真・恋姫無双〜君を忘れない〜 八十九話
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 曹洪のずば抜けた騎馬の扱いに肝を冷やしていた斗詩であったが、それでも驚いてばかりはいられない。既に戦闘は始まっており、少なくとも敵の突撃は当初の予定通りとは言えなかったが、ある程度は殺すことが出来たのだ。

 

 曹洪の檄に応えた兵士たちが、頭上から槍や剣を斗詩に向けて振り下ろしてくる。それを、地面を回転しながら巧みに捌くと、素早く立ち上がって反撃を開始する。

 

 斗詩の持つ金光鉄槌はその巨大さ故に乱戦などではその力を如何なく発揮することが出来る。普段は勝気な猪々子に隠れているが、斗詩の膂力は猪々子と同等、或いはそれ以上であり、その一振りで敵兵を馬ごと屠る。

 

 斗詩は素早くその動作を行うために力を漲らせた。一兵卒如きでは決して受け止められぬ金光鉄槌の横振りの一閃。毎日のように鍛錬で繰り返したその動きは、もはや呼吸するように自然と行える。

 

 雄叫びと共にそれを繰り出そうとした刹那。

 

 ――え?

 

 敵兵を薙ぎ払う渾身の一撃が放たれることはなかった。

 

 空振ったわけでも、し損なったわけでもない。それは意図的に防がれたのだ。

 

「お前に暴れられるわけにゃいかねーんだよ」

 

 背後から声が聞こえた。喉元に刃を突き付けられたかのような寒気が全身を駆け抜け、本能的に前方へと跳躍した。武人として易々と背後を許してしまうなど、あってはならない失態であった。しかし、気配など微塵と感じることが出来なかったのだ。

 

 ――いつの間に……っ!

 

 すぐに反転して、その者と向き合う。

 

 そこにいたのは先ほどまで自軍の兵士に囲まれていたはずの曹洪であった。

 

 馬上にて悠然と剣を構えているその姿は、こちらとは違い、身体に緊張感を見せておらず、剣を構えているというよりも、適当な位置に置いているような印象であった。

 

 どうして先ほどの一撃を防ぐことが出来たのか。斗詩はそれをすぐに察した。

 

 攻撃を放つ際、どうしても一瞬だけ力みが生じてしまう。その力みというものは、反対側に向かう力に対して無防備になってしまい、おそらく曹洪はそこに自分の剣を挟みいれたのだ。そして、結果的に身体がその異変を察知して、自然と攻撃を止めてしまった。

 

 ――私に気付かせずに近づいたのも驚きですが。

 

 それよりも驚異的だったのは、その瞬間を意識的に狙ったということであった。

 

 狙おうと思って狙えるようなことではない。少しでも遅ければ、少しでも力のベクトルを誤れば、斗詩の一閃を防げることは叶わず、逆にそれに自分が巻き込まれてしまうのだ。斗詩の一振りを力で抑えることが出来る人間なんて、益州陣営でも稀である。

 

 斗詩の額に冷たい汗が伝う。

 

 ――怖い……っ!

 

 それは本能の言葉である。

 

 武人として恐怖の対象を素直に識別できるのも、一つの能力であり、彼我の力量を見誤る程、斗詩の器は小さくはない。相手は将として自分よりも何枚も上手であることなど、とっくに分かっていたことだが、対峙してみてその強さを改めて痛感させられた。

 

 彼を見た最初の感想はあまり大きな男ではないということだった。他の兵士たちと比べてみても、どちらかといえば華奢な印象すら与えるが、その身体から放たれる闘気は、見たことすらないが、巨大な龍の様にも感じられた。

 

 必殺の剣――そう呼ばれた彼は常に攻め続ける。それ故に巨体であることなど、彼にとっては枷にしかならない。素早く敵に斬りこむために、身体につける筋肉の量は最低限にしてあるのだが、それでも少なすぎるということはない。適量と言えば良いのかもしれないが、それでも彼は膂力以外のスキルで他を圧倒するタイプの武人である。

 

 今、目の前で斗詩が行ったように、あるいは同陣営の春蘭の様に、地面ごと周囲を粉砕したり、一振りの斬撃で人を軽々と数十人単位で吹き飛ばすような、非常識なことは出来はしない。寧ろ、既に初老に入ろうとしているその身には、長時間の戦闘行為ですら難しくなっているのだ。

