟の一室だったそうだ。この校舎って、昭和三十五年の竣工で、鉄筋鉄骨コンクリート造三階建で、世界各国から集められた楽器が、地域ごとに分類して展示され、一般にも公開されている希少な博物館なんだ。

 それでいて、展示室の向かいや隣は日常、使用するレッスン室だったりと、風変わりな使われ方をされているんだ。昭和半ばの建築で、頑丈で防音に優れていたから大国学長は重用していたんだろう。

 本来なら、誰もいないはずの展示室やレッスン室から大国学長のヴァイオリン演奏が聞こえるようになったのは、初七日も済まない頃からだったそうだ。

 この校舎の一階には、事務所もあって、事務職員が二人、業務に就いているんだけど、大国学長の姿は生前そのままに高級注文紳士服を着こなしていたらしい。

 特に、怖い、恐ろしい、という雰囲気はなく、ただ死んだことを知らずにいるだけ、という佇まいだったそうだ。

 でも、中には嫌がる人もいるんだ。

 だって、昼日中に故人が人気の全くない展示室やレッスン室でヴァイオリン演奏しているんだ。確かに、魂が込められたような古い楽器に囲まれて、亡くなっているはずの人が楽器演奏している光景は不気味だよな。

 そこで、誰ともなしに考え出されたのが、大国学長と同等の技量をもった学生が、学長と共に協奏曲を演奏して、故人が心残りになっているものを聞き出してみてはどうだろう、というアイデアだったんだ。

 白羽の矢が立ったのは、孫娘で二年生に進級したばかりの美奏だったんだ。

 美奏は、祖父の魂を安らかに出来るなら、と一年間、猛練習を重ね、J・S・バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043」を弾けるようになり、さあ、後は楽器資料棟で祖父が自身のレッスンを始めるのを待つばかり、となったそうだ。

 ところがさ、ここでまた大きな不幸が起きたんだ。

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 平成二十四年三月三十日、明後日に新年度を控えた日の朝、美奏は自分のレッスンと大国学長の霊が現れたときのために登校しようとしたんだけれど、池袋駅で途中下車して、姉貴や友人達に食べさせようと、有名店のシュークリームを買おうとしたそのとき、通り魔に遭って殺されてしまったんだ。

 時刻は多少、早かったけれど、平成十一年九月八日の正午前に起きた池袋通り魔殺人事件をなぞったように、場所は勿論、死亡者二名、重軽傷者六名と被害者の人数まで同じだったんだ。

 通り魔に襲われ、亡くなっているはずの美奏が、楽器資料棟に現れ、大国学長の霊とヴァイオリン協奏曲を演奏したんだ。

 そして、当初の計画通り、大国学長が家族への思い、特に孫娘の美奏に対する自責の念と深い愛情を書き残した日記を、美奏本人に手渡し、もって次男夫婦と妻の仏前に供える、という目的を果たしたんだ。

 美奏が登校してきたとき、楽器資料棟の二名の事務職員も、休校日ながら自主的にレッスンに励んでいた学生の誰もが、池袋駅近くでの事件は知らず、むしろ後刻、所轄の警察が美奏について聴取に来たとき、キャンパス全体が騒然としたほどだったそうだ。

 この出来事を経て、Hキャンパスは新学期を迎えたわけだけど、学生の誰もが大国一家の不幸を嘆いていないんだ。むしろ誰もが喝(かつ)を入れられたかのようにいきいきとレッスンに励んでいるそうだよ。姉貴も勿論、その一人だ。

 で、俺は、大国学長や美奏の御霊から、学生達は無意識のうちに大きなことに気付いたんだと思うんだ。

 人間の肉体は死んだら朽ちて行くけれど、心というものは何百年も伝わり、後世を生きる人間に重大な指針を与え続けている途方もない力を秘めた存在なんじゃないだろうか。

 指針というと堅苦しいな、希望と置き換えてもいい。

 考えてみれば、ドイツの三大Bと呼ばれるバッハ、ベートーヴェン、ブラームスが現代のCDショップにやって来て、「俺のCD、よろしく」って、セールス活動しているわけでも何でもないけど、クラシックファンは口づてやインターネット、店頭で調べては買って行くし、後進を志す若者も続々と現れているわけだろう。

 正に心は世代を超え、時代を超え、家系を超えて、連綿と受け継がれて行くんだ。俺は姉貴の話を聞いて肌で感じたよ。人の心の動き、それは、力強く羽ばたく翼の羽音なんだ。(完)

説明
物語は一転して、劇中の音楽大学に通う姉をもつ少年の独白となります。主人公の少年が大国一家から得たものは……
劇中の音楽大学を池袋近くに設定したとき、平成11年に起きた通り魔殺人事件が連想され、音大の楽器資料棟と結びつけてみました。
あくまでもこの作品は創作としてお楽しみ下さい。テーマに共感をいただければ嬉しいです。ご感想、お待ちしています!
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コメント
どこのどなたか、早速に支援をいただき、本当にありがとうございます。(小市民)
タグ
音楽大学 楽器資料棟 池袋通り魔殺人事件 学校の怪談 

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