 

 ――そこら辺は、あの爺の方は相変わらずだよな。

 

 相方である曹仁の方は、年を重ねても見た目も体力も昔と変わっているわけではないのだが、そこについては羨ましくも思っている。それでも容姿に関しては、自分の方が若く見られる自信はあるのだが。

 

「さぁ、ひよっこ。俺には時間がないんだ。さっさとお前らの指揮官を殺して、戦争なんか終わらせたいんだよ。俺には財を貯めて老後を華やかに暮らすという望みがある。武器を捨てて俺に殺されるか、武器を持ったまま俺に殺されるか、すぐに選べ」

 

 ――結局、私には殺されるしか選択肢はないんですねっ!

 

 などと冷静に突っ込みを入れるが、その言葉を放ちながら剣先をこちらに向けるという、一見無防備にも見えるその動きに、一切の隙がないことに斗詩は動けずにいた。

 

「はい、時間終了。武器を持ってるってことはそのまま俺に殺されるんだな」

 

 相手に選ぶ時間すら与えることなく、曹洪は行動を開始した。

 

 表情に何も映さぬまま剣を無造作に振り上げたのだ。

 

 それに対して、斗詩はすぐに全身を戦闘状態にまで張りつめさせ、敵の動きを注視する。今の距離では敵の斬撃はこちらに届くことはない。従って、敵には何か狙いがあるに違いない。

 

 ――馬を跳躍させての斬撃? それとも囮ですか?

 

 狙いは正確には分からないが、敵がこちらに対して何かの攻撃を仕掛けることには間違いないだろうと判断し、金光鉄槌を自分の手前に斜めに構える。攻めにも守りにもすぐに切り替えられる構えである。

 

 そして、次の瞬間。

 

 ――なっ!

 

 曹洪は斗詩に向かって剣を投擲したのだ。

 

 そして、即座に馬首を巡らせて背を向けて、馬を疾駆させた。

 

 投擲の勢いはかなりのものであったが、そのような直線的な軌道の攻撃など斗詩に見切れぬはずがない。

 

 ――敵前逃亡ですかっ!

 

 剣をすぐに撃ち落としたのだが、完全に身構えてしまっていたため、曹洪の逃げるという選択肢に対して速やかな反応が出来なかった。身体の重心は敵の攻撃に備えて、完全に後ろに乗せていたし、敵が剣を放つ瞬間に身体が硬直してしまった。

 

 それよりも、こちらに対して殺すと明言していた以上、まさか逃走という選択肢をとるとは思わなかったのだ。

 

「悪いな。俺の目標は袁本初ただ一人なんだよ。お前なんかと遊んでる暇なんかないっつーの。まぬけなひよっこ、悔しかったら俺の首を落としてみせな」

 

 こちらを嘲笑するように掌をひらひらと振ってそう言い捨てる曹洪。その行為は武人として褒められるべきものではないが、彼の狙いは麗羽のみであり、また、彼にとって戦争とは勝った者が全てである。この行為を非難されようと気にするはずもない。

 

 ――くっ! やられたっ! この人の狙いは私を部隊の指揮から遠のかせる時間を稼いで、その間に麗羽様を討つつもりですねっ!

 

 直情的な攻撃を仕掛ける曹洪のことを、攻撃一辺倒の人物である判断していた斗詩であったが、どうやらこれまでの言動や行動も単なるまやかしに過ぎないようだった。

 

 ――攻めるのは物理的にだけでなく、心理的でもそうですか。

 

 将との駆け引きにおいても、曹洪は攻めることを選ぶ。

 

 ひたすらに攻め続けて、こちらが防御に走った瞬間を狙い、自分の手の内のカードを切っていくのだ。今彼が持つそれは、麗羽を殺すというものだけ。最初からそれを切り出すために斗詩を挑発したのだろう。

 

 すぐに斗詩は曹洪を追いかけようとするが、相手は騎馬でこちらは徒歩。追いつけるはずはなく、前曲の戦いはさらに苛烈なものへと移行していた。曹洪にいいようにあしらわれたことを悔いるも、既にときは遅かったのだ。

 

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 一方、斗詩の相方である猪々子は曹操軍の部隊が斗詩たちに迎撃されるのを見るや否や、自分たちの部隊も展開させた。彼女が率いるのは騎馬隊の別働隊であり、麗羽に所属する部隊ではもっとも素早い行動が可能だ。

 

 轟音が鳴り響き、曹操軍の具足を身に着けた兵士たちの一団が宙を舞う。

 

 ――斗詩の奴、平気かなぁ……。

 

 周囲を吹き飛ばす斗詩の一撃を目撃したが、それでも敵の攻撃は止んでいなかった。しかも、初撃が決まったのに次のものが来ていないということから、斗詩の状況をすぐに察した。

 

 ――曹洪かそれに次ぐ将と対峙してんだろうな。

 

 もしそうだった場合、少々厄介な状況になってしまうだろう。只でさえ、こちらは守りに徹しているのだから、将である斗詩が前曲を鼓舞しなくてはいけないのに、それを遮られてしまったら、兵に不安が広がる可能性がある。

 

 ――だからアタイの出番か。

 

 馬腹をぎゅっと腿で締め付けて、前進する準備をする。

 

 こちらの前曲に突っ込んだ部隊の中には、おそらく曹仁の姿はないだろう。敵にも自分たち遊軍の姿は確認出来ているはずだから、それを牽制する必要がある。そこには鉄壁の守りを誇る曹仁が待っているはずだ。

 

 ――あのときの借りを返さなくちゃいけねーよな。

 

 先の挨拶では簡単に絡め取られてしまい、ほとんど何もさせてもらえなかった。敵を侮っていたわけではなく、純粋にあちらの方が将としての統率力が上であっただけなのだが、それを承知の上で猪々子は再戦を挑む。

 

「それじゃ、アタイたちも行くぜ。遅れんなよ」

 

 応、と声を上げる副官たちとは気心が知れた仲だ。自分がどんな感情を抱いているのかもよく知っているに違いない。それをあまり外に出そうとはしないが、逆にそこで感知されてしまったに違いない。

 

 ――次は負けねぇ……っ!

 

 猪々子は悔しかった。

 

 麗羽にあんな顔をさせてしまった自分の無力さに腹が立った。

 

 麗羽を救い出したあのときだってそうだった。結局のところ、華琳の助力なしでは麗羽を救うことなんて出来なかった。逆に麗羽が自分たちを気遣って、自分から再び捕らわれの身になることを選んだのだった。

 

 次こそは自分が力になる。

 

 これまで何度そう誓ったことだろうか。

 

 そして、その次がいつになったら来るのだろうか。

 

 このままではずっと麗羽の助けとならず、自分は麗羽の足手纏いになってしまうのではないか。将としての器も益州内では下から数えた方が早く、個人技では相変わらず粗雑であると桔梗からも言われている。

 

 ――次が来るのはもう待たねぇ。アタイが次を作るんだっ!

 

 静かな闘志を浮かべたまま猪々子は進軍を命じた。

 

 目標は敵の後続部隊である。鋒矢陣の側面から攻撃するのは以前と同様であるが、狙う位置はややそれよりも前方である。

 

 矢印のような形をした陣形の中で、もっと壁が薄い部分を最初は狙った。結果的に、それは曹仁に先読みされて、巧みに陣形の厚い個所へと引きずり込まれてしまい、動きを封じられてしまったのだ。

 

 ――だったら、最初から狙うのは一つだけだぜっ!

 

 猪々子は部隊全軍をもっとも兵の厚い箇所に殺到させた。

 

 技術では曹仁に遠く劣っている。ならば力押しで勝負するしかない。力でも曹仁に劣っていたとしても、その差は技術に比べれば小さいものだ。それは気合と根性で何とかしてみせる、と思っていた。

 

「うがぁぁぁぁぁっ!!」

 

 陣形の側面に突撃する。

 

 予想以上の固さだったが、そんなことは予想している。とにかく敵を乱して攻撃の手を緩めることが最優先である。縦に並べた騎馬隊を我武者羅に前進させて、一人でも多くの敵を斬る。

 

 と、そこで違和感に気付く。

 

 ――抵抗が少なくなっていくっ!

 

 すると、すぐにその正体が明らかになった。

 

 猪々子が突貫したと同時に、前曲より下がっていた矢印の傘の部分が一気に展開したのだ。益州軍の前曲を包囲するように、それは大きく左右へと広がっていく。

 

 ――鶴翼に切り替えたのかっ!

 

 こちらの攻めのタイミングを的確に読み取って、それを行ったというのだろうか。鶴翼は部隊が伸びてしまうから、こちらがそれを先読みしたら、その部分に風穴を開けることくらいは容易いことだ。

 

 しかし、タイミングさえ合ってしまえば、こちらは空転することになり、さらには斗詩のいる前曲に更なる圧を加えることが出来る。厚さの増した突撃に晒されてしまえば、一気に食い破られてしまうかもしれない。

 

 舌打ちをする猪々子だったが、このまま敵に包囲網を布かれるわけにはいかずと、方向転換を開始し、棒状に伸びた敵陣に突っ込んで、そのままの勢いを保ったまま後ろから敵に喰らいつく。

 

 ――曹の牙門旗っ!

 

 目の前にあるのは曹仁の居場所を示す旗。ご丁寧なまでに、そこには盾の紋章も描かれていた。

 

 こちらに運が向いているのか、それともそれすらも敵に読まれているのか、逡巡した猪々子は思考を放棄し一気に距離を詰める。背後からの攻撃ならば受け止めようがない。そうするには一度部隊を停止させなくてはいけないのだから。

 

 しかし。

 

「甘いのぅ、小娘。この曹子孝、そのような攻めを止められずして、鉄壁の盾は名乗れんわい。全軍、部隊を開いて敵を補足しろっ! 小娘は儂に任せいっ!」

 

 猪々子はその声を聞いても止まることはなかった。

 

 ――一矢報いるっ!

 

 既に曹仁は視界に捉えている。

 

 まるで筋肉の鎧を身に着けたような巨漢に、さらに重装備している。かなりの重さがあるのだろうか、乗っている馬も他の兵卒には比べものにならない程に逞しく、駆けているだけで地響きがしそうだった。

 

 その後ろ姿に渾身の力を込めた横薙ぎを放つ。

 

「軽いのぅ」

 

 それを曹仁は正面を向いたまま片手で受け止める。常人であれば受け止めることすら叶わぬその一撃を、軌道を見ぬままにして弾き返したのだ。

 

 ――この化け物がっ!

 

 心の中で悪態を吐くが、その心中が穏やかなはずがなかった。

 

 技術でも大きく離れていたが、純粋な力でもそれは同じだったからだ。では自分はこの化け物を相手に何を武器にして戦えば良いというのだろうか。

 

 ――しかも、こいつ、守りながら攻めてやがる……っ!

 

 戦という流れの中なので、完全なカウンタータイプというわけではないのだが、こちらの攻撃を巧みに凌ぎながら、それを全て自軍の攻め手に取り組もうとしている。先の鶴翼への陣形の変化も、その流れの中で生じたことなのだろう。

 

 猪々子の抵抗も虚しく、後続の部隊はそのまま益州の前曲へと突っ込んでいった。

 

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 斗詩の迎撃と猪々子の牽制の状況が芳しくない状態を悟った麗羽も行動を開始した。

 

 先行部隊がこちらに向かっていることを承知の上で、部隊に前進を命じ、自らが陣頭に立って指揮にあたった。既に乱戦状態になっているのなら、そこに更なる混乱を投じ、流れを引き寄せるまでであると思ったのだ。

 

 ――わたくしが狙いならば、受けて立ちますわ。

 

 勿論、その言葉は自分が曹洪や曹仁を相手に一騎打ちを仕掛けるなどという意味ではない。敵の狙いが明らかならば、それを守る手立てもまた単純なものでよいのだ。自分を餌にして誘き寄せてしまうということである。

 

 それに踏み切ることに恐怖がないわけではない。しかし、それ以上に麗羽勝ちたかったのだ。

 

 ――見えましたわっ!

 

 自分の真正面、騎馬に乗った武将を見て即座に彼が曹洪であると判断した。こちらを一点に見定め、今にも舌舐めずりをしそうな獰猛な表情であるが、戦況はしっかり把握しているようだ。

 

 両側から斗詩の部隊が攻め寄せているのに、それでもそちらを顧みることはない。無視しているのではなく、目視せずとも充分だと言わんばかりに、手で軽く指示するだけで周囲の兵士たちがその迎撃をする。

 

 そして、その後方部には大きく展開した部隊も見える。

 

 ――そちらが曹仁ですわねっ!

 

 彼自身の姿は見えぬものの、それでも存在感だけは麗羽にも感じ取れた。

 

 錐のように部隊を細く鋭くする曹洪に対し、曹仁は鶴翼でこちらを威圧している。猪々子がそこに喰いついているようだが、それを物ともせずにこちらに進撃してくる。

 

 必殺の剣と鉄壁の盾、彼らはその名の通りに攻めと守りのプロフェッショナルのように思われるが、実際は少し違うことを麗羽は悟った。

 

 曹洪の攻め寄せ方は確かに強烈であるが、それ以上に驚異的なのはこちらに攻めるという選択肢が与えられないことである。常にこちらが防御に徹しないといけないように兵を動かし、確実に息の音を止めようとする。

 

 曹仁の守りの布陣は正に鉄壁であるが、それ以上に恐ろしいのはこちらがいくら攻めたところでそれは空を切り、しかし、気を抜いた瞬間に相手方に引き摺りこまれてしまうため、攻めざるを得ないというところにある。

 

 ――攻めながら守り、そして、守りながら攻める。このような指揮をなさる方など見たことがありませんわ。攻守が常に表裏一体であり、二人を同時に相手するのは困難ですわね。

 

 だが退くわけにはいかない。

 

 前曲はかなり敵に食い込まれている以上、ここで後退すれば一気に破られる。自分が生き残ったとしても、兵士たちの傷は大きくなる一方でそこから逆転するのは無理であろう。

 

 だからこそ、麗羽は迎撃を命じる。

 

 方円陣を布き、こちらが出来る最大の防御網をいとも容易く蹂躙してきているのだ。守りに徹するだけでは彼らを止めることは出来ない。それならばこちらも攻撃に転じ、その中から機を見出すしかない。

 

「いいねぇっ! そうじゃなきゃ、殺し甲斐がねぇってもんだっ!」

 

 その動きを見て曹洪が叫んだ。

 

 戦いに身を投じてからどれくらいのときが流れたのだろうか。既にその身は軍から退けており、華琳が今回声をかけなかったら、そのまま戦場とは無縁の生活をしていただろう。

 

 しかし、改めて戦場の空気を吸い、戦いに身を躍らせると分かる。

 

 ――俺は戦が好きなんだなっ!

 

 味方の兵士を守り、敵の兵士を殺し、勝てば褒賞が手に入る。それが曹洪にとっての生き甲斐であるのだが、それ以上に戦場で命のやり取りをすることに喜びを見出していた。

 

 麗羽を殺して戦争を早く終わらせたいという想いと同時に、もっと戦場で快感を得たいという想いもある。その戦狂いのような感情を嫌悪しつつも、それでも止められないということが、自分が根っからの武人であるという証明になっていた。

 

「さぁ足掻いてみせろっ! 貴様は俺をどれだけ喜ばせることが出来るのかっ! 命を賭けろっ! 誇りを燃やせっ! それを俺に教えてくれっ!」

 

 馬上より麗羽に向けてまずは挨拶。

 

 斗詩に行ったように剣を思い切り投じる。

 

 投擲用の剣を何本か馬に乗せてある。それにどう反応するかで大体の腕は分かるものだ。先ほどの将は無難にそれを弾いていた。武人としての力量はある程度はあるが、それでも自分を楽しませてくれないだろう。

 

「…………っ!?」

 

 麗羽はそれを寸でのところで身体をずらして避けた。

 

 ――はっ! やっぱり武の心得なんてほとんどねえっ! 

 

 そう思う曹洪であったが、それでも麗羽に対する評価は下げない。将として、武人として、麗羽の器は恐れるべきものではない。しかし、それでも曹仁と同様に麗羽に何かを感じていたのは事実である。それを自分の勘違いなどと決めつけることはしない。

 

 一気に勝負を決める。

 

 麗羽が視線をこちらに戻すときには、既に自分は攻撃圏内に入っている。振りかざす剣を下に移動させればそれで終わりだ。これで益州軍の抵抗する意志を砕くことが出来る。そうすれば残った孫呉の軍勢など恐れるに足りないのだ。

 

 と、思った刹那。

 

「やらせませんっ!」

 

「ちっ! もう追いついてきやがったかっ!」

 

 左方向より斗詩が金光鉄槌を振り回してきた。

 

 大振りのその一撃は避けることは容易いが、ここで馬を跳躍させればそこを矢で射かけられかねない。瞬時の判断に、曹洪は受け止めることを決断する。麗羽に向けて振り下ろそうとした剣を、無理やりに左側に構え、剣の腹でそれを止める。

 

 ぐぅ、と歯を思い切り噛み締める。

 

 ――力だけは半端ないなっ!

 

 膂力では決して勝てないことは承知していた。威力を殺すために敢えて馬から跳躍し、宙を漂いながら敵から放たれる弓矢を撃ち落としていく。着地と同時に前方へ駈け出して、再び麗羽に襲い掛かる。

 

「麗羽様っ!」

 

 その声に麗羽ははっとする。

 

 ――今、何ですの?

 

 斗詩と曹洪の攻防を見ていた麗羽の脳裏に何かが過る。

 

「戦いの中で考え事とは良い身分だなっ!」

 

 正にその通りだった。頭を掠めた違和感は一旦捨て置いて、今は曹洪の攻撃を凌ぐことが優先だ。すぐに思考を断ち切った麗羽は、目の間に迫る曹洪に対して自分から前へと躍り出た。

 

 狙いは一つ。曹洪の胸元だ。

 

 上段から剣を振り下ろす曹洪のそこは、ギリギリで攻撃の射程圏外であり、身体を退くより素早く潜り込むことが出来る。

 

「だが、甘ぇよっ!」

 

 その動きは曹洪の反応よりも素早かったため、剣での一撃は免れることは出来たが、彼の膝が麗羽の鳩尾に叩き込まれる。目の前が真っ白になるが、意識だけは何とか留めた。

 

「麗羽様から離れてっ!」

 

 そこに斗詩の攻撃が振り下ろされ、曹洪は麗羽から距離を置くように後ろに跳んだ。

 

 曹洪の膝が身体に応えているようで強く咳き込みながらも、麗羽は再び思考を巡らせる。斗詩と曹洪の一瞬の戦闘を見ただけで、頭の中に何かが浮かび上がった。だが、その閃きの正体は掴めぬままだ。

 

「麗羽様っ! 今、文ちゃんが敵の後続から離れてこちらへ援護に来ますっ! 私たちも一度部隊を立て直しましょうっ! このままでは麗羽様が――」

 

「で、ですが、ここで退いたら敵の追撃が来ますでしょう」

 

「大丈夫ですっ! 私が麗羽様と文ちゃんを守りますっ! 文ちゃんが麗羽様と私を守ってくれますっ! ですから、早く後ろに下がってくださいっ!」

 

 尚も何かを言いたそうにする麗羽だったが、斗詩が強引に副官のその身を託してしまったので、結局そのまま後退することになってしまった。

 

 ――斗詩がわたくしと猪々子を守り、猪々子がわたくしと斗詩を守る。そして、本当はわたくしが斗詩と猪々子を守らなくてはいけないのですわ。それなのに……。

 

 どうして己はそこまで無力なのか。兵士に身体を支えてもらいながら、行く場のない憤りが全身を駆け巡る。自分は何も守れないのだろうか。前線の兵士たちを危険に晒し、さらには腹心までも守ることが出来ない。

 

 ――曹仁、曹洪の両将軍は見事でしたわ。

 

 二人とも自分を狙うという目標を忠実にこなそうとしながらも、敵兵から自軍の兵士を守っている。その圧倒的なまでの実力差にもう自分には為す術がないのかと、ついには思い始めそうであった。

 

 だが、その麗羽が一つの事実に気付いたのだ。

 

 斗詩と曹洪の戦闘を見て頭に過った一つ思考。

 

 曹洪、曹仁にはなくて、自分たちにあるもの。

 

 あらゆる点において負けていても、その一点だけは絶対に勝っているもの。

 

 ――これならば……っ!

 

 麗羽はよろめきながらも、兵士の手から離れた。今ここに、麗羽の勝利の方程式は構築されたのだ。それはあまりに危険であるが、やらなくては勝利を掴むことは出来ない。

 

 ついに麗羽の反撃が開始されようとしていた。

 

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あとがき

 

 第八十九話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 さて、今回も引き続き麗羽様に視点を置いて物語は進みます。

 

 オリジナルキャラとして登場した曹仁と曹洪ですが、二人の強さは歴戦の猛将と呼ぶに相応しいものでしょう。実力だけで推し量るのならば麗羽様に勝ち目はありません。

 

 しかし、それでも麗羽様は抗い続けます。

 

 そして、それを支えるのが猪々子と斗詩の二人なのですね。

 

 さてさて、物語の中盤まで斗詩と猪々子の動きを追いつつも、二人が曹仁と曹洪を相手に苦戦する様が分かって頂けたでしょうか。キャラ目線よりもこちらの方が、戦争の流れは書きやすいのですが、それでも非常に難しいですね。

 

 分かりにくくて大変申し訳ないです。

 

 それでも戦争は将同士の一騎打ちのみで終わらせるようなものにはしたくないので、頑張って書きたいと思います。

 

 さてさてさて、物語後半部は麗羽様に視点が戻りまして、相手の二人との実力差に愕然とし、また斗詩と猪々子に守られてばかりいる自分に絶望しますが、その中であることに気付くのです。

 

 それがこの戦の命運を握るわけですが、詳しいことは次回ということにします。

 

 その正体が何なのか、次回の更新まで皆様の妄想を駆り立てるものであれば良いですね。

 

 では、今回はこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 

説明
第八十九話の投稿です。
ついに始まった先鋒同士のぶつかり合い。斗詩と猪々子はそれぞれ部隊を率いて曹仁と曹洪に勝負を仕掛けるも、彼らの力量は彼女のそれを凌駕しているのだった。その事実に愕然とする麗羽だったが、ある一つのことに気付くのだった。

コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!

一人でもおもしろいと思ってくれたら嬉しいです。
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コメント
瓜月様 麗羽様は準ヒロインに選ばれ、この物語では何かと厚遇を受けているのですが、しっかりと活躍するところを描きたいと思います。凡将である麗羽様が名将である二人に対してどのような攻勢に出るのか、期待せずにお待ちください。(マスター)
陸奥守様 そこはネタバレも含んでしまうので、明言することは出来ませんが、三人のテーマである絆というのはキーワードになりますね。まぁ急に覚醒したり、麗羽様が無双し出したりという展開はありません。どのようになるかは期待せずにお待ちください。(マスター)
曹操軍の2人に弄ばれた感の麗羽達だけど、絆的ななにかで逆転するわけですね。ジャ○プの王道みたいに。思いが実力をUPさせるという事じゃないようだから次回が楽しみです。(陸奥守)
きたさん様 軍としての戦いというものの定義によるのですが、飽く迄もこの決戦全体における争いでは将同士の戦いだけでは収めないということですね。今回も斗詩と曹洪が戦ったりと、要所ではその描写はするつもりですので、そこはご了承ください。また、作者は特にそのような描写が得意というわけではないので、拙いものになっても寛大な気持ちでご覧ください。(マスター)
山県阿波守景勝様 麗羽様が勝利出来る部分というところが、この戦闘のキーワードになるのですが、どうしてこんな難しい展開にしてしまったのか、今更ながらに少し後悔していたり。前々から何度も言っていますが、作者は駄作製造機ですので、展開についてはあまり過度な期待はしないでくださいね。(マスター)
オレンジぺぺ様 勝利の見えない工程において挑戦し続けることほど困難なことはないと思いますが、それでも挑戦しない限り勝利は得られないですからね。曹洪と曹仁は改めて見てみると、完全にチートキャラにし過ぎた嫌いもあるのですが、そこは勢いで書き殴りたいと思います。麗羽様の凛々しい姿を楽しんでもらえると幸いです。(マスター)
アルヤ様 まぁここまで圧倒的な戦力差を示しておくと、いざ次回を書いたときに御都合主義だと非難されそうで今から恐ろしいのですが、多くの読者の方に楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。(マスター)
summon様 麗羽様たちを描く際、斗詩と猪々子の存在は欠かせないですからね。これまでの描写でも三人の絆を意識して書いていたことが多いですし、麗羽様の強さに繋がる部分でもあると思います。読者様に如何に想像して楽しんでもらえるかというのも、物書きにとっては重要だと思います。存分に楽しんでもらえると幸いです。(マスター)
さあて、麗羽は何をいったい思いついたのか?将同士の対決ではなく、軍としての対戦を描いていただけるんですよね!?(きたさん)
何に気がついたのか……どのような展開になるか楽しみです。(山県阿波守景勝)
どうやってこの状況をひっくり返すのやら(アルヤ)
麗羽たち三人の絆はとても深いものですねぇ。麗羽が何に気付いたのか、色々と妄想しながら次回をお待ちしています。(summon)
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